トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。名無しさんは原則コメント非承認です。

産経抄は「人でなし」か

2017-10-26 07:12:09 | 事件・犯罪・裁判・司法
 10月19日の産経抄。

日本を貶める日本人をあぶりだせ 10月19日

 日本の新聞記者でよかった、と思わずにはいられない。地中海の島国マルタで、地元の女性記者が殺害された。車に爆弾を仕掛けるという残虐な犯行である。彼女は「タックスヘイブン」(租税回避地)をめぐる「パナマ文書」の報道に携わり、政治家の不正資金疑惑を追及していた。マルタとはどれほど恐ろしい国か。

 ▼今年4月に発表された「報道の自由度ランキング」では47位、なんと72位の日本よりはるかに上位だった。ランキングを作ったのは、パリに本部を置く国際ジャーナリスト組織である。日本に対する強い偏見がうかがえる。一部の日本人による日本の評判を落とすための活動が、さらにそれを助長する。

 ▼米紙ニューヨーク・タイムズに先日、「日本でリベラリズムは死んだ」と題する記事が載っていた。日本の大学教授の寄稿である。安倍晋三首相の衆院解散から現在の選挙状況までを解説していた。といっても、随所に左派文化人らしい偏った主張がみられる。

 ▼憲法をないがしろにして軍事力の強化を図る首相の姿勢は、有権者の支持を得ていない。最大野党の分裂のおかげで自民党が勝利するものの、政治はますます民意から離れていく、というのだ。米国人の読者が抱く日本のイメージは、民主主義が後退する国であろう。

 ▼特定の政治的主張だけを取り上げる、国連教育科学文化機関(ユネスコ)には、困ったものだ。いよいよ問題だらけの慰安婦関連資料の登録の可能性が強まっている。田北真樹子記者は昨日、登録されたら脱退して組織の抜本改革を突きつけろ、と書いていた。

 ▼そもそも国連を舞台に、実態からかけ離れた慰安婦像を世界にばらまいたのは、日本人活動家だった。何ということをしてくれたのか。


 このコラムを猛然と批判するツイートをいくつも見た。

 朝日新聞長岡支局の伊丹和弘記者は、

《同業者が殺された事件のコラムの書き出しが「日本の新聞記者でよかった」かよ(唖然
忘れたか? 日本では既に30年前に職場で新聞記者が殺されるテロ事件が起きてるんだよ!
→ 【産経抄】日本を貶める日本人をあぶりだせ》

と自社の記者が殺された赤報隊事件を例に挙げて批判。

 ある方は、

《報道の自由ランキングは新聞記者が権力と仲良く安全に暮らしてる順位ではないのだが、反骨の海外女性記者が殺害された話を「日本の新聞記者でよかった、と思わずにはいられない」から書き始めて『日本を貶める日本人をあぶりだせ』という表題に仕上げる産経新聞すげえな…》

《「日本では記者が殺されていないのに、なぜ報道の自由ランキングが低いのでしょうか?」という疑問に自分で答えちゃってるよねこの記事。同じジャーナリストが殺されたニュースを「我が国の記者でよかった!」から書き始める報道なんか見たことねえよ。どんな日本スゴイだよ。》

と述べた。

 また別の方は、次のように。

《産経新聞をはじめとする右派メディアに顕著な傾向だが、自分達が弾圧される側に立つ事はないどころか弾圧する側に回るという謎認識は、如何にして生まれるのか》

 ジャーナリストの江川紹子氏は、

《人でなし、とはこんなものを書く人のことを言うのだろう 。人の無残な死を、同業の者としてまずは悼むということが、せめてできないのだろうか…。→【産経抄】日本を貶める日本人をあぶりだせ 10月19日》

《それに、日本で悲惨な事件や事故、災害があって、人々が強い衝撃を受けている時に、他国の新聞が「あぁ、日本人じゃなくてよかった。日本はひどい国だ」と書いたら、どんな気持ちか、産経抄にはそれくらいの想像力すらないのか。サイテー。》

と述べていて、私はそこまで言うのかと思った。

 ちょっと落ち着かれてはどうだろう。

 この産経抄に不快感をもつ人が出るのはわかる。
 また、コラムとしての出来は率直に言って悪いと思う。天声人語などとは比較にならない。
 だが、産経抄の文章はいつもだいたいこんなレベルである。

 マルタの女性記者が殺害されたこと、「日本の新聞記者でよかった」と思ったことがこのコラムの本題ではない。本題は、そのようなマルタの「報道の自由度ランキング」がわが国よりはるかに上位であったこと、それはわが国に対する強い偏見によるものであり、「日本を貶める日本人」がそれをさらに助長しているという指摘が、このコラムの本題だ。
 女性記者殺害は、話のマクラにすぎない。

 女性記者の殺害を、どうやったら「日本を貶める日本人」批判につなげようという発想が出てくるのか、産経抄子の思考回路はどうなっているのかとは思うが、きっと年がら年中、「日本を貶める日本人」をどうやって叩くか、そういったことばかりを考えているような人なのだろう。

 まあ、国民の中には、世の中の悪いことは全て安倍政権のせいだとばかりに政権批判に血道を上げている人もツイッターではよく見かけるので、こんな人がいても不思議ではない。

 また、「あぶりだせ」とは刺激的にしようと編集者が付けたタイトルだろう。本文のどこにもそんなことは書かれていない。

 ある批判者の「自分達が弾圧される側に立つ事はないどころか弾圧する側に回るという謎認識」というのは意味不明である。産経抄は別に女性記者の殺害を賞賛しているわけでもないし、自分たちが弾圧する側であると受け取れるような箇所もないからだ。むしろ産経は、例えば共産党政権が成立すれば、自分たちが弾圧されることをよく理解していることだろう。
 謎なのはこのツイ主の認識である。

 ところで、こういう殺害事件に接して、伊丹記者や江川氏は、日本の記者やジャーナリストでよかったとは思わないのだろうか。
 ロシアや中国をはじめ、ジャーナリストが殺害されたり拘束されたりする国は世界にたくさんある。わが国がそうでないのは幸いだし、この状態を守らなければならないとは思わないのだろうか。
 それとも、思ったとしても、このように口にするのは不謹慎であるということか。

「他国の新聞が「あぁ、日本人じゃなくてよかった。日本はひどい国だ」と書いたら、どんな気持ちか」
って、どんな気持ちになるというのだろう。別に何とも思わないんじゃないだろうか。
 顔も知らない他国の人間がわが国のことをどう言っているかが、そんなに気になるものだろうか。
 何を言っていようが、お互い様ではないだろうか。
 それに、産経抄は、まさにそのように「日本はひどい国だ」と言われることを恐れて、そのための材料を提供している一部日本人を非難しているのではないのだろうか。

 NGO「国境なき記者団」が発表している「報道の自由度ランキング」については、実態と乖離しているのではないかとの批判もある。
 その算出方法を BuzzFeed News が報じているのを、最近ある方のツイートで知った。
 180カ国のメディア専門家、弁護士、社会学者に87の質問のアンケートが配られており、その結果を基に独自の数式により算出するそうだが、詳細は公表されていない。
 以前、江川氏自身も、72位という数字には疑問を呈していたはずである。

 「人でなし」とは、人間の姿かたちをした者に対して、お前を人間とは認めないと言うときに用いる言葉である。
 人の皮をかぶった、鬼か獣というわけである。
 マルタの爆殺犯をそう呼ぶなら、まだわからないでもない。しかし、産経抄の内容はそれに値するほどひどいものだろうか。
 江川氏は、まずはその死を悼めと述べているが、短文のコラムなんだから、主要でない部分を省略することは有り得る。先に述べたように、マルタの話はマクラにすぎない。
 産経抄は、殺害された女性記者を何かしら貶めているだろうか。政治家の不正を追及するなんて、バカなことで命を落としたものだと述べているだろうか。そんな箇所もない。
 にもかかわらず、その死に対して哀悼の意を明記せず、持論に利用したというだけのことで、「人でなし」とまで罵ってしまう。
 江川氏の人権感覚はそんなものかと残念に思った。

コメント

よくわからない人のための蓮舫氏の二重国籍問題Q&A(下)

2017-07-27 23:49:15 | 事件・犯罪・裁判・司法
承前

Q:外国籍の離脱は努力義務でしかないという指摘もあるようだけど?

A:ああそれはね、日本国籍選択の宣言をした後の話なんだよ。

《国籍法第十六条  選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。 》

 日本国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言をしたとしても、外国に国籍が残っていることには変わりないし、それは国籍単一の原則をとる日本にとって望ましくない。外国国籍を離脱しようとすればできるのなら、単に宣言だけで済ませることなく、なお離脱に努めなければならないということだね。
 でも、離脱を認めるかどうかはその外国が決めることだから、さすがに「外国の国籍を離脱しなければならない」とはされていないんだね。
 蓮舫さんは選択の宣言をしていなかったんだから、この条文は関係ないんだ。

Q:「努めなければならない」だから、努めていなければ法律違反になるんじゃないの?

A:努めているかいないかを決める客観的な基準はないから、どういう状態をもって努めていないと判断していいのか難しいし、努めていないとしても、それだけでその人の日本国籍がどうにかなるわけでもないから、それを検討することには意味がないね。
 それに、普通は努力義務に違反していても「違法」とは言わないそうだよ。

 ただ、第16条第2項には次のような定めがあって、

《2  法務大臣は、選択の宣言をした日本国民で外国の国籍を失つていないものが自己の志望によりその外国の公務員の職(その国の国籍を有しない者であつても就任することができる職を除く。)に就任した場合において、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、その者に対し日本の国籍の喪失の宣告をすることができる。》

この場合に限っては、日本国籍選択の宣言をしていても、外国国籍の離脱をしていなければ、日本国籍を失うことがある。 よっぽどの場合だろうけどね。

Q:この蓮舫さんの二重国籍問題は、いつごろから騒がれ出したの?

A:池田信夫氏が主宰する「言論プラットフォーム アゴラ」というサイトで、昨年8月に八幡和郎氏の記事が指摘したのがきっかけらしい。八幡さんや池田氏はこの問題について記事を書き続け、そのうち産経新聞が取り上げたりして広まって、将来首相になるかもしれない野党第1党の党首が二重国籍であっていいのかと、問題になったようだね。

Q:蓮舫さんが国籍の選択をしていないことはいつわかったの?

A:最初、八幡氏や池田氏は、蓮舫氏は日本国籍を選択したけれど台湾国籍を離脱していない、これは二重国籍だ、違法だ、国籍剥奪だと騒いでいた。これについて僕は昨年9月7日に、日本国籍選択後の外国国籍離脱は努力義務にすぎないし、その外国の公職に就かなければ日本国籍を失うこともないとブログで書いたことがある。
 でもそのうち彼らは、国籍法についてある程度は理解したらしくて、そもそも第14条の国籍の選択がなされていないのではないかと批判しだした。これは当然の指摘だね。でも16条についていいかげんなことを述べていたのを彼らが撤回して謝罪したとは聞かないけどね。
 僕は彼らや蓮舫さんの言動をそんなに詳しくフォローしているわけではないんだけど、蓮舫さんが国籍の選択をしていなかったことを認めたのは、僕が把握している限りでは、蓮舫さんが党代表に当選して、さらに1か月たった10月15日の記者会見でのことだった。
 この会見で蓮舫さんは、指摘を受けて確認したら、台湾国籍が残っていたことがわかったので、国籍離脱の手続きをとって、国籍喪失認可証を戸籍法第106条に基づいて提出したが、受理してもらえなかった、そして日本国籍選択の宣言をするよう強く行政指導されたので、宣言をしたと説明していたよ。

Q:どうして受理してもらえなかったのかな?

A:日本は台湾政府を外国政府として認めていないから、そこが発行した証明書も、国同士の関係としては受理することができないんだろうね。
 そういえば、僕はさっき言ったブログの記事で、

《そもそも、中華民国の国籍離脱手続を取れといったって、わが国はその中華民国を国家として承認していないのである。そんなものに何の効力があるのだろうか。》

と書いていたけど、やはりそうだった。八幡氏や池田氏が当初、日本国籍を選択しただけでは不十分だ、台湾国籍の離脱が必要で、それをしていないなら二重国籍だと騒いでいたのは何だったのかと思うね。

Q:じゃあ、台湾国籍は日本においては無効ということになって、蓮舫さんは二重国籍にはならないんじゃないの?

A:中華人民共和国は台湾は領土の一部と主張しているし、台湾自身も国家だと主張している以上、外国国籍であること自体を無効と扱うわけにもいかなくて、一応外国国籍もあるとした上で、日本国籍選択の宣言をするよう行政指導したんじゃないかな。

Q:なんだか釈然としないね。

A:僕もだよ。法務省はきちんと説明すべきだと思うし、この問題をとりあげたジャーナリストや国会議員は、その点をもっと追及すべきだと思うね。

A:けど、それで選択の宣言をしたのなら、第14条の義務違反は解消されたんだね。

A:そう。そして蓮舫さんは、これまでの発言に変遷があったことを認め、国籍についての自らの認識不足も認めて、謝罪していた。

Q:じゃあ、この問題はもう終わったってこと?

A:僕はそう思ってた。でも、今年6月の東京都知事選で民進党が大敗して、党内で蓮舫さんの責任を問う声が上がる中で、この問題が再燃したらしい。敗因の一つにされたんだろう。
 さっき言った自民党の小野田紀美議員が、自ら戸籍や国籍喪失証明書を公開していたことも影響したようだね。
 それで、蓮舫さんも戸籍などの書類を公開して、改めて説明することにしたらしい。

Q:戸籍の公開で何がわかったの?

A:国籍選択宣言の日は戸籍に載るから、それが以前の蓮舫さんの説明どおりだったことが裏付けられただけだね。
 あまり意味のあることではなかったし、かえって、妙な先例を作ることになってしまった。
 そもそも小野田議員も別に戸籍まで公開する必要などなかったんだから、蓮舫さんのような非難を浴びることを避けたかったのか、それとも蓮舫さんに対する当てつけがしたかったのかは知らないけど、目先のことだけにとらわれて、浅慮な行動をとったものだと思うよ。

Q:蓮舫さんの公職選挙法違反を指摘する声もあるそうだけど。

A:そうだね。八幡氏や池田氏や産経新聞だけでなく、今年7月20日付の読売新聞社説までがこう書いていたのには驚いたよ。

《国会議員として、法律を順守する認識が甘過ぎたと言うほかない。

 民進党の蓮舫代表が記者会見で、日本国籍と台湾籍の「二重国籍」問題について説明した。

 昨年9月に台湾籍を離脱し、10月に日本国籍の選択を宣言したことを証明する台湾当局の証書や日本の戸籍謄本などを公表した。

 1985年に日本国籍を取得した蓮舫氏が、昨年まで台湾籍を保有し、国籍法違反の状態にあったことが裏付けられた。2004年の参院選公報に「台湾籍から帰化」と虚偽を記載したのは、時効とはいえ、公職選挙法に抵触する。》

Q:「参院選公報に「台湾籍から帰化」と虚偽を記載した」というのは、何のことだろう?
 附則第5条による日本国籍取得だから、国籍法第4条の帰化じゃないってことなのかな?

A:その意味では確かに帰化じゃないんだけど、この社説のように、蓮舫さんは公職選挙法違反だと主張している人が言っているのは、そうじゃないんだ。
 昨年まで台湾国籍を保有していたのに、台湾国籍を離脱していたかのように記載していたのが虚偽だと言っているんだ。

Q:ふーん。でも、「帰化」って国籍を離脱したっていう意味なのかな?

A:いいや、国籍法第4条の帰化は、外国人が法務大臣の許可を受けて日本国籍を取得することを言う。「帰化」という言葉について辞書を引いても、例えばコトバンクのデジタル大辞泉では「他国の国籍を得て、その国民となること。」とある。外国籍を離脱して日本の単一国籍になったなんて意味はないんだから、これを「虚偽」と見るのは誤ってるよ。
 それに、蓮舫さんは、今回の騒動で指摘を受けるまで、台湾国籍が残っていたとは知らなかったと言っている。それを信用するかどうかは受け手の自由だけど、「虚偽を記載した」と言うならそれが虚偽であることを知っていたことが前提となる。この社説がその点を無視して、「時効とはいえ、公職選挙法に抵触する」と、さも時効でなければ犯罪が成立していたかのように語るのも誤っている。

Q:そういえば、蓮舫さんを公職選挙法違反で告発した人もいたんだっけ?

A:去年10月に、「愛国女性のつどい花時計」という市民団体の代表らが、蓮舫さんを国籍法違反と公職選挙法違反で東京地検に告発すると産経新聞が報じているね。国籍法の国籍選択の義務違反には罰則がないのに、どういう告発状を書いたんだろうね。

 この告発は、結局不起訴となって、告発した人たちは検察審査会に申し立てをしたそうだよ。審査員は法曹ではなく一般人だから、その判断次第では起訴される可能性もなくはないけど、仮にそうなっても国籍法違反には罰則がないし、公職選挙法違反は時効なんだから、有罪になることはないだろうね。要するに、この問題を長引かせたいだけなんだろう。

Q:公職選挙法のほかにも法令違反の指摘があったようだけど。

A:池田信夫氏は旅券法違反も主張していたようだね。日本の旅券と台湾の旅券を使い分けていたとか言っているらしいけど、単なる憶測で、もう真面目に検討するに値しないレベルの話だよ。
 先日、twitterでたまたまタイムラインに流れてきた、中村仁という人のアゴラの記事を読んだんだけど、

《ネットメディアに伝統メディア完敗

民進党の蓮舫代表が戸籍謄本の一部などを開示して、日本国籍の選択宣言を済ませていると、記者会見で説明しました。二重国籍の是非、戸籍謄本の開示、公職選挙法違反の問題点などに対する朝日新聞の編集姿勢をみて、随分と偏った報道をすると思いました。

蓮舫氏に二重国籍問題は、言論プラットフォームの「アゴラ」が一年ほど前から集中的に取り上げ、新聞、テレビなどの伝統メディアは当初はほどんと無視しました。もちろん、蓮舫氏自身も黙殺しようとしたと思われます。昨年9月以降、台湾国籍の放棄(9月)、日本国籍の選択宣言(10月)、そして今回の戸籍謄本の一部公開など、ずるずると土俵際に追いつめられ、敗北を認めたという展開になります。

「アゴラ」を主宰する池田信夫氏、次々に新事実を発掘して寄稿を続けた八幡和郎氏(元通産官僚)らの全面的な勝利でしょう。外部からの情報提供もかなりあったと推測されます。伝統的メディアは「一部のネット・サイトが騒いでいる程度だろう」と、軽くみていたと思われます。それがついに、蓮舫氏が資料6点を開示した翌19日の紙面では、朝日新聞は1面、3面、4面、34面にわたる大展開の報道です。蓮舫問題では伝統メディアも完敗したのです。〔引用者註:誤植っぽい箇所はいずれも原文のまま〕》

と自画自賛を述べているのはまあいいとして、

《一般市民ならともかく、野党第一党の党首は当然、選挙に勝ち、首相の座を目指す存在でしょう。その人物が長く台湾国籍を持ち、日本国籍を取得していなかったというのが今回の問題の本質です。しかも、いかにも日本国籍を取得しているような発言を繰り返し、説明が二転三転してきたのです。》

なんて語っているんだよ。
 これまで説明してきたとおり、蓮舫さんが日本国籍を取得しているのは、明白な事実だ。にもかかわらず「長く台湾国籍を持ち、日本国籍を取得していなかったというのが今回の問題の本質」などと平気で語る。そしてそれがアゴラに掲載される。
 全ての記事がそうだとは言えないけれど、こと蓮舫氏の二重国籍問題については、アゴラの記事はまともに検討するレベルに達していないと判断していいと思うよ。

Q:どこかの国では、二重国籍がばれて国会議員が辞職したというニュースもあったけど。

A:オーストラリアで今月、そのために2人の議員が辞職したそうだね。どちらも二重国籍の認識はなかったと弁明しているそうだけど、オーストラリアの憲法は、複数の国籍をもちながら連邦レベルの公職に就くことを禁じているそうだ。
 ほかの国のそんなニュースも聞いた覚えがある。
 でも、日本では、憲法でも、その他の法律でも、重国籍者が国会議員に就くことを禁止してはいないからね。
 もちろん、一般の公務員に就くことも禁止してはいない。
 外交官だけは、外務公務員法第7条で「国籍を有しない者又は外国の国籍を有する者は、外務公務員となることができない」と定めているから、重国籍者はなれないんだけど、これは、日本の国益を守るためという意味合いもあるのかもしれないけど、むしろ、外国で勤務する場合に、重国籍だと立場がややこしくなるおそれがあることが大きいんじゃないかな。
 国益という点なら、自衛官や海上保安官や警察官も重要な役割を果たしているはずだけど、彼らは重国籍を禁止されていないからね。
 外務省以外の省庁の官僚も、もちろん国会議員も、国益をめぐって外国と交渉することはあるしね。

 首相や外相は外交官に指揮する立場だから、当然外交官と同様、重国籍であってはならないなんて主張する人もいるけど、明文化されていない以上、屁理屈だと言うしかないね。

Q:でも、法的責任はともかく、国会議員が二重国籍だったというのは、政治的責任は免れないんじゃないの?

A:蓮舫さんは、台湾籍が残っていることに気づいていなかったと主張してるわけだけど、仮にそれを信じるにしても、これまでそれに気づかなかったのなら、やはり国籍というものを軽く考えていたんだろうし、野党第1党の党首を目指す立場でそれはどうなのかという批判の声が上がったのは、当然のことだと思うよ。

Q:じゃあ、蓮舫さんに一定の責任があるとは考えているんだね?

A:そうだよ。大騒ぎするほどの話じゃないとは思っているけど、当初指摘されていた第16条の努力義務違反ならともかく、第14条の国籍の選択をしていなかったというのはやはり問題だよね。蓮舫さんはその認識がなかったと説明しているけど、仮にそうだとしても、国籍というものについて多少なりとも真面目に考えたり、法令遵守の意識があったりしたら、気づくべきだったのではないかと思うよ。遅くとも、この二重国籍の問題がマスコミで指摘され始めた時点で、もっと真摯に対応すべきだったろうね。

Q:君は、蓮舫さんに責められるべき点はないと考えているのかと思っていたけど。

A:そうじゃあない。僕はこの問題で。池田氏や八幡氏や小野田議員らを批判する記事をブログに書いたけど、それは、彼らが、努力義務にすぎないことを義務だと言ったり、日本国籍を失わないのに失うと言ったり、重国籍者を潜在的スパイであるかのように言ったりしたからで、それらはデマであり、デマがまかりとおるのは良くないと考えているからだよ。
 あと、出自によって人を非難するという手法が気に入らないということもある。

 去年の10月にもブログに書いたから詳しくは繰り返さないけど、僕は民進党を支持しているわけではないし、別に蓮舫さんを擁護するためにこういった記事を書いているわけでもない。この問題についての蓮舫さんや民進党の対応には大いに失望したよ。

 ただ、さっきも言ったけど、蓮舫さんはこの問題では既に落ち度を認めて謝罪しているからね。それをさらにかさにかかって非難するのはどうかと思うよ。

Q:その蓮舫さんだけど、今日、党の代表を退くと表明したそうだよ。

A:うん。この記事をほぼ書き上げたところだったから、妙なタイミングに驚いたよ。野田幹事長は辞意を表明していたけど、蓮舫さんは代表を続けるみたいだったのにね。
 読売新聞のサイトの今日付の記事には、

《党関係者によると、蓮舫氏は複数の党幹部に幹事長を打診したが、断られたという。都議選の惨敗後、蓮舫氏の求心力は低下しており、これ以上、党運営を続けるのは困難と判断したとみられる。》

とあるから、それなら辞任もやむを得ないのかな。
 でも、去年の9月に代表選をやったばかりでまだ1年もたってないし、都議選は確かに重要な選挙だろうけど地方選挙にすぎないし、大敗したのだって、僕は大阪府民だから東京のことはよく知らないけど、現職の都議の離党が相次いでいた事情もあるようだし、それって蓮舫さんだけの責任なのかな。
 まあ、民主党時代からのことだけど、まとまりの悪い政党だよね。
 僕は、政権交代可能な勢力の存在は必要だと思っているから、彼らにはしっかりしてもらいたいと思っているけど、もはや民進党という枠組みにこだわる必要はないのかもしれないね。

コメント (4)

よくわからない人のための蓮舫氏の二重国籍問題Q&A(上)

2017-07-25 23:07:43 | 事件・犯罪・裁判・司法
 未だによくわかっていないまま発言している人がいるようなので、こんなものを書いてみた。


Q:蓮舫さんは二重国籍だったの?

A:そうだよ。日本と台湾の2つの国籍をもっていたことがわかったんだ。

Q:台湾国籍って何? 台湾は国じゃなくて地域じゃないの?

A:ここで中国の近現代史を詳しく説明する余裕はないけれど、辛亥革命で清朝が倒れて中華民国ができたことは知ってるよね。
 第2次世界大戦後の中華民国で、政権党である国民党と、共産党との間で内戦が再発した。共産党が勝利して中華人民共和国を建国して大陸を支配し、敗れた国民党は台湾に逃げ延びて中華民国を維持した。
 当時は東西冷戦の時代だったから、米国や日本や西欧諸国といった西側は中華民国を、ソ連など共産党政権の東側は中華人民共和国を、それぞれ中国を代表する正統な政府と認めた。国際連合が創設されたときは中華民国がそのメンバーだったから、台湾に逃げ延びた後も国連の代表権を維持し、中華人民共和国は国連に参加できなかった。
 しかし、やがてソ連と対立するようになった中華人民共和国は西側に接近し、米国や日本は中華人民共和国と国交を結んで中華民国とは断交した。国連の代表権も中華人民共和国に移った。日本では「中華民国」という言葉は使われなくなり、単に地域名である「台湾」と呼ぶようになったんだ。
 国籍としては、「中華民国国籍」と呼ぶのが正確だろうけど、この蓮舫さんの報道では、一般に「台湾国籍」の語が使われているから、ここでもそれに合わせておくね。

Q:蓮舫さんはどうして台湾国籍をもっていたの?

A:お父さんが台湾国籍だったから、その娘である蓮舫さんも台湾国籍になったんだ。台湾は血統主義といって、親の国籍が子に引き継がれるからね。日本もそう。米国のように、その国で生まれたことによって国籍を取得できる、出生地主義の国もあるね。

Q:お母さんは台湾国籍じゃなかったの?

A:お母さんは日本国籍だね。結婚と国籍の変更は別のことだから、結婚していても互いの国籍が別々であることはあるよ。

Q:蓮舫さんは生まれたときから日本と台湾の二つの国籍をもっていたの?

A:いや、生まれたときには台湾の国籍しかなかった。今は違うけど、昔の日本の国籍法は、血統主義でも父系優先で、父親が外国国籍、母親が日本国籍なら、自動的に外国国籍だけをもつとされていたからね。

Q:蓮舫さんは、台湾で生まれ育ったの?

A:いや、日本で生まれ育ったそうだよ。

Q:片方の親が日本国民で、本人が日本で生まれ育っているのに、外国籍しかもてないなんて、変な話だね。

A:そうだね。だから、昭和59年5月25日法律第45号の「国籍法及び戸籍法の一部を改正する法律」で、国籍法の父系優先が父母平等に改められて、母親の国籍も子に引き継がれることになったんだ。
 同じ血統主義を採るヨーロッパの国々でも、父系優先は男女差別であるという観点から、父母平等へ改める国が相次いでいたことや、1979年に国連総会で採択された女子差別撤廃条約に日本も参加するために国内法の整備が必要だったこともあって、改正されたそうだよ。

Q:でも、蓮舫さんが生まれたのは、その国籍法の改正前でしょ? 後から国籍を取得するなんてことができたの?

A:それができたんだ。昭和59年5月25日法律第45号の附則第5条第1項に、国籍の取得の特例を認める条文があるんだ。

《(国籍の取得の特例)
第五条  昭和四十年一月一日からこの法律の施行の日(以下「施行日」という。〔引用者註:昭和六十年一月一日〕)の前日までに生まれた者(日本国民であつた者を除く。)でその出生の時に母が日本国民であつたものは、母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、施行日から三年以内に、法務省令で定めるところにより法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。 》

 蓮舫さんは1967年生まれ、つまり昭和42年生まれだから、この対象者に該当するんだ。それで法務大臣に届け出て、日本国籍を取得したんだね。

Q:日本国籍を取得したら、台湾国籍はどうなるの?

A:国によっては、国民が他国の国籍を取得したら、自動的に自国の国籍を失うと定めているところもあるけど、台湾はそうじゃない。日本国籍を取得しても、台湾国籍をそのままにしておいたら、二重国籍ということになるね。

Q:日本は二重国籍を認めていないってよく聞くけど、具体的にはどういう法律に違反するの?

A:日本の国籍法では、二重国籍を認めないと明言しているわけではない。ただ、国籍単一の原則をとっていて、できるだけ日本国民が二重国籍にならないようにしている。
 例えば、蓮舫さんは違うけど、日本国民を両親に持たない、一般の外国人が日本国籍を取ろうとしたら、国籍法第4条に定められた帰化の手続きをとって、法務大臣の許可を受けなければならない。
 帰化の条件は第5条第1項に定められていて、その中に
《五  国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。 》
というのがある。
 「日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと」というのは、さっき言った、自国民が他国の国籍を取得したら、自動的に自国の国籍を失うと定めている場合だね。
 でも、台湾のようにそうでない国もある。そういう場合に、ある国の政策がそうだからといって、その責任を個人に負わせて、一律に帰化を認めないのは酷だよね。
 だから、第5条第2項で、
《2  法務大臣は、外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるときは、その者が前項第五号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる。 》
と定められているんだ。これで実際に帰化を許可されている人は多いんじゃないかな。

Q:それで帰化を許可したら、その人は二重国籍になっちゃうけど、それはどうやって解消するの?

A:第14条に「国籍の選択」という制度があって、一定期限内にどちらかの国籍を選択することになっているね。

《(国籍の選択)
第十四条  外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。

2  日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法 の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。》

Q:外国の国籍を離脱するためには、どうしたらいいの?

A:それは、その外国の制度に従うんだろうけど、普通は離脱したいと申請して許可を受けるんだろうね。離脱そのものを認めないという国もあるそうだけど。
 そして、離脱を終えたら、戸籍法第106条に従って、市町村長に届け出なければならないとされているね。それを受けて、市町村はその人が外国籍を離脱したことを戸籍に記載するんだ。

Q:外国の国籍の離脱のほかに、「日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言」ができるようになっているのはなぜ?

A:本人が離脱を希望しても離脱が許可されなかったり、本人がその外国と接触できない何らかの事情があったり、そもそもその外国が国籍離脱の制度を設けていなかったりする場合を想定しているんだろうね。
 でも、条文上、外国国籍の離脱ができない場合にのみ日本国籍選択の宣言をするとはなってないから、これはどちらを採ってもいいんだ。
 現に、蓮舫さんの問題が騒がれていた頃に、やはり二重国籍だったことが判明したと報道された自民党の小野田紀美・参議院議員は、日本国籍選択の宣言をして、議員に当選した後、この蓮舫さんの騒ぎを受けて、さらに米国籍離脱の手続きをとっている。
 米国籍の離脱が後からできるんなら、最初からそうすることもできたはずだけど、最初は日本国籍選択の宣言だけで済ませていて、それで何の問題にもなっていないんだからね。

Q:蓮舫さんは、外国国籍の離脱も、日本国籍選択の宣言も、どちらもしていなかったということなの?

A:そうだね。「いずれかの国籍を選択しなければならない」と義務づけられているから、選択しなかったのなら法律違反になる。

Q:でも蓮舫さんは、さっき聞いたように、国籍法第4条の帰化じゃなくて、改正法の附則第5条の特例で、日本国籍を取得したんでしょ。

A:そうだよ。法務大臣の「許可」を受けたんじゃなく、日本国民である母親をもつことによる当然の権利として、法務大臣への「届け出」によって日本国籍を取得したんだ。
 去年の9月2日に産経新聞のサイトに掲載された蓮舫さんのインタビューで、

 --出身の台湾と日本との「二重国籍」でないかとの報道がある。帰化していると思うが…

 「帰化じゃなくて国籍取得です」


というやりとりがあって、当時僕はその違いがわからなかったんだけど、そういう意味だったんだね。

Q:権利としての日本国籍取得でも、さらに国籍の選択をしなければならなかったの?

A:そうなるね。第14条は帰化と権利としての日本国籍取得を区別していないから。蓮舫さんは1985年に17歳で日本国籍を取得したそうだから、22歳になるまでに国籍の選択をしなければならなかった。
 ただ、僕が疑問に思うのは、そうした制度について、当時係官なり蓮舫さんの親族なりから十分な説明があったのか、あっとしても、当時の彼女が正確に理解し得たのかということだね。
 去年10月15日の記者会見で蓮舫さんは、国籍に関する手続きは父親任せにしていて、台湾国籍は離脱したものと思い込んでいたが、確認してみると離脱していなかったことがわかったので、自ら国籍選択の手続きをしたと説明している。十分あり得る話ではないかと思うね。

Q:蓮舫さんは過去に自ら「二重国籍」だと発言していたこともあるから、実は二重国籍であるとわかっていて、それを伏せていたんじゃないかとも聞くけど。

A:それは、国会議員になる前の、タレント時代の雑誌のインタビューなどでの発言のことだね。
 そうしたインタビューは、必ずしも一字一句が発したとおりに文字になるとは限らないし、仮にそうした発言があったとしても、蓮舫さんが国籍の制度について正確に理解した上での発言だったのか、疑問だね。単に日本と台湾の両方にルーツをもつという意味で「二重国籍」と言ったりしていたのかもしれない。
 一方で、「生まれた時から日本人」という発言もあったと批判されているね。でも、「日本人」と「日本国籍」は厳密には違うし、日本において、日本人の母親から生まれて、日本で生活してきた蓮舫さんが、「生まれた時から日本人」と自己規定していたとしても、別に不思議なことじゃないんじゃないかな。
 言葉の端々を切り取って、嘘つき呼ばわりするのはどうかと思うよ。

Q:日本では二重国籍者には一定期限内に国籍の選択が義務づけられていて、蓮舫さんがその義務を果たしていなかったことはわかったけど、選択しないままだったらどうなるの?

A:国籍法上は、法務大臣が、早く選択しなさいと「催告することができる」とされている。
 でも、「することができる」だから、するかしないかは法務大臣の裁量によるんだね。
 そして、その催告に応じずに、なお国籍の選択をしないままだと、その人は日本国籍を失うとされている。

《第十五条  法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる。

〔中略〕

3  前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この限りでない。 》

Q:ずいぶん厳しい処分なんだね。実際に、法務大臣は二重国籍の人に催告をしているの?

A:実は、どうもしていないようだね。
 少なくとも、2009年5月12日の衆議院法務委員会で、法務省入国管理局長は、それまでに行われたことはないと答弁している。たぶん、現在でもそうじゃないかな。
 日本国民からその国籍を剥奪するという強権的な制度だからね。よっぽどの理由がないと、発動するわけにはいかないんだろう。

Q:じゃあ、蓮舫さんの二重国籍が問題になったとき、二重国瀨であることを法務省が把握していたなら、法務大臣が蓮舫さんに催告することもできたわけだね。

A:そうだよ。そしてそれをしなかったということは、国にとって蓮舫さんの二重国籍というのは、催告をしてまで国籍の選択を促すべき重要な問題ではなかったということだね。
 だから、国会議員でありながら二重国籍を放置していたのはけしからんなどと言う人を見たけど、国の判断をさしおいて、いったい何様のつもりなんだろうかと思うよ。

Q:国籍の選択を長期にわたって怠っていても、選択すればそれで終わりなの? 何かペナルティはないの?

A:ない。国籍の選択を促す制度として法務大臣の催告があるだけで、選択を怠ったことに対する罰則はない。
 そして、仮に蓮舫さんが法務大臣の催告を受けたなら、蓮舫さんは日本国籍を失いたくはないだろうから、当然催告に応じて日本国籍を選択しただろうね。
 二重国籍なんて、日本ではその程度の問題なんだよ。

Q:国籍単一の原則をとっているという割には、ずいぶん甘いんじゃない?

A:甘いと言ったって、それが昭和54年の法改正で、当時の関係者が知恵を絞って整備した制度の結果なんだからしかたがない。それが不満なら、やはり法改正を志向すべきだろうね。
 ただ、もしそうするなら、改正当時にどんな議論があったかぐらいは、確認しておくべきだろうね。僕もそんなに詳しくは調べていないんだけど、なかなか大変だったようだよ。
 今の制度でも、国籍選択をしていない者を市町村が把握すれば、法務局に通知することになっている。

《戸籍法第百四条の三  市町村長は、戸籍事務の処理に際し、国籍法第十四条第一項 の規定により国籍の選択をすべき者が同項 に定める期限内にその選択をしていないと思料するときは、その者の氏名、本籍その他法務省令で定める事項を管轄法務局又は地方法務局の長に通知しなければならない。》

 だから、法務局は国籍未選択者を把握することができるし、法務大臣の催告にまでは至らないまでも、そうした者に国籍を選択するよう行政指導することぐらいはできるはずなんだ。
 でも、蓮舫さんがこれまでそうした行政指導を受けていたとは聞かない。おそらく、ほかの未選択者も同様だと思う。
 だとすれば、どうしてそんな運用がなされているのか、考えてみるべきじゃないかな。
 これは、そう簡単な問題じゃないんだと思うよ。

(続く)
コメント

村山治、松本正、小俣一平『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版、2016)感想

2016-11-02 08:36:33 | 事件・犯罪・裁判・司法
 地元の本屋でたまたま本書を見かけ、興味をもって購入した。
 吉永祐介(1932-2013)については、ロッキード事件やリクルート事件の捜査を指揮し、後に検事総長を務めた人物として、名前ぐらいは知っていたが、どんな人物かはまるで知らなかった。
 本書は、NHKの小俣、朝日新聞の松本、毎日新聞から朝日新聞に転じた村山の3人の元検察担当記者による鼎談によって、吉永を中心に特捜検察の歴史を描いたもの。朝日新聞のウェブサイト「法と経済のジャーナル」に連載されたものをベースに新たな取材や鼎談を追加して再構成したものだという。

 なお、吉永祐介の「吉」の字は正しくは「士」の部分が「土」、「祐」の字はへんの「ネ」が「示」のはねがない形であり、本書でもそうなっているのだが、パソコンでの表示の便宜上「吉」「祐」を用いる。

 吉永個人だけでなく、ロッキードとリクルートの両事件を中心に、特捜検察の歴史がバランスよく語られている。鼎談なので読みやすい。

 読んで強く思ったことが2つある。
 1つは、ロッキード事件の頃は、検察とマスコミが協力的な関係にあり、また裁判所も検察寄りだったのだということ。
 例えば、後に問題となる嘱託尋問調書について、村山、松本両氏はこう語っている。

村山 刑事免責は当時の日本では認められていませんでした。それで得た供述証拠は、裁判所が証拠採用しないのが常でした。検察と裁判所は「掟破り」をした疑いがありました。ところが、この異例の措置を、ほとんどのマスコミは「真相解明には必要な手続きだ」と受け止め、むしろ、検察や裁判所の背中を押す論陣を張ったのです。
松本 嘱託尋問で免責を与えて供述を得ることについて、検察が危ないことをやっている、という論調は当時、どのマスコミにもなかったのではないでしょうか。むしろ、やるべきだという論調が支配的で、裁判所もそれに敏感に対応したという感じがあります。新聞がそろってあのような論調をとったのは、法の適正手続きを遵守することによって生じるマイナスを考えた、裏返して言えば、法的には踏み外すことにはなるが、それによって得られる公益、ロッキード事件の真相解明によってもたらされる公益の方が格段に大きいと判断したのだと思います。(p.75)


 ロッキード事件とは、そのような「判断」によって検察、裁判所、マスコミが連携し、さらに首相もそれを政治的に利用するという状況下で捜査が行われた特異な事件だったということなのだろう。

 もう1つは、先に述べたこととも関連するが、マスコミと検察がひどく密接な関係にあったということへの驚きだ。
 例えば、朝日の社説が検察の方針を変えたという事例が紹介されている。
 ゼネコン汚職で中村喜四郎衆議院議員への疑惑が取り沙汰されたが、小俣氏は、中村はやらない方針だと吉永から聞き、そのような記事を書いた。ところが後日、一転して中村事件をやることになったと吉永から電話で聞かされた。困惑した小俣氏は直接吉永のところへ出向いて事情を聞いた。すると吉永は、
「いや、朝日新聞が社説で書いただろう」
「最高検の上層部は朝日の社説に引っ張られるんだよ」
「朝日に出るのは、ほかの新聞に出るのと違うんだ」
と述べたという。

小俣 吉永さんは、中村事件について、あっせん収賄での立件はだめだ、受託収賄の筋が出ないから、もうだめだ、と言っていたんです。俺が判断したからだめなんだ、と明言していたんです。いったんは、立件見送りに傾いていた。ところが、話が違ってきて、中村喜四郎代議士を3月11日にあっせん収賄容疑で逮捕したんです。
 松本さんに聞きたいのは、中村喜四郎事件のときの吉永さんと朝日新聞の社説との関係です。吉永さんの言う朝日新聞の社説は、94年2月6日付の「検察は歴史に堪える決着を」です。それを吉永さんが読んで捜査方針が変わった。それは明らかです

 社説が吉永さんを中村議員摘発に動かす

村山 あの社説は、実は、松本さんが、元司法記者クラブキャップで論説副主幹だった佐柄木俊郎さんに書いてもらったものですよ。その経緯は、そばで見ていたからはっきり覚えています。
 特捜現場は、中村さんをあっせん収賄罪で起訴できると意気込んでいる。ところが、吉永さんは消極的。どうするか〔中略〕。
 松本さんが「吉永さんは気が小さいから、朝日の社説が尻をたたけば、やる気になる」と読んで、佐柄木さんに頼みに行った。そうしたら、その通りになった。松本さんの戦略眼はたいしたもんだ、と思いましたよ。
 〔中略〕
松本 もう記憶にはほとんど残っていないのだけれど、そう言われると確かに、そういうことはありました。こちらもあのときは勝負をかけていました。(p.272-273)


 さらに、こんな発言もある。

小俣 この事件は、吉永さんは「朝日新聞が世論だから」と明確に言ったのです。それが強烈な印象として残っています。。あの頃の朝日新聞だったから、そう言われても、強く反論せず納得したのだと思います。今の朝日新聞なら「そんな馬鹿な」とひっくり返せるんですがね。
村山 ロッキード事件のところでも話しましたが、検察首脳は、朝日新聞の社説をよく見ているんです。
小俣 重要なことは、吉永さんが「朝日新聞が世論だ」と言ったことです。「新聞はたくさんある。どうして朝日新聞が世論なんですか」と問い詰めたが、答えはなかった。
 笑ってしまったのは、社説が検察に対して影響を持つのを生まれて初めて知ったことです。ある全国紙の論説副委員長だった人に言わせれば、「社説というのは、だいたい書き方があって、〔中略〕それに入れ込めば、誰でも難なく書ける」と。
 そういうものが、検察に対して威力を持つなんて信じられなかったけど、朝日新聞のその社説は、乾坤一擲の威力だったわけです。 今のマスコミがだめなのは、社説を含めてそういう影響力を、国家権力ないし、その末端の機関に対し、持ちえなくなったこと。ジャーナリズムの力がこの20年の間に衰退したと言えますね。社説を書いて捜査機関が動いたのは、吉永さんの時代が最後だったのかもしれませんね。


 また、吉永が東京高検検事長から検事総長に就任した際に、後任の東京高検検事長には根来泰周が就いたのだが、吉永の前任の岡村泰孝検事総長と吉永との間に、吉永の後任の総長には根来を就けるとの密約があったという。
 しかし、小俣氏と松本氏はその約束を反故にするよう吉永に働きかけたのだという。何故なら、根来には「政界と親密で、検察現場の捜査を牽制する悪い法務官僚というイメージがあった」(p.287)からだ(村山氏はこれについて異論を述べている)。
 小俣氏は、

 吉永さんが、そろそろ後任の総長を決めなければならないタイミングで、私に「事件もやったし、総長もやったし、もう根来に代わろうか」って言ったことがあったんです。私は、「なに馬鹿なこと言ってるんですか。検察現場立て直しのために吉永総長を応援してきたマスコミの面目が立たないじゃないですか」と言って慰留しました。(p.296)


と述べている。
 結局、吉永は総長を定年前に退官することはなく、先に検事長として定年を迎えた根来が退官し、次期総長には吉永と同じく現場派である土肥孝治が就いた。

 こういうことがあるのなら、マスコミ人が自らの言論で天下国家を動かす感覚になるのも当然だろうなと思った。

 3人は、単に吉永をほめたたえるだけではなく、批判もしている。
 例えば、小俣氏は、こんなエピソードを紹介している。
 1993年のゼネコン汚職事件の捜査で、応援検事が事情聴取した参考人に暴行を加えるという不祥事があった。
 このとき、法務省刑事局長の則定衛氏が、検事総長だった吉永に、被害者にお詫びに行ったらどうかと進言したところ、吉永がひどく怒っていたという。
 吉永の理屈は、総長が謝罪すればそれは検察全体が謝罪するということであり、暴行に関係ない者まで謝罪することになるという、理解しがたいものだったという。
 そして、則定氏に対して「真っ当な感覚の人」だと感心したという(p.261)。

 また、マスコミは検察をチェックする機能を十分に果たしてこなかったのではないかという反省も見られる。

 しかし、本書の基本的なトーンは、吉永は優れた捜査官だった、マスコミもよくやったという回顧談である。
 ロッキード事件やリクルート事件の捜査や報道は本当に正しかったのかと検証する姿勢はほとんど見られない。

 小俣氏は「ジャーナリズムの力がこの20年の間に衰退した」と述べているが、私には、社説が捜査に影響を及ぼすことがなくなったのなら、むしろそれがマスコミと捜査機関との健全な関係ではないかと思える。

 いろいろと疑問に思う点はあるのだが、ともあれ、当時を知る上で興味深い発言は数多い。
 戦後政治に関心のある方には、一読を勧めたい。

コメント

国籍法14条違反判明を受けて――蓮舫氏の二重国籍騒動に思う(2)

2016-10-19 08:28:41 | 事件・犯罪・裁判・司法
 前回の記事をアップしてから3週間ほど経った。
 私は、前回に引き続いて、この国籍法第16条違反の件について、さらに記事を2本準備していたのだが、パソコンが突然壊れ、ハードディスクにもアクセスできなくなり、原稿を失ってしまった。
 修理に出したが結局直らず、新品を購入した。

 そうこうしている間に、この蓮舫氏の二重国籍疑惑はさらに進展し、国籍法第16条の外国国籍離脱の努力義務違反ではなく、そもそも第14条の日本国籍選択の宣言がなされていないのではないかと指摘されるようになった。
 蓮舫氏はこの点についてしばらく明らかにしなかったが、10月15日の記者会見でようやく、このたび日本国籍選択の宣言をしたと説明するに至った。

 このように事態が変わったので、予定していた国籍法第16条の件ではなく、蓮舫氏の第14条違反について、今思うことを少し書いておく。

 BLOGOSに転載された民進党広報局の記者会見記事の該当部分は次のとおり(太字は引用者による。以下同じ)。

 問 昨日、金田法務大臣が台湾当局が発行した国籍喪失認可証は戸籍法106条にもとづいて受理していないと言っているが現状について。

 答 国籍法14条に基づいて国籍を離脱しなければいけないと、私の場合は父が17歳の時にすべての作業を終えたと思いこんでいたのでその作業は終わったと思っていた。一部指摘をされて確認をしたところ、台湾の籍が残っていたので、国籍法14条に基づいて、戸籍法106条に基づいた届け出をした。籍を抜けたので、それを届けることによって、2つの国籍の問題を解消させようと思った。ところが弁護団の報告をまとめて聞いたが、台湾の籍を抜けた証明書は不受理とされた。受け付けてくれなかった。父が台湾出身でそれ自体が複雑なんだが。法律に則って考えると籍が抜ける制度がある国の証明書は受け付けてもらえると思っていたので、不受理だということでどうすればいいかと相談したところ、強く後段の部分の選択の宣言をするようにと行政指導されたので、戸籍法104条(の2)に則って、選択宣言をした。


 参考に、国籍法と戸籍法の関連条文を挙げておく。
 国籍法第14条。

(国籍の選択)
第十四条 外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。
2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。


 戸籍法第104条の2と第106条。

第百四条の二 国籍法第十四条第二項 の規定による日本の国籍の選択の宣言は、その宣言をしようとする者が、その旨を届け出ることによつて、これをしなければならない。
2 届書には、その者が有する外国の国籍を記載しなければならない。

第百六条 外国の国籍を有する日本人がその外国の国籍を喪失したときは、その者は、その喪失の事実を知つた日から一箇月以内(その者がその事実を知つた日に国外に在るときは、その日から三箇月以内)に、その旨を届け出なければならない。
2 届書には、外国の国籍の喪失の原因及び年月日を記載し、その喪失を証すべき書面を添付しなければならない。


 蓮舫氏の二重国籍疑惑が指摘され始めた頃、池田信夫氏は、蓮舫氏は日本国籍の選択をしたが、その後台湾籍を放棄していないのは二重国籍で、「結果的には違法状態」であり、「二重国籍を長く続けていると日本国籍を失うこともある」と書いた。
 そこで私は、この問題について最初に書いた記事で、日本国籍選択後の外国国籍放棄は努力義務にすぎないし、その外国の公職に就かなければ日本国籍を失うこともないと書いた。

 しかしその後、この二重国籍疑惑を指摘する人々は、第16条の外国国籍離脱の努力義務ではなく、第14条の国籍選択の宣言の有無を問題視するようになったらしい。
 どういう経緯で彼らの論調が変化したのか、私は、彼らの発言をtwitterのタイムラインで流れてきたものを見る程度にしか知らないので、よくわからないのだが。

 そして、この問題は、10月4日に自民党の小野田紀美参院議員が、わが国と米国の二重国籍の状態にあり、米国籍の放棄手続きを進めていると明らかにしたことを経て、とうとう国会の場で自民党議員が蓮舫氏を追及するに至った。
 産経新聞のサイトの10月13日付の記事はこう報じている。

 13日の参院予算委では、自民党の三原じゅん子氏が、外国籍の離脱手続きは国籍法上の努力義務規定だが、国籍選択は「義務手続き」と指摘した。その上で「蓮舫氏はいつの時点で日本国籍を選択したか明らかにしていない。閣僚や首相補佐官になる前に宣言を行ったのか明らかにしないのなら大問題だ」と述べ、証拠となる戸籍謄本の公開を求めた。


 確かに、第14条違反なら、私が前回の記事で書いた第16条のように努力義務ではなく単なる義務であるから、その不履行は「違法」と言える。

 しかし、これは三原議員の言うように「大問題」なのだろうか。
 私にはそれほどの問題とは思えない。

 重国籍者が国籍を選択をせずに放置すればどうなるか。
 法務大臣は、選択をしない者に対して、選択するよう催告することができる
 国籍法第15条にこうある。

第十五条 法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる。
2 〔略〕
3 前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この限りでない。


 しかし、この催告は、2009年5月12日の衆議院法務委員会における法務省入国管理局長の答弁によると、それまでに行われたことはないのだという。
 おそらく、現在でもそうではないだろうか。

 そして、蓮舫氏が法務大臣の催告を受けたとも聞かない。

 日本国籍がなければ日本の国会議員にはなれないのだから、仮に蓮舫氏が法務大臣の催告を受ければ、当然1か月以内に日本国籍の選択をするだろう。
 催告を受けていないのなら、二重国籍がそのままになるだけで、それによって日本国籍を失うことはないし、国会議員を失職することももちろんない。

 重大な案件だと指摘する国会議員をほかにも見たが、重大でも何でもない。

 公職選挙法の経歴詐称や旅券法の虚偽記載を指摘する声があるようだが、これらの法律違反は、故意がなければ成立しない。蓮舫氏が、自身が二重国籍であるとの認識がありながら、それを隠していたと、何をもって言えるのだろうか。
 認識があった証拠としてタレントやキャスターの時代の発言が挙げられているようだが、前回も述べたように、あんなものに証拠としての価値があるとは思えない。少なくとも裁判の場では、よく知らずに話してしまったと弁明されればそれまでだろう。

 これも前回述べたが、蓮舫氏は単に、わが国の国籍制度について十分に理解していなかっただけではないかと思える。

 そして、蓮舫氏が日本国籍を取得したときに、係官から、国籍の選択が義務づけられていることの説明はあったのだろうか。
 仮にあったとしても、蓮舫氏はそれを理解できたのだろうか。
 理解できたとしても、それをその後20年以上にわたって記憶していたのだろうか。
 そんな疑問も浮かぶ。

 また、国や市区町村は、この二重国籍の解消に努めてきたのだろうか。
 戸籍法にはこんな条文もある。

第百四条の三 市町村長は、戸籍事務の処理に際し、国籍法第十四条第一項 の規定により国籍の選択をすべき者が同項 に定める期限内にその選択をしていないと思料するときは、その者の氏名、本籍その他法務省令で定める事項を管轄法務局又は地方法務局の長に通知しなければならない


 蓮舫氏は日本国籍取得後、日本国民と結婚しているから、その際「戸籍事務の処理」が行われているはずである。
 そのときに、市区町村の事務担当者は、国籍選択がなされていないことに気づいて、それを法務局に通知する手続きをとったのだろうか。

 通知があったとしても、法務省が催告をしていないことは先に述べたとおりだが、催告にまで至らなくとも、今回蓮舫氏が記者会見で述べたように、「行政指導」することはできたはずである。
 それを知りながら敢えて放置していたということはないのだろうか。

 二重国籍など、わが国において、その程度のものでしかなかったのではないだろうか。

 私は、この問題について最初に書いた記事のタイトルを「蓮舫議員の二重国籍疑惑はネットデマでは?」とした。

 結果的には蓮舫氏は二重国籍状態であったわけで、その点についてはデマではなかったことになる。

 しかし、日本国籍選択後に台湾籍を離脱する義務があり、離脱しなければ「違法」だという池田氏と八幡和郎氏の主張はデマだった。
 その点について、彼らは何か反省を示したのだろうか。

 そして、その後問題にした第14条違反についても、まだデマを述べているようだ。
 例えば、池田氏は10月3日付のアゴラの記事で、こう述べている。

このように日本の国籍法はややこしく、彼女のような間違いが多い。戸籍謄本で国籍選択を「宣言」しても、アメリカ大使館に行って国籍放棄の手続きを完了しないと正式の「日本国民」になれないという国籍法の規定にも問題があるが、これは代行業者に頼めばできることで、小野田氏の過失責任まぬがれない。


 「正式の「日本国民」になれない」などという国籍法の規定はない。日本国籍選択の宣言の後の外国国籍の法規は努力義務にすぎず、それを果たさずとも「正式の「日本国民」」であることに何ら変わりはない。

つまり蓮舫氏は意図的な二重国籍であり、それを隠していた疑いが強い。彼女が戸籍謄本を公開すれば、疑いは晴れる。自民党の1年生議員が出せたものを、民進党の代表が出せないことはあるまい。ここで何も出さないと、国籍選択の宣言をしないで(日本国民にならないで)選挙に立候補したと解釈せざるをえない。これは国籍法14条違反なので、原口元総務相のいうように、当選無効になる可能性がある。


 国籍選択の宣言をしなくても、日本国籍を取得している以上、日本国民であることに変わりはない。上で述べたとおり、法務大臣の催告を無視しない限り日本国籍を失うことはないし、それだけでは当選無効にもならない。

 だから、「ネットデマでは?」の記事を訂正する必要はない(14条違反だったという点については追記する)と考えているし、その記事の結びで述べた、

《八幡氏や池田氏らはこの蓮舫議員の対応を自分たちのネット言論の勝利だと考えるのかもしれないが、私には、先のビジネスジャーナルの虚報にも似た、ネットメディアの信頼性を失わせる実に愚劣な騒動だったと思える。》

との認識にも変わりはない。

 そういえば、上の蓮舫氏の記者会見での質問にあるとおり、14日に金田勝年法務大臣が、一般論として、台湾の国籍喪失届はわが国では受理していないと述べたという。
 14日付の時事通信の記事より。

金田勝年法相は14日の記者会見で、民進党の蓮舫代表が「二重国籍」解消のために行ったとしている手続きに関し、「一般論として、台湾当局が発行した外国国籍喪失届(国籍喪失許可証)は受理していない」と指摘した。

 蓮舫氏は13日の会見で「戸籍法106条にのっとって適正に手続きしている」と説明している。106条では、二重国籍を持つ人が相手国の発行した国籍喪失許可証を提出すれば二重国籍を解消することができるが、日本政府は台湾を正式な政府として認めておらず、許可証を受理していない

 許可証が受理できない場合は、同104条に基づき、日本国籍だけを所有する意思を宣誓する「国籍選択宣言」を日本政府に提出する必要がある。法務省は台湾籍を離脱する場合、同宣言の提出を求めている

 国籍選択の宣言をすれば、手続きした日付が戸籍に明記されるが、蓮舫氏は戸籍謄本の公開に応じていない。蓮舫氏の事務所は「本人がいないので分からない」としている。


 私は、この問題について最初に書いた記事で、池田氏や八幡氏が蓮舫氏に要求していた台湾の国籍離脱証明書について、

《そもそも、中華民国の国籍離脱手続を取れといったって、わが国はその中華民国を国家として承認していないのである。そんなものに何の効力があるのだろうか。》

と書いた。
 そのとおりだったではないか。

 あのとき、いや台湾の国籍離脱証明書はわが国において有効だとしたり顔で主張していた人々がいたが、彼らはこの結果にどう反応するのだろうか。

 何とも思わずに、次の話題に飛びつくだけだろう。

 あと、私を蓮舫氏の擁護論者の一人に挙げている人がいたが、以前にも書いたように私は蓮舫氏の支持者でも民進党の支持者でもないし、蓮舫氏を擁護するために一連の記事を書いているのではない。
 
 私がこの問題について記事を書き始めたのは、義務のないことを義務があるとし、日本国籍を失わないのに失うとする池田氏や八幡氏の主張はデマであり、デマがまかりとおるのはよろしくないと考えたからだ。
 あと、出自によって人を非難するという手法が気に入らないということもある。

 この件で蓮舫氏がどうなろうと知ったことではないし、問題化以降の彼女や民進党の対応を見ていると、全く擁護する気になどなれない。

 私のような国籍法の素人でも、条文を読めば、国籍選択がなされているのか否かがいずれ問題になるだろうことはわかる。
 なのに、法的に何が問題になっているのか、どうすれば解決できるのかを的確に判断し、それに向けて事態を動かそうとしない。ただただ、その場しのぎの対応しかできていなかったように思う。
 蓮舫氏個人にそれを求めるのは酷としても、彼女の事務所なり民進党なりにそれができるスタッフがいない。
 池田氏、八幡氏らに指摘されるがままに台湾に国籍離脱を届け出て、離脱証明書を取り寄せて、それを提出して不受理とされるなんて、これが一度は政権を担当した政党(正確にはその後身だが)のやることだろうか。
 私は現在の国籍制度についてさほど問題はないと考えているが、民主党は2009年のマニフェストで、重国籍の容認に向け国籍選択制度を見直すとうたっていたというのだから、この問題を逆手にとって、制度見直しを提言するといったことぐらいできなかったのか。

 「今の段階で政権交代って、まだ言えない」とは蓮舫氏が先の党代表選で述べたことだが、本当にこんなことでは再び政権を任せられそうにない。
 もともと前身の民主党の時代からそう上等な政党ではなかったと思うが、下野後、さらにレベルが落ちているのではないか。
 今回の騒動に何かしら意義があったとすれば、彼らのそうした無能さを明らかにしたことだろう。

コメント

努力義務違反は「違法」か――蓮舫氏の二重国籍騒動に思う(1)

2016-09-25 09:30:24 | 事件・犯罪・裁判・司法
 私は、先々週の記事で、池田信夫氏は蓮舫氏が日本国籍を選択したときに中国籍を離脱しないと二重国籍になり「結果的には違法状態だ」と述べているが、国籍法が定める日本国籍選択の方法には「日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言」もあり、これをしているのであれば外国国籍の離脱は義務づけられていないから、「違法状態」とは言えないのではないかと書いた。
 そして、国籍法第16条で「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」とあるからこの問題は残るが、これはいわゆる努力義務規定であり、罰則もないと書いた。

 ところが、この第16条について、努力義務が定められているのだから、努力していなければそれは法律違反であり、罰則があろうがなかろうが「違法」なのだ、という見解があった。

 私は少しばかり法律の知識はある人間だが おそらく法律の知識がほとんどなく 単なる日本語の文章としてのみ法律の条文を読もうとする方とは、かくも認識に断絶が生じるものかと辟易した。
(あるいは、知識があっても、敢えてそういう読み方をしているのかもしれないが)

 確かに、条文には「外国の国籍の離脱に努めなければならない」と書いてある。
 だから、単なる日本語の文章としては、「努め」ていないのならそれは法律違反、つまり違法ではないかと読み取る人がいるのは一応理解できる。

 しかし、一般に法律の世界では、努力義務違反を違法とは言わない。
 例えば、学生や一般学習者向けの『デイリー法学用語事典』(三省堂、2015)で「努力義務」を引くと、

違反しても罰則その他の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のこと。法文上は「~するよう努めなければならない」などと規定される。努力義務に違反した場合でも、違法とはならない。〔後略〕


と明記している(引用文中の太字は引用者による。以下同じ)。

 「定評ある法律事典の最高峰」と帯でうたう『法律学小辞典』(有斐閣、第5版、2016)で引くと、もっと慎重な書きぶりをしていて、

 法律において、規制の対象者に「~するよう努めなければならない」と定められている場合、そこで定められている義務をいう。努力義務は、その義務違反に対して罰則などの法的制裁が課されず、また私法上の効力もない。ただし、行政指導の対象となることはある。努力義務が用いられる理由は多様であるが、規制を強制するになじまない事項の場合、あるいは、強制することが時期尚早な場合に用いられることが多い。


と書かれている。

 努力義務が法律に書かれている以上、それは書かれていない状態と同じではない。あってもなくても社会的に同じというわけではない。それは確かだ。
 わが国は「国籍唯一の原則」を採っているのだから、日本国籍の選択後も、できるならば外国籍をきちんと離脱しておくにこしたことはない。しかし外国籍の離脱はその国が決める問題であり、わが国が強制できるものではない。そうした理由で、この条文が設けられているのだろう。
 行政指導はできるのだから、法務省が、日本国籍選択後も外国の国籍を離脱していない者に対して、離脱していませんがどうなってるんですかと声をかけることはぐらいのことはできるのだろう。
 だが、それでも当人が応じなければそれまでである。何の強制力もない。それでその者の日本国籍の維持が揺らぐこともない。
 そして、そもそもわが国は、そうしたかたちの重国籍者を把握していない。
 その程度のものとして法が定めているのだから、二重国籍を問題視する人々が気に入らなかろうがしかたがない。それが気に入らないのなら、国籍法の改正を志向すべきであり、義務のないことを蓮舫氏に強要するのは筋違いというものだ。

 もっとも、それ以前に、蓮舫氏が外国の国籍を離脱していないことを認識していたかという問題があるのだが。
 まずはその認識がなければ、努力義務もへったくれもない。
 認識があった証拠として、過去の諸発言が挙げられているようだが、タレントやキャスターの時代のあんなものに証拠としての価値があるのか極めて疑問である。少なくとも裁判の場では、よく知らずに話してしまったと弁明されればそれまでである。
 そもそも氏はわが国の国籍制度について十分に理解していなかったのではないか。

 ところで、努力義務は、国籍法に限らず、さまざまな法律に設けられている。

 例えば、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」というのがあるのだが、これには

(節度ある飲酒)
第二条  すべて国民は、飲酒を強要する等の悪習を排除し、飲酒についての節度を保つように努めなければならない。


という条文がある。
 私は、人に飲酒を強要はしないが、自分ではほぼ毎日飲酒している。
 家人から休肝日を設けるよう忠告されても、どこも悪くないのだからと拒否している。
 これは、「節度を保」った飲酒とは言えないような気もするのだが、だからといって、私は「違法」行為を犯していると社会的に非難されなければならないのだろうか。

 住民基本台帳法には、

(市町村長等の責務)
第三条  〔中略〕
3  住民は、常に、住民としての地位の変更に関する届出を正確に行なうように努めなければならず、虚偽の届出その他住民基本台帳の正確性を阻害するような行為をしてはならない。


という条文があるのだが、18歳選挙権で住民票を移さずに下宿している学生が投票できないとして問題になったように、住民登録を厳密に届けていない国民は大勢いる。
 彼らは皆「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。

 水道法は、

(責務)
第二条  〔中略〕
2  国民は、前項の国及び地方公共団体の施策に協力するとともに、自らも、水源及び水道施設並びにこれらの周辺の清潔保持並びに水の適正かつ合理的な使用に努めなければならない。


と定めているが、私は風呂の自動湯はり機能を使うときに、風呂の栓を忘れて水をムダづかいしてしまったことが一度ならずある。
 これもやはり「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。

 児童福祉法には、

第二条  全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない。


とあるのだが、そんな高尚かつ細かいことまで意識して生活している国民はそう多くないように思われるし、少なくとも私には「努め」ている自覚はない。
 だとすると、これも「努め」ていないからやはり「違法」になるのだろうか。

 わが大阪府の青少年健全育成条例は、

(府民の責務)
第七条 府民は、深い理解と関心をもって青少年の健全な育成に努めるとともに、青少年の健全な成長を阻害するおそれのある社会環境及び行為から青少年を保護するよう努めなければならない。


と定めている。
 何だか大きなお世話のような気もするのだが、これも、そんなふうに「努め」ずに漫然と日々を送っている私は、責務を果たしていないから大阪府民失格なのだろうか。

 蓮舫氏が努力義務違反であり「違法」だと非難する人は、世にあまたある努力義務の全てを果たしている自信があるのだろうか。
 そんな自信がある人だけが、氏を非難する資格があるのではないだろうか。
 今回の騒動を見て、そんな屁理屈の一つもつぶやきたくなった。

コメント (2)

葉梨康弘議員の児童ポルノ規制法改正発言まとめについて(下)

2013-06-04 07:42:39 | 事件・犯罪・裁判・司法
(承前)

・ジャニーズでも乳首が写っていたら児童ポルノだ

 これも、何故こんな「まとめ」ができるのかわからない。
 これは、葉梨議員が、枝野議員らが提出した民主党の改正案を批判する中で出てきた話に基づいている。
 民主党案では、第2条を次のように改めるとしていた。

 第二条第三項中「児童ポルノ」を「児童性行為等姿態描写物」に改め、同項第二号中「他人が」を「殊更に他人が」に、「触る行為又は」を「触り、若しくは殊更に」に、「であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」を「又は殊更に児童の性器等が露出され、若しくは強調されている児童の姿態」に改め、同項第三号を削る。


 これはかえって定義をあいまいにし、現場を混乱させるものではないかというのが葉梨議員の主張だ。

○葉梨委員 〔中略〕 民主党案においては、第二条において、もともと与党案にありました三号というのを削除する、それから、性欲を興奮させ刺激させるという言葉を削除するというようなことがあるわけですが、先ほど私も述べさせていただきましたとおり、幾つかやはり私が懸念しておりますのは、現在児童ポルノとして規制されているもの、これが相当抜け落ちてくるんじゃないかというような懸念を持っております。そこで、解釈について伺います。

 まず、民主党案にあります「露出」とは、あらわれ出ることですから、見えるということですね。それから、「強調」とは、特に目立つように表現するというふうに日本語辞書にございますけれども、こういう解釈でよろしいでしょうか。

○枝野議員 それは、そのとおりでございます。

○葉梨委員 あと、この「殊更に」というのは、私も民主党の提案理由、それから解説、解釈というのも見させていただいて、ちょっと日本語とは違うなと思ったんですけれども、「殊更」というのは、正当な理由なく、必要以上に、わざわざという意味のようですけれども、いずれにしても、例えば児童のヌードであっても、つまり性器などをさわったりさわられたりはしていないような児童のヌードでございまして、性器などの露出や強調がない限り、これは規制対象にならないという理解でよろしいでしょうか。民主党さん。

○枝野議員 私どもが「殊更に」と言っておりますのは、殊さらに露出をしたり強調したりされている映像ということでございますので、例えば、性器の部分だけが写っているとかということで強調あるいは露出ということではなくて、全体の映像の状況として、必然性なく例えば裸でいるというような状況等については「殊更に」に入る、合理的な理由なく性器などが露出をしているということになるというふうに考えております。

〔中略〕

○葉梨委員 上半身裸で下はスカートをはいている、そういうような後ろ姿の画像はどうでしょう。

○枝野議員 上半身裸ということによって、例えば乳首が露出をしていなくてもいいわけですけれども……(葉梨委員「後ろ姿」と呼ぶ)

 後ろ姿であったとすると、一般的には今回のこの法律の要件には該当しないというふうに思いますが、ただし、上半身が背中であるから、あるいは下半身にスカートをはいているからといって、では全部当たらないということになるかというのは、まさに着エロのような、はいている形はとっている、あるいは乳首、性器、肛門そのものは写っていない、けれども、まさにそこが強調されているという、まさに法の抜け道をやろうみたいな話のところというのは、「強調」という言葉でしっかりとカバーはできるというふうに思っております。

○葉梨委員 どうとでも解釈できるということじゃないですか、要は。強調とは、特に目立つように表現することなんですよ。


 その議論の中で、枝野議員の側からジャニーズの話が出てきた。

○葉梨委員 相当細かに見ていかないといかぬということですが、ただ、この強調という意味、多分、委員の皆さんも聞かれていて、さっぱりちょっと、私も頭が悪くてわからないんですよね。要は、背中だけのヌードなんだけれども、下はちゃんと着衣を着ていますといったものも強調になるかもしれないし、ならないかもわからないということでいうと、現場は混乱しますね。

 そして、多分、衣服を脱いだ人の姿態というのは、性器などを露出、強調するものよりも、相当やはり広いは広いんです。今のお話を聞いていると、衣服を脱いだ人の姿態で性欲を興奮させ刺激させる〔引用者註:現行法の3号ポルノの要件〕といった方がよっぽど明確じゃないか、私自身はそういうような印象を持ちました。

 ただ、いずれにしても、この「強調」ということで、今現在児童ポルノとして規制されているものが、やはり抜ける部分というのは出てきますね。それはよろしいですね。

○枝野議員 実はこれは、十一年前、まさに超党派の議員立法の当事者でございまして、そのときからこの今回外そうという三号というのは重要な議論のポイントになっておりまして、議員立法なのになぜ霞が関におられた方がかかわってこられたのか、私にはよく理解できないんですが。

 それはいいとしても、あのときから私自身、国会でも申し上げているんですが、この二条三項三号の条文を素直に読めば、例えば十六歳、十七歳の、わかりやすく言うとジャニーズなどの若い男の子が上半身裸でいる映像とかそういったステージとか、そういったものはたくさんあります。これは明らかに同世代の女の子たちの性欲を興奮させ、または刺激をしているというふうに思います。なおかつ、着衣の一部、つまり、上半身裸になって、あるいはステージの途中で着ていたものを上半身脱いだりするということがありますが、明らかにこれは条文上は入ってしまう。

 もちろん、それは社会通念上、そんなものは取り締まらないという現実になっているんでしょうけれども、こういったものが条文上入っていってしまうということは、もしかすると取り締まりの対象にされるかもしれない、そういう危険性があるという状況はやはり避けるべきである。

 一方で、この間、先ほど来繰り返しておりますが、着エロなどに対する取り締まりが大変腰を引けた状態でやってきた。これはやはりこの条文からでは、なかなか読み取ることについて迷いが出てくる、こういうことなんだろうというふうに思っていまして、そういったものをしっかりと取り締まりの対象に入れる一方で、私が申し上げた、例えば十六歳、十七歳の男の子が上半身を途中で脱いで裸になるというような映像は当たらない。まさにそういったものを外すことを目的としています。

○葉梨委員 そうすると、では、十六歳、十七歳の男の子が上を脱いだものはすべて当たらないということですね。

○枝野議員 わかってお聞きになっているんでしょうけれども、すべてこういうものについては、すべてということで果たして答弁できるのかどうかということについては、無責任なことは言うべきではないというふうに思っておりまして、つまり、例えばその態様によっては「殊更に」というところで基本的には扱われる。つまり、合理性を持ってということ。

 つまり、一種若い男の子に対する性的虐待というものも世の中には存在をしているわけでありまして、そういったことをうかがわせるような状況の中で、例えば男の子の乳首が写っている、それはむしろ一号や二号前段のところでカバーできるケースが多いかなというふうに思いますが、今ここで一切ないということを言うつもりはありませんが、先ほど例で挙げたようなケースについては明確に外すべきだということであります。

○葉梨委員 ここの議論をしていても、そもそもその強調というのがどういう意図なのかというのが私自身もさっぱりわからない中で、アメーバのようにいろいろな答弁が繰り返されるものですから、これは相当やはり現場は混乱するなというふうに思います。

〔中略〕

 ところが、「性器等」といった場合には男性の乳首も入りますよね。ですから、ジャニーズが上が裸になったものは入らないというのは、これは性器等は明らかに露出はしている。露出をしているけれども、それは、ジャニーズの場合は「殊更」ということにならないけれども、普通の男の子が裸になったら、これは「殊更」になる場合もある。では、「殊更」というのは一体何なんだろうと。

 では、殊さらそれを強調するようにジャニーズが胸をこうやって乳首を出している、これはならないということですか。

○枝野議員 「強調」も「殊更」も、その行為をしている児童の行動についてではない、映像そのものの性格である。

 ですから、例として申し上げたのは、ジャニーズの、一般的に我々が思っている、しかも現に行われている、例えばステージの上で上半身裸になるというようなことについては、これは「殊更」には当たらないだろうと。つまり、合理性がある、合理的理由があるだろうというふうなことを申し上げているので、仮に、ジャニーズの男の子であったとしても、先ほど申し上げたような、つまり一種同性愛的、あるいは男の子に対する性的虐待的なことをうかがわせるような映像において乳首の露出または強調があったりすれば、それは「殊更」「強調」、あるいは「露出」をしたものに当たる可能性は否定をしない。

 普通の男の子も、普通に、例えば海辺で、海岸に着いたから上半身裸になって、水着じゃないですよ、海水浴に行ったわけじゃないけれども、海に行ったから上半身をぱっと裸になってそこら辺で遊んでいる、これは、普通の男の子だって、それの映像を撮ったからといって、普通には殊さら強調した映像にはならない、こういうことだと思いますけれども。

○葉梨委員 「殊更」と「強調」というところがみそで、どんなものでもなり得るし、どんなものでもなり得ないし、その場その場で見るしかないというようなことだとすれば、今の定義の範囲としては、私がこう言っては申しわけないんですが、ちょっとできがよくないというふうに言わざるを得ないかなというふうに思います。

 そもそも、今の三号の児童ポルノ、これについて、後で枝野先生からもいろいろと質疑いただきますけれども、実際に、捜査が恣意的に運用されるということについて、これは私も大変な懸念を持っていますので、それはそうならないように絶対していかなきゃいけないけれども、やはり今のお話を聞いていると、民主党案というのは、定義の明確化というよりは定義のアメーバ化で、何だかよくわからなくなっちゃったというような感じを持っております。


 枝野議員は、現行法の3号ポルノにはジャニーズの上半身裸が含まれる危険がある――社会通念上、そんなものは取り締まらないという現実になっているが――以上、そうした危険を避けるために3号は廃止すべきだと説く。
 葉梨議員は、民主党案の児童ポルノの定義では「殊更」「露出」「強調」といった語句があいまいで、かえってジャニーズの上半身裸が含まれるとの解釈にもなりかねない、現行法の3号の「性欲を興奮させ又は刺激するもの」の方が優れているのではないかと説いている。
 どちらにせよ、共にジャニーズの上半身裸は児童ポルノに含まれないという前提に立った話であり、これをもって葉梨が「ジャニーズでも乳首が写っていたら児童ポルノだ」と主張しているとはたわごとだと言うしかない。


・児童ポルノかどうかは見た目でわかる。芸術性など考慮しない

 「見た目でわかる」とは述べていないが、芸術性の有無は児童ポルノに該当するか否かの判断には関係ないとは述べている。
 これは、法律の条文がそうなっているのだから、むしろ当然のことだろう。

○保坂委員 諸外国では、例えばアメリカでは、文学、芸術、科学、政治などの価値に欠くものというような列挙をしてあるところもありますね。例えば、今葉梨委員が挙げた、御自身がかかれたイラストですか、これはどこまでが児童ポルノかどうかというような議論のために資するものだということだから除外されるという意味でしょうけれども、それは学術的な意味ということになろうかと思います。

 他方で、一番最初に挙げましたけれども、芸術的な価値がある作品である、これは芸術的な作品として保管をしているんだということは、その正当な理由になるというふうに考えていいんですか。

○葉梨議員 これは当初から、法案、一貫してということですけれども、芸術的な作品であるかどうかということで児童ポルノに該当するかどうかということでの限定を付しているというわけではございません。まず、これは定義の問題ですね。

 みだりに持つということについては、それは正当な理由というのがあれば持てるということですけれども、芸術性のある写真だからといって、一般人が持っていて、それが児童ポルノに当たるのであれば、それは正当な理由があるとは言えないだろうと思います。

 アメリカの例で、芸術的なものは除外しているというのを、私どもも質問通告がありまして調べてみたんですけれども、明確にその出典が明らかじゃないので、チャイルドポルノグラフィーに関する定義かどうかというのはちょっとわからないということでございます。

○保坂委員 芸術的な作品であるというものが同時に児童ポルノでもあるということがあり得るのかどうかということは、やはりこれは深めていかなければいけないと思いますね。私は、芸術的な作品としてそういう少女の写真ということはあり得るという立場であります。

 ですから、過去に出版された、さっき「サンタフェ」の例を挙げましたけれども、そういった写真集がいわゆる禁書になって、例えば古本屋さんからもこの一年以内に全部蔵出しして、焼却処分しなければいけないというような形で、この与党案がもし通ったらそういうふうな、そこまでは求めていないんだよということを言うかもしれませんけれども、しかし、過剰反応というのは常にあるわけで、今の答弁者の話にもあるように、そういう疑わしいものは持っていない方がいいんじゃないかということで、日本全国、大掃除して、かつてのそういう写真集とか古書店にあるものとかを国立国会図書館かあるいは最寄りの警察署に届けなさい、こういう反応も起き得るんじゃないか。


 そういう保坂も、「芸術的な作品としてそういう少女の写真ということはあり得るという立場」だとしながらも、芸術的な作品に限っては児童ポルノに該当しないとすべきだと主張しているわけではない。
 ずるい質問である。

 なお、芸術性が児童ポルノに該当するか否かの判断に関係しないという点では、枝野議員も同意見である。

○枝野議員 まず、児童ポルノに該当するものが芸術性のあるものと両立をするのかという話なんですけれども、私は、少なくとも十一年の立法者の一人として、その時点で、今後は十八歳未満の児童をモデルとして、仮に芸術性の高い写真であれ映画であれ、そういったものをつくることはやめましょうという趣旨であった。

 なぜかといえば、芸術性が高い低いということでその被写体とされる子供の人権侵害の程度が違うのかといえば、そこは違わない可能性もある。もちろん、それが性的虐待、物理的虐待までいけばまた別ですけれども、ただ写真を撮られた、裸の写真を撮られたということでは、それは有名な芸術家が芸術作品としてつくった場合とそうでない場合とで違いはないのではないかというふうに考えました。ですから、基本的には、芸術性が高いかどうかということで三号ポルノに該当するかどうかということの区別がつくということは、少なくとも私は、立法者の一人として、想定をしてきておりません。



・冤罪など起こらない。単純所持規制国での冤罪の事例も知らない
・自白は証拠の王様だ

 これは、次の問答が由来か。

○枝野委員 まず、所持の故意と、性的好奇心を満たす目的というこの主観的要件について、特に今回、このいわゆる単純所持罪について、自白以外にどういう客観条件、つまり、自白を得られないときにどういう客観条件があればこうしたものの立証が可能なんでしょうか。

○葉梨議員 〔中略〕 自己の性的好奇心を満たす目的犯。目的犯が、全部これが自白によらなければいけないというのは、これは相当な誤解であろうかというふうに私は思います。〔中略〕 自己の性的好奇心を満たす目的というのは、自分が自白して、私の性的好奇心を満たす目的でしたというふうに自白をしなければそこのところは出てこないのかどうか。

 目的犯といいますのは、ちょっと故意とダブってきてしまいますけれども、先ほどちょっと例として申し上げましたが、殺人をする、殺意があるというようなことが、内心の意思ですけれども、果たして自白がなければそれが立証できないのかどうか。そんなことはございません。人を殺す器械であるけん銃、これを相手に向けて撃てば、まさか死ぬとは思いませんでした、そういった抗弁はなかなか通用しないわけです。

 ですから、例えば、自宅を捜索したところが、自宅の中にたくさんのポルノビデオがあって、そしてその中に児童ポルノもありましたというような場合は、相当、自己の性的好奇心を満たす目的ということが立証できる場合がやはり多いだろうというふうに思いますし、また、自分の自白だけじゃなくて、その方のいろいろな周りの方、そういったようなお話から、その人の生活行動、どういったような行動をしていたか、よくよく児童ポルノの店に出入りしていましたとか、あるいは、その方が児童ポルノを取得するためにいろいろな形で、手紙を書いたりあるいはメールを書いたりする、そういう中で、提供してくださいというような依頼をしたとか、そういったことも、やはりもろもろの要素というのを客観的に捜査した上で、相当客観的に立証はできると思います。自白だけということはないと私は思いますよ。

○枝野委員 〔中略〕 私は、今伺っても、結局、単純所持罪をつくっても、故意とか性的好奇心を満たす目的ということを立証しようと思えば、その取得のプロセスをそれなりに立証せざるを得ないということになるのではないのか。

 例えばパソコン上に映像があった、パソコン上に映像があったことだけで所持の客観的要件は満たします。でも、そこに所持の故意や性的好奇心を満たす目的ということを立証しようと思ったら、なるほど、本人がこれを積極的に手に入れようとしていた、あるいは繰り返し手に入れていた、お金を払っていた、こういったことが立証されて初めて所持の故意が認められる、あるいは、そういったことが立証されて初めて性的好奇心を満たす目的が立証されるということであるならば、実は両案は余り変わりはない。そして、むしろ欠けるところがなくて、与党案の方がいいのかもしれません。だけれども、そのことはどこにも担保されていないんですよ。

 逆に言えば、自白さえあって、自分の占有下に当該物があったときに、裁判官は無罪にしますか。明確な自白があって、客観的な証拠、物として、その人のパソコン上に児童ポルノの映像が残っていました、所持あるいは保管に当たるんでしょうね、そういう証拠はちゃんと出ていますと。そして、取り調べの中で、例に余り出すなとおっしゃいましたが、それこそ足利事件のように、本人は全くやっていなくても、まさに一種迎合的に、全部つじつまの合うような自白をしていますと。その二つの証拠を出されて、そして、あの足利事件だって、一審の途中までは本人は認めていましたよね。裁判でも争わなかったらそういう人は有罪になりますよね、当然、客観的に、裁判所は。

 逆に言えば、そのときに必ず入手したプロセスを証拠として挙げろということであるならば、我々の案と変わらないじゃないですか。だとすれば、冤罪を防ぐ見地から考えれば、取得のプロセスについてちゃんと立証する、そのこと自体が構成要件であるという制度にした方が安全じゃないですか。

○葉梨議員 まず、自己の性的好奇心を満たす目的ということについての立証の仕方ということですが、先ほども申し上げましたけれども。

 ほかの法律にも同じような用語は多く使われていまして、その中で冤罪というような事例が起こっているということを私は承知はしておりません。

 そして、必ず取得の過程というのを立証しなければならない、これはちょっと違うんじゃないんですか。例えば、パソコンで、自分の外づけのHD、ハードディスクにある画像がありました、それを自分がダウンロードした、どこから取得したかわかりませんね。外づけのHDの中にある画像、もとはどこから取得したかというのは立証しないでも、自分のHDに、ハードディスクにそれをみずからダウンロードして、それを何回も何回も自分が開いて見ているということであれば、相当これは、自己の性的好奇心を満たす目的というのが立証の大きな材料になるんじゃないですか。そこにおいては、どこのサイトからとりましたということまで構成要件上必要はないというふうに思いますよ。ですから、必ず取得の過程というのを立証しなければならないということではないわけです。

 それと、先ほどからパソコン、インターネットの世界のことをずっと言われていますけれども、どこから入手したということは全く問題ないけれども、実際、有体物だったらどうでしょう。有体物として児童ポルノを持っている、それは、どこで買いましたということを立証しなければ、自己の性的好奇心を満たす目的というのは立証できないんですか。そんなことはありませんでしょう。自宅の中にたくさんの児童ポルノのビデオを持っていて、それをどこから買ったなんて関係ないですよ。そんなこと立証できなくたって、何回も何回も見て、にやにや笑っていれば、それは自己の性的好奇心を満たす目的で所持しているということになるでしょう。

 必ず取得の過程を捜査で立証しなければならないということは、それはちょっと違うと思います。

○枝野委員 本棚にたくさん児童ポルノの映像が、ビデオが並んでいたというケースは、それは可罰性があるケースがほとんどでしょう。だけれども、逆に、この法律、与党案が通れば、一つでも持っていたら処罰されるんですよ。一つでも机の引き出しに何か入っていたら、あるいは本棚の本のすき間に入っていたら、あるいは自分の持っている雑誌の中に一枚でも入っていたら、客観的要件を全部満たすんですよ。パソコンの中で何度も何度も見ていなくたって、一度見ただけでも客観的構成要件は満たすんですよ。そのときに、それに自白がくっついてしまったら有罪になるじゃないですか。なりますね。そのことだけ。

○葉梨議員 可罰性があるけれども、民主党案で、たくさんの児童ポルノを蔵書として所持している場合は罰せられないんですよ。そのことを踏まえて議論をしてくださいね。

 そして、一つの例として、それをとりました、自白がございましたと。でも、やはりその周りの状況というのは、つまり、それを開いてもいないというような状況であれば、果たして性的好奇心を満たす目的であったというふうなことが言えるのかどうか。あるいは、そのサイトの名前を、私は実はそのサイト、どこも全然知りません、知りません、知りません、けれども性的好奇心を満たす目的でしたというような自白、それにはやはり捜査の過程においても合理的な自白というのは必要だと思いますよ。

 ですから、一概にすべて、さっき、すべてということは言えないということを枝野委員もおっしゃられましたけれども、自白プラスそれがつけば必ずイコールということじゃなくて、やはりそれは外形的にいろいろな状況の中から、自白というのはもちろん証拠の王者ですから、大きな要素として判断されるだろうというふうに思います。

○枝野委員 やっていないのに、合理性の、つじつまの合う自白をとっているじゃないですか、現実に足利事件で。そういうケースが起こり得るんでしょう。開いたのだって、一回しか開いていなくたって、開いたら見ていますよ。見て、何だこんなおぞましい映像はといって、パソコン上のごみ箱に捨てているかもしれませんよ。それでも、それに自白がくっついたら有罪になるんですよ、与党案では。

 それが本当に自分の意図で取得をしている人だったら、それは処罰に値すると思いますよ。変なボタンを間違って押しちゃって、送られてきて、あけてみたら、何だこれはといってごみ箱にほうり投げる。でも、ごみ箱にほうり投げても、これは保管に当たりますね、映像が残っているんですから。あるいは、パソコン上のごみ箱に捨てたらいいんだということになれば、逆になれば、悪質な人が、自分が見たい映像を全部ごみ箱に残しておけばいいんですから、ごみ箱に入れたかどうかは全然関係ないですね。処罰される可能性があるんですよ、そういったことを。そして、残念ながら、今の日本の刑事司法の現状からすれば、そういった自白がとられる可能性というのは相当ある。


 このやりとりは大変重要なものだと思うが、その一方の発言のごく一部を恣意的に切り取って、さももっともらしく「要旨」として挙げているだけだ。
 全くもって検討に値しない。


・冤罪の懸念なら、鞄に拳銃を入れられることだってある

 これは、前に引用した部分と重複するが、

○牧原委員 〔中略〕 今回、私もいろいろな御意見を伺っていますと、所持という客観的事実に加えて、自己の性的好奇心を満たす目的というのが主観的要件であります。

 これは、具体的に言いますと、例えば、かばんの中にいつの間にか大量に児童ポルノが入れられていて、そして通報がされて、警察がちょっとかばんをあけてみてくれと言って、調べてみたら児童ポルノが出てきた、これは所持という要件を満たしますから、その上で、これが自己の性欲を満たすための目的だったかどうかというのは取り調べてみないとわからないということで、警察としては一回そこで捜査に着手せざるを得ないんじゃないかというような懸念は確かにあります。

 このような捜査の恣意性ということが指摘をされていることについて、与党案ではどのようにお考えになっているのでしょうか。

○葉梨議員 〔中略〕

 先ほどの例で、もしかしたらこんなメールが送りつけられてくるかもわかりませんよというようなものが来たとして、私はそれで、個別に、全体として、単にパソコンを開いているということだけで未必の故意が成立するとは思えないんです。このメールというのはもしかしたら児童ポルノかもわからない、そういうような認識というのはやはり必要になってくるだろうと思うんです。

 さらには、それがたまたま人に入れられたものかどうか、そういうような抗弁というか話があれば、やはりそれはよく確認をしなければならないし、例えば、十分に信じるに足りるような弁解があったときに、警察において、捜査機関において、それで逮捕というようなことになるかといったら、私はならないというふうに思います。

 また、自己の性的好奇心を満たす目的でというのを、それは自白に頼らざるを得ないというふうに言われますけれども、例えば、殺人の故意というのは、私は殺すつもりはなかったんです、殺すつもりはなかったんですと言ったって、けん銃を持って相手をぼんと撃てば、どんな自白が、否認をしていたって、殺人の故意というのは客観的にやはり認められるわけです。

 ですから、自分の性的好奇心を満たす目的というのは、たとえその自白がなかったにしたって、うちに大量の児童ポルノを持っている、その横に大人のポルノもたくさん持っているというようなうちで、児童ポルノを持っている方が、私は自分の性的好奇心を満たす目的じゃございませんと言ったところで、それは裁判所では多分通らない話になってくるだろう。ですから、自白だけに頼るということじゃなくて、やはり客観的な証拠に基づいて捜査というのはできるんだろうというふうに私は確信をしています。

〔中略〕

○枝野委員 やっていないのに、合理性の、つじつまの合う自白をとっているじゃないですか、現実に足利事件で。そういうケースが起こり得るんでしょう。開いたのだって、一回しか開いていなくたって、開いたら見ていますよ。見て、何だこんなおぞましい映像はといって、パソコン上のごみ箱に捨てているかもしれませんよ。それでも、それに自白がくっついたら有罪になるんですよ、与党案では。

 それが本当に自分の意図で取得をしている人だったら、それは処罰に値すると思いますよ。変なボタンを間違って押しちゃって、送られてきて、あけてみたら、何だこれはといってごみ箱にほうり投げる。でも、ごみ箱にほうり投げても、これは保管に当たりますね、映像が残っているんですから。あるいは、パソコン上のごみ箱に捨てたらいいんだということになれば、逆になれば、悪質な人が、自分が見たい映像を全部ごみ箱に残しておけばいいんですから、ごみ箱に入れたかどうかは全然関係ないですね。処罰される可能性があるんですよ、そういったことを。そして、残念ながら、今の日本の刑事司法の現状からすれば、そういった自白がとられる可能性というのは相当ある。

 しかも、なぜか自分の知らないうちに自分の管理下に入ってしまったというのを、郵便であれ、メールであれ、第三者が陥れるために勝手に送りつけることは可能なんですよ。それこそ、政権を持っている権力が野党の議員のところにそういうものを送りつけておいて、それで令状をとって入っていって、実物があるといったら逮捕できますね、まず物があるんだから。それで、自白をとったら起訴できるんですよ。私のそこのかばんの中に知らないうちに入れられていました、それで、あ、一枚入っていましたと、逮捕されるんですよ。別に政治家じゃなくたって、みんなそうですよ。

 それが果たして、それは、そんなむちゃなことを警察はやりませんとおっしゃるのかもしれない。でも、やっているんですよ、足利事件で。現にやっているという現実を考えたときに、そういうことが起こらないような制度をつくるのは立法府の責任だというふうに私は思いますが、確認はいたしません。

〔中略〕

○葉梨議員 先ほどから、答弁を求めていないので簡単に申し上げますけれども、自分のかばんの中に入れられたら陥れられる可能性があるといったら、それはけん銃だって入れられるかもわかりませんし、薬物だって入れられるかもわからないんですよ。非常に捜査機関に対しての不信感があるというのはよくわかるんです。よくわかりますけれども、だからといって、やはり実体法の世界でこの規制というのを緩めるとかいうことがあってはならないと思いますよ。

〔中略〕

○枝野委員 まず一点目、御指摘をされたことについて申し上げれば、けん銃とか覚せい剤というものと、例えば映像一枚というものとでは、それこそ、それが例えばかばんの中に勝手に入っていたというときに、児童ポルノだったら、自分でどこかで知らないうちに、少なくとも、現状ではネット上とかなんとかで手に入れることが可能なんですよ。だから、持っていることだけで、単純所持を違法にしようと思ったら、何かどこかから手に入れたりしてできるんですよ。

 けん銃や覚せい剤はそんなことできませんでしょう。それこそ暴力団関係とかそういうところとか、何かからどこかから手に入れなきゃ、普通の人はかばんの中に入らないものですよ。そういうものは全然違うわけだから、陥れようと思ったって、けん銃や覚せい剤で陥れるのは簡単じゃないんですよ。だけれども、映像一枚だったら、ネット上かどこかから手に入れたんだろうということで、全然容易さが違うということをまずしっかりと認識をしていただきたいというふうに思います。


こうしたやりとりにおける発言を指すのだろう。
 これも、枝野議員の言うこともわかるが、けん銃や覚せい剤の入手が容易でないというのは現実にその単純所持が禁止されているからで、仮に児童ポルノの単純所持が規制されるようになればやがては同様の事態になるのだから、反対論としては苦しいように思える。
 そして、では同様の理由でけん銃や覚せい剤の単純所持を禁止すべきではなかったのかとなると、そうではないだろう。


・マンガやアニメやゲームは悪影響の研究をして三年後に規制する予定

 この点については、こうした発言がある。

○葉梨委員 〔中略〕 民主党が、「児童ポルノ」という用語を「児童性行為等姿態描写物」と変えようとしています。先ほどお答えいたしましたが、サイバー犯罪条約では、いわゆる疑似児童ポルノというのも児童ポルノに入っているんです、サイバー条約ですが。これは日本の法律の定義には入っておりませんけれども。

 これを、ただ「児童性行為等姿態描写物」とすることにすると、この法律の世界では、いわゆる疑似の児童ポルノ、漫画、アニメについては一切さわらないというようなことになりますけれども、そういう理解でよろしいわけですね。

○枝野議員 これも、過去二回の制定、改正のとき、常に一貫して私どもの立場として、そういったものを仮に規制をしなければならない状況があったとしても、保護法益が児童が性的な虐待を受けたことという個人的保護法益であるこの法案、法律と、それから、そういった映像等がはんらんをすることによる弊害を防ぐという目的とでは、目的に大きな違いがある。

 もし仮にそういったことを立法する必要があるとしても、それは別の法律であるべきである。そのことの方が、この法律ではとにかく、実際に性的虐待を受けた子供たちを守らなければならないという趣旨が明確になるということで、我々はそこを分けるべきだと考えておりますので、本法には入らないということで結構でございます。

○葉梨委員 そこのところは大変いろいろ議論のあるところで、例えば、今の法律でも実在の児童ということになっていますけれども、二百年前に製造された、明らかにその児童がもうこの世にいないといったものも、実はこの児童ポルノの対象にはなる。

 ですから、その意味では、いわゆる個人的な法益、社会的な法益ということで、我々は、ただ、二〇〇二年の米国の連邦裁の判決もよく承知しています。ああいう形でアメリカが強い規制をゲームとかアニメにかけたというのは、やはり表現の自由の関係から違憲であるというような判示がなされたわけですけれども、ただ、やはりゲームとかアニメでも、ひどいものはひどいんです。

 ただし、同じような規制を、実在の児童を被写体としたような児童ポルノと一緒にすべきだというふうには私は思わないんですけれども、少なくとも、エビデンスというのをそろえてこういう研究はしていかぬといかぬということから、与党案は研究という規定を入れているということを御理解願いたいと思います。


 さらに。

○葉梨議員 先般来の議論でありますけれども、基本は、実在の被害に遭った児童の保護であること、これについては間違いない。個人的な法益という話で先ほどございました。

 では、社会的法益の部分がもともと全くないんだろうかというふうに考えますと、現行法においても、今明らかにこの世に存在しない、亡くなった方であっても、実在の児童を被写体としたものであったら、それはやはり規制はされる。さらには、やはり個人的なそういった法益、つまり被害児童を虐待するということを何らかのために防止するというような措置、これをとっていかなきゃいけないんじゃないかというようなこと、それをつらつら考えますと、やはり社会的法益の部分というのは全くないとは言えないんじゃないかというふうに私自身は考えています。

 ただし、問題は、社会的法益の部分ということで、例えばその傾向自体に対処をする。私は傾向がいいとは思いませんよ。では、例えばテレビゲームだ、アニメだ、漫画だといったときに、これはやはり二〇〇二年の米国の連邦最高裁の判決もあるわけで、一律に全く実在の児童と同じような規制を全くエビデンスなくやってしまうというのは、これは私はいかがなものだろうかなというふうに思います。

 ですから、規制の態様というのは、当然実在の児童を対象とするものと違ってくるべきだし、そのための立法事実というのをしっかりと研究をしていかなければいけない。まだ日本においてはその段階なんだろうというふうに思います。

 ですから、その意味で、今回、附則に研究ということで入れたのは、与党としては、社会的法益の部分をこの法律で、今も例えば亡くなった児童はどうだというぎりぎりの話はありますけれども、それについて研究をして、今後この法律でいろいろと規定をしていくんだというような考え方がありますよということを附則で盛り込んでいるわけです。そこの部分が、これはどちらをとるかという決めの問題なんですけれども、民主党はそれを別法でやろう、私どもは一緒の法律でやろうということです。


 これのどこをどう読んだら「マンガやアニメやゲームは悪影響の研究をして三年後に規制する予定」と単純化できるのか。
 「まとめ」の作成者は日本語が不自由なのか。


・民主案は相続物に児童ポルノがあっても逮捕できないので困る

 もう嫌になるが「逮捕できないので困る」などということは誰も言っていない。
 (きっと「まとめ」作成者の脳内では検挙=逮捕なのだろう。小学生のような警察観だ)
 葉梨議員が述べているのは、単純所持を禁止しない民主党案では、相続により大量の児童ポルノを取得するケースでも取り締まることができないがそれでいいのかという問題提起だ。

○葉梨委員 〔中略〕 ちょっと時間がないので、単純所持の関係ですが、児童性行為等姿態描写物の有償、反復取得の禁止で規制されない行為についていろいろと伺います。

 まず、先ほど言いましたけれども、大量の児童ポルノの蔵書を保有して、私は実はだれだれさんの子供時代のポルノを持っていますよ、私は実はだれだれの子供時代のポルノを持っていますよというのをだあっと宣伝して回る行為というのは、民主党案では禁止されないということですね。もうイエスかノーかで結構です。

○枝野議員 民主党案では規制されませんが、与党案でも、「性的好奇心を満たす目的」が満たされるのかどうか、非常に疑問があると思います。

○葉梨委員 多分、そうやって宣伝して回る方はペドファイル、小児性愛者ですから、与党案ではここのところを禁止されるだろうというふうに思います。

 自分が保有する児童ポルノを、友人であるばりばりの小児性愛者、ペドファイルに見せて、見せるだけよという代価として百万円をもらう行為、これは民主党案では規制対象となりますか。

○枝野議員 お言葉ですが、持っていて見せるからといって、ペドファイルであるという推定がどうして働くんでしょうか。私は、そこがまさに、持っているということだけでこいつは悪いやつなんだということをうかがわせるという、それに基づいて自白が強要されるのではないかという危惧のまさに一番のポイントだろうというふうに思います。

 今の点についても、私どもの案でも入りませんが、残念ながら、一人にだけ見せるということはどちらの法案でも対象になっていないわけで、そちらは所持は対象になる。だけれども、その人が人に見せてお金を取ることを目的としているのなら、自己の性的好奇心を満たす目的というのはむしろ排除される推定が働くんじゃないですか。

○葉梨委員 それはそうでもないと思いますね、一緒に楽しむということもあるわけですから。(枝野議員「こともあるわけでしょう。だけれども、違う場合もある」と呼ぶ)

 答弁者、それは客観的によく実態に即して考えてみたらいいと思いますよ。百万円をもらって、それを持っていて一緒に楽しむという形であればということで、もちろん、それを営業としてやっているような形であれば、自己の性的好奇心を満たす目的ではないということもあるでしょう、他人の性的好奇心を満たす目的で。ただ、営業としてやっているようなことであれば、それは別途の営業法の規制があるし、そもそも、「みだりに、」にということで一般的な禁止規定を入れていますから、そういったものについてはやはり廃棄するということは、与党案では期待をされるということです。

 小児性愛者、ペドファイルでありますお父さんが亡くなりました、その子である子供もやはり小児性愛者、ペドファイルでございます。大量の児童ポルノを家宝として相続する行為は、民主党案では規制対象となりますか。

○枝野議員 小児性愛者であるかどうかということは内心の問題なので、客観的に判断できないというふうに思います。どなたかが持っていた大量の児童ポルノが、結果的に相続で違う方になったとしても、そのこと自体を違法性のあることとして排除することは、残念ながらできないというふうに思います。

○葉梨委員 私、捜査機関じゃないものですから、小児性愛者であるかどうか判断できないというのは、これは具体的な捜査の事例に即して言っているのではなくて、ある小児性愛者が小児性愛者である子供に対して相続をした場合はどうですかというふうに聞いているわけで、立証できないからどうのこうのというのは、レベルの全然違う話なんです。

 最後になりますけれども、今回、民主党が単純所持について踏み込まないと。

 たしか十六年の改正でも、次の段階ではそこのところに検討を入れなきゃいけないなということは、実は武山百合子さんが委員長でした。私、委員長代理として参議院でも答弁したんですけれども、必ず次の段階で単純所持の禁止に踏み込みますよというようなことまでは言えない、それは当然ですけれども、やはりそこまでについては検討しなきゃいけませんねというような、次の段階ですというようなことにしたわけですけれども、民主党案においては、今のところそういうふうにはなっていないということでございます。



 結局のところ、わざわざ検証するまでもなかった。初めからわかっていたことだが。

 こうやって発言を歪めて、面白おかしく批判するのは、何もこの件に限らず、「運動」圏にはしばしば見られることであり、驚くには当たらない。
 反対の立場の者の発言など真面目に検討する必要などないのだ、ただ排撃すればよいのだということなのだろう。

 しかし、この件に関して言えば、その種の虚偽や誇張はもう見破られているのではないか。だからマスメディアやネットで反対論がそれほど高まらないのではないか。
 彼らは、自分で自分の首を絞めているように思える。

コメント (4)

葉梨康弘議員の児童ポルノ規制法改正発言まとめについて(上)

2013-06-03 00:02:59 | 事件・犯罪・裁判・司法
 5月31日の記事「児童ポルノ規制法改正反対論に思う――そういう問題か?」にこんなコメントが付いた。

過去に国会審議で児童ポルノ法について議論した記録が残ってるから、確認されるとよい。

【衆院法務委員会】児ポ法改正審議(2009年6月26日) まとめ
http://source-stat.blog.so-net.ne.jp/2009-06-26-1

【 自由民主党 葉梨康弘 議員 発言要旨 】

・メール、郵便、FAX、いかなる手段で児童ポルノを所持していても逮捕する
・電子メールに児童ポルノが添付されているかどうかは、ファイルを開く前に分かるはず
・電子メールがきたら児童ポルノだと思えばいい
・映画、出版物、大女優だろうと関係ない、今までの映画も本も写真も18歳以下のヌードなら全部捨てるように
・宮沢りえのサンタフェでも、法改正後は捨てないと逮捕する
・宮沢りえのサンタフェは見たことがないが、規制する
・過去作品のどれが児童ポルノかどうかは政府が調査して教えてくれるはず
・顔が幼くて制服を着ていれば児童ポルノだと判断される
・ジャニーズでも乳首が写っていたら児童ポルノだ
・児童ポルノかどうかは見た目でわかる。芸術性など考慮しない
・ハードディスクに入っている画像を何回開いたかで故意性を審査する
・写真や雑誌は、使い古されていたり手垢がたくさん付いていれば故意をみなす
・冤罪など起こらない。単純所持規制国での冤罪の事例も知らない
・自白は証拠の王様だ
・捜査官は善良なので、自白を強いて冤罪を生じさせるようなことはない
・冤罪の懸念なら、鞄に拳銃を入れられることだってある
・マンガやアニメやゲームは悪影響の研究をして三年後に規制する予定
・民主案は相続物に児童ポルノがあっても逮捕できないので困る


 この葉梨議員の発言の要旨については、この「まとめ」そのものだったどうかは覚えていないが、以前に見たことがある。
 しかし、普通に考えて、自民党の国会議員が国会でこんな発言をするとは思えないものがほとんどだ。
 これは、何かしらの曲解、あるいは虚偽が多分に含まれているのだろう。

 そう思っていたが、実際に会議録で確認することはなかった。

 せっかくなので、この機会に衆議院のホームページで確認してみた。

 衆議院法務委員会の会議録、第171回国会の第12号(平成21年6月26日)。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

 この日の法務委員会では、自民・公明両党が提出した児童ポルノ規制法の改正案と、民主党が提出した改正案の双方が審議された(結局、審議未了でともに廃案となった。本年5月29日に自公が提出した改正案はこの時のものとほぼ同一だと聞く)。

 さて、葉梨議員は上記の「まとめ」のような発言をしていただろうか。

・メール、郵便、FAX、いかなる手段で児童ポルノを所持していても逮捕する

 まず、「いかなる手段で児童ポルノを所持していても逮捕する」などと言うはずはない。
 逮捕は逮捕の必要性に基づいて行われるのであって、罪を犯せば必ず逮捕されるというものではない。
 ましてや、葉梨議員は警察でも行政側の人間でもないというのに(警察官僚出身ではある)。

 そして、これが会議録中のどの発言に基づいた「まとめ」なのか、ひととおり見てみたがわからなかった。
 わかるという方がおられたら、是非ご教示願いたい。

・電子メールに児童ポルノが添付されているかどうかは、ファイルを開く前に分かるはず

 超能力者じゃあるまいし。

・電子メールがきたら児童ポルノだと思えばいい

 こんな極端なことも言うはずがない。

 この2点については、会議録を確認したところ、該当するのはこのあたりかと思われるが(太字は引用者による。以下同じ)、

○葉梨議員 捜査の恣意性ということで今るるお話がございました。

〔中略〕

先ほどの例で、もしかしたらこんなメールが送りつけられてくるかもわかりませんよというようなものが来たとして、私はそれで、個別に、全体として、単にパソコンを開いているということだけで未必の故意が成立するとは思えないんです。このメールというのはもしかしたら児童ポルノかもわからない、そういうような認識というのはやはり必要になってくるだろうと思うんです。

 さらには、それがたまたま人に入れられたものかどうか、そういうような抗弁というか話があれば、やはりそれはよく確認をしなければならないし、例えば、十分に信じるに足りるような弁解があったときに、警察において、捜査機関において、それで逮捕というようなことになるかといったら、私はならないというふうに思います。

 また、自己の性的好奇心を満たす目的でというのを、それは自白に頼らざるを得ないというふうに言われますけれども、例えば、殺人の故意というのは、私は殺すつもりはなかったんです、殺すつもりはなかったんですと言ったって、けん銃を持って相手をぼんと撃てば、どんな自白が、否認をしていたって、殺人の故意というのは客観的にやはり認められるわけです。

 ですから、自分の性的好奇心を満たす目的というのは、たとえその自白がなかったにしたって、うちに大量の児童ポルノを持っている、その横に大人のポルノもたくさん持っているというようなうちで、児童ポルノを持っている方が、私は自分の性的好奇心を満たす目的じゃございませんと言ったところで、それは裁判所では多分通らない話になってくるだろう。ですから、自白だけに頼るということじゃなくて、やはり客観的な証拠に基づいて捜査というのはできるんだろうというふうに私は確信をしています。


これを上記のように「まとめ」るのは、曲解以外の何物でもないだろう。

 そもそも、単にパソコンを開いてメールを受信したというだけでは未必の故意は成立しない、メールの添付ファイルが児童ポルノであるかもしれないという認識が必要だと述べているではないか。


・映画、出版物、大女優だろうと関係ない、今までの映画も本も写真も18歳以下のヌードなら全部捨てるように

 葉梨議員は、この国会で野党側の改正案を提出した、民主党の枝野幸男・衆議院議員との問答で、次のように述べている。

○枝野委員 先ほど質問にもお答えしました、例えば宮沢りえさんの「サンタフェ」を初めとして、本法施行のずっと前から、十八歳以上なのか、十八歳未満なのか、調べれば「サンタフェ」はわかるのかもしれません、撮影当時十七歳だったのか、十八歳になっていたのか。あるいは、初期の関根恵子の映画とか、いろいろなものがありますよ。十八歳未満の特に女性が裸になっている、しかも、大手の一般の出版社や大手の一般の映画会社から配給されたDVDなどが出ているというものはあります。

 こういったものを、自分の家の中にあるかどうか探して、全部捨てろということを与党案は言うんですね。

○葉梨議員 〔中略〕 そして、今の御質問ですけれども、大手の出版社が出したからといってオーソライズされるわけじゃないんですよ。大手の新聞社だって時々間違いを書くんです。ですから、その意味でいったら、社会の中で、十八歳未満の児童のポルノ、これについてはしっかり廃棄をしていきましょうというようなことがあれば、それは、この一年間の猶予期間があるわけですから、そういったものをやはりちゃんと廃棄していくということは、私は当然のことじゃないかと。

 要は、児童ポルノというものを持っているという状態、これは先ほどの捜査に対する不信とかいうのは別として、子供に対する保護のために、児童ポルノというのを持っている状態はいけないことだというふうに日本国民が考えるのであれば、それが有名な女優であろうが大手の出版社であろうが、それは関係ない話だというふうに思います。


 たしかに「廃棄していくということは」「当然」と述べている。
 しかしそれは「社会の中で、十八歳未満の児童のポルノ、これについてはしっかり廃棄をしていきましょうというようなことがあれば」「児童ポルノというのを持っている状態はいけないことだというふうに日本国民が考えるのであれば」という前提での話である。この法改正の効力によって即こうなるという話ではない。

 そして「映画、出版物、大女優だろうと関係ない」だの「今までの映画も本も写真も」といった語句は全く出てこない。
 こうした存在しない語句を勝手に「要旨」に忍び込ませるのはフェアではない。作成者の程度がよくわかる。

 これに続く両議員の問答は興味深い。長くなるが引用する。

○枝野委員 〔中略〕 大手が出したからいいということを言っているんじゃないんです。かつて合法的に製造、販売をされて所持をしているものが世の中たくさんあるんです、いい悪いは別としても。その中には、例えば芸術性もあったりするというものがあると思うんですね。だけれども、これは、お互いどちらの党の案も、芸術性が高かろうと何だろうと十八歳未満の女の子の裸はだめだと。私はこれは正しいことだというふうに思いますが、過去において、芸術性もあったりとかして社会的に容認もされて、合法的に手元にあるものを、全部皆さん探して捨ててくださいということが、例えば「サンタフェ」を初めとして、可能なのか。

 「サンタフェ」は、十八歳なのか十七歳なのか、私も調べてみましたが、わかりませんよ。わからないですよね、十八歳ぐらいの女の子が実際の年齢が何歳だったのか。特に十年前、二十年前、三十年前に製造、販売されて手元にあるもの、そんなものをみんな調べるんですか。

 しかも、未必の故意でオーケーなんですから。どうも昔はそういうものがあったらしい、うちにももしかするとあったかもしれないな、まあ、それでもしようがないや、探すの面倒くさいから。私自身だってありますよ。平成十一年にこの法律をつくるときに、こんなにひどいものがコンビニなどでも売られているんですよといって、たしか野田聖子さんにだと思いますけれども、見せられて、サンプルとしてもらいましたよ、その児童ポルノの雑誌を。もちろん資料として、もしかすると審議が終わったころに捨てたかもしれない、だけれども、また児童ポルノを改正するときの参考になるかもしれないからとっておいたかもしれないな。自信ありませんよ。

 自信がないということは、未必の故意だったら、私は、あらゆる事務所を全部家捜しして、まさか残っていないか確認しなきゃいけないんですか。そんなことが日本じゅうの人に起こるんですよ。それは現実的じゃないですよ、残念ながら。

○葉梨議員 枝野委員、もしかしたら事務所に持っていらっしゃるかもわかりませんね。でも、あなたの性的好奇心を満たす目的じゃありません。私も、児童ポルノをたしか中央教育審議会か何かで回覧したことがあります。これは正当目的です。みだりにもならないんじゃないかなというふうに思うぐらいですけれども、少なくとも、自己の性的好奇心を満たす目的、これにはならないです。

 それで、大家捜しをしなきゃいけないとかいう話もありましたが、例えば「サンタフェ」であれば、あれだけ有名なものであれば、未必の故意という話もありますが、大体、具体的に、それが一体十七歳なのか十八歳なのか、そこら辺のところはいろいろなところでまた問い合わせをしていただければいいし、それぐらいのサービスは政府の方もやってくれるんじゃないかというふうに思います。そして、児童ポルノであるかどうかということについて、児童ポルノかもわからないなというような意識のあるものについてはやはり廃棄をしていただくということが当たり前だと私は思う。 〔中略〕

○枝野委員 〔中略〕 確かに、私のどこかの事務所の片隅に野田聖子さんからかつてもらったものが残っていても、それは抗弁がきくかもしれませんね。それは、ずっとこの問題に私が取り組んできていることをみんなが知っていますから。でも、そういうことがみんなに起こり得るんですよ、この法律は。

 今の法律では児童ポルノに当たる、児童ポルノに当たるのだって、まさに、それこそ二歳、三歳の女の子に性交をしているような、こういうものから、「サンタフェ」は十七歳だったら児童ポルノに当たるというところまで、いろいろな種類のものがあるわけですよ。それについて、どれか持っていた可能性があるよなと、いや、ちゃんと考えればみんな普通そうだと思いますよ。本法施行前は、現実問題として、十八歳前後の女の子の裸の写真は普通の雑誌にもたくさん載っていましたから。だからいいということじゃないですよ。いわゆる特殊な幼児性愛者向けの雑誌じゃない普通のところにも載っていましたよね、十七歳とかの女の子の裸の写真が。ああ、そういったものがあったはずだよなと、未必の故意はみんなあるじゃないですか。そんな何十年か前の週刊誌をたまたまとってあることはありますね、みんな。そのことが目的じゃないかもしれない。

 そうすると、それが立証されてしまったら、あとは主観的な目的なんですよ。主観的な目的も、確かにこの人は幼児性愛があって性的好奇心を満たす目的であるということがはっきりしている人を他の客観的な事情で立証すること、これはできます。おっしゃるとおりです。本人の自白がなかったとしても、自白に頼らなくても、なるほど、この人はこれこれこういう趣味で、こういったことを今までやってきている、あるいは周辺の人の証言でということは可能かもしれません。

 でも、逆に、そういう幼児性愛などの性向がなくて、御本人に性的好奇心がなかったとしても、現に持っている人が、いや、おれは幼児性向ではない、私は性的好奇心を満たす目的ではないということをどうやって抗弁できるんですか。結局は、性的好奇心を満たす目的であるという自白がとられてしまったら、それ以外にそれを否定する客観証拠を出して否定することはできないじゃないですか、まさに内心の問題ですから。それも処罰の対象になるんだというこの法律の問題点を我々は指摘しているんですよ。

 いや、それは仕方がないと。そういう人がたまたま一枚持っていた、たまたま一枚。大体、どうやってその単純所持を立件するのかというのはよくわからないんですけれどもね。つまり、単に自分で持っているだけという状況であるならば、そこに捜索が入るということは基本的には考えられない。たまたまかばんに入れて持っていたら、任意で荷物検査をしてその中に入っていましたとか、そういうことかもしれませんね。そこで一枚出てきましたと。そして、捜査官の方が大変熱心な捜査官で、おまえ、こんなものを持っていたんだから性的好奇心を満たす目的だろう、そういうことで、足利事件のようにつじつまの合う証言を得られてしまいました、こういう人は冤罪でも処罰されても仕方がないというんだったら、この与党案は正しい法案だと思います。

 でも、そういったことは絶対に起こしてはいけない。絶対起こしてはいけない中で、なおかつきちっと処罰をしなきゃならない人たちについては処罰をする、それが私たちに求められているので、少なくとも、現状の与党案は、その部分のところで決定的な問題があると思いませんか。

○葉梨議員 冤罪は絶対にあってはなりません。これは絶対なくしていくように、お互いちゃんと努力をしていきましょう。

 しかし、今のお話を聞いてみると、ちょっと本末転倒じゃないかなというようなところもあります。

 一つの児童ポルノを持っている、これについて冤罪があるというのであれば、それはなくす努力をしっかりすべきであります。しかしながら、だからといって、そういうことがあるんだ、もしかしたらみんな陥れられてしまうかもわからないんだというような、私はそんなことはないと思います、ないと思いますけれども、そういう考え方で、たくさんの児童ポルノを蔵書として抱えている、それは許される、そっちに行ってしまうというのは考え方として違うんじゃないか。そういうことをもし言われるんだったら、何で民主党案は大量の児童ポルノを所持している場合を禁止しなかったんだというふうに私は思いますよ。一枚だけだったら大丈夫ですというように書くべきじゃないですか。

 それと、もう一つ申し上げますと、具体的に、自白だけでといったって、さっきの例でいえば、昔、確かに週刊誌の中には児童ポルノというのはあったかもわかりません、それは私もよく知っています。でも、家を見たら、それが本当に何十年前のほかの雑誌と一緒に束になって、それで全然見た形跡もないし、ほこりをかぶっているといって、それでこいつは性的好奇心をとる目的だと自白を強要する捜査官なんて私はいないと信じていますよ。

 そうじゃなくて、やはり、児童ポルノであれば、有体物であればそれを何回見たとかいう態様ですとか、それから、パソコンの情報であれば、それをダウンロードしているとか何回開いたとか、そういったことから、やはりこれは自分が見ているんだな、性的好奇心を満たす目的で見ているんだな、それで所持しているんだなということをおのずと明らかにするようなしっかりした捜査を行われることが私は求められていると思うし、もしも、捜査に対する配慮というのを、我々がしっかりしなきゃいけないということをさらに求めるんだったら、この国会でちゃんと捜査機関に対してしっかり求めていきましょうよ。

○枝野委員 捜査機関が冤罪を防ぐためにしっかりとやるだなんてことは、別に今さら繰り返さなくたって、我々の条文に載っけましたけれども、そんなこと書かれなくたって当たり前なんですよ。当たり前なんだけれども、現に繰り返されているじゃないですか。

 立法は、民主主義社会は、基本的に公権力に対する性悪説で、間違いを犯すかもしれない、でも、間違いを犯しても、その間違いによって基本的人権を害すことのないようにしなきゃいけない、それが民主主義社会における、特に刑罰法規のつくり方じゃないですか。基本ですよ。性善説で、ちゃんとやってくれるでしょうと。ちゃんとやってくれなかったケースがあるから、民主主義国家にして、立憲国家にして、法律をつくって罪刑法定主義にしているんですよ。ちゃんとやってくれない可能性がある、ちゃんとやってくれないことがあったとしても間違いが起こらないようにする立法をするのが我々の責任だと思います。


 要するに、捜査機関に対する信頼の問題だと思うのだが、枝野議員の言うこともわかるが、私は葉梨議員の主張の方にに説得力を覚える。

 なお、上の引用部で太字にした箇所については、「まとめ」の

・過去作品のどれが児童ポルノかどうかは政府が調査して教えてくれるはず
・ハードディスクに入っている画像を何回開いたかで故意性を審査する
・写真や雑誌は、使い古されていたり手垢がたくさん付いていれば故意をみなす
・捜査官は善良なので、自白を強いて冤罪を生じさせるようなことはない


に当たるのだろうが、政府が云々についてはサンタフェのような著名なものについてはという話でしかないし、未必の故意についても「使い古されていたり手垢がたくさん付いていれば」だの「捜査官は善良なので」といった語句はこれまたない。
 ここで葉梨議員が述べているのは、「性的好奇心を満たす目的」を立証するには、自白だけでなく客観的な証拠を必要とすべきだという、至極当然のことではないか。

 社民党の保坂展人議員との問答でもサンタフェについての議論があるが、

・宮沢りえのサンタフェでも、法改正後は捨てないと逮捕する
・宮沢りえのサンタフェは見たことがないが、規制する


これも「逮捕する」とは言っていないし、そもそもサンタフェが児童ポルノに該当するとも述べていない。

○保坂委員 〔中略〕

 私は、以上前置きしながら、今回のとりわけ与党案にお尋ねしていきたいんですけれども、大変重大な危惧を覚えているんですね。というのは、表現の自由あるいは内心の自由にかかわる重要な議論が必要だろうというふうに思っているからです。

 実は、ちょっと資料を取り寄せてみましたら、今二〇〇九年ですが、ちょうど丸十年前にこの法律の最初の審議があった当時、私は法務委員会の一番最初に、「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルのことを取り上げて、写真も当時出たての写真で、非常に写真に趣味をさらに高じていって、少女の写真を撮っていった、中には半裸、全裸のものもあった、ロンドンのナショナルポートレートギャラリーに展示されていて、芸術的に高い評価を受けているというようなケースがあるんだけれども、これはどう考えたらいいでしょうかと。当時の大森提案者は、芸術に該当するかどうかということはこの法案では立てていないんです、「当該描写に係る児童の姿態がこの法案の要件を満たすものであるか否かによって判断される」と答えているんです。

 そこで、先ほど枝野委員と葉梨提案者のやりとりを聞いていて、私も、篠山紀信さんが撮影した「サンタフェ」、百万部とか百五十万部とか売れているということで、過去見たことがあって、記憶がたどれなかったので国会図書館から借りて見直してみましたけれども、私は、これが本当に児童ポルノなのかなというふうに、率直に言って思えないんですね。児童ポルノだというふうには思えない。

 ただ、それは基準があってのことですから、葉梨さんが先ほど、例えば「サンタフェ」が家庭の中にあったら、この一年以内にこれを探して処分をするということをやってもらいましょうよというふうに答弁されたと思うんですが、これはお変わりありませんか。児童ポルノであるという判断なんでしょうか。

○葉梨議員 私自身も余り品行方正な生活をやっていたわけじゃないんですが、「サンタフェ」は見たことがないものですから、具体的に「サンタフェ」が児童ポルノに当たるのかどうかということについては、今ここで結論づけて申し上げることはできません。

 ですから、先ほど申し上げましたのは、「サンタフェ」が当たるか当たらないか、それぐらい有名なものであれば、宮沢りえさんが当時何歳だったかというのも大体わかるでしょうから、政府の方でもそれぐらいのサービスはしてくれるんじゃないんですかというようなことで申し上げたんです。

 「サンタフェ」を探さなきゃいけないということで、「サンタフェ」を持っていたよなというような記憶のある方はやはりそうしていただくということだろうと思いますし、先ほど言いましたけれども、蔵の中に、あるいは押し入れの中にもしかしたらあるかもわからないけれども、「サンタフェ」を持っていたという記憶がないなという方がそれを探さなければならないということはないんだろうと思います。たまたま将来、押し入れをあけて「サンタフェ」が出てきて、もし「サンタフェ」が児童ポルノに当たるんだということになれば、それは廃棄なりしていただければよろしいんじゃないかなというふうに思います。

○保坂委員 見ていないのに、廃棄した方が安全だ、そういうふうに言えるんでしょうか。(葉梨議員「違う、違う」と呼ぶ)ちょっと待ってください。その後議論します。



・顔が幼くて制服を着ていれば児童ポルノだと判断される

 これも保坂議員との次のやりとりか。

○保坂委員 〔中略〕 いいですか、葉梨さん。これは具体的に「サンタフェ」というものを見ている見ていないという問題は出てきますけれども、写真家の中で、いわゆる少女のセミヌードとかソフトヌードと言われるような、「サンタフェ」もその一つだと思いますけれども、そういう写真をかつてお撮りになって、写真集という形で出版をされ、あるいは平凡パンチとかプレイボーイとかそういう青年雑誌にも掲載されていたということが過去にありました。それらのものは児童ポルノに当たるのかどうかというところをどういう尺度で判断されているんですか。

○葉梨議員 先ほどちょっと誤解があったようですが、私は「サンタフェ」というのは見ていないんですけれども、もしも「サンタフェ」が児童ポルノに当たるということであればということを前提でお話をしたので、見てもいないものをどうなんだということではないということでございます。

 それで、過去にいろいろな雑誌で、そういったいわゆる三号ポルノというものですか、出ているということはあろうかとは思いますけれども、基本的に、児童が十八歳未満かどうかというところがまず一つの尺度になりますね。

 十八歳未満かどうかというのは、先ほど未必の故意の議論もありますけれども、明らかに、顔から見てなかなかよくわからなくても、制服を着ているとかそういったことで大体それは推知されるという場合もありましょうし、あとは顔が幼いかどうかということで。それが十八歳未満かどうか、客観的に見て、ほぼ十八歳未満じゃないかなというように推定がされるようなものかどうかということが一つありますね。

 それで、衣服の一部または全部を脱いでいるかどうかという要件、そして、それが性欲を興奮させ刺激するものかどうか。これについては、地裁判例等でかなり明確な基準等が示されておるんですけれども、そういったところで判断をしていくということになるんじゃないかと思います。


 これを「顔が幼くて制服を着ていれば児童ポルノだと判断」と要約するのもまた曲解。

 なお、過去の書籍等を廃棄すべきかについて、民主党案の提出者である枝野議員は、

○枝野議員 〔中略〕 過去にさかのぼって、芸術性のあるものとして社会的にも許容されてつくられた作品について、新たに出版をして、新たに配給をしてということについては、これはおやめをいただいた方がいいんじゃないですかということはできたとしても、それを持っているから廃棄してくださいということまではできないのではないか。

 その当時は、特に先ほど来名前の出ているような、例えば「サンタフェ」。私自身も中身まで詳しく見ておりませんから、私どもの案の「殊更に」に該当するかどうかは判断いたしかねますけれども、仮に、特に十一年の本法施行前、製造等が規制をされる前の段階では、芸術性が高いものについては子供が被写体であったとしてもという、社会的に許容されていた時代につくられたもので、それを、広く流通しているものを、さあ全部捨てなさいということまで迫れるのかということになれば、それはまさに刑罰の遡及ということになるだろうと思いますので、それは無理ではないかというふうに思っています。


と述べているが、これは法律家としては無責任(枝野は弁護士)な大衆迎合的発言ではないかと思う。
 製造罪や頒布罪ならともかく、所持罪は所持の時点で成立するものであり、刑罰の遡及になるはずがないからだ。

(続く)
コメント (7)

門田隆将「「日本の司法」は大丈夫なのか」を読んで

2013-05-12 10:05:20 | 事件・犯罪・裁判・司法
 ノンフィクション作家の門田隆将によるこんな記事を読んだ。

「日本の司法」は大丈夫なのか
2013年03月14日 19:23

日本の「司法」、いや「裁判官」というのは大丈夫なのだろうか。そんな話を今日はしてみたい。本日、日本のノンフィクション界にとって、極めて興味深い判決があったからだ。

これは、私自身にかかわるものだが、非常に「大きな意味」を持っているので、かいつまんで説明させていただきたい。

〔中略〕

私は日航機墜落事故から25年が経った2010年夏、『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』(集英社)というノンフィクションを上梓した。これは、1985年8月に起こった日航機墜落事故の6遺族の「その後の四半世紀」を追った作品だ。

〔中略〕

私はノンフィクション作家であり、いうまでもなく作品はすべてノンフィクションである。つまり、私の作品には、フィクション(虚構)がない。記述は「事実」に基づいており、そのため、取材が「すべて」である。

私は、本書に登場する6家族の方々に、直接、私自身が取材に伺い、絶望から這い上がってきた四半世紀に及ぶ「勇気」と「感動」の物語をお聞きし、すべてを実名で描かせてもらった。

ご本人たちの了解を得て、取材させてもらい、日記や手記があるならそれを提供してもらい、「事実」と異ならないように気をつけて原稿を書かせていただいたのである。

〔中略〕

しかし、私は、この作品の第3章に登場するご遺族、池田知加恵(いけだ・ちかえ)さんという80歳になる女性から「著作権侵害」で訴えられた。「門田は自分の作品である『雪解けの尾根』(ほおずき書籍)の著作権を侵害した」というのである。

〔中略〕

その取材の折、知加恵さんは17年前に出したという事故の時の自身の体験をまとめた当該の『雪解けの尾根』という手記本をわざわざ「門田隆将様 感謝をこめて 池田知加恵」とサインして私に提供してくれた。

この時、事故から25年も経過しており、ご高齢だったこともあり、ご本人が「私にとっては、この本を書いた時が“記憶の期限”でした」と仰られたので、私の取材は、提供されたこの本に添って「事実確認」をする形でおこなわれた。

ご高齢の方への取材というのは、こういう方法は珍しいものではない。私は戦争関連をはじめ、多くのノンフィクション作品を上梓しているが、たとえば太平洋戦争の最前線で戦った元兵士に取材する際は、自分が若い時に戦友会誌などに書いた回想録を提供され、それをもとに「記憶を喚起」してもらいながら取材させていただくことが多い。

より正確に事実を書いて欲しい、というのは誰にも共通のものであり、私は池田知加恵さんにも長時間にわたって、この本に基づいて記憶を喚起してもらいながら、取材をさせていただいたのである。

その取材時間は、ご自宅にお邪魔していた4時間半のうち実に3時間半に及んだ。途中、知加恵さんは、「このことは本に書いてなかったかしら?」「そうそう、それ書いているでしょ」と何度も仰り、そのたびに本の中の当該の箇所を探すことが度々あった。

〔後略〕


 私はこの門田の著作をおそらくほとんど読んだことがない。記事中で門田が挙げている『裁判官が日本を滅ぼす』は昔読んだような気もするが、記憶違いかもしれない。『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』は読んだことがない。また、この日航機事故にも知識も関心もない。

 門田の記事を一読して、次のように思った。

 この裁判は著作権侵害が争われたものである。なのに、門田は具体的な争点に何も触れていない。
 門田は言う。

私は提供された手記本をもとに、丹念にご本人に事実関係の確認をさせてもらい、この著書が「事実を記したもので間違いない」ものであることを確認し、長時間にわたった取材を終わらせてもらった。

取材の際、知加恵さんは著書だけでなく、事故に関連してご自身が登場したニュースやワイドショーのDVDを提供してくれたり、取材後も自分の発言の訂正部分を手紙で書いて寄越してくれたり、積極的に取材にご協力をいただいた。

私は、ご自宅をお暇(いとま)する時も、「大変ありがとうございました。今日の取材と、このご本に添って、事実を間違えないようにきちんと書かせてもらいます」と約束し、その言葉通り、事実関係に間違いのないように原稿を書かせてもらった。そして、巻末には、「参考文献」として『雪解けの尾根』を明記させてもらったのである。

つまり、私は「本人に直接会って」、「手記本を提供され」、記憶が曖昧になっていた本人に「記憶を喚起してもらいながら、その手記本をもとに事実確認取材をおこない」、巻末に「参考文献と明記」して、当該の第3章を書かせてもらったことになる。


 しかし、手記本の提供を受けたことと、手記本の記述をそのまま自己の記述として用いることを許されることとは異なる。
 おそらくは、その点が争われているのだろう。
 参考文献と明記しただけでそれが許されるというものではもちろんない。

 門田もこう書いている。

長くジャーナリズムの世界に身を置いている私は、著作権とは、「事実」ではなく「表現」を侵した場合は許されないことを知っている。そのため、細心の注意を払って「事実」だけを描写し、同一の文章はひとつとしてない。


 「同一の文章はひとつとしてない」のかもしれないが、同一の「表現」はあったのではないか。
 それは果たして著作権侵害と言えるのか、どうなのか。それが問題なのではないか。

 判決に不服があるのなら、そういった具体的な争点を挙げて反論すればよい。
 それをせずに、手記の提供を受けた、参考文献と明記した、これでは「事実」が書けないと言いつのるだけでは、全く説得力を覚えない。

 門田は次のようにも言う。

この訴訟が不思議だったのは、訴訟が起こる4か月も前に、まだ当事者以外の誰も知らない段階で、朝日新聞によって大報道されたことだ。同紙は社会面で五段も使って、「日航機事故遺族、作家提訴の構え」という見出しを掲げ、「(両者の)記述が類似している」と大々的に報じたのである。

つまり、訴訟は朝日新聞が「先行する形」で起こされた。同紙は、今回のように本人から直接、手記本を提供され、それをもとに本人に事実確認の取材をおこない、巻末に参考文献と明記しても、それでも「著作権侵害だ」と言いたいようだ。


 朝日新聞デジタルを検索してみると、2011年7月11日付でこんな記事があった。おそらくこれのことだろう。

日航機事故遺族、作家提訴の構え 「手記と表現酷似」

 日本航空ジャンボ機墜落事故を題材に、ノンフィクション作家・門田隆将氏が昨年出版した「風にそよぐ墓標」(集英社)の複数の記述が、1996年に出版された遺族の手記(著書)に酷似していることがわかった。

 門田氏側は「承諾を得て参考にした。盗用ではない」としているが、遺族側は「承諾していない」と抗議。著作権を侵害されたとして訴訟を起こす構えだ。

 抗議しているのは、事故で夫を亡くした大阪府茨木市の池田知加恵さん(78)。事故から11年後の96年に「雪解けの尾根」(ほおずき書籍)を出版。一方、「風に――」は昨年夏、門田氏が複数の遺族を取材して出版した。

 池田さん側が「酷似」と指摘するのは計26カ所。たとえば池田さんの家族を取り上げた部分で「不安と疲労のために、家族たちは“敗残兵”のようにバスから降り立った」という記述は、「雪解けの尾根」の「みなさすがに不安と疲労の色濃く、敗残兵のようにバスから降り立った」と似通っている。

 池田さんは「敗残兵という表現は、戦争を体験した世代で、かつその場にいた遺族だからこそ発することのできた固有の表現。著書に記した言葉は、苦悩の中で紡ぎ上げたもので、盗用は許されない」と話す。

 門田氏は執筆に際し、池田さんから約4時間取材し、サイン入りの著書、当時のニュース映像を収録したDVDなど複数の資料提供も受けた。池田さんは「事実関係を整理する参考にと本を渡したが、表現を使っていいとは一切認めていない」としている。

 門田氏は「本人に長時間取材し、提供されたサイン入りの本を、本人承諾の上で参考文献として巻末に明記し、参考にした。それを後になって著作権侵害とは、ただただ驚きだ。これが問題となるなら、日本のノンフィクションは成り立たない」と話している。

 門田氏は事件や歴史など幅広いテーマで執筆をしており、NHKのドラマ「フルスイング」の原案になった「甲子園への遺言」(講談社)、光市母子殺害事件の遺族を描いた「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)、元陸軍中将・根本博の人生をたどった「この命、義に捧ぐ」(集英社)などがある。

 集英社広報室は取材に対し「門田氏が池田氏を取材した際に資料として著書をいただきました。その扱いについて行き違いがあり、協議を重ねてきたところです」とだけ回答した。(佐々木学)


 この記事で例示されている「敗残兵」は、門田に倣って言うなら「事実」ではなく「表現」ではないのか。
 これでは盗用と指摘されても仕方がないのではないか。
 これを自分の文章として「不安と疲労のために、家族たちは“敗残兵”のようにバスから降り立った」としてしまっては、著作権侵害を問われて当然ではないか。
 何故なら、「敗残兵」はあくまで池田知加恵の心象にすぎない。「不安と疲労」もまた同様だ。「事実」は「バスから降り立った」ことだけだ。
 門田が「「事実」だけを描写」したいのなら、誰がどこで何をしたという、誰の目にも客観的な「事実」のみで作品を構成すればよい。しかしそれでは、役所の報告書のようなものになってしまうことだろう。

 そうではなく、当事者の心情あふれる臨場感たっぷりの読み物を書きたいのなら、門田は例えばこう書くべきだったのではないか。

《池田知加恵さんは手記でこう述べている。「みなさすがに不安と疲労の色濃く、敗残兵のようにバスから降り立った」》

 そんな引用元を明記するまどろっこしい表現では、読者の心に響く力強い作品が書けないという反論があるかもしれない。
 しかしそれは書き手と売り手の都合であり、読者や引用元の著作権者には何ら関わりのない話だ。

これが著作権侵害にあたるなら、日本のノンフィクションは、もはや「事実そのものを描けなくなる」と思っている。つまり日本でノンフィクションは「成り立たなくなる」のである。


と門田は言うが、そんなことはあるまい。
 そんなことで「成り立たなくなる」のは門田流の「ノンフィクション」だけであり、「成り立たなくな」っても一向にかまわないレベルのものではないか。

 そんな感想を持った。

 いずれこの判決を読んでみたいものだと思っていたら、評論家の小谷野敦がブログで5月6日にこの訴訟を取り上げ、判決文へのリンクも張っていたので、読むことができた。

 小谷野は、

原告は25か所について著作権侵害などを申し立てたが、裁判所は、うち15点および、2点については前後に分離して片方につき、原告の著作に創作性があると認めたから、25件中16件である。


としているが、私が判決文を読んだところ、申立は26箇所で、うち14箇所については複製又は翻案したものだと認め、さらにそれ以外の3箇所については、それぞれに複製又は翻案した部分とそうでない部分があるとしているので、小谷野の数え方に倣えば26箇所中15.5箇所とすべきではないかと思う。

 その個々の箇所の検討においても、判決文を読む限りでは、ごくまともな判断をしているとしか思えない。
 上記の「敗残兵」についても、「複製又は翻案したもの」だと認められている。
 また、認められていない箇所も半分弱あり、それはそれでもっともな理由だと思える。

 門田は、

裁判員制度が導入されたのは、その一部の刑事裁判だけだ。膨大な数の民事裁判には、裁判員として国民は参加できないのである。つまり、民事裁判において、裁判官の常識は「問われないまま」現在に至っている。

私は、以前から民事裁判にも裁判員制度を導入すべきだと思っていた。だが、膨大な数の民事裁判にいちいち国民を参加させるわけにはいかない。現実的には不可能だ。

しかし、今回の高野判決を見たら、私は「それでも民事裁判に裁判員制度導入を」と思ってしまう。少なくとも「知財裁判所」には、なんとしても「国民の健全な常識」を生かす裁判員制度を導入して欲しいと思う。


とも言うが、仮にこの裁判が裁判員制度によって行われたとしても、同様の判決が下されたのではないだろうか。
 それが「国民の健全な常識」だと思える。

 門田はこの記事を次のように締めくくっている。

戦後、日本人がやっと獲得した言論・表現の自由には、長い苦難の歴史がある。多大な犠牲の上に獲得した「言論・表現の自由」という民主主義の根幹が官僚裁判官たちによる締めつけで、“風前の灯”となっている。

「知的財産権ブーム」の中で、ジャーナリズムの役割や意義を忖度(そんたく)しないまま、言論・表現の範囲がどんどん狭められているのである。少なくとも今日の高野判決は、事実上、ノンフィクションが「日本では成立しなくなる」という意味で「歴史に残るもの」であると思う。

今後、どうやってジャーナリズムは「事実」というものを描写すればいいのだろうか。『裁判官が日本を滅ぼす』の著者でもある私が、予想通り、「ノンフィクションを滅ぼす判決」を出してくれた高野裁判長に「この判決を通じて」出会えたのは、むしろ喜ばしいことかもしれない。

“暴走”する知財裁判官と今後、徹底的に闘っていくことが、私の新たなライフワークとなったのである。


 「表現」の盗用を指摘されたにもかかわらず、これでは「事実」の描写ができない、「ノンフィクションを滅ぼす判決」だとあくまで主張する門田。
 「ジャーナリズムの役割や意義」の前には、知的財産権の多少の侵害も容認されるべきだと主張しているに等しい。
 “暴走”しているのはいったいどっちなのだろうか。

 門田が挙げている『裁判官が日本を滅ぼす』のAmazonレビューを見ると、高い評価もある一方、著者の一方的な姿勢を批判する声も多く、参考になる。

 不思議なのは、門田はこの訴訟について以前から同様の発言を繰り返しているようだが、それを批判的に評する声が、ネット上で検索してみた限り、ほとんど見られないことだ。
 皆、さして関心がないのだろうか。係争中の事案であるから、最終的な判決の確定を待つということなのだろうか。
 それとも、門田が言うように、ノンフィクション作品の世界では、こうした手法がまかりとおっており、下手に口出しすると藪蛇になるからなのだろうか。

 こんな作家に

日本の「司法」、いや「裁判官」というのは大丈夫なのだろうか。


と問われても、日本のノンフィクション、いやジャーナリズムは大丈夫なのだろうかと逆に問いかけたい気分に駆られる。

(文中敬称略)
コメント

朝日新聞文化面のいれずみ公務員擁護論を読んで

2012-06-30 17:36:20 | 事件・犯罪・裁判・司法
 4日の朝日新聞朝刊文化面に、いれずみについての記事が載っていた。

刺青 長く深く浸透

魔よけの習俗 愛の誓い 欧州王族にブーム

 「TATTOO〈刺青〉あり」の公務員はありえない? 大阪市の橋下徹市長は、いれずみやファッションタトゥーを入れているか、回答義務つきで市職員に調査、配置転換も検討している。倶利伽羅紋々で人を脅す公務員など論外なのは言うまでもない。しかしいれずみ文化史は、意外に長くて広くて深かった。


 以下の記事を要約するとこんな感じ。

・熊本保健科学大学の小野友道学長は(皮膚科学)は1970年、返還前の沖縄で、何人ものお年寄りの女性の手の甲に美しいいれずみがあるのを発見した。魔よけや願掛けなどの針突き(はづき)という広く行われた習俗だったという。
・小野は熊本県でも、手首に小さな点をいれずみしている高齢の女性を診察することがある。イグサ刈りで手を痛め、ツボに針を入れる治療のための印、あるいは治療済みである確認のためだという。
・小野は古今の記録を調べて一昨年『いれずみの文化誌』を出版。日本最古のいれずみの記録は『魏志倭人伝』にある。
・橋下は「公務員のいれずみ=許されない」という得意の〈単純化〉で、「いれずみ職員は民間へ」と促す。だが、人はなぜ体に墨を入れるのか。小野氏によれば①他者を脅すという以外に②江戸時代の遊郭で始まった男女の愛の誓い③犯罪者への刑罰④絵柄自体の美しさに魅了(谷崎潤一郎『刺青』)⑤治療や癒しなど理由は多岐にわたる。「そのほかに自傷行為の場合もある。リストカットと同じ。いれずみは自分を助けてほしいという心の泣き声」と小野は言う。
・政治家のいれずみも珍しくない。チャーチルやF・D・ルーズベルト、スターリンにも見られた。小泉純一郎の祖父で逓信相だった又二郎にもあったとされる。
・ケンブリッジ大図書館日本部長の小山騰(のぼる)は、英王室を中心にヨーロッパ貴族社会で起きたいれずみブームを研究、『日本の刺青と英国王室』を一昨年出版した。明治初期、日本政府は野蛮な習俗としていれずみを禁止したが、逆に文明国の貴族には憧れの対象。わざわざ日本で彫るいれずみは大変な熱狂状態と報じられた。のちのジョージ5世とアルバート王子も1881年の来日時に彫っている。「いれずみを入れる、入れないは全く個人のこと。公務員がいれずみを入れているかどうかで大騒ぎするのは大人げない」と小山は言う。

 記事には、デンマーク国王フレデリック9世の上半身裸の写真が載っている。様々なデザインのいれずみがいくつも彫られている。1951年に米誌『ライフ』に掲載されたものだという。

 終わりの方の原文を引用する。

米国でも軍人や警察官などのいれずみは珍しくない。橋下氏のもう一つの得意技〈グローバル化〉の中で考えると、いれずみ調査自体が相当異質だろう。

弱さの象徴、糾弾意味ある?

 前出の小野さんは、いれずみを消す手術も数多くした。「体に異物を入れるいれずみは健康上よくない場合もあるので、医師としては決して勧めない」としたうえで、「いれずみは文化だ」とも断言。「単純化には意味がない。若いときに悩んで入れ、苦労してようやく正業に就けたのが市職員、というケースもあろう。今、糾弾する意味があるのだろうか。いれずみは人間の弱さの象徴。私は、入れてしまった人の側に立ちたい」と話した。 (近藤康太郎)


 なかなかよくできたいれずみ公務員擁護論だ。

 確かに、魏志倭人伝にいれずみの記述があった記憶はある。おそらくは、人類の歴史と共にいれずみはあったのだろう。「いれずみは文化だ」というのもそのとおりだろう。
 だが、それが何だと言うのか。
 問題なのは、現代の公務員、それも大阪市のような巨大都市の公務員に、いれずみが許されるかどうかという話ではないのか。
 そして、橋下が問題視しているいれずみは、小野が紹介しているような習俗としてのいれずみとは別種のものではないか。
 一般に、いれずみを施している者が社会的にどのような部類の人間として扱われているかは、わざわざ説明するまでもなく明らかであり、橋下が言っているのもまさにその点ではないか。

 公僕であり、税金で食べている市職員には、その地位にふさわしい身だしなみや対応が求められるのは当然だろう。
 窓口に何かの相談で訪れた市民に、対応した職員の袖口や首周りから刺青が見えたとしたら、恐ろしくて相談事などまともにできないのが普通の感覚ではないか。
 バスの運転手然り、ごみ収集車然り。
 そして、なぜこんな奴らを税金で食わせてやらねばならないのかと思うのが、普通の納税者の感覚ではないか。

「若いときに悩んで入れ、苦労してようやく正業に就けたのが市職員、というケースもあろう」

 そりゃああるかもしれない。
 しかし、だからといって市民がそれを容認し、いれずみを見た時の恐怖感あるいは不快感を忍従しなければならないのか。
 そもそもそうした人間は市が雇うべきなのか。
 「若いときに悩んで入れ」たのなら、その決断を一生を終えるまで背負い続け、然るべき世界で生き続ければよいのではないか。

 欧米ではどうだった、文化的にはどうだったと昔のことを持ち出すのもおかしな話で、肝心なのは現代のことではないのか。
 チャーチルやルーズベルトよりもキャメロンやオバマはどうなのかを、小泉又二郎よりも純一郎や進次郎がどうなのかを論ずるべきではないのか。

 いれずみは文化だというなら、麻薬はどうか。
 アヘンやコカインはかつては嗜好品として広く普及していた。シャーロック・ホームズはコカインを常用し、アヘン窟にも出向いていた。作者のコナン・ドイルもまたコカイン常用者だったという。
 麻薬もまた、人類の歴史と共にあった文化であることは言うまでもない。だったら、公務員がオフで麻薬を常用していても、仕事に支障がなければそれは非難されるに当たらないと朝日は言うのか。

 麻薬は有害の度が過ぎるというなら、タバコはどうか。
 わが国の公共空間で禁煙が常識となったのは、健康増進法が施行されてからのほんのここ十数年のことにすぎない。それまではタバコがあることがむしろ常態だった。
 タバコもまた文化を築いてきた。だから一概に否定せず、喫煙の自由を大いに尊重すべきと朝日が説いたことがあるか。

 おまけに、
「自傷行為」
「自分を助けてほしいという心の泣き声」
「弱さの象徴」
ときた。
 いれずみをした者を、神聖不可侵な弱者サマの座に置いて批判を封じようという、いかにも朝日的な手法だ。

 では、朝日は、記者にいれずみを推奨してはどうか。
 あるいは、いれずみで苦労している者を記者に採用して、取材に当たらせてはどうか。
 心ならずも取材に応じさせられた 記者の意に沿うような発言を強要されたといった苦情がきっと出てくるだろう。
 あるいは、新聞販売店の拡張員にそうした者を雇えば、どういうことになるか。

 まあ、古くは羽織ゴロという言葉もあるように、元々新聞などというものは堅気の商売ではないのだもの、そうした擁護論に立つのもうなずける。

 小野や朝日が、いれずみを「入れてしまった人の側に立ちたい」のは彼らの自由だ。
 しかし、、いれずみを「入れてしまった人」によって脅かされる人々もいる。
 威圧感、あるいは恐怖感を覚え、心ならずも理不尽な要求に屈せざるを得ないこともあるだろう。
 そこまで至らずとも、不快感、嫌悪感を覚えることは多々あるだろう。
 私は、そうした大多数の普通の感覚の人々の側に立ちたい。

 いれずみに限らない。
 社会生活を送っていれば、さまざまな自称または他称「弱者」による理不尽な行動にさらされることがままあるはずだ。
 まっとうに生きているはずの私が、何故こんな目に遭わなければならないのだろう。いったいどちらが真の「弱者」なのだろうか。
 そうした思いにとらわれることもあるのではないか。

 いれずみが「自分を助けてほしいという心の泣き声」なら、親の子に対する虐待はどうか。
 DVはどうか。ストーカーはどうか。酔った上での暴行や痴漢はどうか。
 先の亀岡での暴走や難波での通り魔はどうか。
 あれらもまた「自分を助けてほしいという心の泣き声」のあらわれではないのか。
 だが、ならばそれらの被害者や遺族の「心の泣き声」はどうなる。

 私は、自分の弱さから平気で他者を傷つけ、迷惑をかけ、不快にさせる者の側よりは、そうした行為を否定し、そうした者を糾弾する側に立ちたい。



付記
 いれずみで検索していたら、興味深い記事を見つけた。英誌エコノミストからの翻訳。
「日本の入れ墨事情:大阪の将軍」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35344
コメント (2)