トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

「吉田調書」報道を生んだ朝日記者の発想

2014-09-24 08:30:02 | マスコミ
 一昨日の記事に続いて思ったこと。

 「吉田調書」報道を書いた木村英昭記者による早稲田大学ジャーナリズムスクールウェブマガジン「Spork」のインタビューでの発言を再掲する。

―事故から2年半以上経ちましたが誰にも責任が追求されていません。報道者としてどう思いますか。

 異常ですよね。原発事故は日本のジャーナリズムにとって2度目の敗北だと思います。一つは、戦争を止められなかった、アジアに侵略したということです。ジャーナリズムはここで一度敗北しています。今回は、結果として原子力発電所の事故を招いてしまったという意味で2度目の敗北です。原発事故は戦争と同じではないでしょうか。戦争の責任はだれも取っていませんよね。一億総懺悔という言葉がありました。国民みんなが悪いんだ、みなさん手を繋いで一緒に責任取りましょう、という。今回も誰も刑事責任を問われていません。これを許してしまっているのが僕たちですよね。ジャーナリズムはそれを許していいのでしょうか。


 「今回誰も刑事責任を問われていません」と述べているということは、前回、つまり先の戦争について刑事責任を問われるべき者がいたし、今回の原発事故についても刑事責任を問われるべき者がいると木村記者は考えているのだろう。
 そして、ジャーナリズムはそれを許すべきではない、と。

 戦争においていわゆる戦争犯罪が行われたのであれば、それは文字どおり犯罪であるから、当然刑事責任を問われる者がいることになる。
 また、A級戦犯が問われた「平和に対する罪」については、それを処罰する法的根拠が事後法であったという問題はあれど、例えば1928年の不戦条約で国際紛争を解決するための戦争は禁止されていたのだから、その種の戦争は違法なものであり刑事責任を問われるべきであるという理屈が成立するのはわかる。

 しかし、東日本大震災という天災によって起こった原発事故について、誰かが刑事責任を問われるべきであるとはどういうことなのだろうか。
 刑事責任を問われるべき行為、すなわち犯罪は、行為者の故意によることを原則としている。過失による犯罪は例外的にしか認められていない。そして、過失犯が認められるためには、過失による結果の発生が客観的に予見できたかどうか、予見できたとしたらその結果の発生を回避すべく行動を尽くしたかどうか、また行動を尽くしたとしたら結果の発生を回避できる可能性はあったかどうか、といったことが問題となる。

 東電幹部と事故当時首相だった菅直人らが市民団体により業務上過失致死傷などで刑事告訴・告発されたが、東京地検は昨年9月に全員を不起訴処分とした。
 これに対して市民団体は検察審査会に申し立て、審査会は今年7月、東電幹部3名を起訴相当と、また幹部1名を不起訴不当と議決した。これに従って東京地検はこの4名を再捜査しているという。東京地検が再度不起訴とし、審査会が再度3名は起訴すべきと結論すれば、3名は強制起訴されることになる。
 再捜査の結果かどうなるかはわからない。しかし、常識的に考えて、東電幹部や菅首相らに事故の予見可能性や結果回避義務違反があった――犯罪が成立するレベルで――と見るのは、およそ無理筋ではないかと私は思う。だから東京地検も不起訴にしたのだろう。

 にもかかわらず、木村記者は、結果が発生している以上、誰かが刑事責任を負うべきであると考えているかのようである。そこに過失があってこそ責任が発生するはずなのに、その因果関係を無視している。なにやら前近代的な、魔女狩りや人身御供を思わせる発想である。
 そして、ジャーナリズムは誰も刑事責任を問われていないことを許すべきではないと言うのだから、因果関係はどうあれ、誰かしらに責任を負わせるべく奮闘するのが真のジャーナリズムであるとでも考えているようである。

 こうした、はじめから誰かしらに責任ありきの発想であれば、なるほど今回の「吉田調書」のような報道が生じても全く不思議ではないだろう。
 警察や検察があらかじめ捜査上の見立てを決めてしまい、それに反する証拠を排除することにより、無罪判決やのちに冤罪が判明するケースが近年でも生じているが(その一端である大阪地検の検事による証拠捏造を暴いたのは朝日新聞による良質な調査報道だったと思うが)、新聞記者にも同じようなことをしていた者がいたわけだ。

 こうした発想と、それに基づく調査手法、そして報道が改められない限り、同じような事態は今後も起こることだろう。


戦争の責任は誰もとっていない?

2014-09-22 23:33:24 | マスコミ
 8月8日付朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」。

 地元漁師にまた苦汁をなめろと。福島第一で汚れた地下水を海に。コントロールできるところだけコントロール。

    ☆

 正直、公正、正義……。道徳の教科化で徳目復活。いずれ忠孝や義勇やらも? 公正や正義はまずは大人にこそ。

    ☆

 大虐殺から35年にして正義を勝ちとる。ポル・ポト派元幹部に終身刑。69年以上前の責任があいまいな国もあり。


 カンボジアでは大虐殺から35年も経ってしまったがようやく正義が実現した。しかるに69年以上前の責任をあいまいにし続けているわが国は何だと当てこすっている。

 不思議な反応だと思った。

 終身刑を下したカンボジア特別法廷はカンボジア一国が設けたものではない。国連の支援を受けた国際法廷であり、国連事務総長が指名した国際裁判官も参加している。
 国家による犯罪を国際的に裁く。この発想の源流は、言うまでもなく第二次世界大戦後に行われたニュルンベルク裁判と東京裁判にある。

 東京裁判ではA級戦犯7名が死刑に処せられた。また18名が禁錮刑に処され、うち4名が獄死した。裁判中にも2名が病死した。靖国神社はこの刑死7名、獄死4名、裁判中病死2名を「殉難者」と称して、戦死者と同様に合祀している。
 サンフランシスコ平和条約の条文には東京裁判を受諾するとある。わが国はこの条件の下で国際社会に復帰したのだ。にもかわらず首相や閣僚がA級戦犯を神として祀る靖国神社に参拝するのは、戦後の世界秩序に対する反逆を示すものであり国際的に許されないとするのが朝日新聞の社論であったはずである。

 とすれば、彼らによって責任はとられたということになるのではないのか。
 何をもって「責任をあいまいにし続けている」と言えるのか。

 そんな感想を抱いてからしばらくして、「政局観察日記」なるブログの9月12日付「朝日新聞社長の首を飛ばした木村英昭×宮崎知己ー3年半に渡った東電撤退問題の結末」という記事をたまたま読んで、いわゆる「吉田調書」報道を書いた木村英昭記者が早稲田大学ジャーナリズムスクールウェブマガジン「Spork」の2013年11月6日付のインタビューでこんなことを述べているのを知った。

―事故から2年半以上経ちましたが誰にも責任が追求されていません。報道者としてどう思いますか。

 異常ですよね。原発事故は日本のジャーナリズムにとって2度目の敗北だと思います。一つは、戦争を止められなかった、アジアに侵略したということです。ジャーナリズムはここで一度敗北しています。今回は、結果として原子力発電所の事故を招いてしまったという意味で2度目の敗北です。原発事故は戦争と同じではないでしょうか。戦争の責任はだれも取っていませんよね。一億総懺悔という言葉がありました。国民みんなが悪いんだ、みなさん手を繋いで一緒に責任取りましょう、という。今回も誰も刑事責任を問われていません。これを許してしまっているのが僕たちですよね。ジャーナリズムはそれを許していいのでしょうか。


 「戦争の責任はだれも取ってい」ない。
 こうした認識は朝日記者に共有されているのだろうか。

 裁かれたのは「平和に対する罪」を問われたA級戦犯だけではない。
 「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」を犯したBC級戦犯として、山下奉文や本間雅晴をはじめ約5700名が訴追され、約1000名が死刑判決を受けたという。
 また、起訴されなかったものの、岸信介や阿部信行、梨本宮、児玉誉士夫、笹川良一など数十名がA級戦犯として逮捕され、拘禁された。

 8月15日、陸相の阿南惟幾は自決した。16日には特攻の生みの親とされる大西瀧治郎・軍令部次長が自決した。『戦藻録』を残した宇垣纏・第5航空艦隊司令長官は15日に自ら米艦に特攻した。陸相や陸軍参謀総長を務めた杉山元は9月12日に自決し、夫人も後を追った。ほかにも数多くの軍人が自決したとされる。
 占領下で戦犯の逮捕が始まると、これに抵抗して自決した者もいた。東條内閣で厚相を務めた小泉親彦、文相を務めた橋田邦彦は自決した。東條英機も自決を図ったが失敗した。近衛文麿も自決した。
 滝川幸辰や美濃部達吉を攻撃した国粋主義の学者、蓑田胸喜は1946年1月に自殺した。

 さらに、占領軍によって公職追放が実施された。政界、官界、経済界、学界、言論界などにおいて大規模な追放が行われ、1948年5月までに追放者は20万名を超えたという。

 「戦争の責任はだれも取っていませんよね」などと何故言えるのか、不思議でならない。

 「今回も誰も刑事責任を問われていません」と木村記者は言っている。ということは前回、つまり満洲事変から大東亜戦争にかけての時期についても、誰も刑事責任を問われていなかったと考えていることになる。
 しかし、少なくとも戦犯として裁かれたり拘束されたりした人々は、刑事責任をとったと言えるのではないか。
 朝日の記者が戦犯の存在を知らぬはずもなかろうに。

 ならば、その戦争に協力した新聞の責任を彼らはどう考えるのだろうか。
 ジャーナリズムは一度敗北したと言うが、その敗北の責任を総括しないまま存続してきた大新聞社(今世紀に入ってからようやく総括らしきものを出したが)に身を置きながら、そうした発言をするのはおかしくないか。

 そういえば、先に挙げたように敗戦に際して軍人や政治家や学者が自決したとは聞くが、新聞人が自決したとか筆を折ったとかいう話は聞かない。
 新聞ほど――こんにちで言えばマスコミほど――「責任」という言葉から縁遠い業界も珍しいのではないかと思うが、彼らにそうした自覚はあるだろうか。
 「公正や正義はまずは大人にこそ。」と素粒子子は説くが、果たしてその「大人」に自らを含めていただろうか。