トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

実相寺昭雄氏死去

2006-11-30 23:09:34 | マンガ・アニメ・特撮
「ウルトラマン」「帝都物語」の実相寺昭雄さん死去(朝日新聞) - goo ニュース
 私はウルトラシリーズ以外の氏の仕事にはあまり詳しくないのだが、ちょっと確認してみたら、ウルトラシリーズでもそれほど多くの作品を残しているわけでもない。しかし、「マン」「セブン」のものは、いずれも印象的な作品ばかりだった。
 氏がいなければ、ウルトラシリーズはこんにちこれほどまでに評価されてはいなかったかもしれない。
 とは言い過ぎか。
 「シルバー仮面」がスカパーのファミリー劇場で始まったので、録画を始めたばかりでした。
 ご冥福をお祈りします。

大酒飲みは「自殺要注意」?

2006-11-29 00:23:56 | マスコミ
 また変な新聞記事が。

大酒飲みは「自殺要注意」 「3合以上」で2.3倍(朝日新聞) - goo ニュース

 ???
 何が2.3倍?
 普通に考えると、飲まない人の2.3倍か、全体の平均の2.3倍ではないかと思うのだが、記事によると「時々飲む人」の2.3倍なのだそうだ。

>酒量に応じ、全く飲まない人から1日3合以上飲む人まで6グループに分けて比べると、酒量が増えると自殺率が上がり、

と言うが、

>全く飲まない人の自殺率も1日3合以上グループとほぼ同じだった

何だそりゃ。

>が、自殺の危険性を高める重病を持ち、酒を飲めなかった人が含まれていたことが考えられるという。

「考えられる」だけなのか。なら、大酒飲みのグループについても、同様の重病を持っていたことが「考えられる」のではないだろうか。

>「最近あの人飲み過ぎでは……、そんな酒量の増えた人がいたら要注意。周囲の人の対処が必要」と言う。

 全く飲まない人にも注意しないといけないのでは。
 それに、酒量が増えた人が危険かどうかは、調査していないので何とも言えないのではないか。調査結果はあくまで、90~93年に1日3合以上飲んでいた40~65歳に自殺が多かったというだけなのだから。酒量の増減がどう影響しているかは、わからない。

 「1日3合以上」というのは毎日のことなのかな。毎日3合以上飲む人は、かなり社会生活に支障が出るのではないかと思う。そっちの影響の方が大きいのではないだろうか。

トラックバックの不調を陰謀だと唱える奇妙な人々

2006-11-28 23:55:27 | ブログ見聞録
 子路(komichi)という人の「嗚呼、負け犬の遠吠え日記(新館)」というブログに、「何故だ? 最近、どうもTBが不調のようです」という記事が載っている。同ブログからのトラックバックも、他のブログから同ブログに向けてのトラックバックも、届かないことが多くなっているそうだ。
 で、お仲間の間で、それが安倍政権の陰謀によるものではないかとかいう話になっているらしい。

 たしかに私もこのサイトにトラックバックを送って届かなかったことがあるが、私の経験上、別に反安倍サイトに限らず、そんなの親安倍サイトでも非政治的サイトでもよくあることなのだが。
 「いや、まさか・・・」とか言いつつ、そうだったら嬉しいなと考えているように思えてならない。

 この人はほかにも「This blog has only Japanese words!(笑)(過去ログ)
という記事で、英文のアダルトサイトのトラックバックを、ネットウヨクの仕業だとか何とか。
 そんなの、ウチのようなわけのわからんブログにもよく来ますから。
 自意識過剰にもホドがある。

 何でも陰謀に結びつけるのな。
 そういう人は、実は陰謀にあこがれて、陰謀で世の中を動かしたいと考えているのではないのかな。
 だから、そういう人が陰謀ができる立場に置かれたら、平気でそれをしてしまうのではないかな。例のタウンミーティングのように。
 そんな気がする。

ブログについてちょっと思ったこと

2006-11-25 23:49:09 | ブログ見聞録
 以前にも私のブログにコメントを下さった中畑さんが、いわれひこさんのブログに繰り返しいやがらせ?のコメントを送り続けているという。たまりかねたいわれひこさんが「中畑の書き込み保存所」なるエントリを設けた。

「みなさん、おばかなコメントをご覧下さい。わたしが見つけ次第削除していましたが、みなさんにも見ていただきたく、保存することにしました。
 この記事の趣旨は、中畑をYAHOOブログから排除することです。お見苦しい点は、ご勘弁下さい。中畑が消えるまで、ご協力をお願い申し上げます。」

だそうである。
 そのコメント欄で現在中畑さんといわれひこさんのコメントの応酬が続いている。
 私は過去の経緯はよく知らないのだが、このコメント欄を見る限りでも、中畑さんのコメントの顔アイコンをいわれひこさんが改竄し、しかもそのことを指摘されると「アイコン変えられた位で、涙目で怒るのは、かっこわるいです。ちょっとおちょくっただけなのに、泣きながら食らいついてくる奴は、嫌われるんですよ。」などと述べる点では、どう見てもいわれひこさんの方が分(ぶ)が悪いように思う。

 それはさておき、いわれひこさんの最初のエントリを読んで気付いたのだが、

「あなたがたのやっている、一文だけを引っ張り出しての指摘は、ちゃんとした議論ではありません。人の揚げ足をとるだけではなく、自分の意見を自分のブログで展開してみればいいのです。その賛同者を増やすことが、ブログの本来の機能です。
 人をよってたかって批判するのは、議論ではありません。」

とある。
 ブログの本来の機能というのは、賛同者を増やすことなのか?
 私は、ブログというのは、コミュニケーションのためのツールだと考えていた。自分の考えていることを他人に知ってもらい、他人の考えていることを教えてもらう。情報を交換する。意見に賛同することもあれば、反発することもある。様々な意見をやりとりする。そういったツールだと。従来のホームページでもそうしたことはできたのだが、初心者には少々敷居が高い。そこに初心者でも簡単に作れるブログが登場し、多くの人がこれに飛びついたと。
 いわれひこさんは、ブログをオルグの手段としか考えていないのではないか。ならば、賛同者を増やし、反対者は排除するというのも納得できる。
 しかし、ブログがインターネット上で公開されている以上、反対者に来るな見るなと言うのは不可能な話だ。反対意見の者が多数コメントすれば、それは「人をよってたかって批判する」ものと見えるかもしれない。しかし、それが自分の意見に対する他人の反応なのだから、それを一概に自分が単なる被害者であるかのように考え、反対意見の排除に狂奔する姿勢はどうかと思う(もちろん、「意見」の名に値しないような単なる暴言、罵倒のたぐいは排除して当然だが)。また、それならそれで、コメントを承認制にするとか、対策はいろいろあるはずで、こんなエントリを設けるのはかえって自分で自分の首を絞めてしまうことになりはしないか。
 いわれひこさんが批判を受けているのは、単に議論に応じないだけではなく、これまでの経緯もいろいろあるようだが、それについては詳しくないのでこれ以上触れない。

 あと、いわれひこさんによるコメントの1つに、

「本当に議論が目的なら、自分の意見を記事にして一ヶ月書いてみれば良いのです。それでブログ仲間ができれば、本物と認めましょう。それをしない限り、あなたとの議論は拒否します。当然、反日ブログ監視所関係の人との会話も拒否ですが。」

とある。
 中畑さんはどうあれ、反日ブログ監視所関係の人との会話は当然拒否なのだそうだ。
 私は以前、臓器移植に関する記事を自分のブログに書いたとき、いわれひこさんのブログにも臓器移植に関する記事があったのに気付き、トラックバックを送ったところ、次のような慇懃無礼なコメントをいただいた。

「せっかくトラバ頂きましたが、miracleのブログでお見かけした方かと思います。
 反日ブログ監視所関連の人とは、一切会話をする気持ちを持っていません。
 申し訳ありませんが、これで失礼いたします。 」

 確かに私は、miracleさんのブログにも、「反日ブログ監視所」にもコメントしたことがある。
 しかし、それをもって「関連の人」とはどういうことなのだろう。
 私はmiracleさんの意見に異論があることも多々あるし、「反日ブログ監視所」にはその姿勢自体に疑問がある。「特ア」という言葉も嫌いだ。
 しかし、あの方々は、少なくともここ1か月余りほど私が見る限りでは、ウソやデマは流さないし、異論・反論であってもちゃんとしたコメントは削除したりはしない。
 仮に私が彼らのブログより先にいわれひこさんの記事のいずれかに共感して好意的なコメントを寄せれていれば、私は「いわれひこさん関連の人」になるのだろうか。
 そうなった私が仮にmiracleさんのブログや「反日ブログ監視所」にいわれひこさんを擁護するようなコメントを投稿したとしよう。それが暴言や罵倒でない限り、削除されることもなく掲載され、おそらくは何らかのコメントが付くだろう。そう思わせるだけのものが、この人たちのブログにはあり、いわれひこさんや堀端勤さんにはない。それは要するに言論の自由の尊重であり、まともな社会人なら当然持ち合わせているはずの感覚だと思うのだが。

 ちょっとのつもりが、えらい長文になってしまった。
 

盧大統領の「朝鮮戦争は内戦」発言

2006-11-24 00:54:18 | 韓国・北朝鮮
盧武鉉大統領、「朝鮮戦争は内戦」 批判集中、北朝鮮の歴史観そのもの(産経新聞) - goo ニュース
 盧武鉉大統領がプノンペンでの在住韓国人との懇談の席上、「われわれは昔、植民地支配を受け、内戦も行うなど波乱も経験したが、」云々と、朝鮮戦争を「内戦」と呼んだことが韓国で問題になっているという。
 この人のこれまでの発言からするとさして不思議ではないが、「内戦」とまで呼んだことは初めてだったのだろう。図らずも本音が出てしまったというところか。

 朝鮮戦争は北朝鮮が韓国に侵攻したことから始まったのだが、北朝鮮は韓国が先に北侵したと主張し、ソ連や中国、それに日本の社会党などもそれを支持していた。しかし、旧ソ連のペレストロイカや中国の改革開放政策以後、それらの国からも北朝鮮が南侵したことが明らかにされ、韓国北侵説は国際的に通用しなくなった。そこで、北朝鮮に宥和的な西側の学者は、北朝鮮の南進を事実として認めつつも、朝鮮戦争は米国の南北戦争や英国中世のバラ戦争のような内戦であり、どちらが先に侵攻したかは問題ではなく、分断状況を生んだ関係諸国に責任があるなどと言い出した。盧武鉉も、このような認識を共有しているのだろう。

 米軍のイラク侵攻のころ、『朝日新聞』がある在日の主張を取り上げて、間接的に米国を批判する記事を載せたことがあったように思う。米国の参戦がなければ、朝鮮は統一されていた。米国の参戦により、南北分断が固定化された。今米軍がイラクに侵攻しようとしているが、これも悲惨な結果を生むだろう。米国は世界の紛争地に介入すべきではない、といった主張だったと記憶している。
 たしかに、米国が(正確には国連軍が)参戦しなければ、北朝鮮が半島を統一していただろう。その結果、半島の全住民が金父子の独裁下に呻吟することになったろう。在日も全て朝鮮総聯により支配されていただろう。そういう状態を望ましいと考える者も在日の中にはいるのだろうが、そういった想像力を及ぼさず、ただ米国を批判したいがためにそのような暴論まであたかも正論であるかのように取り上げて報じる朝日の姿勢に失望した記憶がある。

 やはり盧武鉉の北朝鮮認識は、核実験後も変わりないようだ。しかし韓国民は、違った方向に動きつつあるように思う。

「カムイ伝 第1部」を読み返して

2006-11-23 16:42:05 | マンガ・アニメ・特撮
 以前書いたように第2部が完結したので初めから読み返してみたが、さらに第1部の後半(ゴールデンコミックス版の13~21巻)も読み返してみた。最後に読んでからかなり年月が経ったので、忘れている箇所が多かった。
 最終巻である21巻に、この年、寛文2年に松平伊豆守信綱が死去したとある。これは史実だ。しかし、伊豆守は第2部にも登場し、活躍している。
 以前書いたように、寛文2年の2年前、万治3年(1660年)に、第2部で描かれている堀田正信の改易騒動があったので、第2部はこの年の前後を描いたものと推測していたのだが、上記のように第1部の終盤が寛文2年では、年代に矛盾が生じてしまう。
 また、第1部と第2部の双方に登場する名脇役に、竹間沢の庄屋という人物がいる。正助の住む花巻の庄屋とは対照的な良く出来た庄屋として描かれている。この人物が第2部に出てきたとき、第1部の終盤で拷問死したはずだが、記憶違いか見間違いかと不審に思った。今回第1部を読み返してみると、やはり間違いなく死んでいる。おそらく、それを忘れて第2部にも登場させてしまったのではないだろうか。
 「カムイ伝」にはこのように、昔のマンガらしく、アバウトな点も目に付く。

 しかし、作品全体にみなぎるパワーは、第2部の比ではない。一気に読み通してしまった。古い作品だが、未読の方には是非一読をお薦めする。

 ただ、この作品で描かれていることがどこまでリアルかとなると、また別問題だ。
 この作品を最初に読んだころは、まだ若かったので、テレビやマンガの時代物とのあまりの違いにショックを受け、これここそが真実の歴史なのだ、などと思ったものだ。
 だが、年をとるに従い、この作品の歴史観には多々疑問をもつようになった。
 簡単に言うと、一昔前の典型的な左翼の史観なのだ。身分制度が権力者によって作り出されたものだとか、農民とを常に対立状態に置いて矛先が武士に向かわないようにして統治するのだとか、武士は農民に対してやりたい放題だとか、常に権力側の策謀や弾圧により民衆の決起が崩されるとか・・・。
 しかし、これらは本当のことなのだろうか。そして当時の人々は、本作に見られるような社会観を本当にもっていたのだろうか。

 高島俊男『お言葉ですが・・・』の文春文庫版の4巻『広辞苑の神話』に、「江戸博士怒る」と題する文章がある。三田村鳶魚という明治生まれの江戸文化研究者が、当時の時代小説について、江戸時代の人間の生活感覚がまるでわかっていないとしてコテンパンにやっつけたことを紹介しているのだが、その中に次のような一節がある。土師清司の『青頭巾』という小説に
「将軍家慶の枕席に侍ったといつても、それは人身御供の乙女も同様だつた。たゞ男のいやらしさを知らされたゞけなのだつた」
とあるのに、三田村が、
「これは当時の人の心持、半日でも武家奉公をする女の心持、たとえ町人の子供であるにしても、それが一日でも半日でも武家奉公をする時、どういう心持でゐるか、又大奥の空気といふものがどういふものであつたか。彼等はそれを以て一大の光栄とし、一家の栄誉と考えて居つたのである。然るにこんなことを書いてゐるのは、書生つぽが、何も知らずに人道論か何かをやつてのける時の話で、時代と人心といふものについては、ちつとも顧慮するところの無い、馬車馬みたいな考へでなければ、かういふことは云はれない。」(注1)
などと批判しているというのだが、私はこの箇所を読んで、「カムイ伝」第1部の最初の方に出てくる、百姓娘オミネのエピソードを思い出した。
 オミネは、身分の差があるにもかかわらず、家老の息子草加竜之進(主人公の1人)と恋仲になる。だが暗愚な藩主に見そめられ、彼らの策謀によりオミネの父が年貢を納められなくなったため、オミネは藩主に侍らざるをえなくなる。藩主に犯され、絶望したオミネは、城の堀に身を投げる。藩主は激怒し、オミネの死体を刀で切り刻む。竜之進は藩主への復讐を誓う。
 ・・・というものだが、このエピソードについても、上記と同様のことが言えるのではないだろうか。
 
 三田村鳶魚については、歴史学者の山本博文の『鳶魚で江戸を読む』(中公文庫、2005)という本がある。山本が三田村の業績をもとに江戸時代を解説したものだが、同書で、山本は次のように述べている。
「筆者は、司馬遼太郎の幕末物を読むと、何とも言えぬ違和感に襲われる。もちろん、面白いし、よく調べているのであるが、登場人物の発言が何とも近代的なのである。この時代の人が言うわけもない内容を平気で話し、妙な人物が暗躍する。」(p.174)
 「カムイ伝」についても、同じことが言えると思う。
 フィクションはフィクションの楽しみがあるし、それはそれでよいのだが、フィクションを事実と混同してしまうことのないよう、常に留意したいものだ。

(注1:高島は総ルビで原文に忠実に引用しているのだが、このブログではルビが表示できないので、漢字のままでは意味を取りづらい箇所はひらがなに直すなど若干修正した)

現在の北朝鮮における党の位置づけ

2006-11-22 23:38:07 | 韓国・北朝鮮
 月刊誌『選択』の今月号に掲載されている「金正日の高笑いが聞こえる」という無署名記事(この雑誌の記事は原則無署名だが)が、北朝鮮の先軍政治の意味は誤解されていると主張している。
 金日成総合大学の副総長が最近『朝鮮時報』のインタビューで「軍隊は人民大衆の核心であり、独自の構成部分である」と述べたことを挙げ、
「先軍政治は、軍隊が社会を構成するひとつの主体と規定する概念なのである。つまり、軍は党に優先するのではなく、党が軍を支配構造の一部として組み入れたということである」
「したがって、軍が労働党の上に君臨した、という北朝鮮以外での一部専門家・学者等の見解は大きく間違っている」
と述べている。そして縷々、党員の厚遇ぶりや、北朝鮮における階層分類を説明している。
 本当だろうか。

 共産党(北朝鮮の支配政党は朝鮮労働党という名称だが、実質的には共産党)の組織の中核となるのが、中央委員会である。中央委員会は、中央委員及び中央委員候補によって構成され、定期的に中央委員会総会を開き、政策や人事などを承認する。中央委員会には様々な職務を担当する部局が置かれる。常設の最高指導部である政治局や書記局のメンバーも中央委員会総会で選出される。中央委員会総会のさらに上に党大会(より多くの党員が参加する)が位置づけられるが、数年に一度しか開かれないので、実質的には中央委員会が党の中核であると言える。
 実際には政治局や書記局のメンバーが、そして多くの場合彼らの中のトップとなる個人(旧ソ連では書記長、中国や北朝鮮では総書記、日本では幹部会委員長)が、上意下達で全てを支配しているのだが、形式的には中央委員会や党大会により民主的に党が運営されているとするのが、共産党独裁の特徴である。この点は、かつてのソ連共産党でも、現在の中国共産党でも、日本共産党でもほとんど変わらない(注1)(各国の共産党は元来、ソ連共産党の前身であるボリシェヴィキが世界革命のために設けたコミンテルンの支部であり、ボリシェヴィキの組織原理がそのまま踏襲された)。
 ところで、現在の朝鮮労働党はどうだろう。
 金日成の死後、党中央委員会総会は開かれていない。
 金正日は金日成の晩年、党の肩書き(政治局員兼書記)で報道されなくなった。党の役職を停止されたとの説がある。
 そして金日成の死から3年後の97年9月、金正日は各地の党組織により党総書記に推戴されたと報じられた。しかし、正確には「党中央委員会総書記」であるのに、単に「党総書記」と報じられたという。そして、その後金正日が総書記に就任したとの報道はない。そもそも総書記は中央委員会総会で選出されるべきものなのに、総会は開かれず、その後も開かれた形跡がない(なのに、マスコミはその後「金正日総書記」と報道している)。
 党最高指導部の人事の発表もない。現在、政治局員、政治局員候補、書記として報じられている人物は、ほとんどが金日成の生前に選出された者である。政治局や書記局の実質的な活動が行われているのかも、伝わってこない。
 これらのことから、先軍政治のスローガンの下、党の役割は金日成生前に比べ大きく低下しているという通説が正しいのではないかと、私は考えている。
 党組織が現在も存続しているのは事実なのだろう。そして、党員は核心階層なのだろう。中央委員会の各部局もそれなりの役割は果たしているのだろう。しかし、それ以上のレベルでの活動は行われていないのではないだろうか。
 98年に制定された現憲法では、「国家主権の最高軍事指導機関であり、全般的国防管理機関である」と規定されているにすぎない国防委員会が、事実上国家の最高機関として扱われている(憲法でも最高人民会議常任委員会の前に置かれている)ことからも、軍部の優位は明らかなのではないだろうか。
 ただ、完全な軍部独裁というわけでもないようだ(それならば、内政や外交にも軍人がもっと進出するはずだ)。従来に比べて軍部を優先しつつも、党・政府にもそれなりの役割を残しながら、金正日を中心とする曖昧模糊とした独裁が維持されているように思われる。
 中国の文革期の混乱状態に近いのではないかと思われる。ただ、そのような混乱状態が10年以上ももつだろうかと疑問にも思う(最高人民会議が開かれずに国家予算が決められない時期もあったし、経済運営上、○か年計画といった計画が必要なはずだが、これも金日成の死後は明らかにされていない)。その点については、歴代の朝鮮王朝の支配形態との類似性から説明がつくのではないかと最近考えている。

注1 日本共産党では、志井幹部会委員長の上に不破哲三が中央委員会議長として事実上の院政を敷いていた。これは、不破が委員長の時代に前委員長の宮本顕治が中央委員会議長として同様に院政を敷いていたのにならったもの。今年に入って不破は議長を退任した(現在議長は空席)が、常任幹部会委員には残留し、なお影響力を残している。

核兵器「持ち込ませず」見直しの検討も許さないのか

2006-11-19 02:00:15 | 現代日本政治
社民・福島党首、久間防衛長官の罷免要求(読売新聞) - goo ニュース

 記事は短いものなので、以下に全文を引用する。

「社民党の福島党首は18日、那覇市内で記者会見し、久間防衛長官が核兵器を搭載した米軍艦船の領海内航行の是非を改めて検討するよう求めたことについて「現職の防衛長官が非核3原則を破壊する発言をしたことに強い怒りを感じる。久間氏は防衛長官の資格はなく、4野党で罷免を要求していく」と述べた。
 民主党の鳩山幹事長も同日、同市内の街頭演説で「(久間氏の見解は)日本政府の見解とは全く違う。閣内不統一の発言であることは間違いない」と強調した。 」

 非核3原則のうちの「持ち込ませず」については、3原則を言い出した当初は、米国の核兵器を日本の領土上に配備、貯蔵させないとの意味で、艦船への搭載は想定されていなかったと佐瀬昌盛が『産経新聞』で書いている
「が、数年すると、核は米艦艇に積まれる時代になった。そこで核搭載米艦艇の日本一時寄港や領海通過も「持ち込み」だと野党が騒いだ。国会審議での事なかれ主義に徹した政府は屈従、それも「持ち込み」だから許されないと拡大解釈を採用した。そして米艦艇は一時寄港、領海通過の前に核兵器をどこかへ降ろしてくるので、非核三原則は守られる、と説明した。」
のだそうだ。

 非核3原則は国是であるとよく言われるが、国是とは何だろう。少なくとも非核3原則については、法的な根拠はなく、単に佐藤内閣以降の歴代政府が守らなければならないとしてきた原則にすぎない。それは日本を取り巻く国際情勢の変化に対応して変えてはならないほどのものなのか。
 米軍艦船の核兵器持ち込みについては、これまでも曖昧さが指摘されていた。この際、寄港・航行を正式に認めて、3原則を本来の趣旨に修正することが望ましいのではないだろうか。それを検討すると述べただけで、罷免を要求するという感覚は理解しがたい。

堀端勤さんはこんな人

2006-11-18 01:16:13 | ブログ見聞録
 以前、「「ブロガー新党」なるものを僭称する輩」という記事やその続報などで、堀端勤さんというブロガーについて取り上げた。自分のブログで、私のコメントとトラックバックを削除した方だ。
 以前にも書いたように、この人は、「お互いページを解説してる者同志なら、互いのページで正々堂々と主張を戦わす事で競えばいいのですが、」云々と、他のコメントを削除された人に対して述べていたから、私は自分のブログに記事を書いてトラックバックを送ったのに、それをも削除した。私はこのことに未だ納得していない。
 これも以前に少し書いたが、この人は、「もしページを開設されていない方でブロガー新党に意見有り!と言う方は、是非ゲストブックを活用してください。個人的に堀端と意見を戦わせたい!堀端さんと言えない様な悩みやブログでの問題提起をしたい方はゲストブックに連絡先等を入れてもらって「内緒」のキーを押してもらって送ってもらえば出来る限り議論には応じるつもりです。何故ならばブロガー新党は日本で一番開かれた党です。」云々とも述べている。
 そこで、今月15日晩、この人のブログのゲストブックに「内緒」で以下のような投稿をした。

(以下引用)

 以前、あなたの記事「北朝鮮核実験に対する「ブロガー新党」からの緊急声明について」に付けたコメントとトラックバックを削除された深沢明人という者です。それに抗議した私からのコメントとトラックバックは残しておられるようですが、それに対するリアクションがありませんね。あれからひと月ほど経ちましたが、このまま終わらせるつもりのようですね。
 コメントはともかく、トラックバックの削除については、あなたが上記の記事のコメントで自ら「お互いページを解説してる者同志なら、互いのページで正々堂々と主張を戦わす事で競えばいいのですが」と述べているから、私は自分のブログに記事を書いてトラックバックを送ったのに、それを削除されたわけですから、納得できません。何故削除したのか、そしてあなたの上記の主張と削除という行為との齟齬についてどう考えるのか、説明を求めます。
 また、私があなたの記事に付けた最初のコメントとその趣旨を、私のブログの10月15日の「「ブロガー新党」なるものを僭称する輩」という記事に掲載しておりますので、どうぞ意見を付けていただきたいと思います。
 同じくあなたの上記の記事のコメントに「個人的に堀端と意見を戦わせたい!堀端さんと言えない様な悩みやブログでの問題提起をしたい方はゲストブックに連絡先等を入れてもらって「内緒」のキーを押してもらって送ってもらえば出来る限り議論には応じるつもりです。」とあるのに従って、今回はゲストブックに記入して内緒にチェックを付します。しかし、なんでこんな話をゲストブックに、しかも内緒でしなければならないのかさっぱりわかりません。あなたの対応次第では私のブログで公開します。
 前回のように文章を圧縮すると、変に誤解される可能性もあると思い、今回は複数の投稿にさせていただきました。長文でご迷惑だと思いますが、YAHOO!ブログの仕様と、あなたがゲストブックに投稿せよと述べたためでもありますので。
 なお、私のブログのアドレスは、http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/ です。

(引用終わり。なお、この人が使っているYAHOO!ブログの字数制限のため、5回に分けて投稿した)

 17日晩、この人のブログを訪れ、ログインしてゲストブックを見てみると、私の投稿は全て削除されていた。
 これが、この人のやり方なのだ。
 自分で、このようにしていただいたらこうしますと述べておきながら、相手がそのとおりにしてもまともに対応せず、ただ削除を繰り返すのみ。世間的には、こういう人を「嘘つき」と言うのではないだろうか。
 「内緒」で投稿したということは、その文章は私とこの人しか見られないということだ。そこでどのような意見の応酬があっても、他の人がそれを見ることはない。そのような状況にありながら、その投稿すら削除する。その削除という行為が相手にどういった印象を与えるか、そして相手がそれを受けてどのように行動するか。そういうことにまで思い至らないのだろうか。これほど度しがたいとは思わなかった。

「信じられない不当介入、議席買収」?

2006-11-17 00:21:29 | 現代日本政治
教育基本法改正案、衆院特別委で可決 沖縄知事選のリスク覚悟 最後は政策優先(産経新聞) - goo ニュース
記事中にこうある。

「自民党の山本拓農水副大臣が午前、国民新党の糸川正晃氏に対し、法案の採決に協力する見返りに、自民党への入党を持ちかけた-との疑惑が浮上したのだ。山本氏は疑惑を否定しているが、鳩山氏は「信じられない不当介入、議席買収だ」として、山本氏の罷免を求める考えを示した。」

 朝日にも同様の記事が出ている。山本拓議員は疑惑を否定しているようだが、仮にその話があったとして、何故「信じられない不当介入、議席買収」と言えるのか疑問だ。糸川議員がそういう形での自民党入りを望まないなら、拒絶すればそれで済む話ではないのか。たしかに失礼な話ではあるが、与党も法案を通したいのは当然で、必ずしも不当とは言えないのではないか。ましてや、他党の鳩山が何をいきり立っているのか理解しがたい。

 私は、自民党の一党優位体制を必ずしも好ましいとは思っていない。できれば、政権交代可能な二大政党制が望ましいと思っており、その意味で民主党にはこれまで大いに期待してきた。国政選挙で民主党に投票したことも何度もある。しかし、前原誠司の代表辞任後、後任に小沢一郎が就任したことに、私は大きく失望した。そして、もう見飽きた鳩山、菅とトロイカを組むとは。
 小沢、鳩山、菅といえば、13年前の細川政権のころから非自民勢力の中枢で活動してきた者たちだ。そして、3人とも一度は自民党と連立を組み、その延命に手を貸した前歴を持つ者たちでもある。岡田、前原といった若手?が失敗したからといって、そんな人々を看板に出さざるを得ない民主党。そしてその小沢執行部を無定見にもてはやすマスコミ・・・。
 16日のNHKの「ニュース9」では、小沢の鶴の一声で、この教育基本法改正案への審議拒否が決まったと報じていた。今は亡き社会党は、「万年野党」と呼ばれていたものだが、このままでは民主党も同じ道を歩むのではないかと、気がかりでならない。