以前にも私のブログにコメントを下さった中畑さんが、いわれひこさんのブログに繰り返しいやがらせ?のコメントを送り続けているという。たまりかねたいわれひこさんが「
中畑の書き込み保存所」なるエントリを設けた。
「みなさん、おばかなコメントをご覧下さい。わたしが見つけ次第削除していましたが、みなさんにも見ていただきたく、保存することにしました。
この記事の趣旨は、中畑をYAHOOブログから排除することです。お見苦しい点は、ご勘弁下さい。中畑が消えるまで、ご協力をお願い申し上げます。」
だそうである。
そのコメント欄で現在中畑さんといわれひこさんのコメントの応酬が続いている。
私は過去の経緯はよく知らないのだが、このコメント欄を見る限りでも、中畑さんのコメントの顔アイコンをいわれひこさんが改竄し、しかもそのことを指摘されると「アイコン変えられた位で、涙目で怒るのは、かっこわるいです。ちょっとおちょくっただけなのに、泣きながら食らいついてくる奴は、嫌われるんですよ。」などと述べる点では、どう見てもいわれひこさんの方が分(ぶ)が悪いように思う。
それはさておき、いわれひこさんの最初のエントリを読んで気付いたのだが、
「あなたがたのやっている、一文だけを引っ張り出しての指摘は、ちゃんとした議論ではありません。人の揚げ足をとるだけではなく、自分の意見を自分のブログで展開してみればいいのです。その賛同者を増やすことが、ブログの本来の機能です。
人をよってたかって批判するのは、議論ではありません。」
とある。
ブログの本来の機能というのは、賛同者を増やすことなのか?
私は、ブログというのは、コミュニケーションのためのツールだと考えていた。自分の考えていることを他人に知ってもらい、他人の考えていることを教えてもらう。情報を交換する。意見に賛同することもあれば、反発することもある。様々な意見をやりとりする。そういったツールだと。従来のホームページでもそうしたことはできたのだが、初心者には少々敷居が高い。そこに初心者でも簡単に作れるブログが登場し、多くの人がこれに飛びついたと。
いわれひこさんは、ブログをオルグの手段としか考えていないのではないか。ならば、賛同者を増やし、反対者は排除するというのも納得できる。
しかし、ブログがインターネット上で公開されている以上、反対者に来るな見るなと言うのは不可能な話だ。反対意見の者が多数コメントすれば、それは「人をよってたかって批判する」ものと見えるかもしれない。しかし、それが自分の意見に対する他人の反応なのだから、それを一概に自分が単なる被害者であるかのように考え、反対意見の排除に狂奔する姿勢はどうかと思う(もちろん、「意見」の名に値しないような単なる暴言、罵倒のたぐいは排除して当然だが)。また、それならそれで、コメントを承認制にするとか、対策はいろいろあるはずで、こんなエントリを設けるのはかえって自分で自分の首を絞めてしまうことになりはしないか。
いわれひこさんが批判を受けているのは、単に議論に応じないだけではなく、これまでの経緯もいろいろあるようだが、それについては詳しくないのでこれ以上触れない。
あと、いわれひこさんによるコメントの1つに、
「本当に議論が目的なら、自分の意見を記事にして一ヶ月書いてみれば良いのです。それでブログ仲間ができれば、本物と認めましょう。それをしない限り、あなたとの議論は拒否します。当然、反日ブログ監視所関係の人との会話も拒否ですが。」
とある。
中畑さんはどうあれ、反日ブログ監視所関係の人との会話は当然拒否なのだそうだ。
私は以前、
臓器移植に関する記事を自分のブログに書いたとき、いわれひこさんのブログにも臓器移植に関する記事があったのに気付き、トラックバックを送ったところ、次のような慇懃無礼なコメントをいただいた。
「せっかくトラバ頂きましたが、miracleのブログでお見かけした方かと思います。
反日ブログ監視所関連の人とは、一切会話をする気持ちを持っていません。
申し訳ありませんが、これで失礼いたします。 」
確かに私は、miracleさんのブログにも、「反日ブログ監視所」にもコメントしたことがある。
しかし、それをもって「関連の人」とはどういうことなのだろう。
私はmiracleさんの意見に異論があることも多々あるし、「反日ブログ監視所」にはその姿勢自体に疑問がある。「特ア」という言葉も嫌いだ。
しかし、あの方々は、少なくともここ1か月余りほど私が見る限りでは、ウソやデマは流さないし、異論・反論であってもちゃんとしたコメントは削除したりはしない。
仮に私が彼らのブログより先にいわれひこさんの記事のいずれかに共感して好意的なコメントを寄せれていれば、私は「いわれひこさん関連の人」になるのだろうか。
そうなった私が仮にmiracleさんのブログや「反日ブログ監視所」にいわれひこさんを擁護するようなコメントを投稿したとしよう。それが暴言や罵倒でない限り、削除されることもなく掲載され、おそらくは何らかのコメントが付くだろう。そう思わせるだけのものが、この人たちのブログにはあり、いわれひこさんや
堀端勤さんにはない。それは要するに言論の自由の尊重であり、まともな社会人なら当然持ち合わせているはずの感覚だと思うのだが。
ちょっとのつもりが、えらい長文になってしまった。