無宗ださんが、「「ジミンガー」の起源 (書くつもりのなかったこと)」という記事で、江藤淳『忘れたことと忘れさせられたこと』(文春文庫版)から「一億総懺悔」についての記述を引用している。
それをきっかけに、私も『忘れたことと忘れさせられたこと』の該当箇所を読み返してみて、思うところがあったので書き留めておく。
(この記事自体にもいくつか思うところはあるが、ここでは触れない)
江藤は、占領当初、日本人にとっての最大の課題は国内分裂の回避であった、そのことは9月5日に貴衆両院で行われた東久邇首相宮の施政方針演説とそれに対する新聞の反応に明瞭に現れていると説き、まず9月6日付朝日新聞が伝えた演説内容から次の箇所を引用している(太字は江藤が強調のため傍点を振っている箇所。以下同じ)。
そして江藤は次に、同日の「天声人語」から以下の箇所を引用する。
そして、無宗ださんが引用したように、江藤は次のように述べる。
ところで、「一億総懺悔」とはどういう意味だろうか。
まず「一億」とは何か。
これは「日本人全体」の意味だ。当時のわが国の人口を指している。
もっとも、実際は本土だけでは一億には及ばなかった、朝鮮や台湾を加えての概数が一億だったと聞く。
戦時中も「一億一心」や「進め一億火の玉だ」といったスローガンが叫ばれた。
では「懺悔」とは何を意味するのだろう。
全日本人が、誰に何を懺悔するのだろう。
連合国に逆らって申し訳ありませんでした、もうしませんと懺悔するのだろうか。
それとも、中国や朝鮮、東南アジアの人々に、迷惑をかけてすみませんでしたと懺悔するのだろうか。
もちろんどちらでもない。
東久邇宮の演説にあるとおり、「神前に」懺悔するのである。
我々が至らなかったために、敗戦という結果に至りました、申し訳ございませんと天皇陛下に懺悔するのである。
私はこの東久邇宮の演説を読んで、違和感を禁じ得ない。
「誰を責め、何を咎むることもない」のに「国民尽(ことごと)く、静に反省する所がなければならない」とはどういうことなのだろうか。
「神前に、一切の邪心を洗ひ浄め」「心を新たにして」と、まるで神社に参拝でもしているようである。
「反省」と言い、「懺悔」と言うが、これはポーズにすぎないのではないか。
誰か(自分も含め)を責め、何かを咎めることなしに、どうやって「過去をもつて将来の誡(いまし)めとな」すことができるというのだろうか。
「その方法に於て過を犯し、適切を欠いたものも尠しとせず、その努力において、悉く適当であつたと謂ひ得ざりし面もあった」としながらも、「あらゆる困苦欠乏に耐へて参つた一億国民の敢闘の意力、この尽忠の精神力こそは」「永く記憶せらるべき民族の底力である」と讃える。
精神力だけでは勝てなかった、むしろその精神主義が敗北の一因ではないかとも考えられるというのに。
陛下をしぶしぶ戦争に御同意させておきながら、「有難き大御心に感奮し」「愈々決意を新たにして将来の平和的文化的日本の建設に向って邁進」するという。
戦時中、「平和的文化的日本の建設」を志向する者はどのように扱われてきたと思っているのか。
よくもまあ、いとも簡単に「決意を新たに」できるものだ。
「全国民が尽く一つ心に融和し、挙国一家、力を戮せて不断の精進努力に徹するならば」「帝国の前途はやがて洋々として開けることを固く信じて疑はぬ」
これもまた精神主義の現れではないのか。「一億一心」や「進め一億火の玉だ」を裏返しにしたにすぎないのではないか。
「かくしてこそ始めて」「戦線銃後に散華殉職せられたる幾十万の忠魂に応へ得るものと信ずる」
本当にそうだろうか。
わが国は何故敗れたのか。
何がどう悪かったのか。
今後同じ過ちを繰り返さないためにはどうすればいいのか。
そうした検討を抜きにして、ただただ「挙国一家」で再生を図ると言いつのる。
それが本当に戦没者の魂に応えることになるのだろうか。
そりゃあ指導者層にとっては都合のいい話だろう。
しかしそれでは、何の教訓も得ていないということにならないか。
それならば結局、また同じ過ちを繰り返しても不思議ではないことになる。
それが本当に戦没者の魂に応えることになるのだろうか。
天声人語は言う。
「首相宮殿下の御言葉の通り敗戦の責任は国民斉しくこれを負荷すべきである」
なるほど国民各階層もまた戦争を支持した。
したがって指導者のみに責任を押しつけては片手落ちだろう。
しかし、一般の国民と、戦時体制下の中堅層と、国家の指導者層では、責任のあり方は当然異なるのではないか。
それを「責任は国民斉しくこれを負荷すべきである」などとどうして言えるのだろうか。
それは、人語子をはじめとする新聞人もまた、東久邇宮稔彦王をはじめとする国家の指導者層と、同じ穴のムジナだったからではなかったか。
江藤は言う。
「「一億総懺悔」とは、決して責任回避のいいのがれではなく」「国民に対して「挙国一家」の「民族の総結集」」「を呼びかけた言葉だった」
東久邇宮や人語子の主観としてはそうした要素もあったのだろう。
しかし私は、彼らにはそもそも、責任回避も何も、責任という観念自体が希薄だったのではないかと思えてならない。
仮に責任という観念があったとしても、それは天皇に対するものであり、国民に対してではなかったのではないかと思えてならない。
当時の指導者層の感覚からすれば、国民は、
「進め一億火の玉だ」
と言われればそれに従い、
「一億総懺悔」
「決意を新たにして将来の平和的文化的日本の建設に向って邁進」
と言われればまたそれに従うものと思われていたのではないか。
所詮手駒としか見られていなかったのではないか。
ちなみに、明治憲法の下では国家無答責、すなわち、国は国民に対して不法行為をはたらいたとしても、損害賠償責任を負わないとされていた。
東久邇宮内閣には近衛文麿が無任所相として加わっている。
これは、挙国一致を図るため、重臣代表として加えられたらしい。
しかし、日中戦争から太平洋戦争開戦に至る過程において、近衛が東條英機に次ぐ(あるいは東條以上の)責任者であったことは明白だろう。
そうした人物を入閣させたということは、当時の指導者層が戦争責任(連合国に対する責任だけでなく、わが国民に対する責任)というものをいかに甘く見ていたかを意味している。
江藤は言う。
「「天声人語」の論調は、新聞が首相宮の真意をよく汲みとり、国民に強く結束を訴えていたことを明示している」
それは当たり前だろう。先に述べたように、新聞人も指導者層と同じ穴のムジナだったのだから。さんざん戦争を鼓舞したのだから。
人語子は言う。
「その責任の感じ方、または引責の方法についての考へ方は、各人に信ずるところがあり、それを、とやかくあげつらふべきでない」
そりゃあそうだろう。何しろ自分のことなのだから。
戦争末期に至って、戦局不利が明らかなのに、さんざん徹底抗戦を唱えつづけたんだもの、その責任をどう取るのかと迫られたっておかしくない。
阿南惟幾、大西瀧治郎、宇垣纏その他自決した軍人は多数いる。
オマエラはどうなのかと問われれば、自決する覚悟などサラサラない以上、「考へ方は、各人に信ずるところがあり、それを、とやかくあげつらふべきでない」と弁明する以外にないだろう。
それにしても、「退いて責を引くよりも、進んで、今後の難事に献身すべきであるといふ論もたつ」とは!
こんなものを肯定的に評価する江藤はどうかしている。
そういえば、敗戦に伴って軍人や政治家や学者が自決したとは聞くが、新聞人が自決したという話は聞かないなあ。
無宗ださんは先の記事で述べている。
しかし、わが国の挙国一致体制とは、単なる戦時体制にすぎない。
戦時に挙国一致体制がとられるのはしばしばあることであり、何もわが国に限ったことではない。
そして、わが国が伝統的に挙国一致体制をとってきたわけではもちろんない。
政党間の争い、藩閥と政党の争い、西南戦争、戊辰戦争、長州征伐、もっと遡れば戦国時代、南北朝時代、源平の争い、貴族間の争い……。
そんなわが国の歴史の中のほんのひとときでしかない挙国一致体制(戦時体制)を何やらわが国の伝統文化の産物であるかのように誤解し、それを破壊したとして米国を非難する。
実に愚かしい。
敗戦と占領というわが国史上かつてない事態に至ってもなお、「誰を責め、何を咎むることもな」く、なあなあで「挙国一家」で再建を図るという。
私はそんなものがわが国の伝統文化だとは全く思わないが、仮にそうだとしても、そんなものは破壊されても何ら惜しいとは思わない。
わが国は合理的精神を取り入れ、近代化を果たした。それこそが先人から引き継ぐべき遺産だろう。
それをきっかけに、私も『忘れたことと忘れさせられたこと』の該当箇所を読み返してみて、思うところがあったので書き留めておく。
(この記事自体にもいくつか思うところはあるが、ここでは触れない)
江藤は、占領当初、日本人にとっての最大の課題は国内分裂の回避であった、そのことは9月5日に貴衆両院で行われた東久邇首相宮の施政方針演説とそれに対する新聞の反応に明瞭に現れていると説き、まず9月6日付朝日新聞が伝えた演説内容から次の箇所を引用している(太字は江藤が強調のため傍点を振っている箇所。以下同じ)。
(前略)敗戦のよつて来る所は、もとより一にして止らず、後世史家の慎重なる研究批判に俟つべきであり、今日われわれが徒に過去に遡つて、誰を責め、何を咎むることもないのであるが、前線も銃後も、軍も官も民も、国民尽く、静に反省する所がなければならない。我々は今こそ総懺悔し、神前に、一切の邪心を洗ひ浄め、過去をもつて将来の誡めとなし、心を新たにして、戦の日にも増して、挙国一家乏しきを分ち、苦しきを労り、温き心に相援け、相携へて、各々その本分に最善を尽し、来るべき苦難の途を踏み越えて帝国将来の進退を開くべきである。征戦四年、忠勇なる陸海の精強は、酷寒を凌ぎ、炎熱を冒し、つぶさに辛酸をなめて、勇戦敢闘し、官吏は寝食を忘れて、その職務に尽瘁し、銃後国民は協心尽力、一意戦力増強の職域に挺身し、挙国一体、皇国は、その総力を戦争目的の完遂に傾けて参つた。もとよりその方法に於て過を犯し、適切を欠いたものも尠しとせず、その努力において、悉く適当であつたと謂ひ得ざりし面もあつた。然しながら、あらゆる困苦欠乏に耐へて参つた一億国民の敢闘の意力、この尽忠の精神力こそは、敗れたりとはいへ、永く記憶せらるべき民族の底力である。(中略)
洵に畏れ多い極みであるが、「朕ハ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」とおほせられた。この有難き大御心に感奮し、我々は愈々決意を新たにして将来の平和的文化的日本の建設に向つて邁進せねばならぬと信ずるのであつて、全国民が尽く一つ心に融和し、挙国一家、力を戮せて不断の精進努力に徹するならば、私は、帝国の前途はやがて洋々として開けることを固く信じて疑はぬ次第である。かくしてこそ始めて、宸襟を安んじ奉り、戦線銃後に散華殉職せられたる幾十万の忠魂に応へ得るものと信ずるのである
そして江藤は次に、同日の「天声人語」から以下の箇所を引用する。
▼東久邇首相宮殿下には、切々数千言をもって大東亜戦争の結末にいたる経過と敗戦の因って来る所以を委曲説述され、今後の平和日本創建の方途を示された▼『敗戦の因つて来る所は、もとより一にして止らず、今日われわれが徒らに過去に遡つて誰を責め、何を咎むることもないが、前線も銃後も、軍も官も民も国民尽く、静に反省する所がなければならぬ』▼この首相宮殿下の御言葉の通り敗戦の責任は国民斉しくこれを負荷すべきである▼ただこの大なる責任に対して、何をもつて酬ゆべきか、刃をもつて自ら命を絶ち罪を天下にわびるものもあつた。また黙して、その職を退くのも責を引く途といへるであらう▼退いて責を引くよりも、進んで、今後の難事に献身すべきであるといふ論もたつ▼この重大事に直面して責任を身に犇犇と感じないものは日本国民、一人としてあるはずがない。その責任の感じ方、または引責の方法についての考へ方は、各人に信ずるところがあり、それを、とやかくあげつらふべきでない(下略)
そして、無宗ださんが引用したように、江藤は次のように述べる。
つまり、のちに嘲笑の的となった「一億総懺悔」とは、決して責任回避のいいのがれではなく、占領の開始という新事態に直面した政府が、国民に対して「挙国一家」の「民族の総結集」(九月六日付・『終戦議会録音』)を呼びかけた言葉だったのである。そして「天声人語」の論調は、新聞が首相宮の真意をよく汲みとり、国民に強く結束を訴えていたことを明示している。
ところで、「一億総懺悔」とはどういう意味だろうか。
まず「一億」とは何か。
これは「日本人全体」の意味だ。当時のわが国の人口を指している。
もっとも、実際は本土だけでは一億には及ばなかった、朝鮮や台湾を加えての概数が一億だったと聞く。
戦時中も「一億一心」や「進め一億火の玉だ」といったスローガンが叫ばれた。
では「懺悔」とは何を意味するのだろう。
全日本人が、誰に何を懺悔するのだろう。
連合国に逆らって申し訳ありませんでした、もうしませんと懺悔するのだろうか。
それとも、中国や朝鮮、東南アジアの人々に、迷惑をかけてすみませんでしたと懺悔するのだろうか。
もちろんどちらでもない。
東久邇宮の演説にあるとおり、「神前に」懺悔するのである。
我々が至らなかったために、敗戦という結果に至りました、申し訳ございませんと天皇陛下に懺悔するのである。
私はこの東久邇宮の演説を読んで、違和感を禁じ得ない。
「誰を責め、何を咎むることもない」のに「国民尽(ことごと)く、静に反省する所がなければならない」とはどういうことなのだろうか。
「神前に、一切の邪心を洗ひ浄め」「心を新たにして」と、まるで神社に参拝でもしているようである。
「反省」と言い、「懺悔」と言うが、これはポーズにすぎないのではないか。
誰か(自分も含め)を責め、何かを咎めることなしに、どうやって「過去をもつて将来の誡(いまし)めとな」すことができるというのだろうか。
「その方法に於て過を犯し、適切を欠いたものも尠しとせず、その努力において、悉く適当であつたと謂ひ得ざりし面もあった」としながらも、「あらゆる困苦欠乏に耐へて参つた一億国民の敢闘の意力、この尽忠の精神力こそは」「永く記憶せらるべき民族の底力である」と讃える。
精神力だけでは勝てなかった、むしろその精神主義が敗北の一因ではないかとも考えられるというのに。
陛下をしぶしぶ戦争に御同意させておきながら、「有難き大御心に感奮し」「愈々決意を新たにして将来の平和的文化的日本の建設に向って邁進」するという。
戦時中、「平和的文化的日本の建設」を志向する者はどのように扱われてきたと思っているのか。
よくもまあ、いとも簡単に「決意を新たに」できるものだ。
「全国民が尽く一つ心に融和し、挙国一家、力を戮せて不断の精進努力に徹するならば」「帝国の前途はやがて洋々として開けることを固く信じて疑はぬ」
これもまた精神主義の現れではないのか。「一億一心」や「進め一億火の玉だ」を裏返しにしたにすぎないのではないか。
「かくしてこそ始めて」「戦線銃後に散華殉職せられたる幾十万の忠魂に応へ得るものと信ずる」
本当にそうだろうか。
わが国は何故敗れたのか。
何がどう悪かったのか。
今後同じ過ちを繰り返さないためにはどうすればいいのか。
そうした検討を抜きにして、ただただ「挙国一家」で再生を図ると言いつのる。
それが本当に戦没者の魂に応えることになるのだろうか。
そりゃあ指導者層にとっては都合のいい話だろう。
しかしそれでは、何の教訓も得ていないということにならないか。
それならば結局、また同じ過ちを繰り返しても不思議ではないことになる。
それが本当に戦没者の魂に応えることになるのだろうか。
天声人語は言う。
「首相宮殿下の御言葉の通り敗戦の責任は国民斉しくこれを負荷すべきである」
なるほど国民各階層もまた戦争を支持した。
したがって指導者のみに責任を押しつけては片手落ちだろう。
しかし、一般の国民と、戦時体制下の中堅層と、国家の指導者層では、責任のあり方は当然異なるのではないか。
それを「責任は国民斉しくこれを負荷すべきである」などとどうして言えるのだろうか。
それは、人語子をはじめとする新聞人もまた、東久邇宮稔彦王をはじめとする国家の指導者層と、同じ穴のムジナだったからではなかったか。
江藤は言う。
「「一億総懺悔」とは、決して責任回避のいいのがれではなく」「国民に対して「挙国一家」の「民族の総結集」」「を呼びかけた言葉だった」
東久邇宮や人語子の主観としてはそうした要素もあったのだろう。
しかし私は、彼らにはそもそも、責任回避も何も、責任という観念自体が希薄だったのではないかと思えてならない。
仮に責任という観念があったとしても、それは天皇に対するものであり、国民に対してではなかったのではないかと思えてならない。
当時の指導者層の感覚からすれば、国民は、
「進め一億火の玉だ」
と言われればそれに従い、
「一億総懺悔」
「決意を新たにして将来の平和的文化的日本の建設に向って邁進」
と言われればまたそれに従うものと思われていたのではないか。
所詮手駒としか見られていなかったのではないか。
ちなみに、明治憲法の下では国家無答責、すなわち、国は国民に対して不法行為をはたらいたとしても、損害賠償責任を負わないとされていた。
東久邇宮内閣には近衛文麿が無任所相として加わっている。
これは、挙国一致を図るため、重臣代表として加えられたらしい。
しかし、日中戦争から太平洋戦争開戦に至る過程において、近衛が東條英機に次ぐ(あるいは東條以上の)責任者であったことは明白だろう。
そうした人物を入閣させたということは、当時の指導者層が戦争責任(連合国に対する責任だけでなく、わが国民に対する責任)というものをいかに甘く見ていたかを意味している。
江藤は言う。
「「天声人語」の論調は、新聞が首相宮の真意をよく汲みとり、国民に強く結束を訴えていたことを明示している」
それは当たり前だろう。先に述べたように、新聞人も指導者層と同じ穴のムジナだったのだから。さんざん戦争を鼓舞したのだから。
人語子は言う。
「その責任の感じ方、または引責の方法についての考へ方は、各人に信ずるところがあり、それを、とやかくあげつらふべきでない」
そりゃあそうだろう。何しろ自分のことなのだから。
戦争末期に至って、戦局不利が明らかなのに、さんざん徹底抗戦を唱えつづけたんだもの、その責任をどう取るのかと迫られたっておかしくない。
阿南惟幾、大西瀧治郎、宇垣纏その他自決した軍人は多数いる。
オマエラはどうなのかと問われれば、自決する覚悟などサラサラない以上、「考へ方は、各人に信ずるところがあり、それを、とやかくあげつらふべきでない」と弁明する以外にないだろう。
それにしても、「退いて責を引くよりも、進んで、今後の難事に献身すべきであるといふ論もたつ」とは!
こんなものを肯定的に評価する江藤はどうかしている。
そういえば、敗戦に伴って軍人や政治家や学者が自決したとは聞くが、新聞人が自決したという話は聞かないなあ。
無宗ださんは先の記事で述べている。
占領下において、
日本の挙国一致体制を崩し、
その戦争責任をA級戦犯に被せ、
多くの日本的価値観を破壊したのは
紛れも無くGHQであり、
その影響は今も陽に陰に日本に残って我々を縛っているのである。
しかし、わが国の挙国一致体制とは、単なる戦時体制にすぎない。
戦時に挙国一致体制がとられるのはしばしばあることであり、何もわが国に限ったことではない。
そして、わが国が伝統的に挙国一致体制をとってきたわけではもちろんない。
政党間の争い、藩閥と政党の争い、西南戦争、戊辰戦争、長州征伐、もっと遡れば戦国時代、南北朝時代、源平の争い、貴族間の争い……。
そんなわが国の歴史の中のほんのひとときでしかない挙国一致体制(戦時体制)を何やらわが国の伝統文化の産物であるかのように誤解し、それを破壊したとして米国を非難する。
実に愚かしい。
敗戦と占領というわが国史上かつてない事態に至ってもなお、「誰を責め、何を咎むることもな」く、なあなあで「挙国一家」で再建を図るという。
私はそんなものがわが国の伝統文化だとは全く思わないが、仮にそうだとしても、そんなものは破壊されても何ら惜しいとは思わない。
わが国は合理的精神を取り入れ、近代化を果たした。それこそが先人から引き継ぐべき遺産だろう。