トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

このブログについて(ver.2013)

2013-01-05 19:22:08 | このブログについて
 このブログを始めて6年半ほど経ちました。

 ここ数年、このブログ自体について説明する機会を設けておりませんでした。

 新年を迎えたのを機に、ごく簡単に述べておきます。


1.自己紹介

 働くオッサンです。
 BLOGOSに転載されているせいか、ライターと誤解する方もおられましたが、違います。マスコミとは全く無縁の職業です。文筆で稼いだこともありません。
 「深沢明人(ふかざわ・あきと)」はハンドルネームで、本名とは全く関係ありません。たまたま思いついた名前ですので由来もありません。もし同姓同名の方や似たような名前の方がおられたとしても、その方は私とは全く無関係です。


2.このブログについて

 インターネットは普及しだしたころから使っていましたが、人様のサイトを見たり、調べ物をしたり、買い物をしたりといった使い方しかしていませんでした。ホームページが作れることは知っていましたが、特に自分から何かを発信したいとは思っていませんでした。
 しかし、ブログが普及して、これなら自分でもできるかなと思ったのと、たまたま知人が以前にネット上でいろいろと発信していたことを知り、自分もちょっとやってみようと、2006年7月、右も左もわからないまま始めてみました。
 一応、「本やニュースの感想を中心に日々の思いを綴るブログ」としていますが、最近読書量が減ったので、新聞報道などの時事ネタが主になっています。しかもなかなか時間がとれず、月に記事数本が限界で、全く書けない月もあります。これからもこんなペースで続くのでしょう(書きたいネタはたくさんあるのですが)。


3.コメントについて

 いただいたコメントは全て読んでいますが、全てのコメントにこちらからコメントを返すということはしておりません。いただいたコメントの内容について、私からも何か言うべきことがある場合に限りコメントしていますのでご了承下さい。


4.トラックバックについて

 トラックバックというのは引用や言及した旨の通知、またはその記事に関連するテーマで書かれた別記事の紹介に用いられるものだと考えています。
 記事の内容に無関係なトラックバックはご遠慮ください。


5.引用について

 引用元さえ明記していただければ差し支えありません。



 ぽつりぽつりと続いているだけのブログですが、読んでいただく方に少しでも何かしら得るものがあれば幸いです。


「タカ派の跳梁とハト派の衰退」――早野透の不思議な政治観

2013-01-04 00:26:22 | 珍妙な人々
 先月、朝日新聞デジタルに掲載されていた元編集委員の早野透(現・桜美林大学教授)のコラム「〈新ポリティカにっぽん〉民主「最強の57人」に重責」を読んだ。

《民主党のあぶくのような「その他大勢」が削ぎ落とされて、「最強の57人」で再出発するのは、それはそれでいいことかもしれない。》 

《自民・公明政権は、これからどう動くか。〔中略〕イケイケどんどんとなるかといえばそうではあるまい、〔中略〕外交内政きわめて慎重精妙にコトを運ぶはずである。》

といった見方には同感だが、最後の一節が何ともはや。

 今回の選挙の最大の特徴は、タカ派の跳梁(ちょうりょう)とハト派の衰退である。老舗のハト派勢力、共産党と社民党はまたしても後退した。新興ハト派とも目される日本未来の党も伸び悩んだ。自民党の加藤紘一氏のようなハト派の大物も落選した。民主党の菅直人氏は辛うじて比例復活で滑り込んだ。


 「タカ派の跳梁とハト派の衰退」とある。
 衰退の反対は発展、興隆、伸長、躍進などだろう。
 「跳梁」は跳ね回るという意味だが、悪いものがのさばり、はびこるという含意で用いられる。
 悪であるタカ派がはびこり、善であるハト派は衰退していると早野は見ているのだろう。両者を相対的に見ているのではない。
 新聞記者時代にはこうまで露骨な表現はなかったと思うが、退社したからなのか言いたい放題である。

 タカ派とは好戦主義者、ハト派とは平和主義者の意味だろう。軍事的な強硬派、穏健派と言ってもいい。
 しかし、タカ派は戦争を志向するから悪、ハト派は平和を志向するから善と、そう単純に割り切れるのか。
 ハト派のカーター米大統領の時代にソ連はアフガニスタンに侵攻し、タカ派のレーガン大統領はこれを撤退させ、冷戦を終結させたのではなかったか。
 ベトナム戦争から手を引き、中共との関係を正常化させたのもタカ派のニクソン大統領だった。
 ナチス・ドイツに対する英仏のいわゆる宥和政策はハト派的志向の産物だろうが、それが結果的にどういう事態を招いたか。

 ましてや、おそらく早野がタカ派と見るのであろう、尖閣諸島や竹島をめぐる強硬論は、自国領を守りたいという素朴な国民感情の表れであり、別に中国や韓国に攻め入ろうといった主張が展開されているわけではない。
 先の総選挙で改憲派が議員の8割だ、9割だと危機意識をあおる声もあるが、9条改正論の多くは、戦力の不保持を定めたまま自衛隊の存在を解釈改憲により容認してきた現状は不正常であり、これを憲法に明記すべきだというごく当然の感覚に基づくものにすぎない。
 自民党の改憲案は自衛隊を「国防軍」に改称するとしているが、これとて、事実上は軍以外の何物でもない実態に合わせて名称を改めようとするだけであり、自衛隊の性格や現憲法の平和主義を変更するものではない。
 こんなものが「タカ派の跳梁」に見える早野の偏向ぶりに呆れる。

 そんな早野が言う「ハト派の大物」、加藤紘一は、例えば昨年9月に尖閣問題で次のように述べている(以下、加藤の文は青字で示す)。

尖閣問題はつとめて冷静な対応を

 ナショナリズムは、扱い方を間違えると大ケガをします。そして領土問題には、妥協というものがありません。だからこそ、かつて1972年9月27日の第3回日中首脳会議において、田中角栄と周恩来は「しばらく尖閣諸島は放っておこう。将来、石油が必要なくなれば揉めることはない」と、棚上げすることに同意しましたし、‘78年には、小平が「次の世代に任せよう」と言ったのです。外交担当者のギリギリの知恵であったと思います。

いま、日中両国は引くに引けない状態になっています。その原因が、私は前原誠司元国交相にあると思っています。
2010年9月、尖閣周辺でカワハギが異常発生していました。日本では料亭で扱われる高級魚ですから、中国漁船が目の色を変えました。その漁船を、海上保安庁が公務執行妨害で逮捕しました。小泉政権時までは、ただ領海から追放していたケースでした。
この「逮捕」が、小平以来の「棚上げ」の約束違反だったのです。なぜなら、在宅起訴という略式裁判ではあっても、日本の国内法において裁かれ、日本の裁判所の書類にハンコを押してしまえば、その時点で日本の法律が及ぶ範囲であるということを認めることになるからです。おそらく、前原氏はそのことに考えが及ばなかったのでしょう。そうでなければ、司法に判断を託すはずがありません。
ここで「小平との約束は反故になった」と中国が判断しても仕方ありません。中国側の行動が激しさを増してきたのは、それ以降です。


 しかし、2010年9月、海上保安庁は中国漁船を領海侵犯や漁業法違反で逮捕したのではない。加藤が言うように公務執行妨害で逮捕したのだ。どのように妨害したのか。周知のとおり、漁船を海上保安庁の巡視船にぶつけて破損させたのだ。
 
 漁船がそのような行動をとらなければ、海上保安庁は小泉政権同様、領海から追放するだけで済ませていただろう。
 しかし、巡視船にぶつけられて、そのまま帰すわけにはいかない。 当然のことだ。
 したがって、非は中国漁船の側にある。

 こうした事実を全く無視して、わが国に船長の釈放を要求するばかりか、在中日本人の拘束やレアアースの禁輸といった報復措置をとった中国側の対応にも当時驚いたが、これを是認するがごときこの加藤の弁にはさらに驚いた。

 日中首脳会談にしても、田中角栄と周恩来は棚上げで同意などしていない。田中は尖閣諸島の問題を提起したが、周恩来に「今は話したくない」と制止され、それ以上話を進めることができなかったのだ。田中としては、尖閣は日本領であるとの明確な言質を取りたかった。しかし周に拒否された以上、実効支配しているわが国からそれ以上問題提起することはできなかった。棚上げを主張したのは中国であって、わが国がそれに同意したのではない。

 彼は、いったいどこの国の国会議員なのだろうか。これではまるで中国の代弁人ではないか。
 こんなものは、「ハト派」でも何でもない。単なる事なかれ主義でしかない。

日本人としては、もっと中国に対して毅然とした態度に出てほしいと思うのが自然でしょう。1年ほど前、愛知県で市民と対話する機会があり、そのようなご意見をたくさんお聞きしました。愛国心からの言葉だと思います。そのとき私は、こう聞きました。
「もし武力衝突になったとしたら、あなたは闘いに行きますか?」
それに対して「自分は行かないが、アメリカが行くでしょう。そのための日米安保じゃないですか」という意見が多く聞かれました。
しかし、日本人が自らの命を賭して闘わない地で、アメリカの青年が命を落とすわけがありません。このまま日中の関係が悪化して、尖閣の地で武力衝突という事態になったとき、果たして日本人はどのように闘うつもりでしょうか。

お互いに刺激し合わないよう、冷静な対応を ──。
私の意見は、これに尽きます。最近の中国は、ネットの世論に敏感です。外交的なバランスと、国内世論への対応とで苦労するのは、中国も日本も同じ。それでも、日中両政府が大人の対応をし、双方の国益のために事態の鎮静化が図られることを心から望んでいます。


 武力衝突は、避けるにこしたことはない。しかし、武力衝突を避けることと、武力衝突も辞さないという態度で臨むこととは異なる武力衝突を起こすことと、武力衝突も辞さないという態度で臨むこととは異なる。ギリギリのところで武力衝突を回避できるかもしれないが、場合によっては武力衝突もやむを得ないという姿勢で臨むべきだろう(そもそも相手方から武力行使される危険がある以上、それに備えておくのは当然のことだ)。はなから武力衝突という選択肢をあきらめてしまう必要はない。

 「自分は行かないが、アメリカが行く」という意見が多く聞かれたというのが事実なら、情けないと言うほかない。
 たしかに、日本人が命を賭して戦わないのに、米国が戦ってくれるはずはない。その限りで、加藤の言は正しい。
 だが、もし武力衝突になったとして戦うべきは、一市民ではなく、まずは自衛隊ではないのか。そのための自衛隊法であり、解釈改憲ではないのか。
 それを、「あなたは闘いに行きますか?」と尋ねるのは、原発の周辺に住んでもいないのに原発推進を語るなとか、米軍基地の周辺に住んでもいないのに日米安保を支持するなとか、死刑を自ら執行する気もないのに死刑制度維持に賛成するなといった、或る種の反論封じではないだろうか。
 政策の是非を、個人の利害だけで判断してはならないのではないだろうか。

 それに、「自分は行かないが、アメリカが行く」という情けない日本人を生み出したのは、自分の国は自分で守るという当然のことを敢えて国民の目からそらし続けてきた、加藤のようなハト派政治家ではないだろうか。

 この一事だけで加藤紘一という政治家を評価すべきでないのはもちろんだし、実際、それだけが落選の原因ではないだろう。
 だが、私が彼の選挙区の住民なら、この一事をもって、票を投じるに値しない人物だと考えるであろうこともまた事実だ。

 早野は、コラム冒頭で取り上げた辻元清美に期待を寄せて、このコラムを結んでいる。

 そうなると、政界全体を見渡せば、民主党の「最強の57人」がどう動くかが焦点になる。このなかにも潜在的タカ派が少なからずいるようである。であれば、社民党脱藩のハンディ、民主党逆風を生き残った辻元清美氏にはハト派リベラル勢力の結集軸として、女坂本龍馬のごとく走り回ってもらわねばなるまい。


 「潜在的タカ派」とは野田前首相や前原誠司、長島昭久らを指すのだろうか。私は、彼らは現実主義者とでも評すべきで、「タカ派」の語感は不似合いだと思うが。
 そして、誰に何を期待しようが個人の自由ではあるが、辻元は社民党の連立政権離脱後、野党であるだけでは日本を変えることはできない、「現実との格闘から逃げずに仕事を進めたい」として離党し、菅首相の補佐官を経て民主党に加わった人物である。

 その特異なパーソナリティで熱烈な支持者を確保できる人物ではあるのだろうが、「ハト派リベラル」といった理念に殉じるタイプでもなければ、主義主張のやや異なる様々な人物を口説いて結集し得るタイプでもないように思う。現に先の民主党代表選で目立った動きを見せたとは聞かない。
 私は彼女が明日民主党を離党すると言っても驚かないし、自民党や維新の会、あるいは生活の党に加わると言っても驚かない。彼女はそうした融通無碍なタイプであろうし、それは別に政治家として非難すべきことでもなく、政治家は結局のところ何をやったかで評価すべきであろうから。
 ただ、そんな彼女を「女坂本龍馬」に見立て得る早野の想像力にはほとほと感心する。

 私は結構長く朝日を購読しているが(中断していた時期もある)、この早野透と、若宮啓文(現主筆)の政治記事やコラムがたいへん不快だった。何をろくでもないこと書いてるんだろうかと思って筆者を確認すると大抵この二人だった。
 このようなメンタリティの持ち主が大新聞の政治面を牛耳ってきたことは、わが国にとって不幸であったとつくづく思う。