トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

産経新聞の首相公選論

2011-07-28 23:57:56 | マスコミ
 msn産経ニュースの「from Editor」というコーナーで、6月初めに大野敏明編集委員が菅内閣退陣論に関連して首相公選制を呼びかけていることを最近知った。

首相は国民が選ぼう
2011.6.1 07:38

 西岡武夫参院議長が、菅直人首相に退陣要求を突き付けた。先々週のことである。西岡氏は議長のため、党籍を離れているが、本来は民主党員である。西岡氏以外の民主党員からも退陣要求が出たり、離党して、不信任案に賛成するといった議員が出るなど、菅さんも自分の党からの造反にあい、つらい立場だろう。

 参院は衆院とならぶ立法府である。その立法府の長が、行政府の長に「辞めろ」と言ったのだから、すさまじい話ではある。西岡氏の退陣要求に対して、自民党など野党は拍手喝采だが、当然のことながら、民主党執行部は苦り切っている。その中で、こんな議論があった。

 「立法府の長が、行政府の長に退陣を要求するのは、三権分立の思想からいかがなものか」というのである。三権分立は立法府、行政府、司法府がそれぞれ対等に独立していて、相互に干渉されないことを前提としている。

 私はこの議論を聞いて、首をひねってしまった。行政府の長である菅首相は衆院議員なのである。なぜ、立法府の議員が首相という、行政府の長をしているのだろうかと。日本国憲法第67条には、首相は国会議員の中から選ぶと規定されている。また、同第68条には、国務大臣の過半数は国会議員でなくてはならない、とされている。要するに、日本国憲法は行政府のトップ集団を立法府から選ぶことを規定しているのである。われわれは小学校で三権分立は民主主義の根幹と教えられた。だが、民主憲法の規定は三権分立に反することを定めている。これは矛盾ではないか。

 戦前、日本の首相は元老や重臣によって選ばれ、天皇から任命された。国民も議員も首相を選べなかった。このためGHQ(連合国軍総司令部)が国会議員から選ぶように憲法に規定したのである。

 ところが、憲法を押し付けた米国の大統領は国会議員ではない。国民の直接投票で選ばれている。

 いま、多くの国民が菅政権に大きな不安感を抱いている。辞めてほしいと思っている人も多い。しかし、菅首相を選んだのはわれわれ国民ではない。選挙で彼に投票した東京18区の選挙民は、立法府の議員として彼を選んだのにすぎないのである。国民が政治に責任をもつためにも、憲法を改正して首相を直接選べるようにすべきではないだろうか。大臣と議員の重任もやめた方がいい。真の三権分立のためにも。(編集委員 大野敏明)


「三権分立は立法府、行政府、司法府がそれぞれ対等に独立していて、相互に干渉されないことを前提としている。」
 私はこの箇所を読んで「首をひねってしまった」。
 三権分立とは三権が独立していて、相互に干渉することを前提とした制度である。
 立法府、行政府、司法府が独立することにより権力の集中を防ぐとともに、相互に干渉し合うことにより各権力の行き過ぎをも防ぐとされている。
 国会は首相を指名し、また衆議院は内閣不信任を議決できる。そして法案の審議や国政調査権の行使により内閣を監視する。これに対して内閣は衆議院の解散権を有し、また国会を召集できる。こんなことはわざわざ説明するまでもあるまい。
 大野は小学校で何を習ったのだろうか。

 それはさておき、大野の言うとおり、たしかにわが国では立法府の議員が行政府の長(首相)を務めている。
 しかしこれは、いわゆる議院内閣制であり、議会政治の元祖である英国をはじめ、ドイツ、ベルギー、オランダ、スペインといった民主制の国々で広く採用されている政治体制だ。
 フランスは大統領を国民の直接選挙で選ぶが、首相は下院の多数派から選出される。
 大野が矛盾を感じるのは自然だが、首相を指名するのは国会なのだし、首相の暴走に対しては衆議院が内閣不信任を決議することができる。一方内閣には衆議院の解散権があるのだから、三権分立に反しているとは言えない。

 ところが、憲法を押し付けた米国の大統領は国会議員ではない。国民の直接投票で選ばれている。


 それはそうだが、大統領は単なる行政府の長ではない。国家元首、すなわち国家の顔でもある。
 何故国家元首を公選で選ぶ必要があるのか。それは言うまでもなく、米国が民衆によって人工的に成立した国家であり、君主というものが存在しなかったからだ。
 そして、何故米国がわが国に大統領制を「押し付け」なかったかと言えば、それはわが国の天皇制と内閣制の伝統を尊重したからに決まっているではないか。
 ポツダム宣言にも「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ」とあるように、連合国はわが国に民主制の要素は皆無だったと見ていたわけではない。
 仮に敗戦に伴い天皇制が廃止されていれば、わが国も米国と同様に大統領を国民の選挙で選ぶようになっていたかもしれない。大野はその方が良かったというのだろうか。

 首相は、行政府の長ではあるが、大統領とは異なり国家元首ではない。内閣を構成する閣僚たちのトップであるにすぎない。
 したがって、議会が議員の中から指名するか、大統領が指名するものであって、首相公選制というのは一般に存在しない。
 20世紀の終わりにイスラエルが導入したが、意図したように機能せず数年で廃止されたと聞く。

 6月11日付け同紙の1面コラム「産経抄」も首相公選制を説いている。
 AKB48の「総選挙」に絡めて、

▼AKB総選挙に比べ、盛り上がりそうもないのが、「ポスト菅」を選ぶ民主党代表選だ。候補に挙げられている皆さんには失礼だが、投票権を買ってでも1票を入れたい政治家が見当たらぬ。

 ▼与野党ともに宰相候補が見当たらないのは、国会が議員の中から首相を選ぶ議院内閣制がうまく機能しなくなった証しでもある。首相を有権者が直接選ぶ首相公選制を導入する機は熟した。公選制は、独裁者を生む危険性もあるが、案ずるより産むがやすし。国民は少なくとも今の首相よりましな人物を選ぶはずだ。

 
と述べている。
 これはもはや社論なのかもしれない。

 私は首相公選制に大いに反対である。理由は3つある。
 1つは、ポピュリズムが跋扈する危険性が高いからである。具体的に言えば、田中真紀子のように、行政官としての資質を欠くにもかかわらず、不思議と大衆受けする人物が当選するような事態が心配だからだ。もちろん、増税などの国民に負担を強いる政策を掲げて選挙で勝つことは困難になるだろう。
 2つめは、天皇制との兼ね合いである。国民が直接選挙により首相を選ぶのなら、それは実質的に大統領、即ち公選による国家元首と同じである。それでは伝統に依拠する君主の存在する意味がなくなる。君主制を存続させたまま首相公選制を導入することも制度的には可能だろうが、そんな珍妙な国は世界に存在しない。
 そして3つめは、仮に首相として不適格であることが就任後に判明しても、辞めさせることが極めて困難となるおそれがあることだ。
 公選による大統領は、自ら辞任する場合を除き、その任期を全うすることが当然とされている。それは、要するに任期付きの君主のようなものだからだろう。
 米国や韓国では議会による大統領の弾劾制度があると聞く。だがこれは大統領に犯罪やそれに準ずるような非行があった場合に実施されるようだ。単なる失政程度では発動されないのだろう。とすると、現在のわが国衆議院の内閣不信任決議よりもハードルははるかに高いということになる。
 もっともこれも、首相は公選としながらも、現行と同様の内閣不信任制度を維持するという解決策が有り得る。しかし、衆議院が内閣を不信任できるのは、もともと衆議院が内閣を指名するからである。首相を国民が直接選ぶのなら、その国民の意向を無視して議会が一方的に不信任を突きつけられるというのは原理的におかしい。
 したがって、公選によりいったん首相になってしまえば、鳩山由紀夫だろうが菅直人だろうが、4年なら4年といった任期を全うするまで在任することになる可能性が高い。大野や産経抄子はそれでもいいのだろうか。

 ところで、自民党政権時代に産経新聞が首相公選論を唱えていたとは記憶にない。
 自民党政権時代には議院内閣制を問題視せず、「下野」して民主党政権になってから問題視するのはどういうわけだろうか。
 これも形を変えた一種の倒閣運動なのだろうか。それとも素朴な英雄待望論なのだろうか。
 仮に次の総選挙で自民党が大勝して政権を奪回し、衆参の「ねじれ」も解消したとしたら、産経が首相公選論に対してどのような態度をとるのか、見ものだと思う。

小谷野敦「匿名批判は卑怯である」を読んで

2011-07-27 20:40:38 | 珍妙な人々
 21日の記事「小谷野敦への疑問――匿名批評は卑怯か」がBLOGOSに転載されたところ、小谷野徹氏本人の目に触れたようで、氏のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」に「匿名批判は卑怯である」という記事が掲載されている。
 あまり反論する意欲をそそる内容ではないが、後日「こう言ってやったところ、何の返答もなかった」などと総括されるのもどうかと思うので、少し述べておく。

匿名での批判が卑怯であるというのは「常識」である。新聞の投書欄でも、本人のプライヴァシーにかかわるもの以外は、実名になっている。他人を批判するからには、もし実名でするのは嫌だ、というのであれば、公共の場で発言するのを控えるべきである。


 新聞や雑誌の投書欄が実名主義を採っているのは承知している。それが、匿名=卑怯という考えに基づいているのかどうかはともかく、何かをおおやけに述べるからには実名によるべきであるという考え方に立っていることは確かだろう。その割には新聞や雑誌に無署名記事が多数見受けられるのが不思議だが、ともかくそうした実名主義がわが国出版界の趨勢であることは事実だろう。そしてそれはパソコン通信やインターネットが普及する以前からの伝統でもあろう。
 しかし、私は何も、新聞や雑誌において、匿名の投書を大いに採用すべきであると主張しているのではない。
 パソコン通信を経てインターネットが普及した現代において、読者が、読んだ本や記事の感想――あるいは映画でもテレビ番組でもゲームでも何でもいいのだが――をネット上で発言したいと思うことも当然あるはずだが、その際に、そこに批判的内容が含まれているからといって、一律に、匿名批評は卑怯である、実名を出せないなら発言するななどと、作家や評論家といった制作者サイドが発言するのはおかしいのではないか、と言っているのだ。

こういうのは「なぜいじめをしてはいけないのか」というくらいの愚論である。もちろん、世の中には、イスラム教を信奉しない者、ムハンマドを冒涜する者は殺害する、という者らがいる。だから「匿名で批判して何が悪い」というのは、それと同じなのである。


 匿名批評は人を殺害することとは異なるから「それと同じ」などと言われても承服しかねる。
 ただ、「いじめ」に通じるケースはあるかもしれない。これについては後で触れる。

なお私のブログは、少し調べれば私のブログであることは分かるのだから、そのあたりはただのいちゃもんで、どうもこの深沢というのは、匿名の歴史について述べるだけの知見もない者であろう。


 「少し調べれば」わかるという点については私もそう述べている。そして「それを調べる義務が被批判者にあるわけではないこともまた当然である。調べない被批判者にとっては、かのブログの記事は匿名による批判にほかならない。」とも述べている。それが「ただのいちゃもん」か。
 何かのきっかけで、氏のブログの氏名を明記していない記事において、不当な批判をされていると感じた被批判者が、もうそれ以上氏のブログを読んだり調べたりする意欲をなくしてしまうケースも有り得るだろう。そうしたケースでは氏のやっていることは匿名批評と同じではないかと書いたつもりだったのだが、氏はそうしたケースなど全く存在しないはずだと言うのだろうか。
 批判は実名でなければならないと主張するなら、批判記事を多数含むブログも実名で公開すればいいはずである。被批判者に「少し調べ」させる必要などないはずだ。氏がそうしないのは何故なのだろうかと問うているのだが。
 なお、私にはたしかに「匿名の歴史について述べるだけの知見」はない。『名前とは何か』の第6章も冒頭の牛島秀彦と「Q」の論争をはじめ、知らない話ばかりである。しかし、現代社会において匿名批評が「卑怯」か否か、あるいは匿名批評が社会的に是認されるのかどうかを論ずるのに、匿名の歴史についての知見が必要なのだろうか。

 国立大学教授は、かつて国家公務員であった。国家に対する批判は、匿名でも許される。何でそれが理解できないのであろうか。また、大学教員は、大学から給料をもらい身分を保護されているから、匿名で批判されても黙殺すればよろしい。フリーの文筆家は、そうはいかない。簡単なことなのに、なんで理解できないのか、頭が悪いのではないか。


 国立大学教授の主張に対する批判が国家に対する批判か。国立大学教授の主張即ち国家の主張だというのか。国立大学教授の主張はあくまでその教授個人のものであって、国家とは関係ないだろう。国立大学教授にマルクス主義者や無政府主義者がいたことを氏が知らぬはずもあるまい。おふざけもほどほどにしてもらいたい。
 前にも書いたが、氏に従えば、ある人物が国立大学教授である間は匿名による批判は許されて、退官して私立大学の教授になったりフリーの評論家になったりしたら、同じ主張に対しても匿名による批判は許されないというおかしな話になる。氏はそれでいいのだと本気で考えているのか。

 大学教員は身分を保護されているだろうか。不用意な発言が世論のバッシングを受け、降格されたり退職を余儀なくされたりするケースもままあるのではないか。
 フリーの文筆家であるからといって何故批判を看過できないのか。大学教員と違って、書いたものが即収入と直結していて、匿名批評によって評判が落ちて、本が売れなくなったり仕事が来なくなったりすると生活の糧を断たれるからか。
 しかし、大学教員であれフリーの文筆家であれ、書いたものや発言が社会においてさまざまに論評されることは当然のことではないのか。その結果、仕事が続けられなくなったとしてもそれは自己責任というものではないのだろうか。俺はフリーだから、本は買ってもらいたいが、匿名批評はご遠慮願いたいとは虫が良すぎるのではないか。
 もちろん、ネット上では筋違いの批判や事実無根の中傷といったものもあるのだろう。そうしたものには反論すればいいし、反論する価値もなければ黙殺すればいい。実際、多くのフリーの文筆家はそうしているのではないか。そしてそれによって何か問題が起こっているだろうか。不当な匿名批評によってフリーの文筆家が廃業に追い込まれた事例があるのなら教えていただきたい。

 「反論すればいい」というのは、では乙川が林道義を罵った件はどうなるのであろうか。私は当事者ではないわけだし。この人には、他人が他人に暴力を加えているのを黙過できない、という感覚がないのであろうか。現にあそこに書いた後輩の某君にしても、私を罵っていたわけではない。もう少し頭のいいやつ、出てこいや。


 乙川氏の件にしても後輩氏の件にしても、小谷野氏に対する罵倒を氏が問題視したのではないことはわかっているし、そう読めるように書いてある。
 その罵倒がどのようなものだったのか私は知らないが、当事者でないからといって発言できないということはないだろう。好きに発言すればいいのではないか。
 「他人が他人に暴力を加えているのを黙過できない、という感覚」はもちろん私にもある。路上で人が一方的に殴られていれば止めるだろう。しかし殴っている側に対して、「お前はどこそこの何丁目何番地に住んでいる誰々だ!」などと叫ぶ趣味は私にはない。

川上未映子の小説『ヘヴン』に、いじめをして何が悪いか、と開き直る少年が出てくるが、深沢が言っているのはそれと同じだ。もし批判される人に、匿名がいいか実名がいいかと訊いたら、普通は実名のほうがいい、と言うだろう。不快なのだよ。


 『ヘヴン』は未読だが、こう言うからには、氏は匿名批評を「いじめ」と同質のものだと考えているのだろう。
 たしかに、いわゆる学校裏サイトの問題のように、ネットを使って匿名による「いじめ」がなされるケースは存在する。そうしたものは大いに問題だと思っているし、「何が悪いか」などと開き直るつもりなど全くない。
 しかし、ネット上での匿名批評、例えばAmazonのブックレビューや、ホームページやブログのさまざまな文章は、そのような「いじめ」と同質なのだうか。それらの執筆者は、批評対象を「いじめてやれ」と思ってそうしたものを書いているのだろうか。そうではあるまい。、
 実名であれ匿名であれ、何かを社会的に発信すれば、何らかの反応が返ってくるのは当然だろう。その際、実名であればその内容は発信者の社会的評価に直結し、匿名であればそのリスクはない。それを「卑怯」だと感じるのは実名者の心理としては理解できる。
 しかし、実名者は敢えてその道を選んだのだろう。そしてそれだけのメリットもあるのだろう。匿名者が何をどう書こうが、所詮無名人の戯れ言にすぎない。もともと土俵が違うのだ。
 もちろん、筋違いの批判やいわゆる誹謗中傷には反論してもいいし、目に余るものには法的措置だってとればいい。
 だが、そういったものがあるからといって、匿名批評を一律に否定するのは、脅迫に用いられるから手紙をなくせとか、殺人に用いられるから包丁をなくせと言うようなものではないだろうか。

 あと、被批判者にとって匿名による批判が「不快」なのは当然だろうが、私は快・不快の話などしていない。
 「不快」かどうかは、「卑怯」かどうか、社会的に是認されるのかどうかとは別の話だろう。
 氏が「自分にとって不快だから、匿名批評はお断り」と考えるのは氏の自由だが、それは、制作者側のわがままというものではないだろうか。


「尖閣衝突の船長に起訴議決」の記事を読んで

2011-07-24 00:16:03 | ブログ見聞録
 BLOGOSで、昨年9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で、中国人船長が強制起訴されることになったとの記事を読んだ。
 この記事中で2人のBLOGOS参加ブロガーの意見が紹介されているが、その内容が解せない(以下、引用文注の太字は全て引用者による)。

 今回の事件にBLOGOSの参加ブロガーからも意見が寄せられている。まず、元公務員で尖閣問題のエキスパートである「あさってのジョー」氏は、「検察審査会二度目の起訴相当」という記事で、こう書いている。
「このまま行くと強制起訴の可能性が高いのですが、また超法規的措置の可能性もあります」

と、これまでも中国に対して弱腰だった民主党政権の動きに注目している。


 強制起訴の「可能性が高い」とはどういうことだろうか。検察審査会の2度目の起訴議決に対しては、被疑者死亡や刑の廃止などを除き、強制起訴以外の選択肢は存在しない。
 この強制起訴は、検察審査会からの議決書謄本の送付に基づき、裁判所が指定する弁護士によって行われるもので、検察庁すなわち行政府が関与する余地はない。
 検察審査会法をご覧いただきたい。

第四十一条の六  検察審査会は、第四十一条の二の規定による審査〔引用者注・一度目の起訴相当議決に対して検察庁が再び不起訴処分とした場合の審査〕を行つた場合において、起訴を相当と認めるときは、第三十九条の五第一項第一号の規定にかかわらず、起訴をすべき旨の議決(以下「起訴議決」という。)をするものとする。起訴議決をするには、第二十七条の規定にかかわらず、検察審査員八人以上の多数によらなければならない。
〔○2、○3略〕

第四十一条の七  検察審査会は、起訴議決をしたときは、議決書に、その認定した犯罪事実を記載しなければならない。この場合において、検察審査会は、できる限り日時、場所及び方法をもつて犯罪を構成する事実を特定しなければならない。
〔○2略〕
○3  検察審査会は、第一項の議決書を作成したときは、第四十条に規定する措置をとるほか、その議決書の謄本を当該検察審査会の所在地を管轄する地方裁判所に送付しなければならない。ただし、適当と認めるときは、起訴議決に係る事件の犯罪地又は被疑者の住所、居所若しくは現在地を管轄するその他の地方裁判所に送付することができる。

第四十一条の九  第四十一条の七第三項の規定による議決書の謄本の送付があつたときは、裁判所は、起訴議決に係る事件について公訴の提起及びその維持に当たる者を弁護士の中から指定しなければならない。
〔○2略〕
○3  指定弁護士(第一項の指定を受けた弁護士及び第四十一条の十一第二項の指定を受けた弁護士をいう。以下同じ。)は、起訴議決に係る事件について、次条の規定により公訴を提起し、及びその公訴の維持をするため、検察官の職務を行う。ただし、検察事務官及び司法警察職員に対する捜査の指揮は、検察官に嘱託してこれをしなければならない。
〔○4、○5、○6略〕

第四十一条の十  指定弁護士は、速やかに、起訴議決に係る事件について公訴を提起しなければならない。ただし、次の各号のいずれかに該当するときは、この限りでない。
一  被疑者が死亡し、又は被疑者たる法人が存続しなくなつたとき。
二  当該事件について、既に公訴が提起されその被告事件が裁判所に係属するとき、確定判決(刑事訴訟法第三百二十九条 及び第三百三十八条 の判決を除く。)を経たとき、刑が廃止されたとき又はその罪について大赦があつたとき。
三  起訴議決後に生じた事由により、当該事件について公訴を提起したときは刑事訴訟法第三百三十七条第四号 又は第三百三十八条第一号 若しくは第四号 に掲げる場合に該当することとなることが明らかであるとき。
〔○2、○3略〕


 そして、「また超法規的措置の可能性もあ」るとはどういうことだろうか。この事件についてはこれまでにも「超法規的措置」がとられたと、この「あさってのジョー」氏は考えているのだろうか。
 容疑者の釈放や不起訴処分は検察官の判断で行うことが法令上当然認められており、那覇地検の措置は「超法規的」でも何でもない。

 それに、仮にこの強制起訴が「超法規的措置」によってつぶされるとすれば、それは裁判所、すなわち司法機関の手によって行われるということになり、そんな事態は考えられない。

 報道各社も、中国人船長は強制起訴されるが2か月以内に起訴状が送達されなければ公訴棄却となり、仮に送達できても出廷しなければ未済事件となるだけだと報じている。
 アサヒ・コムの記事から。

 那覇地裁が指定した弁護士によって船長が起訴されると、地裁は起訴状を船長に送達しなければならない。那覇地裁などによると、送達は、日中間の捜査協力を定めた「刑事共助条約」にもとづいて中国側に頼むのが一般的。ただし衝突事件について、中国側は非を認めておらず、協力を拒む公算が大きい。2カ月以内に送達できなければ、刑事訴訟法によって、起訴状の効力が失われ、公訴棄却となる。

 仮に送達されても、船長が出廷しなければ裁判は開かれず、未済事件として休眠状態になる。日本の司法当局が、船長の身柄を中国国内から強制的に移すことは出来ない。


 この「あさってのジョー」氏は、そのブログを見るところ、例のビデオを流出させた元海上保安官であるようだが、BLOGOSが言うように「尖閣問題のエキスパート」なのかどうかはともかく、刑事手続については必ずしも詳しくないらしい(海上保安官は捜査機関であり刑事手続と無縁ではないはずだが)。

 BLOGOSの記事ではもう1人、

また、ソフトウェア・エンジニアのuncorrelated氏は「尖閣沖中国漁船衝突事件は、検察官適格審査会で決着をつけるべき」という記事を書いた。「(裁判が不可能なら)検察官の適格を直接問うしかない」として、
検察官適格審査会を開くべきだと思う。菅内閣から暗黙の圧力があったのかも知れないが、その場合は司法の独立性を脅かしたわけで、やはり検察官としての適格が疑われる。国際紛争に発展しかねない決断を避けたのだと思うが、外交判断を下す立場に無い以上は責任は回避できない。

と、厳しい言い方で検察の対応を批判している。今回の起訴議決を受けて、中国漁船への政府と検察の対応が改めて問われている。


との見解を紹介しているが、検察官適格審査会というのは、法務省のホームページによると「検察官が心身の故障,職務上の非能率その他の事由に因りその職務を執るに適しないかどうかを審査」するものであり、不起訴処分の妥当性を問うものとしては筋が違うのではないか。
 それはまるで、世論の大勢に反する判決を下した裁判官を、それ故に弾劾裁判所にかけよと主張するようなものではないだろうか。

 また、仮に審査会が開かれ、この検察官が不適格とされて罷免されたら、それでこの事件は決着したと言えるのだろうか。それはいわゆるトカゲのシッポ切りでしかないのではないか。

 この人のブログの記事全文を読むと、

尖閣沖中国漁船衝突事件で、那覇検察審査会が茶番を行っている。起訴相当とする2度目の議決を出したため船長が強制起訴される事が確定したが、船長は既に釈放・帰国しており現実的には意味が無い


とあるが、仮に公判が実際に開かれることがないとしても、検察審査会が「市民感覚」の発現として2度にわたって起訴相当と議決したことは十分意味があるのではないだろうか。
 強制起訴することとなった公判を現実的にどうやって実現するかは裁判所が考えるべきことで、検察審査会の役割は検察官の不起訴処分が妥当かどうかを判断することでしかないのだから。そして、申立てがあれば審査するのが審査員の義務であり、彼らが恣意的に事案をもてあそんでいるのではない。それを「審査会が茶番を行っている」とはどういう言い草だろうか。
 検察官を検察官適格審査会にかけよと言うのだから、uncorrelated氏は検察官の不起訴処分を妥当だとは考えてはいないのだろう。ならば那覇検察審査会の議決を素直に支持すべきではないのか。仮に検察審査会が不起訴を妥当だと判断していれば、検察官適格審査会が検察官を不適格とすることなどますます有り得ない話ではないのか。

明らかに違法性がある行為を『独断』で起訴猶予としたのであれば、検事の責任は免れない。そして那覇地検の鈴木亨次席検事は『独断』だと記者会見で述べた。


ともあるが、よく言われるようにわが国は起訴便宜主義をとっており(検察審査会による強制起訴はこの例外)、「明らかに違法性がある行為」であっても起訴猶予とされることは多々ある。


 私は、この事件は、当初仙谷官房長官(当時)が述べていたように、国内法にのっとって粛々と処理すべきだったと思うし、具体的に言えば起訴してもらいたかったと考えている。当然有罪となっただろう。
 しかし、当時の中国側の猛反発、さらに在中国日本人が拘留されるという事態の発生を受けて、船長を釈放した検察の判断は理解できるし、それを非難すべきだとは思わない。

 ちなみに、当の船長は、5月24日に香港紙「明報」が、ほぼ自宅軟禁状態にあると報じている。
 起訴議決を報じた今月22日の朝日新聞朝刊も、未だ同様の状態にあるとしている。

 船長の母親(62)は21日、朝日新聞の取材に対し「息子はほぼ毎日、家にいる。政府関係者が毎日のように見回りに来る」と語った。村の外に出ることや、人が家に訪ねてくることも「政府が許してくれない」という。


 「英雄」代はずいぶんと高くついたようだ。

 とはいえ政府には、刑事共助条約に基づいて、粛々と起訴状の送達への協力を要請してもらいたい。
 協力するしないは中国が決めることだが、わが政府としてなすべきことはなしていただきたい。


敬称についての当ブログの考え

2011-07-23 02:00:42 | このブログについて
 一昨日の記事に対して、コメント欄で次のようなご指摘をいただいた。

《まず、他者の名前には敬称をつけるのが大人のマナーですね。》(「通り係」さん)

《気にくわない相手でも、人の名前を文章にする場合は敬称を付けるか、冒頭に敬称略と明記するのが文章を公表する人間のマナーであると思います。》(「通りすがり」さん)

 「冒頭に敬称略と明記」している文章はあまり見ない気がするが、たしかに、新聞や雑誌の記事では、人名には敬称を付けるか、文の途中又は文末で「敬称略」と断るのが普通だろう。

 しかし、一昨日の記事で私はずっと「小谷野」と呼び捨てで通していた。

 これは別に、「通りすがり」さんが言うように私から見て小谷野が「気にくわない相手」だからではない。
(それどころか、私にとって小谷野は支持できる主張の多い評論家の1人であり、端的に言えば「ファン」である。だからこそ当ブログのブックマークに小谷野のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」を長らく置いているのだ。著書も10冊以上は購入している)。

 当ブログの記事をある程度読んでいただいた方にはおわかりと思うが、ある人物を記事中で批判しようが賛同しようが、あるいはそうした判断を加えない場合であろうが、当ブログにおいて、政治家、学者、評論家、クリエイターといった著名人、また新聞記者のようにそれほど知られてはいなくとも要するに「プロ」の方々については、氏名に敬称を付けないのを原則としている。

 この点については、読者への説明がないことが少し気になってはいたのだが、これまで書きそびれていたので、この機会に述べておきたい。

 これは何も、私が彼らを見下しているからではない。
 敬称を省略する理由の1つは、私がふだん頭の中で敬称を付けずに彼らのことを考えており、それを文章化する際に敬称を付けるよう配慮すると、文章のリズムが乱れてしまうからだ。
 また、敬称を多用すると、それだけでまだるっこしい文章になってしまう(だからこそ、「敬称略」と断った記事が多く書かれるのだろう)。

 たしかに敬称が用いられることは多いが、必ずしも全面的に行われているわけではない。
 学術論文では敬称は通常用いられない。芸能人やスポーツ選手についての報道でも用いられない。
 個人的なメモに、公人のことを書くからといって、いちいち敬称を付ける人もそうはいないだろう。

 ブログは、全世界の人々に対して発信しているという点では新聞や雑誌の記事に近いと言えるが、その読者数は多くの場合新聞や雑誌とは比較にならず、その内容も個人的なメモの延長上にあるものだろう。
 新聞記者やライターのブログならともかく、私のような単なる一市民が記事中の敬称使用を心がけたとすれば、なんだかそちらの方がジャーナリストぶって自意識過剰で恥ずかしいように感じる。

 ちなみに、当の小谷野のブログにおいても、原則的に敬称は用いられていない。

 一方私は、ネット上で見かけるブロガーなどで社会的に無名の(と思われる)人物に対しては、その人物を批判しようが賛同しようが、あるいはそうした判断を加えない場合であろうが、当ブログにおいては原則的に「○○さん」あるいは「○○氏」といった敬称で呼んでいる。
 それは、先に述べた著名人のケースとは逆に、ふだん彼らについては頭の中で敬称付きで考えているからだ。
 コメントやトラックバックのやりとりをする可能性のある、自分と対等な等身大の人間として考えているからだ。
 著名人とは次元が違うと感じているからだ。

 一昨日の記事に対して、実名者に対する匿名による批判は

《たとえれば野球場で3階席からヤジを飛ばすのを同じようなもので、同じフィールドには立っていない》(北沢寛さん)

というコメントもいただいたが、まさにそのとおりで、私は同じフィールドに立っているなどとは全く思っていない。
 ただ、プロの野球選手たちのさまざまなプレーについて、観客がそれをどうのこうのと語る場があってもいいのではないか。
 インターネット上での諸発言とは所詮そうしたものであり、それを一律に実名でないから「卑怯」だなどと「プロ」の側から言われる筋合いなどないというのが私の考えだ。

 もっとも、「次元が違う」とはいえ、仮に「プロ」の側から何らかのアクション、例えば事実誤認の指摘や反論などがあれば、その場合は社会常識にのっとった対応をするつもりであるし、当然呼び捨てで応じるような真似はしない。

 なお、私は、犯罪被害者やその家族に対しては、仮にその名が広く知られている場合であっても、原則的に敬称を用いている。
 それは、彼らは他人の犯罪の結果たまたま著名になったにすぎず、彼ら自身が進んでそのような立場に身を置いたわけではないからだ。その点で、政治家や評論家といった「プロ」の方々とは異なる扱いをすべきだと思う。

 異論がある方もおられようが、当ブログにおける敬称の取り扱いは上記のような方針に基づいている。
 だからといって、これを他の方に要請あるいは推奨するつもりはないし、他のブログや掲示板などで敬称が用いられるのを否定するつもりもない。
 また、こうした方針を将来的に変える可能性もないわけではない。
 あくまでも、現時点での私個人の考えだ。

 こうした考えを読者に明らかにする機会を設けてくださった「通り係」さん及び「通りすがり」さんに感謝したい。


小谷野敦への疑問――匿名批評は卑怯か

2011-07-21 07:58:21 | 珍妙な人々
 数か月前に発売された小谷野敦の『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』(青土社、2011)を読んでいると、次のような記述があった。

 私はかねて、匿名での批判は卑怯であるから認めないと言っているが、おかげでいろいろな事件が起きた。私が批判されたのではない例としては、私の後輩の大学院生がウェブサイトに匿名の読書日記を開設していて、しばしば、かなり口汚く対象となる本を批判するので、私は、そういうのをやるなら匿名は良くない、と言ったものである。また、そこまでひどいのなら全部読まなければいいではないかとも言ったのだが、彼は、全部読むのが礼儀だという。全部読んで罵倒されるくらいなら途中で放り出して貰ったほうがいいくらいである。それに、批判しているのはみな大物ばかりだ、とも言うが、そうでないのもあった。すると、もしその人から問い合わせがあったら実名を名乗る、と言い、もし実名で開設したら、本当のことが言えなくなる、と言う。それなら言わなければいいではないかと私は言った。
 結局私は、彼にそういうことをやめてほしいと思っていたこともあって、ある時私のブログで実名を挙げたら、全部削除されてしまった。その時すぐにではなかったが、最終的には意見の相違から絶交することになったが、彼は最後に、「小谷野さんに匿名批評を批判されたことで周囲からどれほどのことを言われたか」などと言っていたが、何を言われたか知らないが、匿名批判を非難されたのならそれは自業自得である。
 これが、現代の匿名者の奇妙な特徴である。往年の匿名時評家も、しばしば実名を暴かれたし、それで少しは困ったかもしれないが、暴いた奴が悪いなどという途方もない居直りはしなかったのである。まったく、正邪善悪が逆転しているとしか言いようがない。(p.182-183)


 私にはこの、匿名での批判が卑怯であるという理屈、ないし感覚がわからない。
 この文が収められている「第6章 匿名とは何か」を読み返してみたが、その理由が明記されている箇所はなかった。小谷野にとっては自明のことだからだろうか。

 小谷野は上の引用箇所に続けて、荻上チキというブロガーの実名を示唆した際に、自分が非難されたというエピソードを挙げ「私のような正直者は既に時代に合わなくなっているのかとすら思われる」としている。
 このケースでは、荻上の小谷野自身に対する批判はともかく、別の人物(小谷野は実名を挙げている)への「批判は罵倒に近く、私はそれが気になった」ことに加え、荻上の方から小谷野に対し実名を明らかにしたことや、ネット上でも写真が公開されていることなどから、「本気で隠す気があるのかどうか疑わしい」として実名を示唆したというのだが、そういった事情があるにしても、何故実名を晒さなければならないのかがわからない。

 小谷野はさらに、

 赤木智弘も私に対して怒っていたし、オーマイニュースとかいう、今ではなくなってしまった、個人が「記者」になる変なネットニュースでも、これまた名前を忘れたが、小谷野氏の行為は許されるものではない、などとあった。後でオーマイニュースに、この記事の責任者はおたくか、書いた者かと問うたら、書いた者だというから、では住所を教えろと言ったら返事がなかった。
 「荻上チキ」は匿名ではなく筆名だ、と言う人もあって、もちろんそうだろうが、実名を明らかにされて怒るというのが匿名のしるしなのである。それに、修士課程修了ということは〔引用者注・荻上は著書に東大大学院修士課程修了との経歴を記していたという〕、大学へ行けば修士論文を閲覧できる。卒論はできないのだから、それだけパブリックな学歴だということになるのだが、その学歴を明示しつつ実名を隠蔽するというのはあっていいことなのか。また、周囲の人間は正体を知りつつ「黙っててね」と言われているわけだが、そんな依頼に従う義務など、どこにもないし、私にもないのである。仮に「黙っていてくれれば教えます」と言われて知ったのなら背信行為になるが、それすらないのである。(p.185)


と述べているが、「周囲の人間は」以降の部分はまさにそのとおりで、そんな匿名性の確保に従わなければならない義理は全くないと思うが、それ以外の部分には同意できない。仮に現職の国会議員や高級官僚――いや元職でもいいか――が匿名で見解や論評を発表したとすれば、彼らはそのパブリックな立場故に非難されなければならないのだろうか。
 それに、では小谷野が非難するのはそうしたパブリックなケースに限られるのかと言えば必ずしもそうではなく、冒頭で引用した「後輩の大学院生」のようなケースもあれば、

 二十一世紀になって、インターネットが普及してくると、これはもう匿名での誹謗中傷の類があちこちに広まることになり、ここで初めて「匿名で何が悪いか」と開き直る連中というのが登場した。(p.177)


また、

 ウェブの発達によって、一般人の匿名での発信が可能になると、匿名に関する倫理は崩壊し始めた。(p.179)


とまで書いているのだから、「一般人」をも含めてやはり匿名による批判自体が「卑怯」と考えているのであって、修論云々は単なる言い訳と見るべきだろう。

 あるメールでは次のように述べていたという(太字は引用者による)。

私は、インターネットというものは、誰のチェックも入らないままに駄文や誹謗中傷を垂れ流せる、一面で有害なメディアだと認識しております。かつ、もし内容的に正しいものであろうと、他人を批判する場合には本名ないしは世間で通用している筆名の類を明記するのが最低限のルールだと考えております。「名を名乗る」というのが人に挑戦する際の礼儀であって、名を名乗りたくないならあのようなものは書かなければいいのです。内容以前に、匿名批評を私は憎んでおります。〔中略〕私は実名を名乗らず他人を批判する行為をする者を相手に議論する気はありません。


 先に述べたように、『名前とは何か』の「第6章 匿名とは何か」には、小谷野が何故匿名による批判を「卑怯」と見るかを述べた箇所は見当たらなかったが、小谷野が何故匿名による批判を忌み嫌うのかが明らかにされている箇所は存在した。

 それにしても、自発的に実名で、しかも場合によっては学術論文になるような内容のレビュー〔引用者注・Amazonの〕を書き込む人のいる西洋と、どうやら具体的に欠点を指摘するとレビュー不掲載になってしまうらしい日本とでは、まるで幕末の西洋と日本のように、文明国と未開国のようにずれている。
〔中略〕
 私は安易な日本文化論に対して警戒的だが、これは、少なくとも現時点における、日本の、西洋に対する独自性である(あるいはアジア的といえるのかもしれない)。被害妄想ではなくて、こういうウェブ匿名文化によって、一番被害をこうむるのは、私のような、大学などに所属せずに評論活動をしている者である。大学の先生は一般的に、匿名で何か言われても、放置している。小説家もやられるはすだが、小説の場合は、面白いか面白くないか、いいか悪いかというのは主観的な部分もある。対して評論の場合、明らかに具体的な指摘がなかったり、間違いに基づいた誹謗をやられると、不快感が大きい。これは米国のアマゾンでも、フェミニズムがからんだりすると起こるようだ。(p.181-182)


 私も、具体的に欠点を指摘したせいかAmazonでレビュー不掲載になった経験があるので、小谷野の言い分の一部はわかる。しかしそれは匿名か実名かという話とは別問題ではないか。
 私は西洋のインターネット事情はよく知らないが、小谷野の言うような相違はたしかにあるのかもしれない。わが国ではネット上で実名でのやりとりを忌避する傾向があるようには感じられる。facebookもわが国ではそれほど普及しないだろう。
 しかし、実名であれば何故「文明」的で匿名であれば「未開」的なのだろうか。それについての小谷野の言及もない。

 続く「ウェブ匿名文化によって、一番被害をこうむるのは、私のような、大学などに所属せずに評論活動をしている者である」というのがまたわからない。
 「大学の先生は一般的に、匿名で何か言われても、放置している」
 たしかに一般的にはそうした傾向にあるようだ。しかし、それはフリーの評論家にしてもまた同じではないだろうか。
 「評論の場合、明らかに具体的な指摘がなかったり、間違いに基づいた誹謗をやられると、不快感が大きい」
 それはそうだろう。その不快感に、大学教員もフリーも違いはないのではないか。何故フリーの評論家が「一番被害をこうむる」などと言えるのか。「被害妄想ではなくて」と言うが、被害妄想でしかないのではないか。
 別の箇所では、

 さて先ほど、政治家や企業なら匿名で批判してもいい、としたが、では、まだ公務員だった時代の国公立大学教授、助教授などは、どうなのであろうか。
 政治家であれ企業であれ、事実と違うことを言われたら、それはもちろん訴えたり、抗議したりする権利はあるが、単なる批判であったら、国公立大学教授、助教授の場合は、匿名でも甘受すべし、とするのが理であると思われる。(p.178-179)


とあり、前後を読むとどうもその理由は政治家と同様「お上」の一部であるからということのようだが、私立大学でも補助金を受けているのだし、ある学者がある主張について匿名による批判を受けたとしても、国公立大学にいる間はそれを甘受し、私立大学に移れば甘受する必要はなくなるというおかしな話になり、真面目に考えた上で発言しているとは思えない。

 そして、「明らかに具体的な指摘がなかったり、間違いに基づいた誹謗をやられる」ことが「放置」できないほど「不快」なのであれば、まずはその内容について反論すべきなのではないか。 その反論に対しさらに筋違いの誹謗中傷を加えたり、明白な誤りを訂正しない、あるいは逃走するといった対応をした場合、はじめてそれは「卑怯」と言うに値するだろう。
 しかしそれは、実名の場合でも起こり得ることであり、事実多々起こっているのではないか。
 匿名だからといって何故ことさら「卑怯」と言われなければならないのか、私にはやはりわからない。

 小谷野としては、要するに、まず、批判は実名で行うべしという(根拠のよくわからない)大前提があり、自分はそれを忠実に守っているのに、他人がそれに従わずに自由に匿名による批判を行っているのが我慢ならないというだけなのではないか。
 さらに言えば、批判は全人格をもって行うのが当然であり、批判の対象者からの反論に対しては、訴訟沙汰となることも含めて、あらゆる要求に応じなければならないとでも考えているのだろう(でなければ、オーマイニュースの記者について、反論しようとするのではなく、その住所を教えろという対応になるはずがない)。

 小谷野はそれでいいだろう。筆一本で食っている小谷野は、全人格をもって評論活動に従事しているのだろうから。
 しかし、誰もが小谷野のようにフリーの評論家ではないし、実名を公表するメリットがあるわけでもない。
 私がインターネット上で匿名を使用しているのは、別に暗闇から石を投げるようなことがしたいからではない。プロの物書きでもない私にとって、このような文章が私の手によるものであると公表することは、私の実生活において何のメリットもない。むしろわずらわしいだけだからだ。おそらく、多くの匿名使用者の心理も同じだろう。それを「未開」と非難するのは小谷野の自由だが、私はそうは思わない。肯定されるべきわが国の(あるいはアジアの?)独自性だと考える。

 小谷野のような実名で評論活動をしている者が、匿名による批判は卑怯だと感じる心理はわからないでもない。しかし、誰も小谷野に実名で評論活動を行ってくれと頼んだわけではない。小谷野が好きでその道を選んだのだし、そのリスクは自分で背負えばよい。
 筋違いな批判や誹謗中傷が放置できないのであれば、その内容について反論すればよいのだし、さらにそれへの対応が目に余ると考えるのであれば、法的措置もとればいいだろう(実際そうしているようだ)。だが、批判の内容以前に匿名であることが許せないという感覚は私には理解できない。
 そもそも、そういう小谷野自身、自分のブログでは氏名を公表していないのはどう理解すればいいのだろうか。
 時々、文末に「小谷野敦」と書いた記事が載るが、あれは匿名による批判を回避しているつもりなのだろうか。しかしそれを欠く記事でも他者への批判がしばしば見られる。
 もちろん、かのブログが小谷野の手によるものであることは少し調べればわかることである。しかし、少し調べればわかることだからといって、それを調べる義務が被批判者にあるわけではないこともまた当然である。調べない被批判者にとっては、かのブログの記事は匿名による批判にほかならない。
 ついでに言えば、小谷野の評論家としての知名度はそう低いわけでもないだろうが高いとも思えない。仮に「小谷野敦」による批判だと被批判者が認知したとして、それが誰のことだかわからなければ実名だろうが匿名だろうが同じことだろう。

 昔、車道の左側に隣接する歩道を自転車で進行し、対向して来た自転車に対して「左側通行やろ!」と叫んで過ぎ去っていく男を何度か見たことがある。
 彼にとって、歩道においては車道と同様自転車も左側通行すべきであり、(自分から見て)左側の歩道を対向して来る自転車は交通違反でありケシカランという認識なのだろう。
 しかし、道路交通法上、そんな規定は存在しないのである(自転車は原則車道を走るべきで、その場合は当然左側通行となるが、自転車の通行が許可された歩道を走る際には中央より車道寄りを走るべきとされているのみで、左側通行は義務づけられていない)。
 本来存在しない「ルール」が存在すると勝手に思い込み、それを他者に強要してやまない。
 小谷野がやっているのもこうしたことではないのだろうか。


(以下2012.8.31追記)
 その後小谷野は、ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」のプロフィール欄において、

小谷野敦(1962- )のブログである


と明記するようになった。

自民党に背骨はあったか

2011-07-14 20:41:57 | 「保守」系言説への疑問
 自民党の稲田朋美衆院議員が6月17日付け産経新聞の「正論」欄「背骨なき党と手握るは愚策なり」で次のように述べている。

〔前略〕

「反自民」でのみ結束の民主

 茶番劇を通じて露呈したのは、民主党が、第1に民主党を壊さないこと、第2に自民党を復権させないことを優先し、災害復興と被災者救済に責任を持つことを、その後に回した点である。民主党の一貫した主張はただ一つ、「反自民」だったということである。

 一昨年夏、政権交代が実現したのはなぜか。当時の自民党が国家国民のための正しい政策を実現することではなく、政権与党であり続けることにのみ価値を置く政治をしている、と国民が見て、政権を委ねる資格なしとの審判を下したからである。代わって登場した民主党もまた、政権与党であり続けることにのみ汲々(きゅうきゅう)としている。

 一方、わが自民党も、内閣不信任案提出を機に、またもや大連立の声が上がるなど、いまだに政局に翻弄されている。民主党政権の誤りは、菅氏が首相であることにとどまらず、党の綱領すら持たない“野合の衆”が政権にあり、民主主義も法治国家であることも無視した世論迎合の思いつき政治を続けている点にある。菅氏が首相でなければ連立を組むとか、菅氏が辞めたら特例公債法案を通すといった事柄ではないのである。

 民主党の問題は、国家観、祖国愛がないこと、財政規律無視のばらまき政策を反省しないこと、意思決定のプロセスがいい加減なこと、ウソを認めないなど政治姿勢が不真面目なことにある。要は、綱領がないことに象徴されるように政治の背骨がないのである。

連立は閣内不一致で立ち往生

 政党とは本来、政治について思想信条を同じくする者が集まるものである。背骨のない民主党などそもそも、政党とは言い難い。「反自民」の一点でのみ結束できるというのでは、あらゆる政策課題についてまともな決断ができず右往左往するのは当然だろう。震災対応がこうも遅れているのも、政権党に背骨がないからであり、迷惑しているのは国民である。

 そんな背骨なき政党と連立しても何一つ決まらないばかりか、外交、防衛、教育など重要基本政策をめぐって閣内不一致になるのは目にみえている。だから、大連立は愚策なのであり、首相が誰かということが理由なのではない。


 たしかに、民主党には綱領がない。
 党のホームページには「基本理念」及び「基本政策」なるものは掲げられているが、これは綱領ではない。
 民主党を批判する際にしばしば指摘される点である。

 これについては民主党も自覚しているようで、今年2月には党改革推進本部が設置され、綱領、規約、代表選のあり方の3点についてそれぞれ検討する委員会を設け、「遅くとも夏までには議論を集約して成案を得る」としている。

 本来、綱領は結党時に定められるものだろう。
 1998年の結党から10年以上も経つのに、何故綱領が定められなかったのか。
 それは、民主党が様々な勢力の寄り合い所帯であったがために、統一的な綱領を定めることが困難であり、またそれを必要としなかったからだろう。
 「民主党の一貫した主張はただ一つ、「反自民」だったということである。」という稲田の弁は正しい。ただ、付け加えるなら、「非社民」「非共産」でもあった。
 自民党にも社民党にも共産党にも与しなかった勢力が、最終的に民主党に結集したのである。
 そこにはかつての「社会党のプリンス」もいれば、除名されたが西村眞悟のような民族派もいた。綱領が策定できなかったのは当然だろうし、仮に綱領があれば、これほどの結集が可能だったかどうか疑問である。
 言わば、政党と言うよりは自民党政権打倒のための諸グループの連合体であり、だからこそ、福田康夫首相と小沢一郎代表との間で進められた大連立への動きに対して、党内からあれほど強い反発が生じたのだろう。

 しかし、民主党の政権獲得後の混迷ぶりは、果たして稲田が言うように綱領を欠いているためなのだろうか。

 そういう自民党には「政治の背骨」があったのだろうか。

 自民党結党時の綱領は現在でも自民党のホームページに掲げられている。次のようなシンプルなものである。

綱領
昭和三十年十一月十五日

一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。

一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。

一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。


 率直に言って、読みようによってどうとでもとれる、曖昧模糊としたものだと思う(仮にこれを民主党の綱領だと言っても通用するのではないか)。
 「経済の総合計画」「福祉国家の完成」といった語句からは社会民主主義の臭いも感じられる。

 これを、例えば、同年に左右が統一して成立した社会党の綱領や、宮本体制が確立した1961年の共産党の綱領と比較すれば、その違いは歴然としている。

 何故こうしたことになるのか。
 
 それは、自民党がいわゆる保守政党であり、現状維持と漸進的改革を志向した政党であるからだろう。

 Yahoo!百科辞典で「綱領」を検索すると、『日本大百科全書』(小学館)の次のような記述が呈示される(太字は引用者による。以下同じ)。

大衆団体や政治団体、とくに政党の基本的立場や目標、実現の方法、基本政策、当面の要求、組織などを定めた文書。綱領は一般に結社の最大公約数的一致点を示し、できるだけ多数の支持を獲得するため、具体的でないものが多い。また、結社の存在理由を明示し、一般大衆に印象づける必要性から、簡潔明瞭(めいりょう)なものが好まれる。とくに、保守党の綱領は抽象的な項目の列挙に終わる傾向が強い。これに比べて、革新政党の綱領は運動の戦略・戦術まで詳しく展開したものが多く、とりわけ共産主義政党は、終極目標を示す最大限綱領、その過程の段階的目標を示す最小限綱領、当面の要求を示す行動綱領を厳密に規定している。綱領は、一面では世論を反映するとともに、他面では積極的に世論を形成する要素ともなる。1875年ドイツ社会主義労働者党のゴータ綱領、1891年ドイツ社会民主党のエルフルト綱領、1959年のバート・ゴーデスベルク綱領などがよく知られている。


 もっとも、自民党は結党時にこの綱領以外にも「立党宣言」「党の性格」「党の使命」「党の政綱」という文書を採択している。これらも先の綱領と同じページに掲載されており、準綱領的文書ということになるのだろう。
 これらを要約すると、自民党は結党時に次のように自己規定していたと言えるだろう。

1.階級政党ではなく国民政党である
2.議会主義に立ち、暴力革命を排し、極左、極右の全体主義と対決する
3.時代の要求に即応して現状を改革する進歩的政党である
4.自由主義経済に計画性を付与し、経済の自立繁栄と完全雇用の達成を図る
5.社会保障政策を強力に実施し、福祉国家の実現を図る
6.国連憲章の精神に則った平和主義に立ち、善隣友好外交を進める
7.憲法改正を図り、自衛軍備を整え、在日米軍撤退に備える

 そして、特に重点が置かれているのが、1と2だろう。

 忘れてはならないのは、この当時、国民政党を名乗り、議会主義に立つことが明白な政党は、国政を担う大政党では自民党しか存在しなかったということだ。
 自民党の結党に1か月先立ち、左派と右派に分裂していた社会党が統一した。統一綱領では「階級的大衆政党」という折衷的表現を用い、また「民主的、平和的に」と断りながらも「社会主義革命を遂行する」としていた。政権獲得の前後を問わず自由選挙と代議制を確保する「つもりであ」るとしていたが、党内にソ連型社会主義を支持する勢力を含む以上、その実行性は疑わしかった。
 そして国会には自民党と社会党のほかには、共産党などごく少数の政党しかなかった。民社党も公明党もまだ存在しなかった。
 したがって、社会主義に否定的な立場の者は、自民党に票を投じるしかなかった。

 自民党は、吉田茂系の自由党と鳩山一郎系の民主党の合同によって成立した。
 何故両党は合同したのか。
 それは、吉田内閣末期から鳩山内閣初期にかけて、自由党も民主党も共に少数与党で政権が不安定であったため、安定した政権基盤を確保する必要があったからだ。
 さらに、3分の2以上の議席を確保して、憲法改正を実現する意図もあったと聞く。

 自民党もまた、民主党と同様、様々な勢力の集合体であった。官僚出身の池田勇人や佐藤栄作、党人派の大野伴睦や河野一郎、戦中期に大臣を務めた岸信介や賀屋興宣もいれば、左派の三木武夫や宇都宮徳馬もいた。
 彼らに共通するのはただ一点、議会主義に立つ国民政党に与するということだけであり、要するに非社会主義、もっと端的に言えば「反共」であろう。
 民主党が「反自民」で一貫していたのと同様、自民党もまた「反共」で一貫していた。

 そして、三木おろしや40日抗争のような危機はあったが、何よりもまず「自民党を壊さないこと」「社会党に政権を渡さないこと」が優先された。
 ソ連が崩壊し、社会党が政権に加わってもわが国が共産化しないことが明白になって初めて、小沢一郎らは集団離党に踏み切って自民党を下野させ、また自民党は社会党と連立して(社会党の首班を担いでまで!)政権を奪還したのだ。
 「反共」が意味を失った後は、単に与党であること自体に存在意義を見出したと言えるだろう。自自連立、自公連立にしてもまた同じ。
 「政権与党であり続けることにのみ価値を置く政治をしている、と国民が見て、政権を委ねる資格なしとの審判を下した」との稲田の見方はこれまた正しい。

 だが、稲田が言うように、民主党には綱領がなく「反自民」の一点で結束したにすぎないから、「あらゆる政策課題についてまともな決断ができず右往左往」しているのだろうか。
 では自民党は各種の政策課題について統一的な見解がとれているのだろうか。
 現在問題となっている原発についてはどうか。
 TPPには賛成なのか、反対なのか。
 外国人参政権はどうか。人権擁護救済法案はどうか(この2つを民主党が進めているかのように主張する者がいるが、これらはもともと自民党政権の下で出てきた話である)。
 女系天皇を認めるのか、認めないのか。認めないとすれば皇室存続のためには至急何らかの対策を立てるべきではないのか。

 「背骨」があるなら何故、「刺客」を放ってまで落選させようとした郵政民営化反対派を、その1年後に復党させるなどという無様な真似をしたのか。

 「党の政綱」に掲げられた「現行憲法の自主的改正」が池田内閣以来安倍内閣まで棚上げされてきたのは何故か。また「駐留外国軍隊の撤退」は現在に至るまで全く無視されているのではないか。

 私は何も自民党を否定したいのではない。戦後のわが国はおおむね正しい方向を歩んできた、それは長らく与党であった自民党の功績だと考えている。
 しかし、民主党には綱領という「背骨」がないから右往左往しており、自民党と大連立を組んでも閣内不一致で立ち往生するだけだという稲田の主張には賛成できない。
 私には、綱領があろうがなかろうが、民主党の成り立ちは自民党のそれと比べてさして違いがあるとは思えない。
 民主党に結集した勢力は、かつて自民党に結集した勢力よりさらに幅が広く、しかも今は「反共」で通用するイデオロギーの時代ではないから、綱領の制定は容易なことではないと思うが。

 そもそも連立政権は綱領ではなく政党間の政策協定に基づいて運営されるべきものだろう。
 自民党も、「背骨」がかなり異なるにもかかわらず、「反小沢」の一点で一致して、社会党及び新党さきがけとの連立政権を維持したではないか。

 ところで、稲田は上記の引用部分に続けてこう述べている。

 さて、翻って、自民党は真の政党たりえているのか。自民党の支持率が上がらない要因は、有権者たちがためらわずそうだといえないあたりにあるのではないか。

 綱領も理念もない民主党と手を組めば、自民党の存在感はますます薄れてしまうだけでなく、自民党もまた、思想信条なき政党に転落しかねない。そうならずとも、早晩、民主党の大衆迎合政治や社会主義的な発想とは妥協できなくなって連立離脱を余儀なくされ、そうなれば「ふらふらしている」党という印象を与えてしまう。

 では、今の難局をどう打開するのか。最終的には解散・総選挙しかない。復旧復興には最大限協力する、しかし、誤りは厳しくただす、そして選挙ができる状況になれば解散・総選挙に追い込んで戦う。「急がば回れ」である。

自民首班で空白埋める道も

 政治空白をいつまで続けるのかと問われれば、民主党政権が続く限りと答えるしかない。今回のような緊急事態では、全国津々浦々に張り巡らされた組織や人のネットワークの活用が必要だ。が、自民党にはそれがあり、民主党にはそれがない。つい先日も、ある経済人が発災直後、自民党の多くの政治家からは協力要請があったのに民主党の政治家からは何もなかった、と空白感を嘆いていた。

 解散・総選挙をせず、現有議席の下で即断即決できる体制を作ることも可能である。野党第一党の自民党の総裁を首班とする政権を編成し、その政策に賛同する国会議員すべてが参加するのだ。これは連立ではない。民主党議員は野合をやめ、自らの良心に照らして自民党の首班に投票してもらえばいい。その体制下で復旧復興を即断即決で進める一方、最高裁で違憲とされた一票の格差を是正する選挙制度改革も早急に行い、そのうえで解散し国民の信を問う。

 いずれにしても、今の日本の政治家に求められていることは、たった一つである。私利私欲や政局ではなく、この国難にあたって自らを国に捧(ささ)げる覚悟である。(いなだ ともみ)


 現在衆議院では民主党は3分の2近くの議席を占めている。自民党はその民主党の4分の1程度の議席しか持たない。
 この勢力比でどうやって自民党総裁を首班とする内閣が成立し得るというのか。仮に成立したとして、政党ではなく個々の議員の支持に基づいて、どのような「即断即決できる体制」を構築できるというのか。
 これは確かに「連立ではない」だろう。これは他党議員の「一本釣り」ならぬ「百本釣り」だ。
 しかしそんな、稲田の弁によれば“野合の衆”の支持に基づく内閣に、まともな政権運営が可能とは思えない。

 それにしても、
「政治空白をいつまで続けるのかと問われれば、民主党政権が続く限りと答えるしかない」
とは恐れ入った。
 稲田は、
「今の日本の政治家に求められていることは、たった一つである。私利私欲や政局ではなく、この国難にあたって自らを国に捧(ささ)げる覚悟である。」
と締めくくっているが、この政治空白を続けるという主張や先の自民党首班内閣の提言が「私利私欲や政局」でなくて何だというのだろうか。

亀井静香らが安住淳国対委員長を批判――との記事を読んで

2011-07-07 00:11:36 | 現代日本政治
 アサヒ・コムでこんな記事を見た。

首相批判の安住氏にベテラン苦言「内ゲバ以下」「落第」
2011年7月6日19時43分

 菅直人首相の批判を続ける民主党の安住淳国会対策委員長に対し、亀井静香首相補佐官(国民新党代表)と石井一・民主党選対委員長が6日、逆批判した。2人とも自民党出身のベテラン議員。安住氏の振る舞いを未熟と見て、我慢ならなかったようだ。

 安住氏は6日の党国対の会合でも、復興担当相人事をめぐり「国対の努力があって初めて法律が通るのに、官邸から相談はなかった」と首相を批判した。

 警察官僚出身の亀井氏は6日の記者会見で「自民党だって国対委員長と相談した組閣なんてしたことがない」と述べたうえで、安住氏の言動を「極左の内ゲバよりも程度が悪い。極左の連中は理念を持っていた」と酷評。同日の首相との会談では、安住氏を注意するよう進言した。石井氏も朝日新聞の取材に「国対委員長として落第。自分の家のおやじの文句を外に向かって言うやつがあるか。どう見られるか考えるべきだ」と批判した。


 他紙の報道での亀井発言も確認してみた。
 読売。

亀井代表「民主党はアナーキーになっている」
〔前略〕亀井氏は会談後、記者団に「民主党執行部が首相の人事権にまで要求するようなことを平気で言っているような状況は、あまりにも目に余る。これでは政権が成り立たない」と怒りをあらわにした。

 亀井氏は会談に先立つ記者会見でも「安住氏は(自分が偉いと)勘違いしているんじゃないか。国対委員長と相談した組閣なんて、自民党だってやったことがない」と安住氏を名指しで批判した。さらに、党執行部が首相を公然と批判する民主党の現状について、「アナーキー(無秩序)になっている。極左の内ゲバより程度が悪い」と皮肉った。
(2011年7月6日19時36分 読売新聞)


 産経。

「極左の内ゲバより程度が悪い」「今の民主はアナーキー」 亀井氏が民主内紛を酷評
2011.7.6 17:47

〔前略〕亀井氏は、警察庁警備局で極左事件の初代統括責任者を務めた経験から、「まだ極左の連中はそれなりの理想と理念を持ち、お互いに本気でケンカをしていた。国対委員長がどうだこうだという今の民主党は、アナーキー(無政府状態)になっている」と語った。



 その安住の発言とは、次のようなものであるらしい。
 時事ドットコムより。

首相を改めて批判=民主・安住氏

 民主党の安住淳国対委員長は6日昼、国会内で開かれた党の会合で、平野達男復興担当相の就任に伴う副大臣補充などの人事に関し、「玉突き」で影響を受けかねない党国対に「相談がなかった」と指摘、「人を動かすのはそう簡単なことではないと自覚した上で仕事をしないと、支えきれなくなる」と述べ、菅直人首相を改めて批判した。
 安住氏は「国会運営をないがしろにし、内閣が独り歩きして党が持つわけがない」と強調した。(2011/07/06-13:20)


 日経のサイトにはこんな記事が。

民主の安住国対委員長、副大臣人事で抗議
2011/7/6 19:09

 民主党の安住淳国会対策委員長は6日、内閣府副大臣に同党の山口壮氏を起用した人事について、5日夜に枝野幸男官房長官に抗議したと記者団に明かした。「副大臣が決まったのは報道で知った」としたうえで「官房長官は山口氏が衆院東日本大震災復興特別委員会の理事をやってる認識すらなかったので、厳重に注意した」と述べた。

 中山義活経済産業政務官の副大臣昇格が撤回された人事を巡り、首相が「(民主党)国対との調整がつかなかった」と述べたとされる問題に関しては「そうした事実は一切ない」と反論した。


 たしかに、そんな話を内輪でならともかく記者に語ってどうするという気はする。

 それにしても、亀井静香。
 以前にも極左を肯定的に評価する発言を目にしたが、どうしてそういう話になるのだろうか。
「理念を持っていた」からどうだというのか。
 理念を持っていようがいまいが、誤った行動を起こしてしまえば同様に非難されるべきではないのか。
 そして、その「理念」に基づいて誤った行動に及んだのなら、その「理念」も含めて非難されるべきではないのか。

 もちろん、亀井が言いたいのは、安住の菅批判は理念の対立によるものではなく、単なる不満の暴露であり、民主党は統制を欠いているということだろう。
 それはわかる。
 だが、そこにどうして極左の内ゲバを引き合いに出さなければならないのだろうか。

 それはやはり、「理念」に殉じた極左の連中に亀井がある種のシンパシーを覚えているからではないか。

 冒頭の記事の亀井や石井の安住批判は、それ自体は正論だろう。
 たしかに、自民党時代には国対委員長ごときが閣僚の人選を云々するなど考えられなかった。
 また、先の浜田和幸参院議員の自民党からの一本釣りに見られたように、さすがに与党経験の長いベテラン議員は違うと思わせられた面もある。
 それでも、こうした「理念」重視の姿勢は、亀井は極めて危険な政治家ではないかと私に思わせる。


松本龍・震災復興担当相の辞任に思う

2011-07-06 00:16:17 | 現代日本政治
 暴言、失言で閣僚の座を棒に振った政治家は数多い。
 しかし、これほどまでに傲岸不遜ぶりを自ら白日の下に晒したケースはまれではないだろうか。

 政治家が、傲岸な振る舞いを見せることはしばしばあると聞く。
 そうでなければ、政治家などという商売は務まらないのかもしれない。
 鈴木宗男は、外務官僚を恫喝していたと聞く。
 田中真紀子も、外相時代に、外務省職員や秘書に対する態度がひどすぎると報じられた。
 そうした要素は、大なり小なり、多くの政治家にあるのかもしれない。

 しかし、官僚や職員や秘書は、所詮は部下である。
 部下に対して上司が指示監督し、叱咤激励する。それ自体は至極当然のことだろう。
 だが、県知事は大臣の部下ではない。
 まして、自らが復興を担当する被災地の知事である。単なる陳情の相手ではない。
 今回の松本の両知事への態度が非難されるのは当然だろう。

 松本のそうした振る舞いは、彼が解放同盟出身の議員であることや、祖父治一郎が興した建設会社松本組の関係者であることと無縁ではないだろう。
 そうした他人との接し方が、彼の常識であったのかもしれない。
 また、震災復興担当相への就任を何度も固辞したとも伝えられるが、そうしたことも影響しているのかもしれない。

 環境相としてはどうだったのか、環境省の方の人物評も聞いてみたいものだ。
 と思って検索してみたら、毎日jpに、環境相時代の松本の次のようなエピソードが掲載されていた

 環境相時代に仕えた部下の評価は、「親分肌の政治家」で一致する。「チームを作り、失敗してもその責任を取ることが大臣の役割」と復興担当相の就任会見でそうした姿勢を見せる一方、単刀直入な発言で、周囲を驚かせることも多かった。

 菅直人首相の退陣表明や不信任決議案を巡り混乱した翌日の会見で、環境相だった松本氏は閣内で真っ先に「一日も早く退陣した方がいい」と断言。周囲には「普通の感覚でしゃべっただけだ」と平然としていたという。

 松本氏の評価を高めたのは、昨年10月の国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で議長を務め、名古屋議定書の採択など、成功に導いたことだ。「各国代表の意見を議長の権威で突っぱねることもできたが、その選択をせず、丁寧に声を拾い上げる手法をとった」と粘り強さを評価する意見も。今回の問題については「力が入りすぎたのかなあ」と分析する声も出ている。


 昨日の朝日新聞夕刊には、辞任会見が細かいやりとりに至るまで全文掲載されていた。何故ここまでやるのか不思議に思った(問題発言で辞任する閣僚の会見を、ここまで細かく載せるのはまれではないかと思う)が、それを読む限り、これは相当の奇人だなと思わざるを得なかった。
 しかし、この会見でもところどころ述べられている謝罪や、被災者への思いが、まるっきり嘘八百だとは私には思えない。
 後任となった平野達男内閣府副大臣も、(松本大臣の)「これまでの姿勢をみており、あの一言だけでやめたのは残念だ」と語ったという。
 松本なりに、務めを全うするつもりはあったのだろうと私は思う。だが、あんな発言をしておいて、それでは通らないのもまた当然だろう。

 つまりは、人選ミスだったということになり、菅首相の任命責任が問われるのは避けられまい。
 野党や、鳩山・小沢グループは、これを理由に再び内閣不信任案を提出してもいいのではないか。

 ところで、わが大阪府の橋下知事は、次のように述べたという。

橋下知事「松本氏、辞める必要なんて全くない」(読売新聞) 2011年07月05日 21時08分

 松本復興相の辞任について、大阪府の橋下徹知事は5日、「きちんと謝罪して、これから仕事で結果を出すということであれば何も問題ない。辞める必要なんて全くないと思う」と報道陣に語った。

 橋下知事は「僕も山ほどそんな(問題)発言をしているが、まずかったら謝って、正し、その代わりに仕事はしっかりやるということでいいと考えている」と主張。「一つの発言だけを取り上げて、大臣の職を辞めなきゃいけないなんていうのは、日本の政治も末期症状だ」と述べた。


 これは全くの正論で、私も松本が辞めるべきだとは思わない。
 何かと発言を問題視し、辞任を迫るマスコミの圧力を常々苦々しく思っている。
 しかし、そうした正論が通らないのもまた現実である。

 また、今回は、マスコミの辞任圧力が高まる前に、松本があっさり身を引いたという感がある。
 もともと菅の退陣を主張していた松本に、大臣の地位に固執するつもりはなかったのかもしれない。

 そして、「一つの発言だけを取り上げて、大臣の職を辞めなきゃいけないなんていうのは」何も近年に限ったことではなく、池田勇人が通産相時代に述べた「中小企業の倒産はやむを得ない」発言をはじめ昔から多々ある話であり、明治憲法下においても、辞任にまでは至らなくても、発言が議会で問題視されて政権が窮地に追い込まれることはままあった。
 おそらくは他の民主制国家でも同様であり、別に「末期症状」と言うほとのことはないだろう。
 民主制の弊害と言えるだろうし、また民主制とはそういうものだとも言えるだろう。


産経抄の沖縄批判を読んで――改憲が米軍撤退の早道?

2011-07-05 01:06:34 | マスコミ
 しばらく前に産経抄についての記事を書いていて、そういえば、震災直前の産経抄にひどいものがあったのを思い出した。
 私はふだん産経新聞を読まないので、産経抄が日常的にどのようなレベルのコラムなのかよく知らないが、たまたま読んだこれは、わが国の新聞コラム史に残るのではないかと思わせるほど下品で不快なものだった。
 心覚えのため、記録しておく。

【産経抄】3月9日
2011.3.9 02:46

 拝啓 沖縄のみなさまへ。東京は弥生に入っても雪が降りましたが、やんばるのつつじは、もう見ごろでしょうねえ。寒がりの抄子にとってうらやましい限りです。

 ▼さて、メアという米国務省の偉い人がひどいことを言ったようですね。「沖縄の人々は怠惰でゴーヤーも育てられない」と間違った情報を学生に教え、「沖縄の人々は日本政府に対するごまかし、ゆすりの名人だ」と罵(ののし)ったとか。

 ▼「ウチナー時間」といわれるほど時間に大らかでも、離婚率が日本一でも怠惰といわれる筋合いはありません。第一、和名でツルレイシというゴーヤーは、宮崎などでも盛んに栽培されていますが、沖縄が出荷量日本一なのは変わりません。

 ▼「ごまかし、ゆすりの名人」に至っては、何を指しているのかわかりません。まさか、政府が北部振興策や基地対策と称し、湯水のごとく札束をばらまいていることではないはずです。メアという人は何にも知らない素人ですね。

 ▼と思っていたら、20年近くも日本に住み、沖縄で総領事を3年務め、かりゆしまで着ていたとか。沖縄でよほどいやな経験をしたか正直者かのどちらかでしょう。でも、もっと重要なのは「改憲されていたら、米国の国益を増進するため日本の土地を使うことができなくなっていた」という発言です。

 ▼彼の理屈では、日本には戦力と交戦権を否定した憲法9条があるので、自衛隊だけで国を守れず、米軍に頼らざるを得ない、というわけです。悔しいけれど当たっています。地元紙には書いてありませんが、米軍基地をなくす早道は憲法改正しかありません。さあ、沖縄から憲法を変えましょう。デモもできない隣の国が変な気を起こさぬ前に。敬具。


 読みながらまず思ったのは、産経はこれほどのことを述べて大丈夫なのか、沖縄を敵に回すつもりなのか、ということだった。
 しかし、産経新聞社の資料である購読者分布図によると、購読者に九州・沖縄が占める割合はわずか0.4%にすぎない。
 また、沖縄における新聞は、地元2紙の寡占状態にあるとも聞く。
 だとすれば、産経としては、たとえ沖縄の不興を買ったところで、痛くもかゆくもないのかもしれない。

 それにしても、ここに見られる態度は、わが国の全国紙が、その一地方に対して示すものとして、妥当だとは到底思えない。
 特定の地方をこれほどまでに揶揄し愚弄した新聞コラムがこれまでにあっただろうか(いや、私は別に新聞のコラム史に通じているわけではないので、もしかするとあったかもしれないが、ちょっと想像がつかない)。

 私は、この米国務省のメア日本部長の発言を朝日新聞紙上で初めて読んだ時(私は朝日を購読している)、それほと問題だとは思わなかった。
 元々どこまで正確なものか怪しげな話だし〔注〕、仮に真実だったとしても、大学という限られた場所でのオフレコでの話であって、国務省日本部長として公式の場で発言したわけではない。また、彼が実際このように感じていたとしても、それは有り得る話であって、批判するには当たらないと考えた。
 むしろ、この問題をことさらに騒ぎ立てて、反米感情を煽り、あわよくば普天間問題での米国の何らかの譲歩に結びつけようとする朝日新聞の報道姿勢を実にいやらしく思った。

 しかし、この産経抄を読んで、私はメア発言を読んだ時にはなかった強い憤りを覚えた。
 これが日本人の物言いだろうか。
 産経抄子は沖縄県民を同じ日本人だと考えているのだろうか。

 以前、民主党の「沖縄ビジョン」を批判するFlashを見たことがあるが、その冒頭に

わたしたちの沖縄が
日本ではなくなる
その日が刻一刻と近づいています――


とあったが、Flash全体を通して見たところ、その「わたしたちの沖縄」とは、
「わたしたちと共に在る、わたしたちの同胞としての沖縄」
ではなく、
「わたしたちの所有物としての沖縄」
であり、それが「わたしたちの」物ではなくなるおそれがある、そのことを憂うものだと感じた。
 産経抄子の沖縄観も、それと同質のものではないのだろうか。

 この3月9日のコラムにツッコミ所は多々あるのだが、最後の

彼の理屈では、日本には戦力と交戦権を否定した憲法9条があるので、自衛隊だけで国を守れず、米軍に頼らざるを得ない、というわけです。悔しいけれど当たっています。地元紙には書いてありませんが、米軍基地をなくす早道は憲法改正しかありません。


という主張について述べておきたい。

 これは事実だろうか。

 たしかに、1951年、サンフランシスコ平和条約と同時に締結された旧日米安全保障条約はそのような性質のものだった。
 同条約の前文は次のとおり。

 日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。

 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。

 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。

 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。


 しかし、その前年である1950年の7月には、GHQが警察予備隊の創設を指令した。これは周知のように、1952年には保安隊に、1954年には自衛隊に改組された。
 そして、1960年に改定された現行の日米安保条約は、旧条約とはうって変わって「日本国は……希望する」といった米国に駐留を懇願する文言はなく、両国は文面上は対等な関係となっている(実質的にはともかく)。

 産経抄が言うように、たしかに憲法第9条は「戦力と交戦権を否定し」ている。
 しかし、自衛隊創設後の政府は、ここに言う「戦力」とは「国際紛争を解決する手段として」行使されるものであり、他国からの武力攻撃に対して自衛のために用いられる武力の保持は、憲法に違反しないとの新たな解釈を採っている。
 また、「交戦権」とは、単に戦いを交える権利ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利を指すものであり、自衛のための武力の行使はこれに含まれないとの立場を採っている。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 したがって、現行憲法の下でも「自衛隊だけで国を守」ることは可能だ。

 では何故在日米軍が存在するのか。
 それは、わが国が敗戦し米国に占領されたという歴史的経緯によるものだが、それが現在までも続いているのは、その存在が米国にとっても、わが国にとっても望ましいからにほかならない。
 米国にとっては、東アジアにおける軍事的プレゼンスの拠点であり、また、わが国がおかしなことを起こさないよう釘を刺す意味合いもある。
 わが国にとっては、軍事面での欠落を補完する存在であると同時に、自由主義陣営の一員としての立場を保証するものでもある。

 では何故9条の改正が必要なのか。
 それは、解釈改憲の積み重ねによって現状を維持し、未だに憲法違反との指摘が絶えない自衛隊を明文化することにより、論議に終止符を打つためだろう。
 さらには、自衛隊ではなく「国軍」と定義して、海外派兵も可能な「普通の国」となることを考えている者もいることだろう(私はそうした考えだ)。

 だから、9条は現在の在日米軍の存在とは直接関係ないし、9条を改正したからといって米軍基地がなくなるなどとはもちろん言えない。
 こんなことは、9条改正に関心を持つ者なら、わかりきったことではないか。

 問題になったメアの発言中、憲法に関する箇所は次のとおり(沖縄タイムスのサイトに掲載されている共同通信の報道から)。

私は日本国憲法9条を変える必要はないと思っている。憲法9条が変わるとは思えない。日本の憲法が変わると日本は米軍を必要としなくなってしまうので、米国にとってはよくない。もし日本の憲法が変わると、米国は国益を増進するために日本の土地を使うことができなくなってしまう。日本政府が現在払っている高額の米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。米国は日本で非常に得な取り引きをしている。


 メアが何を考えてこんな話を持ち出したのか、私にはわからない。あるいはさんざんわが国政府からそのように吹き込まれてきたためそう信じているのかもしれないし、意図的にわが国政府の意向に沿って話したのかもしれない。
 しかし、改憲を志向する産経新聞は、メア発言のこの箇所が誤りであることは容易にわかるはずだ。
 「地元紙には書いてありませんが」も何も、地元紙でない産経がそんな「米軍基地をなくす早道は憲法改正しかありません」などという珍妙な主張をしたことがあるというのか。

 産経抄子が本気でそう考えているとはとても思えない。これもまた、この3月9日の産経抄の他の箇所と同様、ある種のブラックジョークのつもりなのだろう。
 それにしても、あまりにも不謹慎ではないか。
 仮に将来憲法改正が成ったとして、それでも在日米軍の存在に変わりなく、沖縄県民に問い詰められたら、産経抄子はどう申し開きをするつもりなのか。

 私は先にも触れたように9条改正を志向する改憲派だが、改憲派にとっての最大の障害は、頑迷固陋な非武装中立論者ではない。
 この産経抄子に見られるような、言わばおふざけ改憲論だ。
 本気で改憲が成った時のことも考えずに、言葉をもてあそぶ者どもだ。
 改憲派がこんなレベルなら、むしろ改憲しない方が良いのではないかと中間派に思わせてしまう、味方の足を平気で引っ張り、しかもそれに気付かない者どもこそが、最大の障害だと私は考える。


〔注〕元々どこまで正確なものか怪しげな話だし
 メアは、この問題によって米国務省日本部長を更迭され、4月6日には国務省を退職したが、同月14日、米紙ウォールストリート・ジャーナルのサイトで、発言は「でっち上げ」だと主張しているという。
 沖縄差別発言は「でっち上げ」 更迭の元米高官が反論

 

浜田和幸参院議員の「一本釣り」に思うこと(2)――離党は悪か

2011-07-03 00:22:40 | 現代日本政治
(前回の記事はこちら

 浜田と同じ鳥取選出の石破茂政調会長のブログにはこうある。

浜田議員
2011年6月27日 (月)

 本日、鳥取県選挙区選出の浜田和幸参議院議員が自民党を離党し、菅改造内閣の総務政務官に就任することとなりました。
 先週末から様々な報道はあったものの、同氏から私に対して何の連絡も相談もなかったため、こちらから探して連絡がついたのが今朝のこと。
 私からは「一国の国会議員の判断にとやかく言うつもりはない。但し、私は、自分に一票を投じ、今の立場にしてくれた人たちの思いに背くことは決して許されることとは思わない」とだけ申し上げました。
 昨年夏、出遅れ、知名度の低い同氏を当選させるため、どれほどの鳥取県の自民党員が、あの酷暑の中、必死で活動したか。それに少しでも感謝の気持ちがあればあのような行動にはならないはずです。
 自民党は復興に協力していない、というのなら、党の復興関係会議でどれほど発言したのか。連立を巡って開催された両院議員会議に出席して意見を一回でも述べたのか。残念の極みであり、このような人物を推したことに、鳥取県の有権者に対して、全国の自民党支持者に対して申し訳ない思いで一杯です。
 
 歴史の混乱期には必ずこのような、自分が操られていることに気付かない道化的な人物が登場します。自分でも内心忸怩たるものがあったのでしょうか、離党届は本人が持ってくるのではなく、秘書に持参させました。誠に潔くありません。
 私自身、浜田氏を当選させるまでは自分の責務だと思ってきましたが、その後の活動に対してはすべて彼自身の責任と思い、あれこれ言うことを控えてきました。冷たいようですが、国会議員の自覚と責任とはそういうものだと思っています。それが「面倒見が悪い」と言われる所以であることもよく承知は致しておりますが、子供ではあるまいし、甘えるべきではありません。

 人の心を弄ぶこのような手法を使う菅内閣は決して長くないことを断言しておきます。自民党に対決姿勢を鮮明にした以上、脱原発を争点とした解散・総選挙も現実味を帯びてきました。いよいよ国の命運を賭けた戦いが始まるように思います。



悲しい一週間
2011年7月 1日 (金)

 浜田議員の件につき、多くのご意見を頂きました。あれから五日が経過し、何ともやりきれない、残念で悲しくて、口惜しくてたまらない思いで一杯です。 
 あのような行動をしながら一言も詫びることなく、地元に説明することもなく、ひたすら自己正当化を図るような人物が実際にいたということに対する驚きと自分の認識の甘さに対する嫌悪感。そんな人物であることが見抜けなかった己の愚かさ。そしてそのような者を鳥取県の有権者にお願いした申し訳なさ。自民党と私を信じて厳寒の中、酷暑の中、後援会活動や選挙運動をしてくださった後援者の皆様や、連立を組んでもいないのに支援して下さった公明党の皆様に対するすまなさ。それらがないまぜになって、眠れぬ日々が続きます。
 なによりも、被災地に一歩も足を踏み入れていないにも関わらず「復興支援のため」と言えること自体、被災者の方々のみならず国民全体を愚弄するものではないのでしょうか。

 これに関わった菅直人総理をはじめとする人たちに、鉄槌を下さねばなりません。このような人たちは、政治家としても人間としても失格です。世の中はそのような者たちが往々にしてのうのうと生き延びていることもまた事実ですが、諦めてはなりません。
 綺麗事に聞こえるでしょうし、世の中そうは甘くないことも重々承知していますが、少なくとも私は人の心を弄び、善意を踏みにじり、恩義(自民党に対する恩義というよりも、お世話になった人たちに対する恩義という意味で)を忘れるような人たちを絶対に許すつもりはありません。「世の中を舐めている」という言葉はこのような人々のためにあり、必ず思い知らせなくてはなりません。〔後略〕


 自分に投票してくれた選挙人、選挙活動に従事してくれた党員や後援者、世話になった人々のことを考えれば、離党して政権入りなどできるはずがない、浜田も、また引き抜いた菅や亀井も、「政治家としても人間としても失格」だというのである。

 国会議員とは、果たしてそのように考えて行動すべきなのだろうか。

 そういう石破は、離党したことがないのだろうか。

 1993年7月の衆院選で石破は3度目の当選を果たした。しかしこの選挙で自民党は初めて下野し、非自民・非共産8党派による細川内閣が成立した。
 石破は12月に自民党を離党し、翌年1月に同じく離党者である西岡武夫らと会派「改革の会」を結成した。同会は8党派政権に接近し、石破は4月に小沢一郎、羽田孜らの新生党に入党し、連立与党の一員となった
 短命の羽田内閣を経て、6月に自社さ政権である村山内閣が成立し、新生党は下野。同じく下野した日本新党、民社党などと共に新進党を結成し、石破もこれに参加した。
 しかし1996年10月の衆院選を前に新進党を離党して無所属で立候補し当選。1997年3月には自民党に復党した。

 つまり、

所属政党が下野
   ↓
離党して与党入り
   ↓
その党が下野し旧所属政党が政権復帰
   ↓
離党して与党である旧所属政党に復党

という経過をたどったわけだ。
 これは、上記の石破のブログの記述に照らせば、かなり不名誉な経歴ではないだろうか。

 石破のホームページを見ると、プロフィールにこの離党と復党について全く書かれていないことに唖然とした。
 不都合な過去は、なかったことにしたいのだろうか。

 石破だけではない。自民党には、いったん離党し復党した者や、他党から加わった者が少なからずいるはずだ。
 小池百合子総務会長はどうか。高市早苗政調副会長はどうなのか。

 国会議員はたしかに、自分に票を投じてくれた選挙人の支持によってその職に就くのである。
 そして、当選に至るまでには、選挙活動に直接従事する党員や後援者の尽力があり、その他様々な人間の協力が欠かせないこともまた事実であろう。

 だからといって、国会議員が、常に彼らのことを念頭に置き、彼らの意向に背かないよう行動しなければならないとは言えない。
 国会議員は、自分に票を投じてくれたものの代表でもなければ、その選挙区の代表というわけでもない。
 いったん国会議員になった者は、一人一人が国民全体の代表者なのである。
 選挙とは、○○党の議員を何名選ぶかという作業ではなく、あくまで××という人物個人を選ぶものである。
 それがたとえ比例代表制によるものであってもである。それは便宜上採られた選出方法にすぎず、選出された議員を縛るものではない。

 だから、国会議員は、それぞれの局面で、国民全体の代表者としての立場に基づいて、己の信じるままに行動すればよい。
 もちろんその結果、支持母体からの支援を受けられなくなったり、選挙人から見放されて次の選挙では落選したりといったこともあるだろう。政治生命を失うという事態に陥るかもしれない。
 そのリスクは本人が負えばよいのだし、浜田自身そんなことは百も承知だろう。石破が最初に述べているように、「一国の国会議員の判断にとやかく言う」べきではないのだ。

 浜田は1日に行われた産経新聞のインタビューでこう述べている。

--首相が交代すれば与野党協力が進むという声は強い

 「議論としては分かる。大連立とかパーシャル連合とか。でも、誰も首相の首に鈴を付けられていない」

 --菅政権は8月末までというのが大方の見方。大した仕事はできない

 「決して望ましい状況ではないが、8月以降もずるずると菅政権が続く可能性はゼロではない。それに、今を無駄にしたくない」

 --自民党にいても復興対策はできるはず

 「そういう人は多いが、所詮は一年生議員。どんな提言をしても10年早いとなる。だから、対策本部の中に入って動かしていくことが重要で、その場を首相が与えてくれた」

 --自民党公認で当選した。議員を辞めて民間人として協力すべきでは

 「自民党鳥取県連は文句を言っているが、昨夏の参院選では借金して県連に寄付したし、党本部から来た金も私の口座に入ったけど、(県連が)引き出して相談なく使っている。その金を返せって言うのはどういうことか」

 --政務官が終わったら政治家を辞める気は

 「6年間の任期はまっとうする」

 --政府の一員だが、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や外国人参政権にも賛成するのか

 「こんなことやったら国がますますおかしな方向になると思ったら、良心に従って判断する。無条件に賛成するわけではない」


 浜田としては、要するに野党の中でいつまでもくすぶっていられないということなのだろう。
 おそらくは元々自民党員でも熱烈な自民党支持者であったというわけでもなく、国際政治学者としてのキャリアを生かした政界入りがしたかっただけで、参加する政権が自民党によるものであれ民主党によるものであれ、それほどこだわりはないのだろう。

 石破としても、支持者への体面上、また党3役であり同じ県の選出議員である立場上、このように述べざるを得ないという面はあるのだろうし、公式ブログの記述が全て彼の本音だとは限らないだろう。
 しかし私は、浜田の人となりも、国際政治学者としての主張も政治家としての主張もよく知らないが、仮に浜田の心理が上記のようなものであればそれは理解できるし、彼を無節操とか変節漢とか「人間としても失格」などという言葉で批判すべきとは思わない。

 ところで、浜田の名で検索していたら、「もっと休むに似ている」というブログのこんな記事が見つかった。

鳥取県の危機(自民党公認候補・浜田和幸氏に関して)
国際政治分析によって陰謀論を補強する者


 自民党鳥取県連が彼の擁立を決定した頃に書かれたものである。

 ここに書かれていることが浜田の全てではないのかもしれないが、一面ではあるのだろう。
 暗然たる気分にさせられた。