トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

タカ派で何が悪いの?

2006-09-30 23:25:50 | 現代日本政治
 今月発売のテレビ情報誌『telepal f』を読んでいると、総理候補としての安倍晋三を2ページにわたって紹介している記事があったが、どうも「タカ派」の連呼が目に付く。 
「安倍さんって根っからのタカ派だから。世の女性がもつソフトなイメージとは正反対の人だよ。憲法改正するって始めから言ってるんだから。」
「顔はハトでも中身はタカよ。」
「憲法改正に大反対するのはまず女性たちだと思うよ。支持するなら、そのへんのことを覚悟した上で、したほうがいいよね」
などと浅草キッドの2人が述べているが、何なんだろう、こんな娯楽誌にも、読者を誘導したがるマスコミ人の習性が見え隠れしていて、ちょっと不快になった(念のために書くと、同誌はテレビ情報誌としては特に女性向けの編集方針をとっている)。
 なるほど、タカ派、ハト派の二分法で言うなら、安倍はタカ派だろう。憲法改正も志向している。しかし、それは悪なのか? 女性としては反対すべきなのか?
 そもそもタカ派、ハト派とは何か? たしかベトナム戦争の頃の米国で言われ出した言葉だったと思う(今ネットで調べたが、確認できず。ネットもその普及以前のことになると、あまり役に立たない)。この戦争に積極的な人々をタカ派、消極的な人々をハト派と呼んだことに始まり、戦争全般について、あるいは安全保障政策について、用いられるようになったのではなかったか。
 しかし、タカ派が戦争を起こし、ハト派が平和を志向する、だからタカ派は危険であり、ハト派を支持すべきであると、そう簡単に言えるのか。第2次世界大戦期以後の歴史は、むしろその逆を示しているのではないか。ナチス・ドイツのチェコスロヴァキア侵略に対して宥和政策をとった英仏は、今で言うハト派だと言えるだろう。しかしそれはドイツをさらに図に乗らせ、結局第2次大戦の開戦をもたらしたのではなかったか。米国の民主党はハト派、共和党はタカ派とのイメージがある(個々の人物は必ずしもそうとは限らないようだが)が、民主党のケネディ、ジョンソンの時代にベトナム戦争が拡大し、カーターの時代にソ連がアフガニスタンに侵攻し、クリントンの時代に北朝鮮の核危機が高まったのではなかったか。そして共和党のニクソンの時代に米国はベトナムから手を引き、中国との関係を改善し、レーガンの時代にはソ連との冷戦を終結させたのではなかったか。
 日本においても、ハト派と称される宮沢喜一や加藤絋一、河野洋平らは、少なくとも安全保障の問題ではどれほどのことをなしてきたというのか。拉致問題で結局北朝鮮側が認めた拉致被害者全員を取り戻せたことは小泉政権の大きな業績だと思うが、これも小泉がタカ派寄りとされる森派の出身であり、さらに側近に安倍晋三がいたことが大きいのではないか。
 「タカ派」「ハト派」とは、一昔前の「反共」「リベラル」にも似た、左寄りの人々によるレッテル貼りにすぎない。「女性たち」も改憲の必要性ぐらい理解した上で、支持しているのだと思うよ。タカ派=改憲=軍国主義の復活=危険といった使い古しの連想で危機感をあおるのはもうやめていただきたいものだ。

アジア侵略正当化に吉野作造を援用する上坂冬子

2006-09-30 11:18:14 | 珍妙な人々
 以前、上坂冬子の『戦争を知らない人のための靖国問題』(文春新書)を取り上げたが、その中の珍妙な一節について触れるのを忘れていた。
 吉野作造といえば、いわゆる大正デモクラシーの理論的指導者として著名な政治学者だが、上坂は、吉野が1916年に「満韓を視察して」という論文で、朝鮮総督府の政策を好意的に評価し、さらに、日本の実力が満洲のみならず蒙古の奥地まで及ぶようでならなければならないとしていると、原文を掲げて述べている。そして、
「同論文から九十年たったいま、日本の実力を満州から蒙古の奥地までもと唱えた吉野博士の見解に異論を唱えたい人がいるにちがいない。だが、当時、この一文はすぐれた論評として掲載され、こんにちにいたるまでこの論評によって吉野博士の評価が下がったとも聞いていない。なによりの証拠に一九六六年に設定され四十年の歴史を持つ「吉野作造賞」(現在は読売・吉野作造賞)が、学問の世界で権威をもっていることはよく知られている通りだ。」(54~55頁)
と述べ、このことをもって、日本を加害者としてしか見ない議論への批判の根拠としているのだが、何を言い出すのやら。
 吉野作造が今日評価されているのは、アジア論の業績ではなく、大正デモクラシー期の民本主義の提唱者としてにほかならない。福沢諭吉の「脱亜論」は有名だが、吉野は福沢ほどの知名度はないので、率直に言って彼のアジア論など現在はほとんど知られていないだろう(私もこの本で初めて知った)。「当時、この一文はすぐれた論評として掲載され」とあるが、何を根拠としているのだろうか(だいたい、掲載された時点で「すぐれた論評」とされているとはどういうことだろう)。現在、吉野作造賞が設けられているからといって、それが「満韓を視察して」をふまえた上でのものであるなどとどうして言えるのか。
 おそらくは、民本主義の提唱者である吉野作造にして、朝鮮統治や満洲経営を好意的に評価していたということが言いたいのだろう。それならそれでもっと書きようがあるだろうに。
 それに、吉野は、現在の用語で言うならリベラリストであり、帝国主義者ではなかった。今ウィキペディアの「吉野作造」の項を見ると、
「日本の帝国主義的政策に対して批判的であったため、大杉栄とともに憲兵に狙われた。関東大震災直後、憲兵が吉野宅を急襲したが、近隣の住民に気付かれ暗殺は未遂に終わった。」
との記述がある。日本を加害者と決めつけることが一方的だと言うなら、吉野のこうした面に触れないのはやはり一方的でバランスがとれないのではないか。
 また、上坂の引用文においても、吉野は
「日本の満州経営は、只日本の専管区域たる少許の地域内を、巧く治めたといふだけで終るのではない。即ち関東州から始まりて北、長春に終る細長い地域ばかりが経営の手を伸ばすべき全部ではなくして、更に其両側に広く経済的に発展して行かなければならぬ。政治的の勢力範囲は極めて微々たるものであるけれども、経済的の日本の発展すべき範囲は更に大なるものであらねばならぬ。」
と、「政治的の勢力範囲は極めて微々たるものであるけれども」、経済的にはさらに大きく、満洲や蒙古にまで発展していくべきであると述べているのであり、政治的に支配することまでを是認しているのではない。私は吉野の思想について詳しくは知らないが、張作霖爆殺や満洲事変のような謀略や、傀儡政権による満洲や中国の支配を吉野が支持していたとは考えがたい。(続報)

林房雄『大東亜戦争肯定論 普及版』(夏目書房、2006)

2006-09-28 00:37:13 | 日本近現代史
 この著作については、読んだことはなかったが、かねてから有名なので概要はどこかで聞いて知っていた。
 曰く、大東亜戦争はアジアを欧米の植民地支配から解放するための戦争で、日本は残念ながら敗れはしたが、結果的にアジア諸国は独立を果たした、故に大東亜戦争の目的は達成されたのであり、日本は過去を恥じることはない、といった趣旨のものだと。
 論理が倒錯しているだけでなく、事実関係としても誤っていると思うので、古本屋で見かけることはあっても、購入する気にはならなかった。しかし、近年この種の主張が保守系論壇誌で目に付くようになり、やはり一度は読むべきかと思いつつあった。
 数年前に夏目書房から復刊されたが、3990円という価格と、かなりの分厚さから、買うのを躊躇していた。最近になって、この1575円の普及版が出たのを機会に、購入した。この種の本でこの価格のものはなかなかない。やはり売れているのだろう。
 読み始めて、これがかつてあれほど問題視された著作なのかと違和感を持った。筆致が非常に穏当なのである。書き出しからして、
「たしかに人騒がせな題名に違いない。「聖戦」、「八紘一宇」、「大東亜共栄圏」などという御用ずみの戦争標語を復活し、再肯定して、もう一度あの「無謀な戦争」をやりなおせというのかと、まず疑われるおそれが十分にある。
 いかに調子はずれの私でも、そんなことは言わぬ。」
というもので、題名から想起されるような、悲憤慷慨したり高圧的な表現を用いたりするものではない。
 この本は改訂版だそうなので、雑誌連載時や最初の単行本の時に比べて筆致は抑えられているのかもしれないが、それにしても、昨今の一部の保守系言論人に見られる文章の見苦しさとは比較にならない、格調の高さを感じる。
 しかし、展開される主張の要点はやはり上記のとおりであり、それには納得できない。
 まず、著者の言う「東亜百年戦争」という前提自体に疑問がある。ペリー来航のころから、欧米は東アジアを侵略し続けてきたと言えるのか。日本に対してもそうか。欧米の文物や制度の流入は日本にとってもアジア諸国にとっても良い面もあったのではないか。
 次に、東亜百年戦争を戦うため、日本はアジアを支配する必要があったという説にも同意できない。東亜百年戦争というなら、中国や朝鮮からは対日八十年戦争とでも言われかねない。欧米のふるまいは侵略で、日本のそれは自衛のためだという理屈にはついていけない。
 そもそも、日本はアジアか? 私はアジアではないと思う。いや、地理的にはアジアの一国だが、歴史的には、いわゆるアジア主義者や、この林房雄が言う意味でのアジアとは言えないと思う。
 日本はアジアではない。もちろん欧米でもない。これまでも、これからも、孤立して独自の立場を取らざるをえない。-という趣旨のことを福田和也が論壇デビュー作「遙かなる日本ルネサンス」で強調していたのを思い出した。私もそのように思う。

 日本が欧米に人種差別問題の解消を主張したことや、日本社会においてアジアを欧米の支配から解放するという気運があったことは事実だが、日本のアジアに対するふるまいはそういった理想とは相反するものではなかっただろうか。
 また、大東亜戦争と名付けて、東亜の解放が戦争目的であると主張したのは開戦後のことであり、そもそもは米国などによる経済制裁(特に石油)に耐えかねて、開戦に追い込まれたというのが本当のところである。
 林は、欧米協調路線である幣原外交を継続していたとしても、結局欧米と一緒になってアジアを搾取していただけだというのだが、では幣原路線を廃した後の日本外交はどうだったのか。欧米と協調しているかそうでないかの違いだけで、アジアにとっては結局同じ事ではないか。
 文中、興味深いエピソードがちりばめられていたりもするのだが、基本的な主張にはやはり同意できない。本書は売れているようだが、この程度のものを真に受けて、日本は解放戦争を戦ったなどという誤解が広まるようでは困る。

東京人の大阪観によるマスコミ報道

2006-09-24 17:15:38 | マスコミ
振り込め被害額 東京は大阪の10倍 なぜ大阪で少ない? (産経新聞) - goo ニュース
なんかね、産経って時々こうした大阪論が載るんだけど、この記事でもそうなんだけど、大阪と言えば決まって「人情」とか「商人の街」とか「オバチャン」とか「ボケとツッコミ」とかいうキーワードが出てきて、一応ほめてはいるんだけど、なんか一段と高いところから見下されているような気がする。東京人の大阪観による記事というか。
ところでこの記事、東京と大阪の直接的な数字の比較は、
「東京と大阪の今年1~7月の「振り込め」の被害総額は東京26億100万円(発生件数1523件)、大阪1億6000万円(同237件)円。これを住民1人当たりに換算すると、東京205・8円に対し、大阪18・1円。大阪の被害は、東京の10分の1未満だ。」
とある箇所だけだ。その前に
「東京都内で今年に入ってから毎月200件前後だった振り込め詐欺の発生件数が、8月に一気に340件となり、増加の気配をみせている。」
とあるが、大阪では増加していないのだろうか。また、
「交通関係を除いた刑法犯認知件数(平成16年では約256万3000件)で大阪府は全国の約10%を占めるにもかかわらず、「振り込め」の発生は例年1%程度しか確認されていないという。」
とあるが、東京の刑法犯は全国の何%を占め、振り込め詐欺は全国の何%を占めているのだろうか。
また、日本の大都市は東京と大阪だけではない。他の都市との比較はどうなのか。特に、今年5月には神奈川県が大阪府を抜いて都道府県人口2位になっているのに。
どうも、当然明らかにされるべき数字が伏せられており、作為的なものを感じる。
さらに、

「警視庁が逮捕した私立札幌大の学生らによる振り込め詐欺の犯人は「東京は金持ちが多いと思った」と供述。一方、大阪府警が先月23日に逮捕した犯人は「大阪人は電話しても無駄が多い。なかなかひっかからない」とぼやいたという。
 このあたりに“被害格差”の原因がありそう。府警によると、電話をかけてきた犯人に「あんさんは、誰だんねん」「うちの息子は『オレオレ』いう名前とちゃいま(違います)」と、逆に質問攻めにして撃退したケースが多いという。」

というが、「このあたり」とはどのあたりか。「東京は金持ちが多いと思った」と「なかなかひっかからない」は対応していないのに、無理矢理つなげている。「このあたり」は「なかなかひっかからない」を受けたものなのだろうが、では前段の「東京は金持ちが多いと思った」には何の意味があるのか。暗に、大阪は金持ちが少ないと言いたいのか。ならばそう書けばいいのに。実際、データとしてはどうなのか。当然比較すべきではないのか。それを、人間関係が濃密だの目標を持った生き方が大事だのと、東京人の大阪観で無理矢理まとめている。一見ほめてるからといって、だまされまい。
ちょっと調べたら、5月6日の毎日新聞にも似たようなの記事が載っていたようだ。しかも、他都市との比較も含めて。元記事は残っていないが、引用している方の記事がここに(「~じょいなす~ NEWSの女王」さん)。
こちらは一応東京人批判になるんだろうけど、「だまされやすい」「お人好し」って、なんかいい人みたいですなあ。ほんとかなあ。
しかし、比較の対象が、東京、大阪、愛知、北海道って、何で北海道? 普通こう来ると最後は福岡じゃないの? 福岡のデータを出すと論旨が崩れるような問題でもあったのではないだろうか?
さらに、この記事にコメントを寄せている「だで」さんがおっしゃっているように、だまされなかった人も含めた全体の電話件数がわからないから、単純に比較できないよな。全体の電話件数とだまされた件数の比較では、東京も大阪も似たようなものになるかもしれない。もっとも、だまされなかった人はあまり警察に通報しないだろうから、全体の正確なデータというのはないのかもしれないが。
さらに昔の記事で、これも元記事はなくブログからの引用なのだが、大阪で件数が少ないのは犯人達が大阪弁を使えないからという説もあった(「13Hz!」さん)。
なるほどそういった理由もあるだろうな。
さらに、上記の毎日の記事について、これが東京と大阪が逆の立場なら、決してこうした記事にはならないだろうと批判し、「大阪の記事見出しでよくやるように、【 振り込め詐欺 : 東京ワースト】 と、するべきである。」
と主張する、鋭いサイトも(「東京マスコミの偏向報道」さん)。
このサイト、東京中心のマスコミ報道の偏向ぶりを実例を挙げて暴いていて、なかなか興味深いです。

死刑執行は法務大臣の職務

2006-09-23 15:41:40 | 事件・犯罪・裁判・司法
小泉内閣の総辞職も間近となった。杉浦法相は、問題となっていた死刑執行命令に署名したのだろうか。
近年の法相の死刑執行命令は辞任間際に出されることが多いと、少し前に新聞で読んだ。
就任当初、杉浦法相は、死刑執行命令には署名しないと表明したが、すぐに撤回した。先日の記者会見では、「裁判所の判断を尊重する」とコメントしたそうだが、全くそのとおりで、そうあるべきものだ。本来、刑事訴訟法第475条第2項には、死刑執行の法務大臣命令は
「判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。」
と定められている。したがって、この項の但し書きに当たらない死刑囚については、法相は判決確定から6か月以内に死刑執行を命じなければならないはずである。もっとも、この6か月以内という期限については、法的拘束力のない訓示規定にすぎず、これに反しても違法ではないとする地裁判例があるそうだが(私は納得いかないが)、いずれにしろ裁判の執行は司法の行政に対する命令であり、行政はそれを厳格に実行しなければならない。しかし、実際には、上記の但し書きに当たらない死刑囚も、6か月はおろか何年も、人によってはもっと長期にわたり放置されていると聞く。
仮に懲役や罰金に処された者について、それを執行する検察庁や刑務所の人間が、その裁判に個人的に疑問を抱いたとしても、それでその刑を取りやめたり、刑期や金額を減らしたりすることなど、許されるはずがない。だとすれば、死刑にしても同様で、執行命令は法相の個人的心情(死刑廃止論者であるとか)で左右されるものであってはならないはずだ。
小泉首相の靖国参拝を、個人として行うのは自由だが首相としての立場上控えるべきだとする見解がある。全く同様のことが死刑執行命令についても言えると思うのだが、マスコミはそういった観点から報道することはなく、まるで法相に死刑執行の裁量権があるかのような報道を繰り返すばかりで、なげかわしい。

本多勝一『中国の旅』(朝日文庫、1981)

2006-09-22 00:08:32 | 日本近現代史
少しは左の人々の言い分も知っておこうと、かなり以前に古本屋で買ったものの、最近までどうも読む気が起こらずそのままになっていたもの。
内容は、1971年の6月から7月にかけての約40日間、中国を取材し、『朝日新聞』や朝日系の雑誌に連載した記事をまとめたもの。念のために書くと当時わが国と中国にはまだ国交はなく、また共産圏の国であるから当然取材の自由などもなく、完全な当局のお仕着せ取材である(本多はそうは明言していないが)。「中国の旅」といっても、もちろん単なる中国旅行ではなく、日本による侵略の実態を明らかにするためのものだった。
一読して思ったのは、たしかに痛ましい事例の数々が並べ立てられているのだが、全く中国側の言う通りをそのまま載せているということだ。
例えば、ある中国人が、いわゆる田中上奏文について触れたくだりがある(17頁)。しかし、田中上奏文と言えば、今日では偽書であるとするのが通説である。残念ながら71年当時の田中上奏文についての一般的な評価はわからないが、東京裁判で結局証拠採用されなかったことからも、当時から偽書説があったであろうことは推測される。それを、何の注釈もなしに、田中上奏文が真実であるとする中国説を紹介していいものだろうか。これでは、初めて田中上奏文のことを知る読者は、そのような世界征服計画ともいうべき文書が既に1920年代に作成されていたということを真実と受け取ってしまうだろう。
また、日本は万宝山事件を捏造し、中村大尉事件をデッチあげたとしている。これらも、おそらくは当時の中国の公式見解なのだろうが、日本では一般にでっちあげとはされていない。
本多は、この「中国の旅」が中国側の一方的な見方であるとの批判に対し、これまで日本では中国側の視点そのものが報道されてこなかったのであり、それをそのまま報じること自体に意義があるといった趣旨の反論をしていた。しかし、納得できない。そもそも、こうした問題における日本側の視点なるものがそれまでどれほど報道され、一般読者がどれほど理解していただろうか。次に、本多は、支配層と民衆を区別し、日本の軍国主義は悪いが民衆は悪くないとする中国側の説明に同調するが、それもまた中国側の支配層の見解ではないかと私などは思うのだが、それには触れない。中国側の支配層と民衆は一体であるかのような見方をとっている。結局、当時の中国側支配層に利用されたにすぎないのではないだろうか。

旧宮家の復活に反対する

2006-09-17 01:08:02 | 天皇・皇室
安倍氏、旧宮家復活を検討 (朝日新聞) - goo ニュース
以前にも書いたように、天皇の安定した継承のためには、女系天皇を認めるか、旧宮家を皇族に復帰させて男系の維持を試みるか、どちらかしかないと思う。
私は、女系を認めればよいと思うが、この記事によると、安倍はもちろん、麻生も谷垣も男系維持にこだわっているようだ。
今週発売の『週刊新潮』で、櫻井よしこが、この問題についての様々な論者の見解を紹介しつつ、結論として
「最善の方法は元皇族の皇籍への復帰だと私は考える」
と述べている。
旧宮家の皇族復帰はそれほど最善の案だろうか。私にはとてもそうは思えない。
櫻井が女系天皇容認派として挙げている高橋絋は、今年4月号の『文藝春秋』掲載の「現代版「壬申の乱」への危惧」で、戦前においても既に伏見宮系の次世代の皇籍離脱が予定されていたという。また、いったん臣籍降下した者が天皇に即位した例はほとんどないともいう。櫻井の記事では高橋のこれらの見解については触れておらず、一方的な印象を受けた。
さらに、戦前の皇族自体に、私があまり良い印象を持っていないということもある。昭和初期の陸軍の参謀総長、海軍の軍令部総長はいずれも皇族だったが、彼らが軍部の暴走の歯止めの役割を少しでも果たしたか。陸軍の閑院宮はロボットだったというし、海軍の伏見宮は積極的に軍備拡張、独伊との同盟推進の姿勢を示したという(昭和天皇の意向に明らかに反していたにもかかわらず)。終戦直後の首相を務めた東久邇宮にしても、評判の悪い「一億総ざんげ」論や、わずか2か月足らずで内閣を投げ出すなど、決して優れた指導者とは言い難い。
先の高橋の『文藝春秋』の文は、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記から、次のような一節を紹介している。入江は、直宮以外の皇族が全て臣籍降下したことについて、
「これも誠に御気の毒なことではあろうが已むを得ない事であり、その殆ど全部が(二、三の例外を除いては)皇室のお徳を上げる程のことをなさらず、汚した方も相当あったことを考えれば、寧ろ良いことであろう」
と記しているという。戦前の皇族の行状全般について詳しくは知らないが、おそらくそういうことなのだろう。このような観点からも、旧宮家の皇族復帰には同意できない。

竹中平蔵の参院議員辞職について

2006-09-16 23:46:06 | 現代日本政治
首相に殉じ、新政権と距離 竹中議員辞職 (朝日新聞) - goo ニュース
上記の記事中
「任期を4年残しての突然の議員辞職には、与野党から「無責任だ」と批判が噴出している。」
とあるのは全くそのとおりだろう。竹中は比例区トップ当選の重みをどう考えているのか。
解散のない参議院の議員は、任期6年を務めることが前提だ。国民はその任務を竹中に課したのだ。閣僚の任免権は首相にあるが、国会議員は国民が選出したものだ。小泉内閣の終焉に伴い政界を引退したいからといって、簡単に辞任してよいという筋合いのものではない。
記事中、
「竹中氏は最近、「霞が関」の復権に対する懸念から、「次期政権には悲観している」と周囲に語っていた。周辺も「議員辞職は既定路線だが、それが最近正しい判断だとわかった」と明かす。」
とあるのがよくわからない。仮に安倍政権下で官僚の逆襲が始まったとして、それが竹中の議員辞職とどうつながるのか。それが明らかなら、竹中は政治家としてそれに抵抗すべきではないのか。(関連記事)

石原都知事の特異な言語感覚

2006-09-16 12:45:09 | 珍妙な人々
石原知事、また「三国人」 治安対策めぐり発言 (朝日新聞) - goo ニュース
「三国人」がいわゆる差別用語に当たるかどうかは別として、記事中、石原の発言として
「不法入国の三国人、特に中国人ですよ。」
とあるが、中国人は「三国人」ではない。
「三国人」とは、占領期における、日本国内に在住していた朝鮮人と台湾人(ポツダム宣言の受諾より朝鮮と台湾は日本領ではなくなった)に対しての呼称であるから、現在の不法入国者に対する呼称としては全く適切ではない。
以前にもこの言葉が問題になった2000年、石原は、この記事にもあるように、「辞書では『当事国以外の国の人』という意味で出ており、私もこの意味で使った」という趣旨の弁解をしていたが、私は、話の前後から、そうではなく、むしろ「三国人」という言葉を「不逞外人」といったニュアンスで使ったものだと考えていた。
しかし、その後、書名は忘れたが、と学会関係の本で、石原の過去の著作においても、「三国人」が「外国人」と同義で、しかも肯定的なニュアンスで、用いられている箇所があると書かれていた(出所を明記できなくてすみません)。
つまり、石原は「外国人」の意味で「三国人」という言葉を使う、特異な言語感覚の持ち主だということのようだ。普通は、「三国人」をそのようには使わない。というか、「三国人」自体死語といっていいだろうが。
ただ、2000年の発言といい今回といい、最近の「三国人」の用法は、やはり「不逞外人」といったニュアンスで使われているように思うが。
ともあれ、「使わない」と表明していた言葉をつい使ってしまうようでは、政治家としても作家としても言葉に無頓着すぎると思えてならない。

ところで、2000年に石原発言が問題になった背景には、共同通信や朝日新聞が、発言を
「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、・・・」
と報道し、「三国人」の前の「不法入国した」との字句をあえて外したため、三国人(=在日韓国・朝鮮人?)、外国人全体が凶悪な犯罪を繰り返しているかのような発言をしたとの印象を世間に与えたということがあった。今回朝日が
「不法入国した三国人、外国人が・・・」
と正確な発言を記載していること自体は結構なことだが、以前問題化した経緯について説明不足ではないか。これでは当時から朝日はこのように正確に報道していたと誤解されかねない。

皇室典範の改正は近い

2006-09-14 00:29:37 | 天皇・皇室
今週発売の『AERA』(9月18日号)の広告に「それでも皇室典範穴だらけ」との見出しがあったので、何のことかと思い読んでみると、原武史によると、皇室典範で言う皇太子は皇子、つまり天皇の子であるから、
「現皇太子が天皇になった時には、継承順位が1位となる秋篠宮様も、2位になる親王も「天皇の子」ではない。つまり、「皇太子」にはなれないのだ。」
とある。
なるほどそうか! 私は、「皇太子」とは次期天皇に与えられる称号くらいにしか思っていなかったので、仮に現皇太子に男子がないまま即位するようなことがあれば、秋篠宮が皇太子になるのだろうと思っていた。皇太「子」だものなあ。秋篠宮は現皇太子の子ではないもの。
ウィキペディアの「皇太子」の項によると、
「当今の皇弟が次期継承者である場合は皇太弟(こうたいてい)、また当今の皇孫である場合は皇太孫(こうたいそん)と呼ばれる場合がある。」
のだそうだ。そして、
「現在の日本の皇室典範には、皇太弟と皇太甥に関する記載はない。皇太孫は皇室典範に記載があり、皇嗣たる皇孫(皇室典範8条後段)のこととされる。」
のだそうだ。
ということは、仮にこのまま現皇太子に男児がなければ、その後継ぎとしての秋篠宮の立場は、皇室典範の改正なくしては、極めて不安定なものとなることになる。親王誕生に際し、麻生外相がコメントした「40年ぐらい先の話」、あるいは中曽根元首相がコメントした「当分、皇室典範を改正する必要がなくなった」ということではないのではないか。
皇太子の弟が皇位を継ぐということ自体を、現在の皇室典範は想定していなかったのだろう。しかしそれが現実に起こりうる可能性が高い以上、皇室典範の早期の改正は避けられないだろう。そして、改正が本格的に検討されることになれば、安定した皇位継承のため、女系による継承の是非が再び論議を呼ぶだろう。親王誕生により皇室典範改正論議は遠のいたとの見方は誤っている。