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分派が50年問題を起こしたという日本共産党の嘘-松竹伸幸除名事件を見て(2)

2023-03-02 16:20:26 | 日本共産党
承前
 
 日本共産党員である松竹伸幸氏が今年1月に党首公選制を求める著書を出版し、除名された件で、50年問題で打撃を受けた教訓として、党首公選を認めない民主集中制を共産党が堅持するのは当然だとの主張を見かけた。

 前回の記事で指摘したように、民主集中制は結党以来の組織原理であり50年問題とは関係ないのだが、その点を抜きにしても、こうした主張には大きな疑問がある。
 何故なら、50年問題の時に、仮に民主集中制が堅持され、軍事方針一色に共産党が染まっていれば、現在の党は存在し得ないからだ。
 分派が存在したからこそ 現在の党があるからだ。

 1950年1月、いわゆるコミンフォルム批判を契機に、日本共産党は所感派(徳田球一、野坂参三ら)と国際派(宮本顕治、志賀義雄ら)に分裂したが、所感派が多数派だった。
 同年6月、朝鮮戦争が勃発すると、所感派は国際派を置き去りにして地下に潜行し、さらに徳田らは中国に渡り、北京から党を指導した。国際派は独自の組織を形成して所感派を批判したが、ソ連も中国も国際派を分派とみなして批判したため、国際派は自己批判して所感派の支配を受け入れた。いわゆる五全協が軍事方針を採択したのはその後のことである。

 そして、軍事方針に基づく武装闘争が国民の支持を得られず失敗に終わり、徳田が北京で病死すると、所感派の国内指導者であった志田重男が宮本顕治に協力を求め、1955年の六全協(第6回全国協議会)で宮本は指導部に復帰した。志田は醜聞で失脚し、野坂は名誉職に棚上げされ、宮本が党の指導者格となった。彼が築いた党の路線が60年以上経った現在まで続いている。

 仮に国際派が存在せず、全党が一丸となって所感派の方針に従っていれば、党は武装闘争によって壊滅し、再建は容易なことではなかっただろう。国際派という、手を汚していない受け皿があったからこそ、共産党は武装闘争の責任を所感派に押し付けて、国政に復帰することができた。
 だから、50年問題の教訓というものがもしあるとすれば、それは民主集中制の堅持ではなく、むしろ分派の存在を容認すべきことであるはずだ。

 それが何故、50年問題の教訓として民主集中制の堅持という主張になるのか。
 不審に思ったが、少し調べてみると、何と現在の日本共産党では、「徳田・野坂分派」が、ソ連・中国の干渉を受け入れて、武装闘争に及んだというストーリーになっているのだそうだ。
 これには驚いた。

 1982年に出版された『日本共産党の六十年』では、徳田や野坂の動きについて、
「事実上の徳田派を分派的に形成する重大な誤り」
と評しながらも、「分派」そのものであるとは断じていない。
 ところが、2003年に出版された『日本共産党の八十年』では、
「分派を……つくる方針を申しあわせました」
「徳田・野坂分派の旗あげ」
と、明確に分派と断じている。

 もし、50年分裂に際して「分派」が存在したというなら、それは「徳田・野坂派」ではなく、「国際派」の方だろう。
 何故なら、当時は「徳田・野坂派」すなわち所感派こそが多数派であり主流派だったのであり、国際派はそれに従わない少数派にすぎず、結局は自己批判して所感派に従ったのだから。

 まだ六全協前の1954年に出版された『政治学事典』(平凡社)の「日本共産党」の項目には、

党内には占領政策にたいする評価のちがいにもとずいて、革命の方式についていわゆる主流派・国際派の対立が表面化したが50年1月のコミンフォルム機関紙の批判、中国共産党の助言などを受けて“分派問題”は克服され、51年秋には「日本共産党の当面の要求――新しい綱領」を決定して、党の統一が達成された。


との記述がある。
 この事典には、「国際派」についても独立した項目があり、そこには

国際派 1950(昭和25)年1月、「恒久平和と人民民主主義のために」紙上にアメリカ帝国主義にたいする闘争の不充分について日本共産党にたいする批判が掲載され、これにたいする党中央の自己批判が不充分で、指導方針が右翼日和見主義的であると攻撃し、客観的・主観的条件を無視した反帝・反戦闘争を主張して極左的な分派活動をおこなったグループを国際派と俗称する。これにたいして党中央の立場を主流派と俗称した。分派活動は諸外国共産党からの助言と、党中央の指導とによって克服され国際派の自己批判による党への個人復帰がつぎつぎにおこなわれ、1951年秋に決定された民族解放民主革命の新綱領のもとに、その統一が達成された。


とある。
 これが当時の一般的な見方であり、当時の主流派を分派だと断じるのは歴史の偽造である。

 このような集団が政権を獲得したあかつきには、国民の歴史認識をも時の共産党指導部に都合の良いように改めさせられかねない。
 私が彼らを危険視する所以である。



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