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文民統制(シビリアン・コントロール)を誤解している?毎日社説

2007-01-11 23:58:44 | マスコミ

 『毎日新聞』が10日の社説「防衛省スタート 大きな一歩の先が気になる」(リンク先-ウェブ魚拓)で防衛省発足について論評しているが、文民統制についての記述がどうも変だ。

《二つ目はシビリアンコントロール(文民統制)の徹底だ。これまで、内閣府外局の「庁」として存在した理由がある。戦前の軍部の独走を許した教訓を踏まえ、組織を首相の直属にし防衛庁長官と二重にチェックするという精神だ。
 もちろん省になっても自衛隊の最高指揮官は首相であり、防衛出動や治安出動は首相が命令することに変わりはない。
 ただ、MD(ミサイル防衛)など防衛システムが高度化し、日米の基地の共同利用や情報交換の必要性が増し、日米関係は一層緊密化する。専門能力を持つ制服組(自衛官)への依存は、これまで以上に強まることが予想される。
 このため防衛相の補佐は防衛局長など背広組(官僚)が当たるという防衛参事官制度を廃止し、補佐役として専門知識を持つ制服組を組み入れるべきだとの意見も一部に出ている。
 しかし、その専門性を最大限に生かしながらも、国会における政治家と省内の背広組が、自衛隊をきっちりとコントロールしていくのがあくまで基本である。》 

 文民統制というのは、軍の統率者が非軍人(=文民)でなければならないということではなかったか。
 制服組に対する背広組の優越も、文民統制なのだろうか。

 たしかに、背広組の優越も、統帥権の独立をタテに暴走した旧日本軍のあり方に対する反省から、導入されたものだろう。
 しかし、背広組とて、防衛省の職員である。広い意味では軍人ではないのか。

 ウィキペディアの「防衛省」の項には、

《つまり「防衛省」と「自衛隊」はほとんど同一の組織のことを指しており、防衛省設置法に基づく国の行政機関としての側面からの名称が「防衛省」、国防等の職務を担う軍事的組織としての側面からの名称が「自衛隊」ということになる。この点で、防衛省と自衛隊の関係は多くの人が理解している認識とは異なる。同様に、防衛事務次官、防衛参事官をはじめとする内部部局や防衛施設庁等の文官(自衛官以外の防衛省職員、いわゆる背広組)は、自衛隊員であるとされており、自衛官(制服組)と同様に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める」という文言を含む服務の宣誓を行っていた(この点に関しては省への昇格後も継続される)。》

とある。
 背広組は「文官」であるが、「文官」と「文民(シビリアン)」は違う。文民統制とは、非軍人である政治家が軍を統制することを指すのであり、背広組の制服組に対する優越とは無関係だろう。読者にそれもまた文民統制だと誤解させかねない、困った社説だ。

 ちなみに、『朝日新聞』は4日の社説で、

《もう一つ考えておくべきことがある。省に昇格するからといって、自衛隊に対する文民統制(シビリアンコントロール)がいささかも揺らぎがあってはならないということだ。
 四半世紀前、野党の質問に対する国会答弁で「これは重要な問題なので防衛局長に答弁させます」と述べて失笑を買った防衛庁長官がいた。
 当時に比べ、自衛隊の装備や機能は格段に複雑になった。日米の防衛協力は深まり、国際環境も複雑さを増している。政治家がよほど目と頭を鍛えておかないと、自衛隊の専門家集団の判断を超えられず、軍事的な視点に引きずられかねない。
 在日米軍の再編やイラクへの自衛隊派遣を通じて、制服組の発言力が増している。彼らの専門知識が必要なのは言うまでもない。
 だが、それをチェックし、大局的な見地から判断するのが政治家の責務である。
 心配なのは、乏しい知識や見識で逆に勇ましい事を言う政治家が多いことだ。政治家の責任がいっそう重くなったことをよくよく自覚してもらいたい。》

と、あくまで政治家との関係について述べているのみで、制服組と背広組の関係になど触れてはいない。この点、やはり見識があると思う。