トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

無宗ださんへ

2008-07-28 23:34:55 | ブログ見聞録
 わざわざ記事を立てていただき、ありがとうございます。 

 無宗ださんの文章力がつたないとは思いませんし、私も人並みの読解力は備えているつもりです。
 だから、私が誤解しているとは思いません。

>このようなことを、私は主張していませんし、

 しかし、私が引用した部分と、その他これまでのいくつかの発言を総合すると、私が「平たく言」った内容が、無宗ださんのブログ観であると考えざるを得ません。

>記事に関連した批判コメントを批判されたことを理由に削除することもしていません。

 していないのかもしれませんが、しても一向にかまわないと主張していると受け取れます。
 また、angrer_j さんに対しては、削除こそしないものの、出入り禁止とされていませんでしたっけ?
 あの程度のコメントで、どうしてそこにまで至るのか、当時いぶかしく思ったものです。

 で、

>こういうのは「余計な御世話」だとangrer_j氏に言いたかったのです。

とのことですが、きっかけはそうだったのかもしれませんが、内容的には、別に対angrer_jさん限定の話ではなく、無宗ださんのブログ観そのものの現れだと思います。
 それに対して、私は強い違和感を覚えるということです。


>・誹謗中傷を目的としたコメント
・無意味なコピペコメント
といった『荒らしコメントを寄せる自由』というのは、認めちゃまずいのではないでしょうか?

 それは、話のすり替えですね。
 私は、ブロガーによる記事が、言論の価値という点で、コメントよりも優位にあり、コメンターはおいそれとブログの記事を批判してはならないかのように述べるあなたの見解を批判しているのです。
 別に、荒らしコメントを推奨するつもりはありません。

 それと、「誹謗中傷」の範囲は人によって広くも狭くもなるもので、単なる批判的コメントを誹謗中傷と言ってはばからない人物もゴロゴロしています。
 (そういえば、私も「荒らし」呼ばわりされたこともありました)
 一概に「認めちゃまずい」と言い切れるかどうかは疑問です。

 あと、「ダメダメ」の件については、説明不足だったでしょうか。
 http://blogs.yahoo.co.jp/musyu2005/54274856.html
 この記事は、アカリさんとのやりとりを元に書かれたのではないんですか?
 アカリさんは、現在はブログをパスワード認証制にしておられますが、その少し前に、そちらのブログで、中畑さんとアカリさんをヤクザの脅し役となだめ役に例えた説を他のブロガーの方が述べていたように記憶しています。
 それについて、アカリさんから質問があり、それを元にこの記事を書かれたのではないんですか?
 私は、彼女と中畑さんとのやりとりについては、おそらくは無宗ださんより長い間見続けていますが、要は、無宗ださん流に言うなら、彼女は大いなる「余計な御世話」焼きです。
 私は彼女の意図や方策を支持するわけではありません。はっきり言って、中畑さんとその批判の対象者との和解、ないしは関係正常化などに興味はありません。私にとってはどうでもいいことです。
 さりとて、彼女が、中畑さんの批判対象者から非難されるべきことをやっているとも思えません。
 無宗ださんもまた彼女をヤクザのなだめ役だと見ているとは、私は思いません。しかし、無宗ださんが彼女をこの記事のように評するのを見て、「ダメダメ」だと思った次第です。
 日本男児が聞いて呆れますよ。

 私はあなたのブログもアカリさんのブログも、毎日のように全ての記事やコメントをこまめに見ていたわけではありません。見落としている点も多々あると思います。もしそのために私が何か誤解していると思われる点があれば、どうかご指摘ください。

(緑文字の箇所につき、2008.8.4追加・訂正)

ブログにまつわる奇妙な主張について

2008-07-28 01:24:03 | ブログ見聞録
 無宗ださんの中畑さん批判をしばらく見ていました。

 たしか、黒羊さんの所の「みんなこっちに来てなさい」という記事のコメント欄に登場されたのが最初だったと思います。

 その後、無宗ださんが自分のブログで記事を展開するようになり、そこに中畑さんが乗り込んで応酬するようになったんじゃなかったかな。
 その前にswさんの所で何かあったらしいですが、そこは見ていません。しかし、両者の話から、その内容はだいたい想像はつきます。

 で、私は最初は、無宗ださんは、事情はよくわからないまでも、一種の義侠心のようなもので、中畑さんの相手をするつもりになったのかと思い、やや好意的に見ていたのですが……。
 進行するにつれ、事態がどんどん悪化していくのを見て、正体見たりというか、本質が暴露されてきたというか……。
 率直に言って、失望しました。

 そして、次の記事がアップされるに至って、「ああ、こりゃもうだめだ」と思いました。


 2008/7/6(日) 午前 5:49 総括(3/3)


《最初のコンテンツにおいて佐倉氏は以下のように主張しています。

わたしは個人の選択の自由を重んじるものです。どんなに危険でくだらない宗教や思想でも、個人の自由な選択を禁じるほどの悪ではないと思っています。くだらない宗教や思想に夢中になることはくだらない行為ですが、個人の自由を禁じることは人間に対する犯罪だからです。

この考えを私は支持します。

ブログで、くだらない考えを表明することはくだらない行為です。
しかし、それは個人の自由です。
それを禁ずる権利は誰も持っていません。
ブログ管理者の意思は尊重されるべきです。》


 ところで、無宗ださんは、その前の「総括(2/3)」という記事で、次のように述べているのです。


《そして、また、自分のブログで記事を書くことは、自己表現であり一種の創造作業です。
人のブログにコメントを書くことは、単なる批判行為に過ぎません。
議論は通常は、おのおのが持論を立て、その違いを質問したり、優劣を競ったりするものです。
持論を立てずに、批判や揚げ足取りだけ行うのは卑怯者のすることです。

ブログに記事を書き、ブログを運営していくと言うことは、
人のブログにコメント欄でけちをつけることの100倍も千倍も大変なことです。
だから、
>そう思うのであれば、正々堂々と自分のブログで自説を表明しなさい!
というのです。
人の批判をする前に、自説を表明しろと。》


 ということは、「総括(2/3)」と「総括(3/3)」を合わせると、
・ブロガーがブログの記事で意見を表明することは、たとえそれがくだらない意見であれ、無条件に尊重されるべきである。
・コメンターにはブログの記事を批判する権利はない。批判したければ、自分でブログを開いて記事で主張すべきである。
となります。

 これを、さらに平たく言うと、
・俺はブログで自由に発言する。コメンターのお前には俺の発言を批判する権利はない。悔しかったらお前もブログを開いて自由に意見を述べるがいい。だが、俺のブログにお前の薄汚い批判コメントを載せるつもりはさらさらないからな。
となります。

 こういうこと言う人、時々見かけますね。

 現に、無宗ださんは、最新記事「発言する権利」でも、次のように述べています。


《記事を書くのは「自分の趣味を他人に理解してもらいたい 」 という行為ですが、

他人のブログのコメント欄にごちゃごちゃ書くのは「ご自分の趣味を他人に強要する」行為です。》


 上記の考え方に現在でも何ら変化がないことがわかります。

 ブロガーがブログの記事で意見を述べるのが自由なら、コメンターがその意見にどのようなコメントを寄せようと、これまた自由というものだと思いますが。

 中畑さんと軋轢を生じるブロガーは、こうした珍妙なブログ観の持ち主である傾向が強いと思います。そういう点で、私は彼らに同情する気にはなれません。

 そしてね、私はそんなに毎日こまめに見ているわけではないので、何があったか詳細はわからないのですが、それにしても、
http://blogs.yahoo.co.jp/musyu2005/54274856.html
こんな記事を上げているようでは、もう、ダメダメですよ。

 「撤収準備」とかいう記事もあったかと記憶していますが、ここに至るまでにさっさと撤収すべきだったと思います。

あるブログの終焉を見て

2008-07-19 13:28:49 | ブログ見聞録
昨日miracleさんの所で知った。

みなさんさようなら(Yahoo!ブログ)
みなさんさようなら(忍者ブログ)

 過去記事は全て読めないようになっている。

 本文の全文は次のとおり。

《わたしの役割は終わったようです。

 みなさん本当にお世話になりました。お礼を申し上げると供に、わたしがご迷惑をお掛けした方々にお詫び申し上げます。

 みなさんさようなら。》

 役割?
 いったいどんな役割があったというのだろう。
 自由意思で開く個人ブログに役割などというものがあるとも思えないが。
 
 仮に役割があるとすれば,それが終わる時とは、それが果たされた時だろう。
 彼の役割は果たされたのか?
 果たされていないのに終わるのなら、それは自分で自分に課した役割を自ら放棄するといういうことだろう。
 あまり褒められた話ではないと思える。

 私はかのブログの熱心な読者だったわけではないが、時々は見ていた。
 Yahoo!時代はそれなりに盛況だったようだが,忍者ブログに移行してからの凋落ぶりは著しかった。
 といっても、記事の質や量に変化があったわけではない。
 変わったのは環境だ。コメンターの量や質、それに反応だ。
 比較的常識的なブロガーからの同調や賞賛のコメントがなくなり,およそまともとは思えない人物たちの珍説奇説や、ブログ主に対する批判的意見が目につくようになっていった。
 あれほどいた、かのブログの常連さんたちは、どこへ行ってしまったのだろうと思ったものだ。
 結局、彼の言説など、Yahoo!ブログというごく特殊なブログの中のコミュニティでしか通用しないものだったということだろう。
 彼に限らず、こうしたブロガーを跋扈させるYahoo!ブログという環境自体にも、大いに問題があるのではないかと思う。

 冒頭で示したリンク先のmiracleさんの記事には、次のようにある。

《わたしの役割は終わったようです。

みなさん本当にお世話になりました。

ありがとうございました。》

 しかし、現在の記事の内容は、私が最初に引用したとおりである。
 miracleさんの記事にある文章は、ブログタイトル下の一言メッセージの欄に置かれている。
 これは、どういうことだろうか。
 miracleさんが記事本文ではなく敢えて一言メッセージを引用するとは考えにくいので、当初の記事本文はmiracleさんが引用している内容で、それを後で書き直したのではないだろうか。
 だとしたら、この人物は最後の最後まで、改竄を全く意に介しないとともに、誰に対して何を謝罪しているのかわからない、どうとでもとれる文章でごまかしたままの、相変わらずの卑怯者だということになる。

 ともあれ、このような人物に「日本の将来を変え」られずに済んだことは、わが国のために喜ばしいと心から思う。