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日々の思いをたまに綴るブログ。

誰が靖国参拝を「静か」でなくしたのか――麻生発言に思う(1)

2013-08-07 00:36:12 | 靖国
 「ナチスの手口に学んだら」で問題となった7月29日の麻生太郎副総理兼財務相の講演は、靖国神社参拝の問題にも触れていた。
 朝日新聞デジタルに掲載された「発言の詳細」(全文ではないらしい)から一部引用する。

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。


 確かに、マスコミが、ささいなことを針小棒大に取り上げて、閣僚や官僚の首を取ったり、政策をつぶしたりすることはある。
 しかし、だから一切騒ぐな、静かにやれというのも無茶な話で、言論の自由は重要だろう。
 そして、靖国参拝問題は、そのような騒ぐ側だけの問題なのだろうか。彼らが騒ぐように、格好のネタを提供した者はいなかったのか。
 靖国問題の経緯をちょっと振り返ってみたい。

 主権回復後、吉田茂首相は靖国神社に参拝した。続いて首相となった鳩山一郎と石橋湛山は参拝しなかったが、その後の岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄は皆参拝した。そして彼らの参拝は特に問題視されなかった。
 しかし、彼らは8月15日に参拝したのではなかった。主に春と秋に開かれる例大祭に合わせて参拝したのだった。

 8月15日に初めて参拝した首相は田中角栄の後任の三木武夫である。1975年のこの日、三木首相は全国戦没者追悼式に出席した後、自民党総裁専用車で靖国神社を訪れ、肩書なしの「三木武夫」と記帳して参拝し、「私人」であることを強調した。
 これ以後、首相や閣僚の靖国参拝の是非と「公人」か「私人」かが問われることになる。
 しかし、このころは中国や韓国はまだ靖国参拝を問題視してはいなかった。

 1978年10月17日、靖国神社はA級戦犯14名を合祀した。しかしこれは公表されず、翌年4月に初めてマスコミに報じられた。
 厚生省は既に1966年にA級戦犯の祭神名票を靖国神社に送っていた。しかし当時の筑波藤麿宮司が合祀を保留していた。1978年3月20日の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳によってようやく合祀されるに至った。
 昭和天皇がこの合祀に不快感を示していたことが後にいわゆる「富田メモ」により明らかになった。昭和天皇が以後靖国神社を参拝することはなかった。
 靖国神社は戦争責任者であるA級戦犯を神としてまつっているとの批判を受けることとなった。
 しかしこの時点でも、中国や韓国は靖国参拝を問題視してはいなかった。

 靖国参拝が外交問題になったのは、1985年の中曽根康弘首相による「公式参拝」の時である。
 「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根は、靖国神社の「公式参拝」にも当初から意欲を示していた。宗教的意味をもたない形式であれば首相の「公式参拝」は可能であるとして、8月15日、公用車で閣僚と共に公務として靖国神社を訪れ、「内閣総理大臣 中曽根康弘」と記帳したものの、「二拝二拍手一拝」の神道形式ではなく本殿で一礼する形式で参拝し、玉串料でなく供花料を公費から支出した。
 国内でも批判は高まったが、この時初めて中国、韓国の政府から強い批判の声が上がった。両国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを問題とした。
 中曽根が以後在任中に靖国神社を参拝することはなかった。自民党はA級戦犯合祀の取り下げ、あるいは分祀を働きかけたが、神社側に拒否された。

 なるほどマスコミが騒がなければ国際問題にはならなかっただろう。
 しかし、マスコミが騒ぐ原因となったのは、
1.8月15日の参拝
2.A級戦犯の合祀
3.「公式参拝」の強行
であり、1と3は自民党政権、2は靖国神社によるものである。
 これらを行った者に責任はないのだろうか。
 これらを無視して、「昔は静かに行っておられました」「いつのときからか、騒ぎになった」と、何の変化もないのに突然マスコミが騒ぎ出したかのように語る麻生の見識には疑問がある。

 そしてこれらが問題となるのは、結局のところ、わが国の政教分離原則と靖国神社の存在がどうしても抵触することと、わが国にきちんとした公的な戦死者を追悼する施設がないからではないか。

「お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい」
 私もそう思う。
 中曽根は首相時代に、国のために命を落とした人に感謝を捧げる場がなくして誰が国に命を捧げるか という趣旨のことを言っていた。感謝を捧げる場がなくても国に命を捧げることは必要ではないかと思うが、そうした感謝の場はあっていいし、あるべきだろう。
 しかし、その場が、何故一宗教法人である靖国神社でなければならないのか。
 何故一宗教法人に、国家が追悼する対象者を決める権限があるのか。
 靖国神社と国との関係が不透明なままであることが、そもそもの問題の原因ではないか。

 かつて麻生は、靖国神社を政治から遠ざけ、静かな祈りの場とする必要があるとして、靖国神社が宗教法人を自主的に解散させ、国が関与する特殊法人に移行し、無宗教の国立追悼施設とするという案を唱えていた。
 私もできるものならこれに賛成だが、靖国神社は反対だろうから、新たな国立追悼施設の建設が現実的ではないかと以前述べた
 この気持ちは今も変わらない。
 与党に復帰し、副総理を務める今、その実現に向けて力を尽くしていただきたい。

(関連過去記事
靖国神社と新追悼施設に思うこと(上) )


靖国神社と新追悼施設に思うこと(補)

2009-09-19 22:33:42 | 靖国
(前回までの記事
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(中)
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(下)

 いわゆるA級戦犯分祀について補足しておく。
 合祀した戦没者は一体として神となっているのであり、一部の戦没者を後から分離してまつったとしても、元の神格は変わらない。したがっていわゆるA級戦犯の分祀は教義上できないというのが靖国神社の、また神社本庁の見解だと聞く。一方、日本遺族会会長である古賀誠や中曽根康弘元首相をはじめ、分祀による靖国問題解決を主張する政治家は多く、対立している。

 教義上できないと言うが、神道には明確な教義はないとも聞く。

 毎日新聞「靖国」取材班『靖国戦後秘史 A級戦犯を合祀した男』(毎日新聞社、2007)は、東郷神社の宮司が「A級戦犯の14柱を東郷神社でお引き受けしたい」という「御霊分け」の提案をし、神社本庁から発言を慎むよう叱責されたというエピソードを紹介している。「御霊分け」は多くの神社にいくらも先例があるという。
 また、井上順孝・國學院大神道文化学部教授は、マスコミに「歴史上、祭神の一部を祭らなくする廃祀を行った例もある」とコメントしているという。
 さらに、かつて『神社新報』の主筆を務めた神道思想家葦津珍彦(あしづ・うずひこ、1909-1992)も、A級戦犯合祀に疑問を呈していたという。

 要するに、「できない」のではなく、やりたくないから「やらない」ということではないか。

 なお、靖国神社は、神社本庁傘下の神社ではない。別個の宗教法人である。

 もう一点、指摘しておきたいことがある。

 靖国神社のホームページの「靖國神社の御祭神」という文章には、次のように記されている(太字は引用者による)。
靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して国家防衛のために亡くなられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。

靖国神社に祀られているのは軍人ばかりでなく、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々などの神霊も祀られています。

このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にあるからです。つまり、靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通しているのです。
 これだけを読むと、靖國神社は、「国家のために一命を捧げられた」人々を「身分・勲功・男女の区別なく」「一律平等に祀」っているのだと理解してしまうだろう。
 だが、それは正しくない。この説明文は、靖国神社のもう2つの祭神について触れていないからである。それは、北白川宮能久親王と北白川宮永久王の2人の皇族である。
 大江志乃夫『靖国神社』(岩波新書、1984)に次のような記述がある。
 実は、敗戦までは、「名誉の戦死者」であっても、皇族は靖国神社の祭神とされることはなかった。戦死した皇族のためには、別に神社が建てられることになっていた。おなじ国家の祭嗣といっても、皇族と臣民では、神として祀られる神社の格がちがうことになっていたからである。
 戦死者とされた皇族は、日清戦争後の台湾植民地化のための戦争で戦病死した近衛師団長北白川宮能久親王、日中戦争中に蒙古(内モンゴール)で戦死した能久親王の孫にあたる北白川宮永久王の二人である。能久親王は、官弊中社台南神社に祀られたが、敗戦後、日本の台湾放棄にともない、その神体は日本に移され、靖国神社に祀られることになった。永久王は、蒙彊神社を建立して祀られる予定であったが実現しないうちに敗戦となり、一般の祭神とは別に靖国神社に祀られた。    現在の靖国神社は、それぞれ独立の祭神である二人の皇族の霊璽一座と合計二四六万余名の祭神を一括した霊璽一座とを本殿内に安置している。祭神としては全部が同格の主神であるといっても、皇族と臣下はまったく別扱いなのである。(p.17-18)
 したがって、「一律平等に祀られている」とは虚偽である。

 そして、皇族については、はじめから「分祀」されていたということでもあろう。

靖国神社と新追悼施設に思うこと(下)

2009-09-16 23:56:27 | 靖国
(前回までの記事
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)
  靖国神社と新追悼施設に思うこと(中)


 そもそも、A級戦犯はどのようにして合祀されたのだろうか。

 2006年7月20日、日本経済新聞がいわゆる「富田メモ」を報道した。
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ
 このメモについては、どこまで昭和天皇の真意を反映したものかわからないとか、果ては昭和天皇の発言ではないのではないかといった愚にもつかない批判があったが、ここではおく。
 私がここで問題にしたいのは、A級戦犯の刑死は1948年であり、サンフランシスコ平和条約の発効は1952年だったのに対し、厚生省が合祀対象であるA級戦犯12人(死刑に処された7人以外に、松岡洋右ら判決前に病死した者、白鳥敏夫ら終身刑中に獄死した者を含む)の祭神名票を靖国神社に送ったのが1966年であること、そしてその合祀を当時の筑波藤麿宮司が保留し、1978年の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳によって同年ようやく合祀されるに至ったこと、しかもそれは公表されず、翌年4月の報道でようやく明らかにされたことである。
 つまり、合祀については厚生省や靖国神社サイドの恣意的な運用が可能であり、しかも誰が合祀されたかは公表されないということである。
(なお、厚生省と言うと一般の官僚のようだが、合祀事務を担当したのは同省の援護局であり、これは旧陸軍省・海軍省から業務を引き継いだもので、多くの元軍人が在籍していたという)

 前々回引用した産経新聞の「【主張】8月15日の靖国 代替施設では慰霊できぬ」は言う。
首相が国民を代表して、国のために亡くなった人たちを慰霊することは、一国の指導者としての務めである。
 それはそうだ。だが、靖国神社は国家施設ではない。しかも合祀の経緯は不透明である。

 田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書、2002)によると、戦前の合祀手続は次のようだったという。
戦没者が生じた場合に陸(海)軍省の大臣官房内に高級副官を委員長に、各部将校を委員にした審査委員会が設置され、出先隊長や連帯区司令官からの上申によって個別審査をし、陸海軍大臣から天皇へ「上奏」し、「裁可」を経て、合祀者が決定した。それが官報告示され、合祀祭が執り行われた。
 国家機関の業務とはかくあるべきだろう。

 国家による追悼は必要であろう。ならばそれは、国家が管理すればよい。
 一宗教法人に過ぎない靖国神社に何でそんな権限があるのか。また、その恣意的な運用に、何故首相や天皇が振り回されなければならないのか。

 産経「主張」の理屈を敷衍すると以下のようになるだろう。
 靖国神社がいつ、誰をまつろうと、それは一宗教法人である靖国神社の判断であり、国が容喙すべきことではない。しかし、一方で靖国神社は伝統的に国家の追悼施設であった。したがって首相は無条件で靖国神社に参拝すればよいのだ。それを怠るとは国家指導者としての責務を果たしていない。
 一宗教法人を政府の上に置くような、ずいぶんと勝手な言いぐさではないか。
(ならば天皇に対しても同じことが言えるはずだが、さすがに天皇にああしろこうしろとは言い難いらしい)

 産経が、新たな国立追悼施設の建設のみならず、麻生のような非宗教法人化の主張にも反対するのは、靖国神社が一宗教法人である現状が彼らにとって都合がいいからではないか。
 靖国神社に国家による統制が加えられるとなると、これまでのように好き勝手な歴史観を開陳するわけにはいかないだろうからだ。具体的には、村山談話に拘束されるということにもなるだろう。
 しかし、それならば靖国神社やその支持者は、私的な立場でいくらでも、アンチ東京裁判史観を訴えるがいい。
 一宗教法人としての立場を最大限に利用しつつ、一方で国家機関としての役割を果たしているかのように主張するのはおかしい。


三木武夫首相の靖国参拝について

2009-09-15 23:59:37 | 靖国
 戦後初めて8月15日に靖国神社に参拝した首相は三木武夫である。それまでにも、独立回復後は吉田茂をはじめ歴代首相のほとんどが参拝してきたが、多くは春秋の例大祭の時期に合わせての参拝であり、終戦記念日である8月15日に参拝した首相はそれまでなかった。

 三木は戦前からの代議士である。日米戦争に反対し、1942年のいわゆる翼賛選挙では非推薦で当選した。戦後は協同組合主義を掲げた国民協同党の委員長となり、3党連立の片山内閣で入閣。自民党に合流後は三木派を率いて独自の存在感を放ってきた。また田中角栄の金権政治との対比から「クリーン三木」とも呼ばれた。
 そんな三木と靖国参拝とのイメージが結びつかず、私は長年不思議に思ってきたのだが、昨日、岩波新書(黄版)の大江志乃夫『靖国神社』(1984年刊)を読んでいると、次の記述が目にとまった。
国会が保革伯仲となった三木内閣時代には、靖国神社国家護持法案はもとより、それを緩和した「戦没者の慰霊表敬法案」も成立する見通しがなくなった。靖国神社国家護持の推進団体である日本遺族会と自民党遺家族議員協議会は、一九七五年五月六日、靖国神社国家護持を最終目的としつつ当面は表敬法案の推進、国家機関の公式靖国参拝、それもかなわぬときは従来の靖国法案の国会提出を要望した。つまり本来の目的から一歩しりぞいたかたちをとりながら、この要望がいれられなければ本来の強硬路線で圧力をかけるという方針である。
 田中角栄内閣が金脈問題で退陣し、ロッキード汚職問題が火を噴きはじめ、党内弱小派閥出身の三木首相に対していわゆる「三木おろし」の工作がはじまり、七月七日の参議院選挙に自民党が敗北して靖国法案を審議する内閣委員会で野党が多数をしめた。七月二七日に田中前首相が逮捕されるという、緊迫した情勢のもとで、三木首相は、保身のためにも、私人としての八・一五靖国参拝という妥協策を講じるほかになかった。(p.12)
 この記述がどれほど正確なものなのか私には判断がつかない。しかし、こういうことならなるほど説明はつく。
 それでも何故8月15日なのかという疑問は残るが、ある種のサービス精神のたまものだったのであろうか。

 なお、A級戦犯が合祀されるのはこれより後の1978年であり、さらにそれが報道されるのは1979年4月のことである。

靖国神社と新追悼施設に思うこと(中)

2009-09-07 22:50:34 | 靖国
(前回の「靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)」はこちら

 私は以前から、東京裁判における刑死も一種の戦死であり、靖国神社がそれをまつるのは当然と考えていた。
 だが、最近考えが変わってきた。

 そもそも、戦争指導者と一兵卒を同列に扱えるものだろうか。
 命令を下した者と、命令に殉じた者は同列だろうか。

 靖国神社はあくまで戦死者をまつる施設である。
 誰がまつるのか。それは、戦死者に犠牲を強いた国である。
 何故まつるのか。それは、戦死者が、本来であれば死ななくてもよかったかもしれないのに、その尊い命を国のために尽くしてくれたことに対して、国が感謝を示すためである。

 ところで、戦争指導者は、誰に命令されて戦争を起こしたわけでもない。自らの判断で戦争を始めたのである。
 その結果、敗北して、敵国に殺されたとしても、それは自業自得とは言えないだろうか。
 少なくとも、国民の義務として徴兵され、その結果死亡することになった一般兵とは、その死の意味合いは大きく異なるのではないだろうか。

 戦争は政治の延長であるとか、政治の一形態であるという主張があると聞く。私もそう思う。
 だから、個々の残虐行為や、ナチス・ドイツのような民族絶滅政策は別として、単に戦争を起こしたということそれのみを理由に死刑に処されるということには納得がいかない。
 ただ、それとは別に、その戦争を起こした政治指導者や、戦争自体を指導した将官たちが、それ故に敵国によって殺されたとしても、それをもって戦死者と同列の扱いを受けるというのはおかしいのではないかと、最近思うようになってきた。

 私は無神論者である。霊魂の存在も信じない。人は死ねばゴミになるというセリフに共感する。

 だが仮に霊魂なるものがあるとしよう。靖国にまつられている者は神になるのだとしよう。
 だとしたら、靖国にまつられているいわゆるA級戦犯(死刑判決を受けた7人だけでなく、公判中に病死した松岡洋右や永野修身、受刑中に獄死した白鳥敏夫や平沼騏一郎などを含む)は、どのつらさげて兵卒に会えるというのだろうか。

 私は、他国の侵略に対して国を守るためなら当然戦うべきだと思う。いや、国策に殉じて侵略戦争に従事したっていい。

 しかし、戦って死ぬならまだしも、愚劣な作戦によって、補給のないまま餓死したり病死したり、投降を禁じられて玉砕せざるをえなかったり、あるいは、十分な技量もないのに軍のメンツのためだけに特攻機に乗せられたりしたら、死んでも死にきれないだろう。

 そうした死を強いられた者と、その戦争を指導する立場にあった者を、同じようにまつるというのは、おかしいのではないか。

続く

靖国神社と新追悼施設に思うこと(上)

2009-09-06 00:22:00 | 靖国
 先月16日付けの産経新聞朝刊が社説(産経では「主張」と言う)で、麻生首相の靖国神社不参拝を批判し、新たな国立追悼施設建設への反対を表明していた。

【主張】8月15日の靖国 代替施設では慰霊できぬ

 64回目の終戦の日を迎え、東京・九段の靖国神社には炎暑の中、今年も多くの国民が参拝に訪れた。高齢者の遺族や戦友たちにまじって、親子連れや若いカップルが年々増え、この日の靖国詣でが広く国民の間に浸透しつつあることをうかがわせた。

 だが、閣僚では、野田聖子消費者行政担当相がただ一人参拝し、麻生太郎首相ら他の閣僚は参拝を見送った。予想されたこととはいえ、寂しい限りだ。

 麻生首相は「(靖国神社は)もっと静かに祈る場所だ」といっており、自分が参拝することで靖国の政治問題化を避けたとみられる。だが、首相が国民を代表して、国のために亡くなった人たちを慰霊することは、一国の指導者としての務めである。参拝見送りは残念な判断である。

 野田氏は「閣僚であろうとなかろうと、この日を大事に思っている」と述べ、「国務大臣」と記帳したことを明らかにした。野田氏の行動を評価したい。

 終戦の日の閣僚による靖国参拝は、以前は半ば慣例になっていた。だが、平成4年の宮沢内閣で12人の閣僚が参拝したのをピークに減少に転じた。中国や韓国との外交問題化を恐れたためとみられるが、情けないことだ。首相をはじめ閣僚が、普通に参拝する光景が早くよみがえってほしい。

 一方、民主党の鳩山由紀夫代表は「靖国には天皇陛下も参拝されない。心安らかに行かれる施設が好ましい」と述べ、靖国神社に代わる国立戦没者追悼施設の建設に意欲を示した。岡田克也幹事長も、民主党政権になれば、それを検討する有識者懇談会を設置する方針を示した。

 小泉内閣でも同じような懇談会が設けられ、いったんは国立追悼施設建設の方向性が打ち出されたものの、「税金の無駄遣い」「靖国神社の存在をおとしめるもの」などの批判が相次ぎ、棚上げになった。それをあえて蒸し返そうという考えは極めて疑問だ。

 日本の戦没者慰霊の中心施設は靖国神社であり、鳩山氏らが構想する国立追悼施設はそれを形骸(けいがい)化するものだからだ。

 鳩山代表は「(首相になっても)靖国神社に参拝するつもりはない。閣僚にも自粛していただきたい」とも述べ、岡田幹事長もこれに同調した。民主党首脳の靖国問題をめぐる発言については、今後も直視していきたい。
 同じ朝刊に、阿比留瑠比記者の次のような記事も掲載されていた(タイトルはウェブ版のもの。紙面とはおそらく異なる)。

古くて新しい追悼施設構想 「鎮魂を風化させるのか」

 長く「戦没者慰霊の中心施設」とされてきた靖国神社だが、衆院選後にその位置づけを危うくされかねない状況にある。

 15日の戦没者追悼式を欠席した民主党の鳩山由紀夫代表は記者会見で「戦争で亡くなられた方の追悼に関して、必ずしも大きく争点化はしたくない」と述べた上で、矛盾する言葉を付け加えた。

 「天皇陛下が安らかに参拝していただける施設が必要ではないか。国立の宗教性のない追悼施設を視野に入れながら、党として取り組んでいくべきではないか。粛々と行いたい」

 民主党では岡田克也幹事長も熱心な追悼施設推進派で、政策集「INDEX2009」でも宗教性を持たない新施設の設置に取り組むことをうたっている。

 とはいえ、宗教性がなく「魂」の存在しない追悼施設がどれだけ国民の心を慰め、誰が喜んでそこに行くというのだろうか。

 国立・無宗教の新施設構想は、福田康夫前首相の官房長官当時の私的懇談会も平成14年に建設を提言したが、自民党内で猛反発を受けつぶれた経緯がある。

 だが、実はこの構想は、「A級戦犯分祀論」と並び、それ以前から何度も浮上しては消えた「亡霊」のようなアイデアなのだ。故藤波孝生元官房長官はかつてこの構想について次のように語っていた。

 「中曽根内閣のときも非公式に検討したが、それでは解決にならない。鎮魂は国家の基本だが、国民は靖国こそが戦没者追悼の中心施設だと思っている」

 15日に靖国神社境内で開催された戦没者追悼中央国民集会では、民主党の新施設構想の批判が続出。日本会議の三好達会長(元最高裁長官)はこう訴えた。

 「『靖国で会おう』と誓い合った英霊の心を踏みにじるもので、言語道断だ」

 一方、鳩山氏はこの日発表した「終戦の日にあたって」との談話で、先の大戦について「悲惨で愚かな戦争」と簡単に総括し、「民主党は過去の歴史と正面から向き合い…」と記した。

 安倍晋三元首相は15日の参拝後、「英霊に尊崇の念を表するためにお参りした」と語ったが、鳩山氏の言葉には、中国や韓国への配慮はあっても英霊への思いはうかがえない。新施設建設の安易な推進は、日本のために一身をささげた英霊の鎮魂を国民の目から遠ざけ、風化させることにつながりかねない。(阿比留瑠比)

 3年前にも書いたが、私は、国立の新たな追悼施設を建設するという案に賛成である。

>宗教性がなく「魂」の存在しない追悼施設がどれだけ国民の心を慰め、誰が喜んでそこに行くというのだろうか。

 そうだろうか。
 少なくとも私は行く。

 広島の平和記念資料館は、言うまでもなく無宗教の施設である。しかし、訪れる人は絶えることがない。

 こうした施設にとって、宗教性が大事なのだろうか。
 国家が戦死者を追悼するということ自体が大事なのではないだろうか。

 中曽根康弘は首相在任中、靖国神社のような施設なくして、誰が国のために命を捧げるかという趣旨の発言をしたと記憶している。
 追悼施設があろうがなかろうが国のために命を捧げることは必要ではないかと思うが、国のために命を捧げた者に対して国家がこれを顕彰するのは当然だという点では共感できる。
 ただ、それが神社である必然性はどこにあるのか。

 靖国神社の前身である東京招魂社は1869年(明治2年)に設立された。もともとは、戊辰戦争の新政府軍側の戦死者をまつる施設として発足したのだろう。それが何故神社というかたちをとったのか。それは要するに、明治新政府によるわが国が「神の国」であったからにすぎない。国家神道の産物にすぎない。
 わが国が現在も「神の国」であるなら、靖国神社を国家の追悼施設としてもいいだろう。しかし、そうではない。
 国家施設としての靖国神社など、長大なわが国の歴史の中で、たかだか100年にも満たない期間存続したにすぎない。
 時代に合わせた追悼の仕方があっていいのではないか。

 産経は8月12日の「主張」でも、麻生首相の靖国不参拝方針を批判している。それによると、麻生は不参拝の理由をこう説明したという。

>「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」

 そして、上記の阿比留記者の記事中の鳩山由紀夫の発言。

>「天皇陛下が安らかに参拝していただける施設が必要ではないか」

 そのとおりではないか。

 16日の「主張」は言う。

>日本の戦没者慰霊の中心施設は靖国神社であり、鳩山氏らが構想する国立追悼施設はそれを形骸(けいがい)化するものだからだ。

 そうだろうか。
 戦前はたしかに靖国神社が公式の追悼施設だった。しかし占領下でそれが許されなくなり、靖国神社は一宗教法人と化すことで生きながらえた。そして独立回復後もそれが続いてしまった。
 本来は独立回復後に靖国神社の立場を明確にし、非宗教的な追悼施設に転身すべきだったのだと思う。いわゆる靖国神社国家護持の動きにその可能性があったのだが、靖国神社自身やその支持者が非宗教化を受け入れなかった。
 そして、A級戦犯合祀の発覚により、事態はいよいよこじれた(この件については次回以降に触れる)。

 「日本の戦没者慰霊の中心施設は靖国神社であ」るとしても、憲法の政教分離の原則にのっとるならば、産経は、麻生の言うように、靖国神社の非宗教法人化を訴えるべきではないだろうか。
 本来国家が担うべき戦死者追悼の任務が靖国神社という一宗教法人に委ねられたままだということが、事態を複雑にし、解決困難なものにしているとは言えないだろうか。

 なお、付言すれば、

>日本の戦没者慰霊の中心施設は靖国神社であり、

という表現には欺瞞的なものを覚える。

 「戦没者」とは普通、民間人の犠牲者も含む。東京大空襲や原爆投下などで亡くなった人々を含む概念である。政府が毎年8月15日に行っている「全国戦没者追悼式」に言う「戦没者」もそれを指している。
 しかし、靖国神社は、あくまで国のために尽くして亡くなった人々を神としてまつる施設である。一般の民間人の犠牲者をまつっているわけではない。
 靖国神社は、「戦死者」、つまり戦って亡くなった人の慰霊の中心施設であるとは言えるだろうが、「戦没者」の慰霊施設であるとは言えない。
 産経はこの点をごまかして、靖国が一般人の犠牲者をも追悼する施設であるかのように印象づけようとしている。

続く

(関連記事「戦没者と戦死者」)

靖国参拝「1回はOK」って・・・

2006-08-13 23:08:05 | 靖国
靖国参拝1回限り容認 中韓「安倍首相」念頭に (共同通信) - goo ニュース
私は、首相は靖国に参拝すべきだとは必ずしも思わないが、中国・韓国の批判があるから参拝すべきでないとはさらに思わない。靖国神社は戦没者追悼施設であり、A級戦犯も合祀されているとはいえ、A級戦犯の合祀を目的とした施設では決してない。「ドイツの首相がヒトラーの墓に参るようなもので、中韓の反発は当然」というような言葉を目にすることがあるが、全く不適切なたとえで、そのような性格のものではない。
靖国参拝は本来外交問題となるべき性質のものではない。それが問題化したのは、要するに日本国内の左派が騒ぎ立てて中韓にご注進したからだが、それを受けた中韓の批判に対し、日本政府は毅然として対応すべきだったのに、これを受け入れて譲歩してしまい、この問題が外交カードとして使えることを中韓に理解させてしまったためだ。
この譲歩をかつてした者たちが、最近の日本と中韓との関係について、首脳間の信頼関係が構築されていないなどと批判しているが、では彼らの時代には信頼関係が本当にあったのか。首脳会談は開かれ、表面的にはそれなりに平和的な関係が保たれていたようだが、それは結局相手の嫌がることは言わずに、諸問題を先送りしてきただけではないのか。
そんなわけで、中韓が反対するから参拝するなという論には同意できない。今回のこの報道、中韓に「何回までならOK」などと決められる筋合いはないと思うが、これまでの見解が絶対反対であったことを考えると、それなりに向こうも譲歩してきたのだなと思われる。歴史認識の問題で中韓にも譲歩させることが可能だということを示したという点で、小泉外交の数少ない成果と言えるだろう。

新たな国立の追悼施設を!

2006-08-09 13:18:18 | 靖国
参拝是非から「あり方」論へ 「靖国」新展開 (朝日新聞) - goo ニュース
麻生案のように、靖国神社を非宗教法人化した上で国立追悼施設とするというのは、靖国神社の由来を考えるとスジが通った話だと思うが、神社自体や靖国支持者のこれまでの動きから考えると、実現は極めて困難だろう。
この際、靖国神社は支持者のためにそれはそれとして置いといて、新たな非宗教の国立追悼施設を作るのが現実的ではないだろうか。
数年前にもこうした議論があり、その際、靖国神社があるのに同じようなものを二重に作る必要はないとか、国民は支持しないだろうとか、中国や韓国におもねるものだとか反対意見があったように思うが、必ずしもそうではないだろう。

私は、首相の靖国参拝は、戦没者の慰霊を目的としたものであり、中韓や左翼日本人が主張するような先の戦争の礼賛や日本の軍事大国化を目的としたものではなく、A級戦犯が合祀されていることについても、敗戦して処刑されたというのは戦死と同等と考えられるので、小泉首相が言うように、何ら問題はないと思っていた(ただ、小泉首相は、中韓との関係改善を図る外交的努力を怠っているとは思っていたが)。
しかし、冨田メモに対する保守系メディア・言論人の無様な反応を見て、さらに昨今の大東亜戦争肯定論が公然と語られる状況と合わせて、考えが変わってきた。
戦前の国家神道の時代ならともかく、首相が、戦没者の追悼に、一宗教法人である靖国神社に参らざるを得ないという状況は、これでいいものだろうか。
戦没者は追悼したいが、靖国神社には抵抗を覚えるという人は、どこに参ればいいのか。
もともと、明治政府が国家神道を採っていたから、追悼施設が神社という形をとったに過ぎないのだから、戦後に政教分離がなされた際に、追悼施設が非宗教化されてもよかったはずで、それがなされなかったのは、やはり当時の国民感情を考慮してのことだろう。しかし、もはや戦後60年。政教分離も定着したし、いつまでも靖国にこだわり続ける必要はないのではないだろうか。
私はむしろ、現状の靖国参拝にこだわり続けることで、戦前の日本を全肯定するような見方が、歴史に無知な若い世代に蔓延するのを恐れる。