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日々の思いをたまに綴るブログ。

枝野幸男氏が自衛隊を違憲だと言っていたというデマについて

2018-11-11 22:52:16 | 珍妙な人々
 立憲民主党の枝野幸男代表が、憲法に自衛隊を明記する安倍首相の考えを批判して、「自衛隊は合憲だ」から憲法改正の必要はないとの趣旨を述べたことについて、



《>日本は我々も含めて個別的自衛権は合憲だ。自衛隊は合憲だ。

だってお前、自衛隊は違憲だっていってたじゃんw ほんと詐欺師みたいなやつだな。》

と評しているツイートを見かけたので、

《枝野氏は自衛隊が違憲だなんて言ってないでしょう。いつどこで言ったんですか?》

と尋ねたら、

《「いつどこで?何時何分何秒、地球が何回まわったとき?」って小学生かよw 枝野は元々、違憲かどうかの判断は憲法学者の判断に任せるってスタンスだったろ。自衛隊は違憲という立場の憲法学者の方が多いんだから、違憲ってことだよ。ところがまぁここに来て合憲とか言い出しちゃった。驚きだね! 》

との返答があった。

 さらに私が、そんなスタンスを枝野氏がいつどこで述べたのかと追及を続けたところ、さんざん逃げ回ったあげく(その経緯はtogetterにまとめてある)、ようやくこのnetgeekの記事をソースと称して挙げてきた。

枝野幸男「残念でしたー!安保法制が違憲だなんて言ってませ~ん」→言ってる

 こんな誰が書いたとも知れぬネット記事がソースになり得ると思っているあたり、どうしようもない。

 確かにこの記事には

違憲疑惑が持ち上がり扱いが難しくなっている自衛隊の存在について是非を問われた枝野幸男は、なぜか「国民や学者の間で意見が違うのはしょうがない問題」と中立の立場で話し始める。この時点で多くの人が違和感を覚えるだろう。なぜなら枝野幸男は元々、自衛隊と安保法制は違憲と主張していたからだ。


と書いてある(太字は引用者による。以下同じ)。

 しかし、記事に掲載されている橋本五郎氏と枝野氏のやりとりは、

橋本五郎「だって(あなたは)安保法制は憲法学者が反対しているから憲法違反だってこと言ってたじゃないか」

枝野幸男「私は言ってません」

橋本五郎「民進党は言ってましたね?」

枝野幸男「党の公式見解でも言っていないと思います。あのとき憲法の担当者でしたから」


というもので、安保法制は憲法違反と言っていたかどうかが争点となっている。自衛隊が憲法違反かどうかではない。

 記事に転載されているDAPPIという人のツイートでも、

2年前の国会

枝「安保法は専門家に委ねるべき問題!専門家の指摘を無視するな!」


と書かれており、自衛隊の合憲性を問題にはしていない。

 枝野氏が、安保法制だけでなく自衛隊をも違憲だと主張していたと書いているのは、このnetgeekの記事の「腹BLACK」なるライターである。しかしその根拠はどこにもない。
 故に、このnetgeekの記事は、枝野氏が自衛隊違憲論を唱えていたとの主張のソースには成り得ない。

 こんなことをくどくど書かなくても、枝野氏が自衛隊合憲論に立っていることなど普通に政治のニュースに接していれば常識だと思うが、そんなことに関心のない層にデマを広めたい者がいるのだろう。

 ちょっと調べたら、枝野氏自身の自衛隊合憲発言もすぐに見つかったので、画像を貼っておく。
 NHKのサイトに掲載された、2017年10月8日の党首討論会の記事から。



記者「枝野さんにお伺いします。私の記憶では、枝野さんは確か自衛隊の保持についてお認めになる、ですよね?」
枝野「そうです。自衛隊、合憲です、我々は。」


 あと、「憲法学者の判断に任せる」云々の出所も、やはりすぐに見つかったので紹介しておく。
 これは2015年6月11日、衆議院憲法審査会での発言だ。

○枝野委員 〔中略〕
 言うまでもなく、四日の本審査会にお招きした三人の参考人の先生方、いずれも憲法学界を代表する先生方でありますが、その皆さんがそろって、現在審議中の安保法制について憲法違反であると述べられたことは、それ自体重大なことです。
〔中略〕
単にたまたまお招きした三人の先生方がそろって違憲とおっしゃったのではなく、中立的で、むしろ自民党の考え方に近いとすら受けとめられている方が少なくとも二名も含まれている中で、一致して憲法違反との指摘を受けたということであります。
 その上で、四日の審査会の後に一部から出ている、その重みを無視しようとする具体的な意見に対し、二点ほど指摘をしたいと思います。
 一つは、自衛隊発足の当時から、憲法学者の間では自衛隊違憲論が多数であり、最高裁はその学者の意見を採用してこなかったとの指摘です。また、現状においても、憲法学者の間では自衛隊違憲論が多いとして、自分たちとは基本的な立場が異なるという発言もあります。
 しかし、そもそも自衛隊発足時の違憲論は、日本国憲法が制定され、九条についての解釈が確立する前の、いわば白地での議論でありました。これに対し、今回の参考人の御意見は、いずれも、これまでに積み重ねられ、定着している政府の憲法解釈を前提として、集団的自衛権の容認などが憲法違反であると論理的に指摘をするものです。つまり、参考人の御意見は、自衛隊合憲論を前提としており、その限りで、私たちとも自民党とも基本的な立場は一致しています。


 「私たち」、つまり、当時の枝野氏を含む民主党も、自民党と同様、自衛隊合憲論に立っているとしている。

 そして、白地の状況では、批判自体が確立していませんから、条文の文言に基づき、どのような規範を導くのかということが問われます。このような場合には、法論理の問題だけにとどまらず、一定の価値判断が含まれ、政治性を帯びることも避けられません。すなわち、条文とそごを生じない限り、新たな規範の定立に向けた政治判断、価値判断が加わることは、この時点ではあり得ることです。当時の公権力が、法論理の専門家である学者の意見を参考にしながらも、政治的価値判断を踏まえ、当時の多数意見とは異なる結論を導いたことにも一定の正当性があります。
 これに対して、今回の参考人の指摘は、既に確立した解釈、つまり一定の規範を前提に、論理的整合性がとれないことを専門的に指摘するものです。論理的整合性は、政治性を帯びる問題ではなく、純粋法論理の問題ですから、政治家が政治的に判断できることでなく、専門家に委ねるべき問題です。論理の問題と、一定の価値判断、政治判断が含まれる問題との峻別もできないのでは、法を語る資格はありません。


 自衛隊を保有を認める解釈改憲は政治的判断によるもので正当性があるが、安保法制が合憲か否かの判断は論理的整合性によるべきだから政治的判断が入り込む余地はなく専門家に委ねるべきだとしている。

 私は、率直に言ってこれは詭弁ではないかと思う(安保法制の合憲・違憲についても政治的判断が許容されるべきだと思う)が、ここで枝野氏は、あらゆる憲法判断を専門家、つまり憲法学者に委ねよなどと言っているのではないことは明らかだ。
 故に、これも枝野氏が自衛隊違憲論を唱えたという根拠にはならない。

 証明ってのはこういうふうにやるもんですよ。

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朝日新聞で香山リカ氏の「批判との対話 希望の芽」を読んで

2018-09-01 21:07:58 | 珍妙な人々
 8月21日付け朝日新聞オピニオン面に「ネット言論を見つめる」と題して、香山リカ、平野啓一郎、荻上チキの3氏の主張が掲載されていた。
 その中で、香山リカ氏のものは、「批判との対話 希望の芽」と題されて、次のように綴られていた。

 いくつかのウェブメディアで連載を持っている私だが、いちばん力を入れているのはSNSのツイッターにコメントをくれた人たちとのやり取りだ。もちろんすべてに目を通すことはできないが、特に「匿名」での「賛意ではなく批判(罵倒や誹謗中傷もある)」に応じるように心がけている。そういう人たちと直接、やり取りできることこそ、SNSの最大の醍醐味だと思うからだ。調査目的でそうしているわけではないが、連日、そんな対話を続けていて気づいたことがある。

 まず、SNSでは理屈やデータよりも「1枚の写真」、つまり視覚的イメージが説得力を持つことだ。たとえば先日は「沖縄・辺野古での米軍新基地建設への抗議活動をする人の大半は国外・県外の活動家」と主張する人たちとやり取りしたのだが、彼らは繰り返し県外の労働組合の幟旗やハングルの横断幕が写った集会の写真を送ってきた。「時にはそうしたことがあったとしても、日常的に座り込みをしている人の多くは沖縄県民」と資料のリンクなどを添えて返答しても、「写真が何よりの証拠」とゆずらない。

 また、そうやって資料を示すことが、論拠の提示ではなく「ひとの意見に頼ろうとしている」と否定的にとられることが多い。「この分野では権威の学者の論文だから」という説明が、「そんな人は知らない」「どうせサヨクの仲間だろう」と反発を買うことも多い。“知の集積”がいとも簡単に否定され、「ズバリ自分の主張を述べる人」が評価されるのだ。

〔中略〕

 このような言論空間で、いったいどういう文法で彼らと対話し、正しい考え方や知識を身につけてもらえるようにすればよいのか。「目には目を」とばかりに、視覚的イメージを多用したり、論理ではなく感情的で断定的な言い切りで圧倒したりすればよいのか。それではあまりにも不毛だ。


 そして、最近、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の閲覧者が、韓国や中国への差別を煽動する動画を管理者へ報告するよう呼びかけ、3か月で50万本近い動画が削除されたという「画期的な」事例を挙げ、

「教えてあげよう」ではなく、自ら気づいて「なんとかしたい」と考える複数の人たちが同時多発的に現れれば、ネット言論の空間は爆発的に変わる可能性を秘めている。
 ネットでの対話だからできることが必ずあるはずだ。匿名掲示板から生まれた反差別の潮流に希望を見いだしながら、今日も私は“どこかの誰か”の罵りやからかいの言葉を受けては返しているのだ。


と結んでいる。

 香山リカ氏と言えば、ツイッターでの自身の不適切発言について、アカウントを乗っ取られたと主張したとか、政治的な反対派を精神障害者呼ばわりしたとは聞いたことがあるが、自身への批判者とネット上で積極的に対話しているとは聞いたことがなかったので、奇異に感じた。

 私のツイッターのタイムラインには、

《SNSの最大の醍醐味だと思うから』
これを見てひっくり返りました。》

とか、

《SNSの最大の醍醐味だと思うから』と言う言葉の裏には、どれだけうず高くブロックの山が築かれているのだろうね。と思いました。
まあ、その香山リカにブロックされて居ないことにされてる夥しい数の人たちはますます、何バレバレの嘘を自慢げに語らせて載せちゃってるの朝日新聞wwと思うようになるわけです。》

《絡んでもいなのにぼくも香山リカにブロックされている一人です。立教大学で彼女の講演なども聞いたことがあったのに残念です。彼女のTwitterでの振舞いはまったく酷いものだと認識しています。朝日新聞に書いていることは嘘八百ですね。》

《一回引用ツイートで批判しただけで、即効ブロックされてるんですが…w》

といったツイートが流れてきた。

 そういえば、香山氏のツイートって見ないなあと思い、氏のアカウント @rkayama を確認してみると、何と私もブロックされていた。

 私、何か香山氏について言ったことあるかなあと、過去のツイートを検索してみたが、氏に直接何かを言ったのはこのツイートしかない。



《番組での発言と街頭演説は違う。菅氏が正しい。"@rkayama: 私のような泡沫出演者でさえ選挙期間は特定候補の支持をしないでほしいと各放送局に言われるのに、NHK経営委員会委員が街頭演説に立ったとき、菅官房長官は「候補者の応援は放送法に違反しない」と言ってたよ。どっちがホント》

 あと、直接言ったのではないが、香山氏について取り上げたツイートはこの1つだけ。



《戸籍に国籍欄があろうがあるまいが関係ない、戸籍があること自体が日本国籍を有していることを意味する。産経の記事の限りでは香山氏は間違っていないし、それをバカ呼ばわりする池田氏は何も理解していないか、そのふりをしている。論者として信用に値しない。》

 これは見てのとおり、香山氏ではなく、香山氏を批判した池田信夫氏を批判したものだから、ブロックされる理由にはならない。
 理由となったのはおそらく前者のツイートだろう。

 この朝日新聞に掲載された香山氏の記事の末尾に「(寄稿)」とある(荻上氏も同じ。平野氏の記事には「(聞き手・鮫島浩)」とあるので朝日側が取材したのだろう)。つまり、朝日が香山氏に記事を依頼したのではなく、香山氏がわざわざ記事を書いて朝日に掲載するよう依頼したものだ。

 誰をどんな理由でブロックしようがそれは香山氏の自由だ。ツイッターの規約に違反しているわけでももちろんない。
 しかし、新聞の読者にはツイッターをやらない人も多いだろう。そうした人々に向けて、あたかも自らがネット上で批判者に対して真摯に対応しているかのようにアピールするというのは、言論人としていかがなものだろうか。
 そして、それを掲載する朝日新聞もまた、メディアとしていかがなものだろうか。この掲載を決定した編集者は、香山氏のネット上でのふるまいについて何も知らないのだろうか。
 それとも、同じ穴のムジナか。

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蓮舫氏の戸籍開示についての小野田紀美議員のツイートなどを読んで

2017-07-23 01:05:16 | 珍妙な人々
 前回の記事に関連するが、小野田紀美・自民党参議院議員の最近のツイートもひどかった。
 この人は、蓮舫氏の二重国籍が問題になっていた2016年10月に、自身も日本と米国の二重国籍であったことが判明したので、米国籍を離脱する手続きをとっていると報じられ、日本国籍選択の宣言日が入った戸籍謄本や、米国の国籍喪失証明書をわざわざ公開した人物だ。
 だから、二重国籍問題については、それなりの見識を備えた人物なのではないかと推察していたのだが、全くそうではなかったようだ。



《国籍について。
戸籍謄本を選管に提出して立候補OKが出てるのなら問題ないのだろうとお思いの方。それは違います。戸籍謄本には【重国籍者であることが分かる表記が何もありません】。国籍選択の義務を果たして初めて重国籍であった事が表記されます。スパイを送り込み放題の仕様になっています。
20:31 - 2017年7月14日 》

 戸籍謄本に重国籍者であることがわかる表記がなくても、それは当たり前だ。何故なら、前回も述べたように、戸籍とは日本国籍の保有者、すなわち日本国民を管理するための制度だ。日本国籍のみを保有しているのか、それとも他の国籍をも保有しているのかを区別して管理するための制度ではない。

 もっとも、「重国籍者であることが分かる表記が何もありません」という表現にはやや疑問がある。
 帰化によって日本国籍を取得したなら、その旨が戸籍に記載される。その者が外国国籍を離脱するか、日本国籍選択の宣言をしたら、そのことも戸籍に記載される。したがって、そのどちらも戸籍に記載されていなければ、その者は二重国籍である可能性がある(外国国籍を離脱していても、それを本人が市町村に届け出ていなければ、当然戸籍には記載されないから、二重国籍が解消されていてもそれがわからない場合もある)。
 小野田氏のように米国で出生して米国籍を取得したなら、出生地は戸籍に記載され、米国は出生地主義の国だから、二重国籍である可能性があることがわかる。蓮舫氏のように両親の片方の血統により日本国籍を取得したなら、もう片方の親が外国人であれば、やはり二重国籍の可能性があることがわかる。
 戸籍法は次のように定めている。

《第百四条の三  市町村長は、戸籍事務の処理に際し、国籍法第十四条第一項の規定により国籍の選択をすべき者が同項に定める期限内にその選択をしていないと思料するときは、その者の氏名、本籍その他法務省令で定める事項を管轄法務局又は地方法務局の長に通知しなければならない。》

 戸籍を見て国籍の選択がなされていないと戸籍事務担当者がわからなければ、こんな規定は意味をなさない。
 したがって、重国籍者の可能性があることは現状でもわかるようにはなっている。小野田氏が戸籍の読み方を知らないだけである。

 で。それが何故唐突に「スパイを送り込み放題の仕様になっています」という話になるのか。重国籍者はスパイである蓋然性が高いと小野田氏は考えているのか。
 蓮舫氏が二重国籍になったのは母親が日本国籍だったからだし、小野田氏が二重国籍になったのは父親が米国人で米国で出生したからだ。
 小野田氏に限らず、二重国籍の問題でスパイ云々と語る人を時々見るが、いったいどういう頭の構造をしているのか。
 尾崎秀実やキム・フィルビーやアルジャー・ヒスや李善実は二重国籍だったのか。
 小野田氏は米国からわが国にスパイとして「送り込」まれた人物だったのか。



《私が自分自身について「日本に来てからアメリカと何も関わってないし自動的に日本国籍選択扱いにしてくれたんだろうな」と勘違いをしてしまった理由の一つがここにあります。私の戸籍謄本には米国籍所持などと一切書かれていなかったのです。つまり、選管も重国籍者を見抜けない。とんでもない事です。
20:37 - 2017年7月14日 》

 選管が重国籍者を「見抜」く必要などない。戸籍があるということ自体が日本国籍を保有していることを意味する。わが国の公職に立候補するには日本国籍は要件だが他国の国籍を有していないことは要件ではない。
 また、「自動的に日本国籍選択扱いにしてくれたんだろうな」という「勘違い」もおかしい。戸籍がある以上日本国籍を有しているのは明らかだし、米国籍から離脱させるかどうかは米国が決めることであって、日本政府が関与できることではないからだ。この人も、蓮舫氏と同様、国籍というものを十分理解していなかったということでしかない。



《なお、外国籍喪失(離脱)の証明は、国籍法16条の“努力義務”を行ったかどうかの証明にしかなりません。私も米国籍喪失書類をお示ししましたがこれはあくまで補足です。国籍法14条の“義務”である日本国籍の選択を行ったかどうかは戸籍謄本にしか記載されません。
20:53 - 2017年7月14日 》

 「これはあくまで補足」というのはそのとおりで、重国籍者の義務である国籍法第14条の日本国籍の選択を済ませているなら、16条の外国籍の離脱は努力義務にすぎない。国籍単一の原則をとるわが国政府としては、外国籍の離脱が望ましいが、離脱を認めるかどうかは当該国の判断だから、わが国が干渉すべきことではない。



《つまり、国籍法に違反していないことを証明できるのは、国籍の選択日が記載されている戸籍謄本のみです。ルーツや差別の話なんか誰もしていない。公職選挙法および国籍法に違反しているかどうか、犯罪を犯しているかどうかの話をしています。日本人かそうでないかの話ではない。合法か違法かの話です。
20:57 - 2017年7月14日 》

 「ルーツや差別の話なんか誰もしていない」と言うが、この二重国籍問題にかこつけて、蓮舫氏のルーツについて差別的な発言をしている者は多々いる。小野田氏がしていないからといって、「誰もしていない」とは言えない。
 いや、小野田氏自身、重国籍者が潜在的スパイであるかのように語っているではないか。あれは差別ではないと思っているのだろうか。

 「犯罪を犯しているかどうか」とも言うが、二重国籍者が期限内に国籍選択の手続きを済ませていなければ義務違反ではあるが、そのペナルティは、法務大臣から選択するよう催告を受け、それでも1か月以内に選択しなければ日本国籍を失うというもので、国籍法ではそのほかに罰則が定められているわけではないから、「合法か違法か」と問われれば違法ではあるが、「犯罪」ではない。
 選挙公報に「帰化」と記載したのが二重国籍を隠蔽する目的の虚偽記載だったとして公職選挙法違反を問う声もあるが、「帰化」とは一般に外国人が日本国籍を取得することを言い、外国籍を離脱して日本国籍のみになることを意味しないから、虚偽記載には当たらず、これも「犯罪」ではない。それに蓮舫氏は二重国籍の認識があったことを否定している。過去の言動から認識があったと主張する人もいるが、それをもって裁判で有罪を立証するのは極めて困難だろう。

 「国籍法に違反していないことを証明できるのは、国籍の選択日が記載されている戸籍謄本のみ」
 それは確かにそのとおりだが、何故それを広く国民に公表する必要があるのか。
 蓮舫氏が日本国籍の選択について当初誤った説明をしていたのは事実だが、昨年の10月に至って、国籍法第14条の日本国籍選択の手続きが行われていなかったことを認めた。そして、台湾国籍を離脱する手続きをとったが、その証明書は日本の法務局で受理されず、日本国籍選択の宣言をするよう強く行政指導されたので、それに従って選択の宣言をしたことを明らかにした。
 それで十分ではないのか。何故その上、戸籍まで公表する必要があるのか。

 蓮舫氏がそう説明しただけでは、実際に選択の宣言がなされたのか確信がもてない、物証で確認する必要があるということか。
 しかし、それは所管官庁である法務局や市町村と、蓮舫氏の間の問題ではないのか。
 そして、「犯罪」に該当するか否かを判断するのは、警察や検察といった捜査機関であり、最終的には司法機関である裁判所である。
 何故、警察官や検察官や裁判官でもない、法令の解釈もおぼつかない一部の国民やマスコミ、一部の議員に対して義務のない「証明」をしなければならないのか。
 こうした人民裁判的な手法は、自由民主党の理念と相反するものではないか。

 確かに 小野田氏は、既に日本国籍選択の宣言を済ませた後に参議院議員に当選したものの、この蓮舫氏の二重国籍の問題が発覚した後、自身の国籍を確認してみると、米国籍の離脱がなされていなかったことを明らかにし、選択の宣言日が記載された戸籍や、その後取得した国籍喪失証明書を公表した。
 しかし、日本国籍選択の宣言を済ませているのならば、それは国籍法第14条の義務を果たしているのであり、わが国としては小野田氏を単一国籍者と同様にみなすということだ。その上での米国籍の離脱は努力義務にすぎず、小野田氏が米国の公務員にでもならない限り、離脱しようがしまいが小野田氏が日本国籍を保持し続けることに何ら影響はない。
 そんなものを公表する必要が果たしてあったのか。
 これはある種のパフォーマンスではなかったのか。

 小野田氏の名で検索していると、産経ニュースのサイトで、夕刊フジによる2017年6月7日付けのこんな記事を見かけた。

「蓮舫氏は公人を辞めるべきだ」 “二重国籍”解消公表した自民・小野田紀美氏に直撃
2017.6.7 11:40更新

 自民党の小野田紀美参院議員(34)が5月19日、自身のツイッターやフェイスブックに「国籍についてのご報告」として、米国籍の喪失証明書が届いたことを画像付きで投稿し、「二重国籍」状態が解消されたことを堂々と公表した。一方、「二重国籍」問題を抱える民進党の蓮舫代表は5月25日の記者会見で、戸籍謄本を公開する考えが「ない」と改めて強調した。2人の対応には、政治家として「天と地」ほどの差を感じる。夕刊フジは小野田氏を直撃した。(夕刊フジ)

 「なぜ、蓮舫氏は戸籍謄本を公開しないのか。公人にプライバシーはない。それを主張するなら公人を辞めればよい」

 小野田氏は、こう言い切った。自身の「二重国籍」を認識して以降、必要な解消手続きを素早く、透明性を持って進めた自負があるようだ。

 蓮舫氏は昨年9月の代表選の期間中、「二重国籍」が発覚した。日本国籍の選択宣言をしたと主張しているが、台湾籍離脱を含めた証拠となる戸籍謄本の開示は「個人的な件」として拒否している。

 小野田氏は、蓮舫氏の態度に「怒りを覚える」といい、続けた。

 「自民党本部からは『戸籍謄本まで公開しなくていい』といわれたが、私はそれでは国民の方々の信用は得られないと思った。逆の立場なら、私は信用しない。国会議員である以上、『日本に命を投じられる』ことを証明しなければならない。私のように海外にルーツがある人間は当然です」

 そもそも、蓮舫氏は民主党政権下で「二重国籍」のまま行政改革担当相を務めた。国益に沿った判断がされたのか、疑問を持たれても仕方ない。


 公人にプライバシーはない?
 公人にだってプライバシーはある。あるに決まっている。
 小野田氏だって、国籍選択の宣言日が記された戸籍を公開をした際には、本籍地はおろか、両親の氏名も出生地も削除していたではないか。当然の配慮だ。

 党本部からは公開不要と言われたのに一存で公開した、「逆の立場なら、私は信用しない」からだそうだ。
 たいした心意気だが、そもそも国籍なんて、そんなに国家への忠誠のあかしになるものなのだろうか。
 例えば、もしスパイが二重国籍を悪用しようとすれば、敢えて忠誠心を持たない国の方の単一国籍となって、工作活動を行うということも考えられないか。
 海外逃亡して、忠誠心を持つ方の国の国籍を再取得することだってできる場合もあるだろうし。

 それはともかく、小野田氏の行動によって、国籍に限らず、公人に出自の問題があれば、戸籍を公表するという先例ができてしまったことになる。
 よからぬ事態が生じなければよいのだが。

 夕刊フジの記者が蓮舫氏の行政改革担当相を「「二重国籍」のままを務めた。国益に沿った判断がされたのか、疑問を持たれても仕方ない」と言っているのも理解できない。わが国の国益よりも台湾の国益を優先させたことがあったとでもいうのか。ならば具体的にその「疑問」の根拠を示すべきだろう。

 記事はこう続いている。

 小野田氏は「現在の国籍法と公職選挙法には、国籍に関する不備がある。国際結婚が増えるなか、『二重国籍』問題に直面する人は多くなる。こうした人々が困惑しないよう制度改正に尽力していきたい」と語っている。


 重国籍者を潜在的スパイであるかのようにみなす小野田氏が、どのように人々が困惑しないような制度改正を求めるというのか、理解に苦しむ。

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蓮舫氏の戸籍開示についての池田信夫氏のツイートを読んで

2017-07-21 07:18:25 | 珍妙な人々
 蓮舫氏の戸籍開示に関連して、池田信夫氏がこんなツイートをしていた。



《香山リカってバカだな。「参院選に立候補した時点で、戸籍謄本により日本国籍があることが確認されている」というが、戸籍謄本に国籍欄はないんだよ。》

 そして、産経ニュースの次の記事を引用している。

蓮舫氏の資料公表中止求める 香山リカ氏ら「差別禁じる憲法に反する」

 民進党の蓮舫代表が台湾との「二重国籍」問題をめぐり、台湾籍を保有していないと証明する資料を公表する意向を示していることについて、精神科医の香山リカ氏ら有識者グループが18日、東京都内で記者会見し、公表中止を民進党に求めた。

 香山氏らは蓮舫氏について「参院選に立候補した時点で、戸籍謄本により日本国籍があることが確認されている」と指摘。その上で「個人情報を開示する何の義務も必要もない。開示を求めることは出自による差別を禁じている憲法に反する」とした。


 池田氏の言うとおり、確かに戸籍謄本に国籍欄はない。
 それがどうしたというのだろう。
 香山氏は、戸籍謄本に国籍欄があって、そこに蓮舫氏が日本国籍であることが示されていると言っているだろうか。
 もちろんそんなことは言っていない。
 参院選に立候補するためには、選挙管理委員会に戸籍謄本を提出しなければならない。わが国の戸籍謄本が存在するということそれ自体が、蓮舫氏が日本国籍を有していることを示している。そう言っているのだ(念のために書いておくが、外国籍のみの人間の戸籍などわが国にはない)。

 香山氏は問題ある言動が多々見られる論客だと常々思っているが、この点に関しては明らかに香山氏が正しい。それを「バカだな。」とツイートする池田氏こそ、その呼び方に値するのではないか。

 池田氏は続けてこんなツイートもしている。



《これは現在の戸籍制度の欠陥で、日本以外の国籍を書く欄がないので、二重国籍のまま「日本国民」になれてしまう。被選挙権はあるが、「帰化した」と選挙公報に書いたのは虚偽記載(公選法違反)。》

 欠陥でも何でもない。戸籍とは日本国籍の保有者、すなわち日本国民を管理するための制度だ。その国民が日本国籍のみを保有しているのか、それとも他の国籍をも保有しているのかを管理するための制度ではない。
 「二重国籍のまま「日本国民」になれてしまう」と、敢えてカッコ書きで「日本国民」としているのは、二重国籍者は正規の日本国民ではないという含みを持たせているのだろう。しかし、同じ日本国民でありながら、単一国籍者と二重国籍者とを差別的に取り扱ってよいなどという根拠は、国籍法をはじめどの法律にもない。ただ、わが国は国籍単一の原則をとっているため、二重国籍者はいずれ国籍を選択することを義務づけられているというだけだ。二重国籍であっても日本国民であることに何ら変わりはない。

 「「帰化した」と選挙公報に書いたのは虚偽記載(公選法違反)」と言うのも、何を根拠に言っているのかわからない。
 蓮舫氏は母親が日本国籍であることから、国籍法と戸籍法を改正した昭和59年5月25日法律第45号の附則第5条による特例として日本国籍を取得したので、国籍法第4条に定められた「帰化」の手続きをとったわけではないから、厳密には「帰化した」との表現は不正確ではある。
 しかし、一般に「帰化」とは「他国の国籍を得て、その国民となること」(デジタル大辞泉)を指す。蓮舫氏は元々台湾国籍であり、それが日本国籍を得た、つまり日本国民となったのだから、一般人に向けた選挙公報に「帰化」の言葉を用いることが必ずしも不適切だとは思えない。
 だが、池田氏の言っているのは、そういうことではないのだろう。
 池田氏は、「帰化した」とは日本の単一国籍となったことを意味しており、二重国籍の認識がありながら「帰化した」と書いたのなら、それは虚偽記載だとを言いたいのだろう。
 しかし、「帰化」にそんな意味まで持たせるのは池田氏の勝手な解釈にすぎない。池田氏の主張は誤っている。

 また、仮にその解釈を認めるとしても、蓮舫氏はその二重国籍の認識があったことを否定している。
 池田氏らは、蓮舫氏のタレント時代の発言などから、いや認識はあったと主張しているようだが、そんなものが決め手になる話でもないだろうし、仮に認識があったとしても、蓮舫氏が台湾の公人でもない以上、さしたる問題だとも思えない。

 以前の記事でも述べたが、国籍法には次のような条文がある。

第十六条 選択の宣言〔引用者註:重国籍者が日本国に対し日本国籍を選択し外国国籍を放棄するとの宣言〕をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。
2 法務大臣は、選択の宣言をした日本国民で外国の国籍を失つていないものが自己の志望によりその外国の公務員の職(その国の国籍を有しない者であつても就任することができる職を除く。)に就任した場合において、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、その者に対し日本の国籍の喪失の宣告をすることができる。
3 前項の宣告に係る聴聞の期日における審理は、公開により行わなければならない。
4 第二項の宣告は、官報に告示してしなければならない。
5 第二項の宣告を受けた者は、前項の告示の日に日本の国籍を失う。


 ということは、日本国籍選択の宣言をした二重国籍者が「自己の志望によりその外国の公務員の職」に就いたとしても、「その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認める」場合でなければ、法務大臣はその者に対し「日本の国籍の喪失の宣告をする」ことはできないのである。
 つまり、外国の公人に就任したとしても、二重国籍を維持する道はあるのである。まして蓮舫氏においておや。

 現在のわが国にとって果てしなくどうでもいいレベルの話であって、終わったはずのこの話をむし返す人々(民進党含む)にも、戸籍を開示させるのは差別だといった的外れな反応をする人々にも、嘆かわしいと思うばかりである。

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自分の頭で考える? ―長谷部恭男・杉田敦対談を読んで

2017-06-26 22:56:46 | 珍妙な人々
 朝日新聞は、ここ数年、二三か月に1回程度、長谷部恭男・早大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の対談を朝刊に載せている。
 朝日の看板的な位置づけの連続対談なのだろうと思うが、それにしては、両教授の発言には疑問に思う所が多々ある。

 19日付朝刊2面に掲載された今回の対談の紙面でのタイトルは「マフィア化する政治」。

 「マフィア化」とは何だろうと思って読んでみると、

 杉田 「1強」なのに余裕がない。これが現政権の特徴です。軽々に強硬手段に訴える。圧倒的な議席数を有しているのだから、国会会期を延長して、見かけだけでも整えればいいし、都合の悪い文書が出てきても「怪文書」などとせず、調査中と言えばいいのに、恫喝(どうかつ)的な態度をとる。森友学園や加計学園をめぐる疑惑と重ね合わせて考えると、政治のあり方が、一種マフィア的になっているのでは。身内や仲間内でかばい合い、外部には恫喝的に対応する。米国やロシアの政治も同様です。

 長谷部 公が私によって占拠されている。濃密な人間関係で強く結ばれた集団が、官僚機構や一部マスコミも縄張りにおさめ、社会一般に対して説明責任を果たそうともしないで権力を行使するとき、公権力は私物化され、個人間の私的な絆をテコに政治が行われる。社会全体にとって何が利益かを丁寧に説明し、納得を得ることで権力は民主的な正当性を獲得しますが、現政権はそんなものは必要ない、反対するやつは切り捨てればいいと。まさにむき出しのマフィア政治です。


だそうである。
 本物のマフィアが聞いたら、鼻で笑われるような話ではないかと思うが、彼らの中ではこれが真実なのだろう。
 さらにこんなことも言っている。

長谷部 マフィア政治を可能にした要因のひとつは、1990年代の政治改革で、首相官邸に権力を一元化したことですね。

 杉田 そうです。理論通りの結果で意外性はありません。政治学者の多くは当時、官僚主導よりは選挙で落とせる政治主導がいいと主張していた。官僚主導には確かに、既得権を過度に保護するなどの弊害がありますが、専門性にもとづく一定の合理性もあった。政権交代がひんぱんに起こる政治になるなら話は別ですが、現状では、政治主導とは、各省庁の意見も社会のさまざまな意見も無視して、政権が何でもできるということになっています。

〔中略〕

 杉田 今回、前川喜平・前文部科学事務次官の告発については称賛の声があがる一方、先ほどの政治主導の観点から、官僚は政治家の決定に従うべきだとの意見もあります。

 長谷部 政党政治から独立していることが官僚制の存在意義です。米国でも政治任用は必ずしも党派的に行われるわけではない。「たたき上げ」は政権にNOと言っています。今回露呈したのは、政権に反論できる回路が日本にはなく、忖度(そんたく)がはびこるという構造的な問題です。

 杉田 内閣人事局をつくって高級官僚の人事を政治任用にしたのも、政権交代が一定程度起きることを前提に制度設計されていました。政権交代がありそうなら、官僚も現政権に対してある程度距離を置けますが、それがなければ無理です。政治改革推進論者は、制度を変えて日本の有権者を教育すると言っていた。日本人は二者択一的にものを考えないから政権交代が起きない、ならば小選挙区にして無理やり考えてもらうと。しかし、制度改革には限界があります。


 政権交代がひんぱんに起こらないから、官邸への権力一元化、政治主導はよろしくないのだそうだ。
 政権交代が起ころうが起こるまいが、官僚が政治家に従うのは当たり前のことではないのか。
 もちろん、専門性の見地から、官僚が政治家の方針に異を唱えることはあっていい。しかし、最終的に政治家が決断したら、官僚はそれを尊重し、その実現に尽力すべきではないのか。それが組織というものではないのか。
 長谷部教授は憲法学者なのだから、「行政権は、内閣に属する」という憲法の条文を知らぬはずはあるまい。国民の代表である国会が指名する内閣総理大臣が構成する内閣が行政権を司るからこその国民主権ではないか。
 そんなに官僚の独立性を重視するなら、大日本帝国憲法時代の超然内閣への復古を唱えてはいかがか。政治家への服従をよしとしない官僚がさぞかし喜んでくれることだろう。

 それはさておき、私がこの対談についてブログに書き留めておこうと思ったのは、これまで引用した箇所が理由ではない。
 このあとの、長谷部教授の次の発言が気になったからだ。

長谷部 自分の頭でものを考えるか、為政者の言う通りにしておけば間違いないと考えるか。そのせめぎ合いがいま起きているのではないか。右か左かではない。自分で考えて自分で判断をする人は、右であれ左であれ、共謀罪は危ないと思うでしょうし、マフィア政治は良くないと考えるでしょう。日本国憲法の理念は「どう生きるかは自分で判断する」。安倍政権はその理念を壊したいと思っている。自分でものを考える人間は、マフィアにとっては面倒なだけですから。


「自分の頭でものを考える」
 私がこのブログを始めた10年ほど前、そういうことを言う政治的なブロガーをちらほら見た覚えがある。
 曰く、左翼や在日に牛耳られたマスコミを信用するな、自分の頭で考えろとか。
 あるいは、自民党は軍国主義や徴兵制の復活を企んでいて危険だ、自分の頭で考えろとか。

「右か左かではない。自分で考えて自分で判断をする人は、右であれ左であれ、共謀罪は危ないと思うでしょうし、マフィア政治は良くないと考えるでしょう」
 長谷部教授は、きっと、自分の頭で考えて、「共謀罪は危ない」、安倍政権は「マフィア政治」でありそれは良くないと判断しておられるのだろう。
 それを否定するつもりはない。
 しかし、「右であれ左であれ」、誰しもが、自分の頭で考えれば、自分と同じ結論に達するだろうとまで言ってしまうのはいかがなものか。
 それでは、長谷部説が、唯一絶対の正解だということになる。
 それらに同意しない者は、「自分の頭でものを考える」ことを放棄して、「為政者の言う通りにしておけば間違いないと考え」る愚者であるということになる。
 「自分の頭でものを考え」た結果、共謀罪はあっていい、安倍政権は「マフィア政治」ではないし、それでかまわないと結論を出す人もいるかもしれないのに。
 ずいぶんな思い上がりではないだろうか。

 長谷部教授のようなことを言えば、安倍政権に批判的な人々からは、さぞ賛同されることだろう。
 しかし、そうでない者は、こうした対談を読んで、どうして心が動かされるだろうか。むしろ呆れられ、軽蔑されるだけではないか。
 内輪ウケ狙いの発言でしかない。大新聞に載せるにふさわしいものだろうか。

 対談はこう続く。

 杉田 現憲法の「個人」を「人」に変えた自民党憲法改正草案はその意図を如実に示しています。ただ安倍首相は草案を勝手に棚上げし、9条に自衛隊の存在を明記する加憲を主張し始めた。自衛隊を憲法に明確に位置づけるだけで、現状は何も変えないと。

 長谷部 首相はそう言い張っていますが、自衛隊の現状をそのまま条文の形に表すのは至難の業というか、ほぼ無理です。そもそも憲法改正は現状を変えるためにやるものでしょう。現状維持ならどう憲法に書こうがただの無駄です。日本の安全保障が高まることは1ミリもない。自衛官の自信と誇りのためというセンチメンタルな情緒論しかよりどころはありません。そう言うといかにも自衛官を尊重しているように聞こえますが、実際には、憲法改正という首相の個人的な野望を実現するためのただの道具として自衛官の尊厳を使っている。自衛官の尊厳がコケにされていると思います。

 杉田 憲法に明記されることで、自衛隊はこれまでのような警察的なものではなく、外国の軍隊と同じようなものと見なされ、性格が大きく変わるでしょう。首相が最近よく使う「印象操作」という言葉は、この加憲論にこそふさわしい。だまされないよう、自分の頭で考え続けて行かなければなりません。=敬称略(構成・高橋純子)


 この「加憲」が「印象操作」にすぎないのか、「だまされないよう、自分の頭で考え続けて行かなければならない」のかについては、別の機会に触れたい。
 記事の末尾に「構成・高橋純子」とある。
 1年ほど前、政治面のコラムで「だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている。」「はい、もう一回。」と説いた方である。

 この対談のリードにはこうあるのだが、

数の力にまかせた奇手に個人攻撃。認めず調べず謝らず――。「1強」に余裕がなくなり、過剰なまでの強硬姿勢を見せる安倍政権。森友学園と加計学園の問題では、数々の疑惑にフタをするばかり。かつてないほどすさんだ政治の現状を、長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)に語り合ってもらった。浮かび上がったキーワードは「マフィア化する政治」だ。


これもこの高橋氏の手によるものだろう。
 安倍政権の現状が「かつてないほどすさんだ政治」に見えるらしい。私には、もっとすさんだ政治は過去にいくらでもあったように思うが。
 で、政権攻撃のためのわかりやすいキーワードとして「マフィア化」を提供していただいたと。「安倍政権はマフィア政治。はい、もう一回」といったところか。

 とりあえず私は、「為政者の言う通りにしておけば間違いない」とは考えないし、朝日新聞「の言う通りにしておけば間違いない」とも考えない。「だまされないよう、自分の頭で考え続けて行かなければならない」というのはそのとおりだろう。
 ただ、覚えておかなければならないと思うのは、少なくとも今の為政者は、「自分で考えて自分で判断をする人は……と考えるでしょう」などと押しつけてはこないということだ。


付記
 両教授の対談については、以前にも二度、当ブログで記事にしたことがある。

憲法の解釈変更は許されないか(中) 9条解釈は既に変遷している

憲法を解釈するのは政治家ではなく「法律家共同体」?


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蓮舫議員は「違法状態」ではない

2016-09-10 14:44:30 | 珍妙な人々
 この私のgooブログ「トラッシュボックス」の記事は、BLOGOSというサイトに転載されることがある。
 前回の9月7日付けの記事は、タイトルを「蓮舫議員の二重国籍疑惑はネットデマでは? 」としており、BLOGOSにもそのまま掲載されたが、BLOGOSのツイートなどでは「蓮舫氏の二重国籍は違法じゃない」と改題されて配信された。
 BLOGOSに編集権があることは私も了承しており、そのこと自体については何ら異議はないが、記事への反応を見ていると、このBLOGOSが付けたタイトルから、私が、蓮舫議員は単なる二重国籍であり、かつそれは違法ではないと主張しているととらえた方もおられたようだ
 また、私が国籍法第16条第1項について「これはいわゆる努力義務規定であり、罰則もない」と述べたことから、罰則がないから違法ではないと主張しているととらえた方もおられたようだ。
 しかし、私の前回の記事の趣旨は、それらとはややニュアンスが異なる。

 私の前回の記事の趣旨は、蓮舫議員が国籍法で定められた日本国籍選択の義務を果たしているのであれば、法的には他国の国籍を離脱する義務までは定められていないのだからそれで足りるのであり、池田信夫氏や八幡和郎氏が蓮舫議員の国籍の状態を違法であると主張するのはおかしいのではないか、というものだ。
 わかる方は既に前回の記事でわかっておられるようだし、わかりたくない方には何を言っても理解してもらえないのかもしれないが、少し補足しておく。

 池田氏は、前回私が引用した「「二重国籍」問題についての整理」という記事で「日本は国籍法で二重国籍を禁じて」いると述べている。
 しかし、国籍法に「日本国民は外国の国籍を有してはならない」といった条文があるだろうか。
 そんなものはない。

 では、一般に、二重国籍が禁じられているかのように受けとめられているのは何故だろうか。
 それは、国籍法では次のように定められているからだ(引用中の太字は引用者による。以下同じ)。

(国籍の喪失)
第十一条 日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う
2 外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択したときは、日本の国籍を失う

第十二条 出生により外国の国籍を取得した日本国民で国外で生まれたものは、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めるところにより日本の国籍を留保する意思を表示しなければ、その出生の時にさかのぼつて日本の国籍を失う。

第十三条 外国の国籍を有する日本国民は、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を離脱することができる
2 前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を失う


 日本国民が、自ら志望して外国の国籍を取得した場合は、日本の国籍を失うとされているから、二重国籍にはならない。

 では、外国人がわが国に帰化する場合はどうか。

(帰化)
第四条 日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。
2 帰化をするには、法務大臣の許可を得なければならない。

第五条 法務大臣は、次の条件を備える外国人でなければ、その帰化を許可することができない。
〔一から四 略〕
五 国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。
〔六 略〕
2 法務大臣は、外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるときは、その者が前項第五号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる


 外国人が「日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべき」とは、わが国と同様、その国において、外国の国籍を取得すればその国の国籍を失うと定められている場合だろう。
 この場合は当然二重国籍にはならない。

 だが、「外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合」がある。
 わが国と同様に外国の国籍の取得によって即自国の国籍を失うとはされていない国もある。そうした場合、その外国人が当該国の国籍離脱の許可を求めることになるのだろうが、それが得られるかどうかはその外国政府の判断である。そして、そもそも国籍離脱を認めていない国もある。
 こうした場合でも、「日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情」があれば、帰化、つまり日本国籍取得が認められている。
 こうして日本国籍を取得したとしても、外国国籍を離脱していないのだからそれは「二重国籍」だと言えば言えるだろう。
 だがそれは、法的には何ら問題のない状態でもある。
 それを「二重国籍」と言うなら、「日本は国籍法で二重国籍を禁じて」はいないのである。

 また、両親の片方が日本人、もう片方が外国人である場合、子が両国の国籍を取得することがある。この場合も、当然「二重国籍を禁じて」はいない。

 ただ、二重国籍になった場合、いずれは国籍の選択をしなければならない。

(国籍の選択)
第十四条 外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない
2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする


 二重国籍者が日本の国籍を選択するには、

ア.外国の国籍をその国の法令により離脱する
イ.日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言をする

の2つの方法がある。
 そして、外国の国籍の放棄については「宣言」で足りるのであって、実際に外国の国籍を離脱することは要件とされていない。

 したがって、池田氏が上に挙げた記事で

国籍選択ができるようになったので、蓮舫氏は母親の日本国籍を選択したしかしこのとき、中国籍を離脱しないと二重国籍になる。彼女は番組で「籍抜いてます。高校3年の18歳で日本人を選びましたので」と答えているが、国籍離脱の手続きをしたとは答えていない。〔中略〕結果的には違法状態だ。


と書いているのは、国籍法の規定を正しく理解していない。
 池田氏は「このとき、中国籍を離脱しないと二重国籍になる」というが、2つの国籍があるという点では国籍選択前から二重国籍である。そして国籍選択を済ませても2つの国籍が残っているのならやはり二重国籍である。そしてどちらも合法状態である。「結果的には違法状態」にはならない。
 だが、池田氏はそれを承知の上で敢えてそう述べているのではないかというのが、前回の私の記事の趣旨である。
 
 池田氏が引用している法務省の「国籍選択について」というページにも、

重国籍者の方は国籍の選択を!

 外国の国籍と日本の国籍を有する人(重国籍者)は,22歳に達するまでに(20歳に達した後に重国籍になった場合は,重国籍になった時から2年以内に),どちらかの国籍を選択する必要があります選択しない場合は,日本の国籍を失うことがありますので注意してください。


とある。
 義務づけられているのは日本国籍の選択であって、外国国籍の離脱ではない。

 ちなみに、その国籍の選択をしなければどうなるのか。
 国籍法第15条は次のように定めている。

第十五条 法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる
2 前項に規定する催告は、これを受けるべき者の所在を知ることができないときその他書面によつてすることができないやむを得ない事情があるときは、催告すべき事項を官報に掲載してすることができる。この場合における催告は、官報に掲載された日の翌日に到達したものとみなす。
3 前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この限りでない。


 池田氏が言う、「二重国籍を長く続けていると日本国籍を失うこともある」とはこの第3項の場合を指しているのだろう。
 しかし、法務大臣が蓮舫議員に日本国籍の選択を催告したとは聞かない。
 催告の制度に触れずに、単に二重国籍状態が長く続いただけで日本国籍を失うことがあると受け取れるこの池田氏の記述はおかしい。
 そして、法務大臣が催告していないのであれば、蓮舫議員が自身の日本国籍選択の手続が完了しているものと認識していたとしてもそれは当然だろう。

 法的に問題がなくとも、国会議員たる者、まして野党第1党の党首を目指そうとする者が、他国に国籍がありながらそのまま放置しておいていいのか、という問題提起は当然有り得るだろう。
 それは別の議論である。

 二重国籍そのものよりも、蓮舫議員自身の国籍についての発言に一貫性がなく、疑惑に対して誠実に対応しなかった点が問題であり、大政党の党首の資質に欠けるとの意見も見た。
 それも別の議論である。

 私は蓮舫議員の支持者でも民進党の支持者でもない。彼女が国会議員や民進党の代表にふさわしいかどうかといった議論と今回の私の記事は関係ない。
 私が前回と今回の記事で述べたいのは、池田氏の上記の記事と国籍法を読む限り、蓮舫議員は日本国籍選択の義務を果たしており、台湾籍を離脱する法的義務は存在しないのに、台湾籍離脱が法的義務であるかのように述べる池田氏や八幡和郎氏の主張はおかしいのではないか、ということだ。
 デマに基づいて他人を非難するのは私の好みではないということだ。

 今、池田氏の記事を再確認してみると、記事の末尾に

追記2:国籍法11条で「外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」が、日本国籍を選択した者は「外国の国籍の離脱に努めなければならない」(16条)。これは努力規定だが、外国籍を離脱しないと違法状態になる。被選挙権は「日本国民」であればいいので、蓮舫氏が国会議員になることはできる。


とあった。
 「これは努力規定だが、外国籍を離脱しないと違法状態になる」とは、第16条の努力規定だけでは違法状態ではないが、第11条に「外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とあるから、蓮舫議員に外国国籍が残っているのなら、それを離脱しない限り第11条に反し、違法状態になるとの趣旨だろう。
 しかし、国籍法第11条の条文は、上に挙げたように「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」と定めているのだ。
 蓮舫氏は、台湾人の父から出生したことにより台湾籍を取得し、その後、国籍法改正により母の国籍である日本国籍も取得したのであり、「日本国民」であるときに「自己の志望によつて外国の国籍を取得した」のではない。
 だから、第11条を根拠に蓮舫議員を「違法状態」であると言うことはできない。

 全くもってデマだとしか言いようがない。


(以下2016.11.1追記)
 その後、この問題は、国籍法第16条の外国国籍離脱の努力義務違反ではなく、そもそも蓮舫氏は第14条の日本国籍選択の宣言をしていないのではないかと指摘されるようになった。
 蓮舫氏はこの点についてしばらく明らかにしなかったが、10月15日の記者会見でようやく、このたび日本国籍選択の宣言をしたと説明するに至った。
 したがって、結果的には蓮舫氏は第14条違反であり、「違法状態」であった。
 その点では、この記事のタイトルは誤っている。

 この記事を読まれる際には、第14条違反が問われていなかった時点で書かれたものであることに留意していただきたい。
 詳しくは、別記事「国籍法14条違反判明を受けて――蓮舫氏の二重国籍騒動に思う(2)」を参照されたい。
コメント (2)
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蓮舫議員の二重国籍疑惑はネットデマでは?

2016-09-07 12:00:05 | 珍妙な人々
 蓮舫参議院議員の民進党代表選への立候補に絡んで、同議員の二重国籍疑惑を指摘するツイートやブログを昨日までにいくつか見た。

 確かに、先週読んだ産経新聞のインタビュー

 --出身の台湾と日本との「二重国籍」でないかとの報道がある。帰化していると思うが…

 「帰化じゃなくて国籍取得です」

 --過去の国籍を放棄し忘れているのではないかという指摘だ

 「ごめんなさい、それ分かんない。それを読んでいないから」

 --国籍法が改正されて、22歳までは日本国籍があるけども、そこで選択を迫られ、残った国籍は速やかに放棄しなければいけないという規定がある。それをしているかどうかという記事が出ている。首相を目指すのであれば、仮に台湾籍があるならば、ネックになると思うが

 「質問の意味が分からないけど、私は日本人です」

 --台湾籍はないということでいいのか

 「すいません、質問の意味が分かりません」


とあるのを読んだときには、意味がわからないこともないだろうに、何故きちんと説明しないのか、確認できないならできないと述べるべきではないのかと不審に思った。

 しかし、そういう私自身、外国人が日本国籍を取得する場合、どういう手続きになっているのか、詳しくは知らなかった。

 昨日、BLOGOSで宇佐美典也氏の「このまま蓮舫氏を代表にしたら民進党はもう終わり」というタイトルの記事を読んだ。

 この問題がそこまでのものとは私は思わないし、この記事の内容についても特に述べることはないのだが、その冒頭に

民進党代表選を前に蓮舫氏に関してアゴラを中心に二重国籍疑惑が騒がれ始めている。


とあった(太字は引用者による。以下同じ)ので、この問題はアゴラが発端なのかなと思い、アゴラを覗いてみた。

 すると、アゴラに9月3日付の池田信夫氏による「「二重国籍」問題についての整理」という記事が載っていたので読んでみた。
 池田氏はこう述べている。

蓮舫氏の国籍問題についての八幡和郎さんの一連の記事が反響を呼んで、いろいろな話が乱れ飛んでいるので簡単に整理しておこう。

一般論としては、法務省のホームページに書かれている通り、日本は国籍法で二重国籍を禁じており、「外国の国籍と日本の国籍を有する人は,22歳に達するまでにどちらかの国籍を選択する必要があります。選択しない場合は,日本の国籍を失うことがあります」。

1967年生まれの蓮舫氏は「日本国民である母と父系血統主義を採る国の国籍を有する父との間に生まれた子」にあたり、父系主義の旧国籍法では自動的に父親の国籍(中華民国)になったはずだ。したがって彼女が上の番組で「生まれたときから日本人です」と言ったのは、事実に反する。

しかし1972年に日本は中華民国と国交断絶したので、彼女の国籍は便宜的に「中国台湾省」となった(はずだ)。この「中国籍」というのは中華人民共和国と台湾を含む奇妙な国籍だが、法務省が一種の緊急避難として採用し、今日まで使われている。旅券などには混同を避けるために「台湾」と表記されるが、正式の国籍は「中国」である。

国籍法が改正されて1985年から国籍選択ができるようになったので、蓮舫氏は母親の日本国籍を選択した。しかしこのとき、中国籍を離脱しないと二重国籍になる。彼女は番組で「籍抜いてます。高校3年の18歳で日本人を選びましたので」と答えているが、国籍離脱の手続きをしたとは答えていない。

日本国籍を選択すると、戸籍には「日本」という国籍だけが記載されるので、本人も二重国籍に気づかないことがある。役所も外国でどう登録されているかはわからないので、放置することが多いという。蓮舫氏が「質問の意味が分からない」と答えていることから推定すると、彼女もこのケースではないか。

だとするとこれは単なる事務的ミスだが、結果的には違法状態だ。


 一見、なるほどなと思わせられる。

 しかし、この記事で池田氏がリンクを張っている「法務省のホームページ」を見ると、そこにはこうある。

2.国籍の選択の方法

国籍を選択するには,自己の意志に基づき,次のいずれかの方法により選択してください。

(1) 日本の国籍を選択する場合
ア 外国の国籍を離脱する方法
 当該外国の法令により,その国の国籍を離脱した場合は,その離脱を証明する書面を添付して市区町村役場または大使館・領事館に 外国国籍喪失届をしてください。離脱の手続については,当該外国の政府またはその国の大使館・領事館に相談してください。
イ 日本の国籍の選択の宣言をする方法
 市区町村役場または大使館・領事館に「日本の国籍を選択し,外国の国籍を放棄する」旨の国籍選択届をしてください。


(2) 外国の国籍を選択する場合
ア 日本の国籍を離脱する方法
 住所地を管轄する法務局・地方法務局または大使館・領事館に戸籍謄本,住所を証明する書面, 外国国籍を有することを証明する書面を添付して,国籍離脱届をしてください。
イ 外国の国籍を選択する方法
 当該外国の法令に定める方法により,その国の国籍を選択したときは,外国国籍を選択したことを 証明する書面を添付の上,市区町村役場または大使館・領事館に国籍喪失届をしてください。


 重国籍者が日本の国籍を選択する方法には、外国の国籍をその国の法令により離脱する方法のほか、「日本の国籍を選択し、外国の国籍を放棄する」旨届け出るという方法もあるとしている。

 念のため、国籍法を確認してみると、やはり

(国籍の選択)
第十四条 外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。
2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。


とある。

 ならば、蓮舫議員が、池田氏の記事にあるように「籍抜いてます。高校3年の18歳で日本人を選びましたので」と答えているのが、ここでいう「選択の宣言」であるとすれば、それで問題ないのではないか。
 「国籍離脱の手続きをし」していなくとも、「結果的には違法状態だ」とは言えないのではないか。

 だとすれば、蓮舫議員が、先に挙げた産経のインタビューで「質問の意味が分かりません」と述べたのも、理解できなくもない。
 インタビュアーの言う、「残った国籍は速やかに放棄しなければいけないという規定」はないのだから。

 もっとも、国籍法には

第十六条 選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。
2 法務大臣は、選択の宣言をした日本国民で外国の国籍を失つていないものが自己の志望によりその外国の公務員の職(その国の国籍を有しない者であつても就任することができる職を除く。)に就任した場合において、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、その者に対し日本の国籍の喪失の宣告をすることができる。
3 前項の宣告に係る聴聞の期日における審理は、公開により行わなければならない。
4 第二項の宣告は、官報に告示してしなければならない。
5 第二項の宣告を受けた者は、前項の告示の日に日本の国籍を失う。


ともあるから、蓮舫議員が「外国の国籍の離脱に努め」てきたのかという問題は残る。
 しかしこれはいわゆる努力義務規定であり、罰則もない。
 そして、国籍の離脱に努めなかった結果、日本国籍の取得が問題視されるのは、第16条第2項にあるように、「その外国の公務員の職に就任」した場合であって、その場合ですら、「その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるとき」でなければ、「その者に対し日本の国籍の喪失の宣告をする」ことはできない。
 したがって、蓮舫議員の国籍については、法的には現状で何の問題もないと考えられる。

 ところが、池田氏は、このようなリンクを張っておきながら、記事中で

蓮舫氏は母親の日本国籍を選択した。しかしこのとき、中国籍を離脱しないと二重国籍になる


と述べ、

これは単なる事務的ミスだが、結果的には違法状態だ。罰則はないが、二重国籍を長く続けていると日本国籍を失うこともある。国会議員の二重国籍を禁じる規定はないが、「外国の国籍を有する者」は外交官になれないので、外交を指揮する首相にもなれないと考えるのが自然だ。

事実関係については蓮舫事務所や台湾総領事館(台北駐日経済文化代表処)に照会しているが、今のところ回答がない。ただ蓮舫氏が今も中国籍をもっているとすると、民進党は首相に不適格な人物を代表に選ぶ可能性がある。これは彼女個人の問題ではなく民進党の信頼性にかかわるので、執行部は15日の投票までに事実を確認して情報を公開してほしい。


と述べている。
 これはおかしい。
 蓮舫議員がわが国の国籍を選択したのなら、国籍法上はそれで足りるのであり、「結果的には違法状態」でも何でもないのだから。

 リンク先の記述が理解できないほど池田氏が愚かとは思えない。
 これはネットデマではないのか。
 池田氏は、確信犯的にそれをやっているのではないか。

 池田氏が記事で挙げている、この問題で先鞭をつけたらしい八幡和郎氏も、先に挙げた産経のインタビューを受けて書かれた「蓮舫さんが国籍問題を語ったものの謎は深まる」という記事で、

蓮舫さんは生まれたときは中華民国籍だった。17歳のときに法律が変わって日本国籍も与えられて二重国籍となったが、22歳までに日本国籍を選択宣言した。しかし、そのあと、日本の法律で要求されている中華民国籍の離脱手続きをして二重国籍を解消したかどうかは、日本側では分からない(実際にはしない人がかなり多い)。蓮舫さんが自身で説明し証明するしかなく、ぜひ、お願いしたいというのが本問題だ。


と述べているが、先に述べたように日本の国籍法はそんなことを要求してはいない。

 そもそも、中華民国の国籍離脱手続を取れといったって、わが国はその中華民国を国家として承認していないのである。そんなものに何の効力があるのだろうか。
 では、わが国が承認している中華人民共和国政府が国籍離脱を許可すべきなのだろうか。しかし、1967年生まれの蓮舫氏の国籍が中華人民共和国にあるとも思えない。
 そして、わが国における蓮舫議員の国籍選択は既に完了しており、わが国の当局が蓮舫議員に国籍離脱の証明を要求しているわけではないのである。そんなことに何の意味があるというのか。
 これは一種の人民裁判ではないか。

 昨日そんなことを思っていたら、今日、蓮舫議員が台湾籍を放棄する手続をとったとの報道を読んだ。

蓮舫氏、台湾籍放棄手続き 二重国籍の指摘受け

 民進党代表選(15日投開票)に立候補している蓮舫代表代行(48)は6日、台湾籍を放棄する書類を、東京都内にある台北駐日経済文化代表処に提出した。高松市内での代表選候補者の共同記者会見で「台湾籍を放棄する手続きをとった」と明らかにした。

 蓮舫氏は日本国籍を取得しているが、父(故人)が台湾出身で、台湾との「二重国籍」の可能性が一部報道で指摘されていた。

 蓮舫氏は会見で、17歳だった1985年、「父と一緒に東京にある台湾の代表処に行って、台湾籍放棄の手続きをしている」と説明した。

 ただ、「(代表処での)やりとりが台湾語だったので、どういう作業が行われていたかわからなかった。私は台湾籍の放棄をしたと思っている。父を信じて今に至っている」とも述べた。

 蓮舫氏は続けて「台湾に確認を求めているが、まだ確認が取れていない。少し時間がかかるかもしれない。(このため)台湾の代表処に対して台湾籍を放棄する書類を提出した」と明らかにした。

 蓮舫氏は3日の読売テレビの番組でも二重国籍の可能性を指摘され、「(台湾)籍を抜いています。高校3年の18歳で日本人を選びましたので」と語っていた。

 台湾の法律では、親が台湾籍を喪失すれば、未成年者も台湾籍を喪失できる。東京の代表処でも届け出を受け付けることができ、台湾内政部に許可を求める。ただ、蓮舫氏が説明した台湾籍喪失の手続きの時点で、父も手続きをしていたかどうかは明らかになっていない。


 この朝日新聞デジタルの記事も、蓮舫議員が国籍法上解消すべき二重国籍の状態でも何でもないことに触れていない、誤解を招くものであり、残念に思う。

 八幡氏や池田氏らはこの蓮舫議員の対応を自分たちのネット言論の勝利だと考えるのかもしれないが、私には、先のビジネスジャーナルの虚報にも似た、ネットメディアの信頼性を失わせる実に愚劣な騒動だったと思える。

(以下2016.11.1追記)
 その後、この問題は、国籍法第16条の外国国籍離脱の努力義務違反ではなく、そもそも蓮舫氏は第14条の日本国籍選択の宣言をしていないのではないかと指摘されるようになった。
 蓮舫氏はこの点についてしばらく明らかにしなかったが、10月15日の記者会見でようやく、このたび日本国籍選択の宣言をしたと説明するに至った。
 したがって、結果的には蓮舫氏は二重国籍状態であったわけで、その点についてはデマではなかったことになる。

 しかし、日本国籍選択後に台湾籍を離脱する義務があり、離脱しなければ「違法」だという池田氏と八幡和郎氏の主張はデマだった。
 そして、その後問題にした第14条違反についても、まだデマを述べ続けている。
 だから、この記事のタイトルも本文も訂正する必要はないと私は考える。
 詳しくは、別記事「国籍法14条違反判明を受けて――蓮舫氏の二重国籍騒動に思う(2)」を参照されたい。



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高山正之への疑問(6) マハティールとEAECについて(下)

2013-12-23 20:48:58 | 珍妙な人々
(前回の記事はこちら

 さて、ではマハティールが提唱したEAECと、鳩山政権が提唱した東アジア共同体とは、高山が言うように、全く性格を異にするものだったのだろうか。

 現在は閉鎖されているようだが、以前読んだ在マレーシア日本人向けのニュースサイト「日馬プレス」の「マハティール十番勝負 ジェームズ・ベーカーとの勝負」という記事には、次のような記述があった。

 1997年12月には、EAECの予定メンバー、ASEANと日中韓によるASEAN+3首脳会議がクアラルンプールで開催された。実は、このときも日本は消極的姿勢を示していた。しかし、ASEAN側が日本が不参加ならば、中国、韓国だけと会談を開催するとの立場をとったために、参加に踏み切ったとされている。産経新聞社の内畠嗣雅記者は、翌日次のように報じている。

 「マハティール首相が地域の発言力強化のために提唱した東アジア経済会議(EAEC)構想が形の上で実現した格好になった」

 マハティールは、アメリカの執拗な妨害工作を克服して、実質的にEAEC実現にこぎつけたのである。ベーカー時代の東アジア・グループに対する反対論は後退し、現ブッシュ政権はASEAN+3の発展を容認している。

 一貫してEAECを支持してきた中国は、ASEANとの経済関係強化を進めてきた。当初EAECに消極的だった韓国も、ASEAN+3に積極的に関与するようになってきた。金大中大統領は「東アジア・ビジョン・グループ」(EAVG)や「東アジア・スタディ・グループ」(EASG)設置の主導権をとり、盧武鉉が大統領に就いた後の2003年12月には、EASGの提言に基づいて「東アジアフォーラム」が発足している。


 EAECはASEAN+3として実現したわけだ。
 そして、そのASEAN+3を核として、さらに発展させたものが東アジア共同体構想である。
 外務省のホームページに掲載されている、2010年のASEAN+3首脳会議の議長声明の骨子には、次のようにある。

1.ASEAN+3プロセスがASEANとともに、東アジア共同体構築という長期的な目標に向けた主要な手段としての役割を果たし、地域における持続可能な成長に貢献していることを再確認した。また、既存の地域メカニズム及び発展している地域アーキテクチャにおいて、ASEANが中心的役割を担うことへの強い支持を再確認した。


 共同通信が2009年10月に行ったマハティールへのインタビューによると、マハティールは、EAECと東アジア共同体構想は「基本的に同じだ」とし、鳩山首相がアジア重視や対等な日米関係を掲げていることを「支持する」と述べている。

日本の米支配脱却に期待 「東アジア共同体」支持 マハティール氏(マレーシア元首相)
 
 マレーシアのマハティール元首相(83)は7日、クアラルンプール近郊で共同通信のインタビューに応じ、東アジア共同体構想を掲げる鳩山由紀夫首相の下で日本外交が「米国の支配」を脱し、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国による「東アジア経済共同体」の実現に指導力を発揮するよう期待を表明した。

 政治、経済など幅広い分野で連携し、東アジアの共存と繁栄を目指す同構想は、マハティール氏が1990年代初めに提唱した「東アジア経済会議(EAEC)」が原型。同氏は鳩山首相がアジア重視や対等な日米関係を掲げていることを「支持する」と言明し、「われわれは日本が米国に支配されているとの印象を持っていた」と述べた。

 東アジア共同体の枠組みについて、日本の前政権などは中国の影響力を薄めるため、ASEANプラス3(日中韓)にインド、オーストラリア、ニュージーランドを含めるよう主張。これに対し同氏は「オーストラリアとニュージーランドは除外するべきだ。欧州人の国で政策も欧州諸国と同じ。心はアジアにない。含めれば、米国主導のアジア太平洋経済協力会議(APEC)と同じになる」と強調した。

 その上で同氏は「中国は大国で豊な経済を実現しており、共同体で大きな役割を果たせる。好き嫌いにかかわらず、われわれは中国とともに生きていくしかない」と指摘。インドは「跡〔原文ママ〕に加えられる」と語った。

 また、EAECと現在おこなわれている「ASEANプラス3」会議、東アジア共同体構想は「基本的に同じだ」と説明。鳩山首相の姿勢が鮮明になった以上、米国の圧力を受けて考案された「プラス3」の名称をやめ、「東アジア経済共同体」の公式会議として定期開催すべきだと主張した。

<現役時から一貫主張>
  歯に衣着せぬ欧米批判で知られてきたマレーシアのマハティール元首相は、現役当時から一貫してアジアの復権と東アジア共同体の樹立を主張してきた。

 首相在任中の1990年代初め、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国による単一市場を目指す東アジア経済会議(EAEC)を唱えた。欧州連合(EU)や北米自由貿易協定(NAFTA)による地域経済統合が加速する中、「アジア諸国がまとまらなければ、欧米の圧力に抵抗できない」との思いからだった。

 日本と韓国を手本とするルックイースト政策で知られるマハティール氏。「現段階なら中国も手本となる」と、中国の成長に注目する。「欧州は(マレー半島の)マラッカに到達し、2年後には征服した。一方、中国はわれわれと千年間貿易をしてきたが、征服しなかった。EAECも唯一支持した」と評価した。

 東アジア共同体構想を打ち出し、政権交代を果たした鳩山由紀夫首相には期待感とともに賛辞も送った。また同共同体に向けた協力のため、日中韓は「先の戦争の過去を忘れるべきだ」と断言した。

【クアラルンプール共同】2009・10/7


 マハティールはここで中国について「千年間貿易をしてきたが、征服しなかった」と述べているが、萩原宜之『ラーマンとマハティール』(岩波書店、1996)によると、EAEC構想のころにも、米国が中国の脅威を理由にアジアにおける自国の軍事的プレゼンスの必要性を唱えていたのに対し、中国の軍事的脅威はないと何度も述べていたという。

 今年1月には朝日新聞がマハティールへのインタビューを掲載したが、彼はここでも中国脅威論を否定している。

(インタビュー)ルックイーストはいま マハティール・ビン・モハマドさん

 マレーシアの首相を22年間務めたマハティール氏は1982年に「日本を見習え」と、ルックイースト(東方)政策を唱えた。それから30年余り。「いまや日本の過ちから教訓を得るときだ」「韓国により多く学ぶ点がある」と苦言を呈する。アジアを代表する知日のリーダーは、停滞が続く日本にいらだちを隠さない。

〔中略〕

 ――中国はいまやルックイーストの対象であり、脅威ではないと発言されています。日本や他の近隣国の指導者とは見方が違うようです。

 「過去2千年、中国がマレーシアを侵略したことはない。ベトナムに拡張を試みたが、あきらめた。日本に攻め込もうとしたのは、モンゴル高原に発する『元』だ。われわれを植民地にした西欧に比べれば中国が過去、好戦的だったとは言えない。市場経済の時代に、中国が日本をはじめ、周辺国を侵略する意図を持つとは思えない」

 ――中国は東シナ海や南シナ海で領有権を強く主張しています。

 「中国は豊かになり、さらなる富を得るため海に手を伸ばしている。中国が国内総生産の1%を軍備にあてるだけで巨額だ。かといって中国が戦争を欲しているわけではない。交渉によって解決するほかない」

 ――対話を通じて解決をめざす意図が中国にあるのでしょうか。

 「日本に米軍基地があれば、中国はそれを脅威に感じる。日本から米軍の兵器が発射されたら、と軍備を増強する。相手の立場から状況を考えてみることも時には必要だ」

 ――日本では自民党が選挙中、自衛隊の国防軍化や尖閣諸島への公務員常駐などの政策を掲げました。

 「実行すれば、中国はこれまで以上に軍備を増強し、対抗しようとするだろう。お互いの挑発がエスカレートし、ついには戦闘に至るかもしれない。賢明ではない」

 「マレーシアは隣国すべてと争いを抱えているが、タイとは協定を結び、インドネシア、シンガポールとは国際司法裁判所で決着。負けても受け入れた。フィリピン、ブルネイとも交渉し、現状を維持している」

 ――日本は経済的に自信を喪失し、その反動として右傾化が進んでいるとの指摘があります。

 「危険なことだ。日本が自信を取り戻すのは軍事ではなく、経済力を回復させるしかない」

〔中略〕

 ――米国のいいなりになる日本政府に何度も不満を表明しました。米国の意向をくんで、あなたが唱えた東アジア経済会議(EAEC)構想に反対した時やイラク戦争を支持した時です。そんな日本に学べと号令をかけたことを後悔はしませんか。

 「われわれが見習ったのは、高い職業倫理で戦後の復興を果たした日本だ。米国の影響下にある日本ではない。米国はEAECに中国を含めたから反対した。環太平洋経済連携協定(TPP)でも中国を除外しようとする。われわれは東洋の人間だ。敵をつくるのでなく、自分たちの問題は自分たちで解決すべきだ」

〔中略〕

 <取材を終えて>

 「日本を見習え」「日本は戦争について繰り返し謝る必要はない」。そんな発言をしてきたマハティール氏だが、米国を頼りに隣国に強硬姿勢で臨もうとする安倍政権の対外政策には批判的だ。「戦後復興を果たした勤勉さや倫理こそが愛国心」。退任後、日本風パン屋を日本人と共同経営する親日家の叱咤(しった)であり激励だ。

 (機動特派員・柴田直治)


 高山の言う「ゴキブリのように侵入してくる支那の圧力をブロックして」とは、全くのデタラメだとしか言いようがない。

 高山は、最後に朝日新聞を次のように批判して、この文を締めくくっている。

 朝日新聞も馬鹿に協力した。安倍政権潰しに似た執念でマハティールを叩き、早大教授の天児慧らを使って「アジアは支那を待っている」風な記事を流す。「先日、アジア諸国を代表する記者と話した。東南アジア諸国を苦しめた日本はアジアに発言権はないと言った」とか。
 そんな嘘を言う記者はどこの社かと見たら、〔中略〕みな華僑系の新聞ばかりだった。
 朝日新聞はまた東アジア共同体構想にシンガポールのリー・クワンユーが反対したことも触れない。彼が反対するのは当たり前だ。支那が共同体構想で域内諸国を植民地にする意図を知っている。苦労した自分の王国をむざむざ奪われたくないと思っているからだ。
 鳩山も日本の悲劇だが、こんな構想が実現したら悲劇はアジアにも広がる。偽りを書く朝日新聞の罪は重い。


 朝日の報道にはしばしば問題があると私も思う。しかし、事実でないことを平気で書くという点では、高山の方がはるかに罪が重いのではないか。

 若者向けのムックや週刊誌に掲載された文章に、多少の誇張や事実誤認が含まれていたとて、そう目くじらを立てることはないではないかという見方もあるかもしれない。しかし、この高山の文は、そういった言葉で許容できるレベルを超えていると思う。そしてこういった文章であっても、真に受ける人はそれなりにいるのだから(若ければ私も真に受けたかもしれない)。

 インターネットで高山について検索してみたところ、既にいろいろと批判記事はある。次のものが興味深かった。

上田義朗セミナー ベトナムについて帝京大学教授・高山正之氏は何を言いたいのか?:『週刊新潮』2006年11月9日号(p.158)の妄言

日本の新聞の見方 週刊新潮「変見自在」高山正之著

zdeshka カテゴリー「詭弁の教科書: 高山正之 「変見自在」について_」の記事

破壊屋 高山正之にとっての非国民


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高山正之への疑問(5) マハティールとEAECについて(上)

2013-12-10 09:57:50 | 珍妙な人々
(前回の記事はこちら

 高山は続いて、マハティールのEAEC構想とそれがつぶされた経緯について次のように語る。

 マハティールはこうした歴史〔引用者註:華僑が、東南アジア諸国において、植民地時代には白人の手先となって現地人を搾取し、独立後は政財界を牛耳り、一部の国では排斥されたという歴史〕をもつ東南アジア諸国を代表して九〇年代に東南アジア経済会議(EAEC)を打ち出した。その趣旨を香港で開かれたアジア経済フォーラムの席で発表した。世に言う「日本なかりせば」演説だ。彼は「日本によってアジア諸国は白人国家の奴隷にならず自立の道を歩めた」と語った。

 〔中略〕

 マハティールのこの演説に基づくEAEC構想は実にはっきりしている。アジアを率いる力と品位を持つのは日本で、その日本を盟主に、白人諸国の干渉を排し、ゴキブリのように侵入してくる支那の圧力をブロックして域内諸国の発展を期すというものだ。

 形で言えばまさに大東亜共栄圏の再現であり、マハティールが言う参加国、地域をつなぐと支那を包囲する形になる。麻生前首相の言う安定の弧と似る。

 自虐に染まった日本を再評価するマハティール構想はまずクリントンを激怒させた。米国が潰した日本を再生させてなるものか。根性の悪い彼はマハティール潰しを当の日本人にやらせた。河野洋平が得意になって走り回って、マハティールに白人国家も華僑も入れよと意見した。ここまでダメになった日本を見てマハティールは泣いた。クリントンは笑いこけた。


 まず、EAECは「東南アジア経済会議」ではない。「East Asia Economic Caucus」の略であり「東アジア経済会議」あるいは「東アジア経済協議体」と和訳される。

 次に、大東亜共栄圏とは果たして高山が言うような、支那の圧力をブロックするための包囲網だったのだろうか。
 そんなことはない。昭和戦前期についての知識が少しでもあれば、大東亜共栄圏は支那を含めた概念であることはわかるはずだ。
 例えばコトバンクが引用している百科辞典マイペディアは次のように説明している(太字は引用者による。以下同)

大東亜共栄圏 【だいとうあきょうえいけん】

太平洋戦争中に日本の中国,東南アジア侵略の合法化を目的とした指導理論。日本が指導者となって欧米勢力をアジアから排斥し,日本,中国,満州を中軸とし,フランス領インドシナ(仏印),タイ,マレー,ボルネオ,オランダ領東インド(蘭印),ビルマ(ミャンマー),オーストラリア,ニュージーランド,インドを含む広範な地域の政治的・経済的な共存共栄を図るという政策を掲げた。


 では、EAECはどうだろうか。高山が言うように、日本や東南アジア諸国によって構成され、中国や華僑を排除(この華僑をの意味がわからない。マレーシアがEAECに参加しつつ国内の華僑を排除するといったことが可能なのか?)したものなのだろうか。
 これも、そんなことはない。
 私が持っているCD-ROM『世界年鑑 1993-1997』の1993年のマレーシアの項には、次のような記述がある。

【東アジア経済会議構想】 マハティール首相は90年12月、欧州と北米の「地域主義的な保護主義台頭への対抗」を理由にASEAN6カ国と日本、中国、韓国、香港、台湾のほか、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーも含めた各国で経済共同体を構成する東アジア経済圏(EAEG)構想を提唱した。
 しかし米国は真っ向から反対、日本も消極的な姿勢を示した。ASEAN内部でも積極支持を表明したのはシンガポールだけで、ASEANは91年10月、クアラルンプールでの経済閣僚会議で保護主義的な経済ブロックの印象を薄めた「東アジア経済会議」(EAEC)に名称変更して検討することにした。92年1月シンガポールで開いたASEAN首脳会議でASEAN自由貿易地域(AFTA)の創設が合意され、EAEC構想は事実上棚上げとなっているが、マハティール首相は繰り返し構想実現を訴えている。


 中国が含まれている。香港や台湾も。

 さらに、彼の自伝『マハティールの履歴書』(日本経済新聞社、2013)に収録された日経の「私の履歴書」(1995年11月)の第25回にはこうある。

25 EAEC――米の感情反発に驚く

 一九九〇年十二月、マレーシアを訪問した中国の李鵬首相との会談で私は大きな国際的議論を呼ぶことになるEAEG(東アジア経済グループ)の構想を初めて公表した。構想は日本、中国、韓国、ASEANなど東アジア諸国が協力して経済発展に取り組もうというものだ。
 実は進行中だったガット(関税貿易一般協定)のウルグアイラウンド(多角的貿易交渉)が難航していることに苦慮していた国際貿易産業省から、構想が上がってきていた。私はかねて、早期妥結を期待する発展途上国の意向は無視して自分の利害だけで動く欧米諸国の態度に我慢がならなかったので、早速、政策として取り上げた。欧米諸国をEAEG構想から除外するのはその趣旨から当然だったのである。李首相は即座に横想に賛意を示した。
 しかし、この構想は先進各国から予期せぬ反発を招いた。米国のベーカー国務長官がしばらくしてクアラルンプールに飛んできた。私は構想について説明したが、彼自身は何も言わず、帰途に日本に立ち寄ってEAEGに参加しないよう言ったようだ。米国が外れていることが気にくわないのだ。
 私が驚いたのはその反論が一つには感情的なこと、一つは合理的な根拠がないことだ。ベーカー氏は国務長官をやめた後も日本に行き、参加しないよう日本のビジネスマンに呼び掛けたという。韓国に行っては、マレーシアは朝鮮戦争で血を流していない、とも言った。
 ひいては彼は、私が会談の時に着ていたマレーの民族衣装についても何か悪口を言ったらしい。日本人はキモノ、米国人はコートとネクタイがあるのに。私は米国務長官のシュルツ氏やキッシンジャー氏とは何度も会ったが、ベーカー氏とはこれが最初で最後だった。
 米国が反発する理由も納得がいかない。経済ブロックの設置は認めないと言いながら、米国自身は貿易ブロックであるNAFTA(北米自由貿易協定)を設立した。EAEGは貿易ブロックではなく、東アジアが経済問題を協議する場でしかない。
 多分、米国はアジアの国同士が仲良くなること自体を望んでいないのだろう。米国は東南アジア諸国に対し、将来の敵は日本と中国だという。日本は軍事パワーなので、米国は第七艦隊を維持する必要があるとも話す。私は日本が再び軍事力に訴えるほど愚かだとは思ってはいない。
 私はEAEG構想についてはASEAN諸国には事前に説明した。日本政府に説明するのは後になった。我々は六七年にASEANを設立した時にも、域外の国々と事前に協議はしなかった。
 私は日本の海部首相(当時)に説明した。彼はもちろんイエスとノーとも言わず、黙って聞くだけだった。日本はその後、ASEAN各国が構想に同意すれは日本も参加に同意すると表明した。私はASEAN各国と意見を調整し、インドネシアが提案したEAEGからEAEC(東アジア経済協議体)への名祢変更も受け入れた。ASEANは九三年七月、EAECの設立を原則として認めたのである。
 しかし、その後も日本は「イエス」と言わないばかりか、オーストラリアとニュージーランドの加盟を認めれば日本も参加するという新たな条件を付けてきた。日本の政府と経済界は態度が違うように思える。米国の圧力があることは分かるが、EAECに関する米国の政策が変わったら日本はどうするのだろう。
 私はEAECの構想は正しいと今も考えている。間違いがあったとしたら各国に様々な意見があるのを十分に読めていなかったことだ。私はEAECはいずれ実現すると確信している。


 マハティールがEAECの前身であるEAEG(East Asian Economic Group)構想を最初に明らかにしたのは中国の李鵬首相に対してだった。
 そして、反発した米国のベーカーは、クリントンの前のブッシュ(父)政権(共和党)の国務長官であることは言うまでもない。
 河野洋平が外相を務めた村山内閣の時だけでなく、日本は海部首相の時代からこの構想に冷淡だった。

 高山のふだんの主張から見てクリントンや河野洋平が嫌いなことはわかる。しかし、クリントンや河野洋平だけが反対して構想がつぶれたわけではないのに、あたかもそうであるかのように印象づけようとする高山の姿勢は疑問だ。

 また、高山が「マハティールは……東南アジア諸国を代表して……東南アジア経済会議(EAEC)を打ち出した」というのも正しくない。マハティールは他国に相談もなく一方的に構想を明らかにし、あとから他のASEAN諸国の同意を取り付けたのだ。

 高山は「日本なかりせば」演説をEAECの趣旨説明だというが、高山の著書からの引用でこの演説を紹介しているこちらのサイトを見る限り、別にEAECの趣旨説明ではない。
 また、同サイトの高山からの引用によると、この演説は1992年10月14日に行われたとされているが、マハティールがEAEGの構想を明らかにしたのは、上記の「私の履歴書」にあるように1990年12月なのだから、構想が「この演説に基づく」というのも不可解だ。
 この一節は何から何までおかしなことだらけである。

続く
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高山正之への疑問(4) インドネシアとフィリピンについて

2013-12-02 00:38:00 | 珍妙な人々
(前回の記事はこちら

 続いて高山は次のように語る。

 オランダ領のインドネシアはベトナム型で日本から戦うことを学んで戦後、五年も宗主国に抵抗を続け、世界に独立を認めさせた。ただ白人の手先だった華僑は生き延び、今も政治経済の中枢に生き続けている。


 インドネシアでは華僑に対する排撃はなかったのだろうか。
 1965年の9.30事件(インドネシア共産党の影響下にあった左派系将校によるクーデター未遂事件)の際に、大量の華僑が虐殺されたと聞く。
 インドネシア共産党は中国共産党の影響下にあったそうだが、華僑を中心に構成されていたとは聞かない。それでもこうした事態が発生したのは、積もり積もった反華僑感情が爆発したのだろうか。
 
 「華人経済研究所」なるブログの「インドネシア華人が恐れる「30年周期」」という記事には、9.30事件についてこんな記述がある。

このクーデターに関与したとされるインドネシア共産党に対し、徹底的な弾圧が行われ、同党は壊滅。その間、共産党員や大陸系華人など、50-100万人の人々が大量虐殺の犠牲になったほか、数多くの大陸系華人が中国への帰国を余儀なくされた。教育・文化面でも、インドネシア政府は、「華僑学校における民族教育、語学教育の禁止」、「華字誌の発行停止」、さらに「中国政府と取り決めた二重国籍協定の適用停止」など、インドネシア国籍を持たない華人に対する差別待遇措置をとった。


 この記事からは、ほかにも多数の反華人暴動が起きていることがうかがえる。

 高山がこうした事実を知らないのなら、東南アジアの華僑を語る割には無知だし、知っていて伏せているのなら悪質だろう。

 高山は続いてフィリピンに言及する。

 フィリピンを植民地にした米国は日本封じという軍事目的が達成された戦後、さっさとフィリピンを独立させた。独立の陣痛がなかったため華僑を追い出すタイミングを失った。彼らは政財界を牛耳り、アキノを大統領にしている。彼女は福建省の華僑だ。

 
「独立の陣痛がなかったため華僑を追い出すタイミングを失った」
 しかし、独立の陣痛があったインドネシアも、高山によると華僑を追い出さなかったことになる。独立の陣痛云々は無意味な言葉だろう。

 コラソン・アキノが華僑だとはこの高山の文を読むまで私は知らなかった。
 しかし、アキノが大統領に就いたのは、政財界を牛耳る華僑の力によってなのだろうか。マルコス大統領の政敵であり暗殺されたベニグノ・アキノの妻であったため、反マルコスのシンボルとして担ぎ上げられただけではないのだろうか。
 それに、彼女が大統領を務めたのは1986年から1992年までのことにすぎない。ではその後のラモス、エストラダ、アロヨはどうなのだろうか。あるいは、その前のマルコスの長期政権は。
 たかだか6年間の統治をもって、華僑がフィリピンの全てを支配しているかのような印象を与える高山の姿勢は疑問だ。

 ちなみに、フィリピンの独立は米国統治時代から既に決まっていたことであり、わが国が敗北したからさっさと独立させたのではない。
 だから、大東亜戦争が東南アジアの植民地の独立を促したという見方は、少なくともフィリピンには当てはまらない。それどころか、わが国はフィリピンの国土を戦場とすることにより、住民に無用な犠牲を与えてしまったと言える。
 兵頭二十八は別宮暖朗との共著『技術戦としての第二次世界大戦』(PHP文庫、2007)で、次のような激烈な言葉を残している。

 厚生省その他によれば、フィリピンで日本兵は五一万八〇〇〇人死んでおり、うち四七万人はゲリラに殺されたと見積もられている(一説に死者の八割は餓死)。これはシナ本土で戦死した日本兵四六万人を遙かに上回るのですよ。これに比べればビルマの一四万六〇〇〇人(うちインパールは三万五〇二人)、ニューギニアの一三万人、沖縄の九万四〇〇〇人の戦死は霞んで見えてしまうほどです。
 その一方でフィリピン人を戦争に巻き込んだ結果、一一一万人も殺してしまった。これらフィリピン人はシナ人と違って日本に戦争やテロを仕掛けてきたわけではない。いったいこれのどこが「解放の戦い」ですか。頭を下げるなら北京ではなく比島に向かってこそしたらどうだと言うんですよ。(P.325)


 また、こんなブログの記事もある。
 「フィリピンに「日本=解放の手助け」論が成立しないのは何故か?

 なお、フィリピンは、他の東南アジアの国々と違って、華人と原住民との混血が多いという。フィリピン独立運動の英雄とされるホセ・リサール(1861-1896)や、19世紀末に独立政府の大統領を一時務めたが米国に敗れたアギナルド(1869-1964)も、華人の血を引くとされる。

 さて、高山は、東南アジア諸国における華僑を、植民地時代には白人の手先になって現地人を搾取し、独立後も政財界を牛耳り、一部の国では排斥された存在としか描いていない。
 しかし、そうした見方は果たして妥当なのだろうか。

 川崎有三『東南アジアの中国人社会』(山川出版社(世界史リブレット)、1996)は、19世紀後半における東南アジアへの華人の大量流入を、次のように描いている。

 大量移住によってもたらされた中国人移民はおもに肉体労働にたずさわる人びとであった。マラヤ地域における錫鉱山労働者、タイにおける鉄道建設のための労働者などがその例である。中国本土においてはほとんど社会の底辺にあったような貧しい農民、労働者たちが、契約労働者として送り込まれ、激しい労働に従事させられた、アヘンに一時の安らぎをうるような苛酷な生活をしいられたのであった。〔中略〕
 こうした移民たちのなかには、数年のちに本土へと帰国する者も多かったが、なかには長く住みつく者たちもいた。彼らはいつまでも肉体労働だけにたずさわっていたわけではない。むしろ、中国人移民たちの特質はその商業的伝統にある。労働者たちはいつまでも労働者ではない。資金を少しでも貯めると、彼らは物売り、行商を始め、それが軌道に乗れば、小さな店をかまえ、より大きな商業機会を求めて発展していく。商売をすることは、あるいは貨幣を媒介としてモノやサーヴィスを売り買いすることは、中国人たちにとって、ほとんど生まれつきに備わった性質であり、その社会化の過程で自然に身についた生き方でもある。
 中国人たちに比べて、東南アジア地域の大部分の農民たちは、貨幣経済とのかかわりが薄く、商業的伝統をほとんどもたないに等しかった。東南アジア地域がヨーロッパ勢力の進出により、貨幣経済へと巻き込まれていく過程で、農村地域へ深く浸透していったのは、商業化した中国人たちであった。


 そうした者たちの中から、やがてその国の経済を牛耳る者が出現するに至ったのだろう。

 かつて、アジア4小龍という呼称があった。先進国に続く新興工業経済地域(NIES)のうち、特に発展を遂げた韓国、台湾、香港、シンガポールの4つの国と地域を指す。このうち韓国を除く3つが華人の国と地域であるのは、偶然ではあるまい。
 そしてアジアではこの4小龍に、タイやマレーシア、インドネシアといったASEAN諸国が続くとされた。これらの国でも華人がその国の経済をリードしていると聞く。

 華人は独自のコミュニティを形成し、現地人と同化しようとしない傾向があるという。そうした閉鎖性が、現地人の警戒心や反発を招いている面もあるのだろう。
 だからといって、そうした国々で仮に華人を追放し、現地人だけで国家を運営しようとすれば、それは、白人を追放して現地人のみで国家を運営しようとして破綻したジンバブエのような、いわゆる「失敗国家(failed state)」への道を歩むことになるのではないだろうか。
 それに近いことをやったのがビルマやベトナムであり、だからこそ両国ともその後は華人経済をそれなりに容認しているのではないのだろうか。

 高山の主張には、往年の黄禍論を見る思いがする。あるいはユダヤ人排撃論と同質のものを。

続く
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