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不可解な金正恩「第1書記」「国防第1委員長」の職名

2012-05-12 23:41:39 | 韓国・北朝鮮
 先月11日に開かれた北朝鮮の朝鮮労働党代表者会で、金正恩が、父金正日が就いていた党「総書記」ではなく「第1書記」に就任したと報じられた。

金正恩氏、「第1書記」に=正日氏は「永遠の総書記」-北朝鮮

 【ソウル時事】朝鮮中央通信によると、北朝鮮の平壌で11日、労働党代表者会が開かれ、最高指導者の金正恩氏(29)が新たな党最高ポストの「第1書記」に就任した。昨年12月に死去した父の金正日総書記については、「永遠の総書記」とすることを決定。正恩氏を党のトップとする新たな体制が正式にスタートした。
 北朝鮮では「建国の父」金日成主席が1994年7月に死去した後も、金総書記が国家主席ポストを継承せず、金日成氏を「永遠の国家主席」としたことがある。今回もこの前例を踏襲し、金総書記を「永遠の総書記」として偶像化した上で、党規約を改正し、新たに第1書記のポストを設けたとみられる。
 同通信は正恩氏の第1書記就任について「金総書記の遺訓に従った」としている。(2012/04/12-00:37)


 「総書記」ではなく「第1書記」となった理由については、他の報道でも同様に解説されている。
 しかし、この「第1書記」という職名自体について、突っ込んだ説明を見ない。

 共産党の最高指導者として「第1書記」という職名を初めて用いたのは、ソ連のフルシチョフである。
 その前のスターリンの時代には「書記長」の職名が用いられていた。

 1922年、ソ連共産党の幹部の1人であったスターリンは、中央委員会の日常業務を担当する書記局(数名の「書記」によって構成される)に入り、新設された「書記長」に就任した。
 当初このポストは純粋に事務的なものであるとされ、それほど重要視されていなかったが、スターリンはこれを基盤に党組織を支配し、レーニン死後の最高権力者となり、恐怖政治を敷いた。

 ソ連はロシアをはじめとする共和国の連邦であるから、各共和国にも共産党が存在する(ただし、ロシアには存在しない。ロシアはソ連共産党が直轄していた)。また、州や市といった地方レベルでも党組織が存在する。それらのトップは書記長ではなく「第1書記」とされた。
 つまり、第1書記と呼ばれる人物はソ連国内に多数いたが、書記長と呼ばれるのはスターリンただ1人だけだった。

 スターリンは第2次世界大戦中の1941年、モロトフに代わって首相の座に就き、書記長とともに1953年に死ぬまでこれを務めた。
 スターリンの死後、首相の後任にはマレンコフが就いた。しかし彼は共産党では書記長ではなく「筆頭書記」を兼任した。そして間もなく、マレンコフは書記局を去り、筆頭書記にはフルシチョフが就いた。それでも、当初はマレンコフがスターリンの後継者と見られた〔注1〕。だが、1955年にマレンコフは首相を解任され、後任にはブルガーニンが就いた。
 フルシチョフは1956年にスターリン批判を行い、世界中の共産主義者に衝撃を与えた。そして非スターリン化、平和共存外交などの改革路線を進めた。これに反発するマレンコフ、モロトフ、カガノヴィチらは1957年にフルシチョフの第1書記解任を図ったが失敗し、反党グループを形成したとして放逐された。彼らに同調したブルガーニンも翌年首相を解任され、フルシチョフがこれを兼任し、名実共に最高指導者の座に就いた。
 この経緯は、ソ連における最重要ポストが首相ではなく党のトップであることを示すものだった。

 当時ソ連の勢力圏にあった東欧諸国の共産党〔注2〕も、ソ連に合わせて書記長から第1書記へ職名を変更した〔注3〕。
 スターリン批判に反発しソ連と鋭く対立した中国においては、共産党のトップは書記長ではなく主席(毛沢東)であり、ソ連に倣うことはなかった(毛沢東の死後しばらくして、主席制を廃止し「総書記」がトップに)。
 北朝鮮の朝鮮労働党のトップは総書記(金日成)〔注4〕であったが、ソ連と中国の間で独自の立場を形成していたためか、やはりこれを第1書記に改めることはなかった。

 その後フルシチョフは、次世代のブレジネフ、コスイギンらによって1964年に第1書記と首相を解任され、引退を強いられた。第1書記はブレジネフ、首相はコスイギンが継いだ。
 ブレジネフは非スターリン化を逆行させ、1966年には第1書記の職名を書記長に戻した。その後東欧諸国の多くもこれに倣った〔注5〕。

 さて、何故「書記長」ではなく「第1書記」なのか。

 これらの職名をロシア語や朝鮮語で何というかは知らないが、英語では、

   書記長、総書記 General Secretary
   筆頭書記 Senior Secretary
   第1書記 First Secretary

だそうである。
 Secretary は複数いる。それを総括(General)するのではなく、Secretary の中の序列が一番目であるというだけにすぎない、という意味合いがあるのだろう。

 しかし、報道によると、金正恩が就いた第1書記は、党規約上、従来の総書記と何ら変わらないのだという。

党の要職全て手中に=正恩氏、常務委員などにも就任-北朝鮮

 【ソウル時事】11日に開かれた北朝鮮の労働党代表者会で、党第1書記に就任した金正恩氏が、政治局員、政治局常務委員、中央軍事委員長に就くことも決まった。朝鮮中央通信が12日伝えた。故金正日総書記を「永遠の総書記」と立てつつも、生前に金総書記が就いていた党の最高ポストを一手に握ったことになる。
 また、代表者会では併せて党規約も改正。これまでの「金日成主席の党」との規定を「金日成主席と金総書記の党」に改めるとともに、「第1書記」というポストを新設。「第1書記は、党の首班であり、党を代表し、政党を領導する」と定めた。これは、従来、総書記について定めていた内容と同じで、「第1書記」が事実上、これまでの総書記と同様の地位と権限を持つことを示している。 


 それでは、わざわざ「第1書記」と一段下がった職名を用いる意味がなくなる。単に、金正日と同じ職名に就くことを避けただけだということになる。
 金正日が、父金日成の務めていた国家主席を引き継がず、金日成存命中に就任した国防委員長のまま北朝鮮を統治したのとはわけが違う。

 さらにわからないのが、金正恩がその国防委員長ではなく「国防第1委員長」に就いたことだ。

 「第1○○○」と言えば、複数いる○○○の中のトップを指す。例えば、現在の中国には副首相が複数いるが、第1副首相である李克強がトップである〔注6〕。

 しかし、国防委員長は1人だけである。わざわざ「第1」などと付ける意味はない。
 そればかりか、「第1委員長」では、ただの「委員長」よりも上位にあることを意味してしまう。金正日の業績を顕彰しそのポストを敢えて空席としたのに、それよりも上位のポストに就くのでは意味がない。

 誰の入れ知恵だか知らないが、ずいぶんと愚劣なことをするものだと思う。
 北朝鮮にはもはやこのような人材しか残っていないのだろうか。

 金正日時代に入って、北朝鮮は正常な国家としての体裁を失っていった。
 党大会はおろか、党中央委員会総会すら開かれず、政治局員などの最高幹部の改選もない。「国家主権の最高軍事指導機関であり、全般的国防管理機関である」にすぎない国防委員会の委員長が、国家の最高指導者とされる奇怪。党の要職者でもない無名の首相が次々に任命されては更迭され、外相より第1外務次官が強大な実権を持つ不可解な政府。かつてのソ連や現在の中国のような普通の共産主義国家であれば考えられないことばかりだった。
 金正日時代の末期に至って、後継体制づくりのためにようやく党代表者会が開かれ、最高幹部の改選などがなされたものの、金正恩体制の発足に際してのこの不可解な職名変更。
 彼らの国家ごっこもここに極まれりという印象を受けた。


〔注1〕当初はマレンコフがスターリンの後継者と見られた
 例えば、1954年には米人記者による『マレンコフのソ連』という本の邦訳が出ている。

〔注2〕東欧諸国の共産党
 ソ連の勢力圏にあった多くの東欧諸国では、共産党と他の社会主義政党が合併し新党名を名乗った(例えば東ドイツでは社会主義統一党)ため、正確には「共産党」ではない国が多い。しかし実質的には共産党であるため、便宜的に共産党の呼称で統一する。

〔注3〕書記長から第1書記へ職名を変更
 東欧諸国のみならず、ソ連の影響下にあったモンゴルや、後にはベトナムもこれを採用した。キューバ共産党は1965年の再建から一貫して第1書記がトップである。日本共産党も、武装闘争路線をとった徳田球一書記長が北京で客死した後、1955年の六全協で野坂参三が第1書記に就いた。やがて宮本顕治の指導体制が確立し、1958年には宮本が書記長に就いた。

〔注4〕朝鮮労働党のトップは総書記
 正確には書記ではなく秘書(の朝鮮語読み)であるが、慣習に従って総書記とする。

〔注5〕その後東欧諸国の多くもこれに倣った
 ポーランドの統一労働者党のみは、1990年の解党まで第1書記のままで通し、書記長に戻すことはなかった。これは同国の反ソ感情の表れであろうか。

〔注6〕第1副首相である李克強がトップ
 もっとも、ソ連のように、第1副首相が複数存在するケースもある。
 
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