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日々の思いをたまに綴るブログ。

女性宮家で「ジャクソン王朝」に?

2017-08-30 06:45:14 | 天皇・皇室
 今年6月9日の朝日新聞政治面に、
「女性宮家で…ジャクソン王朝に 自民・鬼木氏」
という見出しの記事が載っていた。
 8日に開かれた衆議院憲法審査会での自由討議の発言要旨のみをまとめた記事で(討議自体についての記事は別の面にあり)、その中に自民党の鬼木誠委員のこんな発言があった。
「天皇の定義さえも変わってしまいかねない女性宮家の議論に危惧を覚える。女性宮家ができ、女性皇族が海外の方と結婚され、子どもが即位したら、日本の王朝は男性の姓を取ってジャクソン王朝などになってしまう。」
 ほかにも多数の委員の発言が掲載されているのだが、朝日としてはこの発言に最も注目すべきと判断したということか。

 後で国会会議録検索システムで検索してみたら、発言の全文は次のとおりだった。

○鬼木委員 自由民主党、鬼木誠でございます。
 私は、日本国憲法が、天皇の神聖性、正統性が語られない憲法となっていることに歴史の断絶を感じております。これは、戦争と結びついてしまった明治憲法への深い反省からきているものだとは存じておりますが、日本の歴史において天皇とはどういう存在だったのか、私たち日本人が改めて学ぶべきときが来ていると感じております。
 天皇の祭主として祈る役割は憲法上保障されておりません。それは、政教分離によってむしろ否定されているような状況にあります。憲法上保障されているはずの信教の自由、祈るという役割が、かえって不自由なことになっていないかと感じます。
 また、今の日本で、義務教育で日本の神話を教えることは困難だと思われます。神話を忘れた民族は滅びるという言葉があるといいますが、神話とは、何千年語り継がれてきた民族の歴史であり、記憶であります。
 日本の憲法は、日本の歴史とアイデンティティーを守る憲法であるべきだと考えます。天皇の歴史というものは日本の国の歴史と重なります。日本の歴史を守るということは、天皇の歴史を正しく後世に伝えることだと思います。その根本を大事にすることのできる憲法であるべきと考えます。
 したがって、天皇の定義さえも変わってしまいかねない女性宮家という議論に私は危惧を覚えております。
 日本の天皇は例外なく男系で継承されてきました。王朝は男系で継承するというのは世界でも普遍であります。女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になるということであります。イギリスにおいても、ヨーク朝からチューダー朝、チューダー朝からスチュアート朝、そこは継承がかわった、そして王朝がかわったということであります。
 日本の宮家というものは、男子の皇位継承権者を確保するために複数存在していたわけでありまして、宮家の当主は必ず男性で継承してまいったわけでございます。したがって、女性宮家というものはこれまでの日本に歴史上存在しなかったわけでございます。もし、女性宮家ができ、女性皇族が海外留学し、そこで海外の方と結婚され、その子供が天皇に即位されたなら、そのときから日本の王朝は、その男性の姓をとって、何々王朝、ジャクソンさんが相手ならジャクソン王朝、李さんが相手なら李王朝ということになるわけでございます。
 それでは、女性宮家にかわる方策に代替案は何があるのか。私は、旧宮家の皇籍復帰だと考えます。
 日本の歴史上、過去にもそうした危機は必ずあったわけでございまして、最大で十親等、二百年までさかのぼったこともあります。そうして日本の天皇の歴史は男系で継承を続けてまいりました。
 AIが人類の思考を超えようとしている今、人知を超えた究極の知恵というものは、長い歴史にかえてきた伝統ではないかということを最近私は考えております。
 以上をもちまして私の発言を終わります。ありがとうございました。


 私はこの朝日の記事で初めて鬼木誠という衆議院議員を知ったのだが、今公式サイトでプロフィールを見てみると、1972年10月生まれの44歳。福岡市出身。九州大学法学部法律学科卒。西日本銀行(現・西日本シティ銀行)勤務を経て、30歳で福岡県議会議員に初当選。同県議を3期務めた後、2012年12月の衆院選で福岡2区から初当選。2014年再選。環境大臣政務官を務めたとある。
 福岡2区は、2009年に落選し、その後引退した山崎拓の地盤であった。鬼木氏は山崎派の後身である石原派に属している。

 さっき、毎日と読売と日経のサイトで検索してみたが、この「ジャクソン王朝」発言も、鬼木氏が憲法審査会で発言したことも、サイトの記事には見当たらない。
 産経のサイトには、「ジャクソン王朝」の言葉はなかったが、同じ自民党の船田元氏が女系天皇、女性宮家の容認論を示したのに対し、
「鬼木誠氏が「女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になる」と反論し、旧宮家の皇籍復帰を主張した。」
とは書かれていた。

 一般論としては、
「王朝は男系で継承するというのは世界でも普遍であります。女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になるということであります。」
とは言える。鬼木氏が挙げているイギリスがまさに典型である。

 しかし、必ずしも常にそうとは限らない。
 ロシア帝国のロマノフ王朝では、イヴァン5世の女系の曾孫イヴァン6世が、短期間ではあるが帝位に就いている。また、その後もピョートル1世(大帝)の女系の孫がピョートル3世として即位している。にもかかわらず、王朝はロマノフ朝のままである。

 オランダの王家はオラニエ=ナッサウ家だが、現在のウィレム・アレキサンダー国王の前は、その母ベアトリックス(在位1980-2013)、その母ユリアナ(同1948-1980)、その母ウィルヘルミナ(同1890-1948)と、3代続けて女王だった。しかし、その間王朝名がコロコロ変わったわけではない。

 「女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になる」のは、イエは男性が継ぐものであり、女性にその権利はないとされていたからだろう。
 だが、ヨーロッパのことはよく知らないが、わが国にはもはやイエ制度はない。
 そして、夫婦は結婚に伴いどちらかの姓を名乗るとされている。つまり、家名は男女どちらが受け継いでもかまわない。
 ならば、天皇の娘がその父の姓を受け継ぎ、そのいだと考えれば、王朝が変わるということにはならない。

 それに、そもそも皇室には姓がない。ないものは変わりようがない。

 また、鬼木氏が言う
「女性宮家というものはこれまでの日本に歴史上存在しなかった」
は、正しくない。
 仁孝天皇の娘、淑子(すみこ)内親王(1829-1881)が、当主不在となっていた桂宮家を継承した前例がある。
 もっともこの内親王は、婚約者の閑院宮愛仁親王が結婚前に死去したため、生涯独身で過ごし、桂宮家を継ぐも、その死去によって同宮家は断絶したのだが。
 しかし前例はあるのだから、鬼木氏に限らず、女性宮家反対論者が「歴史上存在しなかった」と説くのはおかしい。

 そして、「ジャクソン王朝」「李王朝」云々とは、何が言いたいのか。
 そもそもこの女性宮家の議論は、女系天皇を認めるかどうかはさておき、次世代の皇族が悠仁さまを除いて皆女性であることから、従来どおり女性皇族が結婚とともに皇籍を離脱していては悠仁さま以外の皇族がいなくなってしまうため、皇族を維持する手段を検討する必要があったから生じたものだ。女系継承の問題とは直接関係ない。
 では仮に、男性皇族が海外留学し、外国人と結婚し、その子供が天皇に即位するのはかまわないのか。憲法にも皇室典範にも、皇族は外国人と結婚してはならないとの定めはない。
 外国人と結婚するのが男性皇族であろうが女性皇族であろうが、その子供に外国人の血が入ることに変わりはない。なのに、結婚する皇族が女性なら「違う王朝になる」からダメで、結婚する皇族が男性なら王朝が変わらないからかまわないのか。子供に流れる血に王朝の色が付いているわけでもあるまいに。

 英国女王エリザベス2世の夫君、エディンバラ公フィリップ殿下の姓はマウントバッテンである。現在の英国の王朝はウィンザー朝だが、コトバンクで「ウィンザー家」を引くと出てくるブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説には、

《エリザベス2世は 1952年の即位後まもなく,自身の子および子孫をウィンザー姓とする旨を枢密院において宣言した。この決定は 1960年2月8日に改められ,王子・王女の身分および殿下の敬称をもたない子孫の姓はマウントバッテン=ウィンザーとすることになった。》

とある。
 ならば、チャールズ皇太子の姓はおそらくマウントバッテン=ウィンザーなのだろう。すると、エリザベス2世の死後は、王朝名はマウントバッテン=ウィンザー朝に変わるのかもしれない。だが、それを問題視する声が英国民から上がっているなどと聞いたこともない。

 こんなくだらない議論を重ねて、結局何も変えられないまま無為に時を過ごし、やがて皇族は悠仁さまお一人になってしまうのだろうか。
 私は、皇室の方々に決して悪感情は抱いていない。それどころか、素朴な崇敬の念を抱いていると自覚している。
 しかし、天皇制という制度が、現代のわが国において必ずしも必要不可欠だとは思わない。前近代ならいざしらず、もはや大衆民主制の世の中には合わない、廃止した方がよいとも思っている。
 だが、日本国民の大多数は天皇制の維持を望んでいる。ならば、その障害となっている、わが国古来の伝統でも何でもない、明治の藩閥政府が勝手に決めた皇室典範を変えてみせることぐらいはやってみてはどうかというのが、私の考えである。
 その程度のこともなしえないまま、むざむざ皇統を危機にさらすのがわが国民の選択なら、それもやむを得ないことかもしれない。


女性天皇禁止は差別ではないのか

2016-09-22 11:14:02 | 天皇・皇室
 だいぶ前に書きそびれていたこと。

 今年3月7日、国連の女子差別撤廃委員会が発表した日本に対する最終見解には、慰安婦問題についての昨年12月の日韓合意を批判する内容が含まれていると報じられ、問題となった。
 そしてその直後、最終見解の案には、天皇が男系男子に限られていることをも問題視する記述があったが、日本政府の抗議により最終見解からは削除されたと報じられた。
 朝日新聞デジタルの記事より(以下、引用文中の太字は全て引用者による)。


国連委見解当初案、皇室典範見直し要求 皇位継承めぐり
2016年3月9日11時36分

 国連女子差別撤廃委員会が7日発表した日本に対する最終見解の案に、皇位を継げるのは男系男子のみとして女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直しを求める内容の記述があったことが、外務省関係者への取材で分かった。日本政府が抗議し、実際の最終見解では該当部分は削除された。

 見解案は先週末、委員会が日本政府に提示した。2月に行われた日本に対する審査会合では、皇室典範が議題にならなかったことから、日本政府はジュネーブ代表部を通じて「審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題がある」などと抗議。委員会は最終的に皇室典範に関する記述の削除に応じたという。

 菅義偉官房長官は9日の記者会見で「我が国の皇室制度も歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。皇位継承のあり方は女子に対する差別を目的としておらず、委員会側が皇室典範について取り上げることは全く適当ではない」と語った。


 紙面での扱いはそれほど大きくなかったと思う。
 私は当時これを読んで、国連の委員会が問題視しようとしたのは女性天皇の是非であり、女系継承ではなかったのだと理解した。

 その後、twitterで、この国連の委員会が女系継承を問題視しようとしたのはわが国の伝統の否定でありケシカランとの趣旨のツイートを見て、女系継承ではなく女性天皇ではないですか、歴史上女性天皇は実在しますがとリプライを送ったところ、委員会は女系継承をも問題視していると産経新聞の記事の呈示を受け、私は調査不足を謝罪した。
 産経新聞の記事は次のとおり。

【国連女子差別撤廃委】
男系継承を「女性差別」と批判し、最終見解案に皇室典範改正を勧告 日本の抗議で削除したが…

 国連女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別だとして、皇室典範の改正を求める勧告を盛り込んでいたことが8日、分かった。日本側は駐ジュネーブ代表部を通じて強く抗議し、削除を要請。7日に発表された最終見解からは皇室典範に関する記述は消えていた。

 日本側に提示された最終見解案は「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告していた。

 日本側は4日にジュネーブ代表部公使が女子差別撤廃委副委員長と会い、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して「女子差別を目的とするものではない」と反論し削除を求めた。副委員長は内容に関する変更はできないが、日本側の申し入れを担当する委員と共有するなどと応じたという。7日の最終見解で皇室典範に関する記述が削除されたことについて、委員会側から日本政府への事前連絡はなかった。

 皇室典範に関しては、2月16日の対日審査だけでなく、日本政府が昨年9月に提出した報告でも触れていない。過去の最終見解でも言及されたことはない。外務省によると、2003年7月の対日審査で、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまが女性天皇になる道を開くために「皇室典範の改正を検討したことがあったか」との質問が出たことがあっただけだという。

 〔後略〕


 当時、この問題に触れたツイートを当時いくつか見たが、ふだん、まっとうな論説を展開していることの多い方が、概して反発を示しているのに私は驚いた。
 確かに、国民がさまざまな女性差別で難儀しているのを批判するというなら、まだわかるが、国の君主の継承方法についてどうこう言われても、大きなお世話だという気がしないでもない。

 しかし、女系継承を認めるかどうかはともかく、女性天皇の禁止については、差別か差別でないかと問われれば、差別といっていいのではないだろうか。
 何故なら、言うまでもなく、わが国には8人10代の女性天皇がいた。伝統に照らして、女性天皇は何ら禁じられた存在ではなかった。
 それを明治の藩閥政府が旧皇室典範を定める際に勝手に禁止したのである。
 このことは以前にも少し書いたが、もう一度挙げておく。
 鈴木正幸『皇室制度』(岩波新書、1993)はこう述べている。

 皇室典範制定までの皇室諸法案には、典範最終案にみられないいくつかの特徴があった。そのひとつが譲位の規定である。
〔中略〕
 もうひとつは、「皇室制規」〔引用者註:宮内省が立案した典範の草案〕では、女帝・女系帝を認めていたことである。「(皇位は)皇族中男系絶ゆるときは、皇族中女系を以て継承す」(第一条)、「皇女若(もし)くは皇統の女系にして皇位継承のときは其皇子に伝え、若し皇子なきときは其皇女に伝うる」(第七条)とあった。また、「女帝の夫は皇胤にして臣籍に入りたる者の内、皇統に近き者を迎うべし」(第一三条)という規定もあった。
 井上はこれを批判する。第一に、「我が国の女帝即位の例は、初めは摂政に起因せし者にて、皆一時の臨朝」にすぎないとして、前例を否定した。そして第二に、「王位は政権の最高なる者なり。婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾なり」とした。そして女系帝については、女帝の皇子は女帝の夫の姓を継ぐものであるから、皇統が他に移ることになると批判したのである。そしていう、「政事法律百般の事は尽(ことごと)く欧羅巴に模擬することも可なり。皇室継統の事は祖宗の大憲の在るあり。決して欧羅巴に模擬すべきに非ず」と(「謹具意見」)。
 井上の強い批判をうけて、「帝室典則」以後の案には女帝と女系帝の規定は出現しない。〔中略〕成立した「皇室典範」ではその第一条に、「大日本皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す」とうたわれた。(p.56-57)


 井上毅が女帝否定の根拠として挙げている「皆一時の臨朝」とは、いわゆる中継ぎとして即位した例を指しているのだろうが、確かに中継ぎの例はあるものの。そうではない女帝もいる。また、「初めは摂政に起因せし者」とはどういう意味だろうか。神功皇后が摂政と呼ばれたことを指すのだろうか。しかし普通神功皇后は天皇には数えないし、最初の女帝である推古天皇には摂政の経験はない。推古天皇を聖徳太子が摂政として補佐したことを指すのだろうか。よくわからない。
 第二の根拠、「婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾」については、確かに明治時代はそうだったのだろうが、こんにち婦女の選挙権も被選挙権も認められて久しいのだから、何の根拠にもならない。
 また、女帝の皇子は女帝の夫の姓を継ぐものであるから、皇統が他に移るという批判は、当時一般に男子がイエを継ぐものとされていたからだろう。
 ところが、こんにちイエ制度はない。そして、夫婦は結婚に伴いどちらかの姓を名乗るとされている。ならば、女帝がその父の姓を継いだと考えれば、皇統が他に移るということにはならない。
 (そもそも皇室に姓はないのだから、姓を云々すること自体がおかしいのだが)

 したがって、ここで井上が挙げている理由はいずれも、明治時代の社会を前提とした話であって、こんにち通用する話ではない。
 未だに男系男子に固執する人々は、きっと頭の中が百数十年前と同じなのか、自分が暮らしたこともないそうした社会を理想化しているのだろう。

 鈴木氏は続いて、女帝、女系帝についての民間での議論もこう紹介している。

 女帝については、すでに民間でも議論のまとになっていた。自由民権結社で、のちにその幹部が立憲改進党結成に参加した嚶鳴社は、「皇室制規」立案に先立つ一八八二(明治一五)年一月、「女帝を立るの可否」と題する討論を行ない、三月から四月にかけて東京横浜毎日新聞紙上にその内容が連載されたのである。
〔中略〕
 この討論に参加した論者は八名、女帝を否とするものは発議者の島田三郎、益田克徳、沼間守一であり、可とするものは。肥塚竜、草間時福、丸山名政、青木匡、波多野伝三郎であった。
 この討論で冒頭、島田三郎が、女帝を否とする論拠として、つぎの三点をあげた。第一に、過去の女帝〔中略〕は、明正を除き、いずれも皇子が帝位につくまでのいわば中継ぎであり、ヨーロッパの女帝制とは本質が異なるものであること。第二に、日本は男尊女卑の国柄であるから、女帝の夫は人臣でありながら女帝の上に位置するようにみられ、かえって皇帝の尊厳を損ずるうえ、しかも日本では外国の王族と結婚するわけにもいかないこと。第三に、女帝の夫が暗に女帝を動かして政治に干渉する弊もおこりうること。こうして論争がはじまった。
 論争の主要な争点は男女の地位の問題に関わっていった。草間は、島田の論は「猶お亜細亜の僻習中に迷うて、男を人とし、女を獣として、女子の権利を破らんとする」ものだと正面から反論した。しかし、こうした論者は意外に少ない。女帝を可とする論者でも、「男女の間に同等の権を立んと云うにあらず」として、日本は男尊の風習があるから男を先にすべきだが、女帝の風習もあったのだから否定すべきではないとか(肥塚)、皇帝は雲の上の人だから、人民の間に男尊女卑の慣習があっても、女帝の尊厳が損なわれることはないとか(波多野)、消極的な論が中心であった。
 女帝賛成論者は、自由民権運動家らしく、立憲政治との関係で自説を主張したものがめだつ。たとえば、島田が女帝の夫が政治に介入する弊を云々したことに対し、肥塚や草間は、君主独裁国ならばともかく、これから日本がめざす立憲国にあっては君主は憲法にしたがって政治を行うのであり、内閣の大臣の意見を無視して政治を行うことはできないからその心配はないと主張した。
 女帝が臣下の夫を迎えるのが問題であるならば、外国の王室と結婚する途もあるではないかという論点も登場した。〔中略〕
 この討論は、採決の結果、女帝を可とするもの八名、否とするもの八名の賛否同数であった。結局、議長権限で女帝は否となったが、しかし、少数ながら男女同権論が存在したことといい、女帝論者が半数いたことといい、さらには外国王族との婚姻を認める発言といい、今日からみても驚くほど自由な議論が展開されたことは注目すべきであろう。そして国家の側における皇室法案のなかにも女帝や譲位を考えも存在していたことは、明治国家草創期に特有の秩序観の多様性を示していたといえよう。(p.58-60)


 やはり、「日本は男尊女卑の国柄」といった主張があったことがわかる。
 男系男子による継承は伝統によるもので、男尊女卑とは関係ないといった主張をする方がいるが、大嘘である。

 私は、伝統はどうであれ、男系男子継承では側室制度を設けるなどしない限りいずれは行き詰まるのだから、女系継承を認めてもいいのではないかと思っているが、その点は置くとしても、前例のある女性天皇や女性宮家をも男系派が拒絶するのは理解できない。

 さて、わが国はこの国連女子差別撤廃委員会の動きに対して、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して「女子差別を目的とするものではない」と反論したというが、差別を目的としていなければ、差別ではないのだろうか。

 かつての在日外国人に対する指紋押捺制度や、らい予防法は、別に差別を目的としたものではないだろう。指紋は本人識別のため、強制隔離は感染防止のために必要だと考えられたにすぎない。
 しかし、どちらも、対象とされた側からは差別と受けとめられ、批判が高まり、廃止されるに至った。
 差別を目的としていないからといって、それが後の世で差別にならないとは言えない。

 女性天皇禁止が女子差別を目的としていないとしても、それが結果として女子の社会進出の障害になっているということはないのだろうか。
 国のトップが男性に限られているということは、女性が各分野のトップに立つことに全く影響を及ぼしていないと言い切れるだろうか。
 私は、心理的な影響は決して低くはないように思う。

 今年1月に台湾で蔡英文総統が誕生したとき、私は、ああわが国は後れをとってしまったと思った。

 これまでにも、アジアで女性が国のトップに就くことはあった。スリランカのバンダラナイケ首相をはじめ、フィリピンのコラソン・アキノ大統領、パキスタンのベナジル・ブット首相、インドネシアのメガワティ大統領、韓国の朴槿恵大統領等々。
 しかし、彼女らは男性政治家の妻や娘といった親族関係にあったことがきっかけで、政治家になったのだ。
 だが、蔡英文氏は違う。

 女性であれば誰でもいいわけではもちろんない。
 しかし、アジアでは民主制の先進国であったわが国に、未だに女性のリーダー一人誕生していないというのは、後進性の現れと見られはしないか。
 そうした、女性のリーダーを輩出しがたい社会の有りように、女性天皇の禁止が影響しているとは考えられないか。

 「男尊女卑の国柄」などという言葉が公然と語られた時代に、典範の制定者たちが女性差別を「目的」としていたはずはない。
 それは、その社会において当然のことだったからだ。
 だが、こんにち、男尊女卑が社会的に許されないのもまた当然のことだ。

 皇室典範の改正は、そうした観点からも論議されるべきだろう。
 明治時代に許されていた「驚くほど自由な議論」がこんにち許されないはずはない。

生前退位をめぐる男系論者の主張を朝日新聞で読んで

2016-09-19 13:37:45 | 天皇・皇室
 9月10日と11日の土日連続で朝日新聞は、天皇の生前退位をめぐる男系維持論者の主張を政治面に載せた。

 10日の記事は、男系の皇統維持論者の多くは生前退位に反対の立場だが、一部に容認論も見られるというもの(以下、引用文中の太字は引用者による)。 

生前退位、困惑する男系維持派 「パンドラの箱があく」
2016年9月10日05時05分

 天皇陛下が生前退位の思いを強くにじませたお気持ちを表明したことに、男系の皇統維持を求めてきた人たちが困惑している。「日本会議」や「神道政治連盟(神政連)」の関係者が多く、安倍政権の支持層とも重なる。本来は退位に反対の立場だが、政権が特別措置法の検討に入るなか、容認論も出始めた。

 「例外というのは、いったん認めれば、なし崩しになるものだ」

 男系派の重鎮で、日本会議と神政連の政策委員を務める大原康男・国学院大名誉教授は、退位の前例を作れば皇位継承の安定性が失われると懸念。「国の根幹に関わる天皇の基本的地位について、時限立法によって例外を設けるのは、立法形式としても重大な問題がある」と特措法にも反対する。

 退位の意向が報じられたのは、参院選で改憲勢力が憲法改正の国会発議に必要な3分の2を確保した直後だった。憲法改正運動を進める日本会議の幹部は「いよいよという時に水を差された」と感じたという。「宮内庁内の護憲派が、陛下のご意向を政治利用したのではないか」と語る。

 8月にお気持ちが表明されると、衝撃が広がった。退位への思いが強く表れ、男系派が代替案として提案していた摂政を事実上否定する内容だったからだ。

 日本会議代表委員の一人で外交評論家の加瀬英明氏は「畏(おそ)れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか」と話し、こうクギを刺す。「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない

 いずれも皇室典範1条が定める「男系男子による皇位継承」を「万世一系」として絶対視し、歴代政権が検討した「女系天皇」「女性宮家」に反対してきた人々だ。これまでの安倍晋三首相の立場とも重なる。

 男系の皇統を維持すべきか女系天皇を認めるべきかの問題は、一見、退位とは関係ない。しかし、実は、男系派が退位に抱く危機感と密接に結びついている。

 神政連政策委員で、安倍首相に近い八木秀次・麗沢大教授は「天皇の自由意思による退位は、いずれ必ず即位を拒む権利につながる。男系男子の皇位継承者が次々と即位を辞退したら、男系による万世一系の天皇制度は崩壊する」と解説。「退位を認めれば『パンドラの箱』があく」と強い危惧を表明する。

 男系派にとって、歴史的に男系でつながれてきた「万世一系の皇統」は、日本の根幹に関わる問題だ。

 ジャーナリストの桜井よしこ氏は2月、憲法改正を求める集会で「日本人ってなんだろう。日本の国柄ってなんだろう」と問いかけ、こう述べた。「天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇が即位なさって、神話が国になったのが日本だ。その中で皇室は重要な役割を果たしてきた」

■「例外なら」容認論も

 一方、例外として退位を容認する声も出てきた。

 百地章・日大教授はお気持ち表明前、退位に反対し摂政を主張していた。今は「制度設計が可能なら」という留保つきだが、①まずは皇室典範に根拠規定を置いたうえで特措法で対応する②例外的な退位を定める典範改正は時間をかけて議論する――という2段階論が現実的ではないかとの立場だ。「超高齢化時代の天皇について、陛下の問題提起を重く受け止めるべきだ」と語る。

 安倍首相のブレーンの一人とされる伊藤哲夫・日本政策研究センター代表も、機関紙「明日への選択」9月号で、「天皇制度そのものの否定」につながる懸念を示しつつ、こう書いた。「ここは当然ご譲位はあってしかるべし、というのがとるべき道なのか」

 ただ、退位反対論は根強い。男系派の一人は言う。「首相を説得してでも特措法を封じたい。安倍さんも『天皇制度の終わりの始まりをつくった首相』の汚名は嫌でしょう」(二階堂友紀)

     ◇

■生前退位をめぐる識者の反応

〈小堀桂一郎・東大名誉教授〉 天皇の生前御退位を可とする如(ごと)き前例を今敢(あ)えて作る事は、事実上の国体の破壊に繫(つな)がるのではないかとの危惧は深刻である。(略)摂政の冊立(さくりつ)を以(もっ)て切り抜けるのが最善だ(「産経新聞」7月16日付朝刊)

〈渡部昇一・上智大名誉教授〉 もっとも重視しなければならないことは、これまで男系で続いてきた万世一系の皇統を守ることだということです。今の天皇陛下が大変、休息を欲してらっしゃるということが明らかなのであれば、すみやかに摂政を設ければいい(「正論」9月号)

〈加地伸行・阪大名誉教授〉 両陛下は、可能なかぎり、皇居奥深くにおられることを第一とし、国民の前にお出ましになられないことである。(略)<開かれた皇室>という<怪しげな民主主義>に寄られることなく<閉ざされた皇室>としてましましていただきたいのである。そうすれば、おそらく御負担は本質的に激減することであろう(「WiLL」9月号)

※いずれもお気持ち表明前

     ◇

 〈女性・女系天皇〉 女性皇族が皇位に就く「女性天皇」は過去にも10代8人いたが、いずれも父方に天皇の血筋を引く「男系」だった。しかし、女性天皇が皇族以外の男性と結婚し、生まれた子どもが即位する「女系天皇」は例がないとされる。小泉政権は女性・女系天皇容認に向けて議論したが、実現には至らなかった。


 11日には、論者の代表格として、八木秀次・麗沢大教授とジャーナリストの櫻井よしこ氏の2人に対するインタビューを載せた。

生前退位、男系維持派は 八木氏・桜井氏に聞く
2016年9月11日05時10分

 天皇陛下が生前退位への思いを強くにじませるお気持ちを表明し、政府は一代に限って退位を可能とする特別措置法を検討している。安倍晋三首相に近く、男系の皇統維持を求めている人たちは、どう受け止めているのか。麗沢(れいたく)大教授の八木秀次(ひでつぐ)氏と、ジャーナリストの桜井よしこ氏に聞いた。(聞き手・二階堂友紀)

■「臨時代行で対応を」麗沢大教授・八木秀次氏

 ――お気持ち表明をどう受け止めていますか。

 「随分踏み込まれたという印象だ。天皇はご存在自体に尊さがあるが、お務めをしてこそ天皇だとおっしゃった。それが本質だろうかという疑問を持った

 「ご存在の尊さは、男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する。そこに『能力原理』を持ち込むと、能力のある者が位に就くべきだという議論になる。結果として、陛下ご自身が天皇制度の存立基盤を揺るがすご発言をなさったことになってしまう」

 ――なぜ、退位にそこまで反対するのですか。

 「退位は明治の皇室典範制定以来、封印されてきた『パンドラの箱』だ。たとえ一回でも退位の前例を作れば、日本の国柄の根幹を成す天皇制度の終わりの始まりになってしまう。陛下のお気持ちへの配慮とともに、制度をいかに維持するかという視点が必要だ。そのために、心苦しいが、憎まれ役を買って出ている」

 ――朝日新聞の全国世論調査(8月6、7日)では84%が退位に賛成です。

 「陛下が具体的な制度の可否について言及され、それを国民が支持し、政府が検討を始めている。『天皇は国政に関する権能を有しない』と定めた憲法に触れる恐れがある。陛下のご意向だということで一気に進めるのは問題だ

 「天皇といえども生身の人間であり、ご自身のお考えをお持ちだ。しかし、それが公になれば政争に巻き込まれ、尊厳を汚される。憲法が政治的発言を禁じているのは、天皇をお守りするためでもある。宮内庁のマネジメント能力に問題があると言わざるを得ない」

 ――それでは、どう対応すべきだと考えますか。

 「『開かれた皇室』によって、昭和天皇の時代よりご公務が何倍にも増えた。陛下は、それら全てが全身全霊でできて初めて天皇たり得ると非常にストイックな自己規定をされているが、縮小したり肩代わりしてもらったりすればいい」

 「摂政を置くのは天皇がお務めをできなくなった場合なので、天皇は全く活動できなくなる。陛下は、そのような状況をお望みではないだろう。病気療養時や外国ご訪問時に限られている現在の運用を緩和し、国事行為の臨時代行で対応するのが最善ではないか」

     ◇

 専門は憲法学。「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれた「日本教育再生機構」理事長。神道政治連盟の政策委員も務める。

■「特措法も一つの選択肢」ジャーナリスト・桜井よしこ氏

 ――男系維持派の多くの識者が退位に否定的です。なぜなのでしょうか。

 「私が皇室について抱く危機感は、お言葉ゆえではない。戦後、憲法など日本の国としての規範は連合国軍総司令部(GHQ)が作った。戦後のあり方を全否定する気はないが、多くの問題がある。その一つが皇室のあり方だ」

 「国家と国民の安寧のために祈ってくださるのが皇室だ。しかし、本来のお役割である祭祀(さいし)が私的行為とされている。祭祀を横に置いて、『ご公務』の議論ができるのか疑問だ」

 ――お気持ちには、祈りとともに、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も大切なものと感じてきました」とありました。

 「それぞれの天皇はお気持ちや価値観によって、ご自分なりの天皇像をつくっていかれる。今上陛下と皇后陛下は遠方まで行幸啓(ぎょうこうけい)なさり国民に寄り添われてきた。そのお姿に国民は感動し、勇気づけられてきた」

 「祭祀をなさりつつ、お出かけ先で国民に寄り添われる。双方合わさったのが象徴天皇のあり方だとお考えだが、高齢化で、それがつらくなったとおっしゃっている。何とかして差し上げるべきだが、国家の基本は何百年先のことまで考えて作らなければならない

 ――政府は退位について特措法を検討しています。

 「陛下の思いを尊重しつつ、どのように日本国の伝統を守るか。双方を両立させる工夫としては、特措法も一つの選択肢だ

 ――講演では神武天皇にも言及されますが、実在しないと言われています。

 「大切なのは実在したかどうかではない。神話とは、その民族が大切にしたい価値観を凝縮させて作った『民族生成の物語』だ。そこには日本の国柄のエッセンスが込められている。日本の穏やかな文明を体現してきたのが皇室だ」

 ――神話や「万世一系」を強調しすぎると、日本を特別視するかのような思想につながりませんか。

 「敗戦の結果、否定されがちだが、皇室も神話も日本の長い歴史の中で育まれた。戦前の一時期に限定して見るのでなく、その穏やかな本質を見るべきだ。日本人としての誇りを持つことが、他民族より人種的に優れていると考えることには必ずしもつながらない」

     ◇

 元記者、ニュースキャスター。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」では、日本会議の田久保忠衛会長らと共同代表を務める。


 朝日がこの問題における彼らの主張をこのように大きく取りあげたのは、非常に良かった。

 彼らの主張は、産経新聞や『正論』『WiLL』といった保守系オピニオン誌に目を通していれば、ことさら珍しいものではない。
 しかし、今回の天皇陛下のメッセージを受けて各社が行った世論調査では、生前退位に賛成する意見が圧倒的多数を占めている。

 朝日新聞社がメッセージ公表直前の8月の6日と7日に行った調査では、「「生前退位」をできるようにすること」に賛成が84%、反対が5%。

 また、9月の10日と11日に行った調査では、「今の天皇陛下の生前退位」に賛成が91%、反対が4%。賛成と回答した人のうち「今の天皇陛下だけが退位できるようにするのがよい」が17%、「今後のすべての天皇も退位できるようにするのがよい」が76%。

 日本経済新聞社とテレビ東京が8月9~11日に行った調査では、「生前退位を認めるべき」が89%、「認めるべきでない」が4%。「認めるべき」と回答した人のうち、「今の天皇陛下に限って」が18%、「今後の天皇すべてに」が76%。
 
 読売新聞社が8月9日と10日に行った調査では、「生前退位ができるように、制度を改正すべき」が81%、「改正する必要はない」が10%。「改正すべき」と回答した人のうち、「今の天皇陛下だけに認めるのがよい」が14%、「今後のすべての天皇陛下に認めるのがよい」が80%。

 そうした世論と比べて、彼ら男系論者の生前退位についての主張が極めて異質なものであることは明らかだ。
 彼らの内輪ではそうした主張がまかり通っているが、その外部ではよく知られていない。
 そもそもそのような主張があることを知らない国民も多いだろう。
 それを、朝日のようなリベラル系の全国紙が広く知らしめた意義は大きい。

 政治的なことにはまるで興味がなく、「右」「左」の意味もわからない私の妻も、この記事を読んであきれていた。
 例えば、上記の10日の記事で引用されていた加瀬英明氏の発言や加地伸行氏の主張について、この人たちは、現在の生きている人間としての天皇陛下を守りたいのではなく、この人の頭の中にある天皇制を守りたいだけなのだろうと言っていた。
 時代錯誤もはなはだしいと。
 そのとおりである。

 だが、上記の記事にある
「陛下はご存在自体が尊い」
「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない」
「天皇の自由意思による退位は、いずれ必ず即位を拒む権利につながる」
「ご存在の尊さは、男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する。そこに『能力原理』を持ち込むと、能力のある者が位に就くべきだという議論になる。結果として、陛下ご自身が天皇制度の存立基盤を揺るがすご発言をなさったことになってしまう」
「陛下が具体的な制度の可否について言及され、それを国民が支持し、政府が検討を始めている。『天皇は国政に関する権能を有しない』と定めた憲法に触れる恐れがある。陛下のご意向だということで一気に進めるのは問題だ」
といった彼らの主張は、明治以降の天皇制のこれまでの運用に照らすと、必ずしもおかしなことを言っているわけではない。
 天皇には退位の権利も即位を拒む権利もなく、意志表示すらまともに許されず、ただ「存在」することだけを要求されてきた。
 生物学的人間を社会的人間と認めない。明治以降の天皇制の本質とはもともとそういうものなのである。

 身分制度があり、基本的人権などという概念がなかった時代なら、それでもよかっただろう。
 明治時代にわが国が中央集権国家に生まれ変わり欧米列強に伍するためには、このような国民を統合する存在も必要だったのかもしれない。
 だが、こんにちのわが国になお、こんな人身御供のような制度が必要なのだろうか。

 そもそも生前退位が歴史上決して珍しくなかったことは、少しでも日本史の知識があれば明らかだろう。
 そしてまた、わが国の天皇や皇室のありようが時代によって変遷してきたことも言うまでもない。
 明治以降だけが天皇の、わが国の歴史の全てではない。
 今後も天皇制を維持したいのなら、それは時代に合わせて変わっていかざるを得ない。
 生前退位に好意的な大多数の国民は、それを理解しているのだろう。

 男系論者は、明治以降の、わが国の歴史のうちのごく一部を取り出して勝手に理想化し、それに固執しているだけではないのか。
 今回の朝日の記事は、そうした彼らの本質を事実をもって語らせる良質なものだった。


(以下2016.9.23追記)
 この記事のアップ後、朝日新聞デジタルに次のような訂正記事があるのを見た。

訂正して、おわびします
2016年9月17日05時00分
▼10日付総合4面にある天皇陛下の生前退位をめぐる記事で、表のタイトルが「男系維持を求めてきた識者の反応」とあるのを、「生前退位をめぐる識者の反応」と訂正します。掲載した識者のうち、加地伸行・阪大名誉教授には男系維持の工夫に関する論考はありますが、加地氏から、男系・女系天皇をめぐる問題については慎重な態度をとっている、との指摘がありました。
 

 上で引用した記事は表のタイトルを訂正した後のものだが、それでも内容的には加地伸行氏も男系維持論者だとの印象を受ける。加地氏本人からこのような指摘があったとのことなので、読者におかれては留意されたい。

私が旧宮家の皇籍復帰に賛同できない理由(下)

2012-10-24 14:41:15 | 天皇・皇室
(前回の記事はこちら

4.旧宮家の復帰だけではいずれ行き詰まる

 新たな理由のもう1つは、現在の社会制度のまま、旧宮家を復帰させるだけでは、男系継承の維持は極めて困難であることに思い至ったことだ。
 先に述べたように、大正9年の「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」により、伏見宮系の宮家の臣籍降下はあらかじめ予定されていた。
 そして、予定より早く、占領期に一斉に臣籍降下することとなったわけだが、それによって皇位継承を危惧する声が生じたとは聞かない。
 何故か。
 昭和天皇には、3人の弟宮があった。そして現在の今上陛下と常陸宮の2人の男児があった。1946年には三笠宮に寛仁親王が生まれている。
 これだけの男性皇族がいれば、当面皇位継承には問題ない。そう考えられていたからだろう。
 しかし、それから60年余りで、皇統は危機に瀕するに至った。
 これは、男系継承を維持することがそうそう容易ではないことを示している。

 では何故これまでは維持してこられたのか。
 それは、側室制度があったからだ。

 側室制度によって、多数の子をもうけることが可能だった。子が多ければ、男子である確率もそれだけ高くなる。
 大宅壮一によると、幕末から明治にかけて成立した伏見宮系の11宮家の創立者は、「一人の例外もなしに妾腹から出ている」という(『実録・天皇記』)。
 また、竹田恒泰によると、仁孝、孝明、明治、大正の4代の天皇は「全て生母が側室」だという。

 竹田は『語られなかった皇族の歴史』でこう述べている。

 このように、万世一系を保つために、世襲親王家と側室制度の二つの安全装置が常に用意されていた。側室制度は皇統の危機を招かぬよう、日頃から皇族を繁栄させ、それでも皇統の危機が訪れた場合は世襲親王家から天皇を擁立することで男系による万世一系を守り抜いてきたのだ。(p.66)


 だが、現在では側室制度の復活は国民感情から難しい。また、側室ではなく皇后を複数立てる方法もあるがこれにも違和感を覚える人が多いだろうと竹田は説く。

 したがって側室制度と複数の皇后を立てる制度の復活が望めない現在は、別の手段、つまり皇族を充実させて傍系からの即位を可能にする方法を強化し、皇統の維持を図らなければならないのではないだろうか。(p.68)


 しかし、伏見宮系の大量の宮家が成立し得たのは側室制度があったからだ。現代の一夫一婦制の下では、やがては現皇室と同様に危機に陥る可能性が高いのではないか。現に、前回紹介した竹田恒泰の『正論』本年4月号の論文によると、旧宮家のうち山階、梨本、閑院、東伏見の4家は絶家となったという。
 旧宮家が皇籍に復したからといって、男子が生まれ続けるとは限らない。その場合、どうするのか。側室制度を復活させるのか。人工的な手段で男子誕生を試みるのか。あるいはもっと遠縁の元皇族を捜すのか。
 そうまでして維持しなければならない男系継承とは何なのか。


5.結語

 そもそも何故天皇は男系継承なのだろうか。
 先人は、男系継承と女系継承という選択肢がある中で、何らかの理由で男系継承を選んだのだろうか。
 いや、イエは(あるいは世襲する高位は)男子が継ぐということが当然とされていたからだろう。
 天皇家に限らない。徳川将軍家も、足利将軍家も、藤原摂関家も皆男系継承である。
 支那の皇帝も、朝鮮の国王も皆そうである。ヨーロッパの諸国も基本的にはそうであった。

 明治時代の皇室典範制定に際して、女性天皇や女系継承が問題になった。
 これは、ヨーロッパに女王や女帝が存在し、女系継承があることが知られていたからだろう。
 当初は、皇位継承権者の男性が絶えた場合には女帝を容認し、女帝に皇子がなければ皇女に継承するとの案もあったという。
 しかし、井上毅は、過去の女帝は臨時的な例外であり、「王位は政権の最高なる者なり。婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾なり」などとして女帝を否定し、女系継承も皇統が女帝の夫の姓に移るとして否定したという(鈴木正幸『皇室制度』岩波新書、1993、p.56-57)。

 では、女性に選挙権も被選挙権も認められた現代であれば、反対理由の1つが消えることになる。
 それに、皇族は姓を持たないのであるから、女帝の皇子への継承によって皇統が女帝の夫の姓に移るという主張もおかしい。

 伝統に固執する方は、より万全な策として、側室制度の復活を主張されてはどうか。
 さらに、身分制度の復活も主張されてはどうか。
 顔をあらわにすることもなく、御所から一歩も出ない、庶民にとってはいるのかいないのかわからない、そんな前近代の天皇の復活を唱えてはどうか。
 そのようなことが維持できるのであれば、確かに皇室は安泰だろう。
 しかし、現代の国民が望んでいる皇室は、そのようなものではないだろうし、そんな時代錯誤が現代に可能とも思えない。

 一時の国民感情などどうでもいい、伝統の墨守こそが重要なのだという見解がある。
 女系天皇になればそれはもはや天皇ではないとか、崇拝の念が損なわれるとか、果ては日本が日本でなくなるとか。
 わが皇室と国民は、それほど弱々しいものだろうか。

 伝統を墨守するだけならこんにちのわが国はなかった。
 明治維新の主導者は、「王政復古」の大号令を出したにもかかわらず、幕府のみならず摂政・関白をも廃止し、「諸事神武創業の始」にもとづくとして全く新しい政府を成立させた。
 五箇条の御誓文には、

旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ


とある。
 わが国は、こうした精神に基づいて近代化を果たし、欧米列強に伍するまでに至ったのではなかったか。
 他方、旧弊を打破できなかった清国や朝鮮は亡び、再興までに長い年月を要した。

 男尊女卑が当然であった明治時代ならともかく、現代においては、女性天皇、女系継承を認めることこそが「天地ノ公道」というものではないだろうか。
 40親等以上離れた傍系の男子を皇位継承者にするという手法は、必ず国民から疑問の声が上がる。それはむしろ天皇制に対する懐疑心を生み、果ては天皇制廃止論に及ぶおそれもある。
 女性天皇、女系継承を認めることこそが、天皇制存続の道だろうと私は思う。


私が旧宮家の皇籍復帰に賛同できない理由(中)

2012-10-23 08:28:06 | 天皇・皇室
(前回の記事はこちら

3.旧皇族の「覚悟」への疑問

 今年2月29日、MSN産経ニュースに次のような記事が載った。

男系維持へ「一族として応える」 旧皇族の大半、皇籍復帰要請あれば 「正論」で明らかに

 終戦直後に皇籍離脱した旧皇族の多くが、皇位の男系継承を維持するために皇籍復帰を要請されれば、「一族として応えるべきだ」とする意向を固めていることが分かった。主に現在の宮家と養子縁組することで、男系を継承することを想定している。

 旧皇族の慶応大講師、竹田恒泰氏(36)が、3月1日発売の月刊「正論」4月号に寄せた論文で明らかにした。皇統問題で旧皇族の意向が文書で公表されるのは初めて。女系天皇容認につながると懸念される「女性宮家」創設を念頭に、政府が検討する皇室典範改正作業への影響は必至だ。

論文によると、竹田氏は昨年11月~2月中旬、皇位継承問題について旧皇族20人以上と意見交換。大多数が男系の皇統は維持されるべきだと考えており、女性・女系天皇を積極的に容認する人はいなかった。男系維持のため皇籍復帰を要請されれば、「一族として要望に応える覚悟を決めておかなければならない」と考える人が大半を占めたという。

 論文は、寛仁親王殿下の長女、彬子さまが今年1月7日付の毎日新聞のインタビューで、女性宮家創設だけが議論される現状に「違和感」を表明、「男系で続いている旧皇族にお戻りいただくとか、現在ある宮家をご養子として継承していただくとか、他に選択肢もあるのではないかと思います」と発言されたことを紹介。このうち養子継承案が注目されているとし、旧皇族一族には少なくとも9人の未婚男子と、ここ数年内に結婚した5組の男系夫婦がいて、通常の養子や婿養子、夫婦養子となることが可能だと指摘している。竹田氏は「皇室から、そして国民から求められた場合には、責任を果たしていかなくてはいけないと(すでに)覚悟している者が複数いて、その数が増えつつある」としている。竹田氏が意向を確認した旧皇族は、占領政策で皇室が経済的に圧迫され、昭和22年に皇籍離脱を余儀なくされた旧11宮家(うち4家は廃絶)の男系子孫たち。


 私は『正論』4月号を買ってこの竹田論文「皇統問題 旧皇族一族の覚悟」を読んでみた。
 主題である旧皇族の意向については、ほぼMSN産経ニュースで報じられたとおりであり、特に詳細が論じられているわけではなかった。
 しかし、本論文中で明らかにされている、竹田の論壇デビュー作『語られなかった皇族たちの真実』(小学館、2006)が出版されるに至った経緯に私は驚いた。
 以下、本論文の記述を引用する。

 いま、旧皇族の中では皇統の問題に危機感を抱いている者が多いが、以前はそうではなかった。かつて小泉政権下で女性・女系天皇の是非を巡る皇室典範の議論があった時、当初は旧皇族の中には問題の本質を理解しない者もいた。〔中略〕女性天皇と女系天皇の違いを理解していない者も多かった。
 〔中略〕
 私は機会ある度に、粘り強く男系維持の重要性を説いて回ったが、私が本を出版するにあたり、
「もし、陛下が女系天皇を希望なさったら一体どう責任を取れるのか」
 といって出版を牽制する親族もいた。
 〔中略〕
 この本を出版した意図は二つある。一つは、皇室典範議論に一石を投じること。もう一つは、旧皇族と旧華族の責任感があまりに薄いことへの警鐘を鳴らすこと、だった。
 〔中略〕
 この本が原因ではないと思うが、いまや旧皇族が男系維持で一枚岩になっているのは実に喜ばしいことであると思う。
 〔中略〕
 出版に当たり、親族から強い反対があった。
「お前に言論の自由があると思うな」
 とは、本を出す過程で一族から何度も聞かされた言葉だった。


 竹田がこの本の執筆を編集者に依頼されたのは、小泉政権が皇室典範改正に向けた有識者会議を立ち上げた時期だった。

「女系天皇が成立したら日本は終わりです」
 という編集者の悲痛な訴えがあったが、この時私は執筆を断っている。なぜなら、私が皇室に関わる政治問題について発言することは、親族が絶対に許さないからだった。旧皇族の人脈をもってすれば、この出版を中止に追い込むことは容易い。一族と対立した状態では、出版は不可能だと思われた。
 ところがその編集者は、何度も私に出版の必要性を訴えた。


 編集者は、出版しても小泉内閣は典範改正を押し切るだろうが、旧宮家出身者が反対の意志表示をしたことには意味があり、将来女系天皇が成立するかもしれない段階に至って、再び議論を起こすきっかけとなるかもしれないと説いたという。

 私は編集者のその根気に負け、一族の同意を得られる保証のないまま、原稿を書くことにした。〔中略〕
 原稿の大半を書き終えたある日、私は父から衝撃的な報せを聞かされた。旧皇族一族の意向として、皇室典範の問題については一切メディアの取材には応じないことになったようだから「君も従うように」というのだ。出版は遠のいた。


 竹田はどうしたか。

 そこで私は、強い者を巻くためにはより強いものが必要と思い、複数の皇族方、そして伊藤忠商事特別顧問(当時)の瀬島龍三様に相談し、出版の了解を求めた。これが揃えば、周囲は反対できなくなると期待した。特に瀬島様は、陸軍では祖父竹田恒徳の後輩に当たり、祖父の葬儀委員長を務めた人物であるため、私の周囲には強い影響力を持っていた。
 私が相談した複数の皇族方はいずれも出版を了解して下さった。そして、私は瀬島様の事務所を訪れた。


 瀬島との面会から2日後、「大変有益でした」「本当によく勉強されており感心しました」としながらも、「(有識者会議の案に)逆行する様な意見は表に出すべきではないと考えます。貴殿は好むと好まざるとに拘らず旧皇族、天皇家の一員と見なされ、その意見は特別な物とされるのです」といった、出版を差し控えるべしとの書簡が瀬島から届いた。
 失意の竹田は伊勢神宮や神武天皇陵などを訪れた。

神武天皇陵で祝詞を奏上して天皇弥栄を祈念し「もしこの本が世に出るべきものなら、道を開き給え」と申し上げたその時、御陵の森から何千羽ものカラスが一斉に飛び立ち、あたり一面が掻き曇った。神勅が下ったと理解した私は、数日の内に大幅に原稿を改め、瀬島様に次の手紙を宛てた。


 手紙の要旨は、
・文中の皇室典範改正私案を削除し、具体的な政策提言をしないこととした。男系継承は守るべきであること、歴史の重みを十分に認識して慎重に議論するべきであることの指摘に留め、それ以上の政治的意見は削除した
・出版自体を中止することも検討したが、熟慮の末、原稿を改めて出版することにした
・「瀬島様」の意見がなければ、これほど原稿を改めることはなかった
・「あとがき」に挙げる協力いただいた方の1人として「瀬島様」の名を挙げさせていただきたい
・神武天皇陵でのカラスの神秘体験(神武天皇を導いたのは八咫烏)
だという。
 瀬島からは「御苦心の決定全般同意申し上げます。又あとがきの件も承知しました」との返信が届いた。

 これで道が開けた。瀬島様がお許しになったことで、これまで反対していた人たちが、しぶしぶ同意もしくは黙認してくれることになった。もしあの時、カラスが飛んでいなければ、この本の出版はなかったと思うと、不思議な気持ちになる。
 その後、間もなく秋篠宮妃殿下が御懐妊になり、若宮がご誕生になったことは、皇統護持のために天の意思が動いた結果ではなかったか。神武天皇陵での一件と瀬島様の御了解、そして若宮誕生は、一連の新風だったのかもしれない。


 竹田の神秘体験はどうでもいい。
 私が驚いたのは、竹田が「強い者を巻くためにはより強いものが必要と思い」、瀬島龍三を「私の周囲には強い影響力を持っていた」と評していることだ。
 そのように、旧皇族に影響力を行使することができる者がいるということだ。

 瀬島は、2007年に没した。
 しかし、同様の「より強いもの」はまだほかにもいるかもしれない。
 そのような「影響力」に左右され得る人々を、皇族に復帰させてよいものだろうか。

 それに、これでは、竹田の言う旧皇族の「覚悟」にしても、どこまでが彼らの真意なのか疑問を持たざるを得ない。
 竹田自身、この論文でこう書いている。

 このように、本の出版については、無理やり一族の反対を押し切った感があるが、その後、旧皇族の中でも意識の変化があり、現在では男系の皇統を守ることの重要性が共有できている。


 本当に「意識の変化」があったのだろうか。それもまた「影響力」の産物ではないのだろうか。

 さらにもう一点。
 瀬島は当初竹田を諫めている。極めて常識的な判断だと私は思う。
 そこで竹田が瀬島を説得して翻意させ、出版にこぎつけたというならまだ話はわかる。竹田はそれを誇ってもよいであろう。しかしそうではない。
 竹田は「神勅」を理由に出版を強行することにしたのだ。そして瀬島にはその事後承諾を求めたにすぎない。
 瀬島の真意は私にはわからない。原稿の修正に満足したのかもしれないし、諫めたのに強行するならもう好きにしろと考えたのかもしれない。これを「瀬島様がお許しになった」とはどういう神経をしているのか。
 はじめに結論ありきで、独断で事を起こし、既成事実を作った上で上の者に事後承諾を求める。昭和陸軍が得意とした手法だ。
 竹田がこのような手法の使い手であることは、よく記憶しておくべきだろう。

続く

私が旧宮家の皇籍復帰に賛同できない理由(上)

2012-10-22 01:01:20 | 天皇・皇室
 5日付の当ブログの記事「皇室典範改正を断念との報を読んで」で、占領期に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家男子の皇籍復帰案にはいくつかの理由から賛同できないと述べたが、もう少し詳しく説明しておきたい。
(なお、5日付の記事が産経新聞の誤報に基づくものであったことは、8日付の当ブログ記事「政府が皇室典範改正を断念との産経報道は誤報?」で述べたとおり。)


1.血統が離れすぎていることへの違和感

 これは5日付けの記事でも挙げた。
 占領期に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家は、いずれも伏見宮家の血統に連なる。
 そして伏見宮家とは、はるか室町時代に天皇家から分かれた血統である。
 旧1宮家の皇籍復帰論者は、男系男子による継承は唯一絶対の伝統であり、現在の天皇家の男子が絶えれば、傍系からとるのが当然だと説く。しかし、これほど遠縁の皇族が即位した事例もまたない。

 ちょっと検索してみたら、八木秀次が小泉政権での「皇室典範に関する有識者会議」における意見陳述に用いたメモが見つかった。
 ここで八木は、「2.過去の皇統断絶危機の際、男系の「傍系」から皇位に就かれた例」として

第26代・継体天皇(先代・武烈天皇とは10親等の隔たり)
第102代・後花園天皇(先代・称光天皇とは8親等の隔たり)
第119代・光格天皇(先代・後桃園天皇とは7親等の隔たり)


の3例を、また「遠縁から即位された例」として

第49代・光仁天皇
 (先代・称徳天皇とは8親等の隔たり、天武系から天智系へ)

第100代・後小松天皇[北朝]
 (先代・後亀山天皇[南朝]とは11親等の隔たり)


の2例を挙げている。

 しかし、後小松天皇を第100代と数えるのは南北朝合一によるものであり、それ以前から北朝の天皇として即位していたのであるから、後亀山天皇を継いで即位したわけではなく、「遠縁から即位された例」としては不適切だろう。こんなものを出してくる八木の見識を疑いたくなる。
 ということは、王朝交代説もある継体天皇の系譜を仮に信じるとしても10親等、それ以外では8親等が最も遠いのだろう。
 対するに、愛子さま、悠仁さまと、現存する旧皇族の男子某とでは、40数親等離れている。
 この違いは決して小さくはない。

 そして、これほど血統が離れているからこそ、戦前においても伏見宮系の皇籍離脱が予定されていたのだろう。

 もともと、明治維新の時点では幕末の時点では、宮家は伏見、閑院、桂、有栖川の4つしかなかった。
 明治維新後幕末に伏見宮系から中川宮(のちの久邇宮)、山階宮が設けられ、さらに明治時代に伏見宮系から多くの宮家が独立し、13宮家にまで増やした。
 何故か。
 大正天皇には成人した男子の兄弟はない。その父、明治天皇にもない。その父、孝明天皇にも、その父、仁孝天皇にもない。明治維新により天皇を中心とする国家となったにもかかわらず、天皇直系の男子は天皇自身を除いて存在しなかった。
 したがって、「血のスペア」(大宅壮一)を確保するため、また天皇の名代を務め得る人物が必要であったため、これほどの宮家が設けられたのだろう。
 しかし、大正天皇は昭和天皇をはじめ4男児にめぐまれた。また、宮家の増加による経済的負担も大きくなり、醜聞の発生もあった。
 そこで、大正9年に「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」が定められ、天皇の5世以下の諸王は、宮家を継ぐ長男系統のみ、8世までを皇族とし、次男以下は順次臣籍降下し、長男系統でも9世以下は臣籍降下して華族となることとされた。
 ただし、伏見宮系統は特例として、邦家親王(1802-1872)の子を5世とみなすこととされた。

 したがって、伏見宮系統の宮家であっても、邦家親王から5世の代で臣籍降下することが予定されていた。占領期のGHQによる圧力がなくても、もともと彼らは皇族ではなくなる予定だったのである。
 所功はこう書いている。

 その結果、終戦時にあった十一宮家でも、それ以前から次男以下の十二人が皇籍を離れている。しかも、幕末・明治初年創立時を一世代(五世王)とする近代宮家の場合、昭和二十年当時、幼少年位の人々は、ほとんど四世代(八世王)に相当するから、長男ならば当代限り皇族とされたが、次男以下は勿論、長系でも五世代(九世)相当の人々は、すべて臣籍降下しなければならない段階を迎えていたのである。(「皇室史上の宮家制度―その来歴と役割―」『歴史読本』2006年11月号、p.107)


 旧宮家の皇籍復帰論者は、伏見宮系の宮家からは3人の天皇が出ており、皇統の危機に際して宮家の男子が天皇に就くのは当然だと説く。
 この3人の天皇とは、上記の後花園天皇(伏見宮出身)と光格天皇(閑院宮出身)の2人と、もう1人は第111代・後西天皇(高松宮、のちの有栖川宮出身)である。
 しかし後西天皇は、兄である第110代後光明天皇の死に際し、その養子となっていた弟(のちの第112代・霊元天皇)がまだ生後間もなかったため中継ぎとして即位したもので、10年弱で弟に譲位している。単なる兄弟継承にすぎない。
 残る2人は、上記のとおり先代天皇とは8親等と7親等の隔たりがあるにすぎない。

 女系継承の前例がないというが、40親等以上離れた男系継承の前例もまたない。
 そして前例と言うなら、男系の女性天皇や、女性宮家の前例はある。
 明治以降の皇室典範によりそれらが許されなくなっただけだが、では旧宮家の皇籍復帰論者は、前例を理由にこれらを容認するのか。しないではないか。

 旧宮家の皇籍復帰論者の中には、明治天皇の皇女が東久邇宮、朝香宮、竹田宮、北白川宮の4宮家に嫁いでおり、また昭和天皇の娘も東久邇宮に嫁いでいるから、これら4宮家については天皇家との血縁は濃いと説く者もいる。
 これも不思議な話で、彼らは男系継承しか認めないというのであるから、母方の血統は関係ないはずである。
 都合のいいときだけ女系を持ち出さないでもらいたい。


2.旧宮家がどれだけのことを成し得たか

 戦前の旧宮家の皇族に、私はあまり良い印象を持っていない。
 敗戦直後の首相を務めた東久邇宮稔彦王と、海軍の軍令部総長を務め積極的に軍備拡張、三国同盟推進の姿勢を示した伏見宮博恭王を除いて、ほとんどが、何をしたのかわからない人々だ。
 皇族は天皇の藩屏と言われる。しかし、大東亜戦争の開戦、そして敗戦という天皇制〔註〕の危機に際して、皇族はほとんどそのような役割を果たし得なかったのではないか。
 もっとも、こんなことで彼らを批判するのは酷かもしれない。彼らは、何もしないことこそを期待されていたであろうから。
 天皇の血を引く者がそのポストにいるということ自体に意味があるのであり、何らかの業績をあげることを期待されていたわけではなかっただろう。
 つまり、お飾りである。天皇と同様の。そして、前述のように、「血のスペア」でもある。
 しかし、自分で選択したわけでもないそんな人生に、前近代ならともかく、近代以降の人間はそうそう耐え得るものだろうか。品行を保持できるものだろうか。
 北白川宮成久王はパリで自動車を運転してスピードの出し過ぎで事故死し、同乗していたフランス人運転手も死亡させ他の皇族をも負傷させた。東久邇宮稔彦王もフランス滞在中に乱行が目立ったと聞く。
 その他の皇族の醜聞について私はいちいち詳しくは知らないし知りたくもないが、『文藝春秋』2006年4月号に掲載された高橋絋「現代版「壬申の乱」への危惧」によると、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記には、占領期の11宮家の臣籍降下について次のような記述があるという。

これも誠に御気の毒なことではあろうが已むを得ない事であり、その殆ど全部が(二、三の例外を除いては)皇室のお徳を上げる程のことをなさらず、汚した方も相当あったことを考えれば、寧ろ良いことであろう


 このような人々を、男系継承を維持するためというただ一つの理由で、皇籍に復帰させることには賛成できない。

 以上2点はかねてから考えていたことだが、最近新たな理由が2点加わった。次回はそれらについて述べる。
(続く)

〔註〕天皇制
 これを左翼用語、反天皇思想の産物として排撃する見解もあるが、愚劣だと思う。
 君主が国王なら王制、皇帝なら帝制だろう。君主が天皇なら天皇制、何の不思議もない。
 天皇はわが国の歴史に根ざした伝統であって、人為的な「制度」ではないという主張がある。
 たしかに、前近代までの天皇については、その地位の法的根拠などというものはなかったのだろう。
 しかし、わが国が近代国家に転換し、大日本帝国憲法と旧皇室典範が制定された時点で、天皇は「制度」になったのである。
 現在の政府は「皇室制度」という語を用いている。また産経新聞などは「天皇制度」という語を用いている。
 「皇室制度」「天皇制度」なら良くて「天皇制」は許し難いとするのは、用語の来歴のみにとらわれた、くだらない考え方だろう。


政府が皇室典範改正を断念との産経報道は誤報?

2012-10-08 00:23:54 | 天皇・皇室
 

 政府が5日、女性宮家の創設をめぐる皇室典範の見直しに向けた論点整理を発表した。
 前回の拙記事で引用した4日付のMSN産経ニュースの記事にある「有識者ヒアリングの結果を月内に「論点整理」として公表」するというのが早速実行されたようだが、各紙の報道を見ると、ニュアンスが4日付産経記事とはかなり異なる。

 5日付朝日新聞夕刊は、

女性皇族が結婚後も皇籍にとどまる「女性宮家」創設案を盛り込む一方、皇籍を離れて国家公務員として皇室活動を続ける案を併記した。制度改正を最小限にとどめるため、いずれも対象を天皇の子や孫にあたる「内親王」に限定した。

〔中略〕

 女性宮家創設案では、女性皇族が結婚後も皇族の身分を維持することから「皇室のご活動を安定的なものとすることができる」と明記。女性皇族の夫と子を皇籍に入れる案と、入れない案の両論を並べた。

 子を皇籍に入れる場合には女系の宮家後継者となって皇位継承権の問題に踏み込みかねないことから、子は結婚後に皇籍を離れるとした。夫や子を皇籍に入れない場合は夫と子は一般国民のため「家族内で身分の違いが生じる」とし、戸籍や夫婦の氏の扱いなど「適切な措置が必要」と指摘した。

 一方、女性宮家を創設せず、「皇籍離脱後も皇室のご活動を支援していただくことを可能とする案」も併記。皇籍を離れた元女性皇族が「尊称」を使うことは困難とする一方、「国家公務員として公的な立場を保持」して新たな称号を付与することを検討課題にあげた。

 ただ、新制度にする場合でも一律には適用せず、女性皇族の意思を反映できる仕組みにする。藤村修官房長官は5日の会見で「今後2カ月ぐらいは国民的な、様々な意見を寄せていただく。法改正が必要なら国会に皇室典範改正案を提出していくことになる」と述べた。


と報じた。

 YOMOURI ONLINE は5日付で

女性宮家創設案(1案)を軸に「検討を進めるべきである」と明記した。

〔中略〕

国家公務員などの公的な立場を与えて皇室活動に携われる案(2案)も付記した。


と、両論併記というよりは1案が本論であるというニュアンスで報じ、

週明けの9日から12月9日まで2か月にわたり、国民から論点整理について意見公募(パブリックコメント)をしたうえで、来年の通常国会に皇室典範改正案の提出を目指す。


としている。


 毎日jpは、

女性宮家の創設を優先して検討する内容。内親王が結婚して皇籍を離脱した後も国家公務員の身分で皇室活動を支援する案も併記した。〔太字は引用者による。以下同じ〕


と、読売同様女性宮家創設が重視されていると説き、

今後、パブリックコメントを2カ月間実施する。

 藤村氏は「国民的な議論を経て、素案を作っていきたい」としたうえで、皇室典範の改正について「必要ならば手続きが始まる。国会提出は来年になると思うが、厳密には決まっていない」と述べた。


と報じている。

 私が前回引用した4日付産経記事は、

「皇室典範など関連法の改正を断念する方針を固めた」
「有識者ヒアリングの結果を月内に「論点整理」として公表し、これを事実上の最終報告とする方針に転換した」
「意見公募も行わず検討作業を終える」

と報じていた。だから私は、前回の記事で述べたように

あーあ、日和りやがった。


との感想を持ったのである。
 ところが「論点整理」はどうも最終報告ではないようだし、意見公募も行われるようだ。
 これは困る。

 もっとも、意見公募が行われたとしても、改正案を作成するのは困難かもしれないし、それを通すのはさらに困難なのだから、事実上「断念する方針を固めた」ということも有り得るかもしれない。
 しかし、少なくとも意見公募は行う、必要ならば改正案を提出すると内閣官房長官が明言している以上、4日付産経記事は誤報と言えるのではないか?
 だが、産経のサイトには現在もそのまま公開されており、何の注釈も付されていない。

 同じMSN産経ニュースの5日付記事

女性宮家創設案については「検討を進めるべき」としたが、女性皇族がご結婚後も「内親王」などの尊称を保持する案は「実施困難」と事実上否定。ヒアリングで全く議論されなかった「国家公務員として公的な立場を保持」する案も独自に提起した。

 藤村修官房長官は同日午前の記者会見で、「さまざまな意見を踏まえつつ、検討の基本的視点を明らかにした。今後は広く国民各層から意見を募集する」と述べた。


と他紙同様の報道をしているのだが。

 不思議な新聞である。

 この記事で述べられている尊称保持案について、4日付記事は

論点整理では女性宮家創設案に加え、女性皇族が結婚により皇籍を離れた後も「内親王」などの尊称を使って皇室活動を続けられるようにする「尊称保持案」も併記する。


と述べていたのが、フタを開けてみると「事実上否定」されていたというのだから、この点についても結果的に誤報と言えるだろう。

 さらに、6日付記事には

政府は皇室典範など関連法改正について来年1月に召集する通常国会での提出を断念する方針を固めているが、藤村氏は「必要ならば提出する」と述べた。


との記述もあるのだが、どう理解すればいいのだろうか。

 とりあえず、前回拙記事の「あーあ、日和りやがった。」をはじめとする政府・与党批判の箇所は、産経新聞による誤報と思われる報道に基づく感想であったため、これを撤回するとともに、女性宮家の創設に向けての皇室典範の見直しが進められることを期待する。

 この「論点整理」では、産経新聞が強く主張していた旧宮家の皇籍復帰案は、皇位継承の問題につながるとして検討対象から外されたというが、喜ばしい。
 もともと、前回拙記事で批判したこの案について、もう少し突っ込んだことを述べてみたいと思っていたのだが、その前に、前回拙記事の前提が崩れてしまったので、まずはその点について取り上げておく次第。


皇室典範改正を断念との報を読んで

2012-10-05 01:34:45 | 天皇・皇室
 MSN産経ニュースの記事より。

政府、皇室典範改正を断念 女性宮家創設に慎重論
2012.10.4 07:00

 政府は3日、皇族の減少を防ぐため検討してきた「女性宮家」創設に関する皇室典範など関連法の改正を断念する方針を固めた。「女系天皇」に道を開きかねない女性宮家創設には有識者ヒアリングでも異論が相次いだうえ、民主党や自民党内でも慎重論が根強いためだ。女性皇族がご結婚後も「内親王」などの尊称を保持する案についても法案化を見送る。

 政府は今年2~7月に計6回、女性宮家創設の可否などについて12人の有識者にヒアリングした。当初は10~11月ごろに意見公募(パブリックコメント)を行い、来年1月に召集される通常国会への関連法改正案の提出を目指していた。

 だが、ヒアリングでは「民間人とのご結婚を前提とした女性宮家創設は、皇室の本質を根本から変える女系天皇につながりかねない」(ジャーナリストの櫻井よしこ氏)などの反対論が出た。百地章・日本大教授も「女性宮家の創設は女系天皇への道を開く危険性があり、その場合、違憲の疑いさえある」と拙速な議論を慎むよう求めた。

 このため、政府は有識者ヒアリングの結果を月内に「論点整理」として公表し、これを事実上の最終報告とする方針に転換した。意見公募も行わず検討作業を終える。論点整理では女性宮家創設案に加え、女性皇族が結婚により皇籍を離れた後も「内親王」などの尊称を使って皇室活動を続けられるようにする「尊称保持案」も併記する。

〔後略〕


 あーあ、日和りやがった。

 こういうことこそ「決められない政治からの脱却」「決断する政治」で進めてもらいたかったのだが。

 もともと私は民主党政権の下での皇室典範改正(女系天皇容認)に期待していただけに、そうした動きは全く進まないばかりか、女性宮家の創設すら見送られたことは残念でならない。
 ヒアリングで櫻井よしこや百地章、八木秀次が反対することなど、あらかじめわかっていたことではないのか。

 もちろん、政権を取り巻く情勢がそれを許さない、今はそれどころではないというのはわかるが。
 女系天皇反対を明言している安倍が自民党総裁に就いたことも影響しているのだろうか。
 あるいは、「保守」を自認する野田首相もこの問題には積極的に関与したくないのかもしれない。

 現行の皇室典範のままでは皇統はいずれ行き詰まる。
 それ以前に宮家の存続も危ぶまれる。
 何らかの対策をとらねばならない。
 そのための女系天皇容認であり、女性宮家創設であったはずだ。

 女性宮家が女系天皇への道を開く?
 確かにそうかもしれない。
 しかし、そうでもしないことには、次世代に皇位や皇族を継承していくことは不可能なのではないか。
 男性継承にあくまで固執するならどうするのか。旧皇族男子の皇籍復帰か。

 「保守」を自称する方にこの旧皇族男子の皇籍復帰という案への賛同者が多いようだが、私は以前からこれに賛同できない。
 理由はいくつかあるが、何といっても、血統があまりにも離れていることへの違和感が大きい。

 占領期に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家は、いずれも伏見宮家の血統に連なる。
 そして伏見宮家とは、はるか室町時代に天皇家から分かれた血統である。
 つまり、愛子さま、悠仁さまと、現存する旧皇族の男子某とでは、室町時代まで往復何十人もの人々を隔てての血族だということになる。
 このような人々を、男系継承というただ一点を理由に皇族に復帰させることが適当なのだろうか。
 高橋絋によると、戦前においても伏見宮系の次世代の皇籍離脱が予定されていたという(「現代版「壬申の乱」への危惧」『文藝春秋』2006年4月号)。

 百地章は今年3月2日の産経新聞「正論」欄でこう述べていた。

 「女性宮家」の創設に積極的な渡辺允前侍従長は、「皇統問題は次の世代に委ねて…」と述べている。しかし、この「棚上げ論」も危険である。大多数の国民は、女性天皇と女系天皇の区別さえできておらず、いざとなれば、人情として「お子様も皇族に」と、さらには「皇位継承権も」と言いだす恐れが十分にあるからである。


 まさにそのとおり、「人情として」女性であっても女系であっても皇族に、天皇にと考えるのが自然な感情というものだろう。
 それを、男系継承が古来からの伝統だとして、数百年も離れた血統から男子を引っ張ってくることが、国民感情に合致するのだろうか。
 前近代ならそれでもよかっただろう。誰が天皇になるかなど、庶民の関知するところではなかっただろうから。
 しかし、明治以降のわが国における皇室は、そのようなものではないのだ。
 血統さえあれば、誰でもいいというわけにはいくまい。

(以下2012.10.8付記)
 この10月4日付MSN産経ニュースの記事は、翌5日の「論点整理」公表に照らすと、誤報であったようだ。
 拙記事「政府が皇室典範改正を断念との産経報道は誤報?」参照。

あなたは今上天皇が第何代目の天皇に当たるかご存知ですか?(投票結果)

2012-03-12 23:11:00 | 天皇・皇室
 以前産経抄が、今上天皇が何代目に当たるかなど「日本人なら誰でも知っている」と述べていたことに触発されて、「今上天皇が第何代目かを知らなければ日本人ではない?」という記事を書いた。
 さらに、人気ブログランキングの投票サービス機能を利用して、「あなたは今上天皇が第何代目の天皇に当たるかご存知ですか?」という質問への投票を募ってみた。
 そのことも記事にしたが、投票結果について取り上げるのを忘れていた。

 結果はこちら。投票期間は2011年06月12日~2011年09月11日。



もちろん第125代目だと即答できる 92件 (62.6%)
120……何代目だっけ? 14件 (9.5%)
100代は過ぎてるはずだけど 12件 (8.2%)
50代は過ぎてるんじゃないかな 2件 (1.4%)
そんなこと、俺が知るか! 24件 (16.3%)
今上天皇って誰? 平成天皇のこと? 3件 (2.0%)


 投票してくださった方々、どうもありがとうございました。

 最初は「もちろん第125代目だと即答できる」がダントツだったのだが、時間が経つにつれて他の答も増えていった。
 今にして思えば、これは選択肢の順番を逆にした方がよかったかもしれない。

 もちろんこれはただのアンケートであり、統計的な調査では全くないが、この結果からも、産経抄が言うように「日本人なら誰でも知っている」とまでは言えないことは明らかだろう。

 ところでその後、昔『週刊文春』に連載されていた高島俊男のエッセイ『お言葉ですが… 5 キライなことば勢揃い』(文春文庫、2004)を読み返していると、「何代目?」というタイトルのエッセイに次のような話があった。
 昔々、英語の先生たちの間で、ある米国の大統領が何代目に当たるかを英語で何というかが話題になったという。先生たちにはわからなかったので高名な学者に聞いてみたが、彼にもわからない。そもそも英語には「何代目」にあたる言葉がないのだという。
 そして、文庫版で追記された「あとからひとこと」には、さらにこんな話があった。
 エッセイを読んだ在米中の商社員が、米国人に何と言うのか質問したところ、「今まで何人大統領がいた? クリントンは何番目?」というような尋ね方があるにはあるが、それに対する答えは「知ったことか」といったもので、何代目かを数えるということ自体がない。そして返す刀で「日本の首相は今何代目なの?」と聞かれ、全く答えられなかった――という手紙が高島のもとに届いたという。
 高島はそれを受けて

 そういえばそのとおり。森喜朗さんが何代目の総理大臣かなんて、だれも言い出す人はいませんわなあ。なんでよその国の大統領のことばかり、リンカーンは何代目とかケネディは何代目とか気にするのだろう? あるいは、日本の天皇に相当するという感覚なのかな。天皇ならいま百二十五代目とだれでも知っているから。


と述べている。

 高島は1937年生まれ。いわゆる戦中派より下の世代(焼け跡・闇市世代?)に属する。青少年期に皇国史観を叩き込まれた世代ではない。『お言葉ですが…』などを読む限り、別に熱烈な天皇崇拝者というわけでもない。
 そんな高島から、「天皇ならいま百二十五代目とだれでも知っている」と、産経抄と同様の言葉がサラリと出たことにちょっと驚いた。

 とはいえ、以前の記事でも述べたように、産経抄は

枝野氏は菅直人首相の後継候補に名前があがり、政府の中枢にいる。▼もし首相となれば、外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかもしれない。答えられなければ国として恥をさらすことになる。政治家は国の将来だけでなく、その歴史も背負っているのである。


と憂えていたが、少なくとも英語圏の国々の要人からは、そうした質問を受けることはなさそうである。