今年6月9日の朝日新聞政治面に、
「女性宮家で…ジャクソン王朝に 自民・鬼木氏」
という見出しの記事が載っていた。
8日に開かれた衆議院憲法審査会での自由討議の発言要旨のみをまとめた記事で(討議自体についての記事は別の面にあり)、その中に自民党の鬼木誠委員のこんな発言があった。
「天皇の定義さえも変わってしまいかねない女性宮家の議論に危惧を覚える。女性宮家ができ、女性皇族が海外の方と結婚され、子どもが即位したら、日本の王朝は男性の姓を取ってジャクソン王朝などになってしまう。」
ほかにも多数の委員の発言が掲載されているのだが、朝日としてはこの発言に最も注目すべきと判断したということか。
後で国会会議録検索システムで検索してみたら、発言の全文は次のとおりだった。
私はこの朝日の記事で初めて鬼木誠という衆議院議員を知ったのだが、今公式サイトでプロフィールを見てみると、1972年10月生まれの44歳。福岡市出身。九州大学法学部法律学科卒。西日本銀行(現・西日本シティ銀行)勤務を経て、30歳で福岡県議会議員に初当選。同県議を3期務めた後、2012年12月の衆院選で福岡2区から初当選。2014年再選。環境大臣政務官を務めたとある。
福岡2区は、2009年に落選し、その後引退した山崎拓の地盤であった。鬼木氏は山崎派の後身である石原派に属している。
さっき、毎日と読売と日経のサイトで検索してみたが、この「ジャクソン王朝」発言も、鬼木氏が憲法審査会で発言したことも、サイトの記事には見当たらない。
産経のサイトには、「ジャクソン王朝」の言葉はなかったが、同じ自民党の船田元氏が女系天皇、女性宮家の容認論を示したのに対し、
「鬼木誠氏が「女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になる」と反論し、旧宮家の皇籍復帰を主張した。」
とは書かれていた。
一般論としては、
「王朝は男系で継承するというのは世界でも普遍であります。女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になるということであります。」
とは言える。鬼木氏が挙げているイギリスがまさに典型である。
しかし、必ずしも常にそうとは限らない。
ロシア帝国のロマノフ王朝では、イヴァン5世の女系の曾孫イヴァン6世が、短期間ではあるが帝位に就いている。また、その後もピョートル1世(大帝)の女系の孫がピョートル3世として即位している。にもかかわらず、王朝はロマノフ朝のままである。
オランダの王家はオラニエ=ナッサウ家だが、現在のウィレム・アレキサンダー国王の前は、その母ベアトリックス(在位1980-2013)、その母ユリアナ(同1948-1980)、その母ウィルヘルミナ(同1890-1948)と、3代続けて女王だった。しかし、その間王朝名がコロコロ変わったわけではない。
「女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になる」のは、イエは男性が継ぐものであり、女性にその権利はないとされていたからだろう。
だが、ヨーロッパのことはよく知らないが、わが国にはもはやイエ制度はない。
そして、夫婦は結婚に伴いどちらかの姓を名乗るとされている。つまり、家名は男女どちらが受け継いでもかまわない。
ならば、天皇の娘がその父の姓を受け継ぎ、そのいだと考えれば、王朝が変わるということにはならない。
それに、そもそも皇室には姓がない。ないものは変わりようがない。
また、鬼木氏が言う
「女性宮家というものはこれまでの日本に歴史上存在しなかった」
は、正しくない。
仁孝天皇の娘、淑子(すみこ)内親王(1829-1881)が、当主不在となっていた桂宮家を継承した前例がある。
もっともこの内親王は、婚約者の閑院宮愛仁親王が結婚前に死去したため、生涯独身で過ごし、桂宮家を継ぐも、その死去によって同宮家は断絶したのだが。
しかし前例はあるのだから、鬼木氏に限らず、女性宮家反対論者が「歴史上存在しなかった」と説くのはおかしい。
そして、「ジャクソン王朝」「李王朝」云々とは、何が言いたいのか。
そもそもこの女性宮家の議論は、女系天皇を認めるかどうかはさておき、次世代の皇族が悠仁さまを除いて皆女性であることから、従来どおり女性皇族が結婚とともに皇籍を離脱していては悠仁さま以外の皇族がいなくなってしまうため、皇族を維持する手段を検討する必要があったから生じたものだ。女系継承の問題とは直接関係ない。
では仮に、男性皇族が海外留学し、外国人と結婚し、その子供が天皇に即位するのはかまわないのか。憲法にも皇室典範にも、皇族は外国人と結婚してはならないとの定めはない。
外国人と結婚するのが男性皇族であろうが女性皇族であろうが、その子供に外国人の血が入ることに変わりはない。なのに、結婚する皇族が女性なら「違う王朝になる」からダメで、結婚する皇族が男性なら王朝が変わらないからかまわないのか。子供に流れる血に王朝の色が付いているわけでもあるまいに。
英国女王エリザベス2世の夫君、エディンバラ公フィリップ殿下の姓はマウントバッテンである。現在の英国の王朝はウィンザー朝だが、コトバンクで「ウィンザー家」を引くと出てくるブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説には、
《エリザベス2世は 1952年の即位後まもなく,自身の子および子孫をウィンザー姓とする旨を枢密院において宣言した。この決定は 1960年2月8日に改められ,王子・王女の身分および殿下の敬称をもたない子孫の姓はマウントバッテン=ウィンザーとすることになった。》
とある。
ならば、チャールズ皇太子の姓はおそらくマウントバッテン=ウィンザーなのだろう。すると、エリザベス2世の死後は、王朝名はマウントバッテン=ウィンザー朝に変わるのかもしれない。だが、それを問題視する声が英国民から上がっているなどと聞いたこともない。
こんなくだらない議論を重ねて、結局何も変えられないまま無為に時を過ごし、やがて皇族は悠仁さまお一人になってしまうのだろうか。
私は、皇室の方々に決して悪感情は抱いていない。それどころか、素朴な崇敬の念を抱いていると自覚している。
しかし、天皇制という制度が、現代のわが国において必ずしも必要不可欠だとは思わない。前近代ならいざしらず、もはや大衆民主制の世の中には合わない、廃止した方がよいとも思っている。
だが、日本国民の大多数は天皇制の維持を望んでいる。ならば、その障害となっている、わが国古来の伝統でも何でもない、明治の藩閥政府が勝手に決めた皇室典範を変えてみせることぐらいはやってみてはどうかというのが、私の考えである。
その程度のこともなしえないまま、むざむざ皇統を危機にさらすのがわが国民の選択なら、それもやむを得ないことかもしれない。
「女性宮家で…ジャクソン王朝に 自民・鬼木氏」
という見出しの記事が載っていた。
8日に開かれた衆議院憲法審査会での自由討議の発言要旨のみをまとめた記事で(討議自体についての記事は別の面にあり)、その中に自民党の鬼木誠委員のこんな発言があった。
「天皇の定義さえも変わってしまいかねない女性宮家の議論に危惧を覚える。女性宮家ができ、女性皇族が海外の方と結婚され、子どもが即位したら、日本の王朝は男性の姓を取ってジャクソン王朝などになってしまう。」
ほかにも多数の委員の発言が掲載されているのだが、朝日としてはこの発言に最も注目すべきと判断したということか。
後で国会会議録検索システムで検索してみたら、発言の全文は次のとおりだった。
○鬼木委員 自由民主党、鬼木誠でございます。
私は、日本国憲法が、天皇の神聖性、正統性が語られない憲法となっていることに歴史の断絶を感じております。これは、戦争と結びついてしまった明治憲法への深い反省からきているものだとは存じておりますが、日本の歴史において天皇とはどういう存在だったのか、私たち日本人が改めて学ぶべきときが来ていると感じております。
天皇の祭主として祈る役割は憲法上保障されておりません。それは、政教分離によってむしろ否定されているような状況にあります。憲法上保障されているはずの信教の自由、祈るという役割が、かえって不自由なことになっていないかと感じます。
また、今の日本で、義務教育で日本の神話を教えることは困難だと思われます。神話を忘れた民族は滅びるという言葉があるといいますが、神話とは、何千年語り継がれてきた民族の歴史であり、記憶であります。
日本の憲法は、日本の歴史とアイデンティティーを守る憲法であるべきだと考えます。天皇の歴史というものは日本の国の歴史と重なります。日本の歴史を守るということは、天皇の歴史を正しく後世に伝えることだと思います。その根本を大事にすることのできる憲法であるべきと考えます。
したがって、天皇の定義さえも変わってしまいかねない女性宮家という議論に私は危惧を覚えております。
日本の天皇は例外なく男系で継承されてきました。王朝は男系で継承するというのは世界でも普遍であります。女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になるということであります。イギリスにおいても、ヨーク朝からチューダー朝、チューダー朝からスチュアート朝、そこは継承がかわった、そして王朝がかわったということであります。
日本の宮家というものは、男子の皇位継承権者を確保するために複数存在していたわけでありまして、宮家の当主は必ず男性で継承してまいったわけでございます。したがって、女性宮家というものはこれまでの日本に歴史上存在しなかったわけでございます。もし、女性宮家ができ、女性皇族が海外留学し、そこで海外の方と結婚され、その子供が天皇に即位されたなら、そのときから日本の王朝は、その男性の姓をとって、何々王朝、ジャクソンさんが相手ならジャクソン王朝、李さんが相手なら李王朝ということになるわけでございます。
それでは、女性宮家にかわる方策に代替案は何があるのか。私は、旧宮家の皇籍復帰だと考えます。
日本の歴史上、過去にもそうした危機は必ずあったわけでございまして、最大で十親等、二百年までさかのぼったこともあります。そうして日本の天皇の歴史は男系で継承を続けてまいりました。
AIが人類の思考を超えようとしている今、人知を超えた究極の知恵というものは、長い歴史にかえてきた伝統ではないかということを最近私は考えております。
以上をもちまして私の発言を終わります。ありがとうございました。
私はこの朝日の記事で初めて鬼木誠という衆議院議員を知ったのだが、今公式サイトでプロフィールを見てみると、1972年10月生まれの44歳。福岡市出身。九州大学法学部法律学科卒。西日本銀行(現・西日本シティ銀行)勤務を経て、30歳で福岡県議会議員に初当選。同県議を3期務めた後、2012年12月の衆院選で福岡2区から初当選。2014年再選。環境大臣政務官を務めたとある。
福岡2区は、2009年に落選し、その後引退した山崎拓の地盤であった。鬼木氏は山崎派の後身である石原派に属している。
さっき、毎日と読売と日経のサイトで検索してみたが、この「ジャクソン王朝」発言も、鬼木氏が憲法審査会で発言したことも、サイトの記事には見当たらない。
産経のサイトには、「ジャクソン王朝」の言葉はなかったが、同じ自民党の船田元氏が女系天皇、女性宮家の容認論を示したのに対し、
「鬼木誠氏が「女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になる」と反論し、旧宮家の皇籍復帰を主張した。」
とは書かれていた。
一般論としては、
「王朝は男系で継承するというのは世界でも普遍であります。女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になるということであります。」
とは言える。鬼木氏が挙げているイギリスがまさに典型である。
しかし、必ずしも常にそうとは限らない。
ロシア帝国のロマノフ王朝では、イヴァン5世の女系の曾孫イヴァン6世が、短期間ではあるが帝位に就いている。また、その後もピョートル1世(大帝)の女系の孫がピョートル3世として即位している。にもかかわらず、王朝はロマノフ朝のままである。
オランダの王家はオラニエ=ナッサウ家だが、現在のウィレム・アレキサンダー国王の前は、その母ベアトリックス(在位1980-2013)、その母ユリアナ(同1948-1980)、その母ウィルヘルミナ(同1890-1948)と、3代続けて女王だった。しかし、その間王朝名がコロコロ変わったわけではない。
「女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になる」のは、イエは男性が継ぐものであり、女性にその権利はないとされていたからだろう。
だが、ヨーロッパのことはよく知らないが、わが国にはもはやイエ制度はない。
そして、夫婦は結婚に伴いどちらかの姓を名乗るとされている。つまり、家名は男女どちらが受け継いでもかまわない。
ならば、天皇の娘がその父の姓を受け継ぎ、そのいだと考えれば、王朝が変わるということにはならない。
それに、そもそも皇室には姓がない。ないものは変わりようがない。
また、鬼木氏が言う
「女性宮家というものはこれまでの日本に歴史上存在しなかった」
は、正しくない。
仁孝天皇の娘、淑子(すみこ)内親王(1829-1881)が、当主不在となっていた桂宮家を継承した前例がある。
もっともこの内親王は、婚約者の閑院宮愛仁親王が結婚前に死去したため、生涯独身で過ごし、桂宮家を継ぐも、その死去によって同宮家は断絶したのだが。
しかし前例はあるのだから、鬼木氏に限らず、女性宮家反対論者が「歴史上存在しなかった」と説くのはおかしい。
そして、「ジャクソン王朝」「李王朝」云々とは、何が言いたいのか。
そもそもこの女性宮家の議論は、女系天皇を認めるかどうかはさておき、次世代の皇族が悠仁さまを除いて皆女性であることから、従来どおり女性皇族が結婚とともに皇籍を離脱していては悠仁さま以外の皇族がいなくなってしまうため、皇族を維持する手段を検討する必要があったから生じたものだ。女系継承の問題とは直接関係ない。
では仮に、男性皇族が海外留学し、外国人と結婚し、その子供が天皇に即位するのはかまわないのか。憲法にも皇室典範にも、皇族は外国人と結婚してはならないとの定めはない。
外国人と結婚するのが男性皇族であろうが女性皇族であろうが、その子供に外国人の血が入ることに変わりはない。なのに、結婚する皇族が女性なら「違う王朝になる」からダメで、結婚する皇族が男性なら王朝が変わらないからかまわないのか。子供に流れる血に王朝の色が付いているわけでもあるまいに。
英国女王エリザベス2世の夫君、エディンバラ公フィリップ殿下の姓はマウントバッテンである。現在の英国の王朝はウィンザー朝だが、コトバンクで「ウィンザー家」を引くと出てくるブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説には、
《エリザベス2世は 1952年の即位後まもなく,自身の子および子孫をウィンザー姓とする旨を枢密院において宣言した。この決定は 1960年2月8日に改められ,王子・王女の身分および殿下の敬称をもたない子孫の姓はマウントバッテン=ウィンザーとすることになった。》
とある。
ならば、チャールズ皇太子の姓はおそらくマウントバッテン=ウィンザーなのだろう。すると、エリザベス2世の死後は、王朝名はマウントバッテン=ウィンザー朝に変わるのかもしれない。だが、それを問題視する声が英国民から上がっているなどと聞いたこともない。
こんなくだらない議論を重ねて、結局何も変えられないまま無為に時を過ごし、やがて皇族は悠仁さまお一人になってしまうのだろうか。
私は、皇室の方々に決して悪感情は抱いていない。それどころか、素朴な崇敬の念を抱いていると自覚している。
しかし、天皇制という制度が、現代のわが国において必ずしも必要不可欠だとは思わない。前近代ならいざしらず、もはや大衆民主制の世の中には合わない、廃止した方がよいとも思っている。
だが、日本国民の大多数は天皇制の維持を望んでいる。ならば、その障害となっている、わが国古来の伝統でも何でもない、明治の藩閥政府が勝手に決めた皇室典範を変えてみせることぐらいはやってみてはどうかというのが、私の考えである。
その程度のこともなしえないまま、むざむざ皇統を危機にさらすのがわが国民の選択なら、それもやむを得ないことかもしれない。