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「派閥・分派はつくらない」という不思議な言葉-松竹伸幸除名事件を見て(3)

2023-03-05 18:41:02 | 日本共産党
 日本共産党京都府委員会が今年2月6日に発表した「【コメント】松竹伸幸氏の除名処分について」には、

松竹伸幸氏の一連の発言および行動は、党規約の「党内に派閥・分派はつくらない」(第3条4項)、「党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわない」(第5条2項)、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」(第5条5項)という規定を踏みにじる重大な規律違反です。


とある。

 党中央委員会党建設委員会が2022年8月23日付で発表していた「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か 一部の批判にこたえる」には、

  わが党は、党規約で、民主集中制を組織原則としています。「民主」とは、党の方針は民主的な議論をつくして決め、党のすべての指導機関は民主的選挙によってつくられるということです。「集中」とは、決まった方針は、みんなでその実行にあたり、行動の統一をはかることです。これは国民に責任を負う政党ならば当たり前の原則ですが、支配勢力の攻撃をはねのけて社会変革を進める革命政党にとっては、とりわけ重要な原則となっています。
 この組織原則は、「党内に派閥・分派はつくらない」ことと一体のものです。わが党は、派閥・分派がいかに有害なものかを、身をもって体験しています。「50年問題」のさいに、派閥・分派がつくられて党が分裂におちいったことが、党と社会進歩の事業にとっての計り知れない打撃をもたらしました。1960年代以降の旧ソ連や中国の覇権主義的干渉とのたたかいのさいにも、干渉と結びついた内通者によって党に敵対する派閥・分派がつくられ、これを打ち破ることは無法な干渉を打ち破るうえで決定的意義をもつものでした。派閥・分派を認めていたら、現在の日本共産党はかけらも存在していなかったでしょう。


とある。

 「派閥・分派」とは何だろうか。

 派閥というものはある。
 自民党にはいくつかの派閥がある。安倍派、茂木派、麻生派、岸田派、二階派等々。
 55年体制下で野党第1党だった社会党にも派閥があった。河上派、江田派、佐々木派、勝間田派、社会主義協会派等々。
 十数年前に政権を担った民主党には、ゆるやかな連合体であるため派閥とは呼ばれなかったが「グループ」がいくつかあった。鳩山グループ、菅グループ、小沢グループ、前原グループ、野田グループ、横路グループ、川端グループ等々。
 現在の野党第1党である立憲民主党にも、グループあるいは派閥と言われるものがあると聞く。

 企業や官界、学界でも、派閥があると言われることがある。
 しかし、こうした派閥を「分派」とは呼ばない。

 分派とは何だろうか。
 分派とは、ある政治集団内で、正統派あるいは主流派を自任する勢力が、それに従わない勢力を非難するときに用いる用語である。また、そうした集団を外部から見たときに、正統派あるいは主流派とは見なし得ない勢力を指す場合にも用いられる。
 1954年に出版された『政治学事典』(平凡社)には「分派活動」という項目があり、こう書かれている。

分派活動 政治団体とくに政党において、政治的プログラムないし政治的信条を異にするメンバーが、その内部に独自のグループ・ファクションをつくって、その政治団体の主導権をにぎろうとする活動。ことに中央集権制を確立している政党において問題となる。このような分派の発生を防止するには、党内デモクラシーの確立が必要とされるが、急激な経済上、政治上の変動期、たとえば恐慌、戦争の前後などに内部の対立が尖鋭化せしめられて、分派発生の条件がつくられる。討論と説得が失敗した場合、分派問題の解決は、1)党組織の分裂(例、ボリシェヴィキとメンシェヴィキの分裂)、2)粛清、除名、追放などによる組織の純化(例、トロツキスト裁判)によつてもたらされる。〔後略〕


 1964年、日本共産党は、部分的核実験停止条約をわが国が批准することに反対したが、志賀義雄、鈴木市蔵ら一部は批准賛成の立場を採り、神山茂夫と中野重治も彼らに同調し、4人は党を除名され、「日本共産党(日本のこえ)」を結成した(のち神山、中野は離脱)。これは分派である。
 共産党にはほかにも1960年代以降、「日本共産党(マルクス・レーニン主義)」(安斎庫治ら)、「日本共産党(左派)」、「日本共産党(行動派)」といった分派が存在した。
 1950年に党が分裂した際には、「所感派」と「国際派」が互いに相手を「分派」と呼んで争った。

 自民党では、1976年に、河野洋平らが 政治の刷新を掲げ、自民党を離党して、「新自由クラブ」という新党を結成した。しかし、これを分派とは言わない(彼らは国政政党の座を維持したが、支持を伸ばすことができず、結局10年後に自民党に合流した)。
 また、1993年から94年にかけて、自民党から新生党(小沢一郎、羽田孜ら)、新党さきがけ(武村正義、鳩山由紀夫ら)、自由党(柿沢弘治ら)、新党みらい(鹿野道彦ら)といった新党が生まれた。彼らの中には後に自民党に戻った者もいれば戻らなかった者もいたが、これらの新党も分派とは言わない。
 社会党からは、民社党や社会民主連合といった新党が分裂したが、これも分派とは言わない(ものを知らない人の中にはそう呼ぶ者もいるが)。
 民主党からも、新党きづな、国民の生活が第一、みどりの風といった新党が分裂したが、これもまた分派とは言わない。
 彼らは、元の党における正統性を主張したのではなく、単に離脱して別の政党を結成したにすぎないからである。

 「・」という記号は、同格のものを並記するときに用いられる。
 日本共産党は、綱領で、「社会主義・共産主義」という言葉を用いている。「共産主義」という用語を単独で用いている箇所はない。
 何故なら、以前取り上げたように、現在の共産党の見解では、「社会主義」と「共産主義」は、同じ意味だからだそうである。

 ということは、「派閥・分派」という党規約の表現は、「派閥」と「分派」は同じものだと日本共産党が考えているということを示している。

 しかし、一般的な理解では、「派閥」と「分派」は同じものではない。

 「分派はつくらない」というのは、当たり前のことである。分派を公認している政党など聞いたことがない。
 何故なら、分派とは、党の統一を乱し、党の利益を阻害する、反党行為だからである。

 自民党には、「自由民主党規律規約」というものがある。
 その第9条には「党員が次の各号のいずれかの行為をしたときには、処分を行う。」とあり、その各号の一(ハ)に
「党内において国会議員を主たる構成員とし、党の団結を阻害するような政治結社をつくる行為」
とある。これは分派のことである。
 
 立憲民主党にも「立憲民主党倫理規則」があり、


第2条
1.本党に所属する党員は、次の各号に該当する倫理に関する規範(以下「倫理規範」という)を遵守しなければならない。
一 選挙関係法令違反、政治資金関係法令違反等の政治倫理に反する行為を行わないこと
二 大会、両院議員総会、常任幹事会等の党の重要決定に反する行為を行う等、党の名誉及び信頼を傷つける行為を行わないこと
三 選挙又は議会において他政党を利する行為、党の結束を乱す行為等を行わないこと。
〔後略〕


とされている。

 しかし、これらの党は派閥やグループの存在を禁止してはいないし、現にそれらが存在していることは、先に述べたとおりである。

 「分派」を「派閥」と同一視し、党分裂の教訓から、「派閥」すら許さないと唱える政党は、わが国では日本共産党ぐらいのものである。
 (公明党にも派閥は存在しないが、公明党は民主集中制を採用すると公言してはいない)。

 かつて、自民党で、派閥抗争が著しい頃、「派閥解消」が叫ばれたことがあった。
 しかし、1990年代に小選挙区制が導入されると、派閥の力は衰え、その弊害が指摘されることもなくなった。
 こんにち、自民党や立憲民主党において派閥が「いかに有害なものか」を指摘する声は聞かない。
 党首選に複数の候補者が並び立つ光景は、むしろ党内の自由や多様性の現れとして、好意的に評価されているのではないか。

 民主主義革命を目指し、さらに「社会主義・共産主義の社会」を目指す日本共産党が、「支配勢力の攻撃」に耐え抜くため、レーニンに由来する民主集中制の原理を堅持するのは、彼らの自由だ。
 しかし、党外の国民が、そうした彼らが唱える「民主」に疑念をもち続けるのも、また当然のことだろう。



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