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民主集中制は50年問題の教訓ではない-松竹伸幸除名事件を見て(1)

2023-02-28 17:08:47 | 日本共産党
 日本共産党員である松竹伸幸氏が今年1月に党首公選制を求める著書を出版し、除名された件で、こんなツイートを見かけた。



《日本共産党の痛苦の「50年問題」での総括から生まれた教訓。民主集中制と集団指導の原則があったからこそ、今の共産党がある。進化し続ける自主独立の「綱領」路線と、派閥・分派を許さず、意思統一を重視し国民に責任ある対応の党。それが日本共産党だろう。

少しは学べ!
午後11:06 · 2023年1月30日》

 また、こんなツイートも。



《共産が党首公選制主張の党員を除名へ 規約違反の「分派」と判断 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230205/k00/00m/010/223000c 分派禁止は50年代問題を踏まえての反省から来たもの、民主集中制を理解しなければいけない。民主集中制とは民主的なみんなの意見、力を集中させること。個人の独裁ではない。
午前7:30 · 2023年2月6日》

 何だか民主集中制が50年問題の教訓として生み出されたかのような理解をしているように読めるのだが。

 不審に思って調べてみたら、どうも日本共産党自身がそういう発言をしていることがわかった。



《日本共産党(公式)
@jcp_cc
これは、私たちが旧ソ連などからの干渉によって不幸な分裂におちいった「50年問題」からの歴史的教訓のひとつです。

日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か 一部の批判にこたえる|日本共産党中央委員会 https://jcp.or.jp/web_jcp/html/kanbu.html
午後4:56 · 2022年8月25日》



《日本共産党印旛地区委員会
@inbatikuiinkai
民主集中制を含む日本共産党の規約は100年の歴史の教訓です。外国の共産党の干渉で分裂の危機に陥った、そこから「いかなる外国勢力の干渉も許さない自主独立の立場(略)民主集中制と集団指導の原則を貫く」ことにしたのです。
「50年問題」
https://jcp-osaka.jp/pages/100th_monogatari/025-2
午後1:10 · 2023年2月7日》

 しかし、それはおかしい。
 50年問題と分派についての考え方もおかしいが(おって述べる)、そもそも民主集中制は50年問題を契機に日本共産党が独自に採用したものではない。
 民主集中制とはレーニンに由来する世界各国の共産党の組織原理である。

 1917年にロシア革命が成功した後、世界各国に共産党を名乗る政治党派が生まれたが、これらは、マルクス主義やロシア革命に共鳴する各国の共産主義者がそれぞれ独自に結成したものではない。
 1919年、レーニンは、共産主義運動の国際組織としてコミンテルン(共産主義インターナショナル)を創設した。
 1920年、第2回コミンテルン大会は、コミンテルンへの加入を希望する各国の党派に対して、21箇条の加入条件を定めた。
 この条件を受け入れた組織を結成し、そのコミンテルンへの加入が承認されることにより、各国に共産党が成立したのである。
 その21箇条の中に、次のような条件がある。

一二 共産主義インタナショナル加盟の各党は、「民主的中央集権」の原則によって、つくられなければならない。はげしい内乱の現段階で、共産党が自己の義務をやりとげることができるのは、その組織がもっとも中央集権化され、鉄の規律が支配し、党中央が、党員の信頼に支えられて、力と権威を保持し、はば広い全権をもっている場合だけである。(『日本共産党綱領集』新日本出版社、1957、p.10)


 日本共産党が結党以来民主集中制を採用しているのは、この条件に由来する。50年問題は関係ない。
 戦前の党幹部、市川正一(敗戦前の1945年に獄死)の公判陳述に基づき、1932年に非合法出版された『日本共産党闘争小史』にはこうある。

 コミンテルンの指導者と日本の当時の共産主義的な指導者との会議によって日本共産党は一九二二年七月に組織され、同年十一月のコミンテルン第4回世界大会に代表が出席して党の成立を報告し、はじめて正式にコミンテルン日本支部日本共産党としてみとめられた。〔中略〕コミンテルンの第二回大会において可決されたコミンテルン規約ならびに二十一ヶ条の加盟条件、そのほかプロレタリア独裁にかんする指導原理を日本共産党がコミンテルンの一支部として当然承認し、これを日本共産党の根本原理として採用したわけである。〔中略〕
 日本共産党とコミンテルンとの組織的な関係についてはコミンテルン規約につぎのごとく規定している。
「コミンテルンは資本主義の廃絶と共産主義の建設とのために闘争する労働者団体が厳格に集中的な組織をもたねばならぬことを知っている。またコミンテルンは真実に全世界の統一的共産党でなければならぬ。あらゆる国々で活動している諸共産党はたんにコミンテルンの個々の支部にほかならぬ。」
 この集中的な統一的な全世界党としての国際共産党の不可分の一構成要素として日本共産党は組織され、コミンテルンに加盟した。これがコミンテルンと日本共産党との組織的関係の根幹である。〔中略〕
 コミンテルン二十一ヶ条の加盟条件はとくにレーニンが直接起草した厳格なものであり、プロレタリアートにとって歴史的なものである。(市川正一『日本共産党闘争小史』大月書店(国民文庫)、1954、p.64-65)


 結党以来、民主集中制が採用されていたにもかかわらず、50年分裂が生じたのだ。
 したがって、50年問題の教訓として民主集中制が必要だなどという論理は成り立たない。

続く



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