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日々の思いをたまに綴るブログ。

満洲事変は侵略ではないのか(1) 満洲は中国でないか(前)

2008-11-25 23:23:09 | 日本近現代史
 以前の記事でも取り上げたことだが、私が田母神論文がらみで無宗ださんの記事を

また、他国の軍閥の首領を爆殺することや、破壊活動を自作自演して軍を進めて傀儡国家を樹立することは、「当時の価値観」によっても反省すべきことではないだろうか。つまり、「当時の価値観」によってもわが国は侵略国家だと言い得るのではないだろうか。

と批判したのに対し、無宗ださんは、

>1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言わ
れてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日
本軍がやったとは断定できなくなった。

と論文のp2に書かれているのだが、これに関する言及はなかった。
まあ、所詮、「ざっと目を通した。」だけの人なのだろう。

と応じている。

 「他国の軍閥の首領を爆殺すること」つまり張作霖爆殺事件にはソ連犯行説で対抗できるというのだが、「破壊活動を自作自演して軍を進めて傀儡国家を樹立すること」つまり満洲事変については、何の言及もなかった。
 無宗ださんは、満洲事変についてどう考えているのだろうか。

 無宗ださんのブログの記事「日本は侵略国家であったのか」での2008/11/8(土) 午前 11:41のコメントで、馬太郎さんという方が次のように述べている。

でもさ、たとえば侵略っていうけれど、清国って
満州民族が漢民族を侵略していた国なんだよね。

 無宗ださんにはこれに対して、2008/11/9(日) 午前 10:26のコメントで、

そうそう。
万里の長城は、そこを区切っていたんですよね。
満州は、もともと中国ではなかった。

と応じている。

 また、最近の記事「侵略国家」というレッテル」のコメント欄では、無宗ださんは、他の方のコメントに対し、

>台湾と朝鮮は日本の植民地で中国を植民地化しようとしました

うーん。
植民地という言葉でいっしょくたにしてしまうこと
満州も中国と考えることにちょっと抵抗があります。

と述べている。

 無宗ださんは、満洲は中国ではないという説をもって、満洲事変は侵略であるとの主張に対抗できると考えているのだろうか。

 無宗ださんの真意はよくわからないが、満洲は歴史的に中国ではない、だから中国が満洲事変を侵略と非難するのは筋違いだといった主張は、例えば渡部昇一など、右派の論客にしばしば見られるものである。
 実はこれは、戦前にも石原完爾などが満洲領有の根拠として主張していたものだ。

 現代でも大東亜戦争肯定論者が時々この種の主張をするのを目にすることがああるが、以下に述べるような理由で、私はこの説に反対である。
 ちょっと、この機会に書き留めておきたい。

 まず、満洲事変当時、満洲の住民の大多数は漢民族だったということを無視しているということ。

 満洲がもともと満洲民族の居住地であり、中国の漢民族の王朝がその地を支配したことはなかったというのは歴史的な事実だ。
 だからといって、満洲事変当時、満洲の住民の大半が満洲民族だったわけではない。
 清朝末期には満洲への漢民族の流入が始まっており、中華民国となってからその流れはさらに高まり、満洲国建国当時、住民の大多数は漢民族だったという。
 
 この点については、大杉一雄(1925-)による次のような簡明な解説があるので、引用する。


 日本が「満州国」という国家を独立せしめ、つづいて清朝最後の皇帝を擁立したので、満州国は満州族――漢民族とは異なる南方ツングース族――が大多数を占める民族国家として建設された、すなわち民族自決主義に基づき独立したと理解されがちである。しかしそれはまったくの誤りである。当時満州の人口は約三千万といわれたが、その九割、二千七百万弱は漢民族であり、満州族は二百万たらず、その他、朝鮮民族百万、日本人二十万、ロシア系十万で、満州族は一割にも満たなかった。これは戦前の資料によるが、戦後の研究では「漢民族に対抗すべき満州族はすでに存在しなかった。ただ同系統のものが、満州の奥地で、小さな集団をつくって狩猟をしていただけである」(平凡社『世界大百科事典』一九八五年度版、旗田巍「満州族」)といわれている。
 なぜこのようになったかというと、まず第一に満州族は彼らが中国本土に進出して清朝を開いてから、民族移動を行って満州を去って漢民族と同化し、彼ら固有の言語、文字は忘れ去られ、弁髪を強制したことはあるものの、独自の風俗は消滅していった。空洞化した満州の地は他民族の流入が禁止された時代が一時続いたが、その後やがて漢民族の流入が始まった。中華民国となってから、とくに一九二七年以降、山東省をはじめとして河南・河北省などから、年百万を超えたこともあるほどの人口移動が行われ、満州の地には漢民族が充満することとなってしまった。すなわち満州とはたんに地名を意味するようになり、そこには満州族は存在しなくなっていた。満州はすでに漢民族の土地であって、満州族の住むところではなかったのである。
 ただし満州がかつて満州族の土地であり、漢民族の支配が及びにくかった「化外」の地であったことは確かであった。(大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書、1996)p.105~106(注)

満州国は満州族の「民族自決」で建設されたのではなかった。まさに満州族不在の「偽国家」であった。このことは戦前満州に住んでいた日本人には分かっていたことなのだが、そうでない人々には必ずしも認識されておらず、誤解もされてきたようなので、あえてふれた次第である。(同書p.107)

 渡部昇一編『全文 リットン報告書』(ビジネス社、2006)を立ち読みしてみると、渡部による解説には、やはり歴史的に満洲はシナではないとの主張があるが、当時の住民の大多数が漢民族だったという点については触れていない。

 2002年8月18日に放送された「サンデープロジェクト」で、田原総一朗が高市早苗に対して、満洲事変以後の戦争は自存自衛の戦争だと思うかと尋ね、高市がそれを肯定したのに対し、満洲事変は明らかに侵略戦争だなどと述べて批判したことがあった。これについて『諸君!』同年11月号に「「サンデープロジェクト」田原氏 「満洲事変以後は侵略戦争」のウソっぱち」と題する岡崎久彦と渡部昇一の対談が掲載された。ここでも渡部は同様の持論を展開しているが、やはり当時の住民の大多数が漢民族だったという点については触れていない。

 この点に触れずに、ただ歴史的に満洲はシナではなかったと述べることで、当時の満洲の住民の多くは満洲民族であり、満洲国建国は彼らによる自決権の現れであったかのような印象を与える渡部らの態度はアンフェアであろう。

続く

注 「十五年戦争」という用語に抵抗を覚える方もおられるかと思うが、大杉自身はこの「十五年戦争」の用語に否定的である。副題は「なぜ戦争は長期化したか」。平和への努力は何故実を結ばなかったのかという視点から、満洲事変から日中戦争への歴史の見直しを試みている。私は良書だと思う。現在、講談社学術文庫でも『日中戦争への道 満蒙華北問題と衝突への分岐点』と改題されて出版されている。タイトルとしてはこちらの方がふさわしいだろう。


「友のごときもの」すらなき者でも

2008-11-24 23:04:48 | 事件・犯罪・裁判・司法
小泉容疑者の父、「私の命をささげたいくらい」と謝罪(読売新聞) - goo ニュース

「小泉毅」近所でトラブル 「みんな怖がっていた」(朝日新聞) - goo ニュース

 小泉毅が出頭前に10年ぶりに父親に電話をしていたという報道、また同じく出頭前に、それほど親しいわけでもない階下の住人に「いらないものがあるから」とアダルトDVDを渡していたとの報道に接して、昔、山本夏彦が梅川昭美について次のように述べていたことを思い出した。


 彼は流行の本を小脇にかかえて、このマンションの一階にあるスナックに出没しました。これも私たちがよくすることです。彼のいわゆる友人はこのスナックのマスターと、ここで知り合った何人かで、彼らは麻雀友だちだったようです。そして二十七日、犯人は机のかげでひそかにダイヤルを回して彼らに、また金を借りた相手に電話をかけています。してみると彼は手帳を持っていたことが分ります。犯人は死ぬ覚悟で、だれかに別れを告げたくて電話をかけたのです。
 お察しのとおり私はこの男を哀れに思っています。電話をかける友だちを持たぬ彼に現代人を見ています。むかしから船の中の友は友でないと言います。船の中で知合になっても、船を降りたらもう友でないこと、汽車の中の友が友でないがごとしです。以前はバーやキャバレで知合になった人とは名刺を交換しませんでした。談笑してもそれはバーやキャバレのなかだけのことで、その人を白昼訪ねませんでした。〔中略〕
 スナックのマスターやそこで知り合った麻雀友だちは、やはり友ではありません。思いがけず梅川から電話をもらったマスターは声をのんだことでしょう。「ま、がんばってしっかりやれや」と犯人に言われて、返す言葉がなかったことでしょう。
 梅川はこの期に及んで、借金を返そうとしています。ドロボーや人殺しをして奪った金で借金を返すなんて前代未聞のことで、ドロボーの風上におけないと、本もののドロボーなら笑うでしょう。
 これによってみると、彼は借りたものは返さなければならぬと思っているようです。親孝行もしなければならぬと思っているようです。四国の母親を訪ねると、マスターに土産を持って帰ったと言います。旅すれば必ず土産を持参するという習慣――ずいぶん多くの習慣が滅びましたが、これだけは滅びない習慣――梅川はこの土産を持参する相手がなくて、スナックのマスターに持参したのです。
 彼は人質の中の片親の子と子連れの客をいたわっています。律儀で親切なところがあると言わなければなりません。ただ頭の一個所がこわれているだけです。
(山本夏彦「友のごときもの」――『つかぬことを言う』(中公文庫、1987)より)


 彼は、麻雀仲間的な存在すらも持たなかったのだろうか。

 それでも、人は何らかのかたちで自分を社会に認知させたいと思うものらしい。


「東京裁判史観」の「呪縛」とは

2008-11-21 22:30:05 | 日本近現代史
 日本経済新聞が今年の9月から11月にかけて「判決60年 文書にみる東京裁判」という連載記事を載せていた。
 私は日経は購読していないのであまり読む機会はなかったが、たまに見るとなかなか興味深い内容ではあった。
 国立公文書館が所蔵する東京裁判の裁判記録の整理とマイクロフィルム化を完了したことを受けての企画なのだという。
 是非とも単行本化していただきたいものだ。

 今月12日付け日経朝刊には、その連載の最終回として、井上亮編集委員による総括的な記事が掲載されている。
 その中に、昨今の田母神騒動がらみで、我が意を得たりと思える箇所があったので、紹介したい。


 たしかに、歴史上前例のないナチスの犯罪を裁くためのニュルンベルク裁判で〝創設〟された「平和に対する罪」「共同謀議」という鋳型を無理やり日本に当てはめた裁判であった。しかし、この裁判は本当に日本人の近現代史観を縛ってきたのだろうか。
 満州事変の謀略や数々の虐殺事件など、日本人が知らされていなかった事実が明らかになった一方、張作霖爆殺事件から一貫した軍閥の侵略謀議があったとしたり、日ソ中立条約の背景に日本の侵略意図があったとするなど無理のある歴史解釈がみられる。ただ、戦後の昭和史研究でそれらは否定されており、現在、裁判の史観を丸ごと受け入れている日本人はほとんどいないだろう。

東京裁判を全否定することで、戦前の日本の全肯定につなげようとする極端な論がある。これは裁判を利用した「裏返しの東京裁判史観」にほかならない。裁判を否定しても歴史は変わらない。それよりも歴史解明の材料の一つとして、冷静に見つめていくべきではないだろうか。
〔太字は引用者による〕


 そのとおりだと思う。
 わが国の侵略性を認めることは、必ずしも東京裁判を無条件で肯定することを意味しないはずだが、昨日取り上げた産経の社説に見られるように、侵略と認めることが即東京裁判史観であるという決めつけが保守論壇の一部で目立っている。
 これは、いわゆるレッテル貼りであり、反論封じの手法である。
 「裏返しの東京裁判史観」とは言い得て妙だ。私も使わせてもらおうかな。

 

かくて歴史は偽造(つく)られる

2008-11-20 07:50:10 | 日本近現代史
 少し前、今月11日付け産経新聞の「主張」(他紙の社説に相当)「東京裁判60年 歴史観の呪縛から脱却を」(ウェブ魚拓)を読んでいて、次の箇所に引っかかりを覚えた。


歴代内閣も、この歴史観に縛られてきた。昭和63年、当時の奥野誠亮国土庁長官が「盧溝橋事件は偶発だった」などと発言したことに中韓両国が反発し、奥野長官は辞任した。平成6年、永野茂門法相は「南京大虐殺はでっち上げ」と発言し、辞任している。



 はて、奥野誠亮は、「盧溝橋事件は偶発だった」との発言が問題視されて辞任したのだろうか。
 「盧溝橋事件は偶発だった」とは、当時も今も、わが国ではごく一般的な認識ではないだろうか。
 (田母神論文が主張していたように、中国共産党による謀略説もあるにはあるが、一般には根拠不十分とされている)
 中国では、盧溝橋事件もまた柳条湖事件と同様にわが国の謀略であると認識されているのかもしれない。
 しかし、わが国が中国側の認識を無条件に受け入れて、わが国で一般的な認識を述べただけで閣僚を辞任させるなど、にわかには信じがたいことだ。

 ネットで奥野発言の要旨を探してみたが、見当たらない。
 ネットは確かに便利なのだが、こうした過去の資料を探す場合には、意外に役に立たないことが多いなあ。
 それとも私の探し方が悪いのか?

 手元にあった保阪正康『戦後政治家暴言録』(中公新書ラクレ、2005)にはこうある。


やはり奥野国土庁長官が昭和六三(一九八八)年四月二二日、靖国神社参拝について、新聞記者から問われるままに、「靖国神社参拝に中国や韓国が口を挟むのはおかしい。私は中国の悪口を言うつもりはないけれども、トウ小平氏の言動に国民が振り回されているのは残念ですよ」と答え、一部の新聞で暴言として報じられている。とくに「トウ小平氏の言動に振り回されているのは残念」という当時の中国の最高指導者を名ざししての発言は、中国側から強い批判を浴びた。韓国もまた「侵略を正当化するものだ」と批判を浴びせた。
 翌月の九日、奥野は国会で「日中戦争は偶発的な戦争であり、侵略の意思はなかった」と発言して、暴言の上に暴言を重ね、失言の上に失言を重ねる状態になった。こうした一連の発言によって、このときも〔引用者注:鈴木内閣での法相時代に自主憲法制定が望ましいと国会答弁し、内閣改造で更迭されたのに続き〕奥野は大臣のポストを解任されている。〔太字は引用者による〕



 おそらく、発言内容と解任の経緯は大体こういうことだったのではないか。
 「主張」には、

>「盧溝橋事件は偶発だった」などと発言した

とあるから、奥野の発言の中には確かに「盧溝橋事件は偶発だった」という箇所があったのかもしれない。だが、それだけなら、外交問題にまで発展し、さらには辞任を強要されることはなかったのではないか。
 しかし、「日中戦争は偶発的な戦争であり、侵略の意思はなかった」、これなら中国側の反発は理解できるし、国内で問題になったこともまた理解できる。

 また、この5月9日の発言だけでなく、4月22日の発言が既に問題視されており、それと合わせての解任だったことがわかる。

 だが、産経の「主張」のみを読んだ者には、そうした事情はわからないから、

 奥野氏は「盧溝橋事件は偶発だった」と述べたことが原因で辞任させられたのか。
 事実を述べただけで辞任とは、中国はケシカラン国だ!
 また、それを受け入れるわが国は、東京裁判史観に毒されている!

と、まんまと乗せられる者も出てくることだろう。

 こうして歴史は偽造されてゆく。

関連記事


Re:日本語感覚・日本語解釈(後編)

2008-11-19 01:04:56 | ブログ見聞録
承前

(4)張作霖爆殺ソ連犯行説と「上から目線」について

>私に対して「率直に言って、失望しました。」などといった上から目線の記事をTBしてきた人物だ

 失望したら、「上から目線」ですか。

 すると当然、以前の「ダメダメ」とかも「上から目線」なんでしょうね。

 失望したり批判したりすることは、必ずしも上から見ているわけではないと思いますが、そうでない人にはわからないのでしょうね。
 きっと無宗ださんは、人を批判するときには自分より下に見ているのでしょうね。

 本来断るまでもないと思うのだが、私は無宗ださんと対等な人間だと思っています。


>なんで、あそこで一言書いっておかなかったの?

 それはね、何よりも、もう零時を回っていて、眠たかったから。
 (今も眠いけど)
 いちいち細かいことにまで言及している時間的余裕がなかったから。
 また、それほどの労力を注ぐべき対象であるとも思わなかったから。
 私にとってソ連犯行説が論ずるに足らないものであることはわかりきっていたことだったので。

 それでね。
 無宗ださんがソ連犯行説について触れた私の以前の記事を知らないのは当然有り得ることですから、私はそれを責めるつもりなど全くありません。
 そして、何故田母神がソ連犯行説を主張しているのに、深沢はそれを無視しているのだろうかと疑問に思われたのも当然のことだと思います。
 しかし、無宗ださんはそこですぐ、

ああ、コイツは「ざっと目を通した」と書いているから、本当に読み飛ばしているんだ。
あるいは、読んでいるけれども、敢えて無視しているのかもしれない。
いいかげんなヤツだなあ。


と考えて、

>一生懸命、汗や泥にまみれるのはダサい、、
斜に構えて(無責任な)批判をするのがカッコいい
と勘違いしている人

と書いたわけでしょう。

当然触れるべき所を敢えて触れていない。
何故だろう?
もしかすると、敢えて触れるまでもないほど、ソ連犯行説とは根拠のない話なのか?


とは考えない。
 頭から、人をバカにしてかかっているわけです。

 これは、知識不足というような問題ではありません。
 人と接する時の姿勢の問題でしょう。

 「上から目線」とは、本来こういうことを言うのではないかと私は思います。


Re:日本語感覚・日本語解釈(前編)

2008-11-18 23:59:18 | ブログ見聞録
 無宗ださんからトラバいただいた記事「日本語感覚・日本語解釈(1)」「日本語感覚・日本語解釈(2)」の感想。


(1)侵略か自存自衛か

 無宗ださんは、わが国は侵略などしていないと言うのかと思ったら、「侵略的行為をしたかもしれない」が「侵略国家」ではないと言う。
 何故なら、「侵略国家」とは、「(国家戦略として)侵略戦争を行う国家」を指し、「侵略戦争」とは「侵略を目的とした戦争」であるが、わが国は「侵略的行為をしたかもしれない」が「侵略戦争はしていない」、「自存自衛の戦争を行った」からだと。
 「したがって「日本は侵略国家であった」との命題は承認できない」と。

 戦争の過程で侵略的行為(どういう行為を指すのだろう?)はあったかもしれないが、戦争の目的としては侵略ではなく自存自衛だと言いたいらしい。
 自存自衛の戦争というのは当時のわが国の主張そのままなのだが、果たして、侵略戦争であることと自存自衛の戦争であることは両立しないのか?

 私は、当時ブロック経済化が進む中、わが国は満洲に活路を求めるしかなかったという主張には一理あると思う。
 しかし、だからといって、張作霖爆殺や満洲国建国を正当化できるのか?
 相手方から見れば侵略と言われるのが当然ではないのか?

 自存自衛と言うなら、欧米のアジア・アフリカ侵略もまた同様のことが言えるのではないか。
 ナチス・ドイツも「生存圏(レーベンスラウム)」を主張して周辺諸国への侵略を正当化していた。

 自存自衛という言葉本来の意味からすれば、むしろ蒋介石や毛沢東の抗日戦こそがその名にふさわしいのではないか。

 私は、わが国から見れば自存自衛のためという要素はあったが、相手方から見れば、また第三者から見ても、侵略戦争であったと考える。


(2)「侵略国家」という呼称について

 無宗ださんは、「侵略国家」とは、「単に侵略行為を行った国家という事実のみを表す言葉」ではなく、「(国家戦略として)侵略戦争を行う国家」を指すものであり、承服できないとする。

 私は、田母神論文の言う「侵略国家」とは、文字どおり、単に侵略を行った国家という意味にとっている。

 無宗ださんが言う「「日本は侵略国家であった」との命題」とは、誰が誰に対して主張しているものなのだろうか。

 無宗ださんのブログのコメント欄でも述べたことだが、田母神論文以前には「侵略国家」なる用語はほとんど使われていなかった。
 まれに使われることもあったが、それはわが国の侵略を否定する側に立つ者によるものだった。
 無宗ださんが「侵略国家」というレッテルを拒否するというのなら、それはまず、田母神らに対して言うべきであろう。
 自作自演、マッチポンプではないだろうか。


(3)悪ではないとの主張について

 無宗ださんは唐突にこんなことを言い出す。


>しかし、倫理的に悪だったから戦争に負けたわけではない。
戦争に負けた側が倫理的に悪で、
戦争に勝った側が倫理的に善・正義であるわけではないのだ。

>戦争の勝敗によって、善悪が決まるといった見方は承認できない。


 そんなことは当たり前だ。
 誰がそんなことを言っているのだろう。

 おそらく、戦前日本は倫理的に悪だったわけではないと言いたいのだろう。
 たしかに、中国や韓国、北朝鮮にはそのような主張があるとは聞く。
 また、国民の一部にもそういう声があるように思う。
 しかし、今回田母神論文を批判する者の大多数は、決してそのような観点から批判しているのではないだろう。

 私は先に、わが国の戦争を侵略戦争と考えると述べたが、別に倫理的にわが国が他国に比べて劣っていたとは思わない。
 もちろん、倫理的に悪だったから戦争に負けたなどとも思わない。
 そもそも歴史や政治の解釈に善悪といった概念を持ち出すこと自体、不適切なことだと思う。

 無宗ださんは、物事を善悪で裁くのがお好きらしい。
 そして自分は、何としてでも「悪」とは呼ばれたくないらしい。
 しかし、侵略は「悪」だと無宗ださんは思う。
 だから、「悪」と呼ばれることは何としてでも認めるわけにはいかない。

 結論が先にあって、それに合わせて自説を形成しているわけだ。

 だから私は以前の記事でこう書いた。

 私などは、わが国は侵略をしたが、欧米列強もまた侵略をしたということでいいのではないかと思うし、わが国に誇りが持てるかどうかとはそんなこととは全く関係ないと思うのだが、どうもそういうふうには考えたくない人々がいるらしい。
 とにかく自国の非を認めるべきではない、自国は無謬でなければならないということらしい。
 これは理屈ではない。宗教じみている。
 だから、陰謀論と被害者史観で事足れりとしてしまうのだろう。
 なるほど、彼らの主張への違和感の原因がようやくわかった気がする。


 これは何も、無宗ださん個人を指しているのではない。
 田母神論文みたいなものを安易に肯定する人々が前から私は不思議だったのだが、

>自分は侵略国家の国民であるという意識を抱いて、人は自国に誇りを持てるものなのか?

↑無宗ださんのこの文章を見て、ようやくわかった気がしたのだ。

 普通は、まず侵略したかどうか、その事実があったかどうかを問題にすると思うのだが、こういう人々はそうではない。
 まず、誇りを持つべきである、という前提がある。
 そのためには、侵略を認めてはならない。
 そのためには、侵略否定に都合のいい事実ばかりをつなぎ合わせ、陰謀論にも依拠しよう。都合の悪い事実は無視しよう。自国に誇りを持つことは正しいのだから。

 こういう思考法なのだろうと。

>どこから、こういった決め付けが行われるのかが私には理解できない。

 こう書けば理解できますか? 無宗ださん。


続く

田母神論文への反応に対していくつか思ったこと(2)

2008-11-16 00:31:06 | 「保守」系言説への疑問
(3)軍部の独走への無反省

 田母神更迭の理由は、政府見解(村山談話)に反するからということのようだ。
 しかし、田母神論文の最大の問題点は、単にわが国による侵略を否定したことではなく、軍人でありながら、旧日本軍のありように対して全く批判的な視点が見られないことにあると私は思う。
 例えば、田母神は満洲国を肯定的に評価するが、わが国は国策として満洲事変を起こし、満洲国を建国したのだろうか。
 違うだろう。石原完爾ら関東軍の独走によるものだろう。
 ロンドン軍縮会議のころから軍人が露骨に政治に容喙するようになってきた。五・一五事件で政党内閣は終焉を迎え、二・ニ六事件後には軍部大臣現役武官制が復活し、陸軍が内閣の生殺与奪を握るようになった。端的に言って、陸軍が国政を牛耳るようになっていった。
 日中戦争にしても、出先が中央の指示に服さずにドンドン進んでいってしまうという面があったと聞く。
 私は、軍部が戦争に引きずり込んだ、だから国民は被害者だなどと言うつもりはない。政治家や官僚にもそれに同調する者はいたのだし、総体的に見れば、国民もまたそれを支持していたとも思えるからだ。
 しかし、昭和前期において、政治的軍人が国政に大きな役割を果たしていたのもまた事実だろう。
 軍人勅諭で軍人の政治への介入は禁じられていたにもかかわらず。
 田母神がこの点についてどう考えているのか、論文には明記されていない。しかし、戦前日本を全肯定するその姿勢からは、さして問題があるとは考えていないであろうことは容易に想像がつく。
 だとすれば、朝日社説のような、文民統制を危惧する見解が出てくるのもまたやむを得ないだろう。


(4)栗栖発言との差異

 田母神論文にまつわる騒動について、1978年の栗栖弘臣倒幕議長の「超法規的」発言との類似性を指摘する声がある。

 小堀桂一郎は11月6日付け産経新聞「正論」欄で、次のように述べている。

1日付の本紙は、歴史認識についての発言が政府の忌諱(きき)にふれて辞任を余儀なくされた、昭和61年の藤尾氏、63年の奥野氏を始めとする5人の閣僚の名を一覧表として出してをり、これも問題を考へるによい材料であるが、筆者が直ちに思ひ出したのは昭和53年の栗栖統幕議長の更迭事件である。

 現在の日本の憲法体制では一朝有事の際には「超法規的」に対処するより他にない、といふのが、国家防衛の現実の最高責任者であつた栗栖氏の見解で、それはどう考へても客観的な真実だつた。栗栖氏は「ほんたう」の事を口にした故にその地位を去らねばならなかつた。その意味で今回の田母神空幕長の直接の先例である。


 産経新聞の元政治部長であり現在は客員編集委員を務め、田母神論文の審査委員も務めた花岡信昭も、産経紙上で同様のことを述べている

田母神氏は「第2の栗栖」として歴史に残ることになった。統幕議長だった栗栖弘臣氏は昭和53年、自衛隊法の欠陥をついた「超法規発言」で更迭された。25年後の平成15年、武力攻撃事態対処法が成立した。栗栖氏はこれを見届け、その翌年に84歳で死去している。
 

 私は栗栖事件の詳細は知らないので多くは語らない。
 ただ、当時自衛隊法にそうした不備があったことは事実だろう。
 そういう意味では、「「ほんたう」の事を口にした」と言えるだろう。

 翻って田母神論文は、果たして「「ほんたう」の事を口にした」と言えるだろうか。
 今、この時期に、空幕長の地位にある者が、懸賞論文などという手段で(普通、懸賞論文とは、社会的に無名の者が応募するものだろう。少なくとも、空幕長クラスの人物が応募するにふさわしいとは思えない)表現するにふさわしい内容だっだろうか。

 栗栖発言にはまだしも意義があったと思う。しかし、田母神論文には何の意義があるのだろうか。
 この2つを同列視できる小堀や花岡はどうかしている。

 

りんごのひとりごと

2008-11-15 00:44:14 | 未整理
 「りんごのひとりごと」という童謡を初めて聴く。

 そして思う。

 これは、東北あたりから花街に売られた少女を描いた歌ではないのだろうか。

 …………。

 という話を妻にしたら、

 一笑に付されてしまった。

 ……そうかなあ。


 歌詞がこちらのサイトに。
 昭和14年に作詞され、15年に作曲されてレコードが発売されたという。


一、
  わたしはまっかな リンゴです
  お国は寒い 北の国
  リンゴ畑の 晴れた日に
  箱につめられ 汽車ポッポ
  町の市場へ つきました
   リンゴ リンゴ リンゴ
   リンゴかわいい ひとりごと
二、
  果物店の おじさんに
  お顔をきれいに みがかれて
  みんな並んだ お店さき
  青いお空を 見るたびに
  リンゴ畑を 思いだす
   リンゴ リンゴ リンゴ
   リンゴかわいい ひとりごと


(3番もあるが私が聴いたのは2番まで)


 ネットで検索したら、可愛らしい歌だという評価があったが、私にはひどく物悲しく、そして諦念に満ちているように聞こえた。



田母神論文への反応に対していくつか思ったこと(1)

2008-11-14 08:31:52 | 「保守」系言説への疑問
(1)言論の自由との主張について――自衛官はロボットでよい

 田母神論文への批判に対して、自衛官には思想・表現の自由はないのかとの反論が見られた。自衛官にロボットになれと言うのかという発言も目にした覚えがある。
 誤解を恐れずに言えば、自衛官はロボットでよい。
 内閣の見解に反する私見を公表する自由は自衛官にはない。

 そもそも、軍人に政治的見解は不要である。
 軍人が、この戦争は誤った戦争であり、戦うべきではないと考えて、上部の命令にもかかわらず、勝手に戦闘を拒否することは許されない。
 あるいは、この戦争はわが国の国益上是非とも推進すべき戦争であるから、行け行けドンドンでやってしまえとして、命令もないのに勝手に現地の判断で軍を進めることもまた許されない。
 軍人は上官の命令には絶対服従であるべきだし、軍のトップは政治のトップに服従しなければならない。
 政治のトップが民主党に変わろうが、共産党に変わろうが、はたまた維新政党・新風に変わろうが、それによって軍が付和雷同してはならない。

 内心の自由はもちろんある。
 しかし、例えば閣僚が内閣の見解と相反する私見を公表したとすれば、撤回を要求されるだろうし、それを拒否すれば更迭されるであろう。
 ましてや下僚である幕僚長においておや。

 言論の自由をタテに田母神を擁護する人々は、では幹部自衛官が赤化思想に染まって、現政権を武力革命で転覆すべきであるといった論文を発表しても、不問に付すべきだと言うのであろうか。
 はたまた、腐敗堕落した政党政治はもう当てにはできない、我々が実力をもって国家を改造すると主張した場合はどうか。

 日本国民である以上言論の自由は当然ある。しかし、その立場立場で、制約は当然受ける。
 麻生首相のコメントは全く正しい。


(2)士気が保てない?

 こうした発言が制約を受けては、自衛官の士気が保てないとの主張も見られた。田母神自身、11日の参考人招致でそのような発言をしている

 わが国が侵略を行ったということを認めては、士気が保てないのか?
 非の打ち所のない、すばらしい国でなければ、命をかけてでも国を守ろうという気にはなれないのか?

 私には家族がいる。
 彼らは当然完璧な人間などではない。私と同様に。
 時にはけんかもする。けんかにまで至らずとも、腹を立てるぐらいのことはしばしばある。
 それでも、私の家族に危害を加えようとするものがあれば、私は全力でそれと戦うだろう。
 何故なら、彼らは私の家族だから。ほかに理由はいらない。

 家族を持たない者であっても、自分の属する共同体に愛着をもち、それを守ろうとするのはごく自然なことだろう。
 郷土愛、そして祖国愛とは、そうしたものではないだろうか。
 すばらしい国だから守るのではなく、自分の国であるから、そこに家族がおり同胞がいるから、守ろうと思うのではないだろうか。
 
 輝かしい歴史でなければ士気が保てず、自国を守れない、そのためには歴史の偽造も過去への無反省もお構いなしというのなら、私は一納税者として、そんな自衛官には守ってもらいたくはない。

 田母神は、

>人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。

と言うが、「特別な思想を注入され」ているのはむしろ田母神ではないか。
 自国が「侵略国家」であれば愛することはできないという特別な思想を。

嫌なことは下の者に丸投げする政府

2008-11-13 00:35:18 | 現代日本政治
 昨日の朝日新聞に次のような記事が(ウェブ魚拓)。

定額給付金の所得制限、設定は自治体に丸投げ 与党合意

 自民、公明両党は12日午前、新総合経済対策の定額給付金は1人あたり一律1万2千円とし、18歳以下の子供と65歳以上の高齢者には8千円を上乗せすることで合意した。所得制限は法律では定めず、年間所得1800万円を下限の目安としたうえ、制限を設けるかどうかは各自治体の判断に任せる

 下限の目安こそ示したものの、所得制限については給付金の申請や給付で窓口となる各市町村に「丸投げ」した格好だ。与党は「現場の実情が配慮される決め方をしなければならないと腐心した」(公明党の山口那津男政調会長)としているが、自治体の対応によって給付条件が異なり、混乱する可能性が高い。事務負担を考え、所得制限を設けない自治体も多く出そうだ。

 麻生首相は同日昼、自治体が混乱するのではないかと記者団に問われ、「それはあなた(記者)の希望であって、全然現場は混乱しない。所得制限をかける、かけない、手間の話やらなにやら、各市町村がやる」と語った。(太字は引用者による)

 福田前首相の「あなたとは違うんです!」を思い出した。
 混乱の発生が「あなたの希望」だとは、またずいぶん失礼な言い分だろう。
 混乱など発生するはずがないというならともかく、普通に考えれば、これは混乱を招くだろう。
 市町村によって所得制限に差が生じた場合、被給付者にそれをどのように納得させるのか。
 結局、やっかいな部分は「地方分権」の名の下に自治体に丸投げしたとの印象が強い。
 それでなくとも、市町村の事務負担は膨大になるだろうに。

 共同通信は46道府県庁所在市に緊急アンケートを行った結果を次のように報じている。(ウェブ魚拓

 9市が所得制限しない意向 定額給付、緊急アンケート

追加経済対策に盛り込まれた総額2兆円の定額給付金の対象に所得制限を設けるかどうかを市町村の判断に委ねるとした与党合意について、共同通信が12日、46道府県庁所在市に緊急アンケートを実施した結果、「批判が出そうなところを地方に丸投げしている」など、厳しい批判が相次いだ。9市が所得制限を実施しない意向を示した。

 アンケートは各市の市長や担当者が対象。与党側が自治体に所得制限の判断を委ねたことについて、福島など15市が「無責任で市町村には迷惑」、金沢など3市は「緊急性からやむを得ない」と答えた。

 所得制限を実施するかどうかについては、和歌山など8市が「制限しない方向で検討」、新潟市が「制限しない」と回答。一方、山口市は「制限する方向で検討」と答えた。他の多くの市は「担当部署も決まっておらず、今後検討する」などとして方針を明らかにしなかった。

 幸山政史熊本市長は「本来なら国の責任でやらなければいけないことを地方に転嫁した。乱暴な話」と批判。中村時広松山市長は「話にならない。やり方によっては批判が出るかもしれないところだけ地方に丸投げするのは間違い」と厳しく指摘した。加藤浩一水戸市長も「地域格差を招き、事務の煩雑化や混乱を招く、現場の実態を無視したやり方」として、制度の見直しを求めるコメントを発表した。



 各市長の言い分はいずれももっともだと思う。
 昨日晩のNHKのニュースでは、麻生首相は「地方分権なんだから、これでいいでしょう」という趣旨のことも言っていた。
 地方分権だと言うなら、財源も地方に渡せ。
 その上で、給付金にするのか、定額減税にするのか、あるいは何もしないのか、そういった判断を決定する権限も地方に与えよ。
 自治体を国の下請けにして、重要な判断の責任をも自治体に丸投げしておいて、言うに事欠いて何が地方分権だろうか。

 そもそもは定額減税という話だったはずだが、いつのまにか給付金にすり替わってしまっていた。
 何でも、減税なら、所得税を納めていない者にはメリットがないので、給付金方式に変わったと聞く。
 そうまでして非納税者を優遇しなければならないものだろうか。