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憲法の解釈変更は許されないか(下) では自衛隊違憲論も立憲主義にもとるのか

2014-06-23 07:17:06 | 日本国憲法
承前

 さらに、次のような例で考えてみたい。
 いわゆる55年体制の下で野党第一党の座にあった日本社会党は、自衛隊は憲法違反であるとの立場をとっていた。
 石橋政嗣委員長(任1983-1986)は「非武装中立論」を掲げ、タカ派、軍拡派と(当時は)呼ばれた中曽根康弘首相と国会で論戦した。
 ということは、仮に社会党が政権を獲得したら、当然自民党政権の憲法解釈を変えて自衛隊を違憲とし、これを解散するなり非武装的な組織に改編するなりするということになるのだろう。
 しかしそれでは、歴代政権が確立してきた自衛隊合憲論、前々回引用した今年3月30日付け朝日新聞社説が言うところの「政府と国民との間の合意」とやらを変更するということになる。
 同社説が言うところの「時の首相の一存で改められれば、民主国家がよってたつ立憲主義は壊れてしまう」ということになる。
 だが、非武装中立論に対して、立憲主義にもとるとの観点から批判した憲法学者が当時いたとは寡聞にして知らない。

 いや、社会党を持ち出すまでもない。
 最近のことはよく知らないが、私が学生だった頃は、憲法学の世界では自衛隊違憲説が通説だとされていた。
 とすれば、彼らは、政策として実現することが立憲主義に反し許されない説を奉じていたということになる。

 これで、立憲主義を持ち出しての解釈改憲批判のくだらなさを少しは理解していただけるだろうか。

 その後社会党は、党首が首相となった村山内閣(自民、新党さきがけとの連立)の時に、自衛隊合憲論に転換した。
 しかし、1996年に社会民主党に改称した後、党勢が低迷する中、自衛隊は「違憲状態」であると立場を変えた。
 現在、社民党のホームページに「理念」として掲げられている「社会民主党宣言」(2006年2月、第10回定期全国大会で採択)にはこうある(太字は引用者による。以下同じ)。

(6)世界の人々と共生する平和な日本

 国連憲章の精神、憲法の前文と9条を指針にした平和外交と非軍事・文民・民生を基本とする積極的な国際貢献で、世界の人々とともに生きる日本を目指します。核兵器の廃絶、対話による紛争予防を具体化するため、北東アジア地域の非核化と多国間の総合的な安全保障機構の創設に積極的に取り組み、「緊張のアジア」を「平和と協力のアジア」に転換します。現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。また日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めます。


 この「違憲状態」は「違憲」そのものではないのだそうだ。同じく党のホームページに掲載されている、照屋寛徳・衆議院議員の2013年5月13日付けのコラムにはこうある。

 社民党の自衛隊に対する考え方を辿ってみる。村山政権発足後の社会党(当時)第61回臨時全国大会(1994年9月)において、「『非武装』は党是を超える人類の理想」としつつ「自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊を認める」、と従来の「自衛隊違憲論」から「自衛隊合憲論」へと転換した。

 その後の自民党政権下で、日米新ガイドライン、周辺事態法、有事法制の制定、イラクへの派兵など、自衛隊の活動領域が専守防衛を超えて拡大し、米軍と自衛隊の一体化が進み、その装備・機能実態は「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織」と言えなくなった、と社民党は評価するに至った。

 そこで社会民主党宣言(2006年2月)では「現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します」と路線転換した。私は、社会民主党宣言を纏める責任者だった。私個人は、当時も今も自衛隊は“違憲状態”を超えて「違憲な存在」と考えている


 その後、2009年の総選挙による政権交代で、社民党は与党の一角を占め、福島瑞穂党首が入閣した。しかし党は見解を改めることはなかった。2010年3月12日の参議院予算委員会で、自衛官出身である自民党の佐藤正久議員はこの矛盾を福島大臣に対して追及し、以下のような見苦しい答弁が会議録に残されるに至った。

○佐藤正久君 自衛隊が合憲かどうか、政党としての基本的な考え方を持たなくて、本当に政党政治ができるんですか。今この瞬間も、自衛隊員は陸に海に空に、国内に国外に、防衛大臣の命令の下、体を張って国を守っているんですよ。与党の社民党が自衛隊が合憲、言わなくてどうするんですか。大問題だと私は思いますよ。
 平成十八年の社民党大会におきまして、自衛隊は違憲状態と言われました。それから四年たって、今、社民党はもう与党です。与党の社民党が合憲と言わなくてどうするんですか。自衛隊は合憲ですよね、違いますか。

○国務大臣(福島みずほ君) 社民党宣言を私たちはつくりました。その社民党宣言をみんなで議論してつくったその結論をその後も変えておりません。当時、イラクに自衛隊が派遣をされている、そのような状況は問題であるというふうに考え、その状態は問題であるという議論を大いにいたしました。
 ですから、社民党としては、その社民党の宣言以上でも以下でもありません。それは社民党の見解です。

○佐藤正久君 やっぱり鳩山丸は泥船だというふうに多くの国民が思いますよ。与党の一員であってもそういうことを今でも言われている。国民は不安になりますよ。ほかの国から見ても異常です。国を守れずしてどうして命を守れるんですかと、そういう議論になりますよ。
 福島大臣、社民党はまだ決めていないと言われました。でも、福島大臣は閣僚です。一閣僚として、国務大臣として、自衛隊は合憲か違憲か、どちらですか。

○国務大臣(福島みずほ君) 社民党の見解は申し上げました。閣僚としての意見は控えさせていただきます。私は社民党党首ですから。

○佐藤正久君 閣僚の意見を言わなくてどうして予算がこれは組めるんですか。もう一度お願いします。

○国務大臣(福島みずほ君) 社民党の見解は、以上、言ったとおりです。(発言する者あり)
 社民党の見解は申し上げたとおりです。閣僚としての発言は控えさせていただきます。

○委員長(簗瀬進君) 速記を止めてください。

○委員長(簗瀬進君) 速記を起こしてください。
 暫時休憩します。
   午後二時十二分休憩
     ─────・─────
   午後二時十八分開会

○委員長(簗瀬進君) ただいまから予算委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、平成二十二年度総予算三案を一括して議題とし、質疑を行います。
 福島みずほ国務大臣。

○国務大臣(福島みずほ君) 内閣の一員としては、内閣の方針に従います。

○佐藤正久君 ということは、自衛隊を合憲と認めるということでいいですね。明確に御答弁をお願いします。

○国務大臣(福島みずほ君) 社民党の方針は変わりません。そして、内閣の一員として、内閣の方針に従います。したがって、自衛隊は違憲ではないということです。

○佐藤正久君 福島大臣は自衛隊を合憲として認めたということでいいですね。お願いします。

○国務大臣(福島みずほ君) 内閣の一員として、内閣の方針に従います。

○佐藤正久君 はっきり答えてくださいよ。違憲じゃない、違憲じゃない、だけど、合憲と言っていないじゃないですか。明確にお願いしますよ。

○国務大臣(福島みずほ君) はっきり言っているじゃないですか。内閣の一員として内閣の方針に従います。

○佐藤正久君 自衛隊は合憲ですか。福島大臣、もう一度お願いします。

○国務大臣(福島みずほ君) 内閣の一員として内閣の方針に従います。繰り返し申し上げているとおりです。

○佐藤正久君 副総理、自衛隊は合憲ですか。

○国務大臣(菅直人君) 言うまでもありませんが、この予算には自衛隊の予算も入って、全員が閣議でサインをしておりますし、内閣としては自衛隊は合憲というふうにもちろん考えているというよりも、そういう形ですべてのことを進めております。

○佐藤正久君 福島大臣、内閣の方針は自衛隊は合憲だということで、福島大臣も合憲と認めるということでいいですね。イエスかノーかでお願いします。

○国務大臣(福島みずほ君) そうです。

○佐藤正久君 初めからそう言えばいいんですよ。この防衛予算というのは内閣全体で決めた意思でしょう。自分もサインしたんでしょう。それで、今この瞬間もハイチの方にも海外で隊員は行っているんですよ。何でここまで時間掛かるんですか。おかしいと思いますよ。
 防衛大臣、今のやり取りを聞いて、国の守り、あるいは隊員あるいは家族のことを考えたら、怒りとか憤りがわいてきませんか、防衛大臣。

○国務大臣(北澤俊美君) 国政の中核に位置する問題で、大臣を拝命しながら、感情的に怒りを爆発させるとか、そんなことは思いません。


 「合憲と認めるということでいいですね」「そうです」とは述べたものの、とうとう福島大臣の口から明確に「自衛隊は合憲である」と語られることはなかった。内閣の一員でありながら。ならばそもそも合憲論に立つ大政党との連立に加わるべきではなかったのではないか。

 なお、同年5月、福島は普天間基地問題で辺野古移設の日米合意に反対したため、閣僚を罷免された。社民党は連立から離脱した。

 社民党と同じく護憲派とされる日本共産党はどうか。

 2004年1月の第23回党大会で改定された現在の党綱領には次のようにある。
 
〔国の独立・安全保障・外交の分野で〕

 1 日米安保条約を、条約第十条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ。

 経済面でも、アメリカによる不当な介入を許さず、金融・為替・貿易を含むあらゆる分野で自主性を確立する。

 2 主権回復後の日本は、いかなる軍事同盟にも参加せず、すべての国と友好関係を結ぶ平和・中立・非同盟の道を進み、非同盟諸国会議に参加する。

 3 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。


 この点について、共産党のホームページに掲載されている綱領の解説(2004年3月7日(日)に「しんぶん赤旗」に掲載されたものだという)は、次のように述べている。

Q 自衛隊はすぐに廃止するのではないのですか?

 自衛隊は天皇の場合とは違って、存在自体が憲法違反ですよね。違憲の自衛隊を解消すべきだという日本共産党の立場は、変わっていないんです。

 ただ、自民党政治のもとで半世紀もの間、自衛隊が存在する中で、“自衛隊なしに日本の安全は守れない”という考えが広められました。

 国民が“自衛隊をなくしてもいいよ”という気持ちになるには、それだけの時間と手続きが必要になっています。

 綱領は、憲法九条の完全実施をめざす立場に立ちながら、国民の合意をもとにして一歩一歩、自衛隊問題を解決していくという、方法と道すじを明らかにしたんです。

Q どういう道すじなのですか。

 自衛隊問題は大きく三つの段階をへて解決していくことを展望しているんです。

 日本共産党は、日本を「アメリカの世界戦略の半永久的な前線基地」にしている日米安保条約を廃棄してこそ、民主的改革の本格的前進の道が開かれると考えています。

 第一段階は、この安保条約を廃棄する前の段階です。「海外派兵立法をやめ、軍縮の措置」をとることが課題となります。

 第二段階は、安保条約を廃棄して軍事同盟からぬけ出した段階です。自衛隊の民主化や、大幅な軍縮を進めていきます。

 国民の合意で憲法九条の完全実施にとりくむのが、第三段階です。アジアの国々とも平和で安定した国際関係をつくりあげるために努力します。

 “自衛隊がなくても平和に生きていけるじゃないか”と国民が確信をもてるようになって、自衛隊解消への合意が熟していくのと歩調を合わせて、九条の完全実施に向かう措置にとりくみます。

 日本共産党はこの方針を、四年前の二十二回党大会で、「自衛隊問題の段階的解決」として体系的に明らかにしました。綱領は、その内容を簡潔に要約しています。


 仮に共産党が主張する民主連合政府が成立して、このような政策の転換がなされるのであれば、これもまた「政府と国民との間の合意」の変更、「時の首相の一存で改められれば、民主国家がよってたつ立憲主義は壊れてしまう」ことではないのか。

 こんな政党が機関紙で

 時の政権が勝手に憲法解釈を変えるのは、憲法で権力を縛る立憲主義を踏みにじるものです。そんなやり方を許せばいまは憲法で禁止する「苦役」にあたると否定されている徴兵制でさえ解釈変更で強行されかねません。

〔中略〕

 憲法解釈の変更だけで集団的自衛権の行使を認める企ては、憲法に対するクーデターそのものです。解釈変更の閣議決定は絶対に許すことはできません。

 集団的自衛権の行使を認めるかどうか、決めるのは国民の世論と運動です。いまこそたたかいを強め広げることが求められます。


と訴えたところで、何の説得力があるだろうか。

(文中敬称略)

憲法の解釈変更は許されないか(中) 9条解釈は既に変遷している

2014-06-22 01:07:47 | 日本国憲法
承前

 そんなふうに思っていたところ、5月25日付朝日新聞朝刊に掲載された、長谷部恭男・早稲田大学教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の対談「集団的自衛権 そんなに急いでどこへ行く」を読んでいると、こんなやりとりがあった。

 杉田 集団的自衛権の行使容認派がよりどころの一つにしているのが、憲法9条をめぐっては過去にも解釈を変更しているではないかという点です。憲法制定時には個別的自衛権を持っているとは想定していなかったが、自衛隊創設にあたって「放棄していない」と解釈を変えたという。

 長谷部 吉田茂元首相の答弁が引き合いに出されますが、彼が当初言っていたのは日清・日露戦争のように、自衛と称して戦争をするのは許されないということです。「急迫不正の侵害」に対して実力を行使するという意味で自衛権を否定するのとは、全くレベルの違う話です。


 はて、吉田茂は日清・日露戦争を念頭に自衛戦争を否定したのだったろうか。
 確か大東亜戦争が自存自衛の名目で始められたことを指摘したのではなかったか。

 ちょっと帝国議会会議録検索システムで確認してみた。

 1946年6月26日の衆議院本会議で、原夫次郎議員(進歩党?)が次のように吉田首相に質問している(太字は引用者による。以下全て同じ)。

○原夫次郎君 〔中略〕第三點と致しましては、改正案第三章の所謂戰爭抛棄の問題であります、首相は度々是まで本演壇に於きまして、此の度の改正案の非常に重大なる部分は第一條なり、此の戰爭抛棄の問題であると云ふことを高調せられて居たのでありますが、洵に御尤もな次第と私共も存ずるのであります、此の戰爭抛棄の條文が加入致したと云ふことに付きましては、總理大臣の説明を附加せられた所を見ましても、又我々が此の改正案を通讀致した場合に於きましても、是は眞に草案を作成せられたる内閣に於て、考へられなかつた問題であると思ふのであります、極めて我が國の前途に取りまして、非常なる關心事であります、此の戰爭抛棄なるものは結局世界平和に寄與せんが爲めであると、一言にして申せば盡きるやうでありますが、一面から獨立國家の體面と致して、我が國が進んで戰爭の指導者となるとか、戰爭を勃發する計畫をなすとか云ふことは、此の度の苦い經驗に依つて誰一人考へる者はないのでありまするが、唯恐るべきは、我が國を不意に、或は計畫的に侵略せんとするもの達、或は占領せんとするものが出て來た場合に、我國の自衞權と云ふものまでも抛棄しなければならぬのか、此の自衞權を確立すると云ふことの爲には、此の附き物は當然其の用意をして置かなければならぬ、是は即ち陸、海、空軍とか、或は其の他の武力の準備であります、此の準備なくしては自衞權を全うすることは出來ないと云ふ所が、非常なる「ヂレンマ」に掛つて居る問題でありますが、併しながらそこに非常なる苦心を拂はれた跡があると想像致します、是は若しさう云ふ不意な襲來とか、侵略とか云ふやうなことが勃發致した場合に於て、我が國は一體如何に處置すべきか、此の問題に付ては政府當局に於ても當然考へられた問題だと思ふのであります、色々國際情勢などから考へ來つて、遂に此の條文を置かなければならない立場に立到つたと云ふことは、深く想像に餘りある所でありますが、何としても斯う云ふ自衞權までも武力防衞が出來ないと云ふことになりましたならば、どうしても他國に對する依存に依つて之を防衞しなければならぬ、斯う云ふことに結論付けられると思ふのであります、然らば先づ斯かる條文を置かるる場合に於て、他國とさう云ふ場合の何か條約でも、或は取交はしでもあるのかどうか、是も當然想像しなければならぬと思ふのであります、殊に私は此の問題に牽關して御伺ひ致したいのは、彼の第一次歐洲大戰の跡始末に於きましては、國際聯盟なるものが出來まして、殆ど世界に戰爭再發なんと云ふことは考へない位に發展させて居たのでありますが、然る所此の聯盟は遂に失敗に終りまして、今次の大戰爭を再發するに至つたのであります、其の關係上今日の此の戰爭終熄後に於ける聯合國の態度に付きましては、外電の伝ふる所に依りますと、從來の經過に鑑みて此の度は其の轍を履まないで、聯合國が指導者の立場に立つて、或は世界聯合國家までも創設しなければならぬと云ふやうな、色々話合ひもあると云ふことでありまするが、若しさう云ふ機關が出來まするならば、一體全世界の上の國家に對して、其の國家の上に更に一つの大きな嚴然たる國家權力が行はれると云ふやうなことになれば、それこそ永遠の平和を保つことが出來、又日本が戰爭を抛棄することの爲に、それ程心配はしなくても宜いぢやないかと云ふやうな考へも起るのであります、そこで私は吉田前外相、此の吉田總理大臣は其の立場に於て、是等の點に付ては非常に造詣の深い方でありまするから、一つ此の點に於きまして十分なる御説明を願ひたいと存ずるのであります、以上を以て吉田總理大臣に對する質問條項を終ります


 そして吉田首相はこう答弁している。

次に自衞權に付ての御尋ねであります、戰爭抛棄に關する本案の規定は、直接には自衞權を否定はして居りませぬが、第九條第二項に於て一切の軍備と國の交戰權を認めない結果、自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄したものであります、從來近年の戰爭は多く自衞權の名に於て戰はれたのであります、滿洲事變然り、大東亜戰爭亦然りであります、今日我が國に對する疑惑は、日本は好戰國である、何時再軍備をなして復讐戰をして世界の平和を脅かさないとも分らないと云ふことが、日本に對する大なる疑惑であり、又誤解であります、先づ此の誤解を正すことが今日我々としてなすべき第一のことであると思ふのであります、又此の疑惑は誤解であるとは申しながら、全然根底のない疑惑とも言はれない節が、既往の歴史を考へて見ますると、多々あるのであります、故に我が國に於ては如何なる名義を以てしても交戰權は先づ第一自ら進んで抛棄する、抛棄することに依つて全世界の平和の確立の基礎を成す、全世界の平和愛好國の先頭に立つて、世界の平和確立に貢獻する決意を先づ此の憲法に於て表明したいと思ふのであります(拍手)之に依つて我が國に對する正當なる諒解を進むべきものであると考へるのであります、平和國際團體が確立せられたる場合に、若し侵略戰爭を始むる者、侵略の意思を以て日本を侵す者があれば、是は平和に對する冒犯者であります、全世界の敵であると言ふべきであります、世界の平和愛好國は相倚り相携へて此の冒犯者、此の敵を克服すべきものであるのであります(拍手)ここに平和に對する國際的義務が平和愛好國若しくは國際團體の間に自然生ずるものと考へます(拍手)


 やはり日清・日露ではなく満洲事変、大東亜戦争であった。
 それともほかに、吉田が日清・日露を挙げた例があるのだろうか。 

 またここで吉田は「直接には自衞權を否定はして居りませぬが……自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄した」と述べている。杉田教授が言うように「憲法制定時には個別的自衛権を持っているとは想定していなかった」のではない。個別的自衛権を持ってはいるが、行使できないと考えていたと見るべきだろう。この点、誤解して語られることが多いようだ(過去記事「吉田茂が自衛権を放棄した?」参照)。

 それはさておき、では吉田は、長谷部教授が言うように、「「急迫不正の侵害」に対して実力を行使するという意味で自衛権を否定」するといった「レベル」の話はしていなかったのだろうか。
 ここで吉田が
「我が國に於ては如何なる名義を以てしても交戰權は先づ第一自ら進んで抛棄する、抛棄することに依つて全世界の平和の確立の基礎を成す、全世界の平和愛好國の先頭に立つて、世界の平和確立に貢獻する決意を先づ此の憲法に於て表明したいと思ふ」
と答弁しているのは、「急迫不正の侵害」に対しても「実力を行使する」ことは許されないという趣旨ではないのだろうか。

 そもそも吉田は、上で引用した答弁の前日、1946年6月25日に衆議院本会議において憲法改正案の説明をする中で、戦争放棄について次のように述べている。

○國務大臣(吉田茂君) 只今議題となりました帝國憲法改正案に付きまして御説明を申します
 〔中略〕
 次に、改正案は特に一章を設け、戰爭抛棄を規定致して居ります、即ち國の主權の發動たる戰爭と武力に依る威嚇又は武力の行使は、他國との間の紛爭解決の手段としては永久に之を抛棄するものとし、進んで陸海空軍其の他の戰力の保持及び國の交戰權をも之を認めざることに致して居るのであります、是は改正案に於ける大なる眼目をなすものであります、斯かる思ひ切つた條項は、凡そ從來の各國憲法中稀に類例を見るものでございます、斯くして日本國は永久の平和を念願して、其の將來の安全と生存を擧げて平和を愛する世界諸國民の公正と信義に委ねんとするものであります、此の高き理想を以て、平和愛好國の先頭に立ち、正義の大道を踏み進んで行かうと云ふ固き決意を此の國の根本法に明示せんとするものであります


 「其の將來の安全と生存を擧げて平和を愛する世界諸國民の公正と信義に委ねんとする」
とは、憲法前文の
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
を受けた言葉だろう。
 「委ね」るとは、デジタル大辞泉によると、

1 処置などを人にまかせる。また、すべてをまかせる。「全権を―・ねる」「運命に身を―・ねる」

2 すべてをささげる。「政治に身を―・ねる」


とあるから、わが国の「將來の安全と生存を擧げて平和を愛する世界諸國民の公正と信義に委ねんとする」とは、世界諸国民はわが国の将来の安全と生存をおびやかすようなことはしないだろうし、仮に例外的なそんな国があったとしても「平和を愛する世界諸国民」は「公正と信義に」基づいてきっと何とかしてくれるだろうという意味だろう。
 要するに「平和を愛する世界諸国民」にすべてをまかせるという意思表示であって、そこには自国の安全と生存は自らの手で守らなければならないなどという意志は感じられない。

 そして、同月28日の本会議において、共産党の野坂参三議員が、侵略戦争は正当ではないが侵略に対する自衛戦争は正当であるから、戦争一般の放棄ではなく侵略戦争を放棄するとすべきではないかと質問したのに対し、

○國務大臣(吉田茂君) 〔中略〕又戰爭抛棄に關する憲法草案の條項に於きまして、國家正當防衞權に依る戰爭は正當なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります(拍手)近年の戰爭は多くは國家防衞權の名に於て行はれたることは顯著なる事實であります、故に正當防衞權を認むることが偶偶戰爭を誘發する所以であると思ふのであります、又交戰權抛棄に關する草案の條項の期する所は、國際平和團體の樹立にあるのであります、國際平和團體の樹立に依つて、凡ゆる侵略を目的とする戰爭を防止しようとするのであります、併しながら正當防衞に依る戰爭が若しありとするならば、其の前提に於て侵略を目的とする戰爭を目的とした國があることを前提としなければならぬのであります、故に正當防衞、國家の防衞權に依る戰爭を認むると云ふことは、偶々戰爭を誘發する有害な考へであるのみならず、若し平和團體が、國際團體が樹立された場合に於きましては、正當防衞權を認むると云ふことそれ自身が有害であると思ふのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考へます(拍手)


とした著名な答弁を経て、同年7月4日の衆議院憲法改正案委員会で林平馬議員(進歩党? 国民協同党?)が、

○林(平)委員 總理大臣は御多忙でいらつしやいますから、總理大臣の方から先に御尋ね申上げます
 私は戰爭抛棄に付きまして、總理大臣に御尋ね申上げたいと思ひます、惟ふに平和は神の心であり、又總ての人類の最高の念願であると信じます、然るに此の平和とは全然正反對である所の戰爭をば、有史以來數千年、人類史上から拂拭することが出來ないで、今日に至つた次第であります、人はお互ひ萬物の靈長などと手前味噌を竝べて居るくせに、最も好む平和へは一歩も近付くことが出來ずに、寧ろ次第に遠ざかりつつ、文化とは正反對に戰爭の發達に一路邁進して來たことは、歴史の示す所であります、凡そ個人的にも國際的にも、紛爭を腕力や武力を以て解決しようとすることは、最も低級下劣な行爲でありますから、人類は最早此の邊で大懺悔すべきものと思ひます、若しもそれを悟ることなく、武力を飽くまでも最後の解決手段として培養し、確保して居るときは、其の爲に相手方を脅威せしめるばかりでなく、自分自らも亦常に其の不安を抱かざるを得ないのであります、歴史の教へるやうに、戰爭は戰爭を製造して居るのであります、若しも戰爭を抛棄することが出來ないならば、人類は永久に戰爭の中に、或は戰爭の爲に生存を續けて行かなければならないことに氣付かなければならぬと思ひます、而して戰爭抛棄の唯一絶對の方法は何かと申しますれば、武力を持たないことであると思ひます、けれども此のことたるや極めて至難のことでありまして、何れの國家に於ても、餘所の國から何等かの壓迫要求を受けないで、全く自發的に武裝を解除することは、恐らく不可能と信じます、然るに我が國は敗戰の結果、世界に率先して此の不可能を可能たらしめたことは、人類最高の念願から見るならば、敗戰の成功とも見るべきものと信ずるのであります、而して「アメリカ」を初め聯合國が、我が國をして世界平和に貢獻の出來る態勢を整へるやうにと、常に多大の苦心と努力とを盡されて居ることは、我々の深く感銘する所であります、唯ここに我々の不安とする所は、今日こそは我々は何れの國よりも侵される氣遣ひはありませぬが、併し近き將來に於て平和條約が成立し、聯合國の手から離れた其の刹那に於て、武力なくしては如何なる小さな國家よりも、どのやうな弱小國家よりも受けるであらう國際的脅威をば、如何にして拜除することが出來るかと云ふ點であります、それには平和世界建設を理想とする建前の聯合國を初め、世界の諸民族の信義に信頼する以外には到底ないのであります、實に日本國民の戰爭抛棄の宣言は、國民全體の生存を賭しての態度でありますことを、政府は内外に向つて十分に主張し、宣伝して貰はなければならないと信じます、先日本會議に於て吉田總理大臣は、從來自衞權の名に於て戰爭が惹き起されて來たのであるから、眞の世界平和建設の大理想達成の爲には、其の自衞權をも亦抛棄すべきものであるとの御意思のやうな御答辨があつたのでありまするが、恐らくは此の御答辨は世界の思慮ある人々をして感銘を博したことと信じます、幸ひにも本年四月五日、聯合國日本管理理事會の初の會議に於きまして「マッカーサー」元帥がなさいましたあの演説こそは、此の戰爭抛棄の條文と相呼應して、眞に深き感銘と感謝とを感ずると共に、元帥は極めて力強く、此の崇高なる戰爭抛棄の理想は、一方的では一時的な便法に過ぎないのである、でありまするから此の理想達成の爲には、日本の戰爭抛棄に關する提言を、全世界の人達の思慮深き考察に推擧する云々として、實に力強く世界各民族の良心と叡智に呼掛けられて居ることは、實に偉大なる保證と信ずるものであります、而して日本國民が此の戰爭抛棄の宣言をすることは、所謂曳かれ者の小唄では斷じてありませぬ、又あつてはなりませぬ、此の最大崇高なる使命の中に生きて行きたいのであります、是が我我民族の切なる念願であると信じます、是れ實に日本民族三千年來の大理想であります、最近は其の理想が非常に歪められて、世界の誤解を受けて今日を招いたのでありますが、實は世界平和は我々民族の三千年來の念願であるのであります、でありますから吉田總理大臣は餘生を捧げられ、一身を挺して陛下を先頭に迎へられて、八千萬國民を率ゐて、以て突起ち上つて貰ひたいのであります、それでこそ日本が世界に存在の意義があると思ふ、其のことなくして日本の存在の意義はないとさへ信じます、恐らく斯樣な機會は、日本に取つては實に空前であつて絶後であると思ふ、歴史的に唯一囘限り天より與へられたる「チャンス」であると信じます、諄いやうでありまするが、敗戰の結果拠どころなく平和愛好者に我々が轉向したものではありませぬ、世界隨一の平和愛好民族であることを、世界に向つて宣言し諒解して貰はなければなりませぬ、其の平和愛好者であると云ふ民族の心持を表はす證拠は、幾らでもあらうと思ひます、其の一つを申上げて見るならば、此の猫の額のやうな狹い國土に、八千萬に近い國民が生活をして居るのであります、即ち一平方「キロ」の中に約二百人の人口を持つて居る所の、世界隨一の稠密なる國であります、斯かる國家は世界の何れにもないのであります、是れ即ち假令如何なる苦勞をしようとも、餘所へは行きたくない、此の祖國に生存をして行きたい、祖國を離れずに生活をして行きたいと云ふ、國土愛着の結果に外ならないのであります、汽車で通つて見ましても、到る處山の上までも開拓して、營々辛苦を續けて居る日本の姿を見るならば如何でありますか、侵略移住の民族にあらずと斷定することは、容易であると思ふのであります、侵略移住の民族であるならば、こんな所に營々やつて居る筈はありませぬ、如何に非侵略的民族であるかと云ふことは、此の日本の姿を見ただけで明暸であると思ひます、私は此の日本の眞の國民性を世界に諒解して貰いたいのであります、斯かる平和愛好國民が、殊に世界平和への一本道しか與へられない國民が、ここに憲法を以て戰爭抛棄を世界に宣言せんとするのでありまするから、此の憲法は實に日本の憲法に止まらず、世界の憲法たらしむるの信念を持たなければならぬと信ずるものであります、吉田總理大臣は人類平和の爲に率先挺身、「マッカーサー」元帥の御演説と相呼應して、世界の與論を喚起せしむべく努力すべきものなりと思ひます、又それが即ち陛下の御聖旨に對へる所以でもあり、全國民の熱烈なる希望に副ふ所以でもあり、且つは「ポツダム」宣言の理念に應へる所以でもあると確信致します、果して總理大臣は其の御決心、御覺悟がおありであるかどうか、此の一點を特に御尋ね申上げる次第であります


と質問した(長文ではあるが興味深い内容のため全文引用した)のに対して、吉田はこう答弁している。

○吉田國務大臣 林君の御質問に御答へ致します、此の間の私の言葉が足りなかつたのか知れませぬが、私の言はんと欲しました所は、自衞權に依る交戰權の抛棄と云ふことを強調すると云ふよりも、自衞權に依る戰爭、又侵略に依る交戰權、此の二つに分ける區別其のことが有害無益なりと私は言つた積りで居ります、今日までの戰爭は多くは自衞權の名に依つて戰爭を始められたと云ふことが過去に於ける事實であります、自衞權に依る交戰權、侵略を目的とする交戰權、此の二つに分けることが、多くの場合に於て戰爭を誘起するものであるが故に、斯く分けることが有害なりと申した積りであります、又自衞權に依る戰爭がありとすれば、侵略に依る戰爭、侵略に依る交戰權があると云ふことを前提とするのであつて、我々の考へて居る所は、國際平和國體を樹立することにあるので、國際平和國體が樹立せられた曉に於て、若し侵略を目的とする戰爭を起す國ありとすれば、是は國際平和國體に對する傍觀であり、謀叛であり、反逆であり、國際平和國體に屬する總ての國が此の反逆者に對して矛を向くべきであると云ふことを考へて見れば、交戰權に二種ありと區別することそれ自身が無益である、侵略戰爭を絶無にすることに依つて、自衞權に依る交戰權と云ふものが自然消滅すべきものである、故に交戰權に二種ありとする此の區別自身が無益である、斯う言つた積りであるのであります、又御尋ねの講和條約が出來、日本が獨立を囘復した場合に、日本の獨立なるものを完全な状態に復せしめた場合に於て、武力なくして侵略國に向つて如何に之を日本自ら自己國家を防衞するか、此の御質問は洵に御尤もでありますが、併しながら國際平和國體が樹立せられて、さうして樹立後に於ては、所謂U・N・Oの目的が達せられた場合にはU・N・O加盟國は國際聯合憲章の規定の第四十三條に依りますれば、兵力を提供する義務を持ち、U・N・O 自身が兵力を持つて世界の平和を害する侵略國に對しては、世界を擧げて此の侵略國を壓伏する抑壓すると云ふことになつて居ります、理想だけ申せば、或は是は理想に止まり、或は空文に屬するかも知れませぬが、兎に角國際平和を維持する目的を以て樹立せられたU・N・Oとしては、其の憲法とも云ふべき條章に於て、斯くの如く特別の兵力を持ち、特に其の國體が特殊の兵力を持ち、世界の平和を妨害する者、或は世界の平和を脅かす國に對しては制裁を加へることになつて居ります、此の憲章に依り、又國際聯合に日本が獨立國として加入致しました場合に於ては、一應此の憲章に依つて保護せられるもの、斯う私は解釋して居ります


 占領下の現在はともかく、平和条約を締結して独立した後は、軍備なくしてわが国の平和をどのように維持するのかとの疑問に対しては、国連憲章に規定された集団安全保障が機能する「ことになつて居」ると答弁している。
「或は是は理想に止まり、或は空文に屬するかも知れませぬが」
一應此の憲章に依つて保護せられるもの、斯う私は解釋して居ります」
といった発言からは、果たしてこの集団安全保障が機能するかどうか疑わしいと考えていることがうかがえるが、しかしどう見ても、この時点で吉田首相が、9条について、「「急迫不正の侵害」に対して実力を行使するという意味で自衛権を」容認していると解釈していたとは考えられない。

 それが、1950年に勃発した朝鮮戦争後に警察予備隊が創設され、さらに翌年これが保安隊に改められた後、1952年11月に吉田政権は憲法の禁ずる「戦力」についての次のような統一見解をまとめたという。

 ここではまず「憲法九条2項は、侵略目的たると自衛の目的たるとを問わず『戦力』の保持を禁止しているとして、自衛のための戦力は合憲とする「自衛戦力合憲論」を否定した。そしてつぎに「戦力」について定義し、「右にいう『戦力』とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を備えるものをいう」とした。「近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成」とは、航空機により装備・編成された第1次大戦以降の戦力を指す。つまり「空」を有しなければ「戦力」ではない、との「戦力」概念をうち立て、「『戦力』にいたらざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」との憲法解釈を導く。
 そして、現有するものは保安隊(陸)と警備隊(海)のみで「空」は有していないことから、「保安隊および警備隊は戦力ではない。……その本質は警察上の組織である〔中略〕」との結論を出した。(古関彰一『日本国憲法・検証 資料と論点 第5巻 九条と安全保障』小学館文庫、2001、P.145-146)


 しかし、1954年に保安隊を改組してできた自衛隊は「空」を有していた。 

 そこで政府は米国の自衛隊創設要求に憲法解釈の上から難色を示した。〔中略〕
 しかし、朝鮮戦争停戦後の米国の対アジア政策の変化のなかで、米国の要求により自衛隊を設立することになると、その直後の1954年12月に鳩山内閣の大村清一防衛庁長官は、国会でつぎのような、新たな九条解釈を行った。
  
第一に憲法は自衛権を否定していない。自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。(以下略)
第二に、憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。
 一、戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは「国際紛争を解決する手段としては」ということである。
 二、他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。したがって自国に対する武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。

自衛隊は現行憲法上違反ではないか。憲法第九条は、独立国としてわが国が自衛権をもつことを認めている。したがって自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、なんら憲法に違反するものではない。(前掲書、p.147-149)


 そして、自衛隊は自国の専守防衛を目的とするものであり、いわゆる海外派兵は自衛権の限界を超えるものであって許されないとしていた。

 ところが、湾岸戦争後には初めて海外であるペルシャ湾に掃海部隊を派遣し、1992年にはPKO協力法を成立させ、カンボジアを皮切りに世界各地のPKOに自衛隊を派遣するようになった。
 さらに、今世紀に入ると、テロ特措法やイラク特措法により、アフガニスタン戦争の後方支援や、イラクの復興支援にも従事するようになった。

 「憲法9条をめぐっては過去にも解釈を変更している」のは明らかであり、それを「集団的自衛権の行使容認派がよりどころの一つに」するのも当然だろう。

 にもかかわらず、政府は解釈を変えていないかのように装おう杉田、長谷部両教授、そして朝日新聞をどう評したものだろうか。
 彼らは学者や報道機関として信頼に値するのだろうか。

(続く)


憲法の解釈変更は許されないか(上) 解釈改憲は立憲主義にもとる?

2014-06-21 00:37:21 | 日本国憲法
 私は朝日新聞を購読しているが、同紙は、安倍政権が憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に動いていることに対して、解釈改憲は立憲主義にもとるとの批判を繰り返してきた。
 例えば、安保法制懇の報告書を受けて今年5月15日に安倍首相が集団的自衛権の行使を検討する考えを記者会見で表明したのに対して、翌16日の朝日新聞社説「集団的自衛権 戦争に必要最小限はない」は、

 集団的自衛権の行使を認めるには、憲法改正の手段をとらざるを得ない。歴代内閣はこうした見解を示してきた。
 安倍氏が進めようとしているのは、憲法96条に定める改憲手続きによって国民に問うべき平和主義の大転換を、与党間協議と閣議決定によってすませてしまおうというものだ。
 憲法に基づいて政治を行う立憲主義からの逸脱である。弊害はあまりにも大きい。
 まず、戦争の反省から出発した日本の平和主義が根本的に変質する。
〔中略〕
 また解釈変更は、内閣が憲法を支配するといういびつな統治構造を許すことにもなる。
 国民主権や基本的人権の尊重といった憲法の基本原理ですら、時の政権の意向で左右されかねない。法治国家の看板を下ろさなければいけなくなる。


と批判していた。
 この「立憲主義からの逸脱」については、今年3月30日付の社説「集団的自衛権 解釈で9条を変えるな」がより詳細に論じていた。

 安倍首相はいまの国会のうちに、集団的自衛権を使えるようにするつもりだ。
 しかし、憲法改正の手続きはとらない。9条の解釈を改め、閣議決定するのだという。
 憲法の精神に照らして、それは許されることではない。
〔中略〕
 首相に近い高官は、新しい解釈が成り立つならば、政府が状況の変化に応じて解釈を変更しても構わないという。
 そうだろうか。
 日本は、自国を守るための必要最小限の実力しか持たない。海外で戦争はしない。
 それは戦争の反省からうまれた平和主義であり、憲法の基本原理の一つだ。この原理は、自衛隊がPKOや人道復興支援で海外に出て行くようになっても変わっていない。
 集団的自衛権をめぐる解釈は、国会での長年の議論を通じて定着した、いわば政府と国民との間の合意だ。
 時の首相の一存で改められれば、民主国家がよってたつ立憲主義は壊れてしまう。
 集団的自衛権の容認が意味するのは9条の死文化だ。平和主義の根幹が変わる。自衛隊員が他国民を殺し、他国民に殺される可能性が格段に高まる。

 それでも日本が国際社会に生きるために必要だというなら、国会での論戦に臨み、憲法96条が定めた改正手続きに沿って進めるのが筋道だ。


 こうした「時の首相の一存で改められれば」云々という批判が、私には理解できない。
 では、「自国を守るための必要最小限の実力しか持たない。海外で戦争はしない」というのも「時の首相の一存で」決められた解釈ではないのか。
 それでは、ある時点での政府が下した憲法解釈が、憲法が改正されない限り、その国を未来永劫にわたって拘束するということになってしまう。
 それはおかしいのではないか。

 わが国は国民主権である。だが、国民が直接政府の憲法解釈を定めるのではない。政府の憲法解釈を定めるのは、あくまでその時点での政府にすぎない。
 その政府は、国民から選出された国会議員によって指名された首相によって組織されることにより、国民主権の下での正統性を保持している。
 その点では、後に憲法解釈を変更しようとする政府も何ら変わらない。1950年代の政府が2010年代の政府よりもより良く民意を反映し、より高い正統性をもつわけではない。
 なのに、いかに内外の情勢の変化があろうと、過去の政府の憲法解釈が将来の政府をいつまでも拘束し続けるべきだというのはおかしい。
 それが立憲主義の破壊や「法治国家の看板を下ろ」すことだとは思えない。こんなのは以前引いた「おどかし屋」の論法ではないか。

 絶対平和主義の観点から あるいは損得勘定から、わが国は他国間の戦争に巻き込まれるべきではない、米国に守ってもらう立場ではあっても、わが国は米国をはじめどの国の自衛にも協力すべきでないというのなら、私は賛成しないがその理屈は理解できる。
 しかし、立憲主義にもとるから許されないという批判は、そもそも理屈として理解できない。

 朝日新聞に限らず、立憲主義の観点からの集団的自衛権容認反対論はしばしば見るが、こんな素人の素朴な疑問に対して、納得させてくれる見解を見たことがない。

 そもそも、その個別的自衛権の行使は認められるが集団的自衛権の行使は認められないという従来の政府の解釈も、解釈改憲の産物ではなかったか。

続く

「ゴジラ」のテーマは反戦反核?

2014-06-02 07:44:15 | マスコミ
 5月26日付の産経抄がこんなことを言っていて、

▼米国版ゴジラでは、原発事故が描かれているという。元祖ゴジラは水爆実験で目覚めたことになっている。東京が火の海となり、観客にかつての空襲の恐怖を思い出させるようなシーンもある。ということは、新旧のゴジラは、戦争や原発について日本人に警告している。まして、集団的自衛権の行使容認などもってのほかだ。

 ▼きのうの朝日新聞が、こんな趣旨の記事を載せていた。しかし映画評論家の樋口尚文さんによれば、少なくとも元祖ゴジラは、反戦や反核をテーマにした映画ではなかった。8年間もの軍隊生活を送っている本多監督から、直接聞いた話だという。「監督が作りたかったのは戦後の暗い気分をアナーキーに壊しまくってくれる和製『キングコング』のような大怪獣映画」だった(『グッドモーニング、ゴジラ』国書刊行会)。

 ▼なんでもかんでも、反戦、反原発に結びつけなくてもよかろうに。ひとりごちつつ、昨夜久しぶりにDVDで、娯楽映画の傑作を堪能した。


それに対してこうかみついているツイートを見かけた。

まじで産経訴えたいんだけど。
「初代ゴジラは反戦、反核映画じゃない、 本多監督もそう言ってる」

嘘つけデマ新聞、本多監督は「復員で通った広島の光景に怒りを覚えた」と言ってるわクソデマネトウヨ機関紙めが。


 しかし、本多監督が「広島の光景に怒りを覚えた」と言っているとしても、それで即「ゴジラ」(1954、以下単に「ゴジラ」とカギカッコ付きで記す場合は全てこの映画を指す)が反戦反核映画だと言えるというものでもあるまい。

 「ゴジラ」は何度か観ている。昔録画したものも持っている。
 ゴジラの接近の報に対して
「また疎開か、嫌だなあ」
とぼやくサラリーマンや、来襲したゴジラに追い詰められた子連れの母が
「もうすぐ、もうすぐ、お父様の所に行くのよ」
と子に言い聞かせるところなど、戦争の記憶を呼び覚ますシーンがいくつもある。
 そういった点も含めて好きな映画ではあるが、しかし確かに、あれは反戦反核をテーマとした映画だとは言えないのではないだろうか。
 あれを見終わった観客から、戦争の悲惨さを学んだ、二度と起こしてはならないとか、核兵器は廃絶されなければならないとか、そういった感想が出てくるかというと、そうではないだろう。
 「はだしのゲン」とか「火垂るの墓」のような作品として扱われてきたかというと、全くそんなことはなかったわけで。

 公開当時、「ゴジラ」に対する評価はそう高くなかったと聞いた覚えがある。むしろゲテモノ映画と見られていたとか。しかし興行的には成功したから、次々に続編が作られたのだろう。

 ゴジラが反戦反核映画だなどというのは、1980年代前半のゴジラ復活ムーブメントの中で語られ始めた、ある種の神話ではないのだろうか。
 1975年に公開された「メカゴジラの逆襲」の後、ゴジラ映画はしばらく制作されなくなる。その後「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」に代表されるアニメブーム、「スター・ウォーズ」に代表されるSFブームは盛り上がる中、怪獣映画、特撮映画の復活を望むファンは少数派だった。
 そんな中で、いやゴジラは単に怪獣が暴れるだけの子供向け映画じゃないんだ、第一作は反戦反核をテーマにしていたんだといったことが弁明的に語られていたように、当時を知る者としては思う。

 しかし、怪獣映画の本質は、まさにその怪獣という現実には存在しないものをどう表現するか、そしてそれが巻き起こす大破壊、さらに人類がそれにどう立ち向かい、撃退するかといったところにあるのではないか。
 それが、戦争の記憶の根強い第一作においては、ゴジラの出自と相まって、たまたま怪獣による被害が現実の戦争と重ね合わせて表現されたのではないか。
 だから、第一作の翌年に公開された「ゴジラの逆襲」では、戦争のにおいはもはやほとんど感じられない。

 第一作のポスターや、予告編を見て、反戦反核のメッセージが果たして感じられるだろうか。

 かつて「ヤマト」や「ガンダム」に対しても、戦いを美化している、若者を戦争に導くものだといった愚にも付かない批判があった。そしてそれに対してファンサイドが、いや作品のテーマは宇宙の愛だ、人の革新だ、戦争肯定ではないと反論した。
 しかし、彼らが本当に観たいものはそうしたテーマそのものではなく、かっこいいメカニックや戦闘シーン、ロマンチシズムやヒロイズム、さまざまなキャラクターが織りなす人間ドラマなどではなかっただろうか。
 ゴジラが反戦反核だなどというのも 元々はその種の弁明ではなかったかと思う。それがいつの間にか、それ自体を訴えるために作られたかのように誤解されたのではないだろうか。そして、かつての作り手の側も、そうした神話を利用してきたのではないだろうか。
(アニメや特撮作品がすっかりメジャー化したこんにちでは想像するのが困難かもしれないが、そうした弁明が必要とされた時代が確かにあったのだ)

 最近読んだ桜玉吉のエッセイマンガ『漫喫漫玉日記 深夜便』に収録された「ゴジラさん」でも、第一作のゴジラは観客にとって戦争の再現であり、鑑賞後、復興した現実の日本を見て「日本は大丈夫、明日もガンバロウ」と心にゲタを履かせることを狙った作品だったのではとの玉吉さんの主張に対して、第一作当時20代だった彼の父親が、

「要するにあれは

娯楽だ娯楽」

と返していた。

 ところで、私は朝日新聞の読者だが、産経抄が取り上げたこの記事は読んでいなかった。
 で、朝日新聞デジタル(朝日新聞のネット版)で確認してみた
 なるほど、第一作で主演を務めた宝田明が
「戦争の悲惨さを描いたゴジラに共感できたあの国は、どこにいったのか」
「ゴジラ」には「アンチ戦争のメッセージに共感させるだけの力があった」
などと語り、公害怪獣ヘドラが登場した「ゴジラ対ヘドラ」(1971)で監督を務めた坂野義光は原発批判を展開する。早大で「ゴジラ」を戦後史の授業で取り上げてきたという文芸評論家の加藤典洋は、若者の保守化を憂い、
「戦争の苦しさが忘れられようとしている。ゴジラが日本に戻ってきたら、『自分の死はいったいなんだったのだ』と怒るのではないだろうか」
と述べているとある。

 しかしこれらは、彼らから見てゴジラシリーズにはそうした面があったということにすぎず、産経抄が否定している「元祖ゴジラは、反戦や反核をテーマにした映画」だったと正面から主張しているわけではない。
 集団的自衛権の件についても、宝田の箇所で

 十分な議論もなく、着々と集団的自衛権の行使容認に突き進む政治が怖いという。「あのときも一部の人たちの判断で国のかたちが変わってしまった。立場の弱い人が蹂躙(じゅうりん)されるのが戦争。あんなこと、もう誰にも経験してほしくない」


とあるだけで、別に記事全体として「まして……もってのほかだ」などとは受け取れない。

 この程度の記事をわざわざ1面コラムで取り上げて、上のようにくさす産経新聞もどうかと思うが(これに限らず、朝日がこんな風に書いている、実にケシカランとなじる記事は産経に多いが、逆は少ない。朝日にはまだしも独自の立脚点があるが産経はアンチ朝日でしかないからだろう)、さらにそれを脊髄反射的にデマだと攻撃する人々は、反戦反核が「ゴジラ」のテーマに決まっていると信じて疑わない様子で、何だかなあと思う。
 産経のは商売としてのアンチ朝日だが、彼らのは素の発言なわけで、思考の硬直化はこちらの方がより著しいのではないだろうか。
 

「甲案」「乙案」とはどのようなものだったか(下)

2014-06-01 23:39:27 | 大東亜戦争
承前

 先に取り上げた産経の連載は、

中国や仏印(フランス領インドシナ)からの暫時撤退などを盛り込んだ甲、乙2つの妥協案をつくり、


としているが、甲案は、前々回見たように、「北支及蒙彊の一定地域及海南島」には「概ね二十五年を目途と」して駐屯し、仏印からは「支那事変にして解決するか又は公正なる極東平和の確立するに於て」撤兵するというものであったし、乙案は、前回記したとおり、石油の供給等を条件に南部仏印の日本軍を北部仏印に移駐するというものでしかなかったのだから、これを「中国や仏印……からの暫時撤退」と、あたかも即時無条件の全面撤退であるかのように表現するのはおかしいだろう。

 では、東郷茂徳外相はこの甲乙両案による交渉の成否をどう見ていたのだろうか。

 先に引用した連絡会議における甲乙両案の承認を経て、これに基づく新たな「帝国国策遂行要領」案が11月5日の御前会議に提出された。
 昭和天皇は慣例に従い無言であったが、原嘉道・枢密院議長が天皇の意を体して出席者に質問し回答させた。
 『杉山メモ』によると、原から米国側の甲乙両案に対する態度の見込みを問われた東郷は、次のように答えている。

甲案を以てしては急速に話が出来ることは見込がつき兼ねる。乙案に就ても話はつき兼ねると思う。例えば仏印の撤兵のことである。又第四の支那問題に就ても米は従来承知せぬことなので承諾しないのではないかと思う。尚備考の2に就ても米側は日本の履行を求めて居る訳なる故中々承諾せぬと思う。唯日本の言分は無理とは思わぬ。米が太平洋の平和を望むならば、又日本に決意あることが反映すれば米も考うる所あるべしと思う。唯米に対し日本より武力にて強圧すると云うことになるから反撥することにならんとも限らぬ。又時間の関係は短いのである。御決定後に訓電して交渉するのであって、十一月中と云うことである故交渉する時間は二週間である。之れも他方面の必要からして已むを得ぬ。従て交渉としては成功を期待することは少い。望みは薄いと考えて居る。唯外相としては万全の努力を尽すべく考えて居る。遺憾ながら交渉の成立は望み薄であります
(『杉山メモ(上)』原書房、2005、p.410 カタカナをひらがなに、かな遣いを現代のものに改めた。太字は引用者による)


 また、東郷自身が記した『時代の一面』は、この御前会議の模様を次のように描いている(この御前会議は11月5日であるが、東郷は4日と記している)。

 御前会議は閣員及両総長及次長並に内閣書記官長、両軍務局長が出席し、枢密院議長が特旨により出席した。東條首相が先ず前記決定案の主旨と共に此決定を為すの止むを得ざる所以を説明した。次で自分は日米交渉が危機に瀕せる状況にありて外交的施策の餘地に乏しく、其円満成立を期待し得る程度は遺憾乍ら小なるに拘らず、帝国の名誉と自衛の許す範囲内に於て米国側希望に歩み寄りたる甲案及乙案により妥結に努むるものなるを陳述し、次で二、三閣僚及統帥部の陳述があった。此際原枢密院議長から二、三質問があったが、其中に交渉成立の見込は小なる旨の陳述ありたるが如何なる程度に考うるやとのことであったので、自分は米国の強硬態度及本案の内容に照せば一割以上の見込みは立ち難しと述べたる処、東條首相は直ちに発言し、米は両面作戦を避けんとする意向強かるべき処、其中日本兵力移動の状況も先方に判明すべきにより四割位の成立の可能性あるものと思うとの陳述をなした。しかし原議長は本件見込みの少きことは自分も外務大臣の意見に賛成なるが、米国が如斯頑迷なる態度を固持し、一方作戦上の必要考量に加えざるべからざる関係上本件の如き決定を為すは止むを得ざるものとの意見を述べた。陛下は何等御発言なく入御せられたが、その後間もなく御裁下があった。(p.216-217、一部の漢字の字体及びかなづかいを現代のものに改めた)


 何とか甲案に加え乙案を統帥部に認めさせた東郷ではあったが、それでも交渉を成立させる見込みはせいぜい1割でしかないと考えていたのである。
 そして、楽観論を唱える東條首相にしても「四割位」、つまり半分未満の可能性しかなく、しかも原枢密院議長は東郷の意見に賛成するとしているのである。

 甲案乙案は米国に対する妥協案ではあった。しかし、それで交渉が成立する可能性は、外交当事者から見ても著しく低いと見られていた。
 元々その程度の案でしかなかったことは、理解しておくべきだろう。