昨日の『朝日新聞』夕刊のコラム「素粒子」から。
《政治家をないがしろにし、国民
を欺き、国事を専断しようとする
のは、旧陸海軍以来軍部の伝統。
× ×
大事なのは文民統制、とはいえ
業者接待ゴルフ三昧の文民じゃ、
報告を上げる気にもなれまいて。 》
「業者接待ゴルフ三昧の文民」とは、今、軍需専門商社「山田洋行」による接待ゴルフ等が問題となっている、守屋武昌・前防衛事務次官のことだろう。
防衛事務次官が何で文民なんだよ。
昨日の『朝日新聞』朝刊の社説「データ隠し―文民統制が侵された」(ウェブ魚拓)
も、次のように述べている。
《防衛省の説明通りだとすれば、自衛隊の制服組が都合の悪いことを内局の官僚に知らせていなかったことになる。文官は現場の状況を十分に把握できておらず、重要な情報のらち外に置かれていた。国会や国民が欺かれていた。文民統制の空洞化である。》
制服組は軍人、背広組(内局)は文民というのが、朝日の理解であるらしい。
しかし、防衛省は戦前で言うなら陸軍省、海軍省に相当する。つまりは軍人である。
守屋前次官の接待が問題となっているのは、彼が「自衛隊員倫理規程」に違反したからだ。つまり、防衛事務次官もまた自衛隊員なのである。
防衛省(背広組)とは別に自衛隊(制服組)という組織が存在し、自衛隊が防衛省の下部組織であるのではない。防衛省と自衛隊とは、同じ組織を別な側面から見た呼称の違いにすぎない。
背広組は「文官」とは言えるかも知れないが、「文民」ではない。ましてや、背広組の制服組に対する優越が文民統制などと、見当違いも甚だしい。
文民統制(シビリアン・コントロール)とは、軍の最高指揮権が文民(非軍人)の手に委ねられていることを指すのである。
文官一般が武官一般に優越しているという話ではないし、テロ特措法の関係で現在問題になっている、国会による自衛隊の行動の事後承認の廃止をもって文民統制が揺らぐなどというのも誤った理解だろう。
『政治学事典』(平凡社、1949)には「文民統制」という項目はないが、「文民優越制」(civilian supremacy)という項目はあり、次のように説明されている。
《軍人にたいして、文民が最高の指揮権をもつ制度。たとえばワイマール憲法第47条‘大統領は国の全軍隊にたいして最高指揮権を有す’、アメリカ合衆国憲法第2条第2節‘大統領は合衆国陸海軍の最高司令官 Commander in Chief である’などの条文は、この原則を成文にしめしたものであり、マッカーサー元帥を解任したトルーマン大統領の行為は、このような文民優越制の存在を現実に証明したものである。》
では、わが国の自衛隊はどうだろうか。
現行の自衛隊法には、次のように定められている。
《(内閣総理大臣の指揮監督権)
第7条 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。
(防衛大臣の指揮監督権)
第8条 防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する。ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の部隊及び機関(以下「部隊等」という。)に対する防衛大臣の指揮監督は、次の各号に掲げる隊務の区分に応じ、当該各号に定める者を通じて行うものとする。
1.統合幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の隊務 統合幕僚長
2.陸上幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊の隊務 陸上幕僚長
3.海上幕僚監部の所掌事務に係る海上自衛隊の隊務 海上幕僚長
4.航空幕僚監部の所掌事務に係る航空自衛隊の隊務 航空幕僚長》
防衛省のトップは防衛大臣だが、このように、自衛隊の最高指揮権は内閣総理大臣にある。
そして、日本国憲法第66条第2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定めているから、自衛隊は文民の統制に服することになる。
文民統制とはこのことを指すのであり、それは現行法制上十分に果たされている。
自衛隊法がこのように最高指揮権を内閣総理大臣にあると明記しているのは、明治憲法にはそのような規定がなく、戦前のわが国の陸軍が暴走したことへの反省があることは言うまでもないだろう。
そうした違いを無視して「旧陸海軍以来軍部の伝統。」と自衛隊を危険視する朝日。
自らもまた「政治家をないがしろにし、国民を欺き、国事を専断しようとする」傾向がなかったか、少しは省みてもらいたいものだ。
(関連記事「朝日は「素粒子」と社説を訂正せよ」)
《政治家をないがしろにし、国民
を欺き、国事を専断しようとする
のは、旧陸海軍以来軍部の伝統。
× ×
大事なのは文民統制、とはいえ
業者接待ゴルフ三昧の文民じゃ、
報告を上げる気にもなれまいて。 》
「業者接待ゴルフ三昧の文民」とは、今、軍需専門商社「山田洋行」による接待ゴルフ等が問題となっている、守屋武昌・前防衛事務次官のことだろう。
防衛事務次官が何で文民なんだよ。
昨日の『朝日新聞』朝刊の社説「データ隠し―文民統制が侵された」(ウェブ魚拓)
も、次のように述べている。
《防衛省の説明通りだとすれば、自衛隊の制服組が都合の悪いことを内局の官僚に知らせていなかったことになる。文官は現場の状況を十分に把握できておらず、重要な情報のらち外に置かれていた。国会や国民が欺かれていた。文民統制の空洞化である。》
制服組は軍人、背広組(内局)は文民というのが、朝日の理解であるらしい。
しかし、防衛省は戦前で言うなら陸軍省、海軍省に相当する。つまりは軍人である。
守屋前次官の接待が問題となっているのは、彼が「自衛隊員倫理規程」に違反したからだ。つまり、防衛事務次官もまた自衛隊員なのである。
防衛省(背広組)とは別に自衛隊(制服組)という組織が存在し、自衛隊が防衛省の下部組織であるのではない。防衛省と自衛隊とは、同じ組織を別な側面から見た呼称の違いにすぎない。
背広組は「文官」とは言えるかも知れないが、「文民」ではない。ましてや、背広組の制服組に対する優越が文民統制などと、見当違いも甚だしい。
文民統制(シビリアン・コントロール)とは、軍の最高指揮権が文民(非軍人)の手に委ねられていることを指すのである。
文官一般が武官一般に優越しているという話ではないし、テロ特措法の関係で現在問題になっている、国会による自衛隊の行動の事後承認の廃止をもって文民統制が揺らぐなどというのも誤った理解だろう。
『政治学事典』(平凡社、1949)には「文民統制」という項目はないが、「文民優越制」(civilian supremacy)という項目はあり、次のように説明されている。
《軍人にたいして、文民が最高の指揮権をもつ制度。たとえばワイマール憲法第47条‘大統領は国の全軍隊にたいして最高指揮権を有す’、アメリカ合衆国憲法第2条第2節‘大統領は合衆国陸海軍の最高司令官 Commander in Chief である’などの条文は、この原則を成文にしめしたものであり、マッカーサー元帥を解任したトルーマン大統領の行為は、このような文民優越制の存在を現実に証明したものである。》
では、わが国の自衛隊はどうだろうか。
現行の自衛隊法には、次のように定められている。
《(内閣総理大臣の指揮監督権)
第7条 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。
(防衛大臣の指揮監督権)
第8条 防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する。ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の部隊及び機関(以下「部隊等」という。)に対する防衛大臣の指揮監督は、次の各号に掲げる隊務の区分に応じ、当該各号に定める者を通じて行うものとする。
1.統合幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の隊務 統合幕僚長
2.陸上幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊の隊務 陸上幕僚長
3.海上幕僚監部の所掌事務に係る海上自衛隊の隊務 海上幕僚長
4.航空幕僚監部の所掌事務に係る航空自衛隊の隊務 航空幕僚長》
防衛省のトップは防衛大臣だが、このように、自衛隊の最高指揮権は内閣総理大臣にある。
そして、日本国憲法第66条第2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定めているから、自衛隊は文民の統制に服することになる。
文民統制とはこのことを指すのであり、それは現行法制上十分に果たされている。
自衛隊法がこのように最高指揮権を内閣総理大臣にあると明記しているのは、明治憲法にはそのような規定がなく、戦前のわが国の陸軍が暴走したことへの反省があることは言うまでもないだろう。
そうした違いを無視して「旧陸海軍以来軍部の伝統。」と自衛隊を危険視する朝日。
自らもまた「政治家をないがしろにし、国民を欺き、国事を専断しようとする」傾向がなかったか、少しは省みてもらいたいものだ。
(関連記事「朝日は「素粒子」と社説を訂正せよ」)