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日々の思いをたまに綴るブログ。

「過激派」1語の翻訳で3億円!?

2007-11-27 01:21:56 | ブログ見聞録
 堀端勤さんのブログの7月の記事「選挙まで情報操作にご注意を!」に、次のような記述があるのを見つけた。

《TOCKAさんによると、1960年代に「過激派」という言葉をextremistの訳語として作り出した広告代理店の電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!》

 常識的に言って、そんなことがあり得るだろうか。
 そこで私は、この記事に次のようなコメントを付けた。

《《TOCKAさんによると、1960年代に「過激派」という言葉をextremistの訳語として作り出した広告代理店の電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!》←こんなことあり得ないと思います。出所を教えていただけませんか。TOCKAさんに確認してみたいと思います。 》

 私はこのコメントをした同じ日に、この堀端勤さんのブログにほかにも2つコメントをしているが、その2つのコメントは間もなく削除された。が、このコメントのみは現在も残っている。しかし、堀端勤さんからは何の返答もない。

 TOCKAさんとは、この堀端勤さんのブログの常連で、同じくYahoo!ブログで「ロシア・CIS・チェチェン 」というブログを開いている方のことだろう。
 直接質問しようかとも思ったが、その前に検索してみた。
 すると、あっさり見つかった。TOCKAさんのブログの「【転載】B層マーケティング注意報! 」という記事だ。
 なお、タイトルに「転載」とあるが、これはYahoo!ブログでよくある、他のYahoo!ブログの記事の丸ごと転載ではなく、「チェチェンイベントニュース」というメルマガの記事の転載という意味らしい。

 この記事中のメルマガの引用部分に、次のような記述がある。

《一つ例を挙げると、広告代理店の電通は、1960年代の終わりに「エクストリーミスト」を「過激派」と翻訳しただけで3億円をもらったと言われています。いわゆる新左翼集団をひとまとめにする「過激派」というレッテルは、その範疇外にいる人々が当局による「過激派」への人権侵害を容認する社会を作り出しました。現在では「テロリスト」という言葉がその一つです。》

 だから、堀端勤さんが「TOCKAさんによると」と書いているのは誤りだ。正しくは「TOCKAさんが引用しているメルマガの記事によると」でなければならない。いいかげんだなあ。
 しかし、この「選挙まで情報操作にご注意を!」という記事、いつもの堀端勤さんの文体ではない。どうも違和感がある。
 念のためにこれも検索してみたら、starstory60さんの「キリスト者として今を生きる」というYahoo!ブログの同タイトルの記事が元になっていることがわかった。なんだ、じゃあ誤っているのは堀端勤さんではなくstarstory60さんだ。訂正する。
 にしても、堀端勤さんの方の記事には何故転載元が載っていないのだろう。普通にYahoo!ブログの機能で転載すれば転載元が載るはずだが。よくわからない。

 ところで、ではメルマガ「チェチェンイベントニュース」の人は、何を根拠にこの記事を書いたのだろう。
 メールで問い合わせてみたところ、阿部浩己、森巣博、鵜飼哲『戦争の克服』(集英社新書、2006)という本の次の記述(森巣氏の語った内容)が根拠である旨の丁寧な返信をいただいた(ありがとうございました)。

《・・・言葉の置き換えによる言論誘導といえば、「過激派」もそうでしたね。1960年代末に、いわゆる新左翼集団をひとまとめにして過激派と呼ぶようになりました。「エクストリーミスト」を「過激派」と翻訳しただけで、当時、電通は三億円もらったと言われました。それまでは、反日共系全学連××派とか三派系全学連○○派とか個別に呼ばれていたのですよ。それは穏健派も暴力革命派もふくまれていたので、いっしょくたにできない集団でした。しかしそれでは取り締まる側に不都合なわけです。それで、「過激派」というレッテルを作り上げました。これなら、全員パクれる。一斉検挙が可能となった。
 現在ではテロという言葉がいちばん効きます。テロ、テロリスト、テロ国家。言葉で世論が誘導されている・・・(p.111)》

 なるほど。
 「当時、電通は三億円もらったと言われました。」とあるから、おそらく当時そのような風聞があったのだろう。それは話の本筋ではなく、要は「言葉の置き換えによる言論誘導」の危険性について説かれている。
 そういえば、米国が最近よく使う「テロリスト」という呼称に対して、第2次世界大戦時のヨーロッパでナチスの支配と戦った勢力は「パルチザン」と呼ばれて称揚されるが、ナチス側から見れば彼らも「テロリスト」だったのではないか、抵抗勢力を「テロリスト」と安易に呼ぶのは不適切ではないかといった批判を聞いた覚えがある。

 「過激派」という呼称が、本当に1960年代末から用いられるようになったのか、また誰が名付けたのか、私は知らない。
 ただ、「過激派」という言葉自体は、それ以前からわが国にはある。
 ロシア革命の頃は、ボリシェヴィキを指して「過激派」と称していた(石橋湛山に「過激派を援助せよ」「過激派政府を承認せよ」というタイトルの論文がある)。

 森巣は上記のように言うが、そもそも、いわゆる新左翼が、1960年代後半には大きく変化していたことにも留意しなければならないだろう。
 高木正幸 『全学連と全共闘』((講談社現代新書、1985)によると、学生運動は、1967年の羽田闘争をターニングポイントとして、武装化、過激化の方向に大きく転回したという。
 国民は60年安保の時には学生に同情的だったが、70年安保の時には大学紛争は社会から遊離しており、国民は冷めた目で見ていたという印象がある。
 また、「過激派」という言葉から連想されるのは、火炎瓶闘争、爆弾やロケット弾の製作、内ゲバ、よど号事件、日本赤軍、あさま山荘事件、連続企業爆破事件といったもので、必ずしも新左翼系の学生運動や労働者運動が皆「過激派」と見られているわけではないだろう。例えば、安田講堂籠城組を「過激派」とは普通呼ばないだろう。
 森巣の言い分には一理あると思うが、果たして実態はどうだっただろうか。穏健派も「過激派」のレッテルを貼られてどんどん検挙されていったのだろうか。ならば70年代のさらに過激な闘争など有り得なかったと思うのだが、どうだろう。新左翼の退潮は、大衆からの遊離や、内ゲバや極端な武装闘争への幻滅が主因ではないだろうか。

 それにしても、森巣は、単に「当時、電通は三億円もらったと言われました。」と述べているだけで、その真偽については触れておらず、話の要点は別の所にある。そして「チェチェンニュース」の記事もその趣旨を踏まえたものであり、またそれを引用したTOCKAさんもこの箇所については何ら論評していない。ところが、TOCKAさんの記事を読んだstarstory60さんは、頭からこの箇所を信じ込んだのだろうか、「電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!」と、事実であるかのように力説している。この記事、そして転載記事(堀端勤さんのほかにも転載している人がいる)を読んだ人の中には、なんと! たった1語の翻訳に3億円も! 実にけしからん話だなあと思う人も出てくることだろう。
 デマというものが、どのようにして発生していくのかを示す見本のような事例だと思った。




堀端勤さんはこんな人(2)+いわれひこさんはこんな人

2007-11-24 21:58:57 | ブログ見聞録
(2007.11.24 AM2:36に一旦公開したが、出来が気に入らなかったのでAM9:00過ぎ頃非公開に戻し、改稿した)

 先に「堀端勤さんに「ブロガー新党」なる呼称の使用中止を要求します」という記事を書いた際に、堀端勤さんのブログのゲストブックでその旨の書き込みをしました(ウェブ魚拓)。
 24時間以内にその書き込みは削除されていました。その後、堀端勤さんから私に対しては何の反応もありません。

 同記事で触れたいわれひこさんは、Yahoo!ブログに「日本の将来を変えたいので、ブログを始めました。」を開設していますが、別館として忍者ブログにも同名のブログを開設し、「コメントはこちらにお願い致します。」としています。
 この忍者ブログのゲストブックで、堀端勤さんが次のようなコメントをしています(ウェブ魚拓)。


《≫ 毎度です~。
今朝は本当に寒いですね。嫁はインフルの私を見捨てて群馬に職場旅行です(涙)。まァ治ったので良かったもの、週明けから体調が万全か心配ですね。ところで反日監視所の深沢某が昨日の夜ですが、ゲスブにブロ新党の党名使用を禁ず!なんでタワケなカキコをして行きました。
内容はサッサと消しましたが、曰く「ブロ新党は非ブロガーに対して差別行為を行ってる」曰く「実態なき団体が政治的発言をするのは反国家的行為…」など。いわれひこさん、ドウ思います?。
私は非ブロガーの方であっても多数の連合上部団体の方と運動はしてますし、私は日本政府の現状打破と転換を訴えてるだけで、国家転覆など毛頭ありません(脱線程度はありとかんがえてますが?)。
未だにそういう思想に染まって活動してる輩が居ると思うと殴りこみに行きたい気分!ですが、行けば輩の思う壺ですので「笑止千万!」と無視コキまくります(笑)。相変わらずバカが多い日本ですね。
では今日はこんなところまで。取りあえず、ブロ新党は市民連帯の準備同行が確定するまでは現状のままです。
堀端 勤 2007/11/18(Sun)09:05:58 》


 私の記事を読まれた方はおわかりでしょうが、

1.《ブロ新党の党名使用を禁ず!なんでタワケなカキコをして行きました。》

 そんなことは言っていません。「「ブロガー新党」なる呼称の使用中止を要求し」ただけです。「使用を禁ず!」なんてことは言いません。そんな権限があるはずもありません。

2.《曰く「ブロ新党は非ブロガーに対して差別行為を行ってる》

 どこにそんな記述があるのでしょうか。

3.《曰く「実態なき団体が政治的発言をするのは反国家的行為…」》

 上に同じ。

 どのように脳内変換すれば私の記述が堀端勤さんの書いたもののようになるのか、不可解極まりないです。
 いや、もしかすると、ありもしない私の発言をでっちあげて不当に貶めるという、高度な政治的判断がはたらいているのかもしれません(多分違う)。

 この堀端勤さんのコメントに対し、いわれひこさんは次のように述べています。


《≫ Re:毎度です~。
 堀端さん、いつもコメントありがとうございます。

 深沢某氏、わたしのYAHOOブログのゲスブにも何やら質問して来ました。わたしはブロガー新党の支持はしていない、という事実だけ回答したら、捨て台詞を書いていきました。

 普通、支持政党を変えたからと言っていちいち説明する人間なんていませんよ。そんなプライベートなことを質問すること自体が信じられません。ましてや、反日なんちゃらのメンバーを相手にするわけないではありませんか。

 あの関連の人間は常識を持ち合わせていないのだから、気にすることありません。予定通りでいきましょう。

   いわれひこ
2007/11/18 17:26 》


 いわれひこさんが民主党を支持しようが、自民党を支持しようが、そんなことに関心はありません。
 いわれひこさんは、堀端勤さんによると、「第1回党大会」に「世話人」として参加していました。しかし「わたしは世話人ではありません。」と言うようになり、やがて「わたしはブロガー新党を支持していません。」と変わりました。その変化は何故なのか? そしてそれは本心なのか?を聞いてみただけです。
 いわれひこさんは、支持政党一般の問題にすり替えて、逃げています。

 さらに、

《反日なんちゃらのメンバーを相手にするわけないではありませんか。》

と述べています。

 「反日なんちゃら」とは、篠原静流さんの「反日ブログ監視所」のことですね。
 たしかに私は「反日ブログ監視所」に何度もコメントしたことがありますが、あそこは篠原静流さんの個人ブログですから、「メンバー」と呼べるものはありません。一部の機能を利用するのに会員登録する必要があるようですが、私はその会員ではありません。
 私の「反日ブログ監視所」でのコメント、いやどこのコメントでも自分のブログの記事でもいいのですが、私の発言の内容が気にいらないから対話はしないというのなら話はわかります。しかし、私がコメントした場所を理由に、私と対話しないと言われても、私は理解に苦しみます。

 いわれひこさんは、以前からそのように言いながらも、何度も私と対話してきました。
 そのきっかけをつくったのもいわれひこさんです。
 私が以前、臓器移植に関する記事を書いたとき、いわれひこさんのブログでも臓器移植を扱っていたので、トラックバックを送りました。すると、「反日ブログ監視所関連の人とは、一切会話をする気持ちを持っていません。」とのいわれひこさんのコメントが届きました。私は驚きながらも、ああこの人はそういう人なのかと思うばかりでした。
 次に、いわれひこさんと中畑さんのやりとりを見て、「ブログについてちょっと思ったこと」という記事を書きました。すると、いわれひこさんから自分の言い分を主張するコメントが届きました。
 私は、「一切会話をする気持ちを持っていません。」と言い放った人から、何の断りもなく普通の文面のメールが来たので、さらに驚きました。しかし、これは、私に対しては「会話をする気持ち」が出てきたのだろうと好意的に考えて、対話を続けることにしました。
 そういえば、「(中畑さんとは違って)深沢さんのように普通に聞かれれば、普通に答えるだけです」という趣旨のコメントをされていたこともありました。

 「一切会話をする気持ちを持っていません。」と言った相手に対話を求め、ある程度やりとりを交わしていながら、都合の悪い?質問を受けると「相手にするわけない」と切り捨てる。
 これは、何なのでしょう。
 「常識を持ち合わせていない」のは、どちらでしょうか。

 いわれひこさんのコメントの最後の一文「予定通りでいきましょう。」が気になります。
 これは、堀端勤さんのコメントの「取りあえず、ブロ新党は市民連帯の準備同行が確定するまでは現状のままです。」に対応しているようにも読めます。
 しかし、堀端勤さんは別に「予定」について述べているわけではありませんから、若干の違和感があります。それとは別の「予定」が存在するようにも思えます。
 そして、「わたしはブロガー新党を支持していません。」との発言を絡めて考えると、なおさらこのやりとりは不可解です。
 得体の知れない方々だと思います。


(過去記事「堀端勤さんはこんな人」はこちら



廃ペットボトルの価格高騰のニュースを読んで

2007-11-23 23:27:00 | 生物・生態系・自然・環境
 古い話だが、今月4日の『朝日新聞』社会面に、使用済みペットボトル(廃ペット)の相場が急騰しているとの記事が載っていた(ウェブ魚拓)。
 ペットボトルのリサイクルは、従来は、自治体が回収した廃ペットを「日本容器包装リサイクル協会」(容リ協)が無償で引き取り、それを業者に有償で引き取ってもらい、繊維やペットボトルに再生していたという。つまり、需要がないのにコストを投じて無理矢理再生していたわけだ。
 ところが、最近の原油高でペットボトルの原料であるポリエステルの価格が上昇し、加工費を加えても廃ペットから再生する方が割安になったため、廃ペットの需要が急増しているのだという。また、中国への輸出も増加しているという。
 廃ペットを容リ協に回さず、独自に入札を実施して売却する自治体も増えているという。環境の激変に再生業者は「ついていけない」と悲鳴をあげているが、一方で中国での需要増を商機ととらえている業者もあるという。

 少し前に、著書『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)が話題になった武田邦彦は、以前からペットボトルのリサイクルは資源の無駄だと主張していた。その根拠の1つは、再生品の方がコストが3倍以上もかかるということにあった。コストが余分にかかるということは、それだけ輸送や分別や再生のための設備の稼働に費用がかかるということであり、ひいてはそれだけ余分に資源を無駄遣いしていることなのだと。私も武田の著作などを読んで、そのように素朴に考えていた。
 しかし、原油高により再生品の方が安く生産できるということになると、やや話は変わってくる。さらに、その石油をはるばるアラビアなどから輸送してくるコストなどを考えると、安価で回収できる廃ペットが資源として注目されるのも当然なのだろう。
 ただ、石油という資源は金属と同様、木材や食糧と違って新たに作り出すことはできないから、大切に使わなければならない、しかるに、プラスチック製品のリサイクルと称しつつ、その過程で石油をより消費するのはおかしいのではないかという武田の主張の根源的な部分は、なお有効だろう。

 私がこの朝日の記事で気になったのは、中国への輸出が急増しているという点だ。
 国内での廃ペットは、再生されるポリエステルの質が悪いので、ペットボトルにはほとんど利用されないと聞く。
 しかし、規制が徹底していない海外諸国の場合、質の悪い製品であっても、ペットボトルその他に再生してしまうことはないだろうか。
 そのために、商品の保管や輸送に問題が発生したり、健康被害が生じたりすることはないだろうか。
 さらに、その商品がわが国にも入ってくるということはないだろうか。
 わが国は、ごみの輸出にはもっと慎重であるべきではないだろうか。

 中国では、輸入した廃家電から貴金属や電子部品を取り出す作業を原始的な手法で行っており、作業者の健康被害や環境への汚染が問題となっていると聞く。
 こうした事態が積み重なると、民衆は、規制のおざなりな当局よりも、その原因となったわが国に非難の目を向けてくることにはならないだろうか。
 カネでごみ処理を他国に押しつけていると。
 自分たちは万全の規制の下でクリーンな生活をして、ごみは他国に押しつけて、そのごみから再生された製品、言わば二流の製品を、他国の人間に利用させるのかと。
  
 終戦後の食糧難の時期、学校給食に米国から救援物資(いわゆるララ物資)として提供された脱脂粉乳が使用された。
 しかし、あれは米国では家畜のエサに使われていたものであり、米国人は日本人を家畜なみに見ていたのだと、未だに語られ続けている。
 私はこの話の真偽は知らない(こういうサイトを見ると、どうもそうではないらしいが)。
 しかし、援助物資でさえ、このように怨念を込めて語り継がれていくのである(反米感情に加え、脱脂粉乳が大変に不味かったことも原因なのだろうが)。
 ましてや、ごみの輸出においておや。
 
 ペットボトルは、昔は2リットルなどの大容量のものしか認められていなかったが、リサイクルできることを条件に、現在主流の小型のものが量産され、普及したと聞く。
 しかし、ちょっと考えればわかるように、ペットボトルは、金属缶やガラス瓶と比べて、およそリサイクルに不向きな容器である。
 リサイクル社会と言うなら、こうした商品は本来使わない方向に持っていくべきではないかと思う。
 ではお前はペットボトルを利用しないのかと問われれば、毎日のように利用していると答えざるを得ない。それは安価で便利だし、現実にそれしか選択肢がなくなっている(例えば、ペットボトル以外の容器のお茶など最近ほとんど見かけない)からだ。
 こういったことは消費者の行動に頼るのではなく、国が率先して規制していくべきことだろう。
 90年代以降、環境問題が声高に叫ばれるようになってきた。それ自体は好ましいことだと思うが、極端な分別収集や、省エネタイプの製品への買い換えの推奨、クールビズ、マイバッグなど、何だか問題の本質とはあまり関係ない、単なるファッションとしての政策や運動が多すぎるような気がする。

榎本俊二『榎本俊二のカリスマ育児』(秋田書店、2007)

2007-11-21 01:21:29 | マンガ・アニメ・特撮
 『GOLDEN LUCKY』『えの素』『ムーたち』などで知られるギャグマンガ家、榎本俊二の育児マンガ。

 『GOLDEN LUCKY』には昔ハマったが、途中(単行本6巻あたりだったか?)からついていけなくなった。その後はあまりマンガを読まなくなったので、『えの素』『ムーたち』は読んでいない。
 ああ、短編集『反逆ののろし』(双葉社、1995)は読んだ。あれはすごかったなあ。

 榎本俊二は不条理系というか、ギャグマンガとしてもかなり前衛的な部類のマンガを描く人だった。タイトルを見たときには、そんな人の育児マンガとはどんな出来だろうかとやや不安に思ったが、帯の内容紹介を見るとなかなか面白そうなので買ってみた。
 内容的には、妊娠、出産、そして育児に奮闘するマンガ家夫妻の物語で、まあ普通の育児エッセイマンガのはずなのだが、ほどよい榎本色が独自のムードを醸し出している(しかし行き過ぎていない)。

 タイトルに「カリスマ育児」とあるが、著者のまえがきによると、

《タイトルに「カリスマ」と堂々と謳っていますけどこれは全くの事実無根で、自分で言うのもなんですが、四六時中とっても腰が引けまくりの一大おろおろ絵巻となっています。》

とのこと。たしかにそんな感じ。

 著者特有のドライな描写の中に妻子への愛情がにじみ出ていて、読後感はむしろ暖かい。
 出産直前の日没イベントのエピソードなんか、感動しちゃいましたよ私は。

 妊娠と出産にまつわるゴタゴタ(ドタバタ)や、アトピーや、医者選びや、保育所選びといった、普通の育児マンガなら些事的な部分が、事細かく描かれているのが特徴かもしれない(といっても、私は育児マンガはそれほど読んでいないが。江川達也『タケちゃんとパパ』、森本梢子『わたしがママよ』ぐらいか。ああ、西原理恵子『毎日かあさん』があった!)。実際に参考になることも多いのではないだろうか。
 普通に、エッセイマンガとしてお薦めだと思います。

高島俊男『漱石の夏やすみ』(ちくま文庫、2007)

2007-11-18 20:50:51 | その他の本・雑誌の感想
 『お言葉ですが…』『水滸伝の世界』などで知られる中国文学者、高島俊男の小著。2000年に朔北社から出版されたものの文庫化。私は高島ファンではあるが、本書の存在は知らなかったので、文庫化はありがたい。

 「漱石の夏やすみ」というと、作家夏目漱石が夏休みを取ってどこかへ行ったとかいう話かと思いきや、そうではない。
 漱石が第一高等中学校時代の夏休みに友人たちと房総を旅行し、帰京後に郷里松山で静養する級友正岡子規に、漢文による紀行文「木屑録」(ぼくせつろく)(注1)を送った。本書はその原文と高島による訳と解説、そして漱石と子規との交友や、漢文についての高島の考えなどを内容としている。
 第一高等中学校というのは、現在の中学や高校のことではない。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東大)に入るための予備課程であり、旧制第一高等学校(いわゆる一高)の前身である。「木屑録」を記した夏休みの時、漱石は23歳だった。

 私が本書を読んで面白かったのは、「木屑録」自体やその解説よりも、「「漢文」について」と「日本人と文章」の2章で示されている、高島の漢文に対する、そして日本文に対する考え方だ。

《いうまでもないことだが、支那にもいろんな気分の文章がある。おもおもしい文章もあるし、悲痛な文章もある。また、かるい調子の文章もあり、諧謔的な文章もある。
 ところがこれを漢文にすると、どれもこれも全部一律に、荘重な文章みたいになってしまう。まことにゆうづうのきかないものなのだ。
 たとえばここに、フランス語の文章を日本語にする翻訳家がいるとする。このひとは、フランス語ができるらしい。しかしこのひとは感覚に重大な難点があって、フランス語の文章の気分がわからない。硬軟の区別がつかない。だからこのひとが訳すと、原文がどんなものであろうと、全部おんなじ調子になってしまう。哲学の論文も、こどものよみものも、漫才も、このひとにかかるとみな同一の荘重体である。
 それのみではない。このひとは、ひとつのフランス語の単語に対応する日本語はひとつにきめてしまっている。〔中略〕前後がどうであろうと、どういう人物のセリフのなかにでてこようと、いっさい顧慮しない。
 こういうひとの訳した文章をよむ気になれますか? 到底なれませんね。
 カンブンとはそういうものなのである。》

 ではそういう漢文が何故、わが国で成立したのか、そしてどのように変化していったのかをわかりやすく説明している。

 さらに高島の話は日本語の文章に及んでいく。

《わたしのように日本をある程度そとがわから観察するたちばのものが見ると、日本というのはふしぎなくにで、このくにには、ずっとむかしからつい百年ほどまえまで、自分のくにのことばによる標準的な文章というものがなかったらしい。
 標準的な文章というのは、そのくにの知識人が普遍的にもちいるものであって、長期にわたって安定しており、国土内ならどこでも通用する文章である。そしてまた、それでもって歴史の記述もでき、法令や判決文も書け、政治や軍事を論ずることもでき、学問もでき、書翰や紀行文を書くこともできる、つまりどんな用途にもつかえる、そういう文章である。そういう標準的な文章がなくてよくやってこられたものだなあ、とふしぎに思うのである。
 支那にはある。「文言」とよばれる文章である。漢代、つまり西暦紀元のはじまる前後のころに確立して二十世紀のはじめごろまで、ざっと二千年ほどのあいだ安定していた。国土内ならどこへ行っても共通である。》

《実は日本にも、全国で普遍的に、知識人が書く――すくなくとも、書くことが期待されている――標準的な文章はあった。ただしそれは日本語ではなく、支那語の文章であった。》

《つまりむかしの日本のこどもと支那のこどもとは、おなじ本をつかっておなじことをやっていたのであるが、しかしその意味はまるでちがう。支那においては自分たちの言語である。〔中略〕はじめは意味不明のチンプンカンプンだが、こどもが成長して使用する言語も豊富になり高度になると、両者はぐんぐん接近する。〔中略〕
 日本のこどもが素読の際にもちいるのも無論日本語にはちがいないが、それははなはだ不自然な日本語である。それにそもそもよんでいる書物が外国語の書物である。
 さらに重要なことは、支那のこどもがよむのは、自分の民族の生活のなかからうまれた書物である、ということだ。それをおぼえるのは、わが民族の歴史や思想を知ることである。おのずから、自分たちの文化に対する愛着、ほこりが生ずる。
 日本のこどもにとってはそうではない。〔中略〕自分たちとは縁もゆかりもない、生活も習俗ももののかんがえかたもまるで異質の、よそのくにの土にはえたものをよむのであり、だんだんと上級にすすんでも、どこまでいっても支那人の書いた書物をよむのが学問なのであるから、日本の学問は根なしぐさである。現に自分たちがいきている日本の社会とも日本人の生活とも、すこしもきりむすぶところのない、単なる知識である。》
(青文字の強調は引用者による。以下同じ)

《ではなぜ日本人が、そんなに苦労をして支那文を書く訓練をし、また支那文を書けるようになることを重要視したのかといえば、それにかわるものがなかったからであり、日本語は支那語とちがって低級なものだと思っていたからである。新井白石などごく少数のひとを例外として、日本語を格調あり気品ある言語にきたえあげようとする意思がなかった。あたまから、支那語支那文に跪拝していた。》

 朝鮮語についてよく聞くような話だが、日本語も似たような状況にあったらしい。

《しかし、まったくむだであったわけではない。自分たちとは無縁の生活に根をもち、自分たちの知らない言語で書かれた書物をよんで理解する、さらにその文章をまねして書くためには、つよい知的腕力を要する。日本人の、こどものころからのその訓練が、日本人の頭脳をきたえた。あたまの体操には、たしかになった。そうやって代々きたえてきたあたまで、日本人は幕末維新をのりきり、西洋の文化をうけいれ、あるいはたちむかった。その点、自分たちの生活、言語、文化しか知らなかった支那人よりずっと有利だった。》

 日本語を軽んじ、外国語である支那語、支那文を重視していたために、同じく「よそのもの」である西欧文明にも速やかに対応することができたと高島は説くのである。
 したがって高島は、歴史上、漢文が果たした役割については認めている。しかし、現代の国語の授業で漢文を教えることは「バカバカしい」「さっさとよすべし」と断じている。

 さらに、次のような興味深い指摘もある。

《そのかわり日本の知識人は、概して自分のくにのことには無知である。これは、支那の知識人が自分のくにのことしか知らなかったのと好対照である。〔中略〕
 漱石は「文學は斯くの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左國史漢より得たり」といっている。古今集や源氏物語から得たのではないのである。――なお、左國史漢は、春秋左氏傳(左傳)、國語、史記、漢書。〔中略〕おおくのばあい、支那の史書、あるいはさらにひろく支那の古典籍の意にもちいる。
 福澤諭吉はこどものころ本をよむのがきらいで、十四五になってから「近所に知て居る者は皆な本を讀で居るのに、自分獨り讀まぬと云ふのは外聞が惡いとか耻かしいとか」思って塾へゆきだしたのだそうだが、〔中略〕右文中に見える書物、もちろんみな支那の本である。いまの大学教授よりよほどよく読んでいる。
 そのかわり福澤諭吉は、万葉集も古今集も、枕草子も徒然草もよんだことはなかっただろう。通読はおろか、一部分もよんだことはないであろうと思う。
 これはなにも、福澤諭吉が特別のひとだったというのではない。いまのひとはそうしたいわゆる日本古典を学校でおそわるから、むかしの日本人も当然おそわりまたよんだことだろうと思うが、そうではない。そういうものを見るのは一部のひと(国学者とか歌人とか)であって、日本の知識人の中核をなす全国各地の武士は日本古典などとは無縁であった。そもそも「日本古典」というのが近代になってからのことばである。》

《日本は、明治の最初の十年で、ふるいうわぎをぬぎすててしまった。十年たってみると、日本中の男の子が〔中略〕みなきれいに英語にのりかえていた。ついこのあいだまで日本中で素読のこえがしていたのに、たちまちいまは日本中に英語練習のこえがひびきわたっている。〔中略〕
 明治十年代の反動で漢文は多少いきをふきかえしたが、おおむね明治期(明治四十年ごろまで)をとおして、風流韻事である。すなわち学問は法律理財哲学歴史から医学農学物理天文まですべて西洋の学である。
〔中略〕
 日露戦争に勝って国家は目標をうしない民心は渙散した。自由と個性の大正時代はおおむね明治四十年ごろからはじまる。
 国家はこの民心渙散を恐怖した。大逆事件の度はずれた苛刻な判決はこの恐怖のあらわれである。
 なにによって国民のこころをまとめるか。「文明開化、富国強兵」のスローガンは日露戦争の勝利をもって用がすんだ。もうやくにたたない。天皇のもとに帰一せしめるほかない。しかしなにをもって?
 ここで国家が「五十年まえの塵溜から拾い出してきた赤錆刀」(末弘嚴太郎の言)が、孔子孟子、すなわち漢文であった。〔中略〕
 東京帝国大学の漢文科が国家教学の総本山にしたてられた。元来「まごころ」というほどの意味であった「忠」が、もっぱら天皇への帰服の意にもちいられることとなった。孔子は支那人に相違ないが、しかし孔子の精神は支那においてはとうのむかしにたえはて、わがくににおいてただしくうけつがれてきた、と教授たちは主張した。漢文の目的は教育勅語の精神をのべひろめることにある、と明確に規定された。全国の中等学校の「漢文」はこの趣旨による道徳教育の教科になった。支那人のつくった書物が天皇に対する純一無雑の忠誠をおしえているとはおわらいぐさだが、大正と昭和の二十年たらずとはこのおわらいぐさの時代である。
 すなわちおなじ漢文が、幕末から大正期までのほんの五十年あまりのあいだに、「学問のすべて」から「風流韻事」へ、そして「天皇帰一の国家教学」へと変転したのである。》

 現代の国語教育における漢文とは、その残滓ということなのだな。
 なるほどそれでは「さっさとよすべし」となるのも無理はない。
「孔子の精神は支那においてはとうのむかしにたえはて、わがくににおいてただしくうけつがれてきた」
 これも、清朝時代の李氏朝鮮で、似たような説が唱えられていたことを思い起こさせる。
 儒教という点では、わが国と朝鮮は似た部分が多いのかもしれない。

 高島ファンならもちろん、日本語と漢字の関係などに思いをめぐらしたことがある方には面白く読めると思います。

(注1)「木屑録」の「録」の字は、正しくはかねへんに「碌」のつくりの部分になっているが、パソコン上で見当たらなかったため、「録」で代用した。

(付記)引用文を読んでいただくとわかるように、本書の文章はやたらとひらがなが多い。これは、和語(本来の日本語)はできるだけかなで書くべきであるという著者の持論によるものである。ただし、私はこの論には同意しない。

堀端勤さんに「ブロガー新党」なる呼称の使用中止を要求します

2007-11-17 23:43:32 | ブログ見聞録
 「ブロガー新党」とその代表世話人である堀端勤さんについては、以前このブログで何本か記事を書いたことがありました。
 私は当時から、この「ブロガー新党」という名称に大いに問題があると思っていました。
 ただ、その後、堀端勤さんのブログを見続けていたところ、そのレベルがわかってきたことと、「ブロガー新党」名義での活動がほとんど見られなかったことから、一過性のものだったのかと思うとともに、いつしか堀端勤さんのブログについても関心を失っていきました。
 ところが、先日久しぶりに堀端勤さんのブログを見てみたところ、「ブロガー新党」名義での活動は依然続いているばかりか、市民団体の集会の案内で「ブロガー新党代表」を名乗っています。代表世話人と代表では意味が違うと思うのですが、経緯も明らかでないまま、ついに公的な場で「党代表」として活動を始めている。(注1)
 これは、見過ごしておけないなと思いました。

 私が「ブロガー新党」という名称に問題があると考える理由は、次の2点です。

1.ブロガーを代表するものではないのに、そう誤解されかねないこと

 例えば、昔、サラリーマン新党というミニ政党がありました。源泉徴収制度の廃止など、サラリーマンの不公平解消を主張するものでした。
 あるいは、細川護煕率いる日本新党という政党がありました。55年体制下の既成政党によらない、新しい日本の政治を目指すというものでした。
 ところで、「ブロガー新党」はどうでしょうか。
 たしかに初期においては、政治改革を訴えるブロガーの結集といった企図があったようです。しかし、結局それには失敗し、単に堀端勤さん個人が党を名乗っているにすぎない(後述)ものとなっています。
 そして、その主張は、ブロガーの権利擁護といったこととは全く関係ありませんし、また、ブロガーしか入党できないのかどうかも明らかではありません。
 今となっては、要するに堀端勤さんがブロガーであるから、「ブロガー」を冠しているにすぎないという状態です。
 しかし、「ブロガー新党」の名を聞く人は、政治改革を訴えるブロガーが結集して政党を結成したのだという印象を受けることでしょう。「党代表」である堀端勤さんの背後には多数のブロガーの存在があるのだと思うことでしょう。
 これは、僭称です。僭称とは、その名に値しない者が、その名を自称することです。
 例えば、私は大阪在住ですから、仮に「新党大阪」を名乗ったとしましょう。そして、大阪とは何の関係もない、私の持論であるところの、現行憲法下での集団的自衛権行使の容認とか、軍の保有を明記するための改憲とか、天皇制の廃止といったことを主張したとしましょう。おそらく、それらの主張とは何の関係もない「大阪」という地名を使用するなという批判を受けることでしょう。しかし一方で、地域政党の出現かと誤解した人々から注目を受けることはできますし、「新党大阪代表」と名乗れば、何やら多数の大阪人の支持を受けているかのような印象を醸し出すことができます。
 堀端勤さんのやっていることは、ちょうどそういったことです。
 「ブロガー新党」という名称など、ちょっと気の利いた人なら誰でも考えつくことでしょう。にもかかわらず、堀端勤さんが名乗るまで、誰も使用した人はいなかったようです。それは、実態としてそんなことは不可能なのに、ブロガーの代表づらをして振る舞うことを、誰も潔しとしなかったからです。誰も、堀端勤さんほど傲慢でも恥知らずでもなかったということです。

2.党の体を成していないこと

 一般に、政党には、綱領や党則、規約というものがあります。
 何らかの共通の政治的理念や目標があって、それに基づいて共に行動しようと考える人々の集団が政党です。ただ漠然とした人の集まりは、政党とは言えません。
 「ブロガー新党」は、結党当初、「結党宣言」及び「日本の未来のために掲げる核(キーポイント)」(以下「キーポイント」と略す)を発表していますが、その後現在に至るまで、綱領や党則、規約といったものは発表されていません。現在の党役員、党員数についても一切不明です。ただ、当初から堀端勤さんが「代表世話人」を名乗り、最近では「代表」とも名乗っているというだけです。
 そもそも、昨年9月23日に第1回党大会を開催したウェブ魚拓)と称していますが、この記事を読む限り、これは、要するに堀端勤さんといわれひこさんが2人で会って、今後の党運営の方針を決めたということですね。こうした会合を「党大会」と称すること自体、政党とはどういうものか、両人が全くわかっていないことの証左ですが、この記事には「いわれひこ世話人」とあり、他の記事には「代表世話人堀端勤」とありますから、少なくともこの両名は中核的なメンバーなのかと読者は思うことでしょう。
 ところが、いわれひこさんは自分のブログの今年6月24日の記事のコメント欄で、

 《それと、ブロガー新党を支持することは宣言していますが、わたしは世話人ではありません。
世話人と呼ぶな!!! 》(ウェブ魚拓

と述べています。さらに、同年9月24日の記事のコメント欄では、

《わたしはブロガー新党を支持していません。はきりと宣言していま。》(ウェブ魚拓

とまで述べています。
 そういえば、いわれひこさんが自ら「世話人」と名乗ったケースは確認できませんでした。経緯の詳細はわかりませんが、少なくとも現在、いわれひこさんは「ブロガー新党」のメンバーではないようです(注2)。
 すると、現在「ブロガー新党」のメンバーであることが明らかなのは、「代表世話人」を名乗る堀端勤さんだけです。ほかに、堀端勤さんのブログへのコメントで参加を表明している人はいますが、その人が「ブロガー新党」として何らかの行動を起こした様子はありません。
 つまり、「ブロガー新党」イコール堀端勤一個人だということです。
 先にも述べたように、「ブロガー新党」という名称を聞く者は、数名か、数十名か、数百名か、あるいは数千名かもわかりませんが、少なくとも複数の人間の集合体であるとの印象を受けることでしょう。堀端勤さんは「ブロガー新党」名義の文書で「私共」などと自称しているのですから、なおさらです。
 なるほど、個人が団体名を名乗ろうとも、それだけでは法的には何の問題もないかもしれません。しかし、道義的には大いに問題があると思います。

 さらに私は、次の点についても、堀端勤さんが「ブロガー新党」を名乗ることは不適切であると考えています。

3.堀端勤さんの思想信条と「ブロガー新党」の掲げる「キーポイント」が著しく乖離していること

 「ブロガー新党」には綱領も党則もありませんが、行動方針的なものとして前述の「キーポイント」(ウェブ魚拓)が発表されています。

 その内容をごく大ざっぱにまとめると、
1.平和主義、全方位外交、国際貢献
2.公平・公正な行政、資本活動と弱者保護の両立、全ての住民が尊重される社会
3.公的教育の復興、歴史教育の充実、自立的思考性溢れる国民の育成
4.農水産業の復興、テクノロジーとエコロジーのバランスが取れた産業構造の転換
5.国民生活主導の財政運営、ガラス張り、国民への負担は国民の直接投票で決定
6.格差社会の是正のため地場産業を強化、周辺諸国と自治体との交流による一極集中打破
7.天皇制の維持、天皇の国事行為の廃止、首相公選制の検討、立候補を容易に
といったもので、中には妙なのもありますが、それほど過激なことを主張しているわけではありません。賛同できる点もいくつかあります。
 ところが、堀端勤さんの言動には、これらと一致しないものが多々見受けられます。
 まず、堀端勤さんのブログタイトル下の「一言メッセージ」は、現在、
《我らの望み=反自公・非民主、市民主義革命政権》
となっています。
 少し前は、こうでした。
《自公政権を下野させ、革命政権を打ちたてよう!》
 「革命政権」を目指すのだそうです。革命政権とは普通、現政権との連続性のない、暴力革命による新政権を指します。
 11月3日の記事(ウェブ魚拓)では、共産、社民、九条ネットの大同団結、左派運動家の結集を呼びかけています。
 堀端勤さんは、まぎれもない左派の活動家です。
 10月29日の記事(ウェブ魚拓)では、

《良識ある国民よ、国会を実力で解散させよう!!》
《もはや法に則る云々の問題ではない。》
《今こそ実力で国会を解散させ救国革命政府の設立を急がねばならない。》

と、法を無視し、国民の実力により国会を解散し新政府を樹立せよと主張しています。これはまさしく暴力革命論です。
 9月1日の参院選を総括する記事(ウェブ魚拓)では、

《反動政治に「NO!」を 自公独裁政権「爆砕!」
人民民主主義政権樹立のため、歩き出そう!!》

と締めくくっています。
 「人民民主主義」とは、ソ連のような共産党の一党独裁とは異なり、第2次世界大戦後の東欧諸国で生まれた政権のような、共産党を中心とした複数政党による連立政権への動きを指す言葉です。結局、連立は形だけで、東欧諸国は完全に共産化されてしまったわけですが。堀端勤さんは、そういう政権をわが国でも望んでいるそうです。
 7月12日の参院選公示日に書かれた記事(ウェブ魚拓)には、

《私はかなり前から選挙に期待しなくなっていて、むしろ今のイラクの様に武装闘争を通じて政治的諸問題を決着すべきと考えていた。》

と、驚くべきことを述べています。正体見たりという感じですね。
 以上の記述から、堀端勤さんの思想信条は、左派、それも暴力革命を全く躊躇せず、共産化をよしとする、かなり古いタイプの左派であることがわかります。
 これは、キーポイントが穏健な改革を志向しているのとは大きく異なります。
 また、先般の大連立騒動を評した記事(ウェブ魚拓)のコメント欄では、現状では地方分権が中途半端だとするコメントに対し、

《理想的なのは米国や現在のロシア連邦の様な地域政府連合体だと思います。でも日本では死んでも無理でしょう。天皇制を崩壊せねばそういった議論すら出来ないと思います。》

と述べています。理想としては天皇制を崩壊させるべきと考えていることがうかがえます。これも、キーポイントの天皇制維持と矛盾します。
 これは、どうしたことでしょう。
 前述のように、「キーポイント」発表前の「第1回党大会」にはいわれひこさんが参加しています。いわれひこさんの思想が、「キーポイント」に影響しているのかもしれません。堀端勤さん個人の思想は、「キーポイント」とは大きく異なるものだったのでしょう。

 所属する組織の見解と、個人としての見解が異なるということは有り得るでしょう。
 しかし、「ブロガー新党」は、前述のように、実態は堀端勤さん1人ですから、「キーポイント」を堀端勤さん自身の思想に沿った内容に変更することは容易なはずです。しかし、それをせず、「キーポイント」は穏健な内容のままになっている。これでは、「キーポイント」は、読者を欺いて賛同者を得るための偽装だったのではないかの疑念が生じます。
 穏健な「キーポイント」に賛同して「ブロガー新党」に参加した者、あるいは支持を表明した者が、実際は過激な堀端勤さんに洗脳される、あるいは頭数として利用されるという危険があります。現に前述のいわれひこさんの発言の変化は、その実例を示すものではないかと私は考えています。

 以上の理由から、私は、一ブロガーとして、堀端勤さん、あなたに、「ブロガー新党」という呼称の使用を中止するよう要求します。


(注1)
 「ブロガー新党代表」の肩書きについては、この「市民連帯」という団体が勝手に付けたという可能性もあります。
 しかし、この「市民連帯」のホームページを以前確認したところ、「呼びかけ人」に応募する際には自分で氏名や肩書きを登録するようになっていました(現在ホームページが工事中のため確認できませんが)。
 したがって、堀端勤さんが自ら「ブロガー新党代表」と書いた可能性が極めて高いと私は考えています。

(注2)
 いわれひこさんのブログのゲストブックで、「ブロガー新党」との関係について詳細な質問をしました(ウェブ魚拓)が、実質的には何一つ答えていただけませんでした。
 

余談1
 1人で複数を装うあたりは、以前、蓮池薫氏に拉致されたと主張した横井邦彦が、「赤星マルクス研究会」を名乗り「われわれ」と自称したのと似ていますね。

余談2
 堀端勤さんも名を連ねる「市民連帯」の呼びかけ人一覧には、様々な団体名が見られます。
「母系社会研究会」「年金者組合」「沖縄との連帯・平和共同をめざす会」「コスタリカに学ぶ会」「市民の風」「全野党と市民の共闘会議」「世直し老人党」「キューバ友好円卓会議」……
 これらの団体がどのような活動をしているのか、私にはわかりませんが、少なくとも市民団体の名称としてはごく普通のもので、何ら問題はないと思います。
 堀端勤さんも、これぐらいにしておけばよかったのにね。


朝日は「素粒子」と社説を訂正……しなくていいです(訂正版)

2007-11-10 18:21:57 | マスコミ
(2007.11.13追記)
この記事のタイトルは当初「朝日は「素粒子」と社説を訂正せよ」という威勢のいいものでしたが、誤りが含まれていることがわかったため、その点について注釈を付けるとともに、タイトルを修正しました。誤りの内容については、本文中に赤字で示した注釈と、静流さん及び私のコメントを参照してください。

(以下2007.11.10に投稿した本文。赤字は2007.11.13に追記)

 『朝日新聞』の朝刊2面に「ニュースがわからん!」というQ&A形式の解説コーナーがある。
 昨日の朝刊では、「防衛省の「文民」、誰のこと?」というタイトルで、文民統制を取り上げている。

《A 「文民」は、「シビリアン」を訳して戦後にできた言葉だ。「シビリアンコントロール(文民統制)」とは、軍事に対して政治が優先し、民主的に統制することを意味する。かつて軍部の暴走を止められなかった反省から戦後、憲法66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定めた。自衛隊予算はもちろん防衛出動なども国会承認を受けなければならない。重要事項は首相と関係閣僚による安全保障会議で審議する。
 ア じゃあ、今だと「文民」は福田首相や石破防衛相ってこと?
 A 政府の見解では①旧軍の職業軍人で軍国主義思想に深く染まっていると考えられる者②現職の自衛官――は文民ではないとしている。自衛隊の最高の指揮監督権は首相にあり、防衛相が統括すると規定されている。
 ア 証人喚問された守屋前次官は?
 A 防衛省には「制服組」といわれる陸海空自衛官と、「背広組」といわれる内部部局(内局)の職員がいる。事務次官も含め、内局職員は文民として大臣を補佐する立場だが、法律では「自衛隊員」であり、政治の統制を受ける側に入る。
 ア へえ。背広組の職員も「隊員」なの。》

 全くそのとおりだ。
(いや、そのとおりではありませんでした。私はこれまで内局職員も軍人であり文民ではないと主張してましたが、朝日の記事はここで「内局職員は文民として大臣を補佐する立場だが」と、文民であると述べています。私はここの「文民」を「文官」と読み違えてしまっていました。)

 では、私が以前指摘した、コラム「素粒子」や社説の、背広組イコール文民とする記述は何だったのか。
 朝日は速やかに訂正記事を出すべきだろう。
(いや、だから訂正する必要はありません。背広組イコール文民とする朝日の主張は一貫しています。誤読に基づいて記事を書いてしまい申し訳ありませんでした。)

小沢一郎の民主党代表辞意表明の報を聞いて

2007-11-04 19:10:56 | 現代日本政治
 へー、また何で? というのが第一印象。
 どうも、大連立受け入れをめぐって党内が混乱したことを理由に挙げているようだが、要は、自らも大連立に意欲的だったのに、それが党内で支持されなかったことへの抵抗じゃないのかなあ。
 新進党時代にも、この人はこういうことをやっていたような記憶がある。どこまで本気なのか。辞意を匂わすことにより再び求心力をつけようとしているのではないだろうか。何しろ今小沢が辞めると、次は誰なのか。また鳩山か菅か。それで次の衆院選に勝てるのか。
 民主党を参院選で大勝させたのは、敵失に助けられた面があったにしろ、小沢の力もまた大きいのではないのか。それをむざむざ辞めさせては、まるで小沢が民主党に使い捨てられたように見える。
 まあ、私は小沢は好かないので、辞めようがどうしようがかまわないが。

 大連立は大政翼賛会的だと左右から批判の声が上がっているようだが、私は、大連立も選択肢として十分検討に値すると思う。
 衆院の解散権は福田内閣にある。参院選での大敗のダメージからまだ脱し切れていない自民党は、そうおいそれと衆院を解散するわけにはいくまい。しかし、参院の民主党優位の状況を覆すことは早くとも3年後の選挙までは不可能だ。となれば、国政の停滞を防ぐため、自民、民主ともに大連立を志向する者が出て当然だろう。
 大政翼賛会的だと言うが、大政翼賛会は、各政党を解消して一国一党を目指す運動により成立したものであり、大連立とは全く意味合いが異なる。大連立の結果、自民党と民主党が合同するというのなら危険視するのもわからないではないが、両党の構成やこれまでのいきさつから言って、そうはなるまい。
 選挙協力ができないから大連立は不可能だという説もあるが、選挙は選挙、政治は政治として、次の衆院選までの期間限定で連立を組むことは可能だろう。
 ドイツの大連立は選挙制度が比例代表制を主としているから可能なので、わが国のように小選挙区制を主としている場合は困難だという論もどこかで見たが、ドイツは小選挙区比例代表併用制を採っており、わが国の小選挙区比例代表並立制とは異なるものの、小選挙区で候補者が競合することに変わりはない。
 現メルケル政権は、2005年の連邦議会総選挙の結果を受けて成立したもので、最初から大連立を組むことを前提に選挙に臨んだのではない。おそらく、次の選挙でCDU/CSUかSPDのどちらかが単独過半数を獲得すれば、大連立などあっさり解消するだろう。
 連立とはそういうものであり、選挙協力ができないから連立が不可能などと述べるのは、どうかしているんじゃないか。

 と思っていたら、麻生前幹事長もそう述べているという(ウェブ魚拓)。
 うーん……私の理解が浅いのかなあ。

 

「集団自決」訂正申請の朝日記事を読んで

2007-11-03 17:34:44 | 大東亜戦争
 昨日付けの『朝日新聞』朝刊に、沖縄戦での「集団自決」をめぐる教科書検定について、教科書を出版する2社が文部科学省に訂正申請をしたと報じられた(ウェブ魚拓)。

 一読して、次のような疑問を持った。
 記事は、まず
 
《沖縄戦での「集団自決」をめぐる教科書検定問題で1日、東京書籍と実教出版の2社が文部科学省に「日本軍の強制」に関する記述を復活させた訂正を申請した。検定では5社の高校用教科書計7冊から強制の記述がなくなっており、これを受けた訂正申請はこれが初めて。渡海文科相は「真摯(しんし)に受け止め、適切に対応していく」との談話を出した。》


としているが、訂正申請の内容はというと、


《東京書籍版は、「日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で『自決』を強いられたものもあった」という記述が、検定を経て「『集団自決』においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」と修正された。関係者によると、訂正申請では、「日本軍によって『集団自決』においこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」と記しているという。
 一方、2冊を出した実教出版は、「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いをさせ」「日本軍により、県民が戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり」という記述が、検定で「日本軍のくばった手榴弾で殺しあいがおこった」「県民が日本軍の戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり」となった。関係者によると、日本軍が集団自決を直接引き起こした、という趣旨の記述で訂正申請したという。 》


 と、両社ともに「関係者によると、」と伝聞になっているから、両社が公表したものではないのだろう(公表しない性質のものなのかな)。
 なお、上記の記事は「アサヒ・コム」のもので、実教出版の方の「関係者によると、」以下の一文は、我が家に配達された紙面上にはなかった。この日は関連記事もなかったので、実教出版の訂正申請の内容には、紙面を読んだ読者には伝わらないままだ。


 実教出版の方はわからないので、東京書籍の訂正申請について考えてみる。

検定前
「日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で『自決』を強いられたものもあった」
     ↓
検定後
「『集団自決』においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」
     ↓
訂正申請
「日本軍によって『集団自決』においこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」と記しているという。

 これは、「「日本軍の強制」に関する記述」の復活と見るべきなのか?
 そもそも検定前の「日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で『自決』を強いられたものもあった」は、それ自体、日本語の体を成していない。その点でも、検定により修正が加えられるのは当然だろう。しかし、「集団で『自決』を強いられた」とあるから、強制されたということは表現されている。
 ところが、検定後の「日本軍によって『集団自決』においこまれたり、」とは、読みようによってはどうとでもとれる表現である。例えば、日本軍の敗北によって、米軍の侵攻を恐れた住民が集団自決に踏み切ったとも受け取れる。
 これは、玉虫色の表現で決着を図るものではないか?

 検定では、山川出版社の
「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。」
との記述が、
「その中には日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。」
と変わったそうだから、確かにこれでも検定前の水準に戻すことにはなる。

 しかし、朝日が問題視していたのは、「強制」の削除だったのではないか?
 「強制」が復活していないのに、その点について何ら記事中で触れていないのは、どういうことだろう。

 今日の朝刊には、さらに清水書院と山川出版社が訂正申請を提出したとの記事が掲載されている(ウェブ魚拓)。
 


《沖縄戦の「集団自決」をめぐる高校日本史の教科書検定問題で、清水書院と山川出版社が2日、訂正申請を文部科学省に提出した。いずれも検定を経て削除した「日本軍の強制」を復活させた内容と見られる。検定を受けて記述を削除した5社のうち、これで三省堂をのぞく4社が訂正申請を終えた。

 清水書院「日本史B」では、「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」という記述が、検定を経て「なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」となった。山川出版社「日本史A」の場合、「日本軍によって壕(ごう)を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」が「そのなかには日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」となった。

 検定の規則では、申請を承認するか結論が出るまで、出版社、文科省ともに申請内容を公にできないことになっている。》
 

 やはり申請内容は現時点では公表できないのか。
 上記の「アサヒ・コム」記事の「清水書院「日本史B」では、」以下の箇所は、我が家に配達された紙面上にはなかった。だから読者にはそんなことはわからないままだ。
 どうも、当初この問題に入れ込んでいた割には、扱いが小さすぎるのではないかと思う。

《削除した「日本軍の強制」を復活させた内容と見られる。》

と言うが、前述した東京書籍のような記述なら、復活と言えるかどうか疑問だ。
 いずれ公表されるのだろうが、どのような訂正を施したのか興味深い。



『ユリイカ』9月号 特集*安彦良和

2007-11-02 23:49:04 | マンガ・アニメ・特撮
(9月号のレビューなのに、ぼやぼやしていたら11月になってしまった)

 文芸誌『ユリイカ』が、近年『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(以下『THE ORIGIN』)が好評な安彦良和を特集している。
 安彦と伊藤悠(マンガ家。「皇国の守護者」という作品で著名らしい)との対談、安彦に対する更科修一郎のインタビューがメインで、ほかに呉智英などの論文が10本、それに竹宮恵子へのインタビューが掲載されている。さらに安彦による解説付きのイラスト集(カラー)、そして安彦の全漫画作品の解題が付されている。かなり読み応えがある。

 安彦良和といえば、「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイナー、作画監督を務めたことは知っていた。また、『アリオン』『ヴィナス戦記』『クルドの星』などのマンガ作品があることも。しかし、その後『THE ORIGIN』に至るまでの活動は、『虹色のトロツキー』ぐらいしか読んでいなかったので、本誌は大変参考になった。

 特に、安彦に対する更科のインタビューで、安彦が次のように述べているのが興味深い。

《『ORIGIN』を描こうと思った理由の一つとして、『ガンダム』二〇周年の頃に出た『G20』とかでボロクソに言われたから、というのがあるんですよ。「富野が笛を吹いて、安彦と大河原(邦男)が加わった『機動戦士ガンダムF91』はひどい出来だった。あの作品はもはや彼らが『ガンダム』に必要ないということを証明した」なんて言われていたわけです。
 確かにあれはひどかったけど、だいたいF91なんて手伝ったとさえ言えない程度の関わりなわけで。だけど、ファーストなら君らより知っているぞ、という気持ちもあって、『ORIGIN』を引き受けたんです。神話とか言われるようになったのは『ORIGIN』以降の話ですよ。》

 また、アニメ本編で触れられなかった「前史」部分について、

《サンライズの許認可という話もあるわけです。〔中略〕口はばったいけど、僕だから認めざるを得なかったというのはありますね。》

としながらも、

《始める前、サンライズに聞いたんですよ。「誰か前史を描いた奴はいないのか」って。そうしたら、誰もいないので「しめた!」と。「今なら俺のマンガが正史になるぞ」って。》

《でも、一方では、みんな前史に関心がないというのもあるんです。「ジオニズムとは?」と言っても、誰も真面目に答えたくないんですね。神話は神話でいいんだという。だから、本編でジオン・ズム・ダイクンは偉大な親父として認識されているけど、実は偉大でもなんでもなかった、と描いたわけです。くたびれたおっさんが持ち上げられることに疲れ果てて死んだと。暗殺ですらない。そういう切り込み方をこれまで誰もしようとも思わなかった。〔中略〕親父を暗殺したザビ家への復讐という、あまりにも大時代的なロマンが一番の人気キャラの背後にあるのに、その真偽には誰も触れないというのがね。
 ―― 不可侵の神話を崩すことが、『ガンダム』ファンへの回答である、と。
 安彦 そうです。》

 『THE ORIGIN』が始まった当初、私はこれに否定的だった。
 今さらファースト・ガンダムのコミカライズかよという思いに加え、作品自体にもさほど新味を感じなかったからだ。
 一応4巻まで読んだものの、それっきりになっていた。
 だが、安彦にこれほどの気概があるのなら、もうしばらく読み続けてみようと思い直し、今8巻まで読了した。9巻からいよいよ「前史」に入るようなので、期待している。

 二つ、書き留めておきたいことがある。

 『THE ORIGIN』を読んでいて、第3巻で、フラウ・ボウが敵兵に投げキッスをするシーンがやけに描き込まれているのが気になっていた(テレビ版の第8話「戦場は荒野」のエピソードに相当)。
 伊藤悠との対談で、安彦は次のように述べている。

《いま挙げていただいたフラウ・ボウが敵に投げキッスをするというのは詰まんない話なんですよ。あれは確か八話だったかな。ラストにジオンの兵隊が難民の親子を助けるっていうちょっといいシーンがあって、それだけで印象に残っている話数で、マンガにそのシーンを入れてやろうと思って観かえしたわけです。そうすると、窓からキスをしたりいろいろやっていて、あ、これテレビじゃ描けてなかったと思い出した。なんでこの時フラウ・ボウは窓からジオンの兵隊に投げキッスをするのか?
伊藤 さびしかったんですよね。
安彦 そう。まさにこの時、フラウ・ボウはメスになるんだよ。
伊藤 なかなか好きな子が振り向いてくれないから、誰でもよくなっている。
安彦 あの話数をやった演出家はそれがわかっていなかったんです。担当したアニメーターもわかっていなかった。だから最後のぽちっとしたいいシーン以外が全然ダメで。それで、観かえしてみて、この時フラウ・ボウはメスになってさびしかったんだということが何でわかんなかったんだと思って、それでいろいろ付け足したりした。》
 
 しかし、たまたま先日この第8話を私も見返してみたのだが、フラウ・ボウの描写について、そこまでの印象は受けなかったので、不審に思った。
 それらしき演出があるが、効果が出ていないというのなら、演出家やアニメーターが「わかっていなかった」という話も理解できる。
 しかし、第8話全体を通じて、フラウ・ボウとアムロはそのような描かれ方をしていない。ラストで「あの親子は、無事にセント・アンジェに着けたんだろうか……」とアムロがつぶやくシーンにはフラウが寄り添っている。
 たしかに、それまでにも、フラウ・ボウの想いに対してアムロが冷たいのではないかという描写はある(例えば、第7話で、避難民にフラウたちが人質にとられたのに動揺しないアムロをハヤトがなじるシーン)。しかし、この第8話自体にはそのようなものはない。そして、フラウが離れていくアムロを意識しだすのは、むしろマチルダの登場以後のことではないだろうか。
 第8話の投げキッスシーンは、フラウ・ボウがもともと持ち合わせていたおきゃんな部分の現れと私は受け取った。

 伊藤悠が「さびしかったんですよね」と応じているのは、テレビ版ではなく『THE ORIGIN』の印象から、そう述べているのではないか。
 「メスになる」云々は、本編終了後に安彦が物語全体を通して見て、そう読み取れるというにすぎないのではないだろうか。
 『THE ORIGIN』の人気は高い。ウィキペディアを見ると、「前史」部分も含め、これもまた一つの正史として認められていきそうな勢いがある。
 しかし、これはあくまで安彦版ガンダム、安彦による解釈に過ぎないのではないだろうか。
 ちょうど、貞本版エヴァが、あくまで貞本版にすぎないように。

 もう一点。
 「BSマンガ夜話」で、いしかわじゅんが、安彦のマンガは動きを描けていないと批判したのに対し、安彦があるマンガのあとがきでそれに反論したという。
 更科によるインタビューに、次のようなやりとりがある。

《――『BSマンガ夜話』のいしかわじゅんさんの指摘で、合気道で人を投げ飛ばすシーンの構図が静的で、マンガ家として必ずしも上手くはないという話がありましたが。
安彦 あれは白泉社版『王道の狗』四巻のあとがきでも書きましたけど、単なる言いがかりだと思います。いしかわさんはただ「ヘタクソ」とだけ言えば良かったんです。もともと彼は僕のマンガなんか好きではなくて、開口一番「興味ねえんだよ」と言っていたんだけど、パネラーとしては何か言わなきゃいけない。それで、李光蘭が描けていないとか動きが下手だとか言ったんだろうけど、ただの思いつきで的はずれな指摘だと思ったから、反論したんですね。ただ「ヘタクソ」なら、僕は「その通り」と認めていましたよ。興味のない時って、当たらずとも遠からず的なことを言ってしまうんですけれども、それはやっぱり外すんです。マンガ家いしかわじゅんは以前から好きだったので、ちょっと残念でしたね。
――いしかわさんは明大漫研出身でマンガの方法論をかっちりやっていた人なので、その枠内で判断してしまうというのもあるんでしょうね。
安彦 「安彦は動きが描けない」という言い方以外は、当たっていると思うんですよ。僕は動きを描いてメシ食ってきた人間だから、比較的、動きは描けると思っているんで。ただ、合気道を流れで描くのは難しいんです。〔中略〕
 アニメの時もそうだけど、動きを描くときに資料なんて見ないんです。そんな暇ないから。相手を殴る、馬が走るなんていうのは全部イメージで描くんですよ。でも、合気道はイメージがなかったんで、資料を見ちゃったんです。たしかに、そう言われればそれがいしかわさんがぎこちないと思った理由かもしれない。》

 「ヘタクソ」だと言われるのは甘受するが、「動きが描けない」と言われるのは承服できない。
 安彦の「動き」を描くことに対する強い自負がうかがえる。

 私はこの「BSマンガ夜話」を見ていないが、本誌に掲載されている論文、伊藤剛「まつろわぬ「マンガ」」が引用している上記の安彦の『王道の狗』4巻あとがきによると、いしかわは、大友克洋以前の旧世代作家である安彦は、その描く動きがリアルでなく、単なる記号でしかないと、例を挙げて述べたのだという。
 大友克洋以前、以後という分け方は、いしかわの著書『漫画の時間』(晶文社、1995)で述べられている、大友克洋と池上遼一のアクションシーンの違いといった見方に由来するのだろう。
(話がそれるが、この『漫画の時間』は、マンガ評論の傑作だと思う。私はいしかわのマンガやエッセイが面白いと思ったことはないのだが、マンガ評論は実に面白い。)
 この大友と池上の対比については批判もあるが、私はもっともな指摘だと思う。
 
 私は、「動きが描けない」とまでは思わなかったが、安彦のマンガは読みづらいところがあるとは思っていた。
 例えば、『THE ORIGIN』1巻に、ガンダム1号機がザクとの戦闘の末宇宙空間へ飛ばされるシーンがあるが、あのあたりを普通のマンガを読むペースで読んでいてスムーズに理解できる人は、そう多くはないのではないだろうか。私は、読み返さないと、何かどうなっているのかわからなかった。

 「動きが描けない」という点に注目して『THE ORIGIN』を読み返してみると、たしかにそのような印象を受ける。
 伊藤剛の論文によると、安彦は上記の「あとがき」で、「動きの中間過程をアニメの動画のごとく微分して描くことはできるが、しかしそうしなかった」(伊藤による表現)という趣旨のことを述べているという。
 安彦の反論は、いしかわに対してはやや的外れのように思える。というのは、いしかわが動きを描けている例として挙げる大友のケースは、動きの中間過程を敢えてカットすることにより、かえって動きを表現することに成功しているというものだからだ。
 安彦のマンガは、1つのコマで複数の動きを表現しようとする傾向が強いように思う。言わば、1コマでアニメの数秒間のシーンを表現しているような印象だ。そして、そのコマと次のコマとの「動き」が連動していない。私の言う読みづらさはおそらくそれに起因するものだと思う。
 上記の「あとがき」から察するに、安彦は敢えてそのような手法を選択したのかも知れない。しかし、それがマンガ表現として成功しているとは私には思えない。
 ただ、動きが描けているかどうかは、マンガの魅力の一部分でしかない。動きが描けていなくても、マンガとしての傑作はいくらでもある。だから、マンガ家自身がそれほど気にする必要はないと思うし、安彦の対応には大人気ないという印象を受けた。