人類学のススメ

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日本の人類学者39.森本岩太郎(Iwataro MORIMOTO)[1928-2000]

2012年10月14日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Iwataromorimoto

森本岩太郎(Iwataro MORIMOTO)[1928-2000][平田和明(2001)「恩師・森本岩太郎先生を偲んで」『解剖学雑誌』第76巻第3号より改変して引用](以下、敬称略。)

 森本岩太郎は、1928年6月5日に、長野県で生まれました。その後、松本中学校・松本高等学校を卒業後、1955年に信州大学医学部を卒業します。卒業後は、母校・信州大学医学部の解剖学教室助手に就任します。当時の解剖学教室には、京城帝国大学医学部出身の鈴木 誠[1914-1973]が、1951年から勤務していました。森本岩太郎は、その鈴木 誠から解剖学教室に勤務することを勧められたそうです。1961年には、信州大学医学部解剖学教室講師に昇任します。また、1962年には「日本人距骨ならびに踵骨におよぼす蹲踞位の影響」により、信州大学から医学博士号を取得しました。

 1963年、森本岩太郎は新潟大学医学部第1解剖学教室助教授に就任します。この解剖学教室は、かつて長谷部言人[1882-1969](元東京大学)・今村 豊[1896-1971](元三重大学)・池田次郎(元京都大学)等が在籍し、人類学研究を行っていました。当時の解剖学教室には、小片 保[1916-1980]が教授に就任しており、京都大学に転出した池田次郎の後任として移籍しています。この新潟大学時代は、小片 保と同様に、遺跡出土古人骨の研究やミイラ研究を行いました。

 1972年、森本岩太郎は新設の聖マリアンナ医科大学第2解剖学教室主任教授に移籍しました。当時の助教授には、新潟大学歯学部第1口腔解剖学教室助教授の小片丘彦が就任しています。聖マリアンナ医科大学では、新潟大学時代と同様に、発掘古人骨の研究・日本ミイラの研究・エジプトミイラの研究を行いました。 また、1990年11月12日から同13日にかけて開催された、第44回日本人類学会・日本民族学会連合大会を大会会長として主催しています。

 森本岩太郎は、1993年に聖マリアンナ医科大学を定年退職すると、日本赤十字看護大学に移籍し、1998年まで解剖学教育にあたっています。

 森本岩太郎が書いた論文は膨大ですが、人類学分野の主なものは以下の通りです。また、多くの出土人骨の記載を各地の遺跡発掘報告書に記載しています。

  • 森本岩太郎(1960)「日本人踵骨におよぼす蹲踞位の影響(英文)」『人類学雑誌』、第68巻第1号、pp.16-22
  • 森本岩太郎(1969)「日本人大腿骨のいわゆる蹲踞数について(英文)」『人類学雑誌』、第77巻第2号、pp.31-36
  • 森本岩太郎・小片丘彦・小片 保・江坂輝弥(1970)「受傷寛骨を含む縄文早期の二次埋葬例」『人類学雑誌』、第78巻第3号、pp.235-244
  • 森本岩太郎(1971)「縄文早期若年者の扁平脛骨について(英文)」『人類学雑誌』、第79巻第4号、pp.367-374
  • 森本岩太郎(1975)「日本人の膝蓋骨切痕の時代的変化:縄文早期人の長骨の細さに関連して(英文)」『人類学雑誌』、第83巻第1号、pp.85-94
  • 森本岩太郎(1982)「正座および蹲踞の影響によると思われる日本人膝関節軟骨の磨耗について」『人類学雑誌』、第90巻(Supplement)、pp.163-176
  • 森本岩太郎(1986)「長野県湯倉洞穴出土の縄文早期人骨」『聖マリアンナ医科大学雑誌』、第14巻、pp.29-37
  • 森本岩太郎・吉田俊爾(1987)「近世初期日本人の胸腰移行部における椎体の楔状化について」『人類学雑誌』、第95巻第1号、pp.77-87
  • 森本岩太郎(1987)「中世における打ち首の技法」『人類学雑誌』、第95巻第4号、pp.477-486
  • 森本岩太郎(1989)「エジプト・クルナ村出土男性ミイラの外陰部について(英文)」『人類学雑誌』、第97巻第2号、pp.169-187
  • 森本岩太郎(1991)「天明3年(1783)の浅間山大爆発による1犠牲者」『人類学雑誌』、第99巻第1号、pp.63-75
  • 森本岩太郎・平田和明(1992)「中世鎌倉出土の打ち首、追加1例」『人類学雑誌』、第100巻第3号、pp.349-358
  • 森本岩太郎(1993)「日本の仏教系ミイラ」『解剖学雑誌』、第68巻第4号、pp.381-398
  • 森本岩太郎(1995)「苧績み作業によると思われる飛鳥・室町時代女性切歯の磨耗」『人類学雑誌』、第103巻第5号、pp.447-465
  • 森本岩太郎(1995)「古人骨からみた日本人の特殊性炎」『日本赤十字看護大学紀要』、第9号、pp.1-7
  • 森本岩太郎(1996)「古代エジプトで開頭術が行われたか:自験例の検討」『日本赤十字看護大学紀要』、第10号、pp.1-11
  • 森本岩太郎(1998)「ミイラ作りのための内臓摘出術」『日本赤十字看護大学紀要』、第12号、pp.1-8
  • 森本岩太郎(1999)「古人骨に見る日本文化の伝統」『日本赤十字看護大学紀要』、第13号、pp.1-8

 森本岩太郎は、2000年6月3日に胃癌により死去しました。信州大学での鈴木 誠との出会いが、人類学及び解剖学研究へ一生を捧げる機会となり、古人骨研究・ミイラ研究・古病理学研究を行った一生と言えるでしょう。なお、聖マリアンナ医科大学解剖学教室は、森本岩太郎の愛弟子の平田和明が継いで、人類学研究を継続しています。

 私が森本岩太郎先生と最後にお会いしたのは、1998年年9月12日~同13日にかけて札幌学院大学で開催された第52回日本人類学会の会場でした。その頃、何度も手術をされていることを私は知りませんでした。私は、森本岩太郎先生とはご生前、色々とご指導をいただいており、特に、群馬県立自然史博物館の準備室時代には、寄贈されたエジプトミイラの鑑定や研究で大変お世話になりました。その時の成果は、以下のように、学会発表と論文発表されています。

  • 森本岩太郎・平田和明・楢崎修一郎(1997)「エジプト女性ミイラに発見された病気痕跡」『第51回日本人類学会』(於:筑波大学)
  • 森本岩太郎・平田和明・楢崎修一郎(1998)「群馬県立自然史博物館所蔵のエジプトミイラ標本について」『群馬県立自然史博物館研究報告』、第2号、pp.67-82

*森本岩太郎に関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 平田和明(2001)「恩師 森本岩太郎先生を偲んで」『解剖学雑誌』、第76巻第3号、pp.265-266

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