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人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

日本の人類学者3.石田収蔵(Shuzo ISHIDA)[1879-1940]

2012年05月31日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Shuzoishida_2

石田収蔵(Shuzo ISHIDA)[1879-1940][板橋区立郷土資料館(2000)『石田収蔵:謎の人類学者の生涯と板橋』の表紙より改変]

 石田収蔵は、1879年に石田実継・勝又キヨの四男として秋田県鹿角市にて生まれました。石田三成[1560-1600]の子供・石田勝成の子孫だと言われています。1879年に、父・実継が亡くなったため、母の実家がある青森県八戸市へ転居し、ここで、八戸中学校を卒業します。やがて、第四高等学校(金沢)を卒業し、1901年(1902年という説もあり)に東京帝国大学理科大学動物学科に入学し、卒業後は東京帝国大学大学院へ進学しました。

 人類学会との関わりは、1905年に専科生として人類学教室に入っています。当時、まだ、人類学科はなかったため、専門に学ぶ専科生か選科生しかありませんでした。ちなみに、選科生は大学で科目を学びますが、卒業後、学士号は与えられないという制度です。1906年に東京人類学会(現・日本人類学会)幹事となり、その後、東京人類学会編集員となります。その後、1907年には、東京人類学会編集主任、1910年には東京人類学会評議員及び庶務幹事、1915年には東京人類学会発行兼編集者として、主に、学会誌の編集を行いました。

 石田収蔵は北方研究を行い、北海道アイヌ及び樺太を現地調査しています。この地域を選んだ理由は、師である坪井正五郎[1863-1913]が関心を持っていたためであると推測されますが、確かではありません。この調査は、計5回に及んでいます。調査時期は、いずれも7月~9月あるいは10月で、大学の夏休みを利用したことが想像されます。

  1. 樺太:1907年7月~同年10月
  2. 樺太:1909年7月~同年9月
  3. 樺太:1912年7月~同年9月
  4. 樺太:1917年7月~同年9月
  5. 樺太:1939年7月~同年9月

 私生活では、1910年12月に小野 静(静子)と結婚しますが、子供がいなかったため、1919年には石田収蔵の弟・石田五郎の長男・石田信郎を養子に迎えています。

 やがて、大きな事件が起きました。人類学教室主任兼教授の坪井正五郎[1863-1913]が、1913年5月26日に出張中のロシア・ペテルスブルクで亡くなったのです。この時、人類学教室には、鳥居龍三[1870-1953]と松村 瞭[1880-1936]がいました。人類学教室における坪井正五郎の後任は、1922年に鳥居龍蔵が助教授に昇任します。ところが、松村 瞭の学位論文を巡って対立が起き、鳥居龍蔵は1924年に辞職し、1925年に松村 瞭が鳥居の後任として助教授に就任しました。

 石田収蔵は、坪井正五郎の後任になると自負していたようです。実際、鳥居龍蔵は小学校中退・松村 瞭は学士号を持たない選科出身でしたが、石田収蔵は理学士でした。ただ、鳥居龍蔵は1921年に文学博士号を、松村 瞭は1924年に理学博士号を取得しています。松村 瞭は、東京帝国大学理学部の植物学者・松村任三[1856-1928]の一人っ子であったので、理学部内でも応援する研究者が多かったのかもしれません。また、鳥居龍蔵や松村 瞭には、多くの論文や本等の業績が多かったという点も指摘できます。ただ、人類学雑誌の編集という縁の下の力持ちをずっとやらされた石田収蔵には、言い分もあったのかもしれません。いずれにしても、坪井正五郎の死・鳥居龍蔵の助教授昇任・鳥居龍蔵の助教授辞職・松村 瞭の助教授昇任という出来事の中で、石田収蔵は、1925年に東京帝国大学を辞職し、東京農業大学に移籍します。

 1939年には、前出のように第5回目の樺太調査を行いますが、その年の11月に妻・静が死去しました。石田は、その妻の後を追うかのように、翌年の1940年1月31日に60歳で亡くなっています。明治時代後半から大正時代の人類学会を支えた、縁の下の力持ちとして活躍した人生だと言えるでしょう。

 余談ですが、発音すると同じとなる元千葉大学の動物学者・石田周三[1910-1985]は、ハウエルズが書いた本を翻訳して『人間の来た道』を出版しています。

*石田収蔵に関する文献として、以下のものを参考にしました。

  • 板橋区立郷土資料館(2000)『石田収蔵:謎の人類学者の生涯と板橋』
  • 寺田和夫(1975)『日本の人類学』思索社

Itabashimuseum2000

板橋区立郷土資料館(2000)『石田収蔵:謎の人類学者の生涯と板橋』


博物館の企画展示図録2.『石田収蔵:謎の人類学者の生涯と板橋』

2012年05月30日 | N5.博物館の企画展図録[Illustrated Bo

Itabashimuseum2000

『石田収蔵:謎の人類学者の生涯と板橋』[板橋区立郷土資料館(2000)]

 この図録は、2000年2月19日~同年3月26日まで、板橋区立郷土資料館特別展「石田収蔵:謎の人類学者の生涯と板橋」として開催された特別展の図録です。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

 石田収蔵[1879-1940]は、秋田県で生まれ東京帝国大学理科大学動物学科を卒業し、同大学院で学びました。その後、東京人類学会(現・日本人類学会)幹事・編集・評議員を務め、人類学教室の講師をしていましたが、やがて、東京農業大学で動物学を教えています。この石田収蔵の全貌は、あまり知られておらず、この図録で経歴がようやく判明しました。

 本図録の内容は、以下の通りです。

  • 序論.石田収蔵:謎の人類学者の生涯と板橋
  • 石田収蔵略年譜
  • 石田収蔵著作文献目録
  • 近年におけるサハリンとその周辺地域の考古学調査:日・ロ共同調査を中心として(乃村 崇)
  • 二十世紀初期石田収蔵氏採録のウイルタ語資料について(池上二良)
  • 樺太先住民文化と研究・観光・展示(佐々木 亨)
  • 石田収蔵の集めた明治時代末期のサハリン南部における少数民族の足型(河内まき子・持丸正明)
  • 隠れたる先達石田収蔵先生(佐々木利和)
  • 足型・手形等一覧表(再版)
  • 樺太人種族(石田収蔵)
  • 十年後予想書付
  • 石田収集資料実測図
  • 資料「石田教授略歴」
  • 資料目録
  • 文献目録

 本図録は、タイトルにあるように、まさしく「謎の人類学者・石田収蔵」の全貌が判明した本で、人類学史として非常に貴重です。


雑記7.千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式

2012年05月29日 | A6.雑記[Miscellaneous]

20120528

千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式式次第(*画像をクリックすると、拡大します。)

 2012年5月28日(月)、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催された、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」に招待されたので参列してきました。

 式は、12:30に開式となり、国歌斉唱・厚生労働大臣式辞・厚生労働大臣農国・常陸宮同妃両殿下御拝礼・常陸宮同妃両殿下ご退場と進み、内閣総理大臣・各大臣・各国駐日大使・各委員長・各政党代表・都道府県知事代表・日本遺族会会長・遺族代表・千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長の献花と進み、参列者の拝礼で終了しました。

 私は、2011年9月に、マーシャル諸島ミリ(ミレー)島での戦没者遺骨収集に参加した関係で参列させていただきました。初めてのことでしたが、貴重な体験をさせていただきました。


日本の人類学者2.足立文太郎(Buntaro ADACHI)[1865-1945]

2012年05月29日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Buntaroadachi

足立文太郎1.足立文太郎(Buntaro ADACHI)[1865-1945](『日本医事新報』第2974号より引用)[以下、敬称略]

 足立文太郎は、1865(慶応元)年6月15日に、足立長造・足立すがの長男として、静岡県伊豆市湯ヶ島で生まれました。父・長造が家業に失敗したために、伯父の井上 潔(母・すがの実兄)の援助を受け、進学することができたと言われています。旧制第一高等学校を卒業後、1894(明治27)年に東京帝国大学医科大学を卒業します。卒業時には、29歳になっていました。卒業後は、母校で小金井良精[1859-1944]の助手に就任しますが、翌年には第三高等中学校医学部の解剖学教師として赴任します。ちなみに、この第三高等中学校医学部は、1901年に岡山医学専門学校(現・岡山大学医学部)になります。

 1899(明治32)年には、ドイツのストラスブルグ大学(現・フランスのストラスブール)に留学し、ここで、約5年間、解剖研究に没頭します。この5年間の内、3年間は官費で、2年間は自費で延長したと言われています。当時のストラスブルグ大学医学部解剖学教室は、グスタフ・シュワルベ(Gustav SCHWALBE)[1844-1916]が教鞭をとっていました。また、後にペキン原人の研究で著名になる、フランツ・ワイデンライヒ(Franz WEIDENREICH)[1873-1948]も同じ頃、ストラスブルグ大学で学生としてまたシュワルベの後任教授として教鞭をとっています。ちなみに、ワイデンライヒは、恩師シュワルベの姪と結婚していました。

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足立文太郎2.足立文太郎(左)、フランツ・ワイデンライヒ(中)、清野謙次(右)[赤堀英三(1981)『中国原人雑考』、六興出版、p.206より引用。1936年に、ワイデンライヒ来日時。]

 足立文太郎は、留学中の1900年、京都帝国大学医学部第2解剖学教室助教授に就任し、帰国後の1904年に同教授に就任しました。

 教授就任後は、日本人の遺体を多く解剖しながら、血管の動脈と静脈の研究に情熱を傾けています。ちなみに、あまりにも研究に没頭するあまり、約20年間学会にも顔を出さなかったため、死亡説まで出たと言われています。『日本人體質の研究』に、清野謙次が書いていますが、「十年一日の如く着古された古洋服と古帽子に下駄ばきで、肩から小学校生徒の使用するズック製カバンを下げて、大学へ来られる姿は大学教授でなくて正に小使であった。そしてポケットからなた豆煙管を出して一服されるのだ。正に奇人である。」。これは、学生時代に友人の保証人となり、その友人が死去したことから莫大な負債を抱えたためと言われています。ただ、これは大正時代のことで、昭和時代はそのようなことはなかったと書かれています。

 京都帝国大学を退官後は、1927年に大阪高等医学専門学校(現・大阪医科大学)の初代校長に就任し、1932年までその任にあたりました。1930年には、『日本人の動脈系統』の研究により、帝国学士院恩賜賞を受賞しています。 

 なお、足立文太郎の娘・ふみ[1910-2008]は、1935年に作家・井上 靖[1907-1991]と結婚しています。

 足立文太郎は、1945年4月1日に、京都の自宅で80年の生涯を閉じました。終戦まで、後4ヶ月と少しでした。生涯を通じて親交があった、小金井良精[1859-1944]は、前年の1944年10月16日に亡くなっています。足立文太郎は、まさしく、日本の軟部人類学の基礎を築いた人生と言えるでしょう。

 足立文太郎の主な本は、以下の通りです。

  • 足立(1927)『日本人體質の研究』岡書院[1944年に増補版が出版]
  • 足立(1928)『Anatomie der Japaner: Das Arteriensytem der Japaner(日本人の動脈系統)』
  • 足立(1933&1940)『Anatomie der Japaner Ⅱ: Das Venesystem der Japaner(日本人の動脈系統)』
  • 足立(1933)『日本人の静脈系統』
  • 足立(1944)『増補・日本人體質の研究』萩原星文館[このブログで紹介済み]
  • 足立(1981)『Korpergeruch, Ohrenschmalz und Hautdrusen: Eine anthropologische Studie(体臭、耳垢よび皮膚腺)』

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足立文太郎3.足立文太郎(1944)『増補・日本人體質の研究』

*足立文太郎に関する文献として、以下のものを参考にしました。

  • 井上 靖(1981)「香妃随想:足立文太郎遺稿刊行に当って」、『日本医事新報』、第2974号、pp.61-64
  • 清野謙次(1944)「跋文」、『増補・日本人體質の研究』、萩原星文館、pp.1061-78
  • 小宮 彰(1992)「十九世紀人類学と近代日本:足立文太郎を中心として」、『東京女子大学比較文化研究所紀要』、第53号、pp.21-37
  • 寺田和夫(1975)『日本の人類学』、思索社

日本人の起源の本・古典1.日本人体質の研究

2012年05月28日 | F2.日本人の起源の本:古典[Origin of

Adachi1944

 この本は、元京都帝国大学の解剖学者・足立文太郎[1865-1945]が、日本人の起源について書いたものです。1928年に初版が大岡山書店から出版され、増補版が1944年に萩原星文館から出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたので、リンクさせていません。なお、本書の目次には、現在では不適切とされる表現がありますが、当時のまま掲載していることをご了承下さい。

 本書の内容は、以下のように、全4部からなります。以下は、増補版の内容です。

通論之部

  • 人類由来
  • 人と猿との血縁
  • 人類学上日本人の地位
  • 日本人と西洋人
  • 頭の形:附日本人種
  • 塵塚の研究
  • 日本人体の解剖学上の研究
  • 人類学上生体或いは骨格調査に向かってお注意
  • 数の取り扱いに就いて

各論之部

  • 本邦石器時代住民の頭蓋
  • 琉球与那国島岩洞中の一頭蓋
  • 日本石器時代の梅毒
  • 硬口蓋の脈管溝(就中日本人及びアイノに就いて)
  • 硬口蓋の破格に就いて
  • 外口蓋管
  • 頭頂骨の前頭縁に於ける突起に就いて
  • 滑車棘に就いて
  • 田口博士の人類楔状骨に於ける古来未説の孔
  • 本邦中国頭蓋
  • 本邦人眼窩調査
  • 日本人の足骨
  • 日本人の小趾骨に就いて
  • 台湾蕃人頭蓋
  • 本邦人膝関節と膝蓋上粘液嚢及び脛腓関節との交通
  • 本邦人筋破格調査(第1報)
  • 生体に於いて胸骨筋Musculus sternalisを検査することに就いて
  • 日本人及び支那人の顔筋(予報)
  • 本邦人脈管調査第1報:人類学上の関係に就いて上肢の動脈第1回
  • 本邦人脈管調査第2報:人類学上の関係に就いて下肢の脈管第1回
  • 上腿卵円窩内血管の奇異なる関係
  • 深股動脈の稀有なる破格
  • 深股動脈の人類及動物に於ける関係
  • 閉鎖動脈
  • 内回施股動脈破格
  • 日本人の血管
  • 黄色人種に固有なりと称せられたる小児の母斑は白色人種にも亦之を存す
  • 黄色人種に固有なりと称せられたる小児母斑の研究
  • 小児の臀部に於ける青色斑に就いて
  • 小児臀部の青斑
  • 発毛異常の一奇例
  • 発毛異常と生殖器発育不全
  • 腋臭に就いて
  • 本邦人陰茎の包皮に就いて
  • 本邦人眼球之筋
  • 本邦人眼球之位置
  • 日本人の第三眼瞼

雑録の部

  • 人類学瑣談
  • 台湾通信
  • 台湾「アタイヤル」族の種々なる称呼
  • 台湾古棲むの土人「ニグリトー」に就いて
  • 故坪井博士の研究法

追加論文之部

  • 日本人の体質
  • 文献の出所に就いて
  • 「頭臭」
  • ゲーテ賞授与式に於いて挨拶を兼ねての講演

 本書は、著者・足立文太郎の論文集です。しかし、欧文でしか本や論文を出版しなかった足立文太郎が、唯一、日本語で出版した本で、大変、参考になります。


日本の人類学者1.赤堀英三(Eizo AKABORI)[1903-1986]

2012年05月27日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

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赤堀英三(Eizo AKABORI)[1903-1986](『人類学雑誌』第94巻4号より改変し引用)[以下、敬称略]

 赤堀英三は、1903年9月12日に、群馬県桐生市で生まれました。実家は、織物商でした。旧制佐野中学校・旧制水戸高等学校理科甲類を卒業し、1927年に東京帝国大学理学部地質学科を卒業しています。

 卒業後の1927年6月からは、人類学研究を志し、東京帝国大学理学部人類学教室で、当時助教授の松村 瞭[1880-1936]の元で人類学を研究しました。翌年の1928年には、東京人類学会(現・日本人類学会)に入会しています。やがて、当時、人類学(AnthropologyのA)・先史学(PrehistoryのP)・民族学(EthnologyのE)の3分野の頭文字をとって名付けられたAPE会を結成し、中心メンバーの一人となります。この頃、某大学に新設される地質学科の助手の話があったそうですが、辞退したそうです。「若気の至り」だったとご本人が書いています。この時、助手に就任していればあるいは地質学者として人生を全うしたかもしれません。

 やがて、人類学を修めるためには解剖学研究が必要との判断から、1930年10月に京都帝国大学医学部大学院に入学し、解剖学を専攻します。ここでは、解剖学教室助教授の金関丈夫[1897-1983]の元で解剖学及び人類学を学びました。元主任教授の足立文太郎[1865-1945]にも、指導を受けたそうです。1933年には、英文で254頁もある、『日本人頭骨の破格』という、今で言う、頭蓋骨の非計測的形質の研究をまとめ、この研究で、1936年6月に京都帝国大学から医学博士号を取得しました。この論文は、現在でも基本文献として、世界中の人類学者が参照し引用しています。

 1934年5月に、京都帝国大学の考古学者・濱田耕作(濱田青陵)[1881-1938]の推薦で、東亜考古学会から中国の北京に1935年7月まで留学をします。その後、1935年と1937年には、元京都帝国大学総長で上海自然科学研究所所長の新城新蔵[1873-1938]の推薦で現地調査を行っています。

 1937年10月には、東京帝国大学理学部人類学教室嘱託となり、1937年11月には上海自然科学研究所の在日研究嘱託に就任します。しかし、やがて、悲劇が訪れました。1938年7月25日に濱田耕作が死去、同年8月1日には新城新蔵が死去し、後ろ盾を失った赤堀英三は、同年11月には上海自然科学研究所も期限解嘱となってしまいます。ご本人は、この1938年は「生涯最悪の年」と回想しています。

 悩んだ末に、赤堀英三は、徴用を避けるために1940年に日本鋼管鉱山部に勤務し、製鉄用地下資源調査を行うという苦渋の決断を下します。1943年には青島製鉄所長となり、やがて、1945年の終戦を迎えました。1946年に帰国すると、鋼管鉱業株式会社に勤務し、1951年には取締役・1961年には相談役に就任しました。実業の世界から引退した、1969年頃からは人類学研究に復帰しています。

 人類学研究に復帰した赤堀英三は、1981年には論文集『中国原人雑考』を出版し、1984年に日本人類学会名誉会員に推薦されました。しかし、1986年4月2日に心不全で、82年の波瀾万丈の人生を閉じています。まさしく、戦争に翻弄された人生だと言えるでしょう。

 私も、赤堀英三先生には、1983年か1984年頃、国立科学博物館人類研究部に佐倉 朔先生を訪問された際にお会いしたことがあります。非常に、穏やかな紳士であられたという印象を覚えています。

 赤堀英三が書いた本には、以下のようなものがあります。

  • 赤堀英三(1948)『原人の発見』、鎌倉書房
  • フランツ・ワイデンライヒ著[赤堀英三訳](1956)『人の進化』、岩波書店
  • 赤堀英三(1981)『中国原人雑考』、六興出版[このブログで紹介済み]

*赤堀英三に関する文献として、以下のものを参照しました。

  • 赤堀英三(1981)「著者の略歴」『中国原人雑考』、六興出版、pp.360-362
  • 佐伯 修(1995)『上海自然科学研究所:科学者達の日中戦争』、宝島社
  • 山口 敏(1986)「故赤堀英三博士略歴」『人類学雑誌』第94巻第4号、pp.371-372

Akabori1981

赤堀英三(1981)『中国原人雑考』、六興出版


人類進化の本51.中国原人雑考

2012年05月26日 | E5.人類進化の本[Human Evolution:Jap

Akabori1981

中国原人雑考 (1981年)
価格:¥ 8,925(税込)
発売日:1981-07

 この本は、元東京帝国大学人類学教室嘱託の人類学者・赤堀英三[1903-1986]さんが、主に中国のペキン原人や出土人骨について書いたものです。1981年に、六興出版から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全4部15章からなります。ただ、部についてはその題名が掲載されていないので省略しました。

  • 汾渭地溝と渭汾文化圏
  • 渭地文化圏の遺産
  • 粗大石器は小型化したか:猿人洞文化の孤島性
  • 華北文化の古さ:西候度文化とは?
  • 許家窑第二報を読む:大量の石球と分厚い人骨
  • 大茘旧人の発見:精小器系のヒト?
  • ジャライノール出土人骨
  • 日中間の地名と人名の呼び方
  • 黄土前文化の多極性
  • 黄土前文化追考
  • 李四光教授を回想して
  • ワイデンライヒ小伝
  • 北京原人の研究略史とうらばなし
  • 内蒙古百霊古墳人骨
  • 黄羊高原便乗巡検記

 本書の内容は、著者の赤堀英三さんが、これまでに発表したものをまとめた論文集です。しかし、長い間、中国に留まって研究を続けた著者ならではの記述も多く、大変、参考になります。


霊長類その他の本4.原猿の森

2012年05月25日 | M8.霊長類の本:その他[Primates・Othe

Kawamichi1978

原猿の森―サルになりそこねたツパイ (1978年) (自然選書)
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:1978-07

 この本は、元大阪市立大学の動物学者・川道武男さんが、ツパイについて書いたものです。副題には、「サルになりそこねたツパイ」とあります。なお、ツパイは以前は霊長類に分類されていましたが、現在でははずされている場合が多いようです。1978年に、自然選書として、中央公論社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全9章からなります。

  1. ツパイを求めて
  2. ツパイの行動
  3. ワナの狩人
  4. 空間構造
  5. ペアの生活
  6. なわばり制
  7. 声とにおい
  8. 繁殖とその結末
  9. 木に登ったサル:原猿

 本書は、著者の川道武男さんが、1974年8月から1975年3月まで、東南アジアのマレーシアとシンガポールで現地調査した結果が書かれています。日本語で書かれたツパイに関するまとまった本としては、本書が唯一だと思われます。


チンパンジーの本34.野生チンパンジーの世界

2012年05月24日 | M6.霊長類の本:チンパンジー[Chimpanz

Sygiyama1981

野生チンパンジーの社会―人類進化への道すじ (1981年) (講談社現代新書)
価格:¥ 410(税込)
発売日:1981-01

 この本は、元京都大学霊長類研究所の杉山幸丸さんが、アフリカのギニアやウガンダでの野生チンパンジー調査について書いたものです。1981年に、講談社現代新書602として、講談社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全7章からなります。

  1. 野生チンパンジーとの出会い
  2. 離合集散
  3. その一生
  4. 攻撃と防御
  5. テクノロジーとインダストリー
  6. コミュニケーション
  7. 人間性の萌芽

 個人的には、第5章でふれられている、「シロアリ釣り」・「ヤシの実割り」等のチンパンジーの道具使用を興味深く読ませていただきました。


チンパンジーの本33.チンパンジーおもしろ観察記

2012年05月23日 | M6.霊長類の本:チンパンジー[Chimpanz

Nishida1994

チンパンジーおもしろ観察記
価格:¥ 2,018(税込)
発売日:1994-07

 この本は、元京都大学の霊長類学者・西田利貞[1941-2011]さんが、チンパンジーについて書いたものです。1994年に、紀伊国屋書店から出版されました。私は、出版時に、著者の西田利貞先生から寄贈していただきました。

 本書の内容は、以下のように、全34章からなります。

  1. アフリカ類人猿調査隊の出発
  2. 調査地マハレの風景
  3. 果実とともに移動するパーティ
  4. チンパンジーの味覚
  5. チンパンジーの薬草?
  6. チンパンジーの狩猟
  7. 屍肉を食べる
  8. 道具の使用
  9. 類人猿に利き手はあるか
  10. チンパンジーの赤ちゃん
  11. 母子間の食物分配
  12. 離乳
  13. 子ども期
  14. 若者期
  15. トゥラのお人形
  16. 兄弟姉妹
  17. 嫁いびりと子殺し
  18. 雌の交友関係
  19. 求愛
  20. セックス
  21. 雄の魅力、雌の魅力
  22. 雄の威嚇ディスプレー
  23. リーダーの条件
  24. 政権交代劇
  25. 集団リンチ事件
  26. 肉の分配と政治
  27. 老化と死
  28. トングェの愉快な仲間たち
  29. 消えた集団
  30. 欺瞞と裏切り
  31. チンパンジーの文化
  32. ライオンがチンパンジーを食う
  33. 種子の運搬者
  34. チンパンジーの保護

 本書は、世界自然保護基金日本委員会の機関誌「WWF」に連載されたものが元になっています。内容は、著者の西田利貞さんが書いた『野生チンパンジー観察記』(中公新書・1981年)の続編となる内容です。


霊長類全般の本13.動物の「食」に学ぶ

2012年05月22日 | M1.霊長類の本:全般[Primates:Japane
動物の「食」に学ぶ 動物の「食」に学ぶ
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2001-08

 この本は、元京都大学の霊長類学者・西田利貞[1941-2011]さんが、動物の食について書いたものです。2001年に、女子栄養大学出版部から出版されました。私は、出版時に、著者の西田利貞先生から寄贈していただきました。

 本書の内容は、以下のように、全7章からなります。

  1. 食を決めるもの:食物ニッチ
  2. 遺伝子の散布:食べられることは増えること
  3. 味覚の不思議:なぜ甘いものに惹かれるか
  4. 薬の起源:生物間の競争が薬を生む
  5. 肉の獲得と分配:ごちそうを賢く手に入れる
  6. 変わった食べ物いろいろ
  7. 食の現在:ヒトの食べるを考えよう

 本書は、動物の食について書かれており、純粋な霊長類の本ではありません。しかし、霊長類学者が書いた本であり、多くの霊長類の食について書かれているので、分類しました。本書は、月刊『栄養と料理』に、1999年1月から2000年12月まで連載した「動物の”食べる”に学ぼう」が元になっています。

Nishida2001


霊長類全般の本12.人間性はどこから来たか(改訂版)

2012年05月21日 | M1.霊長類の本:全般[Primates:Japane
人間性はどこから来たか―サル学からのアプローチ (学術選書) 人間性はどこから来たか―サル学からのアプローチ (学術選書)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2007-08

 この本は、元京都大学の霊長類学者・西田利貞[1941-2011]さんが、霊長類から見た人間性の起源について書いたものです。副題には、「サル学からのアプローチ」とあります。本書は、1999年に出版された同名の本の改訂版になります。私は、出版時に、著者の西田利貞先生から寄贈していただきました。2007年に、学術選書26として、京都大学学術出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全12章からなります。

  1. 現代人は狩猟採集民
  2. 人間性の研究の方法
  3. 社会生物学から見た人類
  4. 社会の起源
  5. 互酬性の起源
  6. 家族の起源
  7. 攻撃性と葛藤解決
  8. 文化の起源
  9. 言語の起源
  10. 知能の進化
  11. 初期人類の進化
  12. 終章

 本書は、霊長類学からアプローチして、人間性の起源について検討したものです。これは、化石となった初期人類の行動を探る参考にもなります。

Nishida2007


動物考古学の本・全般37.第四紀試料分析法

2012年05月20日 | L1.動物考古学の本:全般[Zooarchaeolo

Daiyonki1993

第四紀試料分析法
価格:¥ 12,600(税込)
発売日:1993-09

 この本は、日本第四紀学会編により、試料調査法や試料分析法について書かれたものです。1993年に、東京大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全2冊からなります。

  1. 試料調査法
  2. 研究対象別分析法

 第1巻の「試料調査法」には、脊椎動物の試料調査法が書かれています。

  • 2.6.1 魚類(高橋正志・中島経夫)
  • 2.6.2 両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類(河村善也・樽野博幸)

 第2巻の「研究対象別分析法」には、脊椎動物の分析法が書かれています。

 4.1 魚類

  • 4.1.1 耳石(高橋正志)
  • 4.1.2 鱗(小寺春人)
  • 4.1.3 咽頭歯(中島経夫)

 4.2 両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類

  • 4.2.1 歯・骨の形態(河村善也・樽野博幸)
  • 4.2.2 微細構造(小澤幸重)

 本書は、調査法や分析法について書かれた事典ですが、前出の部分は動物考古学にも大変、参考になります。


動物考古学の本・全般36.哺乳類の生物学2・形態

2012年05月19日 | L1.動物考古学の本:全般[Zooarchaeolo
哺乳類の生物学〈2〉 哺乳類の生物学〈2〉
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:1998-07

 この本は、北海道大学(当時)の大泰司紀之さんが、哺乳類の形態について書いたものです。本書は、高槻成紀さんと粕谷俊雄さんによる編で、全5巻で出版された『哺乳類の生物学』シリーズの第2巻として、1998年に東京大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全6章からなります。

  1. 体の基本構造:解剖学概論
  2. 体の表面:外皮と角
  3. 運動系:骨格と筋肉
  4. 歯:採食と咀嚼
  5. 内臓:消化・呼吸・泌尿・生殖
  6. 感覚器系:見る・聞く・味わう・嗅ぐ

 本書は、直接、動物考古学の本ではありませんが、哺乳類全般の形態について書かれており、大変、参考になります。

Otaishi1998


動物考古学の本・全般35.哺乳類の生物学1・分類

2012年05月18日 | L1.動物考古学の本:全般[Zooarchaeolo
分類 (哺乳類の生物学) 分類 (哺乳類の生物学)
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:1998-05

 この本は、香川大学(当時)の金子之史さんが、哺乳類の分類について書いたものです。本書は、高槻成紀さんと粕谷俊雄さんによる編で、全5巻で出版された『哺乳類の生物学』シリーズの第1巻として、1998年に東京大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全6章からなります。

  1. 分類学とはなにか
  2. 分類学と哺乳類
  3. 分類学のシステム
  4. 種の認識
  5. 個体群の変異
  6. 分類学から生物地理学へ

 本書は、直接、動物考古学の本ではありませんが、遺跡出土獣骨の種同定をする作業では、「分類」は基礎知識となります。

Kaneko1998