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人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

ニホンザルの本21.ニホンザルメスの社会的発達と社会関係

2011年01月31日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M

Morikudo_1986

ニホンザルメスの社会的発達と社会関係 (動物 その適応戦略と社会)
価格:¥ 2,100(税込)
発売日:1986-12

 この本は、名古屋文理大学の森 梅代さんと神奈川県立生命の星地球博物館の広谷(宮藤)浩子さんが、宮崎県幸島の野生ニホンザルについて書いたものです。1986年に、全16巻の『動物・その適応戦略と社会』の第11巻として、東海大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全

  1. 序章(森 梅代)
  2. 初期の母子関係(森 梅代)
  3. 子どもの社会関係(森 梅代)
  4. ワカメスの社会行動(宮藤浩子)
  5. メスと社会行動(宮藤浩子)
  6. まとめにかえて(宮藤浩子)

 著者の森 梅代さんは広島県生まれですが高校まで宮崎県で育ったそうですが、それが幸島のニホンザルとの出会いだったのでしょうか?


人類進化の洋書39.中国の古人類学と旧石器考古学(Palaeoanthropology and Pa

2011年01月30日 | E6.人類進化の洋書[Human Evolution:F
Palaeoanthropology and Palaeolithic Archaeology in the Peoples Republic of China Palaeoanthropology and Palaeolithic Archaeology in the Peoples Republic of China
価格:¥ 9,350(税込)
発売日:1985-03

 この本は、古人類学者の呉 汝康さんと先史学者のジョン・オルセンさんによる編で、中国の古人類学と先史学について書かれたものです。原題は、『Palaeoanthropology and Palaeolithic Archaeology in the Peoples Republic of China』で、本書のカバーには、「中国古人類学与旧石器時代考古学」とあります。1985年に、Academic Press社から出版されました。

 編者の内、呉 汝康さんは、シヴァピテクス・ラマピテクス・ギガントピテクス等の研究で有名な方です。英語名の表記は、以前は「Woo Ju-kang」でしたが、現在は「Wu Rukang」に変わっています。ジョン・オルセン(John OLSEN)さんはアリゾナ大学人類学部の教授ですが、お父様は、このブログでも著書を紹介してきた著名な動物考古学者のスタンリー・ジョン・オルセン(Stanley John OLSEN)[1919-2003]さんです。

 本書の内容は、以下のように、全15章からなります。

  1. Chinese Palaeoanthropology: Retrospect and Prospect (Wu Rukang & Lin Shenglong)
  2. Chronology in Chinese Palaeoanthropology (Wu Xinzhi & Wang Linghong)
  3. Ramapithecus and Sivapithecus from Lufeng, China (Wu Rukang & Xu Qinghua)
  4. Gigantopithecus and "Australopithecus" in China (Zhang Yinyun)
  5. Homo erectus in China (Wu Rukang & Dong Xingren)
  6. Early Homo sapiens in China (Wu Xinzhi & Wu Maolin)
  7. Homo sapiens Remains from Late Palaeolithic and Neolithic China (Wu Xinzhi & Zhang Zhenbiao)
  8. China's Earliest Palaeolithic Assemblages (Jia Lanpo)
  9. The Early Palaeolithic of China (Zhang Senshui)
  10. The Middle Palaeolithic of China (Qiu Zhonglang)
  11. The Late Palaeolithic of China (Jia Lanpo & Huang Weiwen)
  12. Microlithic Industries in China (Gai Pei)
  13. Aspects of the Inner Mongolian Palaeolithic (Wang Yuping & John W. Olsen)
  14. On the Recognition of China's Palaeolithic Cultural Traditions (Jia Lanpo & Huang Weiwen)
  15. Pleistocene Mammalian Faunas of China (Han Defen & Xu Chunhua)

 本書は、1985年に出版されており、内容も少し古くなっていますが、それでも、中国出土古人類のそれぞれの段階が、まとめて書かれているので、大変、参考になります。

Wuolsen1985


私の仕事・和文論文3.群馬県出土中近世人骨の古病理

2011年01月29日 | B2.私の仕事:論文・和文[My Work:Pap

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「研究紀要」24号表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

 これは、2006年3月20日に発行された、財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団の「研究紀要24号」に書いたもので、p.97からp.116までに掲載されました。

 群馬県内から出土した、中近世人骨の古病理についてまとめたもので、私がこれまで報告書に報告したものの中で古病理が認められたものを取り上げています。但し、顎骨の歯槽縁の退縮・齲蝕(虫歯)・歯石は事例が多すぎるので一部のみ報告しました。

 群馬県埋蔵文化財調査事業団報告分9遺跡19体と市町村報告分7遺跡10体の合計、16遺跡29体に何らかの古病理が認められました。但し、1個体でいくつも古病理が認められたものもあります。

・頭蓋骨:頭蓋骨では、骨膜炎・眼窩篩・骨腫・鼓室骨裂孔・顎関節症・前顆結節・インカ骨・ラムダ小骨を報告しています。

・上下顎骨:上下の顎骨では、下顎頭退縮・歯槽縁の退縮(事例が多いので1例のみ紹介)・歯の生前脱落・無歯顎・膿瘍を報告しています。

・歯:齲蝕(虫歯)・歯石・異常磨耗・エナメル質減形成・エナメル質形成不全・斑状歯・エナメル滴・臼旁歯・矮小歯・栓状歯・第3大臼歯の退化形を報告しています。

・四肢骨:変形性関節症・コーレス骨折・骨膜炎・骨髄炎・骨増殖・脊椎骨癒合・脊椎骨の圧迫骨折・DISH・脊椎炎・寛骨と仙骨の癒合を報告しています。

・梅毒

Bgarf24b

「研究紀要」24号裏表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

「BGARF24.pdf」をダウンロード


ニホンザルの本20.屋久島の野生ニホンザル

2011年01月28日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M

Maruhashi_et_al_1986

屋久島の野生ニホンザル (動物―その適応戦略と社会)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:1986-03

 この本は、武蔵大学の丸橋珠樹さん・京都大学の山極寿一さん・京都大学霊長類研究所の古市剛史さんが、鹿児島県屋久島の野生ニホンザルについて書いたものです。1986年に、全16巻の『動物・その適応戦略と社会』の第10巻として、東海大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全3章からなります。

  1. ヤクザルの採食生態(丸橋珠樹)
  2. ヤクザルの社会構造とオスの繁殖戦略(山極寿一)
  3. ニホンザル野生群における優劣関係と社会的共存(古市剛史)

 本書では、屋久島のニホンザルの生態についてまとめられており、参考になります。


ニホンザルの本19.サル学再考

2011年01月27日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M

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 この本は、元東京農工大学の霊長類学者・水原洋城さんが、ニホンザルについて書いたものです。1986年に、群羊社から出版されました。

 アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたので、リンクさせていません。

 本書の内容は、以下のように、全8章からなります。

  1. アイデンティフィケーション説批判
  2. 自己主張がなかまをつくる
  3. 順位制・階層・文化
  4. 行動を見なおす
  5. エソグラム
  6. 性行動とは
  7. リーダーがいなくてもよいわけ
  8. 行動研究の課題としてのコミュニケーション

 本書は、1982年~1983年にかけて、朝日新聞社から定期刊行されていた『科学朝日』に、連載されていた「サル学再考」が元になっています。私も学生時代に、『科学朝日』を定期購読しており、連載も読んでいました。


ニホンザルの本18.ニホンザルの生態と観察

2011年01月26日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M

Takahata_1985

ニホンザルの生態と観察 (1985年) (グリーンブックス〈128〉)
価格:¥ 840(税込)
発売日:1985-10

 この本は、関西学院大学の高畑由起夫さんが、ニホンザルの観察法について書いたものです。1985年に、グリーンブックス128として、ニュー・サイエンス社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全5章からなります。

  1. ニホンザルについて
  2. 観察法とその要点
  3. 生態学的なテーマによる観察
  4. 行動や社会構造の観察
  5. ニホンザルの成長、発達

 本書は、ニホンザルの観察法について、簡潔に書かれており、観察法の入門書として最適です。


ニホンザルの本17.アニマルロアの提唱

2011年01月25日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M

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アニマルロアの提唱―ヒトとサルの民俗学 (ニュー・フォークロア双書)
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:1984-10

 この本は、元日本モンキーセンターの広瀬 鎮[1931-1994]さんが、民俗学から見たニホンザルについて書いたものです。1984年に、未来社から出版されました。なお、「アニマルロア」とは、アニマル(動物)とフォークロア(民俗学)を組み合わせた造語で、動物民俗学の意味になります。

 本書の内容は、以下のように、全9章からなります。

  • 序.日本ザルの民俗学
  • 1.ニホンザルをめぐるアニマルロアの研究
  • 2.ニホンザルと地域住民の動物観
  • 3.ニホンザルの民俗伝承の一考察
  • 4.犬山栗須邨の猿
  • 5.猿についての信仰と調教
  • 6.わが国猿まわし芸能集団における芸能の継承と芸能の観客受容
  • 7.ニホンザル薬用の文化史
  • 8.補食・薬用の生活史

 本書は、著者の広瀬 鎮さんが、これまでに書いた論文をまとめたものですが、ニホンザルの民俗学について書かれたものはそう多くはないので、大変、参考になります。


ニホンザルの本16.野生ニホンザルの育児行動

2011年01月24日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M

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野生ニホンザルの育児行動 (1983年) (Monad books〈7〉)
価格:¥ 525(税込)
発売日:1983-05

 この本は、総合研究大学院大学の人類学者・長谷川真理子さんが、千葉県高宕山の野生ニホンザルの育児行動について書いたものです。1983年に、モナド・ブックス7として、海鳴社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全8章からなります。

  1. 高宕山第Ⅰ群とその調査
  2. 交尾と出産
  3. 生後1ヶ月まで
  4. 生後1ヶ月から離乳まで
  5. 離乳から性成熟まで
  6. 母性行動の個体差
  7. アカンボウとコドモたち
  8. アカンボウと母親以外のオトナ

 千葉県高宕山の野生ニホンザルは、捕獲や射殺されたために、1974年に著者の長谷川真理子さんが個体識別したニホンザルの半数がいなくなってしまい、継続調査は非常に困難を伴ったそうです。


世界の人類学者2.ダヴィッドソン・ブラック(Davidson BLACK)[1884-1934]

2011年01月23日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

Davidson_black1

ブラック1.ダヴィッドソン・ブラック(Davidson BLACK)[Sigmon & Cybulski (1981)"Homo erectus"より]

 ダヴィッドソン・ブラックは、1884年7月25日に、ダビッドソン・ブラック・シニア(Davidson BLACK Sr.)とマーガレット・バワーズ・デラメア(Margaret Bowers DELAMERE)との間に次男として、カナダのトロントで生まれました。しかし、ブラックが2歳の時に、父親は心臓発作で48歳という若さで亡くなります。

 ブラックは、1906年にトロント大学医学部を卒業しますが、理学部に再入学して生物学を専攻し比較解剖学を研究して、1909年に卒業しました。通常、理学部を卒業して医学部に再入学する人が多い中、ブラックは逆のユニークなコースを辿っています。

 1909年に卒業後、ブラックはアメリカ・オハイオ州・クリーヴランドにある、ウェスタン・リザーブ大学(Western Reserve University)で解剖学の講師に就任します。ちなみに、ウェスタン・リザーブ大学は1826年に創立された大学で、1881年に創立されたケース工科大学と1967年に合併して、現在は、ケース・ウェスタン・リザーブ大学となっています。

 ブラックが就任した頃、解剖学の主任教授は、カール・オーガスト・ハーマン(Carl August HAMANN)[1868-1930]でした。ハーマンは、ペンシルヴェニア大学医学部を経て1893年に着任しましたが、やがて、解剖実習用の遺体から骨格標本を作製し始めます。その後、1912年には医学部長に就任しました。

 ハーマンは、自分の後任の解剖学教授を推薦してくれるよう、イギリスの解剖学の大御所、アーサー・キース(Arthur KEITH)[1866-1955]に頼みます。当時のアメリカでは、イギリスの解剖学が優れていると考えられていたようです。キースは、マンチェスター大学医学部解剖学教室のウィンゲート・トッド(Wingate TODD)[1885-1938]を推薦します。トッドは、1907年にマンチェスター大学医学部を卒業後、そのまま母校で解剖学を教えていました。

 1909年には、グラフトン・エリオット・スミス(Grafton Elliot SMITH)[1871-1937]が、カイロ医科大学からマンチェスター大学医学部の教授に就任します。トッドは、スミスを手伝ってエジプトのミイラの研究やヌビア出土人骨の研究を行うことになりました。トッドは、1912年の暮れに、マンチェスター大学からウェスタン・リザーブ大学解剖学教室教授として移籍します。ここで、問題が1つ起きました。ブラックは、トッドよりも1つ年上だったのです。

 トッドが着任した頃、ハーマンが収集した約100体の法医骨格標本がありました。トッドは、この法医骨格標本をさらに増やし、1933年時点で約2,400体に達したと言われています。ブラックもトッドに協力し、1913年に解剖学助教授に昇任しました。ちなみに、この法医骨格標本は、ハーマン-トッド・コレクションとして、現在は、クリーヴランド自然史博物館に収蔵されています

 ブラックは、1914年にオランダのアリエンス・カッパース(Ariens KAPPERS)[1877-1946]とイギリスのグラフトン・エリオット・スミスの元で、神経解剖学を学びました。トッドからの推薦もあって、スミスの元で研究することができたようです。1915年頃、ブラックにはサウス・カロライナ州立大学医学部やオレゴン大学医学部の解剖学主任教授の話があったようですが、何故か、ブラックはそれを断っています。しかし、もしこの時断っていなければ、後にペキンに行くことは無かったかもしれません。

 イギリスのスミスとの出会いは、ブラックの運命を変えたと言っても過言ではないでしょう。スミスは、当時、発見されたばかりのピルトダウン人の研究を行っており、ブラックがペキン原人を研究する動機になったと考えられます。後に、このピルトダウン人は偽物であることが判明するのですが・・・。その後ブラックは、1917年から1919年にかけて、第1次世界大戦のカナダ軍軍医大尉として勤務します。

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ブラック2.北京協和医学院のスタッフとの集合写真[Dora HOOD(1962)"Davidson Black"より]

 1919年に、ブラックに転機が訪れました。北京協和医学院の神経学と胎生学を担当する解剖学の教授として勤務することになったのです。この北京協和医学院は、1906年に中国政府の協力を得てアメリカとイギリスの伝道教会により創立されていましたが、資金はアメリカのロックフェラー財団が援助していました。1917年には、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学医学部をモデルとして、再構成されています。この時協力したのが、ロックフェラー医学研究所のサイモン・フレクスナー(Simon FLEXNER)[1863-1946]でした。フレクスナーは、有名な野口英世[1876-1928]の共同研究者です。

 ブラックの移籍は、トロント大学時代に一緒に勉強した、エドマンド・ヴィンセント・カウドリー(Edmund Vincent COWDRY)[1888-1975]の誘いがあったからでした。カウドリーは、トロント大学医学部を1909年に卒業後、シカゴ大学で1913年に博士号を取得し、ジョンズ・ホプキンス大学で解剖学の助手でしたが、1917年に北京協和医学院の解剖学主任教授に就任していました。

 ブラックが妻と北京の宿舎に到着すると、そこは、扉も窓も家具も無い部屋でした。そこで、急遽、カウドリーは、ブラック一家を北京市内観光に連れ出し、夕食後に帰宅すると、そこには扉も窓も家具もつけられ、その上、召使いが微笑んで出迎えたというエピソードが有名です。

 北京協和医学院では、解剖用の遺体が無いため、中国当局に訴えると処刑された囚人の遺体が数体届いたそうです。ところが、すべての遺体には頭部がありませんでした。そこで、もう一度中国当局に訴えると、今度は生きた囚人を数人送り込み、どのようにでも処刑して下さいと言われたそうです。当然、もう一度、説明をしたのは言うまでもありません。

 ブラックは、1913年にアデナ・ネヴィット(Adena NEVITT)と結婚していましたが、北京滞在中、1921年には息子が、1925年には娘が生まれています。息子さんの名前は、ダヴィッドソン・ブラック三世で、その息子さんつまり、ブラックの孫の名前はダヴィッドソン・ブラック四世だそうです。

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ブラック3.ペキン原人研究の関係者との集合写真。ブラック(右から3人目)[Dora HOOD(1962)"Davidson Black"より]

 ブラックは、1924年には解剖学主任教授に昇任しました。友人のカウドリーは、すでに、1921年にニューヨークのロックフェラー研究所に移籍して、研究テーマを解剖学から寄生虫に変えています。

 1926年には、更に、転機が訪れました。周口店から、ペキン原人が発見されたのです。それは、左下第1大臼歯でした。ブラックは、1927年に「The Lower Molar Hominid Tooth from the Chou Kou Tien Deposit」という題で、『Paleontologia Sinica(古生物誌)』第7巻第1号に論文を発表し、このたった1本の歯に、「シナントロプス・ペキネンシス(Sinanthropus Pekinensis)」と新しい学名を命名しました。ペキン原人の誕生です。

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ブラック4.周口店でのブラック(中央)[Dora HOOD(1962)"Davidson Black"より]

 1929年には、さらに大発見がありました。その年の12月2日の夕方、裴 文中[1904-1982]が、頭蓋骨を発見したのです。ブラックは、1930年に「On an Adolescent Skull of Sinanthropus Pekinensis in Comparison with an Adult Skull of the Same Species and with other Hominid Skulls, Recent and Fossil」という題で、『Paleontologia Sinica(古生物誌)』第7巻第2号に発表しました。

 ブラックは、このペキン原人の宣伝のため、世界中を駆け回りました。しかし、この頃から無理がたたっていたのかもしれません。元々、心臓が丈夫ではなかったのですから。1930年9月、ブラックは、母校のトロント大学から名誉理学博士の称号を授与されました。

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ブラック5.研究室でのブラック。ブラックは、この机で亡くなっていたという。[Dora HOOD(1962)"Davidson Black"より]

 大学当局は、ブラックがペキン原人を研究することをこころよく思っていなかったと言われており、たびたび、解剖学に専念するようにと注意していたそうです。そこで、ブラックは、夕方5時から深夜までをペキン原人研究にあてました。もちろん、夜中であれば訪問者も無く電話もかかってこないという理由もあったのかもしれません。早朝に自宅に戻り、昼頃まで寝ていたとも言われています。

 1934年3月15日、ブラックはいつものように、夕方5時から研究室にこもりました。1時間後、研究室のスタッフが用事でブラックの研究室を訪ねると、ブラックはすでに死去していたそうです。享年49歳。死因は、48歳で亡くなった父親と同じ心臓発作でした。机の上には、研究中のペキン原人の化石が置かれていました。中国語の漢字で、「歩達性」と書かれて好かれていたブラックの早すぎる死を、中国人スタッフの誰もが悲しんだそうです。

 ダヴィッドソン・ブラックについては、ドーラ・フッド(Dora HOOD)[1885-1974]による伝記『Davidson Black』が1964年にトロント大学出版から出版されています。この本は、フッドの2冊目の著書ですが、著者79歳の時のもので驚きました。

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ブラック6.『Davidson Black』(Hood 1964)の表紙


私の仕事・和文論文2.群馬県内中世火葬遺構と火葬人骨(群馬文化・294)

2011年01月22日 | B2.私の仕事:論文・和文[My Work:Pap

 これは、2008年4月30日に、群馬県地域文化研究協議会から出版された『群馬文化』第294号に書いたものです。群馬県内では、多くの土坑墓と共に火葬遺構が多く出土しています。

 群馬県出土火葬遺構170基の土坑形態を分類すると、長方形(楕円形)のタイプⅠ・長方形(楕円形)に袖があるタイプⅡ・方形のタイプⅢ・方形に袖があるタイプⅣ・円形のタイプⅤの5種類に分類できました。

 タイプⅠは92基・タイプⅡは55基・タイプⅢは8基・タイプⅣは4基・タイプⅤは11基という結果で、タイプⅠとタイプⅡで147基あり、約87%をしめることがわかりました。ちなみに、タイプⅡとタイプⅣの袖は、煙道・焚き口であると推定されており、個人的には焚き口であろうと考えています。

 タイプⅠとタイプⅡの長軸方向は、タイプⅠの54基(約59%)・タイプⅡの51基(約93%)が南北方向でした。また、長軸方向を南北に持つタイプⅡの袖の位置は、東が23基(約45%)・西が28基(約55%)でした。この袖が、もし焚き口であるとしたら、火葬時には東あるいは西から風が吹いていたと推定されます。

 現代日本には、火葬後の収(拾)骨方法に東西差があり、東日本では火葬人骨をすべて収(拾)骨するのに対し、西日本では火葬人骨の一部しか収(拾)骨しないということが、民俗学の研究成果から知られています。私は、西日本出身なので、これまでに立ち会った葬式はすべて、部分収(拾)骨でした。ところが、学生時代から東日本に住んでみると、全部収(拾)骨であることを知り驚いたことがあります。もちろん、東日本の人は、西日本の収(拾)骨方法を知ってより驚くでしょうが・・・。

 火葬人骨は、通常の土葬人骨に比べると、焼かれているために保存状態が良いことが知られています。ところが、火葬跡を発掘してみると、火葬人骨が多く残されている場合とほとんど残っていないことに気付きました。この差は、収(拾)骨の差ではないかと気付いたのは、2002年頃のことです。私が学生時代に扱った火葬人骨の出土量が少なく、指導教官に尋ねると風化したのだろうとのことでした。しかし、発掘をしてみると、火葬人骨よりもやわらかい炭がそのまま残っている状態を見て、どうも、おかしいと気付いたわけです。つまり、火葬跡に多く火葬人骨が残っている場合は部分的にしか収(拾)骨をせず、火葬跡に少ない火葬人骨しか残っていない場合は全部収(拾)骨をしたのではないかと推定したわけです。

 群馬県は東日本で、本来は全部収(拾)骨のはずなのですが、古代の時代から西日本からも多く人が来ているため一部には西日本の方法で収(拾)骨したのではないかと推定しました。群馬県内の中世火葬跡から出土した火葬人骨45例を分析したところ、39基(約87%)は東日本タイプの全部収(拾)骨で、6基(約13%)は西日本タイプの部分収(拾)骨という結果となりました。

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『群馬文化』第294号表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

「Gunmabunka294.pdf」をダウンロード


ニホンザルの本15.ニホンザル性の生理

2011年01月21日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M
ニホンザル 性の生理 (自然誌選書) ニホンザル 性の生理 (自然誌選書)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:1982-01

 この本は、元大阪大学の和 秀雄さんが、獣医学から見たニホンザルについて書いたものです。1982年に、どうぶつ社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全8章からなります。

  1. サル医修業
  2. 横顔
  3. 誕生からコドモの頃
  4. コドモからオトナへの道
  5. 老いる
  6. 病気と死
  7. 奇形ザルを追って
  8. 人工繁殖

 著者の和 秀雄さんは、北海道大学獣医学部を卒業後、日本モンキーセンター・日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)・大阪大学・広島国際大学等で、長年サルの獣医として研究されてきた研究者で、豊富な経験にもとづいて書かれており大変、参考になります。

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ニホンザルの本14.ニホンザルの生態

2011年01月20日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M
ニホンザルの生態―豪雪の白山に野生を問う (自然誌選書) ニホンザルの生態―豪雪の白山に野生を問う (自然誌選書)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:1982-01

 この本は、元宮城教育大学の霊長類学者・伊沢紘生さんが、石川県白山の野生ニホンザルについて書いたものです。1982年に、どうぶつ社から出版されました。副題には、「豪雪の白山に野生を問う」とあります。

 本書の内容は、以下のように、全7章からなります。

  • 第1章.野生の群れに会う
  • 第2章.豪雪に生きる
  • 第3章.あるオスザルの死
  • 第4章.群れの四季
  • 第5章.群れ間に闘争はなかった
  • 第6章.群れの歴史
  • 終章.野生を問う

 本書には、1968年から1981年までの長期間にわたる白山の野生ニホンザルの生態観察の結果が書かれており、大変、参考になります。特に、豪雪地帯の野生ニホンザルの生活は、青森県下北半島の野生ニホンザルの生活と比較すると興味深いでしょう。

Izawa_1982  


ニホンザルの本13.下北のサル

2011年01月19日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M
下北のサル (自然誌選書) 下北のサル (自然誌選書)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:1984-07

 この本は、元宮城教育大学の霊長類学者・伊沢紘生さんによる編で、日本最北に生息する下北半島のサルについて書かかれたものです。1980年に第1版が、また1984年に第2版がどうぶつ社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全4章からなります。

  1. イタコの一生(高橋金三)
  2. 雪山にサルを追う(足沢貞成)
  3. 海岸のサルと奥山のサル(伊沢紘生)
  4. 生きたサルの博物館(三戸幸久)

 下北半島のニホンザルは、ヒト以外の霊長類では最北に生息するサルとして有名です。別名、スノーモンキーとも呼ばれています。

Izawa_1984


ニホンザルの本12.サルの学校

2011年01月18日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M

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サルの学校 (1981年) (中公新書)
価格:¥ 504(税込)
発売日:1981-02

 この本は、元日本モンキーセンターの広瀬 鎮[1931-1994]さんが、猿まわしについて書いたものです。1981年に、中公新書602として、中央公論社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全8章からなります。

  1. サルの学校を訪ねて
  2. 猿まわしへの興味
  3. 熊毛半島記
  4. サルの芸能と芸態
  5. 猿まわし芸能者の心
  6. 猿まわしの旅・日々の暮し
  7. さまざまな学校
  8. サルの教育研究会

 猿まわしは、反省ザル次郎君の大活躍で有名になりました。その初代次郎君が活躍を始めたのが1979年で、現在では4代目になっているそうです。


ニホンザルの本11.ニホンザル行動論ノート

2011年01月17日 | M3.霊長類の本:ニホンザル[Japanese M
ニホンザル行動論ノート (自然誌選書) ニホンザル行動論ノート (自然誌選書)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:1981-01

 この本は、元東京農工大学の霊長類学者・水原洋城さんが、ニホンザルの行動について書いたものです。1981年に、どうぶつ社から出版されました。本書には、木村しゅうじさんによる素晴らしいイラストが掲載されています。

 本書の内容は、以下のように、全3部8章からなります。

1.性

  • 馬のり論序説
  • 性と社会
  • 未成熟個体の性行動

2.社会

  • 高崎山の群れのステータス構造
  • 社会進化について
  • 社会進化とは何か
  • 集団の中の攻撃性

3.音声

  • 音声伝達再考

Mizuhara_1981