チャールズ・アーネスト・スノー(Charles Ernest SNOW)[1910-1967][Buikstra & Beck (2006)『Bioarchaeology』,Academic Press, p.122より引用]
チャールズ・アーネスト・スノーは、1910年にアメリカのコロラド州ボウルダーで生まれました。1932年にコロラド大学ボウルダー校で地質学を専攻して卒業すると、ハーヴァード大学大学院に進学します。ここで、スノーの転機が訪れました。ハーヴァード大学で、アーネスト・フートン(Earnest A. HOOTON)[1887-1954]と出会ったのです。スノーは、生体計測を専門とするフートンの元で、「ボストンの公立学校生徒におけるユダヤ人とユダヤ人以外の成長比較」というテーマで、1938年に人類学の分野で博士号を取得しました。
卒業後、しばらくは考古学遺跡から出土した人骨の分析を行っていましたが、1941年にケンタッキー大学人類学部に職を得ます。このケンタッキー大学では、1946年に教授に昇進し、1952年から1957年にかけて学部長を務めています。
スノーの仕事として有名なものに、ケンタッキー州のインディアン・ノール(Indian Knoll)遺跡で出土した人骨の分析があります。このインディアン・ノール遺跡では、アーケイック期(約3000BCから2000BC)の貝塚を主体とする狩猟採集民の墓が多数検出されており、約1100個体もの人骨が出土しています。
また、スノーは、1940年代後半に法医人類学の分野にも進出し、太平洋戦争で戦死した米軍兵士の遺体鑑定も行っています。この時、全米から選出されたのは、スノーの他に、ウィルトン・マリオン・クロッグマン(Wilton Marion KROGMAN)[1903-1987]、ハリー・ライオネル・シャピロ(Harry Lionel SHAPIRO)[1902-1990]、トーマス・デール・ステュワート(Thomas Dale STEWART)[1901-1997]、ミルドレッド・トロッター(Mildred TROTTER)[1899-1991]の4人の人類学者でした。
スノーは、1947年から1948年にかけて、約6ヶ月をハワイの米軍中央鑑識研究所で過ごし、米軍兵士戦死遺体の鑑定を行いました。
スノーは、1967年10月5日、まだ57歳という若さで他界しました。しかし、スノーの法医人類学は、ケンタッキー大学での教え子、ウィリアム・バス(William BASS)にしっかりと受け継がれます。バスは、カンサス大学とテネシー大学で、法医人類学者を多数養成し、その教え子達は全米で活躍しており、アメリカにおける現役の法医人類学者の数では、最大だと言われています。