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人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド11(発掘終了)

2010年06月19日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 1985年の第18回ノースウェスタン大学考古学フィールド・スクールには、5週間コースと9週間コースがありました。5週間コースは1985年6月9日~同7月13日まで、9週間コースは1985年6月9日~同8月10日まででした。ほとんどの学生は、9週間コースに参加しており、私も9週間コースに登録して参加しました。

 9週間というと、約2ヶ月の長さにわたるわけですが、当初英語があまりうまくなかった私も、さすがに英語漬けの日々で、終了する頃には何とか意志疎通ができるようになりました。

 1985年の発掘調査には、学生は15人が参加しました。この中には、以前ご紹介した、サンパウロ大学のウォルター・ネーヴィスさんも入っています。この他、会社を退職して考古学を志していたレス・ミリガンさんもいました。この男性2人を除いた、男性4人と女性9人は、キャンプスヴィルの一軒家が宿舎です。

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エリザベスマウンド76.当時の私の愛車VWビートルが停まっているのが宿舎の一軒家

 男性4人は1階に、女性9人は2階に寝泊まりして、約2ヶ月発掘調査と実習を行いました。もちろん、個室ではなく相部屋です。

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エリザベスマウンド77.宿舎の一軒家

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エリザベスマウンド78.学生達1

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エリザベスマウンド79. 学生達2

 毎朝、6時から朝食を別の場所にある食堂でとります。

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エリザベスマウンド80. 食堂での朝食風景

 毎朝、6時30分に、食堂からバスで発掘現場に向かいます。

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エリザベスマウンド81.バスの中

 毎朝、7時30分から15時30分まで発掘実習です。

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エリザベスマウンド82. エリザベスマウンド遠景

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エリザベスマウンド83.エリザベスマウンド近景

 毎日、スコップを使って2m×2mの広さで、20cmずつ、1日約60cm掘り下げる作業は男性でもかなりきついものでした。しかし、アメリカの女子学生も頑張って同じぐらい掘り下げます。

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エリザベスマウンド84.私が担当したグリッドで

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エリザベスマウンド85.私が分層法で掘り下げたグリッド

 発掘調査が終了すると、アメリカでは自分が履いていた靴を木にぶら下げるという習慣があり、私も愛用の靴を木にぶら下げてきました。

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エリザベスマウンド86. 発掘終了後の記念写真

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エリザベスマウンド87. 発掘終了後の記念写真

 約2ヶ月という期間、アメリカ・イリノイ州エリザベスマウンドの発掘調査は、大変、勉強になりました。日本でも、考古学では発掘実習をしていますが、2ヶ月もの長期に及ぶものはそうないのではないでしょうか。

 このノースウェスタン大学のフィールドスクールは、私が参加した第18回で終了してしまいました。それは、ジェーン・バイクストラ先生が、翌年の1986年から母校のシカゴ大学に移籍したからです。バイクストラ先生は、その後、1995年にニュー・メキシコ大学へ、また、2005年にはアリゾナ州立大学に移籍して現在にいたっています。このフィールドスクールも、バイクストラ先生の移籍にともなって、名前を変えながら現在もキャンプスヴィルのアメリカ考古学センターで行われています。ただ、現在は6月から7月にかけての6週間コースしかないようです。

 以下は、2002年に、私がこのフィールドスクールについて書いたもののPDFファイルです。1.43MBあります。

「garfb202002.pdf」をダウンロード


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド10(人骨の発掘)

2010年06月17日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 エリザベスマウンド7号では、1984年と私が参加した1985年の発掘調査で、22基の墓坑が検出され、30体の人骨と1体の犬骨が出土しました。この22基の墓坑の内、5基には1体以上が埋葬されています。

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エリザベスマウンド64.墓坑発掘風景

 30体の人骨の性別は、判明したものの内約20%が男性で、30%が女性でした。また、死亡年齢は、生後6ヶ月から50歳以上で、未成年の比率は約50%に及びます。

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エリザベスマウンド65.人骨実測図作成風景(左は、私)

 15号墓坑出土人骨は、時代は中期ウッドランド期で、1個体・性別不明で約2.5歳~3歳と推定されています。なぜか、頭部のみ、左足に位置しています。

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エリザベスマウンド66.15号墓坑発掘風景

 古病理として、矢状縫合とラムダ縫合の早期癒合症、片方の眼窩にクリブラ・オルビタリア(眼窩篩)が認められています。

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エリザベスマウンド67.15号墓坑出土人骨出土状況

 16号墓坑出土人骨は、時代は中期ウッドランド期で、4個体が合葬されています。ただ、16-1号は、埋葬時期が少しずれている可能性があります。16-1号は性別不明で約2.5歳~3歳・16-2号は約45歳以上の女性・16-3号は性別不明で約1.3歳~1.5歳・16-4号は性別不明で約2歳~2.5歳と推定されています。

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エリザベスマウンド68.16号墓坑発掘風景

 古病理として、16-1号と16-3号には、片方の眼窩にクリブラ・オルビタリア(眼窩篩)が認められています。また、16-2号には、骨髄炎が認められています。

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エリザベスマウンド69.16号墓坑出土人骨出土状況(16-2号・16-3号・16-4号人骨)

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エリザベスマウンド70.16号墓坑出土人骨(16-1号人骨)

 18号墓坑出土人骨は、中期ウッドランド期で、1個体・約50歳以上の女性であると推定されています。

 古病理として、下肢骨に骨髄炎と骨膜炎が認められています。

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エリザベスマウンド71.18号墓坑出土人骨

 21号墓坑出土人骨は、時代は中期ウッドランド期で、2体が合葬されています。どちらも死亡年齢約50歳以上の男女だと推定されています。

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エリザベスマウンド72.21号墓坑発掘風景

 古病理として、男性には骨膜炎と関節炎が、女性には骨粗鬆症と骨膜炎・関節炎が認められています。

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エリザベスマウンド73.21号墓坑出土人骨出土状況

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エリザベスマウンド74.13号エリザベスマウンド8号墓坑発掘風景

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エリザベスマウンド75.エリザベスマウンド7号墓坑位置図


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド9(人骨ラボ)

2010年06月15日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 キャンプスヴィルには、石器ラボや人骨ラボもあります。私は、研修で来ていたブラジルの人類学者、ウォルター・ネーヴィス(Walter NEVES)さんと、一緒に見学をしました。ネーヴィスさんは、ブラジルのサン・パウロ大学で生物学を専攻して、アメリカのスタンフォード大学やノースウェスタン大学で人類学の研修を受け、現在は、母校のサンパウロ大学に勤務しています。

 ブラジルのヴェルメルハ洞穴で1975年に発見された、約11,500年前の人骨を研究しています。この人骨は、約20歳代の女性で、「ルチア(Luzia)」と命名されました。ネーヴィスさんによると、このルチアは、オーストラリア・アボリジンに似ているとされています。

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エリザベスマウンド56.石器ラボ(一番右が、ネーヴィスさん)

 人骨ラボでは、ライル・コーニスバーグ(Lyle KONIGSBERG)さんとスーザン・フランケンバーグ(Susan FRANKENBERG)さんご夫妻に、色々とお世話になりました。

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エリザベスマウンド57.人骨ラボ(左がネーヴィスさん・右がフランケンバーグさん)

 コーニスバーグさんは、インディアナ大学卒業後、ノースウェスタン大学で人類学の教育を受け、しばらくテネシー大学人類学部に勤務していましたが、2007年からは、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の人類学部に移籍しました。奥様のフランケンバーグさんも、一緒に移籍し、博物館研究を担当しています。フランケンバーグさんは、子供の頃、お父様の仕事で東京にしばらく住んでいたそうで、キャンプスヴィルで拾った猫に「プーマ」という名前をつけていましたが、流暢な日本語で、「ネコちゃん」と言っていたのを思い出します。

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エリザベスマウンド58.コーニスバーグさん(左)とフランケンバーグさん(右)ご夫妻

 私は、マウンド出土人骨の古病理学研究をテーマにし、簡単なレポートを提出しました。特に、子供の眼窩篩(クリブラ・オルビタリア)を研究しました。しばらく、土・日や夕方に、人骨ラボに缶詰となりました。

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エリザベスマウンド59.人骨の古病理を研究中の私

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エリザベスマウンド60.エリザベスマウンド出土人骨1前面観

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エリザベスマウンド61.エリザベスマウンド出土人骨1後面観

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エリザベスマウンド62.エリザベスマウンド出土人骨2

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エリザベスマウンド63.エリザベスマウンド出土人骨3


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド8(カホキアマウンド)

2010年06月13日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 1985年7月23日に、エクスカーションでカホキアマウンドを見学しました。このカホキアマウンドは、イリノイ州南部のセントルイス近郊に所在します。この一帯には、100以上のマウンドが密集しています。

 このカホキアマウンド群はミシシッピー文化期に属し、年代はA.D.900~A.D.1,250頃で、最盛期はA.D.1,050~A.D.1,150頃だと推定されています。

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エリザベスマウンド49.ツインマウンド(双子)空撮(カホキアマウンドで購入したスライドより)

 カホキアマウンド群で最大のものは、モンクスマウンドで、底辺約316m×240m・高さ約30mという規模で、北アメリカ(メキシコ以北)で最大のマウンドです。四段構造をしており、最上段には祭祀用の建物が建っていたと推定されています。

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エリザベスマウンド50.カホキアマウンド空撮(カホキアマウンドで購入したスライドより)

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エリザベスマウンド51.カホキアマウンド遠景(カホキアマウンドで購入したスライドより)

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エリザベスマウンド52.ウッドランド期とミシシッピー期の復元住居(カホキアマウンドで購入したスライドより)

 このカホキアマウンドの中で、マウンド72では、多くの人骨が出土しています。ここは、男性の墓ですが、異常なことに、頭と両手を切断された4人の男性や118人の女性を含む261人の人身御供が出土しています。

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エリザベスマウンド53.マウンド72・41号墓坑の集団墓(カホキアマウンドで購入したスライドより)

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エリザベスマウンド54.マウンド72・53号墓坑の集団墓、ここでは、18歳~25歳の女性53体が出土している(カホキアマウンドで購入したスライドより)

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エリザベスマウンド55.マウンド72出土男性人骨・4体とも頭と両手を切断されている(カホキアマウンドで購入したスライドより)


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド7(イヌの埋葬)

2010年06月11日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 1985年8月5日に、エリザベスマウンド7号の22号墓坑から、イヌの全身骨格が出土しました。エリザベスマウンド群では、6号マウンドと7号マウンドから獣骨が出土しています。

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エリザベスマウンド43.エリザベスマウンド7号22号墓坑出土イヌ

 6号マウンド出土獣骨で同定されたのは、魚類のナマズ[Ictalurus melas]、哺乳類のヘラジカ(Elk)[Cervus elaphus]・クーガー(アメリカライオン)[Felis concolor]、鳥類のシチメンチョウ(七面鳥)[Melagris gallopavo]・オオバン(クイナ科)[Fulica americana]等があります。これらは、加工痕が無いそうです。その他、加工されたものが出土しており、焼かれているものもあるそうですが、残念ながら同定されたものは少ないようです。

 私が発掘調査に参加した、7号マウンド出土獣骨で同定されたのは、二枚貝、爬虫類のカメの甲羅、哺乳類のヘラジカ(Elk)[Cervus elaphus]、鳥類のシチメンチョウ(七面鳥)[Melagris gallopavo]・ガチョウ[Branta canadensis]等があります。 

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エリザベスマウンド44.エリザベスマウンド7号22号墓坑出土イヌ

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エリザベスマウンド45.エリザベスマウンド7号墓坑出土位置(22号墓坑のイヌの埋葬は、南東部から出土している)

 このイヌは、約1ヶ月の若いイヌと推定されています。また、副葬品として、種名不明の大型哺乳類を加工して犬歯のように加工したものや、海産貝殻製のビーズが出土しています。この加工したものは、写真でイヌの胸部あたりにあるのを見ることができます。

 前回ご紹介した、ジョン・ホワイト(John WHITE)先生によると、アメリンド(アメリカ・インディアン)の民族事例で、身分の高い者が死ぬと白い毛のイヌを殉葬したというものがあるそうです。そのイヌを殺す際には、刃物を使用してはならず、必ず窒息死させたという興味深いお話をうかがいました。

 このエリザベスマウンド7号の中央にある13号墓坑からは、性別不明で死亡年齢約0.75歳~0.9歳の人骨が出土しています。この子供に殉葬させたのでしょうか?

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エリザベスマウンド46.カホキアマウンド出土イヌ(カホキアマウンドで購入したスライドより)

 コスター遺跡でも、イヌの成体の全身骨格が出土しています。また、この周りには2つの炉が検出されているそうで、何らかの葬送儀礼に関わるものだと推定されています。このイヌの埋葬は、C14年代測定で、約6,500B.C.と測定されています。同定した動物学者によると、頭骨はシェパードぐらい大きいのですが、身体はちびで四肢骨が短いそうで、野犬ではなく家犬だと推定されています。 体高は、約45cm~50cmで、頭骨以外はアメリンド(アメリカ・インディアン)の伝統的なイヌ(テチチ:Techichi)に似ているそうです。

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エリザベスマウンド47.コスター遺跡第11層出土イヌ(C14年代測定で、6,500B.C.と測定)[『Koster』(Struever & Holton, 1979, p.47より]

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エリザベスマウンド48.イヌ全身骨格模型(私が所有しているもの)                     


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド6(ホワイト博士と土器)

2010年06月09日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 アメリカ考古学センターでは、民族考古学者のジョン・ホワイト(John WHITE)先生に色々とご指導していただきました。このキャンプスヴィルでは、大学生の他に、小中学生が参加できるコースが多くあり、ホワイト先生は、土器づくり・石器づくり等を指導していました。

 ホワイト先生は、スコットランドとチェロキー・インディアンの血が混じっており、母方の祖母から色々とアメリンド(アメリカ・インディアン)の生活について教えてもらった経験から、民族考古学を志したそうです。ホワイト先生のおばあさまと同じモンゴロイドである私に、親近感を感じていただいたのか、ご自宅にも招いていただき親切にご指導していただきました。 

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エリザベスマウンド29.学生を指導しているホワイト先生

 私は、発掘が休みの土曜日と日曜日や発掘終了後の夕方に、ホワイト先生から土器の作り方を教えていただきました。まず、土器製作に必要な粘土を採集しました。下の写真がその場所です。

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エリザベスマウンド30.粘土採集場所

 以下の写真は、ホワイト先生が、土器の作り方の過程を記録するようにと、わざわざ土器の製作過程で手を止めて撮影させていただいたものです。今となっては、大変、貴重な資料です。写真はもう少しありますが、ここでは一部省略します。これらの写真は、1985年7月9日と10日に、私が撮影したものです。

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エリザベスマウンド31.砂と淡水産の貝殻を粘土に混ぜます。

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エリザベスマウンド32.粘土をよくこねて、まず、土器の底部を製作します。

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エリザベスマウンド33.土器の胴部から底部を成形します。

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エリザベスマウンド34.次に、土器の口縁部から胴部を製作します。

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エリザベスマウンド35.土器の口縁部から胴部と底部を接合します。

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エリザベスマウンド36.土器を接合したところ。

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エリザベスマウンド37.貝殻で、内部をなめらかにします。

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エリザベスマウンド38.木にヒモを巻いたもので模様をつけます。

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エリザベスマウンド39.ヒモを使って模様をさらにつけます。

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エリザベスマウンド40.完成した土器を手に持つホワイト先生

 この後、私も、ホワイト先生の指導を受けながら、実際に土器を2点製作しました。

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エリザベスマウンド41.土器2点を製作中の私

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エリザベスマウンド42.完成した土器4点。2点の優れた土器はホワイト先生が、2点のつたない土器は私が製作したもの。

 大変、残念なことに、ホワイト先生は、2006年にお亡くなりになられました。1985年にお世話になり、再会を約束したのですが、とうとう、再会を果たすことはできませんでした。私が、キャンプスヴィルを離れる日、わざわざお見送りにきていただき、いきつけのレストランから取り寄せた鳥の砂肝のフライと明治時代の日本を撮影したパノラマ写真をお土産にいただいたことをまるで昨日のように思い出します。

 実は、1988年に、ライル・コーニスバーグさんとスーザン・フランケンバーグさんご夫妻と同行して、この近くまで来たことがあり、私も再訪したかったのですが、「洪水で破壊されたキャンプスヴィルは悲しくなるので見たくない。」というご夫妻の意見を尊重して訪問しませんでした。今思えば、その時、無理にでも再訪してお会いしておくべきだったと後悔しています。ジョン・ホワイト先生のご冥福をお祈りいたします。

 なお、ホワイト先生には、以下の『Hands-On Archaeology』という著書があります。

Hands-On Archaeology: Explore the Mysteries of History Through Science Hands-On Archaeology: Explore the Mysteries of History Through Science
価格:¥ 2,460(税込)
発売日:1998-03-01
Hands-On Archaeology: Real-Life Activities for Kids Hands-On Archaeology: Real-Life Activities for Kids
価格:¥ 1,922(税込)
発売日:2005-09

 


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド5(測量実習・骨の水洗・骨の保存)

2010年06月07日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 キャンプスヴィルでの教育は、発掘実習や骨学実習だけではなく、様々な実習がありました。発掘調査の基本である、測量実習・フローテーション実習・出土人骨の水洗・出土人骨の保存等の実習もあります。

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エリザベスマウンド22.測量実習

 フローテーション法は、遺跡の土壌を水に浸し、浮かび上がってくる種子や炭化材等をふるい分ける方法です。この方法が導入されたことにより、遺跡出土種子の研究が飛躍的に発展しています。実は、このフローテーション法は、ステュアート・ストリューヴァー先生等が普及させたそうです。

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エリザベスマウンド23.フローテーション実習1

 現在では、フローテーションの良い装置がありますが、1985年当時の実習ではイリノイ川に入り、浮いてきた種子や炭化材等をすくいました。ただ、現在では川の水を使うことは不純物が混ざるので良くないと言われており、水道水を使うようにしているようですが・・・。

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エリザベスマウンド24.フローテーション実習2

 出土人骨の水洗実習は、晴れの日に皆で行いました。出土人骨の細かい破片を紛失しないように、1mmメッシュの「ふるい」を使いました。

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エリザベスマウンド25.出土人骨の水洗実習1

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エリザベスマウンド26.出土人骨の水洗実習2

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エリザベスマウンド27.出土人骨の水洗実習3

 出土した人骨を日陰で十分に乾燥させた後で、化学薬品に浸し、出土人骨の保存を行います。当時、日本でも、国立科学博物館人類研究部(当時)の佐倉 朔先生がやはり化学薬品で出土人骨の保存をしていたのを思い出しました。佐倉 朔先生は、「バインダー」という化学薬品を使用されていました。

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エリザベスマウンド28.出土人骨の保存実習


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド4(骨学実習)

2010年06月05日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 日本で購入した、『コスター遺跡』の本を読んでスチュアート・ストリューヴァー(Stuart STRUEVER)先生にお会いできるのを楽しみにして、このノースウェスタン大学の夏期考古学野外実習に参加したのですが、ストリューヴァー先生は、すでに、コロラド州のクロウ・キャニオン遺跡に異動しており、とうとうお会いできませんでした。

 しかし、古病理学の権威のジェーン・バイクストラ(Jane E. BUIKSTRA)先生にはお会いでき、直接指導をしていただきました。バイクストラ先生は、1945年生まれで、デポー大学(DePau University)を卒業後、シカゴ大学(University of Chicago)で人類学専攻で修士課程と博士課程を卒業しています。シカゴ大学卒業後は、一時、シカゴ大学でTA(Teaching Assistant:ティーチング・アシスタント)をした後、ノースウェスタン大学で講師・助教授・準教授・教授と昇進しています。

 バイクストラ先生は、自らの専門を生物考古学(Bioarcheology)と呼び、長年、イリノイ州中西部で人骨を発掘し、古病理学を研究しています。私が、先生から直接聞いた話では、お父様が医師で、その影響を受けたとのことでした。また、自分で人骨の発掘を始めたのは、考古学者によって発掘された人骨は破損が多いため、精密な研究をするには、自分で始めるしかないと思い立ったためだそうです。

 この夏期考古学野外実習の年、1985年には、若干40歳でアメリカ自然人類学会会長に選出されていました。女性の会長は、1930年に創立されて以来、ミルドレッド・トロッター(Mildred TROTTER)[1899-1991]先生とアリス・ブルーズ(Alice BRUES)[1913-2007]先生に次いで、3番目です。

 アメリカ考古学センター(Center for American Archeology)は、村にある39の建物を買い上げ、自然人類学・石器・土器・植物・地質・コンピューター等の研究室を設置しました。例えば、旧肉屋の建物は博物館とミュージアム・ショップ、旧銀行は自然人類学研究室というようになっていました。

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エリザベスマウンド18.肉屋(Meat Market)を改造して、博物館兼ミュージアム・ショップにした建物

 1985年のコースは、5週間(1985年6月9日~同7月13日)と9週間コース(1985年6月9日~8月10日)に分かれていました。ほとんどの学生は、9週間コースに参加しており、私もこの9週間コースに参加しました。9週間ですから、約2ヶ月になります。

 参加した学生は、ノースウェスタン大学をはじめ、コロンビア大学・シカゴ大学・イリノイ大学・インディアナ大学・ハワイ大学等から14名が参加し、これに対し、講師陣は22名でその内9名が常時学生と一緒に発掘するという濃い内容でした。

 月曜日から金曜日の日課は、朝5:30起床・6:00から朝食・6:30に宿舎をスクールバスで出発・7:30~15;30まで発掘実習・17:00から夕食・18:00から講義と、かなりのハード・スケジュールでした。土曜日と日曜日はお休みですが、学生には、自分で決めたテーマを研究してレポートを提出しなければなりません。ちなみに、私は、人骨の古病理学をテーマにしました。

 骨学実習は、毎週、月曜日・水曜日・木曜日の夜、18:00~20:00に2時間ずつ行われました。骨学の試験は、毎週行われましたが、学生には親指の先ぐらいの人骨片が与えられ、30秒以内に、人骨か獣骨か、人骨であればその骨の名称・左右・特徴を当てさせるというものです。これは、英語を母国語としない私にはかなりきつい試験でしたが、何とかパスすることができました。

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エリザベスマウンド19.ジェーン・バイクストラ(Jane E. BUIKSTRA)先生による、骨学授業風景

 それでも、数年前までは、袋の中に入れた骨を手で触れるだけで人骨の名前を当てさせたそうですから、現在は簡単になった方なのだそうです。私は、渡米前に、国立科学博物館で佐倉 朔先生のご指導の元に埼玉県のお寺山遺跡出土人骨整理のお手伝いをさせていただいていたので人骨を扱う経験がありました。

 その他の学生は、人骨を見るのも触るのも初めてという者もいました。ところが、数週間経ってコースが終了する頃には、その学生達も人骨を同定する実力がついており、アメリカの優れた教育システムに驚嘆しました。やはり、図や写真だけではなく、実物を使って教育をすると効果があることが実感できました。

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エリザベスマウンド20.古病理学授業で使用された古病理標本1(右から、小人症・梅毒・結核)

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エリザベスマウンド21.古病理学授業で使用された古病理標本2(右から、DISH、クリブラ・オルビタリア、関節症、骨折)


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド3(エリザベスマウンド第7号の発掘調査)

2010年06月03日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 エリザベスマウンド群の発掘調査は、408号道路建設工事に伴い行われました。発掘調査は、1979年から1985年まで、ノースウェスタン大学のフィールド・スクールとして行われ、私は、その最後の年に参加しました。

 エリザベスマウンド群(Elizabeth Mound)は、大小のマウンドからなり、エリザベスマウンドは、1号マウンドから14号までの14基からなります。また、その間にはさまれるように、ノールマウンド(Knoll Mound)のA・B・Eと3基が存在します。

 私達は、その内、エリザベスマウンド群最大のエリザベスマウンド7号の発掘調査を行いました。このエリザベスマウンド7号は、1984年と1985年に発掘調査が行われました。マウンドの規模は、直径約28mで中央部の高さは約2.5mです。マウンドの時期は、ウッドランド期の中期(200年B.C.~A.D.400年)だと推定されています。ちなみに、マウンド中央部のC14年代では、A.D.10年という結果が得られています。

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エリザベスマウンド11.エリザベスマウンド群の位置。エリザベスマウンド7号は、左上にある。[Charles・Leigh・Buikstra (1988)より。p.5のFig.1.4](*画像をクリックすると、拡大します。)

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エリザベスマウンド12.エリザベスマウンド7号遠景

 発掘調査の方法は、2m×2mのグリッド内に1人ずつ入り、20cmずつ掘り下げるというもので、1日に約60cm掘り下げることが標準とされていました。しかし、この60cmはかなりきつい調査でした。

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エリザベスマウンド13.エリザベスマウンド7号の発掘調査風景

 このエリザベスマウンド7号では、22の墓坑から30体の人骨とイヌが1体出土しました。性別は、成人男性5体・成人女性9体・未成年16 体です。日本で言えば、弥生時代にあたる人骨ですが、土に埋まった状態でこれほど良い保存状態のものは日本では出土しません。やはり、酸性土壌の日本とアルカリ性土壌のアメリカでは異なることが理解できました。

 死亡年齢は、成人男性は、45歳~50歳が3体・45歳以上が1体・50歳以上が1体です。また、成人女性は、30歳~50歳が1体・45歳~50歳が1体・45歳以上が2体・50歳以上が5体です。

 未成年は、0.45歳~0.75歳が1体・0.5歳が1体・0.75歳~0.8歳が1体・0.75歳~0.9歳が1体・0.9歳~1歳が1体・1.2歳~1.7歳が1体・1.3歳~1.5歳が1体・2歳~2.5歳が1体・2.5歳~3歳が2体・3歳~3.25歳が1体・4歳~5歳が1体・6歳~7歳が1体・9歳~10歳が1体・10歳~12歳が1体・16歳~18歳が1体と、6歳以下の未成年が12体と多くをしめます。

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エリザベスマウンド14.エリザベスマウンド7号の墓坑位置図。[Charles・Leigh・Buikstra (1988)より。p.67のFig.5.22](*画像をクリックすると、拡大します。)

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エリザベスマウンド15.21号墓坑の発掘風景

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エリザベスマウンド16.21号墓坑合葬墓出土人骨出土状況。手前が50歳以上の女性で、奥が50歳以上の男性。


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド2(イリノイ州立博物館)

2010年06月01日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 1985年7月16日(火)、エクスカーションで、イリノイ州立博物館を訪問しました。このイリノイ州立博物館は、イリノイ州スプリングフィールドに所在します。人類学・動物学・地質学・植物学・美術等の研究部門と常設展示を持つ、イリノイ州を代表する総合博物館です。1877年に創立されており、イリノイ州立博物館の分館として、ディクソン・マウンド博物館、ロックポート・ギャラリー、南イリノイ芸術センター、シカゴ・ギャラリーがあります。

 イリノイ州立博物館の本館には、アメリカ先住民の生活を4つの等身大ジオラマ(ダイオラマ)で再現しています。これらは、アーケイック(古)期・ウッドランド期・ミシシッピー期・歴史時代の4つで、いずれも、ノースウェスタン大学(当時)の生物考古学者のジェーン・バイクストラ(Jane E. BUIKSTRA)先生が監修して製作されました。人骨から、体格を推定して作ったそうです。

 アーケイック期は、8.000年B.C.~1,000年B.C.の時代で、当初、大型動物の狩猟を行っていたが、やがてその大型動物は絶滅してしまいます。その他、シカ・アライグマ・リス等の小型哺乳類や水鳥を狩猟したり、魚・貝・エビ、堅果類・種子類・果実類を採集したようです。また、この時期の終わり頃には土器が出現しています。日本で言えば、縄文時代に似ています。

Archaic

エリザベスマウンド7.アーケイック期のジオラマ(ダイオラマ)[淡水産の貝類でできた貝塚]

 ウッドランド期は、1,000年B.C.~A.D.1,000年の時代で、土器が普及し、農耕が行われ始めました。また、多くの小規模のマウンドが築造されています。サンプウィード・アカザ・ヒッコリー等の採集を多くしていたようです。

Woodland

エリザベスマウンド8.ウッドランド期のジオラマ(ダイオラマ)

 ミシシッピ期は、A.D.800年~A.D.1,500年の時代で、トウモロコシ・マメ・カボチャの本格的な栽培が始まります。また、有名なカホキアのような巨大なマウンドが築造されています。ウッドランド期のマウンドと異なるのは、埋葬用のみではなく、神殿も構築されており、階級制度が始まったと推定されています。この時期の土器の胎土には、淡水産の貝を混ぜています。

Mississippi

エリザベスマウンド9.ミシシッピー期のジオラマ(ダイオラマ)

 A.D.1492年には、コロンブスがアメリカ大陸を発見したように、ヨーロッパ人との遭遇が起きました。銃や馬を手に入れ、ヨーロッパ人との戦いや交易が始まります。

Historical

エリザベスマウンド 10.歴史時代のジオラマ(ダイオラマ)

 この4つのジオラマ(ダイオラマ)は、1985年当時、世界で見てもあまり事例がなく、話題を呼んだ素晴らしいものでした。それは、多くの博物館では、ミニチュアのジオラマ(ダイオラマ)は多くありましたが、等身大のジオラマ(ダイオラマ)はあまりなかったからです。

 私も、いつかこのような等身大ジオラマ(ダイオラマ)を作りたいと夢を見ましたが、思いがけず、約10年後にその夢を達成することができました。それは、1993年4月から群馬県立自然史博物館の準備室に勤務し、約3年半かけて、1996年10月に開館した群馬県立自然史博物館の常設展示で、「直立二足歩行」・「火の使用」・「埋葬」という人類進化のジオラマ(ダイオラマ)3つを完成させる機会に恵まれたからです。


私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド1(ノースウェスタン大学とコスター遺跡)

2010年05月30日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 エリザベスマウンドは、アメリカのイリノイ州パイク郡に所在します。私は、このエリザベスマウンド7号の発掘調査に参加する機会に恵まれました。それは、1985年にノースウェスタン大学第18回サマー・フィールド・スクール(夏期野外実習)に登録して参加したからです。

 アメリカの大学では、夏期に、ほとんどの大学で様々な分野のサマー・スクールを開講しており、単位を取得することが可能です。大学卒業の条件は、卒業に必要な単位を取得することなので、夏期にも単位を取得すれば、それだけ早く卒業することも可能になります。また、基本的に大学間の単位は相互認定されるので、他流試合として、別の大学のサマースクールに参加することが多いようです。

 ノースウェスタン大学(Northwestern University)は、1851年に創立されており、イリノイ州シカゴ郊外の北部にあるエヴァンストン(Evanston)に所在する私立の名門校です。日本でも有名なシカゴ大学は、1890年に創立されているので、それよりも古い大学ということになります。実際、ノースウェスタン大学の学生は、アメリカ中西部のハーヴァード大学だと呼んでいました。

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エリザベスマウンド1.ミシシッピー川遠景

 サマー・フィールド・スクールは、イリノイ州南西部のカフーン郡(Calhoun County)キャンプスヴィル(Kampsville)にある、アメリカ考古学センター(Center for American Archeology)で行われました。このセンターは、1953年に創立されています。近くには、ミシシッピー川やイリノイ川が流れており、遺跡の密度は濃く、キャンプスヴィルから車で1時間以内の同心円部には約2,500の遺跡があるそうです。この地域にはマウンド(古墳)が多く、エジプトのナイル川にかけて、北アメリカのナイルと呼ばれています。

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エリザベスマウンド2.イリノイ川遠景

 このキャンプスヴィルは、当時の人口は約400人で、2000年の人口統計では350人だそうです。この村は、蒸気船がイリノイ川を走っていた時代には、渡船場として栄えたそうです。今でも、イリノイ州交通局により、イリノイ川の渡しを行っています。ありがたいことに、この渡船場は、年中無休でかつ24時間開いており、しかも無料です。私も、何度も使わせていただきました。

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エリザベスマウンド3.イリノイ川の渡船場。対岸がキャンプスヴィル。

 センターは、コスター遺跡の発掘調査で大変、有名になりました。ちなみに、遺跡の名前は土地の持ち主のセオドア・コスター(Theodore KOSTER)さんにちなんでいるそうです。このコスター遺跡は、1968年から1979年に、ノースウェスタン大学が発掘調査を行い、26の文化層が発見されました。その中でも、約6,600年前・約5,000年前・約3,300年前の3期に、集落が形成されています。また、約5,000年前のイヌの骨も発見されており、これは、北米でも最古級だそうです。

 遺跡は、調査終了後、埋め戻されており、遺跡自体を見学することはできませんが、出土遺物は博物館で見ることができます。

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エリザベスマウンド4.コスター遺跡発掘風景(『KOSTER』より)

 ちなみに、私は、渡米する前にこのコスター遺跡についてある程度の知識を得ていました。それは、このコスター遺跡の発掘調査を指揮したノースウェスタン大学の考古学者、スチュアート・ストリューヴァー(Stuart STRUEVER)教授とフリー・ジャーナリストのフェリシア・アントネッリ・ホルトン(Felicia  Antonelli HOLTON)さんが書いた、『KOSTER』という本を読んでいたからです。この本は、1979年に、Anchor Pressから出版されています。今、手元にある本を見ると、1982年4月16日に、お茶の水の丸善で購入と書いています。かすかな記憶を辿ると、安売りのワゴンにあったものの中から、表紙に人骨があったので選んで購入したようです。

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エリザベスマウンド5.『KOSTER』表紙

 ストリューヴァー教授は、1931年に生まれ、ダートマス大学卒業後、シカゴ大学大学院で有名な民族考古学者のルイス・ビンフォードさん(Lewin BINFORD)[1930-]の指導を受けています。指導教官は、わずか1歳年上です。1950年代から1960年代の当時、シカゴ大学では、「ニュー・アーケオロジー(新しい考古学)」という考えに基づいて、科学を考古学に積極的に応用する動きが盛んでした。これは、スプートニク・ショックに伴うそうです。ビンフォードさんは、1962年に「人類学としての考古学」という論文を書いており、事実のみを追求するのではなく説明をすべきであると説きました。興味深いことに、ビンフォードさんは、元々は生物学者だったそうで、民族考古学を創始したきっかけは、沖縄に6年間滞在したことだそうです。

 実際、このセンターでは、村にある39の建物を買い取り、石器・土器・植物・地質・自然人類学・コンピューター・博物館等に使用しています。私は、当時、オレゴン大学に留学していましたが、恐らく約30の大学に手紙を送り、人骨が発掘できるフィールド・スクールを探しました。その結果、このノースウェスタン大学に行き着いたわけです。実際、多くの人類学者からは、このノースウェスタン大学のサマー・フィールド・スクールが全米一であると推薦してくれました。

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エリザベスマウンド6.ストリューヴァー教授(『KOSTER』より)

 私は、まだ本でしか知らないストリューヴァー教授に会えることを楽しみに、オレゴンからイリノイ州に向けて車で出発しました。