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人類学のススメ

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世界の人類学者30.ケネス・ペイジ・オークリー(Kenneth Page OAKLEY)[1911-1981]

2012年02月08日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

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オークリー1.ケネス・ぺイジ・オークリー(Kenneth Page OAKLEY)[1911-1981][Moore(1953)『Man, Time, & Fossils』, Plate28より引用]

 ケネス・ペイジ・オークリーは、1911年4月7日に、イギリスのバッキンガム、アマーシャムで生まれました。1930年にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジに入学し、人類学と地質学を学びました。1933年に母校を卒業すると、1934年に地質調査所に入所し、1935年には大英自然史博物館地学研究部の古生物学部門にアシスタント・キーパーとして移籍します。大英自然史博物館での長いキャリアの始まりでした。1938年には、母校で博士号を取得しています。

 第2次世界大戦中は地質調査に駆り出され、研究は中断します。戦後の1947年には、再び大英自然史博物館に復職し、1954年には地学及び動物学研究部の人類学セクションが創設され、1955年にはそのセクション長に就任しました。その後、人類学セクションは副人類学研究部となり、1959年には古生物学研究部付きの副人類学研究部となっています。しかし、1969年には体調を崩し、早期退職を余儀なくされました。

 オークリーは、戦争中、肥料として使うためのリン酸を研究していました。その過程で、忘れ去られていた手法に目をつけ、それが、後にオークリーを有名にするフッ素年代測定法のヒントになったと言われています。

 オークリーを有名にした研究は、ピルトダウン人の年代測定でした。1953年から1955年にかけて、オークリーは、共同研究者のジョセフ・シドニー・ワイナー(Joseph Sidney WEINER)[1915-1982]とウィルフリッド・ル・グロ・クラーク(Wilfrid Le Gros Clark)[1895-1971]と共に、ピルトダウン人を再検査し、それが偽物であることを暴きました。

 その後、大英自然史博物館から、世界中の化石人類を、アフリカ・ヨーロッパ・アジアと地域毎に3冊にまとめたカタログも出版し、現在でも重宝されています。

 オークリーが書いた本として、以下のものが有名です。

  • Oakley(1949) "Man the Tool-Maker"[このブログで紹介済み]
  • Oakley(1964) "Frameworks for Dating Fossil Man"[このブログで紹介済み]

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オークリー2.南アフリカのスワルトクランス遺跡を調査するケネス・ぺイジ・オークリー(Kenneth Page OAKLEY)[1911-1981][Moore(1953)『Man, Time, & Fossils』, Plate27より引用]

 オークリーは、1981年11月2日に70歳でこの世を去りました。病により、58歳という若さで引退を余儀なくされましたが、オークリーの年代学と化石人類との考え方は、今でも影響を与え続けています。