人類学のススメ

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日本の人類学者42.八幡一郎(Ichiro YAWATA)[1902-1987]

2012年10月25日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Ichiroyawata

八幡一郎(Ichiro YAWATA)[1902-1987][江坂輝弥(1988)「八幡一郎先生を偲ぶ」『人類学雑誌』第96巻第2号より改変して引用](以下、敬称略。)

 八幡一郎は、1902年4月14日に、長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)で生まれました。身体が弱かったため、諏訪中学校を卒業後、1921年に東京帝国大学理学部人類学教室の選科に入学します。この選科は、卒業しても学士号がもらえないという制度でした。この年、選科生には、八幡一郎の他、宮坂光次も入学しています。人類学教室の選科生は、全部で10人いましたが、八幡一郎は5番目となります。

 八幡一郎は、鳥居龍蔵[1870-1953]について人類学の勉学に励みました。鳥居龍蔵は、後に「自分の弟子は、山・甲・八の三君のみ。」と語っており、「山」は「山内清男[1902-1970]」・「甲」は「甲野 勇[1901-1967]・「八」は八幡一郎を指します。

 1924年に八幡一郎は東京帝国大学理学部人類学教室の選科を修了すると、母校の副手に就任します。1931年に助手・1939年に講師と順調に昇任しました。この当時の八幡一郎は、アカデミックの世界で恵まれており、山内清男はその点を度々批判していたようです。

 甲野 勇は1926年に、大山 柏が創設した大山史前学研究所に移りましたが、その研究所も1936年に去っています。山内清男が八幡一郎を批判した理由は、他にもありました。それは、師匠の鳥居龍蔵が松村 瞭[1880-1936]の学位論文を巡る事件で東京帝国大学を辞職した際に、山内清男は鳥居に殉じるかのように東北帝国大学医学部副手として赴任したのに対し、八幡一郎と甲野 勇はそのまま教室に残ったからです。この点は、恩師の鳥居龍蔵も皮肉ともとれる文章を残しました。しかし、後に、鳥居龍蔵のことをまとめた文章を『日本文化史大系』に書いたのは、八幡一郎でした。また、鳥居龍蔵が創設した上智大学文学部の考古学教授に就任したのも八幡一郎です。

 八幡一郎は、戦争中は長谷部言人[1882-1969]と共に、ミクロネシアの調査を多く行っており、『人類学雑誌』のその成果を多く発表しています。しかし、終戦時、大陸に調査に行っていた八幡一郎は、しばらく抑留されてしまいました。

 1948年、八幡一郎は東京国立博物館に職を得て、1951年に同館学芸部考古課長に就任しますが、1952年に辞職します。1953年に東京大学文学部専任講師に就任し、1962年に東京教育大学文学部教授に就任しますが、八幡一郎はすでに60歳になっています。以前、山内清男が八幡一郎を順風満帆だと批判したのとは異なる道を辿りました。1966年に東京教育大学を定年退官後、上智大学文学部教授に就任し、1972年に定年退職しています。

 意外なことに、八幡一郎は、「土器は良くわからない。」と生前言っていたそうですが、山内清男と比べるとという意味で謙遜だったのかもしれません。八幡一郎のことを多く批判していた山内清男を成城大学に推薦したのも、八幡一郎だったと言われています。悪口を言いながらも、二人は深い部分で絆があったのでしょう。

 八幡一郎が書いた論文や著書は多数ありますが、主な著書は以下の通りです。この他、1979年から1980年にかけて、全6巻の『八幡一郎著作集』が雄山閣出版から刊行されています。

  • 八幡一郎(1930)『土器石器』、古今書院
  • 八幡一郎(1943)『南洋文化雑考』、青年書房昭光社
  • 八幡一郎(1947)『日本石器時代文化』、鎌倉書房
  • 八幡一郎(1948)『日本の石器』、彰考書院
  • 八幡一郎(1953)『古代の生活』、筑摩書房
  • 八幡一郎(1953)『おおむかしの人々』、講談社
  • 八幡一郎(1954)『日本史の黎明』、有斐閣
  • 八幡一郎(1954)『日本の古代人』、岩崎書店
  • 八幡一郎(1968)『日本文化のあけぼの』、吉川弘文館
  • 八幡一郎(1970)『日本古代史の謎』、新潮社

 1987年10月26日、八幡一郎は85歳で死去しました。東京帝国大学理学部人類学教室選科生の中で、先史学を専攻した、山内清男・甲野 勇・中谷治宇二郎の誰よりも長生きでした。八幡一郎は、多くの論文や著書を残し、かつ、様々な研究機関で多くの弟子を育てました。

*八幡一郎に関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 寺田和夫(1975)『日本の人類学』、思索社
  • 江坂輝弥(1988)「八幡一郎先生を偲ぶ」『人類学雑誌』、第96巻第2号、pp.131-135
  • 大村 裕(2008)『日本先史考古学史の基礎研究』、六一書房

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