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人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

私の仕事・博物館の企画展8.出土資料から見た東毛の戦国時代(笠懸野岩宿文化資料館)

2011年05月08日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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『出土資料から見た東毛の戦国時代』展図録表紙[笠懸野岩宿文化資料館](*画像をクリックすると、拡大します。)

 『出土資料から見た東毛の戦国時代』展は、第41回企画展として、2006年1月28日~同年3月12日に、笠懸野岩宿文化資料館で開催されました。この博物館は、相沢忠洋[1926-1989]さんが、1946年に岩宿で旧石器を発見し、1949年に明治大学による発掘調査で確かめられた岩宿遺跡のすぐそばにあります。1992年に「笠懸野岩宿文化資料館」として開館し、合併に伴い、2006年に「岩宿博物館」と名称が変更されました。

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『出土資料から見た東毛の戦国時代』展図録目次(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「付論1.人口誌から見た日本の人口推移」・『出土資料から見た東毛の戦国時代』展図録p.4(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「付論2.中世人骨の研究」・『出土資料から見た東毛の戦国時代』展図録p.5(*画像をクリックすると、拡大します。)

*以下は、「付論1.人口誌から見た日本の人口推移・付論2.中世人骨の研究」・『出土資料から見た東毛の戦国時代』展図録p.4~p.5のPDF(463KB)です。

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私の仕事・博物館の企画展7.日本人のルーツを探る展3・渡来人の流入と日本人の形成(笠懸野岩宿文化資料

2011年05月06日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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『日本人のルーツを探る』展図録表紙[笠懸野岩宿文化資料館](*画像をクリックすると、拡大します。)

 『日本人のルーツを探る:日本人類史の検討』展は、第33回企画展として、2001年9月29日~同年11月18日に、笠懸野岩宿文化資料館で開催されました。この博物館は、相沢忠洋[1926-1989]さんが、1946年に岩宿で旧石器を発見し、1949年に明治大学による発掘調査で確かめられた岩宿遺跡のすぐそばにあります。1992年に「笠懸野岩宿文化資料館」として開館し、合併に伴い、2006年に「岩宿博物館」と名称が変更されました。

 この図録では、多くの頁に執筆させていただきましたので、3回にわたりご紹介します。今回は、第Ⅲ章「渡来人の流入と日本人の形成」の内、「2.渡来人の流入と弥生時代の人骨」(p.31)・「4.古墳時代の人骨」(p.32~p.33)・「5.中世(鎌倉時代・室町時代)の人骨」(p.35~p.36)・「6.近世(江戸時代)の人骨」(p.37)をご紹介します。

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『日本人のルーツを探る』展図録目次(*画像をクリックすると、拡大します。)

 弥生時代人骨は、九州大学所蔵のスダレ遺跡・金隈遺跡・新町遺跡・椎ノ木遺跡出土人骨の頭蓋骨を展示しました。在来系と渡来系の両方を展示することができました。

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「渡来人の流入と弥生時代の人骨」・『日本人のルーツを探る』展図録p.31(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「渡来人の流入と弥生時代の人骨」・『日本人のルーツを探る』展図録p.32(*画像をクリックすると、拡大します。)

 古墳時代人骨は、国立科学博物館所蔵の赤羽台遺跡横穴墓から出土した男女の頭蓋骨を展示しました。

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「渡来人の流入と弥生時代の人骨」・『日本人のルーツを探る』展図録p.34(*画像をクリックすると、拡大します。)

 鎌倉時代人骨は、東京大学総合研究博物館所蔵の鎌倉材木座遺跡から出土した男女頭蓋骨を展示しました。室町人骨は、東京大学総合研究博物館所蔵の大手町から出土した男女頭蓋骨を展示しました。

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「渡来人の流入と弥生時代の人骨」・『日本人のルーツを探る』展図録p.35(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「渡来人の流入と弥生時代の人骨」・『日本人のルーツを探る』展図録p.36(*画像をクリックすると、拡大します。)

 江戸時代人骨は、国立科学博物館所蔵の池之端七軒町遺跡から出土した男女の頭蓋骨を展示しました。

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「渡来人の流入と弥生時代の人骨」・『日本人のルーツを探る』展図録p.37(*画像をクリックすると、拡大します。)

*以下は、「Ⅲ.渡来人の流入と日本人の形成・2.渡来人の流入と弥生時代の人骨・4.古墳時代の人骨・5.中世(鎌倉時代・室町時代)の人骨・6.近世(江戸時代)の人骨」・『日本人のルーツを探る』展図録p.31・p.34~p.37のPDF(859KB)です。

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私の仕事・博物館の企画展6.日本人のルーツを探る展2・日本人類史の検討(笠懸野岩宿文化資料館)

2011年05月05日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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『日本人のルーツを探る』展図録表紙[笠懸野岩宿文化資料館](*画像をクリックすると、拡大します。)

 『日本人のルーツを探る:日本人類史の検討』展は、第33回企画展として、2001年9月29日~同年11月18日に、笠懸野岩宿文化資料館で開催されました。この博物館は、相沢忠洋[1926-1989]さんが、1946年に岩宿で旧石器を発見し、1949年に明治大学による発掘調査で確かめられた岩宿遺跡のすぐそばにあります。1992年に「笠懸野岩宿文化資料館」として開館し、合併に伴い、2006年に「岩宿博物館」と名称が変更されました。

 この図録では、多くの頁に執筆させていただきましたので、3回にわたりご紹介します。今回は、第Ⅱ章「日本人類史の検討」の内、「2.日本更新世人類化石の検討」(p.18~p.22)と「4.縄文時代の人類」(p.25)をご紹介します。

 日本更新世人類は、葛生(栃木県)[レプリカ]・泊洞穴(富山県)[レプリカ]・浜北(静岡県)[レプリカ]・三ヶ日(静岡県)[レプリカ]・牛川(愛知県)[レプリカ]・明石(兵庫県)[レプリカ・オリジナル化石は1945年の東京大空襲の際に焼失]・聖嶽(大分県)[レプリカと表面採集人骨オリジナル]・港川(沖縄県)[レプリカ]・ピンザアブ(沖縄県)[レプリカ]を展示しました。この図録の内、p.18の地図に掲載した多古遺跡は、後に古墳時代人に同定されていますので、注意が必要です。

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『日本人のルーツを探る』展図録目次(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.18[註:地図の多古は、後に古墳時代人であることが判明。](*画像をクリックすると、拡大します。)

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.19(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.20(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.21(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.22(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.23(*画像をクリックすると、拡大します。)

 縄文時代の人類は、大森貝塚出土四肢骨のレプリカと蝦島貝塚出土男女のオリジナル頭蓋骨を国立科学博物館から借用して展示しました。

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.25(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「日本更新世人類化石の検討」・『日本人のルーツを探る』展図録p.26(*画像をクリックすると、拡大します。)

*以下は、「Ⅱ.日本人類史の検討・2.日本更新世人類化石の検討と4.縄文時代の人類」・『日本人のルーツを探る』展図録p.18~p.22・p.25~p.26のPDF(1.16MB)です。

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私の仕事・博物館の企画展5.日本人のルーツを探る展1・人類の起源と進化 (笠懸野岩宿文化資料館)

2011年05月04日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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『日本人のルーツを探る』展図録表紙[笠懸野岩宿文化資料館](*画像をクリックすると、拡大します。)

 『日本人のルーツを探る:日本人類史の検討』展は、第33回企画展として、2001年9月29日~同年11月18日に、笠懸野岩宿文化資料館で開催されました。この博物館は、相沢忠洋[1926-1989]さんが、1946年に岩宿で旧石器を発見し、1949年に明治大学による発掘調査で確かめられた岩宿遺跡のすぐそばにあります。1992年に「笠懸野岩宿文化資料館」として開館し、合併に伴い、2006年に「岩宿博物館」と名称が変更されました。

 この図録では、多くの頁に執筆させていただきましたので、3回にわたりご紹介します。今回は、第Ⅰ章「人類の起源と進化」の内、「1.世界の人類史」(p.1~p.8)をご紹介します。但し、これは、2001年当時の考え方で、その後、多くの化石人類が発見されており、種の数も増加しています。

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『日本人のルーツを探る』展図録目次(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.1[註:2001年当時で、現在は、種の数が増加している。](*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.2[アルディピテクス・ラミダス・カダバの学名に誤りがある。Kadabbaが正しい。](*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.3(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.4(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.5(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.6(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.7(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類の起源と進化」・『日本人のルーツを探る』展図録p.8(*画像をクリックすると、拡大します。)

*以下は、この「Ⅰ.人類の起源と進化・1.世界の人類史」・『日本人のルーツを探る』展図録p.1~p.8のPDF(1.19MB)です。

「IM2001-1.pdf」をダウンロード  


私の仕事・博物館の企画展4.あづまのくにのやよいのこころ展(高崎市観音塚考古資料館)

2011年05月03日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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『あづまのくにのやよいのこころ』展図録表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

 『あづまのくにのやよいのこころ:墓制からみた東日本の弥生時代』展は、2000年10月7日(土)~同年11月26日(日)まで、高崎市観音塚考古資料館の第13回企画展として実施されました。高崎市観音塚考古資料館は、1945年3月に防空壕を掘っていた地元の人々によって偶然発見され1961年に国指定重要文化財となった約6世紀末~7世紀初頭の「上野国八幡観音塚古墳」出土遺物の保存と公開を目的に、1988年に開館しています。

 この企画展では、群馬県の弥生時代再葬墓の内、「沖Ⅱ遺跡」・「岩櫃山遺跡群の幕岩岩陰」・「八束脛洞窟遺跡」出土人骨が展示されました。また、千葉県の「天神前遺跡」・長野県の「塩崎遺跡群伊勢宮遺跡」出土人骨が展示されています。

 私は、当時、同館の学芸員だった角田真也さんから依頼されて、図録の内、「人類学から見た弥生時代の墓」として、p.26~p.28を執筆しました。また、2000年11月19日(日)には、「人類学から見た弥生時代の墓」を講演しました。角田真也さんとは、以前、沖縄県の伊是名島にある伊是名貝塚の発掘調査で一緒に仕事をしたことがある仲です。

 この日は、『前期旧石器問題勉強会』も開催され、通常の講演の後で、「日本の旧石器時代人骨」というテーマでもお話をさせていただきました。同じ日に講演が2本あり、少し大変だったことを思い出します。

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「人類学から見た弥生時代の墓」・『あづまのくにのやよいのこころ』展図録p.26(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類学から見た弥生時代の墓」・『あづまのくにのやよいのこころ』展図録p.27(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「人類学から見た弥生時代の墓」・『あづまのくにのやよいのこころ』展図録p.28(*画像をクリックすると、拡大します。)

*以下は、「人類学から見た弥生時代の墓」のPDF(591KB)です。

「TKAM2000.pdf」をダウンロード


私の仕事・博物館の企画展3.恐竜が語る生命の歴史展(宮崎県総合博物館)

2011年04月29日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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『恐竜が語る生命の歴史』展図録表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

 『恐竜が語る生命の歴史』展は、1998年7月25日~同8月30日にかけて、宮崎県総合博物館で開催されました。この企画展は、1998年5月1日に、宮崎県総合博物館がリニューアルオープンしたことを契機に開催されています。ちなみに、人類展示の資料は、すべて群馬県立自然史博物館から貸し出しをしました。

 この宮崎県総合博物館は、1951年に宮崎県立博物館として開館し、1971年に宮崎県総合博物館として開館してから、1998年にリニューアル開館しています。

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『恐竜が語る生命の歴史』展リーフレット表(*画像をクリックすると、拡大します。)

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『恐竜が語る生命の歴史』展リーフレット裏(*画像をクリックすると、拡大します。)

 私は、この図録で、「8.人類の起源」(p.17~p.18)・「9.人間性の起源と進化」(p.19~p.21)・「10.ネアンデルタールが語ること」(p.22)の3章を執筆しました。Mpm17

『恐竜が語る生命の歴史』展図録p.17(*画像をクリックすると、拡大します。)

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『恐竜が語る生命の歴史』展図録p.18(*画像をクリックすると、拡大します。)

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『恐竜が語る生命の歴史』展図録p.19(*画像をクリックすると、拡大します。)

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『恐竜が語る生命の歴史』展図録p.20(*画像をクリックすると、拡大します。)

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『恐竜が語る生命の歴史』展図録p.21(*画像をクリックすると、拡大します。)

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『恐竜が語る生命の歴史』展図録p.22(*画像をクリックすると、拡大します。)

 1998年8月9日(日)には、宮崎県総合博物館の敷地内にあった県民文化ホールで『人類の誕生と進化:恐竜の絶滅からの出発』と題して講演もしました。ちなみに、同年8月2日(日)には、恐竜イラストレーターのヒサ クニヒコさんによる講演が行われています。当時は、パワーポイントが無かったので、OHPとスライドで講演しました。なお、県民文化ホールは、2007年に用途廃止となり、2008年には解体工事が終了しています。

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『恐竜が語る生命の歴史』展記念講演会・「人類の誕生と進化」講演写真1[1998年8月9日](*画像をクリックすると、拡大します。)

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『恐竜が語る生命の歴史』展記念講演会・「人類の誕生と進化」講演写真2[1998年8月9日](*画像をクリックすると、拡大します。)

*以下は、『恐竜が語る生命の歴史』展図録の内、私が執筆した部分(p.17~p.22)のPDF(1.33MB)です。

「MPM1998.pdf」をダウンロード


私の仕事・博物館の企画展2.ピテカントロプス展(国立科学博物館)

2011年04月24日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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『ピテカントロプス展』図録表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

 『ピテカントロプス展』は、1996年9月7日(土)~1996年11月24日(日)まで、国立科学博物館で開催されました。この企画展では、インドネシアのサンギラン遺跡で1969年に発見された、ホモ・エレクトス(Homo erectus)の頭蓋骨化石、ピテカントロプス8号(サンギラン 17号)が世界で初公開され話題になりました。

 私は、当時、群馬県立自然史博物館に所属していましたが、国立科学博物館(当時)の馬場悠男先生等とサンギラン遺跡の調査をしており、この図録のp.81~p.83に、国立科学博物館の海部陽介さんと一緒に「ピテカントロプス化石の新たなる発見をめざす」を書かせていただきました。1996年に、「インドネシア・日本合同調査団」によるサンギラン遺跡での発掘調査の内容が書かれています。

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「ピテカントロプス化石の新たなる発見をめざす」・『ピテカントロプス展図録』[国立科学博物館]p.81(*画像をクリックすると、拡大します。)

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「ピテカントロプス化石の新たなる発見をめざす」・『ピテカントロプス展図録』[国立科学博物館]p.82((*画像をクリックすると、拡大します。)

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「ピテカントロプス化石の新たなる発見をめざす」・『ピテカントロプス展図録』[国立科学博物館]p.83((*画像をクリックすると、拡大します。)

*以下は、「ピテカントロプス化石の新たなる発見をめざす」のPDF(817KB)です。

「NSM1996.pdf」をダウンロード


私の仕事・博物館の企画展1.人類の旅(沖縄県立博物館)

2009年07月28日 | C2.私の仕事:博物館の企画展[My Work

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 この図録は、沖縄県立博物館の新館開館記念展として、2007年11月1日から2008年1月20日まで、沖縄県立博物館で実施された『人類の旅: 港川人の来た道』展の図録です。沖縄県立博物館は、長い歴史を誇りますが、2007年に移転して新館が開館しました。今回は、沖縄県立美術館も同じ場所に開館しています。

 画期的なことに、沖縄で発見された旧石器時代人骨の港川人の内、港川3号と港川4号は、2007年11月からこの沖縄県立博物館に移管されました。港川1号及び港川2号は、これまで通り、東京大学総合研究博物館に保管されています。

 この『人類の旅』展では、私は、依頼されて現生霊長類・化石霊長類・化石人類の展示原稿を書きました。日本人の起源の原稿は、沖縄県立博物館の学芸員による執筆です。

 2008年の1月には、久しぶりに沖縄を訪問し、企画展を見学しました。県立博物館の人類学関連の展示として、かなり立派なもので感銘を受けました。何よりも、多くの来館者があったのが印象的でした。旧沖縄県立博物館には、私も何度か訪問したことがありますが、今回の新館は常設展示も新しいものに変わり、かなり立派になっています。