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人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

報告書16.由比ヶ浜南遺跡

2014年06月28日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

Yuigahamaminamiiseki2001

 この報告書『由比ヶ浜南遺跡』は、神奈川県鎌倉市に所在する、中世の埋葬遺跡である由比ヶ浜南遺跡の発掘調査報告書です。2001年に、由比ヶ浜南遺跡発掘調査団と鎌倉遺跡調査会による編で出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

 本報告書の内容は、以下のように、全4分冊からなります。

◎第1分冊:本分編

  1. 調査地の位置と周辺の環境
  2. 調査の経緯
  3. 検出された遺構と遺物
  4. まとめと考察

◎第2分冊:分析編1

  • 由比ヶ浜南遺跡の単体埋葬遺構出土人骨について(平田和明・奥 千奈美・星野敬吾・塘 総一郎・高橋慎一)
  • 由比ヶ浜南遺跡出土の動物遺体(西本豊弘・鵜澤和宏・太田敦子・姉崎智子・樋泉岳二)

◎第3分冊:分析編2

  • 神奈川県鎌倉市由比ヶ浜南遺跡出土の中世人骨(松下孝幸)
  • 鎌倉市由比ヶ浜南遺跡出土中世人骨の埋葬と個体数および受傷人骨(松下孝幸)
  • 由比ヶ浜南遺跡の花粉化石(鈴木 茂・新山雅広・松葉礼子)
  • 由比ヶ浜南遺跡のプラント・オパール(鈴木 茂)
  • 由比ヶ浜南遺跡の古環境(鈴木 茂)
  • 鎌倉市由比ヶ浜南遺跡出土木材樹種同定結果(松葉礼子)
  • 由比ヶ浜南遺跡の砂層堆積環境(上本進二・土屋浩美)
  • 目溜り遺構出土の貝類(小島奈々子)
  • 出土遺物法量表

◎第4分冊:写真図版編


報告書15.北村遺跡

2014年02月28日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

Naganoken1993

 北村遺跡は、長野県安曇野市(調査時は、東筑摩郡明科町)に所在します。長野県教育委員会による発掘調査が、1987年から1988年にかけて行われました。この遺跡からは、縄文時代中期から縄文時代後期にかけての人骨が190体も出土しています。発掘報告書は、(財)長野県埋蔵文化財センターや長野県教育委員会による編で、1993年に出版されました。アマゾンで検索しましたがヒットしませんでしたので、リンクさせていません。

 本書の内容は、以下のように、「本文編」と「図版編」に分かれます。

◎本文編

第1部.考古学

  • 第1章.調査の契約と方法
  • 第2章.位置と環境
  • 第3章.縄文時代
  • 第4章.弥生時代
  • 第5章.古代以降

第2部.形質人類学

  • 第6章.人骨の形質
  • 第7章.哺乳動物遺存体

第3部.環境生態学

  • 第8章.北村縄文人骨の同位体食性分析

第4部.考察

  • 第9章.調査の成果と課題
  • 第10章.総括

◎図版編


報告書14.霊山根古屋遺跡の研究

2014年02月21日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

Ryozennegoya1986

 根古屋遺跡は、福島県伊達市(調査時は伊達郡霊山町)根古屋に所在します。この遺跡は、弥生時代の再葬墓で、霊山町教育委員会を主体とする発掘調査が、1982年10月から同年11月まで実施されました。25基の土坑から124個体以上の土器が出土し、100個体から200個体にものぼる焼人骨が出土しています。報告書は、霊山根古屋遺跡調査団による編で、1986年に『霊山根古遺跡』として出版されました。アマゾンで検索しましたがヒットしませんでしたので、リンクさせていません。

 本書の内容は、以下のように、全5章と後論に分かれます。

  1. 序論
  2. 遺跡の景観
  3. 遺構
  4. 出土遺物
  5. 総括

 後論

  1. 根古屋遺跡出土の人骨・動物骨(馬場悠男・茂原信生・阿部修二・江藤盛治)
  2. 根古屋遺跡出土の穿孔された人骨・歯装身具について(馬場悠男・茂原信生・大竹憲治)
  3. 根古屋遺跡出土赤色顔料の分析(成瀬正和)
  4. 根古屋遺跡の炭化木(嶋倉巳三郎)
  5. 根古屋遺跡の弥生時代釣針覚書(大竹憲治・吉野高光)
  6. 根古屋遺跡における遠賀川式系土器周辺の問題(大竹憲治)
  7. 再葬墓研究略史(野崎欽五)
  8.  


報告書13.榊原康政の墓調査報告書

2014年01月26日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

Tatebayashi1992

 この報告書『榊原康政の墓調査報告書』は、徳川家の四天王の一人・榊原康政[1548-1606]とその家族の墓地移転に伴う調査報告書です。群馬県館林市教育委員会による編で、1992年に出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

 本書の内容は、以下のように全2章からなります。

第1章.近世初代城主・榊原康政

  1. 榊原康政とその時代
  2. 榊原家の歴史
  3. 館林と榊原家
  4. 榊原家と館林の寺院
  5. 文献にみる榊原家の法要記録

第2章.群馬県指定史跡「榊原康政の墓 附同画像調査報告」

  1. 遺跡の内容と周辺
  2. 調査の経過と方法
  3. 調査の概要
  4. 出土遺物
  5. 出土遺物
  6. 調査のまとめ
  7. 復元工事の概要

 なお、本書の第2章の「4.出土遺物」には、聖マリアンナ医科大学の森本岩太郎[1928-2000]先生による火葬人骨の報告が掲載されています。


報告書12.三貫地貝塚

2014年01月24日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

Fukushimapmuseum1988

 三貫地貝塚は、福島県相馬郡新地町に所在します。この遺跡は、1952年に甲野 勇[1901-1967]を調査責任者として発掘調査が行われました。その後、1954年に鈴木 尚[1912-2004]を調査責任者として東京大学理学部人類学教室により発掘調査が追加して実施されています。この遺跡からは、縄文時代後期~晩期の人骨が100体以上出土しています。この発掘調査の全容は、調査から30年以上経過した1988年に、『三貫地貝塚』として福島県立博物館から出版されました。アマゾンで検索しましたがヒットしませんでしたので、リンクさせていません。私は、福島県立博物館を訪問した際に購入しました。

 本書の内容は、以下のように、全12章からなります。

  1. 調査から報告書刊行までの経過
  2. 三貫地貝塚について
  3. 日誌抄
  4. 三貫地貝塚研究史
  5. 三貫地貝塚の位置と周辺の遺跡
  6. 調査区の設定
  7. 層位と遺構について
  8. 出土遺物について
  9. まとめ
  10. 1954年の調査
  11. 三貫地貝塚出土人骨
  12. 動物遺存体について
  •  なお、第11章には、「頭蓋観察」(鈴木隆雄)・「頭蓋計測」(埴原和郎・内田亮子)・「歯牙」(松村博文)・「頭骨の形態小変異」(百々幸雄)・「四肢骨」(馬場悠男)・「古病理学的所見」(鈴木隆雄)・「付編埋葬状態」(埴原和郎)と、多くの人類学者が三貫地貝塚出土人骨について記載しています。

  • 報告書11.一の谷中世墳墓群遺跡

    2014年01月18日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Iwatashi1993

     一の谷中世墳墓群遺跡は、静岡県磐田市に所在します。この遺跡からは、墓888基・火葬遺構46基・集石遺構104基・土坑197基等が発見され、鎌倉時代中期~室町時代の火葬人骨467体が出土しています。恐らく、日本国内で最大級の火葬遺構だと推定されます。報告書『一の谷中世墳墓群遺跡』は、1993年に磐田市教育委員会により出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

     本報告書は、以下のように、全5巻からなる大著です。

    ◎本文編

    1. 調査経過
    2. 地理的・歴史的環境
    3. 遺構と遺物
    4. 調査成果の整理と分析
    5. まとめ
    • 付篇Ⅰ
    • 付篇Ⅱ

    ◎図版編

    ◎写真図版編

    ◎観察表編

    ◎付図編

     ちなみに、出土人骨は、本文編の付篇Ⅰに「一の谷中世墳墓群遺跡出土人骨について」というタイトルで、聖マリアンナ医科大学(当時)の森本岩太郎・平田和明・工藤宏幸により、pp471~503に報告されています。なお、本報告書では所属が「聖マリアンナ歯科大学」となっていますが、正しくは「聖マリアンナ医科大学」となります。


    報告書10.広田遺跡

    2014年01月04日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Hirota2003

     広田遺跡は、鹿児島県種子島の南種子町の広田海岸に所在します。この遺跡は、1957年から1959年にかけて3次にわたり発掘調査が行われました。発掘報告書は、調査から40年以上経過した2003年に、広田遺跡学術調査研究会と鹿児島県立歴史資料センター黎明館により出版され全貌が明らかになりました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

     本報告書は、「本文編」と「図版編」に分かれます。

    ◎本文編

     Ⅰ.遺跡の立地と歴史的環境

     Ⅱ.調査の経緯と概要

     Ⅲ.報告

     Ⅳ.考察

    ◎図版編

     なお、出土人骨の報告は、以下のように「本文編のⅣ.考察」に掲載されています。

    • 中橋孝博「鹿児島県種子島広田遺跡出土人骨の形質人類学的研究」
    • 小池裕子・Brian Chisholm「種子島広田遺跡出土人骨の安定同位体分析について」

     本遺跡は、金関丈夫[1897-1983]・永井昌文[1924-2001]・国分直一[1908-2005]等が調査しています。人骨には、人工変形頭蓋が認められており、国内における貴重な事例です。


    報告書9.大浦山洞穴

    2013年12月14日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Ourayamadoketsu1997

     大浦山洞穴は、神奈川県三浦市南下浦町に所在します。1949年に偶然発見され、その年に第1次調査が行われました。その後、1962年と1963年に、第2次調査と第3次調査が行われています。1997年に、三浦市埋蔵文化財調査報告書第4集として、三浦市教育委員会により出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

     本報告書は、以下のように、全9章と付編からなります。

    1. 位置と地形(赤星直忠)
    2. 発掘調査の目的(岡本 勇)
    3. 調査の経過と方法(赤星直忠)
    4. 周辺の遺跡(釼持輝久)
    5. 洞穴内の堆積層について(岡本 勇)
    6. 古墳時代およびそれ以後の埋葬例について(赤星直忠)
    7. 出土遺物(中村 勉・釼持輝久・小川裕久・赤星直忠)
    8. 成果と課題(中村 勉・小川裕久)
    9. まとめ(岡本 勇・浜田勘太)
    • 付編.大浦山洞穴の弥生時代人骨、とくにその人為的損傷について(鈴木 尚)

     この大浦山洞穴は、考古学者の赤星直忠[1902-1991]や岡本 勇[1930-1997]により発掘調査が行われました。本洞穴からは、弥生時代中期の成人13体が出土しています。特徴的なのは、人骨に傷が認められており、食人が行われたと推定されていることです。


    報告書8.吉母浜遺跡

    2013年11月23日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Yoshimohamaiseki1985

    吉母浜遺跡 (1985年)
    価格:(税込)
    発売日:1985-03

     報告書『吉母浜遺跡』の吉母浜遺跡は、山口県下関市に所在します。この遺跡では、弥生時代人骨と中世人骨が出土が出土しています。1985年に、下関市教育委員会により出版されました。

     本書の内容は、以下の通りです。

    1. はじめに
    2. 遺跡の環境と立地
    3. 調査経過
    4. 層序と遺構
    5. 出土遺物
    6. 人骨(永井昌文・中橋孝博)
    7. 生業と葬制に関する儀礼
    8. 結語

     本報告書では、弥生時代人骨11体・中世人骨107体の報告が行われています。海岸部に埋葬されていたため、保存状態が良い事が特徴的です。


    報告書7.史跡・金隈遺跡

    2012年11月30日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Kanenokuma1985

    史跡金隈遺跡―発掘調査及び遺跡整備報告書 (1985年) (福岡市埋蔵文化財調査報告書〈第123集〉)
    価格:(税込)
    発売日:1985-03

     報告書『史跡・金隈遺跡』は、福岡県福岡市に所在します。この遺跡では、甕棺を中心として多くの弥生時代人骨が出土しています。1985年に、福岡市埋蔵文化財調査報告書第123集として、福岡市教育委員会から出版されました。

     本書の内容は、以下の通りです。

    Ⅰ.はじめに

    Ⅱ.発掘調査の概要

    Ⅲ.金隈遺跡出土の弥生人骨

    Ⅳ.金隈遺跡出土の弥生時代人骨の骨病変に関する報告

    Ⅴ.遺跡の整備

     この中で、第Ⅲ章は、九州大学の永井昌文さん・中橋孝博さん・土肥直美さんにより報告されています。この遺跡からは、合計136体に及ぶ弥生時代人骨が出土していますが、いずれも渡来系弥生人の形質を示しています。


    報告書6.新町遺跡

    2012年11月29日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Shinmachi1987

     報告書『新町遺跡』は、福岡県糸島市(調査時は、福岡県糸島郡志摩町)に所在する、弥生時代遺跡です。ここでは、支石墓から弥生時代人骨が出土しています。1987年に、志摩町文化財調査報告書第7集として、志摩町教育委員会から出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

     本書の内容は、以下の通りです。

    Ⅰ.はじめに

    1. 調査の経過
    2. 遺跡の位置と環境

    Ⅱ.調査の内容

    1. はじめに
    2. 第2地点の調査
    3. 第1地点の調査

    Ⅲ.結語

     本書には、合計14体の弥生時代人骨が記載されています。この人骨は、九州大学の中橋孝博さんと永井昌文さんにより報告されています。出土した14体の内、9号人骨の熟年男性は、頭蓋骨の保存状態が良く、抜歯が多く認められています。また、形質は、渡来系弥生人というよりも在来系縄文人に近い点が興味深い点です。


    報告書5.スダレ遺跡

    2012年11月28日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Sudare1976

    スダレ遺跡―福岡県嘉穂郡穂波町椿所在遺跡の発掘調査報告 (1976年) (穂波町文化財調査報告書〈第1集〉)
    価格:(税込)
    発売日:1976

     報告書『スダレ遺跡』は、福岡県飯塚市(調査時は、嘉穂郡穂波町)に所在する遺跡です。ここからは、弥生時代の甕棺から人骨2体が出土しています。1976年に、穂波町文化財調査報告書第1集として、穂波町教育委員会から出版されました。

     本書の内容は、以下の通りです。

    Ⅰ.序説

    1. 調査の経過
    2. スダレ遺跡の位置と環境

    Ⅱ.調査の概要

    1. 調査の概要
    2. 遺構の概要
    3. 出土遺物について
    4. 人骨・貝輪

    Ⅲ.磨製石剣嵌入人骨について

    1. 石剣嵌入所見
    2. 考古学的意義

    まとめ

     本書のⅡ-4とⅢ-1は、元九州大学の永井昌文さんが執筆しています。人骨は、K-1とK-3の2体が出土しており、どちらも熟年男性と鑑定されています。この内、K-3人骨の第2胸椎には石剣が刺さった状態で検出されており、興味深い事例が紹介されています。


    報告書4.港区三田済海寺・長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書

    2012年11月16日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Tmmd1986

     この報告書『港区三田済海寺・長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書』は、1986年に東京都港区教育委員会から出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたので、リンクさせていません。

     発掘調査は、慶應大学(当時)の考古学者・鈴木公雄[1938-2004]さんが調査団長を務め、出土した越後長岡藩主牧野家のご遺体は、東京慈恵会医科大学の加藤 征先生により報告されています。

     本報告書の内容は、以下のように、全10章からなります。

    1. 調査に至る経緯
    2. 遺跡の地理的環境の歴史的背景
    3. 調査内容
    4. 遺構および墓の概要
    5. 遺構および出土遺物
    6. 染織品・紐・糸・網代・縄
    7. 遺体の調査
    8. 牧野家家譜について
    9. 第7号墓棺内保存環境について
    10. 総括

     この内、「7.遺体の調査」は、頭骨を加藤 征・上肢骨を加藤 征と影山幾男(現・日本歯科大学新潟生命科学部)・下肢骨を竹内修二(現・浜松大学)が、「8.牧野家家譜について」の2.人類学的調査は、高山 博(現・慶應大学)が分析執筆しています。江戸時代の大名家の報告は、『徳川家』や『伊達家』のものが有名ですが本書も貴重な報告です。


    報告書3.伊川津貝塚

    2012年11月15日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Ikawadu1972

    伊川津貝塚 (1972年)
    価格:(税込)
    発売日:1972

     この報告書『伊川津貝塚』は、著名な縄文遺跡の報告書です。1972年に、愛知県渥美郡渥美町教育委員会により出版されました。なお、現在は、愛知県田原市になります。

     本書の内容は、以下のように、全2部からなります。

    第1部.考古学篇

    1. 位置と地形
    2. 調査の経過
    3. 貝塚の分布
    4. 発掘の経過と遺跡の構造
    5. 自然遺物
    6. 人工遺物
    7. 伊川津貝塚調査の歴史
    8. 結語

    第2部.人類学篇

    • 愛知県伊川津貝塚の人骨(鈴木 尚・遠藤萬里・寺沢俊男)
    • 附載1.日本石器時代の歯牙を変形する風習に就て(小金井良精)
    • 附載2.日本石器時代人骨の利器による損傷に就て(鈴木 尚)
    • 附載3.叉状研歯の新資料とその埋葬状態に就て(鈴木 尚)
    • 附載4.二種の新貝器について(鈴木 尚)

     本書は、人類学史及び考古学史で著名な伊川津貝塚出土遺物及び出土人骨について報告されており、大変、参考になります。


    報告書2.武芸洞遺跡発掘調査概要報告書

    2011年11月12日 | N7.報告書[Site Report:Japanese]

    Opm2010

    (*画像をクリックすると、拡大します。)

     本書は、沖縄県南城市に所在する武芸洞遺跡の発掘調査報告書です。2010年に、沖縄県立博物館・美術館より出版されました。アマゾンで検索しましたが、ヒットしませんでしたのでリンクさせていません。

     この武芸洞遺跡は、沖縄県立博物館・美術館、国立科学博物館、東京大学総合研究博物館による共同研究で、2007年~2009年にかけて発掘調査されています。調査期間は、以下の通りです。

    • 第1次調査:2007年11月14日~同11月18日(5日間)
    • 第2次調査:2008年11月17日~同11月30日(14日間)
    • 第3次調査:2009年11月15日~同11月30日(16日間)

     本書の内容は、以下のように、全10章からなります。

    1. はじめに(山崎真治)
    2. 港川人とその時代(山崎真治・藤田祐樹・海部陽介)
    3. ガンガラーの谷と武芸洞遺跡(山崎真治)
    4. 武芸洞付近の地形地質(大城逸郎)
    5. 発掘調査の概要(山崎真治・藤田祐樹・西秋良宏)
    6. 人工遺物(土器:伊藤 圭・横尾昌樹・山崎真治、石器:大堀皓平、貝製品:山田浩久)
    7. 貝類(赤嶺信哉)
    8. 脊椎動物遺体(菅原広史)
    9. 人骨(藤田祐樹・海部陽介・坂上和弘)
    10. まとめ(山崎真治・藤田祐樹)

     本遺跡では、調査区Ⅲから約1000年~300年前の、5体(成人4体・未成人1体)が出土しています。また、調査区Ⅳから約2500年前の約40歳代男性が1体、石棺墓上層から出土しています。同石棺墓の下層からは、2体(成人1体・未成人1体)が出土しています。特に、石棺墓上層出土人骨は、全身が保存されており、歯の異常磨耗・大臼歯の生前脱落・歯石・齲蝕(虫歯)が認められ、頸椎の関節炎・左手首の骨折等が認められています。

     本報告書で少し気になったのは、以前は、沖縄では「貝塚時代」という名称を使っていましたが、本報告書では「縄文時代」と記載している点です。