人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

世界の人類学者31.ウィリアム・ホワイト・ハウエルズ(William White HOWELLS)[1908-2005]

2012年02月17日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

Howells

ハウエルズ1.ウィリアム・ホワイト・ハウエルズ(William White HOWELLS)[1908-2005](ハーヴァード大学のアーカイヴより引用)

 ウィリアム・ホワイト・ハウエルズ(William White HOWELLS)[1908-2005]は、1908年11月27日に、アメリカのニューヨーク市にて生まれました。ハウエルズの祖父は著名な小説家のウィリアム・ディーン・ハウエルズ(William Dean HOWELLS)[1837-1920]、父親は著名な建築家のジョン・ミード・ハウエルズ(John Mead HOWELLS)[1868-1959]という家系です。

 1926年にハーヴァード大学に入学し、アーネスト・フートン(Earnest HOOTON)[1887-1954]の元で人類学を専攻し、1930年に卒業します。1934年には、「ビスマルク諸島の頭蓋骨証拠から示されたメラネシア人」というテーマで博士号を取得しました。卒業後、1934年から1939年にかけて、アメリカ自然史博物館の研究助手となります。これは、アメリカ自然史博物館に、メラネシア出土頭蓋骨12000点が収蔵されていたことが魅力だったと言われています。ハウエルズは、多変量解析を駆使した研究で有名ですが、それは、この頃統計学の専門家、ハロルド・ホテリング(Harold HOTELLING)[1895-1973]との出会いが影響したと言われています。ホテリングは、後に、スタンフォード大学・コロンビア大学・ノースカロライナ大学等で、教鞭をとった統計学者ですが、イギリスの著名な統計学者のロナルド・フィッシャー(Ronald FISHER)[1890-1962]の元で学んでいました。

 やがて、ハウエルズに第1の転機が訪れました。1937年にウィスコンシン大学マディソン校の助教授に就任し、1954年まで在職しました。このウィスコンシン大学時代、ハウエルズは、統計学教室に通い詰め、統計学を教示してもらっています。また、1951年には、アメリカ人類学会の会長に就任しました。その功績から、1992年、アメリカ人類学会は、「ウィリアム・ホワイト・ハウエルズ賞」をもうけています。しかし、第2次世界大戦中の1943年から1945年にかけて、海軍情報部極東部門に徴兵され、研究は中断を余儀なくされました。戦後、1946年に準教授・1948年に教授に昇進しています。

 1954年、ハウエルズに第2の転機が訪れました。恩師のアーネスト・フートンが突然亡くなり、その後任として母校、ハーヴァード大学の教授に就任したのです。1950年代になると、高速コンピューターが普及しだし、ハウエルズは多変量解析を応用し始めます。1974年、ハウエルズはハーヴァード大学を引退しますが、その後も研究を続け、いくつもの論文や本を出版しました。

 ハウエルズは、自分自身の考えを重要視していました。ピルトダウン人も偽物と判明する前に本で指摘したり、最近では多くに受け入れられている現代人の単一起源説も、ハウエルズはずいぶんと前に提唱しています。その単一起源説を、ハウエルズは「ノアの箱船説」と命名しています。その意味で、本質を見抜く力のある人類学者だと言えるでしょう。この2つ共に、当時では受け入れられない意見で、反対を受けても自分の説を信じる信念を貫いた人類学者でした。

 ハウエルズは、多くの本を執筆しています。それは、研究者が一般に啓蒙する重要性を認識していたからだったそうです。恩師のフートンの影響が強かったのかもしれません。また、自然人類学のみならず文化人類学に関する本も執筆しており、最近のアメリカ自然人類学会が偏った研究になっていることを亡くなるまで嘆いていたそうです。

 ハウエルズが書いた本には、以下のものがあります。

  • Howells(1944)"Mankind So Far"[このブログで紹介済み]
  • Howells(1948)"The Heathens"[このブログで紹介済み]
  • Howells(1954)"Back of History"[このブログで紹介済み]
  • Howells(1959)"Mankind in the Making"[このブログで紹介済み]
  • Howells(1973)"Cranial Variation in Man"[このブログで紹介済み]
  • Howells(1973)"The Pacific Islanders"
  • Howells(1973)"Evolution of the Genus Homo"[このブログで紹介済み]
  • Howells(1989)"Skull Shapes and the Map"[このブログで紹介済み]
  • Howells(1993)"Getting Here"
  • Howells(1995)"Who's Who in Skulls"

Drmrshowells1987tulin

ハウエルズ2.ハウエルズ夫妻[左:ウィリアム・ホワイト・ハウエルズ(Left: William White HOWELLS)、右:ミュリエル・ガードン・ハウエルズ(Right: Muriel Gurdon HOWELLS[Muriel Gurdon SEABURY])、1987年9月28日~同年10月3日に、イタリアのトリノで開催された第2会国際古人類学会議にて楢崎修一郎が撮影(Photograph taken by Shuichiro NARASAKI at 2nd International Congress of Human Paleontology held at Tulin, Italy, from September 28 to October 3, 1987):Scanned from Reversal Film]

 私生活では、ミュリエル・ガードン・シーベリー(Muriel Gurdon SEABURY)と大学を卒業後に結婚しています。これは、奥様のお母様が卒業しないと結婚を許可しないということだったようです。奥様は、2002年にお亡くなりになりました。3年後の2005年12月20日、ハウエルズは97歳でこの世を去りました。まさしく、自然人類学の世界に、多変量解析を導入した功労者と言えるでしょう。ちなみに、写真は、1987年9月28日から同年10月3日までイタリアのトリノで開催された、第2回国際古人類学会議に参加されたハウエルズご夫妻を私が撮影したものです。ハウエルズさんは、この時、78歳でした。とても仲むつまじいご夫妻という印象だったのを今でも思い出します。その様子は、写真からも伝わってくるのではないでしょうか。

*ウィリアム・ホワイト・ハウエルズに関する文献として、以下のものを参考にしました。

・Frank Spencer (1997) 'Howells, William White (1908-)', "History of Physical Anthropology: An Encyclopedia, Vol.1"(Frank Spencer ed.), Garland Publishing, p.501-p.502.

・Jonathan Friedlaender・David Pilbeam・Daniel Hrdy・Eugene Giles・Roger Green (2007) 'William White Howells', "Biographical Memoirs: National Academy of Sciences",Vol.87:1-18.

・Henry M. McHenry & Eric Delson (2008) 'Obituary: William White Howells (1908-2005)',"American Journal of Physical Anthropology", 135: 249-251.