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人類学のススメ

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世界の人類学者25.セオドア・マッカウン(Theodore McCown)[1908-1969]

2012年01月19日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

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マッカウン1.セオドア・マッカウン(Theodore McCown)[1908-1969](カリフォルニア大学バークレー校のアーカイヴより引用)

 セオドア・マッカウンは、1908年アメリカのイリノイ州マコームにて生まれました。1926年にカリフォルニア大学バークレー校に入学して、人類学専攻で1929年に同校を卒業すると、すぐに転機が訪れました。

 1930年、マッカウンは、アメリカ先史学研究のサマー・スクールに参加して、スイス・ドイツ・チェコスロヴァキア・オーストリア・ハンガリーの先史遺跡を見学する機会に恵まれました。同年、イェール大学のアメリカ東洋研究所の助手に就任し、エルサレムの遺跡を発掘します。このエルサレムで、イギリスの女性考古学者、ドロシー・ギャロッド(Dorothy GARROD)[1892-1968]に出会いました。ギャロッドは、パレスチナの先史遺跡を精力的に発掘していました。

 1931年、マッカウンは自分が進むべき道を決めたのか、母校の大学院に入学します。ギャロッドと一緒に、マウント・カルメルを発掘調査していたマッカウンは、1931年5月3日にスフール遺跡からネアンデルタール人を発見しました。この功績により、マッカウンは現地での発掘調査の責任者に任命され、1932年から1937年にかけて、スフール遺跡とタブーン遺跡で化石人類を発見しています。

 当時の化石人類の権威は、イギリスの王立外科学校のアーサー・キース(Arthur KEITH)[1866-1955]だと考えていたマッカウンは、キースに協力を求めました。しかし、キースは、王立外科学校のハンター博物館を1933年に引退して、かつてチャールズ・ダーウィン(Charles DARWIN)[1809-1882]が住んでいたダウン・ハウスに隠棲していました。そこで、キースは、マッカウンに同じ場所で起居しながら共同研究することを提案し、1934年から1937年にかけてマッカウンはキースから化石人類研究の基礎を学びながら、マウント・カルメル出土人骨のモノグラフを仕上げます。

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マッカウン2.ダウン・ハウスで、アーサー・キース(Arthur KEITH)[1866-1955]と一緒にマウント・カルメル出土人骨を研究中のセオドア・マッカウン(カリフォルニア大学バークレー校のアーカイヴより引用)

 1938年、マッカウンは母校の講師に就任すると、このマウント・カルメル出土人骨をテーマにして博士号を取得します。同年には、キースとの共著でマウント・カルメル出土人骨のモノグラフを出版しました。

 マッカウンは、1941年に助教授に昇任しますが、1942年から1945年にかけて兵役につきました。しかし、戦闘に参加するのではなく、サンフランシスコにて第二次世界大戦中の米軍兵士戦死者の遺体鑑定にあたっています。この時に、マッカウンの専門は、古人類学のみならず法医人類学にまで広がりました。その後、1946年に準教授、1951年に教授に就任しています。

 1958年には、アメリカの自然人類学者として初めて、インドで古人類学調査を行いました。1964年から1965年にかけても、同様に、インドのナルマダにて調査を行っています。その地域で3度目の調査を計画中の1969年8月17日、マッカウンは心臓疾患で亡くなりました。しかし、このインドでの調査は、弟子の元コーネル大学の人類学者、ケネス・ケネディ(Kenneth Adrian Raine KENNEDY)に、しっかりと受け継がれています。

 マッカウンの一生は、カリフォルニア大学バークレー校と共にありました。当時のアメリカで、自然人類学の教育を行っていたのは、ハーヴァード大学のアーネスト・フートン(Earnest HOOTON)[1887-1954]とペンシルヴェニア大学のウィルトン・マリオン・クロッグマン(Wilton Marion KROGMAN)[1903-1987]とカリフォルニア大学の3ヶ所ぐらいしかありませんでした。マッカウンは、法医人類学者のシェイラ・トンプソン・ブルックス(Sheilagh Thompson BROOKS)、古人類学者のケネス・ケネディ(Kenneth Adrian Raine KENNEDY)、霊長類学者のポール・サイモンヅ(Paul Emery SIMONDS)、古人類学者のラルフ・ハロウェイ(Ralph Leslie HOLLOWAY)、霊長類学者のドナルド・セード(Donald Stone SADE)等の、後にアメリカ自然人類学会の様々な分野のリーダーとなる人材を育てています。

 マッカウンは、アメリカにおける自然人類学の基礎を築いたパイオニアの一人と言えるでしょう。

*セオドア・マッカウンに関する文献として、以下のものを参考にしました。

・Kenneth A. R. Kennedy (1997) 'McCown, Theodore D(oney) (1908-1969)', "History of Physical Anthropology: An Encyclopedia, Vol.2"(Frank Spencer ed.), Garland Publishing, p.627-629.

・Kenneth A. R. Kennedy & Sheilagh T. Brooks (1984) 'Theodore D. McCown: A Perspective on a Physical Anthropologist', "Current Anthropology", 25(1): 99-103.