ウィリアム・ロス・メイプルズ(William Ross MAPLES)[1937-1997][フロリダ大学のアーカイヴより改変して引用]
ウィリアム・ロス・メイプルズは、1937年8月7日に、アメリカのテキサス州ダラスで生まれました。父親は銀行員でしたが、メイプルズが11歳の時、40歳でガンにより死去しています。この頃、メイプルズの一生を左右する出来事がありました。ある日、メイプルズの近所に住んでいたダラス郡保安官事務所の保安官代理が、ボニーとクライドの検死写真を見せてくれたのです。このボニーとクライドとは、カップルで銀行強盗を行っていたボニー・パーカー(Bonnie PARKER)[1910-1934]とクライド・バロウ(Clyde BARROW)[1909-1934]のことで、警官隊との銃撃戦で、1934年5月23日に2人共射殺されていました。この事件は、何度も映画化されており、特に、1967年に製作された邦題『俺たちに明日はない』が有名です。幼いメイプルズは、怖がることなくその写真に心を奪われたそうです。
メイプルズは、その後テキサス大学に進学し、生物学のコースが定員に達していたため、英文学を主専攻に人類学を副専攻としましたが、卒業間際に人類学の主専攻に変えました。ここで、メイプルズは、トーマス・マッカーン(Thomas W. McKern)[1920-1974]と出会います。マッカーンは、1958年にテキサス大学人類学部教授として赴任しており、1967年までテキサス大学に在籍していた法医人類学者でした。メイプルズは、1959年に卒業しますが、その1ヶ月前に結婚しています。当時、テキサス大学には人類学専攻の博士課程がなかったため、メイプルズは修士課程に進学しました。恩師のマッカーンは、修士課程を飛ばして他大学の博士課程に進学することをすすめたそうです。しかし、働きながら学業を両立させることは困難で、メイプルズは中途退学し、ハートフォード保健会社の調査員の職を得ます。ただ、この仕事にむかないと考えたメイプルズはかつての恩師・マッカーンに相談し、再び大学院に戻り、1962年に修士号を取得しました。
大学院修了と同時に、メイプルズはアフリカのケニアに夫婦で渡ります。ここでは、ある財団が医療研究に実験動物としてヒヒを必要としており、メイプルズはヒヒを捕獲してアメリカに送る仕事に就きました。この仕事中に、メイプルズはヒヒに右腕を噛まれるという大けがを負っています。2人の娘は、このケニアで生まれました。1966年、メイプルズ一家は、4年間のケニア滞在を切り上げて、アメリカに戻ります。帰国後、メイプルズは西ミシガン大学で教鞭をとり、翌年の1967年にテキサス大学から博士号を取得しました。
1968年、メイプルズに大きな転機が訪れました。フロリダ大学の人類学部教授に迎えられたのです。ここで、メイプルズは1973年に人類学部長、1978年にフロリダ州立博物館(現・フロリダ自然史博物館)の自然人類学キュレーターに就任しました。
1972年、メイプルズは、C. A. パウンド人体識別研究所をフロリダ自然史博物館内部に設立します。ちなみに、このC. A. パウンドとは、設立資金を寄付した、アディソン・パウンド(C. Addison Pound, Jr)にちなんで命名されました。メイプルズは、ここを拠点として法医人類学者として鑑定の仕事を、1972年から始めますが、1972年に1件・1973年に1件・1974年から1976年には毎年2件・1977年に3件と多くはありませんでした。しかし、1978年には12件と大幅に増加し、その後は雪だるま式に増えたそうです。この研究所は、1991年にフロリダ大学に徐々に移管され、1997年には完全にフロリダ大学人類学部に移管されました。
メイプルズは、地元フロリダのみならず、多くの歴史上の人物の法医人類学の鑑定を行っています。その鑑定の一部は、1994年に『Dead Men Do Tell Tales』として出版され、1995年には邦題『法医人類学者の捜査記録:骨と語る』として日本でも翻訳出版されました。
メイプルズは、インカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)[1470?-1541]、第12代アメリカ合衆国大統領のザッカリー・テイラー(Zachary Taylor)[1784-1850]、エレファント・マンとして有名なジョセフ・メリック(Joseph Merrick)[1862-1890]、最後のロシア皇帝のニコライ2世(Nicholai Aleksandrovich Romanov)[1868-1917]一家等の鑑定を行っています。
1995年、メイプルズは脳腫瘍に罹ります。しかし、その後も法医人類学鑑定を続け、生涯に1200件以上もの法医人類学鑑定を行いました。1997年2月27日、メイプルズは、59歳で死去しました。死後、フロリダ大学は、メイプルズ法医学センターを設立し、メイプルズの偉業を称えています。
*ウィリアム・メイプルズに関する資料として、以下の文献を参考にしました。
- ウィリアム・メイプルズ(1995)『骨と語る』(上野正彦監修・解説、小菅正夫訳)、徳間書店