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人類学のススメ

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世界の人類学者34.ウィリアム・シーヴァ・ラフリン(William Sceva LAUGHLIN)[1919-2001]

2012年02月29日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

William_s_laughlin

ウィリアム・シーヴァ・ラフリン(William Sceva LAUGHLIN)[1919-2001][1987年夏、コネチカット大学のラフリン教授の研究室にて楢崎修一郎が撮影(Photograph taken by Shuichiro NARASAKI at Professor Laughlin's Laboratory of Connecticut University during the summer of  1987):Scanned from Reversal Film]

 ウィリアム・シーヴァ・ラフリンは、1919年8月26日にアメリカのミズーリ州カントンで生まれました。やがて、父親がウィラメット大学の社会学教授として赴任するため、オレゴン州のセーラムに転居します。

 ラフリンは、父親が教鞭をとっていたウィラメット大学に入学します。やがて、ラフリンに生涯の仕事を決定づける運命的な出会いが訪れました。当時、世界的に著名な人類学者、アレシュ・ヘリチカ(Ales HRDLICKA)[1869-1943]が、そのウィラメット大学を訪問したのです。翌年の夏、ラフリンはヘリチカと共にアリューシャン列島の調査に参加しました。この調査が、ラフリンの一生を決めたと言っても過言ではないでしょう。1941年、ラフリンはウィラメット大学を社会学専攻で卒業しました。やがて、ハヴァフォード大学の大学院に進学し、社会学専攻で1942年に卒業します。修士論文は、人種について書いており、すでに、人類学を志していたようです。

 しかし、この時代の研究者の宿命として、第2次世界大戦中は、西海岸で森林火災を守る森林消防パラシュート降下隊員として勤務します。戦後、ハーヴァード大学の大学院に入学し、アーネスト・フートン(Earnest A. HOOTON)[1887-1954]の元で人類学を本格的に勉強することになりました。1943年に亡くなった、ヘリチカの遺志を継ごうと決心したのかもしれません。1949年に、「アリュートの3集団の自然人類学的研究」というテーマで学位論文を完成させています。

 ハーヴァード大学卒業後、1948年から1955年にかけてオレゴン大学で、1955年から1969年にかけてウィスコンシン大学で、1969年から1999年にかけてコネチカット大学で人類学の教鞭をとりました。この間、何度もアリュート、アラスカ、シベリア等を調査しています。ちなみに、ウィスコンシン大学時代には、現アリゾナ州立大学名誉教授のチャールズ・マーブズ(Charles F. MERBS)を育てています。

 ラフリンは、法医人類学にも興味を示しており、多くの鑑定も行っています。その中で、コネチカット大学時代は、骨組織から死亡年齢を推定する方法を発展させた、トンプソン(D. D. Thompson)を育てており、その方法は、実の娘のセーラ・ラフリン(Sara B. LAUGHLIN)も行っています。私は、1987年の夏、コネチカット大学を訪問し、セーラさんからその方法を学びました。写真は、その時に、ラフリン先生を撮影したものです。

 ラフリンが書いた本には、以下のものがあります。

・Laughlin(1981)"Aleuts"[このブログで、翻訳版を紹介済み]

・Laughlin & Harper(1979)"The First Americans"

 ラフリンは、2001年4月6日に、第2の故郷ともいえる、オレゴン州のポートランドで81歳で亡くなりました。まさしく、極北地方の人類学研究に捧げた一生と言えるでしょう。