吉母浜遺跡は、山口県下関市大字吉母に所在します。この遺跡は、1962年の第1次調査と1964年の第2次調査で、金関丈夫[1897-1983]を団長として調査が行われ、弥生時代中期の人骨11体が出土しました。その後、1979年から1981年にかけて第3次から第8次にわたる調査が行われています。
この調査により、土坑墓から中世の人骨107体が出土しました。また、19基の火葬跡も検出されています。砂浜に埋葬されていたため、人骨の保存状態が良いのが特徴的です。例えば、他の場所に埋葬された中世人骨は、通常、歯やわずかな骨片しか残存しない場合が多いのですが、ここでは、ほぼ全身骨格が残存しています。
人骨107体の内訳は、成人男性22体・成人女性25体・性別不明成人3体・未成年57体で、未成年が53%とほぼ半分を占めるのが特徴です。人骨の報告は、九州大学医学部(当時)の中橋孝博と永井昌文[1924-2001]により、1985年に出版された報告書で詳細に報告されています。
土坑墓に被葬者を埋葬する場合、以下のように、大きく3つに分かれます。この中で、伸展葬はあまり見ることがありません。私も、数例しか経験していません。座葬は、縦棺に納める場合に見られるもので、近世から多く認められます。全般的に、屈葬が圧倒的に多いというのが現状です。
- 伸展葬:全身を伸ばして寝たように埋葬する方法
- 座葬:座棺に埋葬する場合、座ったように埋葬する方法
- 屈葬:身体を強く曲げて、脚が胸につくように埋葬する方法
吉母浜遺跡では、107体の人骨が出土しましたが、葬法が確かめられた事例は92例でした。まず、伸展葬は認められませんでした。座葬は、3例が認められました。屈葬が圧倒的に多く、89例に及びます。
屈葬は、仰向けに埋葬する仰臥屈葬・横向きに埋葬する横臥(側臥)屈葬・俯せに埋葬する俯臥(伏臥)屈葬の3つに分かれます。また、横臥(側臥)屈葬の場合、右側を下にする方法と左側を下にする方法とがあります。
吉母浜遺跡での仰臥屈葬の事例は、45例が認められました。これは、全体の48.9%にあたります。
吉母浜遺跡1.仰臥屈葬の事例:LG68(成年男性)[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]
吉母浜遺跡での横臥(側臥)屈葬の事例は、29例が認められました。これは、全体の31.5%にあたります。この内、右側を下にしたものは18例・左側を下にしたものは11例で、右側を下にしたものが多いという結果です。
吉母浜遺跡2.右側を下にした横臥(側臥)屈葬の事例:LG96(熟年女性)[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]
吉母浜遺跡で特徴的なものは、俯せに埋葬する俯臥(伏臥)屈葬が多く認められたことです。全部で15例が認められました。これは、全体の16.3%にあたります。
吉母浜遺跡3.俯臥(伏臥)屈葬の事例:LG1(成年男性)[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]
吉母浜遺跡4.俯臥(伏臥)屈葬の事例:LG4(成年女性)[下関市教育委員会(1985)より改変して引用]
俯臥(側臥)屈葬は、全国でもあまり事例が報告されておらず、私も数例しか経験した事がありません。私が知る限り、1つの遺跡としては、この吉母浜遺跡の事例が一番多いと思われます。被葬者の性別や年齢にも偏りが無く、どうしてこのように多いのかは不明です。
*吉母浜遺跡に関する資料として、以下の文献を参考にしました。
- 下関市教育委員会(1985)『吉母浜遺跡』、下関市教育委員会
- 中橋孝博・永井昌文(1985)「Ⅵ.人骨」『吉母浜遺跡』、下関市教育委員会、pp.154-225