ウィルトン・マリオン・クロッグマン(Wilton Marion KROGMAN)[1903-1987]
ウィルトン・マリオン・クロッグマンは、1903年にアメリカのイリノイ州シカゴで生まれました。1929年に、シカゴ大学で自然人類学の博士号を取得します。そのテーマは、ヒト以外の霊長類の頭蓋顔面部の成長でした。
1930年から1931年にかけて、クロッグマンはイギリスに留学し、王立外科学校で、著名な人類学者、アーサー・キース(Arthur KEITH)[1866-1955]の元で研究を続けます。1931年、帰国後、ウェスタン・リザーヴ大学(後のケース・ウェスタン・リザーヴ大学)の解剖学及び自然人類学教室の助教授に就任します。当時、この教室主任は、著名な人類学者、トーマス・ウィンゲート・トッド(Thomas Wingate TODD)[1885-1938]でした。トッドが着任する当時、アーサー・キースが、「今イギリスで最も優秀な若者」として推薦したイギリス人です。クロッグマンは、この教室でレントゲンを使用した成長の研究を行いました。
1938年、クロッグマンは母校シカゴ大学人類学部の准教授に迎えられます。恩師、トッドが若くして死去したことが影響していました。1948年、クロッグマンはペンシルヴェニア大学教授として移籍します。ここでは、主に、子供の成長をテーマに研究しています。1971年、クロッグマンはペンシルヴェニア大学の名誉教授となりました。
クロッグマンの研究テーマは、成長のみならず、法医人類学にも及びました。成長をテーマとした研究は、死亡年齢推定に役立ちました。1962年には、法医人類学の名著『The Human Skeleton in Forensic Medicine』を出版します。この名著は、共同研究者のモハメッド・ヤサール・イスチャン(Mohamed Yasar ISCAN)の協力で、第2版が1986年に出版されています。クロッグマンが死去する、前年のことでした。なお、この本は、すでにこのブログで「法医人類学の洋書」としてご紹介しています。
Krogman (1962)『The Human Skeleton in Forensic Medicine』表紙
Krogman & Iscan (1986)『The Human Skeleton in Forensic Medicine』(2nd ed.)表紙