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人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

人類学の本32.人間社会の形成

2012年07月31日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese

Imanishi1966

人間社会の形成 (NHKブックス (40))
価格:¥ 866(税込)
発売日:1966-04

 この本は、元京都大学の今西錦司[1902-1992]さんが、人間や霊長類の社会について書いたものです。1966年に、NHKブックス40として、日本放送出版協会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全5章からなります。

  • 第1章.群れ社会の成立まで
  • 第2章.サルの社会・類人猿の社会
  • 第3章.人間社会のはじまり
  • 第4章.人間社会の成立
  • コメントと答え(伊谷純一郎・河合雅雄・石毛直道・中尾佐助・梅棹忠夫・飯沼二郎・上山春平)

 本書は、1966年という日本の霊長類学初期に書かれたもので、学史的にも重要な本です。


人類学の本31.人類の祖先を探る

2012年07月30日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese

Imanishi1965

人類の祖先を探る―京大アフリカ調査隊の記録 (講談社現代新書 47)
価格:¥ 441(税込)
発売日:1965-07

 この本は、元京都大学の霊長類学者・今西錦司[1902-1992]さんが、アフリカの霊長類・狩猟採集民・牧畜民・農耕民について書いたものです。1965年に、講談社現代新書47として、講談社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全6章からなります。

  1. アフリカの潜在力
  2. 類人猿の社会
  3. 動物の王国
  4. 狩猟採集民の生活
  5. 牧畜民の生活
  6. 農耕民の生活

 霊長類学者や社会学者として知られる今西錦司さんですが、本書の半分の第4章から第6章は、現生の人類の生活について書かれており、大変、参考になります。


日本の人類学者21.伊谷純一郎(Junichiro ITANI)[1926-2001]

2012年07月29日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Junichiroitani

伊谷純一郎(Junichiro ITANI)[1926-2001][立花 隆(1991)『サル学の現在』、平凡社、p.645より改変して引用](以下、敬称略。)

 伊谷純一郎は、1926年5月9日、洋画家・伊谷賢蔵[1902-1970]とちよの長男として鳥取県鳥取市で生まれました。やがて、北大予科を受験しますが、こちらは落第したそうです。この時、もし北大予科に受かっていればそのまま北大に進学し、後に霊長類学者となることはなかったかもしれません。1944年に、鳥取高等農林専門学校(現・鳥取大学農学部)の獣医畜産科に入学します。やがて、卒業後に京都大学理学部動物学科を受験しますが、一度は落第し、京大農学部の応用植物学研究室で根のプレパラート作成をしたそうです。翌年、京都大学理学部動物学科を再度受験し、今度は合格して宮地伝三郎[1901-1988]の元で動物生態学を研究しました。

 やがて、転機が訪れました。それは、今西錦司[1902-1992]との出会いでした。1948年に、今西錦司は、宮崎県の都井岬にいる半野生馬の調査に行くことになり、伊谷純一郎も同行させてもらうことになったのです。この都井岬の半野生馬を調査している内、今西と伊谷は、近くの幸島に野生のニホンザルがいるという情報を得ます。伊谷は、後に、「1948年12月3日をもってニホンザル研究のスタートの日としたい。」と書いています。1951年6月には、霊長類研究グループが発足し、伊谷もそのグループに属しました。幸島では、餌付けに成功し、芋洗い行動が確認されるなど観察の成果が上がっています。

 1953年春には、大分市のアドヴァイザーに就任し、約3年間、高崎山で野生ニホンザルを観察しています。その際、約200頭いるニホンザルの個体識別を行ったことは画期的でした。アメリカの霊長類学者、レイモンド・カーペンター(Raymond CARPENTER)[1905-1975]は、プエルトリコのサンチャゴ島にアカゲザルを放し飼いにして行動を研究していましたが、カーペンターは入れ墨をして個体識別をしていました。その後、欧米の霊長類学者達は、日本の霊長類学者が入れ墨もせずに個体識別をしていることに驚愕したそうです。この時の経験は、1954年に出版した『高崎山のサル』に書かれています。ただ、飛躍的に増加する個体数により、高崎山でも1972年からは入れ墨を行っています。

 1956年10月、愛知県犬山市に日本モンキーセンターが設立されます。これは、名古屋鉄道株式会社がスポンサーとなって、世界中のサルを飼育展示するという世界でも前例のない施設でした。1958年から、日本モンキーセンターの調査でアフリカを3回調査しています。この時の経験は、1961年に出版した『ゴリラとピグミーの森』に書かれています。

 1962年に京都大学理学部に自然人類学講座が新設され、助教授に就任しました。同じ年の1962年には、「野生ニホンザルのコミュニケーションに関する研究」により、母校の京都大学より理学博士号を取得しています。その後、1964年に京都大学霊長類研究所が日本モンキーセンターに隣接して設立されることになり、その準備に奔走します。同研究所は、1967年に設立されました。しかし、伊谷純一郎はその研究所へは移籍せず、1981年7月に母校・京都大学人類進化論講座の教授に就任します。19年間、助教授を務めた後の教授就任でした。この頃、調査研究は霊長類から人類に移り、霊長類の調査は1969年を最後に、農耕民や遊牧民を調査しています。

 1984年に伊谷純一郎はイギリスの王立人類学会から、ハックスリー賞を受賞します。このハックスリー賞は、イギリスの進化論学者、トーマス・ヘンリー・ハックスリー(Thomas Henry HUXLEY)[1825-1895]を記念して、1900年に創設されています。この設立は、有名なノーベル賞が設立される1年前に創設されており、人類学の分野におけるノーベル賞と称されています。伊谷純一郎は、日本人で初めてこの賞を受賞しました。受賞講演は、「霊長類社会構造の進化」という題で行っています。ちなみに、1914年・1917年~1919年は受賞者が選定されていません。

 当時の伊谷純一郎には、2つの夢がありました。それは、マハレを国立公園化することとアフリカ地域研究センターを設立することでした。1985年にマハレ山塊国立公園は指定となり、1986年に京都大学アフリカ地域研究センターが設立され、伊谷はその初代所長に就任しました。伊谷の2つの夢がかなったのです。伊谷は、1990年3月に京都大学を定年退官しました。

 伊谷純一郎の定年退官を記念して、2冊の本が出版されています。『サルの文化誌』には30名の寄稿が、『ヒトの自然誌』には27名の寄稿があります。皆、伊谷の共同研究者・同僚・教え子です。

  • 西田利貞・伊沢紘生・加納隆至(1991)『サルの文化誌』、平凡社[このブログで紹介済み]
  • 田中二郎・掛谷 誠(1991)『ヒトの自然誌』、平凡社[このブログで紹介済み]

 伊谷純一郎が書いた主な本として、以下のものがあります。また、2007年から2009年にかけて全6巻の『伊谷純一郎著作集』が、平凡社から出版されています。

  • 伊谷純一郎(1954)『高崎山のサル』、光文社[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎・徳田喜三郎(1958)『幸島のサル』、光文社[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1961)『ゴリラとピグミーの森』、岩波書店(岩波新書)[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1970)『チンパンジーを追って』、筑摩書房[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1972)『生態学講座20.霊長類の社会構造』、共立出版[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1977)『チンパンジーの原野』、平凡社[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1982)『大旱魃:トゥルカナ日記』、新潮社[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1987)『霊長類社会の進化』。平凡社[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1990)『自然の慈悲』、平凡社[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1991)『サル・ヒト・アフリカ:私の履歴書』、日本経済新聞社[このブログで紹介済み]
  • 伊谷純一郎(1993)『自然がほほ笑むとき』、平凡社[このブログで紹介済み]

Itani1991

伊谷純一郎(1991)『サル・ヒト・アフリカ:私の履歴書』表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

 京都大学を定年退官した1990年4月に神戸学院大学人文学部教授に就任し、1998年まで勤務しました。また、兵庫県立自然系博物館設立準備室長も務めていました。2001年8月19日、伊谷純一郎は、75歳で死去しました。師の今西錦司との出会いによって霊長類学を志し、自ら調査研究を行いながら多くの弟子を育て、日本モンキーセンター・京都大学理学部自然人類学講座・京都大学霊長類研究所・京都大学理学部人類進化論講座・京都大学アフリカ地域研究センターと5つもの研究機関の創設に関わり、霊長類学草創期を支えた人生だと言えるでしょう。なお、伊谷純一郎の仕事は、縁のある京都大学で、長男の伊谷原一と次男の伊谷樹一に引き継がれています。

 私が伊谷純一郎先生と初めて言葉を交わしたのは、1996年3月18日に、京都大学霊長類研究所で開催された第25回ホミニゼーション研究会で、「旧人と新人:共生仮説と競争仮説の検証」という題で発表させていただいた時でした。この時、伊谷先生には座長を務めていただきました。その日の夜の懇親会で、お言葉をかけていただいたのを覚えています。憧れの霊長類学者と初めて対面して、随分と緊張しました。

*伊谷純一郎に関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 馬場 功(1977)「ひと・伊谷順一郎氏」『季刊・人類学』、第8巻第2号、pp.169-178
  • 伊谷純一郎(1991)『サル・ヒト・アフリカ:私の履歴書』、日本経済新聞社
  • 上原重男(2001)「訃報 伊谷純一郎元会長の逝去」『霊長類研究』、Vol.17・No.2、p.211
  • 西田利貞(2001)「伊谷純一郎先生追悼文」『霊長類研究』、Vol.17・No.2、pp.212-214
  • 葉山杉夫(2001)「日本モンキーセンターの頃」『霊長類研究』、Vol.17・No.2、pp.214-215
  • 渡邉 毅(2001)「ふるさとと伊谷さん」『霊長類研究』、Vol.17・No.2、p.216
  • 茂原信生(2001)「伊谷先生のフィールド・ノート」『霊長類研究』、Vol.17・No.2、p.217
  • 黒田末壽(2011)「自制と風のような自由」『霊長類研究』、Vol.17・No.2、pp.218-219
  • 加納隆至(2012)「ウガラを愛された伊谷純一郎先生」『Anthropological Science』、第110巻第1号、pp.1-3

霊長類全般の本14.ゴリラとピグミーの森

2012年07月28日 | M1.霊長類の本:全般[Primates:Japane

Itani1961

ゴリラとピグミーの森 (岩波新書 青版 427)
価格:¥ 612(税込)
発売日:1961-08-30

 この本は、元京都大学の霊長類学者・伊谷純一郎[1926-2001]さんが、1960年に日本モンキーセンターによるアフリカ類人猿学術調査の第3次調査に派遣された時の様子をまとめたものです。1961年に、岩波新書青版427として、岩波書店から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全8章からなります。

  1. 人猿の国
  2. 動乱のコンゴをのぞく
  3. 入らずの森に入る
  4. ゴリラを追って
  5. 秘境アカゲジブイヨレレ
  6. 森の中の小さな猟人たち
  7. 森を出てサバンナへ
  8. タンガニイカの旅

 本書は、岩波新書としては異例で全322頁もあります。岩波書店が、伊谷純一郎さんを伊豆の旅館に缶詰にして書かせたという有名なエピソードが知られています。日本の霊長類学草創期の1960年の調査の事が詳細に記録されており、参考になります。この本は、1980年代までアフリカに駐在する商社マンや大使館員の必読書となっていたことが、伊谷純一郎さんの弟子の西田利貞[1941-2011]さんにより紹介されています。


日本の人類学者20.西田利貞(Toshisada NISHIDA)[1941-2011]

2012年07月27日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Toshidadanishida

西田利貞(Toshisada NISHIDA)[1941-2011][立花 隆(1991)『サル学の現在』、平凡社、p.109より改変して引用](以下、敬称略。)

 西田利貞は、1941年3月3日に、千葉県で生まれました。京都大学理学部動物学教室に入学し1963年に卒業すると、母校の大学院に進学し、1965年に修士課程・1969年に博士課程を修了し、1969年5月には「マハリ山塊における野生チンパンジーの社会構造」により、母校から理学博士号を取得しています。

 1969年12月に東京大学理学部人類学教室の助手となり、1974年10月に同講師・1981年8月に同助教授に昇任します。1988年4月には母校の京都大学理学部動物学教室教授となり、1995年4月には京都大学大学院理学研究科教授に配置替えとなりました。

 母校の京都大学理学部大学院修士課程時代の1963年から1965年にかけては、野生ニホンザルの生態学的・社会学的研究を行っていましたが、博士課程に進学した1965年からは主にアフリカの野生チンパンジーの研究を行いました。特に、タンザニアのマハレでの野生チンパンジーの観察と研究は有名です。また、その調査に伴う記録は、膨大な数の著書や論文に残されています。西田利貞の研究方法は、学問上の師である伊谷純一郎[1926-2001]と同様に、野外調査にありました。その調査は、多くの場合テレビで紹介され、写真でしか知ることがなかった一般の人々に動画で野生チンパンジーの生態を見る貴重な機会を提供しています。

 西田利貞が書いた本は膨大ですが、主なものに以下のものがあります。

  • 西田利貞(1973)『精霊の子供たち』、筑摩書房[このブログで紹介済み]
  • 西田利貞(1981)『野生チンパンジー観察記』、中央公論社[このブログで紹介済み]
  • 西田利貞(1994)『チンパンジーおもしろ観察記』、紀伊国屋書店[このブログで紹介済み]
  • 西田利貞(1999)『人間性はどこから来たか』、京都大学学術出版会[このブログで紹介済み]
  • 西田利貞(2001)『動物の”食”に学ぶ』、女子栄養大学出版会[このブログで紹介済み]

Nishida1999

西田利貞(1999)『人間性はどこから来たか』表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

 京都大学を2004年3月に定年退官すると、2004年4月には日本モンキーセンター所長に就任し、死去するまでその任にあたり、普及活動にも力を入れました。また、国際霊長類学会会長や日本霊長類学会会長も歴任し、学会にも大きく貢献しています。さらに、1990年にはジェーン・グドール賞を受賞し、2008年にはリーキー賞を受賞しました。リーキー賞は、ジェーン・グドールも西田利貞と同時に受賞しています。ちなみに、このリーキー賞は日本人では初めてでかつ霊長類学者としても初めての受賞でした。しかし、2011年6月7日に直腸癌で死去しました。まさしく、チンパンジー研究に捧げた一生と言えるでしょう。

 私は、西田利貞先生とは生前親交があり、著書を出版される度に寄贈していただきました。また、1996年に開館した群馬県立自然史博物館でのチンパンジーの野生行動の映像では便宜をはかっていただきました。特に、2004年2月14日に、(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団主催の平成15年度『公開考古学講座』では、「チンパンジー学への招待:人間性の起源を探る」としてご講演いただき、西田先生を群馬県立自然史博物館にご案内させていただきました。その講演は、京都大学を定年退官される前のお忙しい時期でしたが、講演をご快諾いただき、講演会場は多くの聴衆で埋まっていたのを思い出します。ただ、私は西田先生のご逝去を知らず、知ったときにはすでに葬儀も終わっていたために参列できなかったことが悔やまれます。

*西田利貞先生の想い出の写真リンク

リンク:「Mahale Wildlife Conservation Society」の想い出の写真


日本の人類学者19.北原 隆(Takashi KITAHARA・Jean FRISCH)[1926-2007]

2012年07月26日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Takashikitahara

北原 隆(Takashi KITAHARA・Jean FRISCH)[1926-2007][有馬真喜子(1974)「ひと・北原 隆氏」『季刊・人類学』第5巻第2号より改変して引用](以下、敬称略。)

 北原 隆は、ジャン・フリッシュ(Jean FRISCH)として、1926年12月2日にベルギーのブリュッセルで生まれました。その後、ルーヴァンカトリック大学で哲学と自然科学を勉強したそうですが、どちらにも失望したそうです。1944年にイエズス会に入会し、1949年には来日して1952年まで3年間日本語を学びました。そして、フランスに行き、4年間神学を学んでいます。1955年には、カトリック司祭となりました。その後、渡米してシカゴ大学人類学部大学院に入学し、霊長類学者のシャーウッド・ウォッシュバーン(Sherwood WASHBURN)[1911-2000]の元で、自然人類学を学びます。シカゴ大学では、主に、化石及び現生のテナガザルの歯を研究しました。また、日本の霊長類学の動向を英訳して英語圏に紹介し、世界に知られるようになったことは大きな功績だと言えるでしょう。

 1961年のクリスマスに再来日し、1962年から上智大学で自然人類学を教えます。また、1963年から学部及び専攻を問わないゼミを開講しました。さらに、1977年からは上智大学理工学部生命科学研究所に所属し、人類学や生命倫理学を教えています。

 ジャン・フリッシュ(Jean FRISCH)は、1968年に日本へ帰化しました。日本名は、「北原 隆」にしています。この名前の由来は、苗字の「北原」は「蟻の町のマリア」として有名な北原怜子[1929-1958]から命名し、名前の「隆」は「長崎の鐘」や「この子を残して」の著書で有名な元長崎大学医学部教授の永井 隆[1908-1951]から命名したそうです。どちらも、キリスト教に関係した人物でした。

   北原 隆が書いた本として、以下のものがあります。

  • 北原 隆(1983)『人間とは何か:人類学が教えること』、どうぶつ社[このブログで紹介済み]
  • 北原 隆・乗越皓司(1986)『道具の起源:類人猿から初期人類への道具行動の発展』、東海大学出版会[このブログで紹介済み] 

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北原 隆(1983)『人間とは何か』表紙

 北原 隆は、2007年3月10日、心不全のためイエズス会の療養施設ロヨラハウスで死去しました。愛してやまない日本を終焉の地として選んだのです。カトリック司祭として人類進化を研究した人生は、まさしく、著名なフランスの人類学者のピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de CHARDIN)[1881-1955]の人生と重なります。実際、北原 隆は、上智大学に「テイヤール・ド・シャルダン奨学金」を立ち上げました。死後の2008年には、教え子達が北原 隆の誕生日に集まり祝った「二日会」により、「北原隆メモリアル賞」が創設されています。

 私は、北原 隆先生とは、1996年6月6日に上智大学で開催された『第2回生と死をめぐる比較思想』という研究会で「古人類学からみた先史時代人の生と死」を発表した際に、初めて親しく会話をさせていただきました。非常に穏やかで、かつ、幅広い人類学の知識をお持ちの方でした。

*北原 隆に関する資料として、以下のものを参考にしました。

  • 有馬真喜子(1978)「ひと・北原 隆氏」『季刊・人類学』、第5巻第2号、pp.132-135
  • 北原 隆(1983)『人間とは何か:人類学が教えること』、どうぶつ社

人類学の本30.道具の起源

2012年07月25日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese

Kitaharanorikoshi1986

道具の起源―類人猿から初期人類への道具行動の発展 (動物―その適応戦略と社会)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:1986-03

 この本は、元上智大学の北原 隆[1926-2007]さんと乗越皓司さんが、霊長類や動物の道具使用と初期人類の道具の使用について書いたものです。1986年に、シリーズ『動物.その適応戦略と社会』の第13巻として、東海大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全4章からなります。

  1. 霊長類の進化と道具行動
  2. 野生類人猿の道具行動
  3. 道具行動の実験研究
  4. 初期人類の道具行動

 本書は、霊長類の道具行動について野生観察や実験観察に基づいて書かれており、大変、参考になります。


人類学の本29.人間とは何か

2012年07月24日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese
人間とは何か―人類学が教えること (自然誌選書) 人間とは何か―人類学が教えること (自然誌選書)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:1983-01

 この本は、元上智大学の人類学者・北原 隆[1926-2007]さんが人類学について書いたものです。1983年に、どうぶつ社から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全2部14章からなります。

  1. 百年論争
  2. 人間かゴリラか
  3. 芸術をもった人類
  4. 猿人から直立人類へ
  5. ピルトダウン事件
  6. タウングの子供
  7. 新しい発見
  8. 「人間」の起源

ii

  1. 生物学とニヒリズム
  2. ダーウィニズムとキリスト教
  3. 自然科学に未来はあるか
  4. 進化学の人間像
  5. キリスト教の動物観
  6. 出会い

 北原 隆さんは、シカゴ大学でシャーウッド・ウォッシュバーン(Sherwood WASHBURN)[1911-2000]さんの元で人類学を専攻した方です。1968年には帰化し、ジャン・フリッシュ(Jean FRISCH)から北原 隆へと改名しています。カトリック司祭として人類進化を研究したという点で、著名な人類学者のテイヤール・ド・シャルダン(Teihard de CHARDIN)[1881-1955]を彷彿とさせます。

Kitahara1983

北原 隆(1983)『人間とは何か』表紙


日本の人類学者18.田辺義一(Giichi TANABE)[1920-1979]

2012年07月23日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Giichitanabe

田辺義一(Giichi TANABE)[1920-1979][小林和正(1980)「田辺義一氏追悼文」『人類学雑誌』第88巻第2号の写真を改編して引用](以下、敬称略。)

 田辺義一は、1920年11月16日に東京で生まれました。第一高等学校理科甲類を卒業後、1941年に東京帝国大学理学部人類学科へ進学します。人類学科では、小林和正(元京都大学)・近藤四郎(元京都大学)・林 夫門と同級生でした。しかし、戦争により繰り上げ卒業となり、1943年9月に卒業します。卒業と同時に大学院に進学しましたが、1944年には召集され陸軍砲兵隊の少尉として満州の国境守備隊に配属されましたが、1945年の終戦時には内地の四国に転属となっていました。

 戦後は母校の人類学教室に戻り、1953年に助手に就任しました。1961年に、「日本出土の青銅器の化学的組成に関する研究」により母校から理学博士号を取得しています。1964年8月には、お茶の水女子大学家政学部へ助教授として移籍し、1971年には教授に昇進しました。また、1974年から1978年にかけて、お茶の水女子大学の家政学部長も務めています。

 田辺義一は、一貫して人類学及び先史学の理化学的研究を行いました。特に、有名な研究として、日本国内出土化石人骨の弗素含有量の分析研究があります。これらは、牛川・三ヶ日・浜北・聖嶽・港川と多くの著名な遺跡出土人骨の分析を行いました。田辺義一が発表した主な論文には、以下のものがあります。なお、お茶の水女子大学に移籍してからは、家政学の論文を多数書いています。

  • 田辺義一(1943)「日本石器時代の朱について」『人類学雑誌』、第58巻第12号、pp.453-464
  • 田辺義一(1944)「保美貝塚人骨のカルシウム及び燐含有量に就いて」『人類学雑誌』、第59巻第1号、pp.1-5
  • 田辺義一(1949)「破折端にアスファルトの附着した土偶について」『人類学雑誌』、第61巻第1号、pp.15-16
  • 田辺義一(1950)「先史時代骨類の化学的一考察」『人類学雑誌』、第61巻第4号、pp.191-194
  • 田辺義一(1962)「三ヶ日遺跡出土人骨の弗素含有量」『人類学雑誌』、第70巻第1号、pp.41-48
  • 田辺義一(1966)「浜北市根堅遺跡出土人骨の弗素含有量」『人類学雑誌』、第74巻第3-4号、pp.168-176
  • 田辺義一(1967)「弗素含有量による古人骨の編年」『第四紀研究』、第6巻第4号、pp.164-167

 また、田辺義一が出版した本として、以下のものがあります。

  • G. クラーク&S. ピゴット(1970)『先史時代の社会』(田辺義一・梅原達治訳)、法政大学出版部
  • 田辺義一・富田 守(1975)『人類学総説』、垣内出版[このブログで紹介済み]
  • 田辺義一(1981)『人類学講座13.生活』、雄山閣

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田辺義一・富田 守(1975)『人類学総説』、垣内出版

 田辺義一は、1979年12月10日に死去しました。定年前の現役での早すぎる死でした。しかし、田辺義一の仕事は、現・お茶の水女子大学の松浦秀治に引き継がれています。

*田辺義一に関する資料として、以下のものを参考にしました。

  • 小林和正(1980)「田辺義一氏追悼文」『人類学雑誌』、第88巻第2号、pp.63-67.

人類学の本28.人類学総説

2012年07月22日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese

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人類学総説 (1975年)
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:1975

 この本は、元お茶の水女子大学の人類学者・田辺義一[1920-1979]さんと富田 守さんにより書かれた人類学の教科書です。1975年に、垣内出版から出版されました。なお、本書は、田辺義一さんの死後、富田 守さんによる改訂版が1985年と1989年に『人類学』と改題されて垣内出版から出版されています。

 本書の内容は、以下のように、全7章からなります。

  1. 人とその生活
  2. 人のからだ
  3. 人の生成と進化
  4. 先史時代の人の生活の変遷
  5. 人の生活と進化
  6. 世界の人びと
  7. これからの人類

 本書は、出版当時、人類学の教科書があまりなかったことから大変、重宝したものです。私も、学生時代に活用していました。


日本の人類学者17.寺田和夫(Kazuo TERADA)[1928-1987]

2012年07月21日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Kazuoterada

寺田和夫(Kazuo TERADA)[1928-1987][有馬真喜子(1982)「ひと 寺田和夫氏」『季刊・人類学』第13巻第2号、p.153より改変して引用](以下、敬称略。)

 寺田和夫は、1928年5月17日に、神奈川県横浜市で生まれました。後に東京大学教養学部教授となるフランス文学者の寺田 透[1915-1995]は、実兄です。神奈川県立横浜第一中学校・第一高等学校理科甲類を経て、1948年に東京大学理学部人類学科に入学し、1951年に卒業しました。ちなみに、同級生は、木村邦彦(元防衛医大)・香原志勢(元立教大)・埴原和郎(元東京大)[1927-2004]で、皆、それぞれ専門が異なっています。この頃は、統計学や推計学に興味を持っていたと言われています。卒業後は、東京大学理学部大学院に進学し、須田昭義[1900-1990]の指導で研究を続けました。

 1953年、鳥取大学医学部法医学教室助手に就任しました。この経緯は、酒の席で出会った法医学教授が「面白い人だ。是非内へ。」ということで決まったと言われています。ちなみに、その教授とは、小片重男で、解剖学者兼人類学者の小片 保[1916-1980]の実兄でした。

 1956年8月には、東京大学教養学部文化人類学教室助手に就任します。この文化人類学教室は、1954年9月に設置されたもので、石田英一郎[1903-1968]が初代主任教授を務めました。また、泉 靖一[1915-1970]や曽野寿彦[1923-1968]もスタッフに加わっています。

 その後、1960年に講師・1963年に助教授・1971年に教授に就任しました。1962年には、「人体計測値による親子の類似性の分析」により、理学博士号を取得しています。調査は、1958年から1969年にかけて、東京大学アンデス地帯学術調査団として5回行っています。また、1975年からは、日本核アメリカ(中米・アンデス)学術調査団として、4回行いました。 

 寺田和夫は、得意の語学を生かし、人類学分野の本を多数翻訳し、かつ、自身でも多くの本を執筆しています。寺田和夫が書いた、人類学関係の本に以下のものがあります。人種については著書2冊と翻訳書1冊があり、今では貴重な文献です。これは、東京大学理学部人類学教室で、松村 瞭[1880-1936]・須田昭義[1900-1990]・寺田和夫[1928-1987]と引き継がれたものです。また、『日本の人類学』は、草創期から1945年までの日本人類学会の歴史がまとめられており、大変重宝されています。

  • 寺田和夫(1967)『人種とは何か』、岩波書店[このブログで紹介済み]
  • 寺田和夫(1975)『日本の人類学』、思索社(後に、角川文庫)[このブログで紹介済み]
  • 寺田和夫(1977)『人類学講座7.人種』、雄山閣[このブログで紹介済み]

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寺田和夫(1967)『人種とは何か』

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寺田和夫(1977)『人類学講座7.人種』

 寺田和夫は、1987年6月25日に腹痛を訴え入院しましたが、すでに癌が内臓に転移しており、1987年9月5日に大腸癌で死去しました。定年前の、現役での死去でした。自然人類学と文化人類学の両方の知識を兼ね備え、アメリカ流の人類学を目指し、アンデス先史学に捧げた一生と言えるでしょう。

*寺田和夫に関する文献として、以下のものを参考にしました。

  • 有馬真喜子(1982)「ひと 寺田和夫氏」『季刊・人類学』、第13巻第2号、pp.153-162
  • 香原志勢(1988)「わが心の友故寺田和夫氏」『人類学雑誌』、第96巻第1号、pp.1-6

人類学の本27.人種とは何か

2012年07月20日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese

Terada1967

人種とは何か (1967年) (岩波新書)
価格:¥ 158(税込)
発売日:1967

 この本は、元東京大学の文化人類学者・寺田和夫[1928-1987]さんが、人種について書いたものです。1967年に、岩波新書658として、岩波書店から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全5章からなります。

  1. 人種とは何か
  2. 人種の特徴
  3. 人種観の歴史
  4. 人種の分布
  5. 人種的偏見

 本書は、人種についてコンパクトにまとめられており、大変、参考になります。私は、今でも時々読み返しています。同じ著者による編著で1977年に出版された、『人類学講座7.人種』(雄山閣)を併読することをお勧めします。


人類学の本26.人類学

2012年07月19日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese

Terada1985

人類学
価格:¥ 2,100(税込)
発売日:1985-05

 この本は、元東京大学の文化人類学者・寺田和夫[1928-1987]さんによる編で書かれた人類学の教科書です。1985年に、東海大学出版会から出版されました。他の著者は、松本亮三さん・小池佑二さん・木村秀雄さん・板橋作美さんです。

 本書の内容は、以下のように、全4部28章からなります。第Ⅰ部.総説(第1・2章)・第Ⅱ部.人類の進化と変異(第3章~第7章)・第Ⅲ部.文化の発達(第8章~第12章)・第Ⅳ部.現代文化の諸相(第13章~第30章)となります。

  1. 生物としての人類(寺田)
  2. 人類の行動と文化(寺田)
  3. 自然人類学の考え方(寺田)
  4. 霊長類の進化と猿人の登場(寺田)
  5. 原人と旧人(寺田)
  6. 新人の登場と生活域の拡大(寺田)
  7. 現生人類の変異(寺田)
  8. 文化史の研究:先史考古学の方法と発展(松本)
  9. 前期・中期旧石器時代(松本)
  10. 後期旧石器時代(松本)
  11. 生産経済の開始(松本)
  12. 文明の誕生(松本)
  13. 文化人類学の課題と方法(小池)
  14. 文化人類学研究史(小池)
  15. 世界の民族と援護(小池)
  16. 環境と適応(木村)
  17. 経済(木村)
  18. 社会組織(木村)
  19. 親族組織(木村)
  20. 婚姻システム(木村)
  21. さまざまな社会関係(木村)
  22. 法と政治組織(小池)
  23. 社会統合の諸類型(小池)
  24. 宗教と呪術(板橋)
  25. 儀礼と神話(板橋)
  26. 世界観と象徴体系(板橋)
  27. 認知と思考(板橋)
  28. 文化変容(板橋)
  29. 文化とパーソナリティー(板橋)
  30. 現代社会と人類学(小池・松本)

 本書は、所謂、アメリカの総合人類学の教科書になります。


人類学の本25.人類学入門

2012年07月18日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese
人類学入門 人類学入門
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:1974-01

 この本は、元東京大学の文化人類学者、吉田禎吾さんと寺田和夫[1928-1987]さんが、書いた人類学の教科書です。1974年に、東京大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全18章からなります。

  • 序章.人類学とは何か
  • 第1章.自然における人類の位置
  • 第2章.人類進化の自然的背景
  • 第3章.第3紀霊長類
  • 第4章.猿人類の形質と文化
  • 第5章.原人類の形質と文化
  • 第6章.旧人類の形質と文化
  • 第7章.新人類の出現
  • 第8章.食料生産の開始
  • 第9章.人種と文化
  • 第10章.技術と経済
  • 第11章.社会組織
  • 第12章.政治と法
  • 第13章.呪術と宗教
  • 第14章.芸術
  • 第15章.文化と人間
  • 第16章.文化の動態
  • 第17章.文化人類学説史

 本書は、当時あまりなかった人類学の教科書として書かれており、その体系が大変参考になります。

Yoshidaterada1974


人類学の本24.人類学

2012年07月17日 | E1.人類学の本[Anthropology:Japanese

Ishidaizumisonoterada1961

人類学 (1961年)
価格:(税込)
発売日:1961

 この本は、元東京大学のアンデス考古学を専門とした文化人類学者4名が書いた人類学の教科書です。石田英一郎[1903-1968]さん・泉 靖一[1915-1970]さん・曽野寿彦[1923-1968]さん・寺田和夫[1928-1987]さんによる分担執筆で、1961年に東京大学出版会から出版されました。

 本書の内容は、以下のように、全5章からなります。

序章.人類学の目標と分野(石田)

1.人類と文明の誕生

  1. 自然における人類の位置(寺田)
  2. 食料採集時代(寺田)
  3. 食料生産時代(曽野)
  4. 先史時代の研究法(曽野・寺田・石田)

2.人種と民族

  1. 人種の特徴(寺田)
  2. 人種の分類(寺田)
  3. 民族と言語(石田)
  4. 世界の民族(石田)

3.文化の内容(泉)

  1. 文化の内容の分類
  2. 技術の文化
  3. 価値の文化
  4. 社会の文化

4.文化と人間

  1. 人間の発育(寺田)
  2. パーソナリティーの形成(泉)
  3. 人類学と現代文明(石田)

 本書は、当時、日本語で書かれた人類学の教科書が少なかった時代に重宝された教科書です。