中学生の修学旅行の時、夜のオプショナルツアーで選んだのがテアトル東京での映画鑑賞。その時上映されていたのがあの、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」だった。それから背景に流れていたワルツが耳の奥に居座り、あの曲は一体何だったんだと捜し求めてほぼ1年がかりでたどり着いたのがウィーンフィルの演奏による「美しく青きドナウ」だった。こんな美しい曲がこの世の中に存在していたなんて・・・とその感動たるや。それからシュトラウス家のワルツにどっぷりつかり、いつしかニューイヤーコンサートを毎年楽しみにする人生となってしまった。そのドナウと対面できる・・・これが今回の出張の個人的最大のハイライトだった。
ブダ・ペストを流れるドナウ川と鎖橋
鎖橋中央付近から撮影したドナウ上流側。右端は国会議事堂、左側は旧ブダ市街。
このあたりでは水深も10メートル近く流れの速さも見てとれる。
ブダ城から撮影した夜明け前のドナウ。左の方の白い縦縞が宿泊したホテルソフィテル。右がインターコンチネンタル。ここではソフィテルの方が部屋が広く格式が高いらしい。
自由橋とドナウ。2度の共産主義支配を克服して3度目の自由主義を獲得したハンガリー。その象徴がこの自由橋。誰が言い出すともなく勝手にいつしか自由橋になっていたのだという。この対岸の丘の上に共産主義の象徴である自由の女神こと世界一でかい栓抜き像があることから、反発して名付けられたのだろう。ドナウはそんな歴史もしっかり見つめている。
自由の女神像遠景。確かに栓抜きだ。^^
ドナウ上流を望む。手前は鎖橋。ここは自由の女神像が立つ丘の上。今は市民の広場になっているがかつては軍の要塞が築かれていた。もちろん軍とは支配者の旧ドイツ帝国やソビエトだ。
ドナウ下流。ドナウはハンガリーへ入るまでは西から東へ流れ、ハンガリーだけは北から南へ下る。そして再び東へ向きを変えて黒海へ流れ出る。オーストリアのウィーンはここから上流へ150キロくらい遡ったところ。更にドナウはドイツへ入る。
ドナウはドイツ国内を流れるライン川、マイン川と横串状の運河でつながれていて結局スエズ運河から地中海、黒海を上ってきた船はドナウを上り、運河を経由して大西洋へ出て行くことができるのだそうだ。
ドナウに浮かぶ船上レストランで食事をしながら撮影したドナウを行き交う船。船首にも旗が掲げられているがそれは今いる国の国旗。船尾のこの国旗は船籍を示す。これはドイツの船だ。オーストリアやスロバキアを経てハンガリーまで来ていることを示している。やはり繋がっているんだ。
以上、駆け足でドナウでした。
あちらはパーリンカとトカイワインです。
ブダ・ペストを流れるドナウ川と鎖橋
鎖橋中央付近から撮影したドナウ上流側。右端は国会議事堂、左側は旧ブダ市街。
このあたりでは水深も10メートル近く流れの速さも見てとれる。
ブダ城から撮影した夜明け前のドナウ。左の方の白い縦縞が宿泊したホテルソフィテル。右がインターコンチネンタル。ここではソフィテルの方が部屋が広く格式が高いらしい。
自由橋とドナウ。2度の共産主義支配を克服して3度目の自由主義を獲得したハンガリー。その象徴がこの自由橋。誰が言い出すともなく勝手にいつしか自由橋になっていたのだという。この対岸の丘の上に共産主義の象徴である自由の女神こと世界一でかい栓抜き像があることから、反発して名付けられたのだろう。ドナウはそんな歴史もしっかり見つめている。
自由の女神像遠景。確かに栓抜きだ。^^
ドナウ上流を望む。手前は鎖橋。ここは自由の女神像が立つ丘の上。今は市民の広場になっているがかつては軍の要塞が築かれていた。もちろん軍とは支配者の旧ドイツ帝国やソビエトだ。
ドナウ下流。ドナウはハンガリーへ入るまでは西から東へ流れ、ハンガリーだけは北から南へ下る。そして再び東へ向きを変えて黒海へ流れ出る。オーストリアのウィーンはここから上流へ150キロくらい遡ったところ。更にドナウはドイツへ入る。
ドナウはドイツ国内を流れるライン川、マイン川と横串状の運河でつながれていて結局スエズ運河から地中海、黒海を上ってきた船はドナウを上り、運河を経由して大西洋へ出て行くことができるのだそうだ。
ドナウに浮かぶ船上レストランで食事をしながら撮影したドナウを行き交う船。船首にも旗が掲げられているがそれは今いる国の国旗。船尾のこの国旗は船籍を示す。これはドイツの船だ。オーストリアやスロバキアを経てハンガリーまで来ていることを示している。やはり繋がっているんだ。
以上、駆け足でドナウでした。
あちらはパーリンカとトカイワインです。