GAMAの菜園&フォト日誌

SINCE JUNE 2005・・・菜園情報と写真で綴るGAMAの雑記帳

遠くから眺める我らの菜園

2010年01月09日 19時41分14秒 | ガマのつぶやき
道を辿って紆余曲折で歩くと約1キロ、直線だと500メートルほど離れたところから見える
我らが菜園です。このあたりから見ると、いくつかのビニールハウスの屋根群だけですね。
この付近は菜園方面に左右から迫る林のように、もともとこのような森林がどこまでも広がっていて、
そこを人が伐採して畑にしながら広げてきた歴史があるようです。
それであちこちに防風林よろしくこのような林が点在している。他に鎮守の森もあちこちに
点在します。それらが野生の住みかにもなっているようですが、気付くと瀬戸内の島のように
点々と存在するわけで、それらを行き来する動物が途中の道路で車に轢かれていたりすることが
頻繁にあります。大きな山までは繋がっていないので、鹿、猿、熊の類はさすがにいませんが。

遠くから眺める菜園も傍目にはあそこは何をやっているんだろう?と稀有な存在なのかもしれませんね。^^

クリックで大きくなります。クリックで大きくなります。


「遠くから眺める」とか「上から見下ろす」ことはなぜか惹かれるものがあります。
もちろん普段、別の角度で見慣れた光景を見るわけで、別にそれ自体に大きな意味があるわけではありませんが、
どうして無意識に惹かれているんでしょう。自分が思うに、それは自分の存在の確認みたいな要素があるのでは
ないでしょうか? 確かに普段は自分があそこにいる、あそこが自分の居場所、つまりは自分の存在を確認する。
なにやら哲学的ですが、それってそんな難しい命題ではなく、生活あるいは、生きていくことの原点のような気がします。

引きこもりとか、登校拒否とか若い世代にもいろいろ問題視されている状態がありますが、それも彼らにとっては
必死に自分の存在の確認を求めているように思えるのです。
たとえば、旅行が好きでよく出かける人も、結局対極としての自分の存在を見詰めているように自分には思えます。
そうでない旅行は冒険という違う意味に近いものに思えたりします。

なにやらそんなことをふと感じながらシャッターを押していました。

あちらはドバイの超高層ビル他
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2 コメント

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Unknown (イザワ)
2010-01-10 01:49:13
今日のお話、とても分かる気がします。
私も人生において、昔だったら(今でも(笑))
うつけ者とかなり親戚から非難されるようなことをしちゃいましたから^^;
残りの人生、好きな事しちゃいたくなってしまったんですよね。
まだまだ、安定までは程遠い状態ですが、このまま続けていければ・・・
と思っています。
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つくばのガマ (つくばのガマ)
2010-01-10 05:39:46
前田利家は歌舞伎者だし、織田信長は「うつけ」でした。
秀吉に至っては人扱いされてませんでしたからね。^^

結局、普通の人と同じレベルのことを同じようにやっていて
それで上を目指そうなんてことは有り得ないのでしょう。

やはり人のやらないことをやらねば、人より苦労しなければ・・・
ということなのかもしれませんね。

そのうち振り返って思いますよ。
「思えば遠くへ来たもんだ」ってね。
応援してます。
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