平塚市には、市の規模に不釣り合いな、立派な博物館があります。
展示も見ごたえがありますが、特筆すべきは市民ボランテイァによる調査活動とその報告書。
中でも、平成26年発刊の『平塚の石仏』は、出色です。
ボランティアにより確認された石仏の数は、3058基。
そのすべてをベースに、地域、年代、種類別に分類し、解説をつけた労作です。
勿論、徳本名号塔にもページが割かれています。
「徳本名号塔は市内に28基あり、このうち浄土宗の寺に13基あります。県内の市町村のなかでは最も基数が多く、本市に特徴的な石仏といえます」。
徳本流布教の特徴は、講の人数の多寡によって、与える名号札の大きさを変えることにありました。
大きな名号塔の石塔があるということは、その地に多数の信者を要する徳本講があったことの証です。
平塚市には、とりわけ大きな念仏講が、3つもあり、「大会念仏(おおがいねんぶつ)」と称されて、昭和の時代まで活動していました。
平塚市は、相模地方で、最も徳本講が流行した地域だったのです。
ここでは、市内の9基の徳本名号塔を取り上げ、平塚市での徳本念仏講の活動を見てゆきます。
①大松寺(幸町)
徳本名号塔が3基並んでいる。
3基もあるのは、ここだけ。
特に中央の石塔は、文化13年(1815)の造立で、市内最古。
徳本行者は、文化12,13,14年と立て続けに相模を巡錫、化益して回り、大松寺は宿泊所だった。
行者が来る前に、名号を彫った石塔を用意して、徳本行者に開眼してもらう習わしだったから、この塔も行者は見たことがあるはずです。
この石塔には、もう一つ特徴がある。
それは、四面、それぞれに南無阿弥陀仏が彫られていること。
徳本名号も小さな部分では、違いがあることが見て取れる。
≪続く≫
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