高島秋帆と聞いて何者か分かる人は、そんなに多くはないように思う。
なのに私が知っているのは、私が板橋区民だから。
板橋区の高島平という地名は、高島秋帆の指導の下初の洋式砲術の演習を行った徳丸ケ原を、彼の名に因んで改名したもの。
◇高島秋帆の墓と顕彰碑
墓は、大円寺の墓地の奥まった一角にある。
碑表が崩れて、高島の高だけが辛うじて読み取れるだけ。
もうすぐ前面が崩落しそうだ。
顕彰碑は、本堂前左にある。
全文漢文で私には読めないが、最上段は、右から縦に二文字ずつ左へ「火砲/中興/洋兵/開祖」とあるようだ。
高島秋帆(寛政10・1798-慶応2・1866)は、長崎生まれ。砲術師範役の父の職を継ぎ、砲術を研究、日本初の西洋砲術を考案した。
天保12(1841)年、幕命により、徳丸ケ原で砲術演習を行った。
しかし、翌年、様式砲術訓練は謀反の企てがあるからだ、というざん訴により投獄され、10年間の蟄居を言い渡される。
11年の蟄居の後、再び、幕府の講武所(のちの陸軍所)の教授を任ぜられ、慶応2年(1866)、現職のまま、病死した。
◇戦没軍馬犬鳩慰霊碑(向丘2-38-22 光源寺)
光源寺は、駒込大観音で有名だが、私には、ユニークな千手観音石仏がある寺として、記憶されている。
千手がまるで羽のように刻されて、忘れがたい造詣です。
その光源寺の境内、道路に背を向けた形で立つのが「戦没軍馬犬鳩慰霊碑 」。
この慰霊碑の特異性は、軍馬だけでなく、軍犬や軍鳩も慰霊の対象となっていること。
犬の有用性については、警察犬や入管麻薬犬などで、誰でも知っているが、鳩が通信手段として使われていたことは、年代によっては知らない人が多いだろう。
敵の鳩交信を妨げるべく、ヒトラードイツ軍は鷹を放ったという。
鷹から逃げるうちに、方向感覚が狂って帰れなくなるらしい。
軍犬の弱点は、大きな音に弱いこと。
私は、何匹か犬を飼っていたが、どの犬も雷を怖がった。
雷が鳴ると机の下に潜り込んで、震えている。
体格のいい秋田犬も同様で、体の大小は関係ない。
大砲や爆弾が落ちる戦場では、音におびえて、犬は役に立たなかったと云われている。
それでも多数の軍犬が満州にはいたが、敗戦と同時に始まった本土引き上げに、人間と一緒に連れ戻された犬は皆無だった。
だから、この「慰霊」碑は、謝罪の意が込められている。
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