3.11地震での原発事故を「想定外」と当事者は弁解したが、そもそも想定内で物事が収まると思うほうが間違っている。
意外なシーン展開があるほど芝居は面白い。
予想外なことがあるから人生は楽しいのです。
常識の壁がもろいことは、もはや、常識なのです。
お地蔵さんの世界も同様。
お地蔵さんはこれくらいの大きさと決めつけてはいませんか。
下の写真を観てください。
これもお地蔵さんなのです。
場所は、甲府市のほぼ中央、東光寺3丁目の国道6号線の真下。
狭い坂道の片側に御座すので、大きな岩があるとは思っても、これが地蔵だとはだれも気付かないでしょう。
首をかなり無理して上を見上げなければ、地蔵の顔は見えないからです。
背後には「御長弐丈八尺七寸六分」と刻されている。
メートルにすれば、8.7m。
元々は、岩そのものが御神体でした。
人々は岩に手を合わせていた。
仏教が伝来し、石仏が身近な存在になって来ると、この岩に仏頭を乗せてお地蔵さんにしようという輩が出始める。
岩が神から仏に変わったのは、刻銘によれば、宝永4年3月。
甲府宰相綱豊が六代将軍になるのは、その2年後の宝永6年のことです。
自然石に仏頭をのせるスタイルの、このでか地蔵は、甲府盆地の北側を走る北山道沿いに甲府市に4体、笛吹市と山梨市に1体ずつ計6体が報告されている。
今回は、甲府盆地を西から東へと移動しながら、6体のでか地蔵を尋ね歩きます。
最初は青松院の合羽地蔵。
青松院は、甲府市から昇仙峡に向かう途中の山宮町にあります。
目的のでか地蔵は、本堂前に座していらっしゃる。
傍らの石柱には、「合羽地蔵」の文字。
身体の部分の自然石のすそ広がりが、合羽を着た姿に似ているからだそうです。
そう言われれば、合羽をガサガサ音立てて登校する中学生の男の子に見えなくもない。
頭と身体の石質の違いが、アップにするとよく分かる。
本堂裏に回ると見事な石庭が広がっています。
こうした石庭はこの地方の寺には良く見られる形式です。
ということは、つまり、この地方は石が豊富だということになります。
西から二番目の塩澤寺は、宿泊した湯村温泉の旅館から歩いて1分。
朝食前にふらりと行って見ることに。
年に一度の厄除け地蔵祭が明日からと云う事で、幟が翻り、提灯が揺れて、寺は祭の準備の真っ最中。
10世紀開基の古い寺だから、中世の石造物がごろごろある。
甲府盆地最古の弥陀種子板碑 右端が応永7年(1347)の無縫塔
それらを見ながら、墓地へ向かうと異様に鼻の大きなでか地蔵が目に飛び込んできた。
通称「たんきりまっちゃん」。
なぜそう呼ばれるのか、説明板がないので、不明。
鼻をこれだけ強調するのにはそれなりの訳がありそうだが、それが皆目分からない。
鼻のつく言葉はいろいろあるが、どれもマイナスイメージばかりで、そのこともわけを分かりにくくしている。
「鼻息か荒い」
「鼻毛を読まれる」
「鼻先であしらう」
「鼻つまみ」
「鼻で笑う」
「鼻にかける」
「鼻もちならない」
「鼻をあかす」
「鼻を高くする」
「鼻をへし折る」
「一度でいいから鼻毛をぬかれてみたかった」などと下らないことを思いつつ宿へ。
道の端にガムテープが等間隔に貼ってある。
近寄ってみたら「バナナ」の文字。
祭に出店する屋台の地割りの印しだった。
結局、鼻が大きい理由については、お手上げのまま。
どなたか教えてください。
三番目は、冒頭のでか地蔵なので、パス。
そのまま南下して中央線を越え、国道411号にぶつかったら右折、西へ進む。
身延線金手駅前の瑞泉寺が目的四番目の寺。
本堂前の植え込みの中に高さ50㎝ほどの仏頭がある。
螺髪ではなく坊主頭だから、地蔵菩薩の頭に違いない。
傍らに説明板がある。
「ひきとり地蔵
古く伝わるこの名前
うき世のなやみ
この世のまよい
慈悲のまなざし
清らに照らし
身命おしまず
ひきとります
みんなのやすらぎ
大きなねがい
お地蔵さまの
おやくそく」
全ての悩みと迷いを引きうけて安らぎを与えると宣言するのだからすごい。
仏頭だけで五体不満足なお地蔵さんにそんな力があるのだろうか。
工事中、地中から掘り出されたもので、身体に相当する石は探しても見当たらなかったという。
仏頭というと日光の浄光寺に御座す「憾満親地蔵御首」が有名だが、こちらは大谷(だいや)川川渕の並び地蔵が洪水で流されたものを掘り起こしたもので、もともとお体があったことは分かっている。
浄光寺(日光市)の憾満親地蔵御首
大谷川沿いの並び地蔵
仏頭だけの仏はいかにも不自然で、身体部分はどこかにあるものと思う。
18年前の資料には「本堂裏の庭園に大きな岩がある。高さ3mほどで頭部とのバランスも丁度いい。もしかしたら、これが身体部分てはないか」とある。
行ってみたが、塀で囲われていて、中の様子が分からない。
残念。
次の目的地は、笛吹市内の保善寺。
国道140号の雁坂みちをを一路東へ。
JR「石和温泉駅」を過ぎて約1.5キロ、鎮目北を左折すると保善寺がある。
肝心のでか地蔵は本堂左の石造物群の中に座している。
でか地蔵というには小さく、普通のお地蔵さんにしては大きい、そんなサイズ。
自然石の上に仏頭というスタイルは、他の5体と共通している。
名前も謂れもない、寂しいお地蔵さんです。
帰宅してテレビを観ていたら、体重が300キロを超え、ダイエットしないと命に関わるというアメリカの女性を放送していた。
どこかで見たことがあるなと思いながら観ていたのだが、このお地蔵さんと皮膚の感じがそっくりだった。
ゴツゴツした身体に比べて、顔はすっきり、さっぱりしている。
この自然石の上に乗せる頭だと確認した上で石工は彫ったのだろうが、身体とあわせて違和感のない頭をなぜ造らなかったのだろうか、訊いて見たい気がする。
雁坂みちを左折、日本三大夜景のひとつ、フルーツ公園を通り抜けると最終目的地、山梨市水口集落に着く。
緩い坂道を上って行くとデンと構えたデカ地蔵がにらみをきかせている。
地蔵の前には、丸石道祖神も御座す。
この集落の、昔からの信仰の場だったに違いない。
でか地蔵は「首地蔵」と呼ばれているらしい。
説明板がある。
少々、長いけれど、書き写しておく。
「昔、大雨が続いて山の地盤が緩み、大きな土砂崩れが起きて、中組の数軒の家をつぶしてしまった。その時転落してきた大きな岩の下敷きになって御子守さんの娘が背負った赤ん坊とともに死んだ。一説によるとその娘はオミヨという12歳の少女であったという。それ以来村の赤ん坊がひどい夜泣きをしたり、何かにおびえるようになって、娘の霊が祟っているとうわさされた。落ちてきた大岩からも夜になるとすすり泣きの声が聞こえてきたという。そこを訪れた旅の僧が娘の慰霊のために石を彫って地蔵の首を作り、巨岩の上に乗せて供養をしたところ赤子の夜泣きもすっかりおさまった。それ以来村人たちは首地蔵に香華をささげ、供養を怠ることがなかったという。ある時道路が拡張されることとなって、首地蔵の巨岩が邪魔になり、岩を割って撤去することになった。石屋が岩に穴を開けたところ、その石屋は家に帰った後、高熱を出して苦しんだ。娘の霊が祟っているということになり、工事は中止されて、今でも地蔵は道路端に残され、岩が道路に少しはみ出たままになっている。またこの岩はもとは道路の反対側にあり、道路の舗装工事の際に現位置に動かしたところ事故が起きて工事人夫が大怪我をしたとも伝えられている。 平成24年3月」
この首地蔵を見て、万治の石仏を思い浮かべる人もいるのではないだろうか。
万治の石仏(長野県下諏訪町)
自然石に首が乗っているところはまったく同じ。
石の大きさもほぼ同じだが、首の向きが逆になっている。
最も大きな違いは、首地蔵が地蔵菩薩であるのに対し、万治の石仏は阿弥陀如来であること。
万治の石仏の首の下には、薄肉彫りで弥陀の定印が彫られ、横には「南無阿弥陀仏」の六字名号もある。
阿弥陀さんとお地蔵さんは別物だから、首地蔵は万治の石仏の影響を受けていないと云うのは、言い過ぎ でしょう。
万治の石仏は、始祖木食弾誓の50回忌供養のために弟子によって造仏された。
弾誓が山岳修行の上、開眼したのは佐渡の岩屋口の洞窟でした。(注:カテゴリーから「木食弾誓と後継者」をクリック「それは佐渡から始まった(1)」をご覧ください)
生きる阿弥陀如来として、弾誓は再生したのです。
弾誓開眼の地だから、佐渡にはその弟子たちの足跡も多く残っています。
彼らは作仏聖でもあったから、その足跡は、仏像や石仏として残ることになります。
とりわけ多いのが地蔵石仏。
佐渡が、地蔵の島といわれるのは、弾誓派の活動によるものと考えて差し支えありません。
その作風の特徴は、平べったい顔に大きな鼻。
法然寺(佐渡市相川)の地蔵菩薩
彫技の稚拙さがおおらかさをもたらしています。
大きな鼻といえば、塩澤寺の「たんきりまっちゃん」を思い出す。
万治の石仏 塩澤寺のたんきりまっちやん
弾誓派の名残りが、甲府のでか地蔵にもどこかあるように思えてなりません。
ところで、甲府盆地を西から東へ巡って、気付いたのは巨石があちこちにあること。
巨石、巨岩が多いから、でか地蔵もあるということになります。
地図を見ると大石神社があるので、行ってみた。
石段を見て、たじろいだ。
頂上が見えないほど長い。
やっとの思いで着いた本殿の背後のご神体は、高さ12m、周囲67m。
昔から磐座として祀られてきたこの御影石を中心に、周囲には巨岩がごろごろ点在している。
巨石、巨岩を神として崇めるアミニズムの時代が長く続いた。
巨石信仰に仏教が接近するのは、山伏たち山岳修行者を通してだった。
弾誓とその後継者も山伏の一員である。
彼らはその教義を仏頭伝授という秘儀で伝えていた。
仏頭と巨石の繋がりは、こうして生じたのではないか。
証拠はないけれど、このように夢想するのです。
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