6 日蓮宗・妙音寺(松が谷1-14-6)
都内には珍しい蚕の神「金色養蚕大明神」が祀られている。
写真、鳥居の奥に黒御影の金色養蚕大明神。
薄い浮彫で、肉眼でも、神像ははっきりしない。
鳥居に向かって左手に、石塔もある。
「金色養蚕大明神」の金色は、蚕神としての金色姫のこと。
常陸の国(茨城県)の三つの神社、蚕影(こかげ)神社、蚕養(こがい)神社、蚕霊神社の蚕神でもある。
伝説では、インド王姫として生まれた金色姫は、継母にいじめられ、それを不憫に思った王が姫を船に乗せて海に流した。船は常陸の国に流れ着き、漁師の権太夫夫婦に助けられる。しかし、金色姫はまもなく亡くなり、その霊魂または死骸が蚕となり、養蚕が始まったというもの。
江戸から明治になっても、都内には養蚕農家が沢山あったことが、金色養蚕大明神があることで分かります。
7 浄土宗・聖徳寺(松が谷2-3-3)
境内に玉川上水を開削した玉川庄右衛門、清右衛門兄弟の墓がある。
徳川将軍家の正史『徳川実紀』承応二年(一六五三)正月十三日の項に「麹町。芝口の市人等。八王子玉川の水を府内にひかんことをはかりて。うたへ出しをゆるされ。費用とて金七千五百両給付」とあり、翌年六月二十日の項には「この日去年命ぜられし玉川上水成功せしにより。其の事奉はりし市人へ褒金三百両下さる」と記されている。
上水掘削に成功し、褒金300両を下された市人の名は書かれてないが、玉川兄弟だったことは間違いない。
都下羽村市の玉川兄弟像
兄弟の死後220年も経って、明治政府から従五位を追贈されていることからも明らかです。
二人の戒名には「従五位」が麗々しく織り込まれています。
「隆宗院殿贈従五位正誉了覚大居士」
「摂取院殿贈従五位光誉照山大居士」
玉川兄弟の墓の反対側にちょっと洋風な浮彫石像がある。
仏名は何か、寺に問い合わせてみた。
「寄贈されたもので、観音様だと聞いている」との返事だった。
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