石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

34 ん?庚申塔

2012-07-01 15:37:01 | 庚申塔

このブログ「石仏散歩」の閲覧者数は微々たるものだ。

そのうちの大半は、私の友人か知人ではなかろうかと推察している。

義理とお付き合いで、というのが本音だろう。

だとすれば、石仏の知識も興味もない人たちということになる。

お地蔵さんと観音さんの区別がつかないと思っていい。

数年前の私自身がそうだった。

 

石仏、石造物全般は、もともとは強い信仰心や宗教的行事や習俗と関わって造られたものだった。

信仰心が薄くなり、宗教的行事が行われなくなって、石仏、石造物の存在が希薄になってくる。

無視され見向きもされないのに、石だから、そこにあり続ける。

だから、夜待塔や馬頭観音は、寂しい。

無意味にそこにあるのだから。

庚申塔も哀しい。

通行人の大半は、その存在理由を知らないのだから。

 

今回のテーマは変わり種庚申塔だが、お地蔵さんも観音さんも区別がつかない友人たちの為に、まず一般的な庚申塔を示しておこう。

 像は青面金剛。

  安養院(足立区)元禄15(1702)      大円寺(杉並区)寛文7(1667)

中央の2手が合掌している(左)か、右手に剣、左手にショケラという女体をぶらさげている(右)6手像が一般的です。

像の上方左右に日、月、足元に邪鬼を踏まえ、その下に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)がいる。

童子や鶏が傍らにいる像も多い。

 吹上観音堂(和光市)宝暦11(1761)          東光寺(板橋区)寛文2(1662)

 

庚申塔が建てられ始めたのは、室町時代からと言われている。

最初は板碑庚申塔の時代だった。

  来光寺(足立区)寛文6(1666)

江戸時代に入り、阿弥陀如来、地蔵菩薩、観音菩薩といろいろな仏様を主尊とする庚申塔が流行りだす。

足元の三猿が見極めのポイントか。

 阿弥陀如来庚申塔 宝幢院(北区)      地蔵菩薩庚申塔 東福寺(渋谷区) 

それが天和(1681-1684)の頃から青面金剛一本になり、100年後の寛政の頃から文字塔の時代に入る。

  路傍(長野県箕輪町) 昭和55(1980)      水神社(取手市)寛政12(1800) 

 神明社(春日部市)文化3(1806)

庚申の文字を刻むものが多いが、青面金剛や猿田彦など夫々に変化があり、バライティに富んでいる。

 

庚申の日は60日に1度巡ってくるから、普通の年だと年6回アタリ日があることになる。

その夜は眠らずに過ごして、家内安全、健康長寿を願うのが庚申待ちだった。

3年、18回の庚申待ちを行えば「一切の願望、此内に成就せぬと云う事なし・・・」(『庚申因縁記』)と云われ、その達成を記念して庚申塔は建てられた。

庚申塔は、それを拝むことよりも建てること自体に意味があった。

建てることで、二世安楽を祈念したのである。

以上、庚申塔基礎講座でした。

 

と、いうことで、本編へ。

まずは、文字。

なぜか、誤字、脱字が多い。

今や、住みたい町NO1の吉祥寺。

駅北口からアーケード街を抜けて、五日市街道にぶつかったら左折すると右手に「安養寺」がある。

参道にある庚申塔が面白い。

 安養寺の甲辛塔(寛文5.1665)

 なんと2か所に誤字がある。

 

 南無阿弥「施」仏は南無阿弥「陀」仏      「甲辛」は「庚申」の誤字

施主は驚いただろう。

でも、彫り直しを命じなかったのは費用が嵩むからだろうか。

同じような誤字が取手市にもある。

 両足神社(取手市}の庚辛塔(延宝5・1677) 庚「辛」は庚「申」の誤字

「甲神」というのもある。

   成安寺(埼玉県滑川町)

「甲辛」でも「甲神」でも二文字あれば、庚申かと読みとれる。

 

 一字しかないものもある。

「奉供養庚待」。

庚申の申が抜けている。

 万福寺(墨田区)              解説文の一部

石を彫る、ことに、うっかりは似合わない。

確信犯だとすると何故?と理由を知りたくなる。

 

誤字、脱字があっても、私には決して分からない梵字だけの庚申塔がある。

永福稲荷神社(八王子市)の梵字庚申塔(享保8.1723)

梵字真言だそうで「ウーンオンディバヤキシヤバンダバンダカカカカソワカ」と読むらしい。

世間は広い。

学のある人は尽きない。

当然、隷書体やてん書体の庚申塔もある。

 隷書体の庚申塔(観音堂・小山市)   てん書体の青面金剛(須花庚申塔群・佐野市)

文字は読めるが、趣旨不明のものもある。

「道祖神」の下に三猿。

    葛飾白山神社(市川市)

道祖神なのか、庚申塔なのか。

道祖神を主尊とする庚申塔とすると収まりがいいようだ。

 

青面金剛の頭上に蛇。剣にも蛇が巻きついている。

        清善寺(行田市)

なぜ蛇なのか。

ドクロと蛇の組み合わせもある。

          顕正寺(横須賀市)

見ざる、聞かざる、言わざるだから三猿なのに、5猿の庚申塔がある。

     神明社(町田市)

両腕からつり下げられたように2匹の猿がいる。

 

5匹なんてものの数ではない。

36匹の群猿庚申塔が江の島にある。

護国寺では、猿が庚申塔を支えている。

 護国寺(文京区)

 かと思えば、猿が主尊の庚申塔もある。

    庚申塚(豊島区)

見ざる、聞かざる、云わざるを文字にすれば、こうなる。

 東八幡神社(春日部市)

視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ。

いや、面白い、と思うのだが、ひとりよがりなんだろうか。

 

邪鬼にはバリエーションが多い。

青面金剛に踏みつけられている邪鬼だが、これは踏まれ方がひどい。

顔が逆さまになっている。

徹底的に、これでもかと踏まれているようだ。

 

      永楽寺(三浦市)

ふんどし姿の邪鬼がいる。

道徳的な石工だったのだろう。

  呑龍堂(埼玉県小川町)

一方、こちらは腰巻の女。

青面金剛の左足は邪鬼を踏んでいるが、右足の下は仰向けになった女性のようだ。

  八幡神社(船橋市)

腰の二重線は、腰巻の紐と見える。

うつ伏せになった猿がいる。

見ざる、聞かざる、言わざるではなさそうだが、何だろうか。

この八幡神社の女性は人間のようだが、女の邪鬼もいる。

  福樹寺(三浦市)

胸が膨らんでいる。

乳房ではないか。

腰巻を巻いた上半身裸の女邪鬼と見るがどうだろうか。

三浦市の庚申塔に風変わりなものが多いようだ。

石工に自由裁量が与えられていたからだろうか。

 

以上は、私個人が出会った変わった庚申塔。

無数にある変わり種のほんの一部です。

「だから、何だ」と言われると困ってしまうが、今後さらに集ったらまた載せるつもりでいる。

 


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2 コメント

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「甲辛」は間違いか? (ishida)
2014-11-13 16:50:38
江戸期の文字文化を知ると胸を張って「間違い!」とは云えなくなるんです。昔、必要に迫られて古文書講座を受講したことがありますが、これはびっくりの連続でした。まず買わされる「くずし字解読辞典」には、一つの漢字に何ん通りものくずし字が載っているのです。これをクリア出来ても、他に「異体字」という漢字を簡略化(?)した文字群もあり途方にくれるばかりでした。
 「同じ形の文字」を何度も使うと、ものを知らない奴と思われるので、同じ文字は使わないと云うルール(?)のようです。その外に、「音」が同じなら字が違っていても構わない「当て字」という使い方があって、必死で漢字を読んだのに単純な仮名の当て字だつたりしてコケます。これを「当て字文化」などと呼ぶのだそうです。そうすると、「甲辛」や「甲神」は間違いではない事になります。
 庚講は間違いか? 野田市にも江戸初期の庚申塔に「奉納庚供養…」などと彫られた庚申塔が数基ありますが、当時の人々はこれで庚申塔と理解していたのだと思います。
「子待」とあって甲子塔だったりしますから。
 大体、石塔の誤字は石工の全責任なのでしょうか。アップされている「南無阿弥施仏…」は崩し字で書かれていますが、これは発注者が紙に書いたものを持ち込んだ可能性もあると思います。石工は石材を刻むのが仕事ですから、全ての石工がデザインや文字まですべて考えたかどうかは疑問です。まだ判らないことが多いんです。
 
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間違っていたのは、石工ではなく私 (eichu M)
2014-11-14 09:55:44
私は、今年、某大学で「江戸戯作文学」を受講しています。少しばかりですが、「当て字文化」も分かるような気がします。「甲辛」は間違いではない!なるほどそのとおりですね。民間信仰はなんでもあり、と一脈通じるものがあるように思います。
安養寺(吉祥寺)の「甲辛」塔については、偶然見つけたのではなく、石仏めぐりガイドで知りました。誤字としたのも、その持参資料の記述によるものです。私には、石田さんのような「視点」がなかったので、誤字庚申塔を単純に面白いと、思ったようです。
今、気づいたのですが、私は石工を「文字を知らない無教養な職人」と見なしていたようです。「甲辛」も「南無阿弥施仏」も彼の無学故生じたことと思っていたようです。しかし、考えてみれば、石工は施主から渡された原文をそのまま彫るのであり、彼はそれまで何度も「庚申」や「南無阿弥陀仏」は彫ったことがあるのでしょうから、間違いを石工に求めるのは、無理筋というものでした。ご指摘を受け、視野が広がった気がします。ありがとうございます。
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