(ご報告ーこれまで5日おきに、当ブログを更新してきましたが、住居移転の騒ぎで、落ち着いてパソコンに向かうこと能わず、しばらく更新をストップします。4月中、遅くとも5月には、再開する予定です。2017-02-16)
駅前広場から参道へと入る。
参道を歩き始めるとすぐ左にあるのが「大師堂」。
門柱に「安心立命」と大書してある。
新勝寺にも大師堂がある。
関係があるのかないのか、ネット検索してみたが、分からなかった。
玉垣(寺でも玉垣でいいのだろうか)がなんとなく味があって、いい。
大師堂の先、左に墓地があって、「南廟霊園」との表札がある。
入るとすぐ、弘法大師が2体座していて、その隣には六地蔵が、50cm前の塀に面して窮屈そうにお立ちになっていらっしゃる。
参道には、十二支の動物が一定間隔で置いてある。
新しい石造物で、ありきたりではあるが、「成田街道の石造物」と題してのブログだから、一応全部載せておきます。(重複するものは、カット)
今気づいたのだが、ウマがいない。
撮り忘れたのだろう。
十二支の傍らには、石のベンチ。
参拝観光客への配慮がうれしい。
やがて、道が二股に分かれて、参道は右の坂を下りてゆくのだが、その角左手にあるのが、薬師堂。
建物は、初代の新勝寺本堂。
お大師さまに交じって、如意輪観音が1基おわす。
江戸時代、ここ薬師堂前に高札場があって、いつも人だかりがしていた。
薬師堂の、参道を挟んで、向こうに立つのは、俳人三橋鷹女の銅像。
和服の小柄な女性が、きりりと立っている。
自筆の句碑はざらだが、出生地に立つ俳人の銅像は珍しいのではないか。
傍らの解説版に紹介されている代表作は、次の3句。
「夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり」
「白露や 死んでゆく日も 帯しめて」
「口中一顆の雹を啄み 火の鳥や」
急坂の「表参道開運通り」を下る。
昼食にウナギをと「近江屋」を覗くも満員なようなので、隣の「菊屋」へ。
うな重3800円なり。
成田山新勝寺に到着。
昔の江戸の人たちが、1泊二日で歩いて到着した行程を、なんと10回に分けて、その都度、板橋の自宅に帰り、出直すことを繰り返してやっとたどり着いた。
壮大な総門をくぐり、常夜灯が並ぶ参道を通り、仁王門へ。
さらに本堂を正面に見る境内までは、石段を上らなければならないが、その石段の両側にも無数の石造物が重なり合っている。
だが、取り上げない。
寺域内の石造物は、項を改めて、掲載するつもり。。
ただ、一点、石造物でもないのだが、注目しておきたい彫刻がある。
それは、釈迦堂裏の五百羅漢のうちの「らごら」像。
釈迦堂は、新勝寺の本堂だった建物。
建物後ろ側の回廊に、仏師松本良山が10年の歳月を要して刻した五百羅漢がござる。
目の高さより高い位置にあって、しかも目の細かい金網で全体が覆われているので、見にくいこと、この上ないのは、残念。
当然、撮影もしにくく、金網にレンズをくっつけて、フアインダーを覗かずに適当にシャッターをおす。
そうした撮影したのが、下の「らごら像」。
らごら尊師は、釈尊の長男。
十大弟子でも、十六羅漢でもあり、五百羅漢でもある珍しい羅漢だが、胸を開いてその中から仏が顔を出すスタイルは異彩を放っている。
フアインダーを覗けなかったので、顔の一部が欠けているが、ご愛敬というものだろう。
新勝寺に参拝に行ったときは、ぜひ、釈迦堂五百羅漢に「らごら像」を探してみてください。
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