石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

135 徳本行者と名号塔-④教化活動その1-

2018-05-06 14:25:47 | 六字名号塔

 

徳本行者が晩年になって江戸に下向したのは、日蓮宗に傾きかけている江戸城内のムードを本来の浄土宗に立ち戻らせる使命を与えられたからでした。

と、同時に、わずか4年という短期間ながら、各地を巡錫し、積極的に化益(けやく)=(教化して、人々を善に導き、利益を与えること)活動を続けます。

文化11年9月16日ー10月23日 箱根で湯治しながら阿弥陀寺での化益。
  12年5月27日ー5月30日 下総での化益
    8月26日ー10月24日 伊豆、相模
  13年2月17日ー3月7日  下総
    3月20日ー9月7日  信州、飛騨、越中、加賀
  14年1月23日ー4月2日  下総、下野、上野
    7月17日ー10月10日 下総
    11月2日ー12月10日川越、相模

徳本行者の化益は、すべて、各地の信者の要請によってなされた。

行く先々で案内の者が待ち受け、沿道には人々が並び、会場となる寺の境内は信者で溢れていました。

      イメージ映像

徳本行者の、この一連の教化の旅は、毎日、克明に記録されています。

記録には二通りあって、徳本行者側の記録と化益を授与された側の記録。

化益の段取りは、基本は同じだが、細部は場所によって異なります。

ここでは、文化11年11月7日の川越大蓮寺での化益を中心に、文化14年11月19日の相模当麻無量光寺と文化13年8月6日、信州飯田の峯高寺での化益の一部を交えて、化益の段取りと内容を見てゆきます。

  大蓮寺(川越市)

11月6日の夜、徳本上人大蓮の台へ御着あり、其途中送り迎ひの人々幾万人たること計かたし、夜に入御むかひのてうちん(提灯)昼を欺がごとし」

大蓮寺の徳本名号塔。側面に「徳本上人御化益霊場」とある

当麻無量光寺の化益の日は、雪が降った。

折悪しく雪降り来り、寒気も一入強くなりしかども、本堂は勿論の事、堂外の輩まで一人も帰るものなく、頭に雪を頂きながら静まり返りて聴受」していたことが記録されている。

多数の群集は敬虔な念仏者ばかりではなかった。

野次馬も多数いたはずです。

なのに、雪の降りしきる中、一人も帰るものがいなかったのは、徳本行者の説教がみんなの心を捉えたからだといっていいでしょう。

 本堂に入り、高座に着座した徳本行者は、まず十念(南無阿弥陀仏を10回唱える)した後、「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」(弥陀の光明は遍く十方世界を照らし、念仏の衆生は摂取してすてたまわず)と唱える。ここから長線香2本が尽きるまで、念仏をあげ、「願以此功徳平等施一切同発菩提心往生安楽国」(願わくばこの功徳をもって一切に施し、同じく菩提心を発して安楽国に往生せん)を参会者と唱和した。

 再び、十念をしたのち、化益のメインイベント日課念仏の授与に移ります。

(続く)

 


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