◇クワドラングル
クワドラングルとは、四辺形の意。
110m×140mの城壁の中に11もの仏教施設がある。
行政関係の建物などはない。
ポロンナルワの廃墟化とともに密林の中に埋もれ、忘れ去られていたが、19世紀になって発見された。
◇ワタダーゲ(Vatadage)
東の入口から入ると左手にある円形仏堂。
建築主は不明だが、7世紀の造立とみられている。
7世紀と云えば、首都がまだアヌラーダブラにあった時代で、ポロンナルワで最も古い仏教施設。
屋根がある原型の復元模型が、プロンナルワ博物館にある。
円錐形の屋根の下、中央には、ストゥーパ。
それをバックに東西南北にお釈迦さまが座しておわす。
アヌラーダブラのブッダ像にくらべて、顔は丸く、がっしりした肩、ストンと落ちるウエストラインが特徴的。
4体の座像仏は、単体としての個の性格を持つのではなく、仏塔と相まって全体が宇宙的仏教世界を表現している、との解説書がある。
ワタターゲには4か所の入口があるが、いずれの入口にもガードストーンがある。
ガードストーンの最高傑作と云われるのが、東面入口の2体。
右手に吉祥の壺を乗せ、左手に繁栄のシンボルの花の枝。
足下には小人が二人。
小人は富の神クベラの使いで、財宝の守護神だという。
◇ハタダーゲ(Hatadage)
上の写真は、ワタダーゲから見たハタダーゲ。
下は、逆にハタダーゲから見たワタダーゲ。
中心点が直線的につながっているのが判る。
Hataは、シンハラ語で60を意味し、dageは舎利塔をさす。
ハタダーゲは、「60日でできた舎利塔」と云われているが、「舎利、遺物が60個ある舎利塔」という見方もあるんだそうだ。
12世紀にニッサンカ・マーラ王によって建てられ、王権の象徴の仏歯がこの仏歯寺の2階に納められていた。
このレンガ壁の上に、木造のお堂をイメージするといい。
基壇のレプリカのライオンが猫のようだ。
入口右側にニッサンカ・マーラ王の偉業をたたえる碑文がある。
ダーゲの一番奥には、3体の立ブッダ仏陀がおわすが、顔がなかったり、傷つけられたりしている。
これは、侵略してきたタルミ軍の仕業ということになっている。
だとすれば、完全に破壊しなかったのは何故だろうと、新たな疑問が湧いて来る。
◇アタダーゲ(Atadage)
ハタダーゲの左隣にあって、ほぼ同じ構造の舎利堂だったと考えられている。
Ataは数字の8、「8日で建てた舎利堂」か「8つの聖遺物のある舎利堂」の意らしい。
建てたのは、ヴィジャヤバーフ1世王、ハタダーゲ建立の1世紀前、11世紀のことでした。
彼も又、仏歯をこの2階の舎利堂に安置していた。
奥に1体のブッダ立像と座像トルソー2体がおわす。
立像の流れるような衣紋が美しい。
首がない座像は、よく見ると首の部分に穴がある。
頭を差し込むスタイルだったのだろうか。
足形はあるが、身体の部分は見当たらない。
ここにも差し込み穴。
パーツごとに造って、差し込んだと思われる。
アタダーゲの石柱は、54本。
そのすべてに見事な浮彫が彫られている>
アタダーゲの脇に文字碑がある。
文字碑の文字はタミール語で「仏歯を守ったのは、雇われタミール軍で、シンハラ軍ではなかった」と書かれてあるのだとか。
ブッダ像が完全に破壊されなかったことと合わせて、真相を知りたいものです。