本堂を出ると左に池が広がっている。
コイン投げに興じる人たちがいる。
コイン投げの目標の穴の下に、象のレリーフが見える。
鼻で体に水をかけている構図。
よく見ると左にも2頭、こちらに歩いているようだ。
なぜ岩に象を彫りこんだのか、その真意は計りかねるが、宗教とは無縁な、自由な題材にスリランカ人が愛してやまない象を取り上げ、のびのびと闊達にノミを振るう石工の楽しそうな姿が目に浮かぶ。
2頭の象の上には、男と馬。
6世紀頃の制作とみられているが、だとすると法隆寺壁画より1世紀も前のことになる。
男は「嵐の神」で馬は「光」を表わすのだとか。
その伸びやかなタッチは、古さを感じさせない。
この3点のレリーフは、スリランカを代表する傑作として有名だが、実はこの他にも何点かの作品が見つかっています。
寺院北側の王宮庭園で発見されたレリーフは、現在、宝物館で展示されている。
そのどれもが宗教とは無縁なテーマであることが面白い。
仏都アヌラ-ダプラにあって、無宗教的レプリカがなぜ彫られたのか、それは謎のままです。
代表作は「恋人たち」(4-6世紀)。
男は、紀元前2世紀、この地を治めたドッタガーマニ王の息子サーリ王子。
女はその恋人マーラ。
低いカーストのマーラを妻とするため、王位継承を捨てた王子の物語は、長く語り継がれて来た。
豊満な美女マーラに寄り添いながら、得意げに愛の歌を唄う王子。
純愛かつエロチックな彫像の主人公はこの二人で決定かと思われるが、異論がないわけではない。
戦場から休暇で家に帰った戦士と妻という説は、男の衣服と背後の剣と盾を根拠とする。
シバ神とその妻パールバーティ、とする説もある。
チベット仏教の文殊菩薩だという見立てがあれば、インドネシア仏教芸術ではありふれた構図だという人もいるらしい。
異説が多いということは、作品が古くて、傑作であることの証。
同レベルの彫技と思われる作品を何点か載せておくので、鑑賞ください。
王と妃
王妃
富の守護神ガナ
無宗教のレプリカばかり、と書いたが、訂正がある。
明らかに仏陀像と思われる座像があるからです。
首から上がなく、衣紋も消え、印相もはっきりしないが、スリランカではごく当たり前の禅定三昧、瞑想中のブッダ坐像であることは間違いない。
それにしてもこの佇まいはただ者ではない。
あらゆる夾雑物を排して、すっきりと穏やかで格調高く厳か。
色彩がないのが非スリランカ的で、だから、日本人好みの石仏だと云えるかもしれない。
少なくとも私は好きだ。
宝物館を出ると石柱と石仏があるので、いつもの癖で、ついパチリ。
寺院の境内にこうした石仏がある風景は、しかしながら、このあと1回も見ることがなかった。
あるとすれば仏陀像で、それは寺院にも各家庭にもおわすけれど、石仏として庭や路傍にあることはないようだ。
人の列が大きな岩をくぐって続いている。
本堂上の展望台からは、アヌラーダプラを俯瞰することができる。
世界遺産の古都は、緑の樹海の中にすっぽりと包まれてその片鱗さえも見せていない。
精舎の隣は、水田。
田植えしたばかりの田んぼだが、今年何回目の田植えなのだろうか。
「三毛作が普通です」とはガイド氏の答え。
≪次回は、スリー・マハ菩提樹≫