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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻3/6・19/29

2025-04-27 | 先祖供養

観自在菩薩冥應集、連體。巻3/6・19/29

十九清水に祈って母を尋ねて逢ふ事。

京都に一人あり。幼き時父母貧にして養育しがたければ道の側に棄てたり。しかるを一人の商人此を拾得て養ふに此の児過去の福分や有りけん知恵利発にして商売の上手なれば主人の気に入りて一手代とぞ成りにける。さて次第に富饒になるにつけて主人も過分の財宝を分けて別に家を譲りたり。此の者天性至孝にして父母を知らざることを歎き常に清水の観音に詣して、願くは我が母に尋ね逢せ玉へと涙を流して祈りけり。大士其の志を憐み玉ひけるやらん、夢中に告げ玉はく、汝母に逢たく思はば三十三所を巡礼すべしと。夢覚めて有難く思ひ、急ぎ用意して巡礼に出でける。丹波國穴穂寺に至って宿する時に寺僧に逢て語るに母を尋ぬる事を述ぶ。あるじの僧歎て曰く、此の村に乞食媼あり、恒に人に語るは、我は本都の者なりしが若き時貧しくして一子を棄てて今又乞丐人となれりと。疑ふらくは汝の母にあらずやと。此の人大に悦び彼の老媼が居處を尋ねて、何年何月何處にて子を棄てたるやと子細に尋るに、媼始めより委悉に語るを聞けば即ち我が母なり。相共に涙を流して喜び都に伴ひ帰りて一生の間安穏に養ひ孝を尽くせり。是偏に観音の御恩徳なりとて、貞享元年(1684)四月穴穂寺の前に於て七日七夜が間、一萬の灯をともして供養しければ遐邇(かじ・遠近)の道俗随喜称歎せりとかや。寔に至孝の志、薩埵の納受し玉ふも理りなり。彼の唐の呉璋が母に尋ね逢ひしと。

 

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