高野山納骨のいわれ
高野山納骨のいわれは塵添壒嚢鈔(室町時代の百科事典)に次のように紹介されています。
「大師御記(高野山旧宝性院経蔵にあった)に「舎那の秘印を結んで先の身を秘し、身を樹下に留むといえども、意は兎率の内院にあり、然りと雖も遺跡を加持して日々の影嚮を欠かさず、有信の者に至ってはその身に幸を授かり、不信の者は先業を恨むべし、ただし我山に送り置るる亡者の舎利を、我は毎日三密の加持力によってまず安養の寶刹に送り当来には我山の慈尊説法の聴衆菩薩と為るべし」」
高野山納骨のいわれは塵添壒嚢鈔(室町時代の百科事典)に次のように紹介されています。
「大師御記(高野山旧宝性院経蔵にあった)に「舎那の秘印を結んで先の身を秘し、身を樹下に留むといえども、意は兎率の内院にあり、然りと雖も遺跡を加持して日々の影嚮を欠かさず、有信の者に至ってはその身に幸を授かり、不信の者は先業を恨むべし、ただし我山に送り置るる亡者の舎利を、我は毎日三密の加持力によってまず安養の寶刹に送り当来には我山の慈尊説法の聴衆菩薩と為るべし」」